怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

日常の中で何か気付いた事があれば

2024年04月01日 18時32分52秒 | 俳句
私の俳句の作り方は
日常生活の中で何か気付いた事があれば
それをメモしておく
その気付きが後でまとまってくれれば
俳句になってくれる
面白いことにこの気付きと言うのは
年齢ではなく
経験が物を言うような感じがする
経験というか
知識と言ったほうか分かりやすいだろうか
花を見ても
それが花だと認識できなければ
気付かない
気付きがないわけで
花だとわかっても
それが水仙だとわからなければ
あるいは
ただの水仙なのか黃水仙なのか
気づかなければ

鳥も
魚も
あらゆる生き物
いや空もみずも山も
全て我々を取り巻く全てに
何かしら気付くことがあるはず

新たな気付き

今日いくつメモできました?
その数だけ俳句が生まれます

季語についてあれやこれや

2024年03月26日 19時13分15秒 | 俳句
季語って?
例えば、ビール。
これは夏の季語です。とすらッと書きましたが、今では一年中ビールを飲んでますし

ビールを飲んでもア~夏だなあという思いをすることもあんまりないとは思いますが

でも夏の季語ですよね

友来たる暖炉赤々まずビール

なんていう句を作る人はあまりいないと思いますが作ればおかしな感じがするのでしょうか?

暖炉とビールで季重なりということを感じる人もいらっしゃるのでは

さあその時の考え方なんですが

歳時記至上主義というか歳時記原理主義というか

歳時記に照らして正しい正しくないというのがどうなんでしょうか
ということです


またそこから発して歳時記を見直そうという考え方も出てくるのでしょう

例えばビールは季語から外そうという考え方です



また動物も季語になっているものが多くありますが、その季節わけも微妙な感じがあります

鯨が冬って?ウサギも冬、蛇は夏、猪と鹿は秋、

色々理由があるのでしょうが



霧は秋で霞は春 まあこれは言葉の問題かも



季語はしっかり覚えておきましょうねで問題解決にしたくないような気分がします

歳時記至上主義ではなくって、自分の感覚をそだてないなあとおもっているところです

また季語の問題と言えば

剪定に助けられたる余生かな
という句について、ある人は「作者が植木の剪定技術を取得したことで余生に励みができた」ととったという。

確かにそのようにとれますね

作者は「高齢になって手術を受けそのことがあたかも剪定を受けた樹木のように思いこれからの余生を思う」という意味だったと。



一つの俳句の解釈が作者と読者で大きく違ったのだが、

これに対してその句会の先生は「季語を比喩で使ったのですか?」と悲しそうにおっしゃった。



とここまでは半ば経験談これから先は全くのフィクションです。



おそらくその先は「季語は今であることが大前提なんです。今そこにないものを季語として使うのはおかしいでしょう。ましてやこの場合季語を冒頭において大上段にかざしてる。それが比喩だったとなるとすべてが崩れ去ってしまうと思いませんか。」とつづけられるのではないかな

季語を比喩で使うことの是非?たぶん否定論者はこんな論調かな?





あまりいらっしゃらないかもしれないが肯定する方は「季語が生きてれば、季語の力が働いていればそれもいい」

となるのでは?



もっとも例に挙げた句は季語の力は働いているとは言えない

まず春らしさはみじんもない。若々しさがない。剪定という季語にはパッチンパッチンという音が聞こえてくるものだ。

枝ぶりを強制されてこれからすこやかに伸びて行こうとする若さがほとぼしる。

そんな句でないと 



俳句は詩なんだから

詩にはある種の驚きがいるだろうに

驚きがなくって共感するだけではつまらない。



驚きのある句を目指したいまずは自分が驚かなきゃと思いますが

さて話が横にそれたが季重なり

季重なりについて考えをまとめてみようと思った。まずその前に気になったのが「季重なり」この言葉広辞苑では「きがさなり」と引けば出てくるのだが、パソコンのIMEでは「きかさなり」と打ち込まないとこの漢字表現『季重なり』は出てこない。スマホではどちらでも漢字表現できる。妙なこって。

