A DAY IN THE LIFE

好きなゴルフと古いLPやCDの棚卸しをしながらのJAZZの話題を中心に。

たかが口笛、されど口笛。2枚目のアルバムが出せれば本物だ・・・

2016-01-09 | CONCORD
The Other Whistler / Ron McCroby

気分が良いと鼻歌を歌ったり口笛を吹いたりというのは誰もが経験すること。しかし、鼻歌や口笛を本業とするミュージシャンというのはそうそういるものではない。何でも人並み以上にできれば芸の内、口笛が上手い芸人としての道はあっても本格的なレコードを作るまでとなると並の腕前では難しい。それもジャズナンバーだけをアドリブを交えてとなると尚更だ。
口笛というのは結構音域が高くピッコロに近いという。ということもあり、このアルバムではpuccoloと言っているが、これは元々あった言葉か造語かは??

このマックロビーが世に認められたのは、地元シンシナティーでセッションに参加して評判になってから。早速地元テレビのショーに登場し、全国区のTonight Showにも出演し広く知られることとなる。それを聞きつけて、早速アルバムを作ったのはコンコルドのカールジェファーソンであった。前作の"Ron McCroby Plays Puccolo"がそのアルバムであった



このアルバムは第2作目。今回のアルバムは何故かピアノのフレッドハーシュがプロデュースしている。前作との違いを出そうとしたのか、タイトルもThe Other Whistlerとなっている。
前作ではフルートのサムモストが一緒にやっていたが、今回はピアノトリオをバックにワンホーンならず、彼の口笛一本で勝負だ。ピアノは前のアルバムと同じビルメイズだが、ドラムには昨年も東北支援で来日したOtonowaのAkira Tanaが参加している。

ジャズのスタンダードナンバーが並ぶのは前回と同様。基本的にマクロビ―がジャズ好きなのであろう。
元々彼の本業はクラリネット。学生時代マーチングバンドでやっていた時、余興で口笛を吹き始めたのが最初という。クラリネットもそれで本業になれる腕前ではなく、広告の仕事を本業にしていたが、夜になると地元のプロのセッションにも顔を出すジャズ好きであった。もっとも口笛はセッションで披露する以外に本業の広告の方で使う事ことも多く、こちらの方がちゃんと稼げるプロであったようだ。

最後の曲でクラリネットを吹くが、こちらは低音域を多用した素直な演奏。口笛には高音域とテクニックが似合うがその対比も面白い。

アルバムも作り、その勢いで’83年のモンタレージャズフェスティバルで、ウディ―ハーマンが音頭をとったジャムセッションにもゲスト参加し、コンコルドレーベルでお馴染みの面々と一緒に舞台に立っている。そしてこれが2枚目のアルバム。たかが口笛といっても、ここまで極めればたいしたものだ。

1. Four Brothers Jimmy Guffre 2:44
2. Song From MASH Johny Mandel 3:52
3. Cherokee Ray Noble 5:34
4. My Foolish Heart Ned Washington 5:43
5. Blue Rond A La Turk Dave Brubeck 5:45
6. I Remember Clifford Benny Golson
7. May Berry R.F.D. Herbert Spencer 4:32
8. Take Five paul Desmond 4:40

Ron McCroby (puccolo,cl)
Bill Mays (p,ep)
Steve La Spina (b)
Akira Tana (ds)

Produced by Fred Hersch
Recorded at Classic Sound Studio, New York City. June 1984
Recording Engineer : A.T. Michael MacDonald
Originally released on Concord CJ-257
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 ハーマンオーケストラのステージは、OBを交えて一段と迫力も増して・・・

2015-05-12 | CONCORD
World Class / Woody Herman Big Bnad

1982年、第2回のオーレックスジャズフェスティバルが開かれた。この年の目玉はJ&Kを含むオールスターズ、単独グループとしてはデイブブルーベックカルテット、そしてウディーハーマンオーケストラであった。
このウディーハーマンのオーケストラにはゲストが加っていた。この時はよくある歌手ではなく、4人のテナー奏者。ウディーハーマンといえばレパートリーの中でテナーをフィーチャーしたFour Brothersが有名だが、このフォーブラザースを意識した人選であった。

ハーマンのフォーブラザースバンドといえば、セカンドハード時代で、スタンゲッツ、ズートシムス、アルコーンなどが在籍した時代。ただしこの3人が一緒いた期間は短く、メンバーの入れ替わりは激しかった。最初のフォーブラザースが録音されたのは1947年、その時はゲッツ、シムス、ハービースチュアートとサージチャロフの4人組であった。



その後、いつの時代でもこのFour Brothersはハーマンオーケストラのメインレパートリーとして生き続け、ハーマンオーケストラに在籍したテナー奏者は誰もがプレーした曲となる。

この1982年に来日したメンバーではアルコーンがこの時代に在籍したメンバーであったが、他のメンバーもハーマンオーケストラの他の時代のOB達。フリップフィリップスが40年代に活躍した最長老、そして50年代を代表してメッドフローリー、そして60年代のサルニスティコの4人であった。

よく学生の運動部だと先輩達を招いてOB戦が行われる。毎日一緒に練習をしている現役は若さとチームプレーでは勝るものの、個人技ではOB達の老練なプレーに軍配が上がるものだ。

この当時のハーマンオーケストラ、というよりビッグバンド事情も同じようなものであった。リハーサルオーケストラやレコーディングのための臨時編成のオーケストラではベテラン中心に編成できても、ツアー主体のレギュラーバンドは経済的な面からも無名の若手が中心となって編成されていた。ウディーハーマンのオーケストラが素晴らしかったのは、そのようなメンバーで演奏しても昔からの譜面を繰り返し演奏するだけではなく、メンバーの中から新たなアレンジジャーを登用し、常に新しいレパートリー、アレンジを採用していたことにある。そのために、70年代はジャズロック風の演奏も良く行っていた。

このオーレックスでのステージではレギュラーオーケストラと、このOB4人が上手く組み合わされて演奏を繰り広げている。ハーマンのオーケストラの定番ともいえる懐かしい曲に加えて、チックコリアの曲なども交えて上手くミックスされ。そして、Rockin’ ChairではハーマンのボーカルにトランペットのGeoge Rabbaiがサッチモ張りの歌とトランペットを披露して、ライブ演奏のステージを沸かしている。

アレンジも、看板になるフォーブラザースは定番のジミージュフリーによるもの、さらにゲストに敬意を表してアルコーンがアレンジしたWoody’s Lament、フリップフィリップスがアレンジしたThe Clawでは4人がソロを繰り広げる。



更に、エリントンナンバーのPedidoは、現役のピアノのJohn Oddoがアレンジしたものを、OBのフリップフィリップスがソロをとるというような組み合わせもある。もちろん、看板替わりのフォーブラザースも演奏されたが、ここでのソロの取り回しはOBではなく現役メンバーで行われている。

このようにお互い同じ釜の食べた仲間同士、単に現役チームとOBチームに分かれるのではなく、うまくミックスチームを編成しそれぞれの得意技を披露し合うと一段と一体感のある演奏が聴けるように思う。

