A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

この2人はやはりビッグバンドがいいな・・・

2017-02-13 | MY FAVORITE ALBUM
Groove Shop / Clayton-Hamilton Jazz Orchestra

 ライブに行く時も、新しいアルバムを聴く時も、昔は聴く前からワクワクしたものだ。どちらも、限られた小遣いでどれに行こうか、何を買おうか散々迷った挙句に決めたもの。実際に聴く時も、聞き漏らすまいと集中して聴いたものだ。それでも中には期待外れだったものもあり、その時の落胆は大きかった。

 社会人になってしばらくすると懐具合は暖かくなったが、反対に時間が無くなってきた。急な残業になって、せっかく買ったコンサートのチケットが無駄になったこともあった。ジャズ喫茶も昼休みに行く程度、レコード屋周りをする時間も無くなった。その内スイングジャーナルをじっくり読む時間も無くなり、レコード屋に行ってもお目当てのアルバムがすぐに思い浮かばなくなった。仕方なく衝動買いしたアルバムは当然外れが多くなった。

 ちょうど平成に変ってしばらくして、90年代から2000年になってしばらくは完全に仕事漬けの毎日。レコードからCDになったこともあり、手軽に聴けるようになったのは良かったが。BGMでジャズを聴くことはあっても、オーディオに面と向かって聴き込むことはめっきり減った。アナログ盤も一時完全にお蔵入りした。当然ワクワクして聴くような状況はめったになくなってしまい、ジャズ好きの自分にとっても空白の十数年ができてしまった。

 自分の中のイメージでは新人、若手だったはずだが、今では突然大ベテランになってしまったミュージシャンは少なくない。一体その間はどうだったのか?気になるミュージシャンは、今になって抜けた期間をトレースしている始末だ。お蔭で手持ちのアルバムの棚卸が進まない中、新しいアルバムも増えることになる。困ったものだ。

 年明け早々クレイトンブラザースが来日した。コンコルドフリークの自分にとっては、このレーベルで新人デビューした2人は若い頃から良く知る部類に入る。ビッグバンド好きなので、ジョン&クレイトン兄弟と、盟友ジェフハミルトンが立ち上げたクレイトン・ハミルトンジャズオーケストラはトレース対象だった。何年か前、このビッグバンドが来日した時は、初めて聴くライブにワクワクして出掛けたのだが、今回のクインテット編成の演奏となると・・・?



 というのも、デビュー直後のアルバム以降の彼らのアルバムは聴いていない。幸い今は時間があるので、気になったライブに自由には出掛けることができる。このクレイトンブラザースのライブも出掛けてみることにしたが、頭の中のイメージはデビューしたての頃とビッグバンドでの演奏となる。年明け早々のブルーノートはチケットの売れ行きが悪かったのか、ミュージックチャージの割引券も結構配られていた。当日の客足はまずまず、空席が目立たない程度の入りにはなっていた。
演奏が始まると、クインテットの編成の割には、結構きめ細かくアレンジも施され多彩なグループサウンドを聴かせてくれた。メンバーは、ジョンの息子がピアノで加わっていて必ずしもベテラン揃いという訳でもない。自分はアレンジ物も嫌いではないが、そのようなイメージを持っていなかったので、多少頭の中のリセットが必要だった。会場も、なんとなく盛り上がりに欠けアンコールも無くセットが終了した。これは、「割引券があったので来た」という声も会場で聞こえたので、熱烈ファンばかりでなかったというのも一因だと思う。残念ながら、自分の中でもジョンファディスのブルーノートオールスタービッグバンドでの盛り上がりとは大違いだった。
クレイトンブラザースの最近のアルバムも機会があったら聴き返してみようと思うが、やはりこの2人のイメージはビッグバンド。彼らのファーストアルバムを聴き返すことにした。

 2人がビッグバンドを作ったのは1985年。2人の盟友であるジェフハミルトンを含めて3人で立ち上げた。ハミルトンとジョンはインディアナ大学時代からのプレー仲間。ハミルトンはウディーハーマンのビッグバンドを経て、コンコルドレーベルで大活躍していたスイングするドラムの若手の代表格。クレイトン兄弟もジェフはベイシーに始まり、ハンプトン、ハーマンとビッグバンドを渡り歩いた。一方のジョンもサドジョーンズが率いた時代のカウントベイシーオーケストラでベースを務めた。ビッグバンド好きの3人がビッグバンドを作ろうということになったのは必然でもあった。
 設立にあたってメンバーのリクルーティングを行った。西海岸を拠点として活動していた3人は知り合いも多かったが、少し拘りを持って集めた。まず、市場を考えるとビッグバンドがレギュラー活動をできる状況ではなかったので、不定期な活動にせざるを得ない。しかし、集まってやるからには単なるスタジオワークではなく、音楽的にもそして個々のプレーヤーも地に足のついた拘りの演奏ができるバンドを目指した。何か、サドメルが出来た時と似たように感じる。
 ジョンはベースプレーだけでなく、アレンジも得意としていてこのバンドのアレンジはすべて担当した。やはり基本はベイシーライクのスイング感を持つアレンジだ。サドジョーンズの影響を受けたのか、多少モダンなサウンドも聴かせるが、全体は初期のサドメルのように実にグルービーに洗練されたサウンドだ。

 このアルバムで、一曲目のジョージアを聴いたいとたんにこのバンドカラーのイメージが湧く。スローな曲での木管の使い方は、サドジョーンズのアレンジを思い浮かべるモダンな響きだ。昨今のビッグバンドはマリアシュナイダーの影響か、スイングするというよりはハーモニー重視のバンドが多い。このクレイトン・ハミルトンは今でも設立当初からのベイシーやエリントンに繋がる伝統スタイルを大事にしている。自分の好みのオーケストラだ。


1. Georgia            Hoagy Carmichael / Stuart Gorrell 3:21
2. Rain Check                  Billy Strayhorn 5:35
3. 'Tain't What You Do (It's the Way That You Do It) Sy Oliver / Trummy Young 3:31
4. Brush This                   John Clayton 5:27
5. How Great Thou Art              Stuart K. Hine 3:31
6. Groove Shop                  John Clayton 5:48
7. Sashay                    Oscar Brashear 6:07
8. Melt Away/A Time for Love           Johnny Mandel 5:34
9. I Won't Dance      O. Hammerstein II / J. Kern / J. McHugh 3:23
10. Night Train Jimmy Forrest / Lewis Simpkins / Oscar Washington 9:53


Clayton-Hamilton Jazz Orchestra
Oscar Brashear (tp.flh)
Snooky Young (tp,flh)
Bobby Bryant (tp.flh)
Clay Jenkins (tp,flh)
George Bohannon (tb)
Ira Nepus (tb)
Thurman Green (tb)
Maurice Spears (btb)
Jeff Clayton (as,ss,fl,oboe)
Rickey Woodard (ts,cl)
Bob Hardaway (ts,cl)
Bill Green (as,cl,fl)
Lee Callet (bs,bcl)
John Clayton (b,arr,)
Herb Mickman (b)
Michael Lang (b)
Doug MacDonald (g)
Jeff Hamilton (ds)

Produced by Thomas C. Burns, John Clayton, Jeff Clayton, Jeff Hamilton
Johnny Mandel ; Music Supervisor
Hank Cicalo : Engineer
Recorded at Evergreen Recording Studio, Burbank, California on April 18 &19 1989
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地方の伝統芸能も時が経つと伝承者も減ってくるが、カンサスシティージャズは・・・

2016-01-13 | CONCORD
Sweet Baby Blues / Jeannie Cheatham with Jimmy Cheatham

ジャズの歴史を辿るとニューオリンズが発祥の地、ミシシッピー河を遡り、シカゴを経てニューヨークへというのが基本的なストーリーだ。一方で、カウントベイシーはカンサスシティーでバンドを立上げ全国区へ、そして、あのチャーリーパーカーもカンサスシティーに生まれて育って全国区へ。ベイシーが生んだスイングスタイルも、パーカーが生んだビバップも、どちらも元を辿ればカンサスシティーとなる。

ミシシッピー川を少し外れたカンサスシティーで何故このようにジャズが発展したかといえば、あの禁酒法が施行されていた時、このカンサスシティーだけは飲酒が許されていたからという。酒がある所には女性と音楽が付き物、歓楽街も栄えたという。これがジャズの発展に寄与したということになる。
となると当時(1920年〜1933年の13年間)そこで流行っていたジャズがカンサスシティージャズの源流になる。ベイシースタイルはその一つであるが、他にもあるはずだが・・。

カリフォルニア州の一番の都市というと言わずと知れたロスアンジェルス。第2というと知名度としてはサンフランシスコだが、実はサンディエゴの方が倍近くの人口を抱える大都市だ。ここにも地元で活躍するジャズミュージシャンはいる。ただし、ロスに近いということもあり本当にローカルなミュージシャン達だ。

その中のジミー・チータム&ジニー・チータムのおしどりコンビがいた。旦那のジミーはベーストロンボーンを吹き、一時はニューヨークでオーネットコールマンからライオネルハンプトンと一緒にプレーし、チコハミルトングループの音楽監督を務めたという。一プレーヤーというより、アレンジもこなし、教育にも熱心な理論家であった。

一方の、ジニーはピアノを弾き、ジミーラッシング、ジミーウィザーザースプーン、ダイナワシントンなど多くのブルース歌手の伴奏を長年務めた。2人は1978年にサンディエゴに移り住んだ。そこでの日々の活動の中心はカリフォルニア大学サンディエゴ校で教鞭を執ることであったが、地元のミュージシャンとのセッションを欠かした訳ではなかった。2人のスタイルは古き良き時代のカンサスシティージャズ&ブルースに拘ったバンドであった。彼女のボーカルにホーンを加え、ブルージーによくスイングするサウンドは他にあるようでなかなか聴けないものであった。

これを聴いて、早速レコーディングの段取りをしたのはコンコルドレーベルのカールジェファーソン。現場の仕切りはプロデューサーの新人クリスロングを起用した。彼のデビューアルバムでもあった。
レコーディングには、普段一緒にプレーしている地元のミュージシャンにロスから応援部隊も駆け付けた。トランペットの重鎮スヌーキーヤングに、これもベースのベテランレッドカレンダー、そしてブルースプレーが得意なカーティスピーグラーの3人であった。地元のメンバーの中には、クラリネットのジミーヌーンの息子もいて父親譲りのプレーを聴かせてくれる。この複数のホーンのアンサンブルとソロが売りのバンドだ。

曲はすべてブルース。泥臭いアーシーなブルースでもなく、R&Bのようにロックの影響を受けたブルースでもない、ギターがいないのも新鮮な響きでジャズの本流といったブルースプレーが続く。昔は伴奏役であったジニーのボーカルも大々的にフィーチャーされている。

彼等にとってはこのアルバムが初アルバムとなるが、2人はこれを機にSweet Baby Blues Bandを結成した。この後もコンコルドからは何枚もアルバムを出す人気グループとなった。1984年というとフュージョン全盛期だが、こんなスタイルを求めるファンも多くいたことになる。