閑話休題

季重なりを初心者向けのほとんどの句会やカルチャー教室では不可とされるようです。まあ、その姿勢も分かるのですが、……

いやどう考えてもこれは季重なりを承知で句にしたい、一句まとめたいというときにどうしたらいいのか?たぶんほとんどの方がそんな時はその句自体どうにもならないと考えて没にするのでしょうね。あるいは推敲を重ねてどちらかの季語を外すことを検討するのでしょう。

昔の人特に江戸時代の人は平気で季重なりの句を作ってらっしゃいますよね

うらやましくもありますが



飯田龍太さんの句で調べたことがあります



鵯の声くれなゐを誘ひ出す



薄氷ひよどり花のごとく啼く



この二句です最初の句では季語は鵯、後の句では薄氷です。そして後の句で平仮名にしてらっしゃいます。



この手があったのです。つまり仮名にして地の中に溶け込ませるという。



これに気付いたのは数か月前。知っていたのにこの句ではできなかったのです。まだ自分のものになってないのですね。あるいはそもそも季語の理解ができてないということでしょうかね。

俳句のページをリンクしました

2023年04月08日 19時04分15秒 | 俳句
ameblo
というサイトで俳句について以前書いていました今回そのサイトで俳句エッセーとでもいえるものを目指そうとしています。うまくいくかどうかこれからにかかっています。なるべくその時期にあった私の俳句を中心に物が書ければと思っております。
さあその第一回が「散る花を受けて千年流れをり」です。赤字の部分をクリックすればいいはずです。
以後新たにアップすればこちらで案内します。できれば週に一度はしんどいか?

見たことのない季語を使ってもよいのか?

2022年10月29日 20時42分32秒 | 俳句
俳句の歳時記にはまあいろいろな季語が載っている
もちろん俳句を作るときにはその中からこれぞという季語を選ぶのだが
その時
見知らぬ例えば見たことがない季語を使ってもよいのだろうか?

例えば木槿という季語がある
芭蕉の句に
道のべの木槿は馬に食はれけり
というのがある

私は木槿を見たことがなかったとして

木槿を使って

はらはらと雨は木槿を癒しけり

などと作ることはいかがなものか

雁渡るなどと言う季語はよく使われるが
私は見たことがない雁も
雁が渡るのも写真でしか見たことがない
ああそおか写真で見たことがあれば良いのかな?

龍太に学ぶ

2022年08月15日 08時48分01秒 | 俳句
飯田龍太さんの対談集を読んでいる
今読んでいるのは1973年の森澄夫さんとのもの

たとえば、「この秋はなんでとしよる雲に鳥」でもね、「秋風や藪も畠も不破の関」……。うまいね。芭蕉のね、現代俳句で学ぶべきところは、ああいうふうな季語と自分のたたみ込んだ述懐とがね、等量におかれているところなんだ。

この龍太さんの言葉良いなあ
季語と
自分のたたみ込んだ述懐を
等量に置く

なにかしらびんびん響いてきた

芭蕉を解釈する龍太の言葉

⑥咎人を運びし川や梅雨深し

2022年06月28日 18時50分59秒 | 俳句
しばらく自句を取り上げていなかった
他意はなかったが、ずいぶんと時間が空いて梅雨明けになってあわてて
発表です。
この句も、西の例会の折に出した一句で
和子先生から、咎人って言葉が先生も探していたが出てこなかったとおっしゃって、先生が出てこなかった言葉がよく出たとほくそ笑んでた。
高瀬川界隈を吟行したときの句です。
季語の「梅雨深し」もまあまあでしょう。「梅雨の闇」ではちょっと盛り過ぎ?