その時のライブ録音は日本では東芝からリリースされたが、当時、コンコルドは東芝と提携していた。東芝で制作した北村英治山本剛などの何枚かのアルバムがアメリカでもコンコルドレーベルを通じて発売されたが、このアルバムも日本のスタッフによる制作で、その一枚となった。
日米交流が盛んな頃のアルバムで、アメリカのファンも本国でも滅多に聴けないこのステージの演奏を興味津々で聴いたことであろう。

Al Cohn, Med Flory, Sal Nistico, Flip Phillips (ts)
Woody Herman (cl,as)
Bill Byrne, Mark Lewis, Brian O'Flaherty, George Rabbai, Scott Wagstaff (tp)
John Fedchock, Randy Hawes, Gene Smith (tb)
Jim Carroll, Paul McGinley, Frank Tiberi (ts)
Mike Brignola (bs)
John Oddo (p)
Dave Shapiro (b)
Dave Ratajczak (ds)

Produced by Yoichi Kikuchi
Recording Engineer : Yoshihisa Watanabe & Yutaka Tomioka
Recorded at Osaka Festival Hall, Osaka on September 3, 1982
   & at Tokyo Budo Kan, Tokyo on September September 2, 1982

Originally released on Concord CJ-240

World Class
クリエーター情報なし
Concord Records
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大編成物はバックの分厚いアンサンブルが魅力だが、人数が多ければいいという訳には・・・

2014-11-16 | MY FAVORITE ALBUM
Saxes Inc. / Coleman Hawkins・Zoot Sims・Phil Woods

今日は遠方で朝早いスタートということもあり朝4時起きのゴルフだった。真っ暗な中家を出た時の気温は6度。コースに近づくと外気温は0度。畑は霜で真っ白。11月もまだ半ばというのにすっかり冬景色。半袖からいきなり冬支度でスタートしたが、日が昇ると気温はどんどん上がってあっと言う間に暖かくなる。昼過ぎにはポカポカの気候、数時間で15度以上の気温の変化に体が付いていかない。スコアの方も、つまらないミスで大叩きが続いてあまりの乱打ちにペースがつかめない。仲間内のコンペの年間の勝者を決める最終戦であったが、よもやのブービーメーカー。締まらないラウンドであったが、来年に向けての糧にするため記録に残しておくことした。

さて、アルバム紹介の方はアンサンブル物を一枚。
同じ管楽器のアンサンブル物は、やはりビッグバンドの編成から影響を受けるのか、トロンボーンだとカルテット、サックスだと5本の編成が多い。アレンジャーにとって本数を増やしたらどうなるかという好奇心はあるとは思うが、余程何か意図を持たないとそれを実行することは無いだろう。

一方で、レコード会社やプロデューサーは何か思いつきや目先を変えるために、大人数の編成のアルバムを作ってみたいという誘惑にかられることはあるだろう。昔、100フィンガーズというタイトルでピアニストを10人集めた企画があった。ただ単に数が多ければいいだろうという企画はたいした結果が出ないのが常だが、聴き手にしてみれば出来はともかく果たしてどんな音が出るのか一度は聴いてみたいという興味が沸くのも事実だ。

このアルバムも、そもそもそんな企画だったのでは?アルバムジャケットを見ると、ホーキンス、シムス、それにウッズのサックスバトルのアルバムの様相でサックス好きの興味を惹くが、実はこのアルバムはサックスを12人集めたとんでもないアルバムだ。
無名プレーヤーばかりならまだしも、それなりに有名なプレーヤーが一同に会して演奏するとなるとメンバーのスケジュール調整だけでも大変だったと思う。

このような経緯で出来上がったアルバムだが、ソプラノサックスからバスサックスまで12名が勢揃いというのは圧巻だ。当時の有名グループ、テナーのアル&ズート、アルトのウッズ&クイルの両方が加わっているのも素晴らしい。それにコールマンホーキンズにジョージオールドの両ベテランも参加している。

この大所帯のアレンジを任されたのは、アレンジャーのボブプリンス。流石にメンバーを確定させるのも大変だったのだろう、プリンスはメンバーが決まってからアレンジを行ったそうだ。確かにジャズの場合、メンバーによって選曲やアレンジも異なってくる。このアルバムでもハーマンの名曲アーリーオータムやフォーブラザースが選ばれたのも、アルコーン、ズートシムスの参加があったからだろう。

流石に14人も集まると壮観だ。日によってメンバーの入れ替えはあるが参加メンバー全員がソロを披露するのも一苦労。一曲目のFugue for Tinhornsでは全員がソロを回すが、4小節ずつを順番に廻すという苦肉の策。他は曲毎にメインのソリストを決めてそれに合うバックのアンサンブルを付けるという構成だ。バックのアンサンブルが12人もいると、アレンジでも普段の5サックスとは違った仕掛けがいろいろできる。分厚いハーモニーだけでなく、各楽器の音色と音域を生かしたフレーズが随所に聴けるのだが。普通はサックスセクションとホーンセクションで分担するのを両方サックスでやっているようで不思議な感じだ。普段聴けないサウンドを楽しめるという点では企画賞ものだが。ソロはともかく、バックのアレンジに関して珍しさはあるがピンと来ない。自分はサックス好きなのだが。アンサンブルも人数が多ければいいというのものでは無さそうだ。



1. Fugue for Tinhorns     2:09
2. Broadway          3:36
3. The Gypsy          3:03
4. A Night in Tunisia       4:35
5. Four Brothers         4:20
6. Sometimes I'm Happy     2:56
7. Tickle Toe           2:25
8. Sweet and Lovely       3:28
9. Jumpin' with Symphony Sid  3:15
10. Early Autumn       3;25
11. Axmobile          2:11


Coleman Hawkins (ts)
Al Cohn (ts)
Zoot Sims (ts)
George Auld (ts)
Shekdon Powell (ts)
Morty Lewis (ts)
Herb Geller (as)
Phil Woods (as)
Gene Quill (as)
Hal Mckusick (ss)
Sol Schlinger (bs)
Gene Allen (bs)
Al Epstein (bs)
Shelly Cold (bass s)
Dick Katz (p)
George Duvivier (b)
Osie Johnson (ds)

Arranged & Conducted by Bob Prince
Recorded July and August 1959 in New York


サックシーズ・インク
クリエーター情報なし
ワーナーミュージック・ジャパン
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ジャズミュージシャンに生涯の最高作は?と聞くと・・・果たしていつ頃の作品が。

2014-01-20 | CONCORD
The Woody Herman Orchestra Live At Concord Jazz Festival

ジャズ巨人たちの多くは亡くなる直前まで精力的に活躍していることが多い。
否、最後まで活躍しているからこそ、巨人になれるかもしれないが。
その巨人達に、生涯の最高傑作は?と聞くといつ頃の作品を上げるのであろうか。常に前向きに進んできた彼らにとっては、若い頃の作品は思い出こそあれ、最高傑作というには粗ばかりが目立つのかもしれない。きっと現役でいる限り常に今が最高だと思っているのであろう。

ウディーハーマンという人も、常に前向きに取り組んできた一人だと思う。70年代に一時フュージョン系に走ったが、80年代はまたストレートアヘッドな、本来のハーマンらしさに戻ってきた。奇しくもこのタイミングがConcordに登場するようになったタイミングに一致する。

コンコルドでは、’79年のモンタレージャズフェスティバルの舞台のライブがある(この録音も日本からのレコメンドがあって作られたとか)が、他はスモールグループやジャムセッション物。レギュラーオーケストラのアルバムは今まで無かった。
このアルバムは、オーケストラでのコンコルド初登場といってもいい。