1. Brand New Blues Blues         Jeannie & Jimmy Cheatham 4:57
2. Roll 'Em Pete             Pete Johnson / Big Joe Turner 3:21
3. Sweet Baby Blues            Jeannie & Jimmy Cheatham 4:13
4. I Got a Mind to Ramble       Jimmy Cheatham / Alberta Hunter 7:10
5. Ain't Nobody's Business If I Do      Porter Grainger / Everett Robbins 6:05
6. Muddy Water Blues        Jimmy Cheatham / Jelly Roll Morton 3:51
7. Cherry Red                     Pete Johnson 4:38
8. Meet Me With Your Black Drawers On  Jeannie Cheatham / Jimmy Cheatham 7:28

Jeannie Cheatham (p.vol)
Jimmy Cheatham (btb)
Snooky Young (tp)
Charles McPherson (as)
Jimmie Noone (cl,ss)
Curtis Peagler (as,ts)
Red Callender (b.tuba)
John Harris (ds)


Produced by Chris Long
Allen Sides : Engineer
Recorded at Ocean Way Recording, Hollywood, California, September 1984
Originally released on Concord CJ-258

Sweet Baby Blues
クリエーター情報なし
Concord Records
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Pops路線に変わる直前のクインシーの作編曲はベイシーオーケストラに・・・

2015-05-14 | MY FAVORITE ALBUM
Lil Ol' Groovemaker…Basie! / Count Basie Orchestra

連休中のライブ通いはビッグバンド三昧であったが、その中の一つが小林正弘のオーケストラ。この日のプログラムはQuincy Jones Nightとタイトルされたクインジージョーンズ特集であった。

一昨年クインシージョーンズが来日した時、実はこのオーケストラがクインシージョーンズオーケストラを務めた。このクインシージョーンズの公演は、クインシーファミリー総出の延々4時間にも及ぶ長いコンサートであったが、このオーケストラが主役で演奏したのはほんの数曲であった。せっかく準備したのにこれでは消化不良であったのだろう、後で日を改め同じメンバーが集まりライブハウスで憂さ晴らしライブを行った。
クインシージョーンズのビッグバンド物は、昔は学生バンドの基本レパートリーであったのだが。最近ではクインシーのアレンジ物はライブでもあまり聴く機会が無かったので、クインシー好きとしては久々に堪能したライブであった。

この日もクインシーのビッグバンドでは定番のエアメイルスペシャルからスタート。第一部は初期のクインシーのオーケストラの曲から、そしてベイシーへ提供したアレンジからの曲が続く。続く第2部はボーカルが加わって、ウォーキングインスペース以降のアルバムからの曲。久々に新旧取り混ぜてのクインシー三昧のライブは楽しく聴けた。

クインシー・ジョーンズは1960年に念願の自分のビッグバンドを編成してヨーロッパに遠征を行った。しかし、予定されていたミュージカルが途中で中止に、演奏の場を求めてヨーロッパ中流浪の旅を続けたが、結局多額の借金を抱えてアメリカに戻ることに。その額は14万ドルにのぼったという。その後マーキュリーの役員になった時の年俸が4万ドルだったというから、当時のその額は半端ではなかった。

しかしクインシーは挫けなかった。どん底の状態からクインシーは音楽界のトップスターの座に登り詰め、アメリカンドリームを実現した一人になった。
しかし、ヨーロッパで苦労を共にした仲間の中には、それがきっかけで人生の歯車が狂った者もいたようだ。ギターのレススパンは酒浸りになり、ジュリアスワトキンスはジャズ界から遠ざかってしまった。

黒人としては珍しいメジャーレーベルであるマーキュリーの役員に登用され、まずはガレスピー、マリガン、ピーターソンなど有名ミュージシャンと次々と契約しアルバムを作ったが全く売れなかった。トップから売れるアルバム作りの至上命令を受け、ジャズ以外の世界に踏む出すことになる。
一方で、作編曲に関してはマーキュリーとの契約事項に入っていなかったために、他社のアルバムでも作編曲は自由にできたようだ。反対に自社のアルバムで作編曲をやってもそれはただ働きになったようだが。この時音楽ビジネスの基本を身につけ、後の成功の基礎が築かれたのだろう。
転んでもただでは起きないのは天性なのか。またこの時代、映画音楽にも興味を持ち新たな領域にも進出している。これらを同時にこなしていたというのが、クインシーの超人的なところだ。

クインシーがこの八面六臂の活躍をしている時に、カウントベイシーオーケストラにアレンジを提供している。クインシーがベイシーオーケストラに最初にアレンジを提供したのはルーレット時代。One More Timeというアルバムを残している。自分のビッグバンドを作る直前の作品だが、ベイシーサウンドとクインシーサウンドが見事に融合した素晴らしいアルバムだと思う。

マーキュリーで売れるアルバム作りを心掛けるようになってから、ベイシーに提供したアレンジはオリジナル曲ではなくいわゆるヒット曲をベイシーサウンドにアレンジしたもの。アルバムThis Time By Basieであった。今回の小林正弘のビッグバンドのライブでも、このアルバムの曲がメドレーで演奏されていた。

しかし、このアルバムと殆ど同じ時期に、クインシーのオリジナル曲&アレンジを提供したのがこのアルバムだ。ちょうどベイシーもルーレットを離れ、シナトラのリプリーズに移籍する間の何枚かをVerveで録音したが、その中の一枚だ。

お馴染みのフレディーグリーンのリズムにのってベイシーのハープシコードのソロからスタートする。アンサンブルとの掛け合いも快調だ。
次のPleasingly Plumpはクインシーのオーケストラでも演奏していた曲。このまったり感がベイシーオーケストラだと一層いい感じだ。



ベイシーのアルバムとしてはあまり有名ではないが、クインシーのPOPS路線に変わる直前の作品として聴くと、クインシーの曲が聴ける最後のアルバムとして貴重だ。フィルウッズがクインシージョーンズの作品集アルバムを作っているが、このアルバムの曲からも何曲か選ばれている

肝心のベイシーオーケストラは、サドジョーンズが抜けた後はアルアーロン、そしてハーマンオーケストラにいたドンレイダーが加わっている。サックスセクションは両フランクが陣取り健在。いわゆるアドミックベイシーバンドをまだ引き継いでいる。ベースはクインシーと共にヨーロッパを渡り歩いたバディカトレット。これも何かの縁かもしれない。

世の中も、ジャズ界も、ベイシーそしてクインシー自身も大きな転換期であったが、クインシージョーンズのビッグバンドアレンジャーとしてのそれまでの活動の集大成となるアルバムだ。

1. Little Ol' Groovemaker
2. Pleasingly Plump
3. Boody Rumble
4. Belly Roll
5. Count' Em
6. Nasty Magnus
7. Dum Dum
8. Lullaby for Jolie (Jolie Ann)
9. Kansas City Wrinkles

Al Aarons, Sonny Cohn, Don Rader, Fortunatus Fip Ricard, Snooky Young (tp)
Henry Coker, Urbie Green, Grover Mitchell, Benny Powell (tb)
Marshall Royal (as, cl) Eric Dixon, Frank Foster, Frank Wess (ts,as, fl)
Charlie Fowlkes (bs)
Count Basie (p)
Freddie Green (g)
Buddy Catlett (b)
Sonny Payne (ds)

Quincy Jones (arranger)

Recording Ebgineer : Phil Ramone

Recorded NYC, April 21,22,23 1963

リル・オル・グルーヴメイカー
クリエーター情報なし
ユニバーサル ミュージック クラシック
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オルガンの演奏の雰囲気をそのまま歌声で・・・

2015-04-19 | PEPPER ADAMS
Stay Loose / Jimmy Smith Sings Again

最近は時間の感覚が鈍くなっている。ついこの前の出来事と思っても、実は5年前の事だったりするのは日常茶飯事。それに比べて学生時代の事は一年一年を明確に覚えている。
1968年自分は浪人時代で、ジャズ喫茶通いをしていた頃。学生運動の一番激しかった時で、新宿駅の騒乱があり、東大紛争のあおりで翌年の東大の入試がなくなった年だ。

ペッパーアダムスが参加したアルバムの紹介もこの1968年に入る。この年のペッパーアダムスは、サドメルとデュークピアソンのビッグバンドの両方にレギュラー参加し、毎週のライブだけでなくリハーサルが続く毎日でスタートした。
1968年といえば、この年の夏にはサドメルに加わって来日もした年だ。
レコーディングはコンボでの演奏より、相変わらずバックのオーケストラやアンサンブルに加わる事が多かった。この頃はそれだけビッグバンドやラージアンサンブルをハックにしたアルバムが多かったということになる。

MGMに売却されメジャーレーベルとなったVerveは、他のレーベルと較べてもお金の掛け方が違っていた。リリースされたアルバムの数も膨大であったが、ジャケットはダブルジャケットとなり、アレンジャーにもバックのオーケストラのメンバーにも一流メンバーを起用していた。当然のように出来上がったサウンドはゴージャスな物が多い。結果的にそれが好き嫌いに分かれるが、コンボ好きの硬派のジャズファンからは見向きもされないことが多い。

ペッパーアダムスもデュークピアソンとの付き合いが長かったせいもあり、ピアソンがプロデュースしていたブルーノートのセッションへの参加が多かった。しかし、サドメルに加わるとオーケストラの他のメンバーに誘われたのか、彼らと一緒に他のレーベルの録音への参加も増えてきた。そして、Verveのセッションへの参加も。
この年のアダムスの最初のレコーディングもそのようなものであった。

当時のVerveはピータソン、ゲッツ、エバンス、モンゴメリーなど大物ミュージシャンが集まっていたが、オルガンのジミースミスもその一人であった。ブルーノートで何枚もアルバムを出し、ジャズオルガンでは断トツの一人者であった。そんなジミースミスがブルーノートからVerveに正式に移籍したのが1963年、Verveに移籍してからも立て続けにヒットアルバムを出していた。
代表的なアルバムのThe catを始めとして、スミスのアルバムもオーケストラをバックにしたアルバムが多くなった。オルガンというとギターとテナーとの相性がいいように感じるが、このオーケストラのダイナミックなアンサンブルとオルガンの親和性もいいと思う。
今回のアダムスのレコーディングは、このジミースミスのバックであった。

このアルバムの特徴はというと、まずはジミースミスの歌が聴けるということ。タイトル曲Stay Looseを含むオーケストラをバックにした4曲がスミスの歌とオルガンをフィーチャーしたものだ。スミスの歌というのはオルガン同様、ソウルフルなファンキーな歌だ。鍵盤のノリがそのまま歌声になったようなもの。普段歌を歌わないミュージシャンが歌を披露するとイメージとは違ったり、楽器と較べるとノリが悪い事がある。しかし、スミスの歌はイメージ通り、オルガンの演奏でも唸り声が響き渡る。



残りの3曲が、ブルーノートでアルバムを立て続けに出していたスタンレータレンタインをゲストに加えたコンボでの演奏になる。
オルガンとの相性がいいビッグバンドのバックと、テナーとのコンビの両方の編成を用意し、スミスの歌までつけた欲張り企画だ。
この頃のVerveは、このアルバムのジャケットデザインにも驚かされるが、メンバーも演奏も色々なアルバムが入り乱れ何でも有だった。

1. I'm Gonna Move To The Outskirts Of Town *
2. Stay Loose *
3. If You Ain't Got It *
4. One For Members
5. Is You Is Or Is You Ain't My Baby *
6. Chain Of Fools
7. Grabbin' Hold