2019年なので、三年前なんですね。



季語の力を信じる

2022年06月18日 20時57分03秒 | 俳句
俳句でよく言う言葉のひとつに
「季語の力を信じる」というのがあった
誰の言葉か?正確にはどうだったか?
つまびらかではないが

梅雨入りやと切れば
それだけで梅雨のあのうっとおしさすべてが
再現されると言うのだ
それなのに梅雨のまがまがさをのべても机上屋を重ねるだけなんだ
わかってないね

⑤春の宵妻がワインを先に乾し

2022年05月13日 16時31分36秒 | 俳句
2021年の春に作った句だ
特に何という句意があるわけでもないが
そのままの実景を読んだだけ

ただこの句を発表した七月は私は禁酒の真っ最中で
ほぼ二ヶ月間禁酒していた

今年もそろそろ禁酒をするかなと思ったりしている

歳を重ねることをありのままに受け入れると
酒は飲めなくなってくる
少なくとも私はそうだ
弱くなったとは取りたくないが

身体が酒を必要としなくなって

酒を飲まないことに快感を感じるようになった

ハレの日にしか酒を飲まないことにしようとしているが
問題はそのハレの日の定義だ
少なくとも岡山から戻ってきた日はハレの日ではないこと
にしないといけない。

そうすればしばらくハレの日はないはずだ。

結婚式もあるまいし、となれば
次のハレの日は盆まではないか?
……

落語会は?
句会は?
芝居などを見に行くのは?

いやいやハレの日は結構ありそうな

明日は落語のお稽古日これは?ちょっと無理があるな!






④すめらぎの兜鎮めし山笑ふ

2022年05月07日 10時54分44秒 | 俳句

この句は二年前、2020年の春のネット句会で選んでもらえたもの。

自分でも気に入っている。

山に四季があるということは、俳句をやり始めてから知った。

春が山笑ふ、夏が山滴る、秋が山装ふ、冬が山眠る。

兜を沈めたのだから、山眠るのほうがとも思ったのだが、

むしろ、兜を鎮めて何とする?

鎮魂か?厭戦(えんせん)か?

反戦ではあるまい。

ならばむしろ茶化してやれ

そんな気分で作った。

阪神間にぽっこり盛り上がったような甲山が、発想もと。

確か、天皇だか、皇后だかがその昔かぶとを埋めた。という言い伝えがあったはず。

似たような山は各地にあるのじゃないだろうか?

岡山には金の兜で金甲山というのがある。

こちらは同じ兜でも金だという。

 

いずれにせよ、笑い話としたら、山笑うの春が合う。

 

 


③ぺらぺらの着物で闊歩花吹雪

2022年04月25日 20時49分06秒 | 俳句

この句は2019年の句会で、和子先生に読んでいただいた。

ぺらぺらの着物がいいですね、花吹雪もうまく合ってる。

と、一応お褒めの言葉をいただいた。と思っております。

京都の街に、全国からいや東南アジア諸国から来た人達がいかにも安物の着物を着せられて、外股に歩く姿がそこここに見えた時代でした。花吹雪の中を、本当にこんな人達が京都の街を闊歩していました。

先月の下旬くらいから、恐らく春の休みやなんかもあって人が多くなって、それこそ貸衣装の女性も見られようになった。

たまにカップルで、和装の貸衣装を着ている御仁を見るが、女の子はまだマシだが、男の方がまあ、見てられない。帯は貝の口でちゃんと締めているところを見ると着付けはお店の人がやってはくれるようだが、歩き方がなってないから歩いているうちに前がはだけてだらしないことこの上もない。

まあふたりとも早々に着替えたらと言ってやりたくなる。

でも、男の着物姿がもっと市民権を得て当たり前になってくれたら、私も着物姿で闊歩をと密やかに思っているこちとらにとっては有り難い話なんだが。

念の為、花吹雪は健さんではないのであくまでも女性に降りかかって欲しいものですが。


①梅が香や背すじを正す京男

2022年03月19日 08時42分22秒 | 俳句

私が過去に作った句を再度推敲した句をアップしていこうと思った。第一回目はこの句、三年前に作ったもので、その当時は「梅が香に背筋を正し京男」と詠んだ。今回読み直して季語は独立させたほうがいいだろうと思ったのと中七と下五は一区切りとしたほうがなんの抵抗もなく受け取れそうだ。京都の小さな神社で多分白梅だと思ったが咲いているところにご近所の男の方が和服だったろうか来られてその香りを嗅嗅いでいらっした。