そして、このアルバムのライナーノーツを見ると、ウディーハーマンの言葉で「このアルバムのBigbandのサウンドがこれまでの46年間の中で最高だ」というコメントが記されており、他には何の記載もない。
ハーマンにとっては、生涯の思い出となったアルバムということなのであろう。



70年代のハーマンは必ずしも優雅な隠居生活をおくっていたという訳ではない。
60年代の税金の未払問題を抱え、その返済のために老体に鞭をうちつつ日々バンドを運営しなければならなかった状態であった。だからこそ本人の意思とは別に新しいジャンルにも取り組まざるを得なかったのか。

そのハーマンが、コンコルドに来て水を得た魚のように再び元気になったのは、昔の仲間に囲まれてプレーできるという安心感、そして無理して新しいものに取り組まなくても良いという強迫感からの解放感によるものだったのかもしれない。

そして、このアルバムになる訳だが、このアルバムの一番の特徴は若手メンバーの作曲による新曲に取り組んでいるということだ。それらの作編曲をしているピアノのJohn Oddoはその後ローズマリークルーニーのアルバムでも活躍している。もちろん、コンコルドジャズフェスティバルの舞台ということもあり、スタンゲッツ、アルコーンという昔のフォーブラザースを支えた同僚の参加による曲もある。が、他はナツメロ曲ではなく今の自分達のバンドのプレゼンテーションはコンコルドで初めての機会であった。確かに、メンバー主体にハーマンらしさの本筋を外れず、懐古趣味に走らず新しい曲にチャレンジしたという点では良いアルバムだと思うのだが。

ウディーハーマンの代表作は? と言われると自分では迷ってしまう。
40年代からの作品が多く残っているが全部は聴いていないし、有名なFour Brothers やEarly Autumnもアルバム単位だと?? ライブ物が多いのでこれらも悪くないのだが。
実はアルバムは多いのだが、エリントンやベイシーなどのように、きちんとアルバム単位で作られたものはあまり多くないのが現実だ。

そのような中で自分が印象に残っているのがフィリップスの”Woody Herman 1964“
コンコルドで活躍するジェイクハナがいるし、テナーのサルニスティコ、トロンボーンのフィルウイルソン、そしてトランペットのビルチェイスやピアノのナットピアスなど役者ぞろいだ。ハレルヤタイムのワクワク感がこのアルバムを初めて聞いた時からのお気に入りだ。



たまたま先日、目黒のジャズ喫茶"Hot mama"に立ち寄った時、マスターからこの当時のハーマンオーケストラのビデオを見せてもらった。改めて、この時代のハーマンが自分にとってのフェイバリッツだという事を再認識した。



さて、ハーマンが毎年磨きをかけ続けたバンドの音はこの時が最高かもしれないが、アルバムの出来はというとバンドの音自体は多少荒っぽくとも自分は1964年のバンドに軍配を上げたい。

1. Things Ain't What They Used to Be      Duke Ellington / Mercer Ellington / Ted Persons 4:25
2. Theme in Search of a Movie         John Oddo 4:48
3. Midnight Run                Bill Holman 5:49
4. You Are So Beautiful            Bruce Fisher / Billy Preston 3:20
5. John Brown's Other Body           John Oddo 3:53
6. Especially for You              John Oddo 4:55
7. North Beach Breakdown            John Oddo 5:38
8. The Dolphin                 Luíz Eça 6:00
9. Lemon Drop                  George Wallington 7:34

Stan Getz (ts)
Al Cohn (ts)

Woody Herman (cl,as)

Paul McGinley (ts,fl)
Bill Ross (as,fl)
Randy Russell (ts,fl)
Michael Brignola(bs.bcl)
Brian O'Flaherty (Flh,tp)
Bill Stapleton (Flh,tp)
Scott Wagstaff (Flh,tp)
George Rabbai (Flh,tp)
Mark Lewis (Flh,tp)   
Larry Shunk (tb)
Gene Smith (tb)
John Fedchock (tb)
John Oddo (p,composer,arr.)
Mike Hall (b)
Dave Ratajczak (ds)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer: Phil Edwards

Recorded live at Concord Jazz Festival, Concord, California on August 15, 1981

Originally released on Concord CJ-191


Live at the Concord Jazz Festival
Woody Hermasn
Concord Records
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他人が先に録音した曲を作曲者自身がスキャットで料理すると・・・・

2013-06-29 | MY FAVORITE ALBUM
A Good Git-Together / Jon Hendricks

先日紹介したペッパーアダムスとジミーネッパーのアルバムに、Minor Catastropheという曲が収められていた。バラードはエリントンの曲が2曲、後は2人のオリジナルが中心であったが、この曲の作者はJon Hendricks。あの、ランバートヘンドリック&ロス(LHR)の一員のJon Hendricksだ。
アダムスのアルバムに何故この曲が選ばれたのかは分からないが、他の曲とも違和感なく収められている。



ヘンドリックスは、歌だけでなく作詞や作曲でも有名で、ヘンドリックスの書き残した詩は数多い。ベニーゴルソンの名曲アイリメンバークリフォードに歌詞をつけたのも彼だが、多くの歌手に歌われている。歌(それもスキャットやコーラスも)だけでなく作詞や作曲の才能にも長けているスーパーマンだ。

ヘンドリックスのレコードデビューは、コーラスグループLHRの一員として世に出た。1955年のFour Brothersがデビュー作だと思う。他にも、ジョージラッセルのNew York N. Y.ではナレーションを努めるなど、単なる一歌手として以上の活躍をデビュー当時からしていた。
そのヘンドリックスが、1959年に一足遅れてリーダーアルバムを出した。いつものコーラスではなく、自身のボーカル(スキャット)を中心に、バックには、曲によってモンゴメリーブラザース、そしてアダレーの兄弟が付き合うという豪華編成だ。
1959年というと、キャノンボールアダレーはマイルトあのKind of Blueを吹き込んだ直後。自分のグループで活動を始めた頃。ウェスモンゴメリーも本格的に表舞台に登場してきた時期。この時期のアルバムには、後の大物達が雨後の筍のように次々と顔を出した時期だが、この組み合わせも今振り返ればすごい組み合わせだ。

そのアルバムの中にも、このMinor Catastropheが収められているが、歌詞はなくスキャットでヘンドリックス自身も登場する。さらに、スキャットの相方としてアルトのポニーポインデクスターも加わるが、この2人は後にヨーロッパでも活躍するがどちらもスキャット上手。いいコンビでこの曲での2人の掛け合いはアダムスとネッパーのアンサンブルやソロと比較しても聴き応えがある。ヘンドリックスの場合はコーラスではなくソロでやっても、単なるボーカルではなく、ボーカリーズのバックとのコラボが素晴らしい。
すでに90歳を超えているが、今年元気に来日したようだ。聴き逃したが是非生でもう一度聴いておきたい一人だ。