(*) 1,2,3,5
Joe Newman, Ernie Royal, Snooky Young (tp)
Garnett Brown, Jimmy Cleveland, Alan Raph (tb)
Pepper Adams (bs)
Joe Farrell (ts)
Hubert Laws (fl)
Jerome Richardson (as)
Jimmy Smith (organ, vocals)
Carl Lynch (g)
Jimmy Tyrell (b)
Grady Tate (ds)
Johnny Pacheco (per)
Eileen Gilbert, Melba Moorman, Carline Ray (vocals -1)
Tom McIntosh (arranger, conductor)

4,6,7
Jimmy Smith (organ)
Stanley Turrentine (ts)
Phil Upchurch (g)
Jimmy Merritt (b)
Grady Tate (ds)
Eileen Gilbert, Melba Moorman, Carline Ray (vocals -2,4,5)

Produced by Esmond Edwards
Recorded at A&R Studio in NYC, on January 29, 1968

Stay Loose (Dig)
クリエーター情報なし
Verve
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ズートシムスの共演相手はビルホルマン率いるノネット・・

2015-04-02 | MY FAVORITE ALBUM
Hawthorne Night / Zoot Sims

一ジャズファンであったノーマングランツ、趣味が嵩じてJATPを興したのは若干25歳の時であった。コンサートを自分で録音に残し、これをベースにアルバム作りも始め一躍有名になり、自ら育てたヴァーブレーベルも5年間で1000枚近くのアルバムを出し活況を呈していたが、1960年12月に突然それらを売却して引退した。

しかし、ジャズ界のその後の状況に危機を感じたのか、もう一度70年代に入ると再びプロデューサーとしての再起を賭けてJATPを再開した。1972年サンタモニカのシビックホールで旗揚げをし、これを機に本格的な復活の狼煙をあげた。それに合わせて、新たにパブロレーベルを興し、アルバム作りも再開した。ピーターソンやエラなど昔JATPやVerveレーベルで活躍した面々が昔の親分の元に再び集まった。

ビッグバンドもカウントベイシーやルイベルソンなどの伝統的なオーケストラが息を吹き返した。カールジェファーソンがコンコルドレコードを設立したのも1972年。メインストリームジャズが復活したのがこの年だった。車のディーラーであったジェファーソンと異なり、ノーマングランツはかっての業界の実力者、有名どころのベテラン達が続々と集まった。

しかし、ジェファーソンと異なり、グランツの場合は新人の発掘にはあまり興味は示さなかった。その結果、ミュージシャンが次第に歳をとると、活気のあるアルバムは少なくなってしまった。最後は、両オーナーともレーベルを手放したが、結果的に後発のコンコルドがメジャーとなり、パブロを飲み込んでしまったのも仕方がないだろう。

さて、パブロが新たに契約を結んだミュージシャンの中にズートシムスがいた。確かに実力者の一人であり、リーダーアルバムも数多く作ってはいたが、どちらかというと地味な存在、スターミュージシャンの中に並んで扱われるのは初めてであったろう。
パブロレコードは、ヴァーブ時代と同様大物同士の顔合わせやジャムセッション物のアルバムを次々と世に出した。このシムスもピーターソンやジョーパスとともに、ガーシュインのソングブックをリーダーアルバムとして初登場した。そして次のアルバムはパブロとしては少し毛色が変わった、ビルホルマンのアレンジで9人編成のラージアンサンブルをバックにしたアルバムであった。

このホルマンは50年代からアレンジャーとして活躍し、70年代になってもバディーリッチやスタンケントンのビッグバンドのアレンジは提供してはいたが、ジャズの世界とは少し疎遠になっていた。このパブロの誕生と共にジャズのアレンジも本格的に復活し、カウントベイシーやルイベルソンのアルバムでは、このビルホルマンのアレンジが多く使われた。それに刺激を受けたのか、自らのビッグバンドを編成し活動を始めたのもこの頃であった。

50年代にはビッグバンドだけでなく、コンボやこのようなラージアンサンブルのアレンジも多く手掛けていたが、久々にジャジーなアレンジに気合が入ったことであろう。集まったメンバーも西海岸のスタジオミュージシャンの一流メンバーが集まった。ちょうど70年代に入り、彼らの仕事場であったテレビ番組の制作がロスに移ったこともあり、ニューヨークからスタジオミュージシャンの大移動があった。ルータバキンが秋吉敏子と共にロスに移ったのもその理由であったが、サドメルのメンバーもこの大移動で大きく変った。スヌーキーヤングやジェロームリチャードソンも移動組であったが、この録音には彼等も参加している。そして、トロンボーンにはロスの重鎮フランクロソリーノも加わっていた。

ホルマンのオリジナルに加え、エリントンナンバーやイパネマの娘など選曲も変化に富んでいるが、ホルマンも曲に合わせて個性あるアレンジで大活躍だ。デュークピアソンが自分のビッグバンドを立ちあげる前に、ブルーノートでラージコンボのアレンジを数多く書いていたが、それら中に後のビッグバンドの雰囲気を感じるのと同様、ホルマンの場合も明らかに50年代とは違って、80年以降のビッグバンドに通じる作風を感じる。

シムスの自作のダーククラウドは、昔ランバートヘンドリックス&ロスとの共演で演奏した曲だが、このアルバムでは珍しいシムスの歌も披露している。
演奏はもちろんリーダー格のズートシムスが全曲でフィーチャーされているが、重鎮揃いのバックの中ではフランクロソリーノが大活躍している。シムスとホルマンのアレンジを楽しむアルバムだが、ロソリーノのソロも掘り出し物だ。


1. Hawthorne Nights                    Bill Holman 4:42
2. Main Stem                      Duke Ellington 5:03
3. More Than You Know    Edward Eliscu / Billy Rose / Vincent Youmans  6:01
4. Only a Rose                Rudolf Friml / Brian Hooker  5:07
5. The Girl from Ipanema  N. Gimbel / A. Carlos Jobim / Vinícius de Moraes  4:10
6. I Got It Bad (And That Ain't Good)   Duke Ellington / Paul Francis Webster 6:19
7. Fillings                         Bill Holman 5:27
8. Dark Cloud                        Zoot Sims 4:21

Zoot Sims (ts,vol)
Bill Hood (bs,bcl,fl)
Richie Kamuca (ts,cl)
Jerome Richardson (as,cl,ss,as,fl)
Frank Rosolino (tb)
Oscar Brashear (tp)
Snooky Young (tp,flh)
Ross Tompkins (p)
Monty Budwig (b)
Nick Ceroli (ds)
Bill Holman (arr)

Produced by Norman Granz
Recorded at RCA Studio, Los Angels on September 20 & 21, 1976
Engineer : Grover Helsley

Hawthorne Nights
Zoot Sims
Ojc
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ニューポートでの再会を機に、すぐにレコーディングとはなったものの・・・

2014-11-05 | PEPPER ADAMS

Presenting Joe Williams and the Thad Jones / Mel Lewis Jazz Orchestra / Joe Williams



ペッパーアダムスは9月22日のスタンレータレンタインのアルバムの録音の後、9月30日にはこのアルバムにも参加している。アダムスの出番はCome Sundayで少しだけだが、さて、どういう経緯でこのアルバムが生まれたかというと・・・。

1966年に誕生したサドジョーンズ・メルルイスオーケストラは、毎週月曜日にヴィレッジバンガードに出演を続け、あっと言う間に世の中に知れ渡ることになる。そして、トントン拍子にその年のニューポートジャズフェスティバルへの出演も決まり、7月2日の夜の部のトリを務める。



当時のプログラムを見ると、メルルイス・サドジョーンズオーケストラとなっており、ボブブルックマイヤーとハンクジョーンズが共演となっている。当時のメンバーの知名度の一端を表しているようだ。そしてそこに、共演ジョーウィリアムの記述も。
蛇足ながらゲッツにアル&ズート、そしてジェリーマリガンの加わったハーマンオーケストラにも惹かれる。

さらに、記録を見ると、その時演奏された曲は、
The Second Race
Willow Weep for Me
The Little Pixie
Big Dipper
に続いて
Come Sunday
Jump for Joy
Roll ‘em Pete
と続く。

この3曲でジョーウィリアムの登場となった。

サドジョーンズとジョーウィリアムは長年カウントベイシーオーケストラで一緒にプレーした間柄、それも50年代後半の全盛期アトミックベイシー時代を一緒に過ごした旧知の仲である。出演が決まったサドジョーンズがジョーウィリアムスリアムスに声を掛けたのか、主催者のジョージウェインが2人のマッチメイクをしたのかは定かではないが、久々のビッグバンでの共演であった。

5月にサドメル初のスタジオ録音を終えてニューポートの舞台に臨んだが、このニューポートの共演で2人は早速レコーディングを思いついたのだろう。早々に9月30日にこのレコーディングは行われた。

このアルバムは、以前紹介したこともあるが、サドメルのアルバムの一枚という位置づけでもあるが主役はジョーウィリアムス。ウィリアムスにとってもベストアルバムの一枚になるのではないかと思う。ジョーウィリアムスがベイシーオーケストラに入った時から、自分をブルース歌手とは規定することは無く、スタンダードやバラードもレパートリーに加えていた。ここでも全編ブルース色が強いが、あくまでもジャズ歌手というジョーウィリアムスの良さを引き出している。もちろんそれはサドジョーンズのアレンジの秀逸さによるものだ。

当時メンバーの一員であったエディダニエルスは後に当時を振り返って、「月曜日は夜中の3時近くまでヴァンガードで演奏をした後で、そのままスタジオ入りして一日仕事が続き、翌朝になってしまうのは日常茶飯事。時には更にもう一晩続いて次の日の夜が明けることもあった。この録音もそんなセッションのひとつであったと。」
「さらに、何せジョーンズがこのアレンジを始めたのはヴァンガードの仕事が終わってから、写譜屋さんを従え突貫作業で仕上げていった。ジョーンズはこのようにプレッシャーを受ける中での仕事を好んでいたようだ。」と。

事実、サドジョーンズはペッパーアダムスの送別アルバムでもあったモニカジタールンドのアルバムのアレンジを移動中のバスの中で行ったという。典型的なギリギリにならないと仕事をやらないタイプだったのだろう。



記録によるとこのアルバムのレコーディングは9月30日に行われたとある。この日は金曜日、最後の曲Woman's Got Soulのセッションを録り終ったのは土曜日の朝、この後皆でコントロールルームで聴き合ったともライナーノーツに書かれている。
ダニエルスの記憶のようにこのセッションが月曜日の夜から延々続いたということは流石にないとは思うが、アレンジが出来上がった所から片っ端からリハーサルもそこそこで12曲一気にレコーディングが行われたというのは事実であろう。

その事実を知ると、余計にこのアルバムのジョーンズのアレンジとウィリアムのコンビネーションを素晴らしく感じる。アレンジは明らかにベイシーオーケストラのバックとは異なり、ソプラノリードのサックスなどサドメルの味がする。
さらに、ダニエルスもそれを「CAMEO」とコメントしているが、バックのメンバー達が入れ替わり立ち代わり歌とアンサンブルの合間に綺麗な装飾のように輝く短いソロやオブリガードを散りばめられているのが素晴らしい。また、後にサドメルではレギュラー構成から外されたフレディーグリーンライクのサムハーマンのギターもここでは効果的だ。このアルバムからピアノはハンクジョーンズからロランドハナに替わっているが、そのハナのピアノもソウルフルにツボを得たバッキングだ。



