【ひと】シリーズ <1・2・3・4・5・6・7・>
■消えゆく絆 ~私が棲む集落の事例~
・葬儀
九州:唐津市のこの田舎集落では、昔は、葬儀をとりしきるのは集落や親族の長老たちであり、集落の住民総出で協力していました。葬儀会社ができてからは、しだいに葬儀社の領分が増えていき、今ではもう長老が関わることはなくなりました。
つまり、今では葬儀を運営するのに必要なのは家族と葬儀社だけになり、地域の絆はほとんど(あるいはまったく)必要とされなくなったということです。
・集落のなかの様々な集団
老人会・・・老人は減っていないのに、進んで役員をする人がいなくなり、数年前に消滅。
子供クラブ・・・小学生が数人に減り、一昨年に廃止。
婦人会・・・10年ほど前までは、対象者(※40戸ほどの家から1名ずつ)のほとんどが加わっていたが、今ではたったの5名。
※組内(=集落)の寄り合い(=総会)や、消防団や農協の各種生産組合などは実務・役割があるので続いている。
・集落の行事
初詣・・・正月に各家を代表する男たちが熊野神社にそろって参拝していたが、数年前に廃止。
※用水路の保全作業や集落内道路などの環境整備、年1回の敬老会や懇親会は続いている。
※「慰霊祭(※日中戦争や大東亜戦争の戦死者)」は、この数年、共産党員やそのシンパが無くそうと画策しているが、どうにか続けることができている。
以上の例(※すべてではない)でみてきたように、この10年ほどで《集落の絆》はどんどんと薄くなってきています。
つまり、集落内の人どうしのつきあいの頻度が急速に減ってきたということです。
■集落の絆が薄まっている原因
主に、①貨幣経済の浸透(※「家族・一族」の衰退と同じ要因)と、②少子化・集落人口の減少と思われます。
■絆が消えることはない
貨幣経済の浸透により、状況が変わらないかぎり、家族・一族の場合と同じように、集落内の絆が薄まっていくのは必然のようです。
ただし、地域の自然的・社会的環境の保全などの共通の利害があるかぎり、田舎の集落や都市部の町内会などの役割がなくなることはないでしょう。
※「状況が変わらないかぎり」
戦後、あまりにも日本国内が平和だったので、《おカネさえあれば(=「カネ稼ぎ組織」に属していさえすれば)自由に生きられる》という考えが広まっているようです。
しかし、ソ連崩壊後のつかの間の平安な時代が終わり、一部の覇権国家などによる国際紛争、さまざまな理由による内戦・内乱、テロ活動の国際化・活発化、移民増加による犯罪増加や社会不協和、経済不安など、世界の状況は刻々と《非平和》の方向に変わりつつあるとしか思えません。
そしてその波は日本を巻き込もうとしているようです。
また、日本では、近い将来、大地震と大津波による災害は避けられないと言われています。
残念な事態ではあるのですが、平和を脅かす危機的要因があれば、それらに対応して、否応なく共生集団の絆が強まるのもまた必然のことです。
(※中共や韓国政府は、意図的な「反日教育・扇動」という手法でその原理を活用しています。)
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