1. Everything Started in the House of the Lord       Jon Hendricks 1:03
2. Music in the Air                     Jon Hendricks 3:58
3. Feed Me                         Jon Hendricks 3:50
4. I'll Die Happy                      Jon Hendricks 2:22
5. Pretty Strange                      R.P. Weston 2:53
6. The Shouter                       Jon Hendricks 5:03
7. Minor Catastrophe                    Jon Hendricks 5:21
8. Social Call                       Jon Hendricks 2:22
9. Out of the Past                     Benny Golson 4:55
10. A Good Git-Together                  Jon Hendricks 3:41
11. I'm Gonna Shout (Everything Started in the House of the Lord)  Jon Hendricks 2:26

Jon Hendricks (Vol)
Pony Poindexter (as,vol)
Cannonball Adderley (as)
Nat Adderley (cor)
Gildo Mahones (p)
Buddy Montgomery (vib)
Monk Montgomery (eb)
Wes Montgomery (g)
Bill Perkins (Tambourine)
Ike Isaacs (b)
Walter Tolgen (ds)
Walter Bolden (ds)

Richard Bock Producer

A Good Git Together
Jon Hendricks/td>
Blue Note Records
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DNAがきちんと引き継がれると、本物の魅力が一段と・・・

2013-06-01 | CONCORD
Woody Herman presents Vol.2 / “ Four Others”

最近はとかく遺伝子の話題がニュースを賑わす。一昔前は遺伝子組み換えの農作物の是非が話題の中心になった。もちろんメリット・デメリット両方あるが、昔から環境の変化と共に種の存続のために自然に遺伝子の優勝劣敗が決まってきた流れとは間違いなく異なる。人為的に作られた種により長らく生きながらえてきた種が滅んでしまうのは、必ずどこかでしっぺ返しがくるに違いない。どんなに大掛かりな土木工事をやっても自然の驚異には無力なように。きっとその時は「時すでに遅し」、取り返しのつかない不幸な結末が待っているかもしれない。そのような事を聞くにつけ、「何事も自然体がいい」というのが、歳をとって最近自分の思う所である。

もうひとつ最近のニュースとして、アンジェリーナ・ジョリーの乳がん回避の為の手術が話題になっている。これも遺伝子検査の結果といわれている。ある病院でこの遺伝子検査を受けるのは年間で6人程度だったのが、このニュースの後はすでに20名を越える問い合わせがあったという。
しかし、病気の遺伝子を持っていても必ず病気になるという訳ではない。遺伝子が発現しなければ何も変わらない。要は体に良い遺伝子、例えば長寿遺伝子、反対にガンの遺伝子のように体に悪い遺伝子も発現して始めてその遺伝子の影響が体に現れるということだ。

ではこの発現を抑えたり、促進するにはどうすればよいかというと、日頃の体調管理&体質改善が一番らしい。健康的な生活をおくり、食事に気をつければ、良い遺伝子は発現し、悪い遺伝子は発現せずに病気にならずに心身ともに健康な生活をおくれるということだ。これも結局「自然体でいること」に他ならない。悪い遺伝子の発現は不摂生な生活をしていた罰だと考えれば分かりやすい。

このバロメーターとして遺伝子検査が注目されているが、これは遺伝子治療でも、人為的な遺伝子組み換えでなく、誰もが自らの健康状態を知るための道具に過ぎない。
同じ遺伝子の話でも中身は千差万別。本物を見抜く眼力を持たねばこの世は生きていけない時代になった。世論のマインドコントロールに惑わされないように日々の勉強が大事ということになる。

ビッグバンドの世界でも、そのバンドの起源からのDNAが脈々と引き継がれていると思う。エリントンでもベイシーでも、グレンミラーであってもサドメルであっても・・・・・。
リーダーの個性もあるが、そのサウンドの特徴はリーダーが替わり、アレンジャーが代わってもどこかに必ず見出すことができる。

スイングバンド全盛時代、白人中心でありながらブルースをレパートリーに数多く加えたのがハーマンバンド。バップ時代に入った時、そのバップサウンドをビッグバンドでチャレンジしたのはディジーガレスピーとこのウディーハーマンであった。
それが、ハーマンバンドのDNAとなり、ハーマンのビッグバンドは白人中心のバンドでありながら、バップの泥臭いサウンドにチャレンジし続けた。そして、突然アーリーオータムのようなクールな清涼剤を交えながら。さらにハーマンのビッグバンドを特徴付けるのは、セカンドハードの時の”Four Brothers”に代表されるテナーを全面に出したサックスセクション。他のバンドがアルトリードなのと較べて、いつの時代もこのテナーリードのサックスセクションが注目される。
これらが、ハーマンオーケストラのDNAだろう。実はハーマンのアルトはあまり関係が無い。

ハーマンがこのコンコルドに登場したのは、エリントントリビュートのアルバムへのゲスト参加を除けば、‘79年のモンタレージャズフェスティバルのライブが最初。これは自己のオーケストラなので、いわゆる、「コンコルド組」に加わったのは、ハーマンプレゼンツVol.1と称した、ハーマンが率いるジャムセッション。これは'80年のコンコルドジャズフェスティバルのライブであった。

その続編ともいえるのがこのアルバム。ハーマンPresentsのVol.2となっている。前作と異なり、これは翌年7月のニューヨークでのスタジオ録音。そしてハーマンのDNAを色濃く出したアルバムだ。
4人のテナー奏者が集められた。これは完全にFour brothersの再現だ。それも初代のフリップフィリップスから、セカンドハードのアルコーン、そしてビルパーキンス、そして60年代に活躍したニスティコまで3世代が勢揃い。それだけで嬉しくなる。
アレンジはアルコーン(一曲はニスティコ)が務めているので、必然的にFour brothersのDNAは引き継がれている。ドラムもドンラモンド。唯一デュビビエだけがハーマン門下生ではないようだが。

この面子が揃うと当然“Four brothers"の再演という企画になりがちだが、ここではもう一捻り。タイトルも”Four Others”となっているように、フォーブラザースの再演はない。
その代わりに、トロンボーンサンサンブル用に書かれたこの”Four Others”をテナー用にアレンジし直している。他の曲はやはりブルースが多い。
アルコーンのアレンジはサックスアンサンブルといっても、スーパーサックスのような超絶技巧を求めるようなアレンジではなく、ハーマンのDNAの引き継いだ物。突然変異を狙った新種というのではなく、ハーマン門下生がハーマンのDNAの良さを色々持ち寄って生まれた、「1981年の新種」になっている。やはり、食べ慣れた味は美味しい。

ハーマンほどの活躍をすれば、老後は悠々自適だったかといえば、税金絡みの借財の返済のため晩年まで働き続けねばなかったと聞く。歳をとっても衰えなかったエネルギッシュな活躍の源泉がどこにあるのかも人様々。理由はともあれ、人生歳をとっても元気にしていると仲間や弟子に囲まれて良いことはあるものだ。

1. Not Really the Blues         Johnny Mandel 3:32
2. Woody's Lament              Al Cohn 4:27
3. Tiny's Blues            Tiny Kohn-Al Cohn 5:20
4. I Wanna Go Home              Al Cohn 6:46
5. Loose Aberrations             Sal Nistico 6:03
6. Four Others              James Giuflie 4:52
7. Tenderly         Walter Grass-Jack Lawrence 3:51
8. The Goof and I               Al Cohn 7:38

Woody Herman (as)
Al Cohn (ts)
Sal Nistico (ts)
Bill Perkins (ts)
Flip Philips (ts)
John Bunch (p)
George Duvivier (b)
Don Lamond (ds)