ジョーウィリアムはベイシー時代、新しい曲をやりたいと思うと、アーニーウィルキンスやフランクフォスターにアレンジを頼んだそうだ。ベイシーオーケストラ時代、サドジョーンズのアレンジはダメ出しされる事が多かった。ウィリアムスも頼み辛かったのかもしれないが、ここでは、サドジョーンズのお蔭で新境地を開いているような気がする。



1. Get Out of My Life Woman" (Toussaint) -- 3:21
2. Woman's Got Soul (Mayfield) -- 2:22
3. Nobody Knows the Way I Feel This Morning  (Delaney, Delaney) -- 4:30
4. Gee Baby, Ain't I Good to You  (Razaf, Redman) -- 2:52
5. How Sweet It Is (To Be Loved by You)  (Dozier, Holland, Holland) -- 2:32
6. Keep Your Hand on Your Heart  (Broonzy) -- 3:37
7. Evil Man Blues (Feather, Hampton) -- 3:26
8. Come Sunday (Ellington) -- 3:16
9. Smack Dab in the Middle  (Calhoun) -- 3:29
10. It Don't Mean a Thing (If It Ain't Got That Swing)  (Ellington, Mills) -- 3:04
11. Hallelujah I Love Her So  (Charles) -- 3:01
12. Night Time Is the Right Time (to Be With the One You Love)" (Sykes) -- 5:13

Joe Williams -- vocals
Thad Jones -- flugelhorn
Mel Lewis -- drums
Richard Williams -- trumpet
Bill Berry -- trumpet
Jimmy Nottingham -- trumpet
Snooky Young -- trumpet
Bob Brookmeyer -- trombone
Garnett Brown -- trombone
Tom McIntosh -- trombone
Cliff Heather -- trombone
Jerome Richardson -- saxophone
Jerry Dodgion -- saxophone
Joe Farrell -- saxophone
Eddie Daniels -- saxophone
Pepper Adams -- saxophone
Richard Davis -- bass
Roland Hanna -- piano
Sam Herman – guitar

Produced by Sonny Lester
Recording Engineer : Phil Ramone
Recorded on 1966 September 30, at A&R Studio New York City




Presenting Joe Williams & Thad Jones/Mel Lewis
Joe Williams
Blue Note Records
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ワンナイトスタンドといっても、さすがに2500マイルの往復となると・・?

2014-09-09 | MY FAVORITE ALBUM
Breakfast Dance And Barbecue / Count Basie & His Orchestra

1958年クインジージョーンズのヨーロッパツアーは、予定したミュージカルの仕事がキャンセルになりメンバー全員、家族を連れて明日のコンサートの場所を探してヨーロッパ中を転々とするという過酷なものになったが、バンドにとってツアーはつきもの。バンドのツアーに関しては悲喜交々色々な話題が残されている。

昔、ビッグバンドがダンスのためのオーケストラであった時代、大きなダンスホールの専属となると仕事は毎日同じ場所であった。しかし、ビッグバンドがダンスのためでなく聴かせるためのバンドに変っていくと数も少なくなり、残ったバンドも演奏する場を求めて彼方此方をツアーして廻ることになった。
特に地方の小さな街でのコンサートは一晩限り、ワンナイトスタンドといわれバスに乗って毎日転々していくツアーとなった。ウディーハーマンやスタンケントンなどのビッグバンドの話を聞くとよく出てくる話だ。
しかし、それは有名バンドであるエリントンやベイシーといえども例外ではなかった。

カウントベイシーも歴史を辿ればダンスバンドとして演奏をしていた時代もあった。しかし、50年代も後半になり、いわゆる”Atomic” Basie Bandといわれた時期になると、ダンスの仕事は稀になり、聴かせるためのライブやコンサート主体の演奏活動になっていく。

その時、ベイシーオーケストラはニューヨークにいる時はホームグラウンドとなるバードランドがあった。メンバーにとって、長い地方のツアーから帰り、このバードランドへの出演となると移動の負担も減り、リラックスした演奏を繰り広げていた。
此の様子は、バードランドのライブでも窺い知ることができる。

1959年5月、クインジョーンズがヨーロッパから帰国し、マーキュリーでアルバム作りを始めた頃、ベイシーのオーケストラは後半の2週間はニューヨークに戻り、いつもの通りのバードランド出演となった。この時珍しくホテルThe Wordolf in New Yorkでの仕事が入った。久々のダンスバンドとしての仕事にバードランドの仕事は休みを貰ってメンバー揃って参加していた。

31日、無事にこの仕事を終えたメンバー達は、終わるや否や荷物を片付け空港に向かった。そのままマイアミ行の夜便に乗ると、現地に着いたのはすでに日も変わろうとする深夜。そのまま、3000人が待つThe Americana Hotelの宴会場へ直行した。

着くと同時にセッティングを行い一曲目の音出しが行われたのは何と夜中の2時。
いつものよういベイシーのピアノのイントロで始まったのは、サドジョーンズの作っ
たTheDeacon、少し長めのイントロからジョーンズ自身のソロに続く。それから夜を徹してのパーティーがスタートした。

この宴会場でベイシーオーケストラの到着を待っていたのは、全米のディスクジョッキー協会の第2回大会の参加者達、お客はその道の専門家ばかりで耳の肥えたお客の集まりであった。

そして、このパーティーの主催者は何とルーレットレコードのオーナーであるモーリスレビィー、すなわちベイシーのボスでもあるバードランドのオーナー。ボスの大事なパーティー参加にこのレコーディングが予定されていたのではこの出演要請を断る訳にもいかず、その日の強行スケジュールが決行されたという事になる。

このパーティーもセットを重ねて延々と続く。歌手のジョーウィリアムスも登場するが、歌っている曲がFive O’clock in the Morningとなる。冗談ではなく5時頃の演奏かもしれない。ニューヨークに早く帰りたかったのか、Back To The Appleも演奏される。
途中、朝食用の数百というテーブルがセットされたりして、One O’clock Jumpで最後のバンドの音が会場から消えたのはすでに7時になっていた。

この徹夜のライブを終えたメンバー達は、マイアミでゆっくりオフを過ごしたのかと思いきや、片付けも早々に一休みして空港に直行。そのまま飛行機に乗り込むと、また2500マイルのフライトでニューヨークへ。その晩はそのままバードランドのステージに立ったそうだ。移動距離最長記録のマイアミ往復のワンナイトスタンドとなった。

ベイシーのライブ物にはそれぞれいわく因縁があるものが多いようだが、不思議といい演奏が多い。このライブも長旅の疲れも感じさせず、実に伸び伸びとした演奏でいいライブだろ思う。
バードランドでのライブは会場のざわつき感を含めて「いわゆるライブハウスでの演奏」といったリラックス感が強いが、こちらはダンスもできる大きなパーティー会場。コンサートホールよりは和んだ雰囲気に加え、お客の多くを占めるディスクジョッキー達の「演奏も聴くぞ」という会場の空気が、適度な緊張感を生んでいるのかもしれない。
あまり話題になる事は少ないが、自分としても結構気にいっているアルバムだ。このようなアルバムは大音量で聴くべし、色々な音が聞こえる。これもライブ物の楽しさ。

LPの時は、その演奏の一部しか紹介されていなかったが、このCDアルバムなって大分全貌が見えてきた(コンプリートはまだ他の曲もあるようだが一度は聴いてみたいものだ)

それにしても、このタイトルは何か意味があるのか? 確かに朝食付きのダンスとバーベキューパーティーだったようだが。

1. Deacon
2. Cute
3. In a Mellow Tone
4. No Moon at All
5. Cherry Red
6. Roll 'Em Pete
7. Cherry Point
8. Splanky
9. Counter Block
10. Li'l Darlin'
11. Who, Me?
12. Five O'Clock in the Morning Blues
13. Every Day I Have the Blues
14. Back to the Apple
15. Let's Have a Taste
16. Moten Swing
17. Hallelujah, I Love Her So
18. One O'Clock Jump

Snooky Young, Thad Jones, Wendell Cully, Joe Newman (tp)
Al Grey, Henry Coker, Benny Powell (tb)
Frank Foster, Billy Mitchell (ts), Marshal Royal, Frank Wess (as), Charlie Fawlkes (bs),
Count Basie (p), Freddie Green (g), Eddie Jones (b), Sonny Payne (ds)
Joe Wolliams (vo),
Harry 'Sweets' Edison (tp on 18)

Produced by Teddy Reig
Engineer : Bill Schipps, Tony Brainard
Location & Date : The Americana Hotel, Miami, Florida, May, 31, 1959

Breakfast Dance & Barbecue
Count Basie
Blue Note Records
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クインシージョーンズがこのアルバムで一歩踏み出さなければ今のクインシーは無かったかも?

2014-09-08 | MY FAVORITE ALBUM
Quincy Jones Plays Hip Hits

先日、サドメルのファーストアルバムを録音したフィルラモンのディスコグラフィーを見ていたら、初期の作品にマーキュリー時代のクインシージョーンズのアルバムの名前”Play Hip Hits“があったのに気が付いた

クインシーといえば、昨年来日して多くのチルドレンに囲まれてクインシーの歴史を語るような素晴らしいライブを聴かせてくれたが、アレンジャーからプロデュース業への最初の転身をした時代がマーキュリーの時代だ。

クインシーのビッグバンドはお気に入りのバンドの一つなので、このブログでも多く紹介したが、このマーキュリー時代の後期のアルバムはパスしていた。実際に他のアルバムはLP時代に入手したが、このアルバムを購入したのはCD時代になってから.一二度聴いてお蔵入りしていた。別に嫌いではないが、何か物足りなさを感じて。久々に聴いてみながら、少し振り返ってみることに。

マーキュリー時代のクインシーといえば、まずは自らのレギュラーバンドで始まる。
ヨーロッパに遠征して苦労した後、59年にThe Birth of a Bandでアメリカでのアルバムデビューを果たし、そして61年のニューポートに出演したが、そのライブでクインシーのレギュラーバンドも解散。これで一区切りとなった。

クインシー自身がマーキュリーの経営にタッチしてからは、アレンジャーとしてのクインシーに加えてプロデューサーとしてのクインシーのスタートであり、その後のクインシーのオーケストラも少しその前の時代と色合いが違ったものになった。
要は、マーキュリーの経営者として売れるアルバム作りを求められたのだろう。

このアルバムが、ちょうど端境期の一枚だ。

当時のマーキュリーのカタログを見ると、ジャズだけでなくあらゆるジャンルのアルバムが揃っている総合デパート状態。ジャズテットなどのストレートジャズのアルバムもあるが、ジャズといえどもだんだん売れるアルバム作りに変っていった。

結論から言うと、このアルバムで当時のヒット曲をクインシー風に料理するところから今のクインシーが生まれたような気もするし、一方で、時代的にもベイシーエリントンもヒット曲アルバムを作っていた時代だったとも言える。
これをコマーシャリズムと言ってしまえばそれまでだが・・・。

先日、ハービーマンのコマーシャリズムにのった録音を乱発した時のアルバムをコメントしたが、60年の半ば、ちょうど時期的にもこのクインシーのアルバムは符合する。

ジャケットには63年4月9日、11日、12日の録音と記されているが、62年6月録音のA tast of Honeyや9月録音のDesafinadoなども収録されているので、アルバムはいくつかのセッションから集められたもの。先日のハービーマンのアルバムとも似たような作られ方だ。

