怠るな!

残しておきたいことと残しておいてはいけないこと

(1)唐招提寺のトルソー

2013年11月11日 20時41分49秒 | 仏像、仏教、仏法について


前にも書いたようにこの仏像に初めてあったのは高校2年のときだった。
その頃は講堂の片隅に放置してあった仏像が今では新宝蔵のメインに輝いている。
その事をまとめたのが次の文だがエッセー募集で応募したが佳作にも選ばれなかった。

 薄暗いお堂だった。当時は有名な寺院でも仏像を積極的に展示をして見せようとはしていなかった。それが国宝や重文でもなければほったらかしだった。歩くと床がきしむ。ほとんどの観光客はこの講堂内には見るべき国宝等は何もないといった風情で所々に置いてある仏像をちらっと見て立ち去って行った。闇に半ばとけ込むように置いてあったその像の堂々とした姿に何か惹かれる様な気がしてカメラのファインダーを覗いて見た。手がなかった。首のところで裂けてその上には何もなかった。脚はあったが、指が無かった。パーツとしての手や仏頭が無くなっていたのではない。明らかに破壊されていたのだ。人力ではなく何か異形の力によってはぎ取られたかのような姿だった。壊れたもの、壊されたものだからこんなところに置いてあるのか、この仏像にどんな物語があるか知らないが、『今 ここに居るぞ』というような声が聞こえそうでシャッターを押した。一九六五年高校二年生の夏だった。七~八年後、東京の老舗デパートでこの仏像に再びお目にかかった。「唐招提寺 小原豊雲 トルソーと花展」この時初めて胴体のみの不完全な彫刻をトルソーと呼ぶことを知った。今度は、新たな群衆がこの仏像を称賛していた。その後幾度となく訪れた唐招提寺でその仏像は昇進を遂げていった。今ではスポットライトを浴びて、「唐招提寺のトルソー」と呼ばれて、宝物館の主役の座にいる。だがこの仏像にそのいわれは無かった。誰がどんな考えでこの仏像を破壊したのか、説明は一切ない。一つの仮説が浮かんだ。あの仏像に初めて出会った頃は、知らなかったがひょっとしたら「廃仏毀釈」の嵐に踏み倒されたのじゃないだろうか。もしそうなら異形の力の主は近代化の波に踊った群衆達だったろう。襲ったのは群衆であり、一瞥だにしなかったのも群衆だったし、喝采したのも群衆。しかしこの像はいつも泰然としていた。『今 ここに居るぞ』


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