Arranged by Al Cohn(Except for #5 by Sal Nistico)

Produced by Carl Jefferson
Recording Engineer : Phil Edwards
Recorded At Soundmixers, New York ,N.Y. on July 1981

Originally released on Concord CJ-180

Presents Vol 2
Woody Herman
Concord
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JAZZYな歌や演奏は心地よいが・・・・

2011-07-04 | MY FAVORITE ALBUM
ROMI & JOKERS / A GIRL & THE THREE MEN

ジャジーという言い方を聞く。「ジャズっぽい」ということでいいのだろう。けれどジャズではない。
ジャズも世界中に広まって色々な音楽とハイブリットなジャンルを作り出しているので、どこまでがジャズなのかの定義も難しいが。電子楽器(言い方が古いかな?)が広まりフュージョンが世に出た時、硬派のジャズファンは「これはジャズではない」と言っていた。
まあ、個人的には定義を巡る論争はどうでもいい良く、ジャズっぽく楽しめる物は何でも受け入れている。どちらかというと、ジャズの中の好き嫌いのほうが激しい。

日本人のジャズも昔と較べると国際的に活躍している人が多くなり、本場のジャズマン(ウーマン)となんら遜色の無い演奏を繰り広げている。というより、ジャズがグローバルな音楽になったのかもしれないが。ただ、ひとつ越えられないのが言葉の壁。やはりジャズボーカルには英語が似合う。したがって、日本人の歌手も歌唱力に加え英語の言い回しの上手い下手でジャズの歌い手としての雰囲気が決まってくる。では日本語でジャズを歌うとどうなるか?やはり、ジャズであってもジャズっぽい。いわゆるジャジーな歌になってくる。それは、オリジナルがジャズの曲であってもしかりである。最近は世界的にボーカルブーム。英語以外の各国語のJazzy VOCAL花盛りである。

先日のフォーシンガーズはジャズコーラスを極めようとした。今聴いても結構いい感じだった。一方で、日本語で迫ったアルバムを作ったのが、亜樹山ロミをリードとして男性3人を加えたコーラスグループ、ロミ&ジョーカーズだ。これはこれでいい。が、ジャジーなアルバムでジャズではない。例えば2曲目のこのグループ名をタイトルにした曲の原曲はウディーハーマンオーケストラで有名なフォーブラザース。日本語の歌詞をつけると不思議と雰囲気は一変する。ハイファイセットも一時似たようなアプローチをした。英語でジャズを極めるのも良し、さもなくば世界各国の言葉でジャジーな音楽を世界中にはやらせるもの、それはそれでいいではないか。
もっとも今のジャズファンはそんな理屈を捏ね回さないで純粋にいいものを楽しんでいるのだろう。

リードの亜樹山ロミ、最近はソロで活躍しているようだ。



1. スクリーンに降る雨
2. A GIRL & THE TREE MEN (Four Brothers)
3. すべてあなたに (Saving All My Love For You)
4. ピアニストを撃て (Eleanor Rigby)
5. プールサイドバー 
6. 瞳の中の私 (Another Star)
7. 前略ポールサイモン様 (The 59th Street Bridge Song –Feelin’ Groovy)
8. 逃亡者 (Nardis)
9. 800kHzのWe’re All Alone  (We’re All Alone)
10. 愛のセレブレーション (Tonight I Celebrate My Love)

Romi & JOKERS

亜樹山 ロミ(vocal, arrange)
高浜 和英 (p, vocal)
広田 はじめ(bass, vocal & arrange)
和田 啓 (drums, vocal & arrange)

佐藤 雅彦 (p)
砂田 知宏 (keyboard)
佐藤 達也 (ts, ss)
横田 昭男 (g)
岡 淳 (fl)
水野 茂 (per)

プロデュース 中村 慶一
録音 1988年8&9月 東京、信濃町CBS/SONY スタジオ 


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“Saxy”なプレーって、どんな演奏・・・?

2008-04-06 | MY FAVORITE ALBUM
Very Saxy / Eddie”Lockjaw”Davis – Buddy Tate – Coleman Hawkins - Arnett Cobb

このアルバムのタイトル”Very Saxy”。
単に語呂合わせだけでなく実にいい響きだ。
この”Saxy”という言葉から、どのようなサックスの響きが思い浮かぶであろうか。
コルトレーンかロリンズか。パーカーかレスターか。それともショーターか。人によって違うかもしれない。好みも違うので。

自分にとっては、管を思いっきり共鳴させるサックス本来の音で、滑らかなキーワークによる、語りかけるような調べを聴かせてくれるようなイメージだ。
それが、アップテンポでもバラードであっても。
まあよく「歌う」サックスということになる。
先日、フィルウッズの参加した、”Four Altos”はこのイメージにぴったりだ。ウディーハーマンの“Four Brothers”。そして”Supersax”も・・・・。

この“Very Saxy””はFour Altos”と同様、プレスティッジのアルバム。しかし、今度はアルトではなくテナー4本の競演だ。
そして、選ばれた4人のテナー奏者の一人にバディーテイトがいる。
78歳のバディーテイトが頑張っていた91年のアルバムを先日聴いたが、ここにいるテイトはそれより先立つこと30年前。49歳という充実していた時期の演奏だ。

テイト以外の他の3人はホーキンズが年齢的には一番上で55歳。あのハイアンドマイティーホークを吹き込んだすぐ後だ。それにアーネットコブ41歳。そして一番年下のエディーロックジョーデイビスが38歳。
アルトが若手4人組だったのに対してテナーの4人組はベテラン揃いだ。

アルバムの一曲目は、このアルバムタイトルになっている”Very Saxy”から始まる。このセッションにも参加している、エディーロックジョーデイビスとデュビビエの曲だ。
シャリースコットのオルガンがイントロを始めると、すぐに4本のテナーのユニゾンが始まる。そして、コブ、テイトのソロが続き、スコットのオルガンを挟んでホーキンズ、最後に作曲したデイビスへ。
このサウンドこそがまさに“Saxy”だ。

一般大衆に受け入れられながら、ジャズが全米に拡がっていったのは20年代。
30年代になってもまだまだ広いアメリカの国土の移動手段は限られていた。それ故、人の移動もまだ少なく、それぞれの町に独自の文化が育っていった。
今起こったことが瞬時に世界中に映像を含めて伝わってしまう現代とは大違いだ。
ニューオリンズから発祥したジャズも、シカゴやカンサスシティーなどいくつかの町で発展を遂げ、それぞれの場所で独自のスタイルを生んでいった。
その地で演奏をしていたミュージシャンと、都市を渡り歩いてツアーを行っているミュージシャンが随所で出会い、お互いの演奏スタイルに刺激を受け、時にはバトルセッションを繰り広げ、その技が広まっていった。サックスが主役となったブローセッションも、そのバトルのハイライトであった。

今回は、テイトを始めとして「その時代のバトル」を経験したベテラン達が集まっている。当然のように当時を思い出させるようなブローセッションが2曲目以降も続く。シャリースコットのオルガンが否が応でも、ブルージーな雰囲気を助長する。