いずれにしても、曲は当時のヒット曲が中心。ジャズのスタンダードの多くは元々昔のヒット曲。ヒット曲を取り上げたからコマーシャリズムという訳ではないが、色々なジャンルから良くヒット曲を集めたといって程バラエティーに富んだ選曲がされていて、これで新たなファンを作ったのも事実だろう。

一曲目は、ハービーマンの62年のヒット曲「カミンホームベイビー」。早速、「頂き」といって感じでカバーしている。ベースには、ハービーマンのアルバムでも演奏していたベンタッカーを起用する凝りよう。次のレイブラウンのグレイビーワルツが果たしてヒット曲なのかと思ったら、テレビのスティーブアレンショーの為につくったテーマ曲だった。

ディサフィナードも前年ゲッツとジョビンでヒットした曲、エクソーダスは映画「栄光への脱出」、次のヴィンスガラルディーの曲は63年のグラミーの最優秀楽曲賞受賞作、次のテイストオブハニーは有名だが、誰の作品かと思ったらこのアルバムでソロをとることが多いいボビースコットの作品。

バックアットザチキンシャックは、ジミースミスのファンキーな曲、ハープシコードのイントロがいい感じ、ジャイブサンバはナットアダレーの有名曲だ。テイクファイブもヒット直後。エルマーバーンスタインの映画音楽の後は、ハンコックの初期の名曲ウォーターメロンマンでこれはボーカル入りで。最後のブルーベックのボサノバ曲は別のボサノバセッションからの一曲。

ボビースコットのピアノ、ジムホールのギターとシムスのテナーとウッズのアルトがアルバム全体を通じてフィーチャーされているアルバム作りだ。

どの曲も全体が短いながら、実にそれぞれの曲の雰囲気を生かしたアレンジだ。ソロも短いがどれもピリッとした味付け。自己満足型の長いソロに時々辟易とすることもがあるが、美味しい物を味わうにはかえってこのような少し物足りない方がいいかも。腹8分目とは何の世界でも共通なようだ。

今回聴き直してみると、クインシーのアレンジは元々複雑、難解というより、シンプル&スインギー。素材は確かに新しいヒット曲ばかりだが、ヒット直後や超有名曲のオリジナルのイメージが強い中でのアレンジも難しいだろう。演奏も決して手を抜いている訳ではない。昔テレビのCMの世界が15秒の芸術と言われたように、短い中に表現したいコンセプトを上手く入れ込むのが名人芸と言われるのと同じだと思う

そして、このアルバム作りに参加したミュージシャンのクレジットをみると、どのセッションもオールスターメンバー勢ぞろい。ニューヨーク中のスタジオミュージシャンが集まってしまったような豪華さだ。せっかく見つけたのでコピペをしておくことにする。

1. Comin' Home Baby          B.Tucker & R.Dorough 2:47
2. Gravy            Waltz Ray Brown & Steve Allen 2:36
3. Desafinado              A.C.Jobin & Mendonca 2:57
4. Exodus                     Ernest Gold 3:20
5. Cast Your Fate to the Wind           Vince Guraldi 2:44
6. A Taste of Honey         Bobby Scott & Ric Marlow 2:34
7. Back at the Chicken Shack           Jimmy Smith 2:59
8. Jive Samba                  Nat Adderley 2:38
9, Take Five                    Dave Brubeck 3:27
10. Walk on The Wild Side              E.Bernstein  3:11
11. Watermelon Man              Herbie Hancock 3:20
12. Bossa Nova USA              Dave Brubeck 3:12

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, June 15, 1962

Clark Terry (trumpet, flugelhorn) Jerome Richardson (alto flute, flute, woodwinds) Lalo Schifrin (piano) Jim Hall (guitar) Chris White (bass) Rudy Collins (drums) Carlos Gomez, Jose Paula, Jack Del Rio (percussion) unidentified horn and brass, Quincy Jones (arranger, conductor)
A&R Recording Studio, NYC, September 8, 1962

Al DeRisi, Joe Newman, Jimmy Nottingham, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Billy Byers, Jimmy Cleveland, Paul Faulise, Quentin Jackson, Melba Liston, Tom Mitchell, Santo Russo, Kai Winding (trombone) Ray Alonge, Jim Buffington, Earl Chapin, Paul Ingraham, Fred Klein, Bob Northern, Willie Ruff, Julius Watkins (French horn) Jay McAllister, Bill Stanley (tuba) Charles McCoy (harmonica) Al Cohn, Budd Johnson, Roland Kirk, Walt Levinsky, James Moody, Romeo Penque, Seldon Powell, Jerome Richardson, Zoot Sims, Frank Wess, Phil Woods (woodwinds) Patti Bown, Lalo Schifrin, Bobby Scott (piano, organ) Kenny Burrell, Jim Hall, Sam Herman, Wayne Wright (guitar) Art Davis, George Duvivier, Milt Hinton, Major Holley, Ben Tucker, Chris White (bass) Rudy Collins, Osie Johnson, Ed Shaughnessy (drums) James Johnson (timpani) Bill Costa, Jack Del Rio, George Devens, Charles Gomez, Jose Paula (percussion) Quincy Jones (arranger, conductor)
NYC, April 9, 1963


ザ・ヒップ・ヒッツ(紙)
Quincy Jones
ユニバーサル ミュージック クラシック
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下手な鉄砲数撃ちゃ当たる?・・・・せっかくのアダムスの援護射撃も出番なし

2014-09-03 | PEPPER ADAMS
Our Mann Flute / Herbie Mann

サムモストのストレートにスイングするフルートを聴いた後だが、フルート専業の第一人者といえばハービーマン。ところがカミンホームベイビーのヒット以来ヒット狙いのアルバムが続き、自分は決して硬派のジャズファンではないが、流石にハービーマンのアルバムが自宅の棚に並ぶことはなかった。

ペッパーアダムスが、サドメルのオーケストラに正式に加入したタイミングにあわせて、何故かレコーディングや他のセッションへの参加の仕事も増えだした。人生何事においても一つ生活の軸が決まると、それに合わせて他の事もペースがつかめてくるものだ。

66年5月サドメルの初アルバムの録音も終えた後の最初の仕事は、5月16日同じ時期に立ち上がったデュークピアソンのビッグバンドへの参加であった。ピアソンとはドナルドバードとのクインテット時代の盟友であり、その後も一緒にやることは多かった。サドジョーンズに張り合った訳ではないと思うが、同じような思いでピアソンが立ち上げたビッグバンドだった。アダムスはサドメルと同時にこのピアソンのビッグバンドでもレギュラーとして活動する。メンバーの中にはサドメルに参加している者も何人かいた。

それに続いて、26日にはこのハービーマンの“Herbie Mann With Jimmy Wisner's Orchestra”の4曲の録音セッションへの参加とある。これが収められているアルバムはというと、”Our Mann Flute”。当然持ってもいないし、聴いた記憶もないアルバムだ。

さてどうするかと考えたが、物は試しにと買ってみた。前回のジミーウイザースプーンのように聴いてみれば「なかなかいい」ということもあるのではと期待して・・・。

ジャケットを見ると、この日のセッション以外にもいくつかのセッションからの寄せ集めアルバムだ。このアルバム自体がコンピレーションかとおもったが、セッション自体がどうやらアルバム単位ではなく何度も行われていたようだ。まあ、録音日の期間が64年~66年と幅広いので無理矢理寄せ集めたとも思えるアルバムだ。

というのも、セッションによって微妙に編成のコンセプトが異なっている。このアダムスの参加しているセッションはR&B風のしつらえだ。アルバムタイトルにもなっている映画「電撃フリントGO!GO! 作戦」のテーマはその時のレギュラーグループメンバー中心にオーケストラを加えた演奏が、後はラテンブラスアンサンブルをバックにしたものなど色とりどり。

曲はというと、いきなりクルセイダーズの曲で始まる。最新ヒット曲をカバーしているかと思えば、映画のタイトルソングがあり、フランス民謡もあるというこれも千差万別。どうも統一感が無い。共通していることは4ビートと決別していることかも。

ハービーマンは、ビルボートのPOPチャート200に入る25枚のアルバムを作ったとの記事も見かけた。コマーシャリズムに迎合したジャズが悪いとは思わないが、このアルバム作りをみるとどうも手当たり次第に流行りそうなものを手掛けという印象を受けてしまい、「本当にやりたいこと、聴かせたいのは何?」と思わず問いてみたくなる。

残念ながら今回はアダムスの出番が無かったからという訳でなくとも、改めて買い求めて良かったというアルバムでは無かった。此の後も、アダムスがレコーディングに参加したセッションはこの手のアルバムが数多く登場するが、所有しているアルバムは少ない。丁度、フュージョンブームに先立つ、いわゆるジャズロックとかブーガルーとかが流行った頃のファンキー路線延長のアルバム、当時聴くのもパスしたものが多い。

乗りかかった船なので続けてみようとは思うが少し気が重くなった。まあ、気長に続けてみることにする。何か新たな発見があるかもしれないので。
一方で、アダムスはサドメルを辞めた後の方がソロ活動中心なので、紹介すべきアルバムは沢山ある。そちらも合わせて進めていこうと思う。

このハービーマンもアダムスと同じ1930年生まれ。同じジャズの世界で育ち、同じ期間演奏活動をし、仕事をしていてもそれぞれの生き方がこれほどまで異なるものになるとは、人生人それぞれだと改めて思う。

1. Scratch              Wayne Henderson 2:35
2. Philly Dog              Rufus Thomas 2:26
3. Happy Brass             Herbie Mann 2:10
4. Good Lovin'     Rudy Clark / Arthur Resnick 2:51
5. This Is My Beloved         Herbie Mann 5:08
6. Frère Jacques            Traditional 2:16
7. Our Man Flint          Jerry Goldsmith 2:44
8. Fiddler on the Roof  Jerry Bock / Sheldon Harnick 2:22
9. Theme From "Malamondo"      Ennio Morricone 2:18
10. Down by the Riverside      Traditional    2:35
11. Monday, Monday          John Phillips  2:58
12. Skip to My Lou           Traditional 2:21

#10
Herbie Mann (flute, alto flute) Dave Pike (vibraphone) Don Friedman (piano) Attila Zoller (guitar) Jack Six (bass) Bobby Thomas (drums) Carlos "Patato" Valdes (congas) Willie Bobo (timbales)
NYC, February 13, 1964

#5
Marky Markowitz, Ernie Royal, Clark Terry, Snooky Young (trumpet) Jimmy Knepper (trombone) Herbie Mann (flute) Jerry Dodgion (flute, clarinet, alto saxophone) Richie Kamuca (clarinet, tenor saxophone) Charles McCracken, Kermit Moore (cello) Dave Pike (vibraphone) Don Friedman (piano) Attila Zoller (guitar) Jack Six (bass) Willie Bobo, Bobby Thomas (drums) Carlos "Patato" Valdes (congas) unidentified strings, Oliver Nelson (arranger, conductor)
NYC, May 7, 1964

#6,8,9,12
Herbie Mann With Richard Wess' Orchestra
Al DeRisi, Marky Markowitz, Ernie Royal, Clark Terry (trumpet) Bob Alexander, Santo Russo, Chauncey Welsch (trombone) Tony Studd (bass trombone) Herbie Mann (flute) Anthony Bambino, Hinda Barnett, Emanuel Green, Harry Katzman, Leo Kruczek, Gene Orloff, Paul Winter (violin) Mundell Lowe (guitar) Milt Hinton (bass) Gary Chester (drums, timbales) Warren Smith (congas, finger cymbals) George Devens (Latin percussion) Richard Wess (arranger, conductor)
NYC, October 29, 1964