その時すっと背筋が伸びたように見えた。

一般的には「東男に京女」ともてはやされてるが、なんの京の男はんも品がおまっせ。


俳句は詩……

2020年06月30日 05時16分38秒 | 俳句
俳句は詩である

アカシアの雨が降る六月十五日
こんなのや
アカシアの雨は六月十五日
こんなのは

詩ではないだろう
詩の感動も余韻も感じられない

いくら、
1960年に、日米安保が強行採決され、それに反対する全学連が国会へデモをし、当時東大生の樺美智子さんがころされて、その年に鎮魂歌のように西田佐知子さんが「アカシアの雨」を歌いそれがヒットしたことがあったとしても

アカシアの雨は六月十五日

これではただの五七五だ

梅雨入りや思い起こせし六十年
梅雨の入り思い起こせや十五日

これではどうだろう❔
四時半に目が覚めて夢の続き……

今日は雨……

昨日、平安神宮神苑にいって一人吟行してきた

俳句備忘録……④

2020年02月29日 17時03分30秒 | 俳句
◯ ◯◯◯◯◯ ◯◯◯◯◯◯◯ (感情を表す形容詞)のかたちは小学生がよくやるパターン

この形容詞の下五に季語を置くかたち:初心者には取っつきやすい方法


◯上五がやで切れ、下五がかな、とか、けりで終わるのはダメだ。切れが二ヵ所になるからだ。切れとはピントのようなもの。短歌や川柳では切れが求められないが俳句は必ず一ヶ所切れが必要だ。

◯「や」は昔のジェスチャーゲームの「おいといて」にあたる。

◯句をなす言葉に無理があっては句がまとまらない。「芝居小屋」と来るとそれだけで何構えが出来る。→取って付けたような言葉は避けよう。(芝居小屋は、寄席の中を描写したかったがその代用)

◯意味がとれない、意味がよくわからない言葉も避ける。「無分別」を使った句に対してもっと分析して、例えば「ひとりごと」のように置き換える。(無分別は、ふぐ鍋や鯛があるのに無分別 と言う川柳から、引っ張ったもの)

◯歴史的仮名遣いを使うならすべてに神経を使え。「つくろひ笑い」→「つくろひ笑ひ」「みずつぱな」→「みづつぱな」

◯犬が昔日を偲ぶとはなんかおかしいとってつけたよう。

昨日は宿題をいただいた さあ、応えられますかね

俳句備忘録……③

2020年02月16日 11時16分35秒 | 俳句
〇三段切れに注意
〇無駄な言葉を省くことに留意。「枝から枝へ」で鳥という言葉がなくとも鳥だとわかる
〇「白き梅」がいいのか「梅白き」がいいのか
〇歳時記を読んで例句を必ず見る。暗記しないまでもしっかり味わう。
〇「砂利音の」がいいのか「砂利の音」がいいのか
〇「うまい句はだめだ、本当にうまい句は良い。」と先人の言葉にあるが、本当にうまい人はいっぱいいる
〇句には何か発見があること
〇同じ題材で10句も20句も作ってみる。そのうちに下五だけ変えて変えて五句位作ってみる
〇俳人は「ふっと浮かんできた」というが、うそだ。どれだけ苦悩しているか
〇下五をてで終わる句が多い。てで終わると切れがないことが多い。女性に多かったが最近は男も多くなってきた「 ……割拠して」
〇色々漢字を工夫する「たつ」でも「立つ」と「佇つ」ではことなる
〇省略を心がけること
〇男の人は想像力を働かせて大きな景色を詠んでみる。気宇壮大な句に挑戦してみるとよい。