Art Pepperが西海岸で“+Eleven”を録音していたのと全く同じ時期に、テイト達は東海岸でこんなアルバムを 吹き込んでいた。

全くタイプの違う2つの演奏だが、どちらも実に“Saxy”だ。

1. Very Saxy            Davis, Duvivier 8:18
2. Lester Leaps In         Young 6:15
3. Fourmost             Scott 5:22
4. Foot Pattin'           Duvivier 8:53
5. Light and Lovely         Davis, Duvivier 9:55

Eddie "Lockjaw" Davis (ts)
Arnett Cobb (ts)
Buddy Tate (ts)
Coleman Hawkins (ts)
Shirley Scott (Hammond organ)
George Duvivier (b)
Arthur Edgehill (ds)

Esmond Edwards (Supervisor)
Rudy Van Gelder (Engineer)

Recorded in Hackensack, NJ: April 29, 1959

Very Saxy
Eddie
Prestige

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今までの16年の活動の集大成をこの一枚に・・・

2008-04-05 | Thad Jones & Mel Lewis & VJO
Modern Jazz Classics / Art Pepper + Eleven

同じ人物でもいい顔をしている時と、そうではない時がある。
もちろん人の喜怒哀楽は日々起こっていること。そして、ちょっとした瞬間に実にいい表情をすることがある。写真を撮るときはその一瞬を狙うのであるが、なかなかいい写真というのはとれないものである。

このジャケットのペッパーの写真は実にいい顔をしている。そして、この翌年のアルバム、”GETTIN' TOGETHER”でも。
ペッパーが元気だったのはこの頃までだ。その後は長い療養生活に入ってしまう。
復帰してからの顔つきは少し変わってしまった。
単に年をとったからというだけではなく。

健康で、毎日の生活が充実していれば、自然といい顔をするものなのだろう。
それは、他人から見ても分かるものだ。先日、友人から「最近いつも怒っているような顔をしているよ」と言われた。
自分では気づいていなくとも、自然と心と体の内面が表にでてしまっているのだろう。

さてこのアルバム。ペッパーの元気な頃のアルバムだが、ウェストコーストジャズも全盛期を過ぎ終焉を迎えていた。
そのウェストコーストジャズを築いてきたオールスターが総勢11名、ペッパーの演奏を支えるために集まってきた。いつもよりは大きな編成で、分厚いサウンドを作り出すために。トランペットのソロにはジャックシェルドンが。バリトンには、スーパーサックスのメッドフローリーが。他にもお馴染みの面々が。
そのアレンジはマティーペイジ。役に不足は無い。

そして選ばれた曲は、モダンジャズを語るには欠かせない名曲ばかり。
どれをとってもペッパーにとって、これ以上望めないようなお膳立てだ。
いつものコンボでの演奏と比較すると、大きな編成をバックにするとプレーの起伏がより大きくなるような気がする。バックの舞台を演出したアレンジャーとのコラボレーションの結果であろう。ペッパーもこれに応えるように、いつものアルトに加えてテナーやクラリネットで熱演する。

このアルバムが制作されたのは59年。アートペッパーの初吹き込みは18歳のときにケントンオーケストラで。それから16年。ひとつの時代の区切りになる卒業アルバムのようだ。聴く方も、色々な想いを巡らせる間もなく、あっという間に12曲が終わる。
そしてこのセッションに加わったメンバーも、翌年はそれぞれに新しい人生を歩み始める。
ペッパーは長い療養生活に。ドラムのメルルイスは秋のモンタレージャズフェスティバルに昔お世話になったウディーハーマンオーケストラにゲスト出演した後、長年住み慣れた西海岸を離れてニューヨークに移る。

Opus De Funk
'Round About Midnight
Walkin' Shoes
Airegin

 Pete Candoli, Jack Sheldon (tp)
 Dick Nash (tb)
 Bob Enevoldsen (vtb, ts)
 Vince DeRosa (frh)
 Herb Geller (as)
 Art Pepper (as, ts, cl)
 Bill Perkins (ts)
 Med Flory (bs)
 Russ Freeman (p)
 Joe Mondragon (b)
 Mel Lewis (d)

 Marty Paich (arr, cond)

  Recorded in Los Angeles, CA, March 14, 1959

Groovin' High
Shaw 'Nuff
Anthropology
Donna Lee

 Al Porcino (tp)
 Bud Shank (as)
  replaces Candoli, Geller

  Recorded in Los Angeles, CA, March 28, 1959

Move
Four Brothers
Bernie's Tune
Walkin'

 Charlie Kennedy (as)
 Richie Kamuca (ts)
  replaces Shank, Perkins

  Recorded in Los Angeles, CA, May 12, 1959

 Produced by Lester Koenig

アート・ペッパー・プラス・イレヴン 3(紙ジャケット仕様)
アート・ペッパー・プラス・イレヴン,アート・ペッパー,ピート・キャンドリ,アル・ポシーノ,ジャック・シェルドン,ディック・ナッシュ,ボブ・エネボルドセン,ビンス・デ・ローサ
ビクターエンタテインメント

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サックスのアンサンブルワークが好きであるが・・・・輝くアルトというと。

2008-03-08 | MY FAVORITE ALBUM
Further Difinitions / Benny Carter and His Orchestra

サックスのアンサンブルといえばハーマンオーケストラの”Four brothers”を忘れるわけにはいかないが。実はカーメンマクレーのアルバムで綺麗なアレンジをしたベニーカーターにも忘れる訳にはいかないサックスのアンサンブルを聴けるアルバムがある。

フィルウッズのアルトの輝くようなプレーが自分は好きだが、この「輝き」具合ではこのカーターのアルトも負けてはいない。パーカー派以降のモダンなアルトに対して、スイング時代の最初1920年代から活躍するカーターのアルトはソロであってもアンサンブルであってもいつの時代でも際立ってスイングする。その音色は95歳で亡くなるまでの間の80年間同じようにスタイルも変えることなく光輝いていた。おそらく、ジャズミュージシャンで一番長く現役を続けたプレーヤーと言ってもいいかもしれない。

実は、このカーター最初はトランペットを吹いていた。自分のオーケストラでも時々トランペットを吹いていたが、ヘレンヒュームズのアルバムでも全編トランペットで参加していた。ジャズの世界ではマルチプレーヤーは多いが、サックスとトランペットを同じように操るプレーヤーはそうはいないだろう。
カーターは作編曲家としても一流、ちょうどマクレーのアルバムに参加した70年代の初めは作編曲が忙しくプレーからは遠ざかっていた時期だった。さらに、ピアノを始めとして他の楽器も数多くこなし、自分のオーケストラを持っていた事もある。実は、ベイシーやエリントンに負けない活躍をしていたのだが。あまりにマルチタレント過ぎてある意味器用貧乏であったのかもしれない。

40年代から映画音楽の仕事を多く手がけ、50年代もスタジオの仕事が多かった。このアルバムが作られた60年代の初頭も自分のバンドは持っていなかったもののレコーディングを通じて「輝くアルト」を聴くことは出来る。
その頃の一枚がこのアルバムだ。インパルスレーベルといえばコルトレーンの全盛期を捕らえたレーベル。ポストハードバップの代名詞のようなレーベルだが、実はこのインパルス、スイング派のベテランのアルバムも数多く出している。