#7
Jimmy Owens (trumpet, flugelhorn) Jimmy Knepper, Joe Orange (trombone) Herbie Mann (flute, tenor saxophone) Attila Zoller (guitar) Reggie Workman (bass) Bruno Carr (drums) Carlos "Patato" Valdes (percussion) Arif Mardin or Oliver Nelson (arranger)
NYC, March 10, 1966

#1,2,4,11
Herbie Mann With Jimmy Wisner's Orchestra
Marky Markowitz, Joe Newman (trumpet) Quentin Jackson (trombone, bass trombone) Herbie Mann (flute) King Curtis (tenor,baritone saxophone) Pepper Adams (baritone saxophone) Jimmy Wisner (piano, arranger, conductor) Al Gorgoni, Charles Macey (guitar) Joe Mack (electric bass) Bernard Purdie (drums) Warren Smith (percussion)
NYC, May 26, 1966

#3
Recording Data unknown

アワ・マン・フルート
Herbie Mann
ワーナーミュージック・ジャパン
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本来であれば、ミンガスビッグバンドのお披露目の晴れ舞台のコンサートのはずであったが・・・

2014-07-01 | PEPPER ADAMS
The Complete Town Hall Concert 1962 / Charles Mingus

チャーリーミンガスのタウンホールコンサートというと1964年に行われたものが有名だ。エリックドルフィーの死ぬ直前の演奏も聴く事ができ、この前後に行われたツアーではヨーロッパにも遠征し、当時のミンガスグループの脂の乗りきった演奏が聴ける名盤だ。
実は、ミンガスのタウンホールライブというともう一枚1962年のものがある。ところが、最初にリリースされたこのライブのアルバムはとんでもない代物であった。というよりも、このコンサートそのものが・・・。

ミンガスは、50年代から大編成のグループアンサンブルにもチャレンジしていた。アレンジをしては日頃からリハーサルを重ねていた。というのも、ミンガスのビッグバンドというのは、アンサンブルワークに加えグループインプロビゼーションにも重きを置いていた。このメンバーの呼吸合わせが大変だったのであろう。

1962年の後半、ペッパーアダムスは、このミンガスと行動を共にしていた。クラブ出演には秋吉敏子も参加していたようだ。
ペッパーアダムスは、このミンガスとの付き合いは古くこのミンガスのワークショップ活動にも良く参加していた。以前紹介したロフトもこのミンガスグループの練習場所にも使われていたようだ。

ミンガスは曲想を色々膨らませていく中で段々編成が大きくなっていった。仲間の中には、いい加減にしたらというアドバイスをした者もいたようだが、ミンガスは我関せずでついには通常のビッグバンド編成をはるかに上回る30人編成にもなっていた。

そこに、丁度活動を活発化して、新しいチャレンジをしていたユナイテッドアーティスト(UA)がレコーデョングを働きかけた。それもライブレコーディングの企画を。ミンガスはこの直前に、エリントンと共演したマネージャングルの録音を済ませていて、ミンガスもこのUAの進取の精神が気にいっていたのかもしれない。

10月はバードランドに長期間出演していたが、その丁度間に、このタウンホールコンサートが行われた。
ミンガスはレコーディングに向けて着々と準備を進めていたが、途中でプロデューサーのアラン・ダグラスは会社のボスの意向だったのかもしれないが、何とレコーディングの予定を5週間も前倒しして早めてしまった。いわゆる公開ライブの形をとったが、表向きは有料のコンサート。チケットもそこそこ捌けて10月12日を迎えてしまった。

ミンガスのライブはリハーサルも入念に行うのが常なのに、このコンサートはリハーサルどころかアレンジ自体も当日なって全曲が出来上がっていないという有様。何とアレンジャーの一人、メルバリストンは舞台の上で出来上がったアレンジを写譜屋に渡している始末であった。メンバーはレギュラメンバーに加えて錚々たる面々。遠く西海岸からも駆けつけた。全員タキシードにブラックタイを着込んでスタンバイ。プログラムが未完成のままにカーテンが上がってしまった。ミンガスは最初抵抗したのか、一人Tシャツのまま舞台にいたらしいが、結局、着替えをして舞台に上ることになった。

そこを何とかしてしてしまうのがプロだが、さすがにこの状態ではまともな演奏はできない。ミンガスも「今回は公開リハーサルだ」と断りをいれ、主催者もキャンセル希望者にはお金を返すということにしたが、インターミッションになっても客は半分以上が残っていた。あのミンガスの怒りの一発のハプニングを期待していたのかもしれない。

ミンガスの怒りっぽい性格は有名だが、このコンサートに向けたリハーサルでも事件は起こっていた。コンサートが近づいているのにアレンジが出来上がらないのにイライラしていたのか、長年付き合っていたジミーネッパーに一撃を加えて前歯を折ってしまうトラブルに。その後訴訟事になってしまう程の大事になったが、ネッパーはこのお蔭でその後の演奏にも支障が出て以前と比べて一オクターブも音域が狭くなってしまったそうだ。という事は、サドメルに加わっていのはこの後なので、ネッパーの全盛期を聴けなかったということになるが。

このコンサートに参加したメンバーや関係者達の後日談が色々残っているが、ペッパーアダムスもコメントを残している。アダムスは当日のアレンジを一曲提供したそうだ。アダムスが語る所によると、コンサート自体も酷かったが、その後がもっと酷い。リハーサルのようなライブになってしまったので、本来はレコード話も仕切り直しになるのが筋だが、何とレコード会社はこれをリリースしてしまった。出来の良かった曲だけをピックアップすればまだよいのだが選曲も滅茶苦茶、レコーディングのコンディションも酷いもので、アダムスに言わせるとこのコンサートは悍ましい出来事であり、アルバムだったということだ。

ところが、捨てる神がいれば救う神もいる。89年になって、ブルーノートからこのアルバムが再リリースされた。デジタルリマスターで音も良くなり、没になった曲も復活してコンサートの有様が再現された。最初に発売されたLPではソロがカットされた曲もあってほぼ完全な形で復活した。となると、色々あったにしても歴史上の出来事としての価値は増す。



ペッパーアダムスはジェロームリチャードソンとダブルバリトンで参加。ソロはリチャードソンが先行するが、最後のジャムセッションのように始まるインナメロートーンでは2人のバリトンバトルも聴ける。残念なのはソロがオフマイクで録られていること。音質自体はリマスターで良くなっても、こればかりは再現不可能だ。オフマイクであっても2人のソロは秀逸なのが救いである。LPではカットされている、演奏が一旦終わったあとのドルフィーのソロもCDには収められている。

ミンガスオーケストラの原点ともいえる演奏は、うねる様な重厚なサウンドを聴かせてくれ、他のビッグバンドとは一味も二味も違う。未完成ライブとはいえそれなりに価値あるものだと思う。すべての曲が揃ったたっぷり2時間分の譜面はミンガスの死後になって見つかり、1989年になってから全曲が演奏されている。

1. "Freedom Part 1" - 3:47
2. "Freedom Part 2" - 3:14
3. "Osmotin'" - 2:50 Bonus track on CD reissue
4. "Epitaph Part 1" - 7:03
5. "Peggy's Blue Skylight" - 5:21 Bonus track on CD reissue
6. "Epitaph Part 2" - 5:10
7. "My Search" - 8:09
8. "Portrait" - 4:34 Bonus track on CD reissue
9. "Duke's Choice" - 5:12
10. "Please Don't Come Back from the Moon" - 7:24 Bonus track on CD reissue
11. "In a Mellow Tone" (Duke Ellington, Milt Gabler) - 8:21
12. "Epitaph Part 1" [alternate take] - 7:23 Bonus track on CD reissue

All compositions by Charles Mingus except as indicated

Charles Mingus - bass, narration
Ed Armour, Rolf Ericson, Lonnie Hillyer, Ernie Royal, Clark Terry, Richard Williams, Snooky Young - trumpet
Eddie Bert, Jimmy Cleveland, Willie Dennis, Paul Faulise, Quentin Jackson, Britt Woodman - trombone
Romeo Penque - oboe
Danny Bank - bass clarinet
Buddy Collette, Eric Dolphy, Charlie Mariano, Charles McPherson - alto saxophone
George Berg, Zoot Sims - tenor saxophone
Pepper Adams, Jerome Richardson - baritone saxophone
Warren Smith - vibraphone, percussion
Toshiko Akiyoshi, Jaki Byard -piano
Les Spann - guitar
Milt Hinton - bass
Dannie Richmond - drums
Grady Tate - percussion
Bob Hammer - arranger
Melba Liston - arranger, conductor

Recorded at Town Hall, New York, on 12 Oct. 1962




Complete Town Hall Concert
Charles Mingus
Blue Note Records
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大きなステージでのビッグバンドのライブもいいが、客席が近い小さなクラブでのライブも一段と・・

2014-06-07 | MY FAVORITE ALBUM
Basie At Birdland / The Count Basie Orchestra

昔から実力者と活躍しながら、活動の拠点をサンフランシスコに置いていたこともあり、ジャズ界全体の最盛期には表立ってはあまり活躍しなかったが、何枚かのアルバムを残し、ヨーロッパに渡ったポニーポインデスター。その代表的なアルバムはこの前紹介した”PONY’S EXPRESS”

ところが、彼の実力を早くから見抜いていた作曲家がいた。ベイシーオーケストラの作編曲で有名なニール・ヘフティーだ。1951年にこのポインデスターに捧げた”リトルポニー“という曲を作り、ベイシーオーケストラが演奏している。
このポインデクスターのニックネームも”little Pony”という。どちらが先は分からないいが、このリトルポニーという曲はベイシーオーケストラでも定番になっている一曲だ。1951年の初演でフィ-チャーされたのは、テナーのワーデルグレイ。



ポピュラーになってその後のベイシーだけでなく、他のグループでも演奏されることは多い。
ベイシーの後継バンドともいえるナットピアースとフラーキャップのジャガーノーツでも演奏しているし、そのまた流れを組む日本のジャガーノーツも。




ベイシーのライブ物といえば、このバードランドでのライブアルバムを外す訳にはいかない。このアルバムの一曲目がそのリトルポ二―で始まる。
この、ライブにも参加しているジョンヘンドリックスも、ランバート・ヘンドリックス&ロスのスタート時にこの曲をレパートリーに加えている

ベイシーオーケストラのライブ物はニューポートをはじめてとした大きなステージでの演奏が有名だが、いわゆる小振りのクラブでの演奏はこのバードランドでのライブが代表格。お馴染みのベイシーナンバーの定番が次々と登場するが会場の雰囲気と実にマッチして、いつも以上のノリを聴かせてくれる。

このバードランドのオーナーであったモーリス・レヴィーは、1957年にルーレットレーベルを興す。この当時のバードランドはニューヨークの中でもジャズ通りともいわれた52丁目にあって、そこの出演したミュージシャンはジャズの歴史そのものだ。そして、それまでにもこのバードランドでのライブアルバムというのは数多くあった。
レヴィーが自分でルーレットレーベルを作ってからは、バードランドオールスターを編成しそのアルバムを作り、このバードランドでのライブアルバムを数多く制作した。