このカーターのアルバムもその中の一枚である。
“Further Definitions”と名づけられているが、サックスの仲間を加えて輝くアルトプレーを「もっと鮮明に」とでも解釈すればよいのかもしれない。あるいは、その昔ホーキンズと吹き込んだ作品を思い出し、「もっと輝きを持たせて」ということかもしれない。
このメンバーに実はフィルウッズも加わっているのだ。ちょうどクインシーのオーケストラが実質的に解散した直後、「輝くアルト」の共演が実現しているという訳だ。
今回は、”2ALTOS&2TENORS”の構成だが、さらにサックスで加わっているのが、ベテランのコールマンホーキンズにモンクのグループで有名なチャーリーラウズ。この顔ぶれだけでも興味が沸く。

演奏はというと「モダンスイング」。カーターのアルトそのものだ。
カーターのいつも変わらぬアルトプレーに3本のサックスがソロにアンサンブルに加わる。
好きなサウンドである。
バックのリズムもジョージーンズのドラムを中心に脇を固めているが、ベースはコルトレーングループのジミーギャリソンが参加。ピアノのディックキャツ。それに、キングコールのバックを長年努めたジョンコリンズのギターが実に適役だ。ちょうどフィレディーグリーンのギターのように。
曲はスタンダードあり、カーターのオリジナルありだが、クインシーの名曲の”The Midnight Sun Will Never Set”を採り上げている。作編曲家としての後輩のクインシーに目をかけていたのだろう。
いつも西海岸で活躍していたカーターが、ニューヨークで地元のメンバーと制作したアルバムとしても珍しい。プロデューサーであるボブシールの拘りを感じる。

1. Honeysuckle Rose            Razaf, Waller 3:54
2. The Midnight Sun Will Never Set   Cochran, Jones, Salvador 4:01
3. Crazy Rhythm              Caesar, Kahn, Meyer 3:26
4. Blue Star                  Carter 5:23
5. Cotton Tail                Ellington 4:27
6. Body and Soul              Eyton, Green, Heyman, Sour 4:13
7. Cherry                   Gilbert, Redman 4:56
8. Doozy                   Carter 3:36

Benny Carter (as)
Phil Woods (as)
Coleman Hawkins (ts)
Charles Rouse (ts)
Dick Katz (p)
Jimmy Garrison (b)
John Collins (g)
Jo Jones (ds)

Produced by Bob Thiele
Recorded on November 13,15 , 1961 ,New York

Further Definitions
Benny Carter & His Orchestra
Impulse!

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アルバムタイトルに合わせた、ジャケットのデザインは時々あるが、これも・・・

2007-12-31 | MY FAVORITE ALBUM
BLUE SERGE / SERGE CHALOFF

“Mode”レーベルの特徴は白地に洒落たイラストがデザインされているジャケットだが、他に白地のデザインというとこのアルバムも印象に残っている。
デザインだけでなく、タイトルの”BLUE SHEGE”に掛けたレイアウトのアイディアが実に洒落ている。
デニムが綾織(SERGE)の代表的な素材であることを意識してのことであろう、白のバックに、白の洋服を着た女性が青のデニム(?)のジャケットに寄り添う様は、このタイトルを実に旨く表現しているものだ。このセンスに拍手。

このアルバムの主役であるシャロフも短命であった。30代の半ば、これからという時にこの世を去っている。
この録音を行った時にはすでに病に冒されていたとか。数少ないリーダーアルバムであるが、これが最後のリーダーでの作品である。この翌年、亡くなる直前には”Four Brothers”の再会セッションに故郷のボストンからNew Yorkに駆けつけたらしいが、すでに車椅子での生活だったとか。

この録音では病を感じさせない力強く、かつ軽妙な演奏を聴かせてくれる。
ペッパーアダムスを筆頭とするバリトンのソロプレーヤーは、バリトンの力強さを前面に出した演奏は得意であるが、シャロフのようにバリトンを軽妙に扱うプレーヤーはマリガンしかいないかも。シャロフ亡き後、このマリガンがバリトンサックスの世界では一世を風靡するが、もしシャロフが生きていれば・・・・・。
コスタに続いて、今回も早くしてこの世を去った天才肌のプレーヤーを聴くことになってしまった。

このアルバムは、バックがまた実にいいメンバーだ。
ピアノのソニークラーク、ベースのルロイヴィネガー。そして、ドラムは丁度マイルスのグループに参加した頃のフィリージョージョーンズ。
このピアノトリオをバックにしたワンホーン。シャロフはビッグバンドや大きな編成のアンサンブルワークが多いが、ここでは思う存分バリトンの魅力を聴かせてくれる。
もし、シャロフが生きていたならはイーストコーストを代表するバリトンの第一人者はこのシャロフであったかもしれない。

1. A Handful of Star             Jack Lawrence-Ted Shapiro 5:33
2. The Goof and I              Al Cohn 4:45
3. Thanks for the Memory         Leo Robin-Ralph Rainger 3:46
4. All the Things You Are         Jerome Kern-Oscar Hammerstein 5:24
5. I've Got the World on a String     Harold Arlen-Ted Koehler 6:44
6. Susie's Blues               Serge Chaloff 5:08
7. Stairway to the Stars          Malneck・Signorelli-Parish 4:50

Serge Chaloff (bs)
Sonny Clark (p)
Philly Joe Jones (ds)
LeroyVinnegar (b)

Recorded at Capitol Studios, Los Angeles on Mar 14, 1956
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有名オーケストラの名曲を欧風に料理すると・・・・

2007-11-09 | MY FAVORITE ALBUM
BERLIN BIG BAND Plays The Big Hits of the Big Bands

ネットサービスがどんどん進化している。最近では、単純広告モデルのリンクバナーから、リスティングとかアフェリエイトとかの新しいモデルが大流行りだ。
企業のサイトであろうと、個人のサイトであろうと色々な仕掛けができるようになった。
最近では、それがガジェットというような部品化がされて、複雑なプログラムをすることなく誰でも簡単に利用できるようになってきている。

色々流行だすと、とりあえずは経験してみたくなるのが性分。まずは、自分のサイトで実体験してみることにした。
いとも簡単にできる。
さらに、このようなブログツールだけでなく、本格的なショッピングサイトを作ることも可能だ。これでビジネスをしているアフェリエイターなるものも出現しているらしいが、確かに色々考えれば、人の褌を利用してコマースサイトが何でもできる。
いやはやとんでもない時代になってきたものだ。

たしかに自分がCDを買ったり、古いレコードを探すのはもっぱらサイトが中心。
たまにショップに行ってはみるものの、昔のように隅から隅まで探すようなことはしなくなった。
便利な道具も増えてきて、これでは益々コマースサイトの利用が増えていく予感がする。
あと数年したらどんな世の中になっているのやら。

一方で、音楽だけは相変わらず古いものが中心。新しい物に付いていけていない。
特に、最近聴くのはスイング系やビッグバンド系がまた多くなってきている。Concordの影響か。
今日の一枚もビッグバンド。
有名ビッグバンドの有名曲をとりあげた企画物。60年代に良く流行った企画だ。あのエリントンオーケストラも同じ企画のアルバムを出している