人気のベイシーオーケストラは、全米どころか世界中をツアーしていたが、ニューヨークでの本拠地はこのバードランド、そしてルーレットレーベルの看板オーケストラでもあった。
という訳なので、ベイシーのこのバードランドでのライブというのは、いつもやり慣れたホームグラウンドのライブ、それ故のリラックス感とスイング感は格別だ。巨人ファンがやはり巨人戦を観るなら後楽園での観戦が一番というのと相通じるものがある。
このアルバムも “Basie is Back Home” とサブタイトルがついている。

ルーレット時代のカウントベイシーというのは第2の黄金期といわれているオールスターメンバーだが、それでもその間若干のメンバーチェンジがあった。この年の初めにはジョーニューマン、アルグレイ、ビリーミッチェルという重鎮が抜けたが、この録音が行われた6月までには、そのひび割れも完璧に穴埋めされ、完璧な状態でのライブであった。
この録音は3本のマイクで録られたそうだ。それ故、会場の話し声なども生々しいが、特にベイシーのソロの時に目立つ。ホールではなくクラブとはいえ、日本のライブでは考えられない騒々しさだ。これも観客と一体となったアメリカンスタイルのステージだともいえるが、雰囲気はより伝わってくる

CD盤になって、LPで未収録であった他の曲も収められよりライブの全容が見えるようになった。ルーレットからリプリーズに移籍してからのベイシーオーケストラは、演奏する曲も当時のヒット曲などが多くなったが、ここでは50年代のベイシーオーケストラが十八番としていた曲が並ぶ。メンバーだけでなく選曲もベストオブベイシーだ。
クラブでのライブということもあるのだと思うが、セグエインCなどは、ソロをタップリのロングバージョン。サドメルのライブなどでも良くあったが、ビッグバンドのライブでの盛り上がりは楽しみのひとつだ。
先日紹介した 向井志門のビッグバンドはこんな演奏を目標としているのだろう。

そして、ちょうどこの年、翌月のバードランドはドナルドバード&ペッパーアダムスクインテットのミューヨークでの最後のライブであった。

1. Little Pony         (Neal Hefti) 2:22
2. Basie           (Ernie Wilkins) 3:23
3. Blues Backstage      (Frank Foster) 4:58
4. Blee Blop Blues    (Ahmad Kharab Salim) 2:17
5. Whirly-Bird          (Hefti) 3:59
6. One O'Clock Jump       (Count Basie) 0:55
7. Good Time Blues        (Wilkins) 6:40
8. Segue in C          (Frank Wess) 9:18
9. One O'Clock Jump"       (Basie) 4:41
10. Easin' It"            (Foster) 5:41
11. A Little Temp, Please"       (Hefti) 3:02
12. Corner Pocket      (Freddie Green) 5:07
13. I Needs to Be Bee'd With   (Quincy Jones) 4:23
14. Discommotion         (Foster) 4:16
15. Segue in C         (Wess) 8:11
16. Whirly-Bird         (Hefty) 3:43
17. One O'Clock Jump     (Basie) 1:02

The Count Basie Orchestra

Count Basie (p)
Sonny Cohn (tp)
Thad Jones (tp)
Lennie Johnson (tp)
Snooky Young (tp)
Benny Powell (tb)
Quentin Jackson (tb)
Henry Coker (tb)
Marshall Royal (as,cl)
Frank Wess (ts.as,fl)
Frank Foster (ts)
Budd Johnson (ts)
Charlie Fowlkes (bs)
Freddie Green (g)
Eddie Jones (b)
Sonny Payne (ds)
Jon Hendricks (vol)

Recorded live at Birdland, New York, On June 27 & 28 1961


Basie at Birdland
Count Basie
Blue Note Records
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一つのことをやり抜くというのは、できるようでなかなかできないものだ・・・・

2013-10-03 | CONCORD
Juggernaut strikes again! / The Capp &Pierce Orchestra


先日、いすゞ自動車を再建した井田元社長の話を聞く機会があった。
2000年を迎え、突然訪れた巨額の赤字決算は、単なる外部環境の変化というより、長年いすゞが抱える赤字体質の膿が一気に表面化したものであり、簡単には業績は戻らず企業の存続さえ危ぶまれるものであったそうだ。

乗用車の生産中止を初めとして、主力の工場売却、アメリカからの撤退など、それまでの会社内の常識ではありえないことを続けさまに断行して再建を図り、今ではアジア市場中心に中核のバス、トラックで再建し、小型のSUVもタイで開発・生産し人気を博しているとか。アジアマーケットを見据えた本当の意味でのグローバル優良企業として再生を果たしたそうだ。

そのような中で一番大事なことは「一度決めたことはとことんやり抜くこと」だったそうだ。
もちろん決める内容も大事だが、やり抜くということはできそうで中々できないこと。
途中で調子が良くなるとついつい甘えも生じるし、反対に上手くいかないと目標、やり方が悪いのかと、これもついつい結果が出る前にあれこれ苛まれ結局挫折してしまうものだ。
仕事であれ、プライベートであれ普段はこのようなことの繰り返しだ。
やはり、本当の背水の陣に身を置くと、道筋を決めてやりきるしか他に道はないという心境になれるのかもしれない。

さて、このフランクキャップとナットピアースの双頭ビッグバンド”Juggernaut”は1975年に西海岸で生まれたビッグバンド。
地元のホテルやクラブでの演奏をメインにしたリハーサルバンド的なものだが、70年代の半ばに、Concordにもアルバムを2枚残しているのがデビュー作だ。
ベイシーライクな良くスイングする、重厚感のあるオーケストラだ。

このピアース&キャップのジャガーノーツをお手本とするビッグバンドが日本にもある。
その名もジャガーノーツ。
アレンジャーの藤崎邦夫氏が率いるビッグバンドだが、結成は1987年というので25年以上になる。もちろん本家のナットピアース&フランクキャップとも親交があって、本家の秘伝の伝授を受け、今でも定期的に活動を続けている。

本拠地は江古田のバディというクラブ。年に4回のライブだが、熱心なファンが多いのか広めの会場も毎回満員になる。今月の25日にも今年最後のライブが予定されている。

藤崎氏のジャガーノーツへの拘りと探求心は留まるところがない。どの譜面も市販の譜面はなく、コピーであっても自分で聴いて手をいれるとのこと、これが拘りであり、「やりきる」ということであろう。
果たして最後は本家を抜いてどんな演奏を聴かせてくれるか楽しみなオーケストラだ。

さて、本家のジャガーノーツは70年代の半ばにアルバムを出してしばらく音沙汰が無かったが、5年ぶりにConcordからアルバムを出した。以前の2枚がライブだったのだが、今回はスタジオ録音。2日間にわたる録音だったが一部メンバーが変わるには、スタジオワークの多いメンバーによるリハーサルバンドの宿命かもしれない。

このアルバムのライナーノーツの巻頭に、このJuggernautの演奏は、過去の栄光を追い求めたり、ノスタルジーのためのコピーではないと書かれている。そして、2人が敬愛するのは、ベイシー、ハーマン、そしてチャーリーバーネット。そしてもちろんエリントンも、と。

圧倒的なスイング感がこのオーケストラの魅力だが、このアルバムでも一曲目からヘフティーのベイシーナンバーのリトルポニーから満喫できる。ベイシーオーケストラの重鎮であったマーシャルロイヤルがリードアルトを務める。2曲目はこのロイヤルをフューチャーしたバラード。まさにベイシーオーケストラだ。

ピアースはベイシーの代役を務めた存在。他のセクションを見渡しても、ロイヤル以外も過去にベイシーオーケストラ出身のメンバーが多く加わっている。リーダーの2人もハーマン、ケントンで百戦錬磨。
単なるレパートリーバンドというのではなく、自らかって経験した親バンドから引き継いだDNAを持ち合わせたメンバー達が揃った再演バンド。いい音がしないわけがない。

何事も前向きにやりきるためには一代限りでは難しいことも。良い後継者を育てて、自分の想いを込めたDNAを引き継いでいくしかない、のかもしれない。

1. Little Pony
2. One For Marshal
3. I Remember Clifford
4. New York Shuffle
5. Chop’s, Fingers and Sticks
6. You Are So Beatiful
7. Parker’s Mood / Word From Bird
8. Charade
9. Things Ain’t What They Used To Be

Nat Pierce (p)
Franlie Capp (ds)

Johnny Audino (tp)
Frank Szabo (tp)
Al Aarons (tp)
Warren Luering (tp)
Snooky Young (tp)
Bil Berry (tp)
Alan Kaplan (tb)
George Bahanon (tb)
Buster Cooper (tb)
Mel Wanzo (tb)
Marshal Royal (as)
Joe Roccisano (as)
Jackie Keiso (as)
Pete Christlieb (ts)
Bob Cooper (ts)
Bob Efford (ts)
Bill Green (bs)
Ray Pohlman (g)
Bob Maize (b)

Arnie Andrews (vocal)

Produced by Carl Jefferson
Recorded at United Western Recording Studio, Hollywoo California
On October and November 1981

Originally Rekeased on Concord CJ-183

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もし、ジャズの人気投票のポールウィナースに「指揮」部門があったら・・・

2013-05-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Swiss Radio Days Jazz Series, Vol. 4: Basle, 1969 Thad Jones & Mel Lewis Orchestra

クラシックの世界では、指揮者というのはかなり重要な要素だ。同じオーケストラでも指揮ひとつで音が違ってくるという。
ジャズの世界のビッグバンドでも指揮者の役割は重要だ。指揮を専門に行うリーダーもいれば、プレーをしながらの指揮者もいる。

先日、辰巳哲也のビッグバンドがマリアシュナイダーの曲を演奏したライブがあった。昨年初来日したマリアシュナイダーのオーケストラは彼女のしなやかな指揮振りが目立ったが、彼女の曲は指揮者がいないとなかなか上手く演奏はできないだろう。
当日辰巳氏も「マリアの曲をやるときは、指揮が忙しくてなかなか自分のプレーを一緒にやるのは難しい」と語っていた。先週は秋吉敏子のビッグバンドのライブがあったが、彼女の難しいアレンジを引き立たせる指揮振りも見事だ。彼女の場合はそれにピアノのプレーも加わる。

そのようにジャズオーケストラのリーダーの指揮振りを思い返すと、クラシックの世界にひけをとらない位色々と指揮者によって個性があるものだ。その中で一番印象に残っている指揮者となると・・・・

双頭バンドのサドメルオーケストラの指揮者といえば、言わずと知れたリーダーのサドジョーンズ。指揮だけでなく、合いの手を入れながらメンバーを鼓舞させていく指揮ぶりは余人を持って代えがたい。
サドメルオーケストラからサドジョーンズが去り、メルルイスがリーダーとなり、そしてメルルイス亡き後VJOへと替わっても、サドメルのレパートリーは脈々と引き継がれている。しかし、あのサドジョーンズの指揮ぶりだけはもう見ることができない。

サドジョーンズの指揮と、もうひとつ初期のメンバーで特徴的だったのはローランドハナのピアノとベースのリチャードデイビスの掛け合い。多くの曲でハナのピアノのイントロから始まることが多かったが、このデイビスのベースの絡み方も実に特徴があった。
そしてそれを傍らから見ながら魔術師のようにオーケストラの始まりに繋げていくサドジョーンズの指揮は流石だ。

この連休中、新宿のSomedayではお馴染みのビッグバンドのライブが連日続いた。今回は3日間しか行けなかったが、その中のひとつがオーナー肝いりのSomeday Big band。
メインストリームの演奏が続いたが、その中にサドメルのレパートリーが3曲あった。
自分が大の「お気に入り」のGroove Merchantも演奏され大満足であったが、やはりこの曲を聴くとサドジョーンズの指揮を思い起こす。



このビデオの頃の、ハナやリチャードデイビスのいた時代の演奏は特にご機嫌だ。
この時代の演奏はCDでも何枚か残っておりこれまでも紹介したが、もう一枚あった。
バンド結成から3年目。満を持してオーケストラがヨーロッパに遠征した時のスイスでのライブだ。

曲目は当時のレパートリーが並んでいるが、Groove Merchantも含まれている。他のアルバムではこの曲のライブ演奏を聴けないが、サドジョーンの指揮振りも音を通じて聴くことができるのでこれは貴重だ。
これを聴いても。やはりサドジョーンの指揮はOne & Onlyな良さがある。人気投票に「指揮部門」があったら、間違いなく一票を投じる。

1. Second Race  Thad Jones 10:39
2. Don't Ever Leave Me Thad Jones 4:16
3. The Waltz You Swang for Me Thad Jones 9:11
4. Ah' That's Freedom Thad Jones 10:54
5. Come Sunday Duke Ellington 4:42
6. Don't Get Sassy Thad Jones 11:34
7. Bible Story Roland Hanna 6:30
8. Groove Merchant Jerome Richardson 7:54

Thad Jones (cor, flh)
Richard Gene Williams (tp)
Danny Moore (tp)
Snooky Young (tp)
Al Porcino (tp)
Jerry Dodgion (as,fl)
Jerome Richardson (as,ss)
Joe Henderson (as,fl)
Eddie Daniels (ts)
Pepper Adams (bs)
Jimmy Knepper (tb)
Eddie Bert (tb)
Cliff Heather (btb)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Peter Schmidlin Executive Producer
Philippe Dubath Executive Producer
Peter Bürli Executive Producer, Liner Notes
Jurg Jecklin Engineer

Recorded live concert for broadcast over Swiss Radio
on Sep.11 1969


The Thad Jones - Mel Lewis Orchestra, Basle 1969 / Swiss Radio Days, Jazz Series Vol.4
クリエーター情報なし
TCB - The Montreux Jazz Label™ - Swiss Radio Days
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70年代から80年代にかけて一番有名なジャズバンドは・・・・?

2012-02-21 | MY FAVORITE ALBUM
The Tonight Show Band with Doc Severinsen Vol.1

70年代の始め、まだ高校生だった弟が親の転勤で一緒にアメリカに滞在していた。その弟から「兄貴の好きそうなジャズのミュージシャンが毎日テレビに出ている」と手紙が来た。音楽自体は色々な所で聴く機会はあっても、当時は今の時代のように身近で映像を見る機会はなかなかなかった。まして、テレビで本場のジャズを見ることができる機会というのはめったになかった。今でこそ多少翳りが出てきたものの、国民全体に情報を届けられるマスメディアとして絶対的な影響力を持っていたのは、当時はテレビであった。そのテレビに毎日のように出演するとなると、当然知名度は上がり彼の存在は全米中に知れ渡ることになる。そこで演奏される音楽と供に。そのバンドは、ドックセバリンセン率いるツゥナイトショーバンドだった。

NBCの深夜の有名なトークショー番組をジョニーカーソンが30年間司会を務めたが、そのバックオーケストラを務めたのが”Tonight Show Band”。ドックセバリンセンがリーダー(音楽監督)となったのが67年なので、彼は大部分の期間をカーソンとコンビを組んでいたことになる。
このセベリンセンは、先日紹介したビリーテイラーのテレビ番組にも一緒に出演していたので、テレビ界との繋がりは以前からあったのかもしれない。テレビ関連の仕事に加え、60年代の前半にかけてはスタジオワークで色々なアルバムにトランペット奏者として参加していた。そのセバリンセンが音楽監督になって”Tonight Show Band”を再編成してから、そのバンドは一躍有名になっていった。ちょうどニューヨークからロサンジェルスに番組が引越しになったのに合わせてメンバーも異動があった。当時はテレビ番組の制作拠点が西海岸に移るということは他にもあったと思われるので、ニューヨークのミュージシャンの西海岸への移動も起った。秋吉敏子の夫君のルータバキンもその一人であった。

それで、このバンドには西海岸の在住の有名なプレーヤーが加わることになる。トランペットのスヌーキーヤング、そしてコンテカンドリの両巨頭も。サックスではビルパーキンスやアーニーワッツなど。ピアノのロストンプキンスやドラムのエドショネシーなどの「名人」も長年このバンドのメンバーを務めることになる。
バンドの演奏だけでなく、多くのゲストがこのバンドと一緒にそのプレーや歌を全米に披露することになった。テレビの影響力は圧倒的なので、当然のようにこのセバリンセンのバンドも全米で一番知れ渡ることになり、人気投票でも上位にくるようになった。

そして、満を持して作られたのがこのアルバム。スイング時代からのビッグバンドの伝統を引き継ぐこのバンドのアルバムがめでたくグラミー賞を受賞することになった。特に実験的なことをやるわけでもないし、古いバンドのコピーをしている訳でもなく、これぞビッグバンドのエッセンスという演奏だ。ビッグバンドの楽しさを広く世に知らしめるためには、このようなバンドも必要だと思う。思えば、日本でも昔はビッグバンドがレギュラー出演している番組はいくつもあったものだ。



Tonight Show Band

Doc Severinsen Conductor, Flugelhorn, Performer, Trumpet
Conte Candoli Flugelhorn, Trumpet
Snooky Young Flugelhorn, Trumpet
John Audino Flugelhorn, Trumpet
Maurey Harris Flugelhorn, Trumpet
Gilbert Falco Trombone
Bruce Paulson Trombone
Ernie Tack Trombone (Bass)

Tommy Newsom  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
Bill Perkins  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
John Bambridge  Clarinet, Flute, Sax (Alto)
Pete Christlieb Clarinet, Flute, Sax (Tenor)
Ernie Watts   Clarinet, Flute, Sax (Tenor)
Donald Ashworth Clarinet, Euphonium, Flute, Sax (Baritone), Sax (Bass)

Ross Tompkins Piano
Joel DiBartolo Bass
Peter Woodford Guitar
Bob Bain Guitar
Ed Shaughnessy Drums

Produced by Jeff TyZik & Allen Vizzutti
Mick Guzauski Engineer, Mixing, Recording Technician
Daren Klein Assistant Engineer
Richard McKernan Assistant Engineer
Jesse Peck Assistant Engineer

Recoeded "Live" in The Studio on August 5-7, 1986

The Tonight Show Band Vol. 1
Tonight Show Band
Amherst Records



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このアルバムのミステリー・・・というか詐欺じゃないの?

2012-02-12 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Village Vanguard live session 3 / Thad Jones & Mel Lewis big band

サドメルの良さはライブで一層引き立つというのは、そのライブを実際に聴いた人の大方の感想だ。それも、大きなホールよりも目と鼻の先で聴ける小さなクラブでの演奏で。その意味では、サドメルの発祥の場であるビレッジバンガードはサドメルを聴く場としては最高の舞台である。ファーストレコーディングは、まさにこのビレッジバンガードへの初登場のライブであったが、その後も2枚のアルバムを通じてサド・メルのライブの良さが分かった。メルルイスオーケストラ、そしてVJOになってもその歴史は引き継がれていて、ビレッジバンガードでのライブアルバムは多い。

‘90年代になって”VILLAGE VANGUARD 3”とタイトルされた、このサド・メルのアルバムがリリースされた。録音日をディスコグラフィーで見ると70年11月。70年代に入るとヨーロッパツアーの各地でのライブアルバムが出ているが、丁度その頃のビレッジバンガードでのライブというのは今までリリースされていなかった。期待をして購入したのだが。

まずは、聴いてみてあまり最初のライブアルバムと感じが何も変わらない。ライブだと日によってもプレー内容が変るのに、3年経っても変らないとは・・・そんなオーケストラではなかったのではと、少し違和感を覚えたのを覚えている。そして、聴き返す事も無くこのアルバムはそのままお蔵入りをしていた。

今回棚卸しをしていることもあって、このアルバムを再び手にして色々調べてみた。
ライナーノーツには何の記述も無い。プロデューサーのソニーレスターの一言のみ。あとは曲名とパーソネルだけだ。曲も同じデビュー直後のレパートリーと同じ。70年というと、2枚目のスタジオ録音の”Central Park North”がすでに発売されていたので、当然このアルバムからの曲がライブにあっても不思議ではないのだが。

さらに、メンバーもよくよく見ると67年当時のメンバーだ。ボブブルックマイヤーの名前もある。ブルックマイヤーは68年に退団して西海岸へ移っているので、70年の録音で彼の名前がクレジットされているのが決定的におかしい。トランペットセクションを見ると、普段はサドジョーンズ以外に4人のトランペットがいるがクレジットには3人のみ。これもおかしい。’67年のライブ録音と同じとなると、トランペットセクションにはこの3人に、ビルベイリーと、マービンスタムが加わった5本編成になっている。

という訳で、このアルバムが’70年11月15-17日というのは誤りで、多分メンバーを見ると67年の最初のライブアルバム‘67年4月27-28日と同じではないだろうか。この週は毎週月曜日の定期出演とは別に24日~29日まで連続出演しているので、他の日のセッションの別テイクとも思ったが、さらに不思議なことがある。ジャケットにはSecond Raceの演奏時間が14:45とあるが、実際には10:32しかないいい加減さ。他の曲も前のアルバムと較べて時間の違いはサドジョーンズの喋りの時間の長短だけ。曲の中身も実はLIVE at VillageVanguardとひょっとしたら同じかもしれない。どうりでソロのフレーズも似すぎていると思った。

そもそもこのアルバムは、プロデューサーのソニーレスターが後になって、自分がプロデュースしたアルバムを再発した時に、ビレッジバンガードでのライブを集めた3枚組のアルバムを作った。それをバラしてNo.3をサドメルのアルバムにしたもの。サドメルのライブのNo.3という訳ではない様だ。サドメルファンとしてはタイトルを見れば当然サドメルの3枚目と誤解してしまう。ちゃんとしたディスコグラフィーにも、'70年録音の別アルバムとして紹介されているが、果たして真実の程は・・・?

いずれにしても、最初のLive at Village Vanguardを持っていれば、手にする必要の無いアルバムなので参考まで。棚卸しをしてみて聴いてあまり感動しなかった謎が解けた。
最近は再発物に未発表曲をボーナストラックで入れているのが多く食指が動くが、中身を吟味するのに一苦労する。

1. Don't Git Sassy       8:40
2. Little Pixie         10:35
3. The Second Race      14:45
4. Willow Tree         5:00
5. Ah' That's Freedom     9:23
6. Quietude          5:00
7. Bachafillen         8:50

Thad Jones (flh)
Jerome Richardson (as)
Jerry Dodgion (as)
Eddie Daniels (ts)
Joe Farrell (ts)
Pepper Adams (bs)
Snooky Young (tp)
Jimmy Nottingham (tp)
Richard Williams (tp)
Bob Brookmeyer (vtb)
Garnett Brown (tb)
Tom Mcintosh (tb)
Cliff Heather (btb)
Roland Hanna (p)
Richard Davis (b)
Mel Lewis (ds)

Recorded live at The Viillaeg Vanguard on November.15-17, 1970 (とはなっているが?)
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