今回演じるのはヨーロッパのオーケストラ。Paul Khun率いるドイツのSFB放送局のジャズオーケストラだ。あまり予備知識はないが、ベルリンビッグバンドを銘打っているのでそれなりの有名バンドなのだろうと想像はつく。
アメリカからヨーロッパに渡ったカーメルジョーンズやレオライトなども参加している。トロンボーンの名手エークパーソンも。そしてピアノには、あのオイゲンキケロが。
このSFBオーケストラは、57年に創立された歴史のあるオーケストラだそうだが、ポールキューンがリーダーになって、益々メンバーも充実させ、74年には西ドイツでNo.2のオーケストラになったそうだ。

最初に針を落とすと、太い重厚なサウンドが飛び込んでくる。何故か、ヨーロッパのオーケストラの響きは厚みのある音がする。録音のせいばかりではなかろう。スイングの仕方のも几帳面だし、アンサンブルも丁寧。ヨーロッパのサウンドにはジャズであってもクラシックから脈々と続くそれなりの歴史を感じる。
馴染みの曲ばかりなので気楽に聴ける。昔のオーケストラの名曲を、このような素晴らしい音で、そして素晴らしい演奏で聴けるのは何故か浮き浮きした気分になり楽しいものだ。
センチメンタルジャーニーに思わず聴き入ってしまった。
このアルバムをどのようなきっかけで買ったのか思い出せないが、多分有名バンドの名曲集で買ったのだろう。
ネットでのショッピングでこのような出会いはどうすればできるのだろう。

気分良く早速アフェリエイトを試してみるが、このアルバムは残念ながらAmazonには見当たらなかった。

1. SKYLINER
2. TAKE THE “A “TRAIN
3. FLYING HOME
4. TRUMPET BLUES A CANTABILE
5. STOMPIN’ AT THE SAVOY
6. JUMPIN’ AT THE WOODSIDE
7. SERENADE IN BLUE
8. MR. ANTHONY’S SOOGIE
9. PERPIDIA
10. INTERMISSION RIFF
11. A SONG OF INDIA
12. FOUR BROTHERS
13. SENTIMENTAL JOURNEY
14. BACK BAY SHUFFLE

Paul Kuhn und die SFB-Big Band

MILO PAVLOVIC, RON SIMMONDS, CARMELL JONES, OSSIE DUDEK, HORST LARISCH (tp)
ÅKE PERSSON, HAMPTON, MANFRED GROSSMANN, ORIEUX (tb)
LEO WRIGHT, SIEGFRIED FROEHLICH (as, cl)
ROLF ROEMER, HEINZ VON HERMANN (ts)
LOTHAR NOACK (bar-s)
EUGEN CICERO (p)
KURT WEIL (vib)
SIEGFRIED STRAUSS (g)
HANS RETTENBACHER (b)
DAI BOWEN (dr)
ADRIAN CICERO (perc)

conducted by PAUL KUHN

Paul Kuhn & The SFB Big Band
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L・H・Rの後継者も“Four Brothers”の再演から・・・・

2007-10-10 | MY FAVORITE ALBUM
Pastiche / The Manhattan Transfer

L・H・Rは、ROSSが抜けてBavanが加入するが、結局ROSSの代わりは務まらなかったのだろう、1964年には解散してしまった。そして、解散後しばらくしてLambertが交通事故で亡くなってしまう。これでこの稀有なグループが再編されることはなかった。
その後、いくつかのコーラスグループが登場しボーカリーズにも挑戦したが、本命の後継者はやはりマントラこと、マンハッタントランスファーだろう。



1975年にメジャーデビューしてから徐々に人気を確実にしていた。彼らの3枚目のアルバムがリリースされたのは初アルバムから3年後の78年の1月のことだ。それが、このアルバム“Pastiche”。Pasticheとは模倣作品, 贋造(がんぞう).という意味もあるが、寄せ集め・ごたまぜという意味もある。ジャケットのデザインもそんな雰囲気がよく出ている。確かにジャズありウェスタン風もあり、ノスタルジックな雰囲気もあればロックありで、色々な曲が集められそして色々なスタイルで歌われている。
マントラのこの何でも受け入れる柔軟性が今まで人気を続けている秘訣だろう。L・H・Rのある種スペシャリスト志向に対して、マントラのゼネラリスト志向。どちらの取り組みも甲乙付けがたい。

このアルバムの一曲目に“Four Brothers”が収められている。あのJon Hendricksが作詞し、LHRの前身のグループで吹き込んだ曲だ。LHRの後継者として、マントラも意識してこの曲を取り上げたのだろうか。20年以上経ってからの再演である。
そして、このアルバムのFour Brothersのバックには、スペシャルオーケストラが編成されている。メジャーレーベルの成せる業だろう。サックスセクションにはこの曲を作曲したジミージュフリーが自ら参加、そしてハーマンのセカンドハードでフォーブラザースを演奏したアルコーンも参加。さらにはリーコニッツの姿も。特に彼らのソロもある訳でもなくサックスセクションがフューチャーされることもないが。バックにいる彼らも過去の思い出に想いを込めて演奏していたのだろう。

当然のようにマントラの演奏はカバー物の常として、L&Hの演奏よりよりリッチなもの、そして洗練されたものになっている。その後のコンサートでも必ずといっていいほど演奏された曲。マントラのメインレパートリーの一曲になっていく。

このアルバムは、ビルボードのPOPSのアルバムチャートの66位に入り、これでマントラも一人前のグループに出世する。そして、不動の地位を築くことになる。
後ろ髪をひかれる思いであの世に逝ってしまったLambertも、多分この演奏を聴いて立派な後継者が生まれてさぞかし一安心したことであろう。
ヘンドリックスは、その後歌詞を後継者であるマントラにも提供し、両者の関係も深まる。
このマントラがジョンヘンドリックスと共演した映像がある。
やはり目指す方向が一致する双方の相性はピッタリだ。

1978年のマントラのFOUR BROTHERSの映像はこちらで。

1. Four Brothers
2. A Gal In Calico
3. Love For Sale
4. Je Voulais (Te Dire Que Je T'Attends)
5. On A Little Street In Singapore
6. In A Mellow Tone
7. Walk In Love
8. Who, What, Where, When, Why
9. It's Not The Spotlight
10. Pieces Of Dreams
11. Where Did Our Love Go

Manhattan Transfer: Tim Hauser, Laurel Masse, Alan Paul, Janis Siegel (vocals).

<Four Brothers Personnel>
Randy Brecker, Marky Markowitz, Alan Rubin Marvin Stamm(tp)
Wayne Andre,Hurbie Green, David Taylor (tb)
Jimmy Giuffre, Lee Konitz, Al Cohn. Lew DelGatto (sax)
Jon Mayer(p)
Ira Newborn(g)
Andy Muson (b)
Art Rodriguez(ds)

Additional personnel includes:
Ira Newborn, Jay Graydon, Ben Benay, Wayne Johnson (guitar)
Buddy Emmons (steel guitar)
Oscar Brashear, Chuck Findley, Gene Goe, Don Rader (trumpet)
Garnett Brown, Vince Fanuele, Jack Redmond, Britt Woodman (trombone)
Jon Mayer (piano, electric piano)
David Foster (piano)
David Wallace (piano, harpsichord, calliope, keyboards)
Mike Boddiker (synthesizers)
Andy Muson (bass)
Art Rodriguez, Steve Gadd, Jim Gordon, Steven Schaeffer, Jeff Porcaro, Peter Johnson (drums)
Michael Omartian, Booker T. Jones, Steve Cropper, Donald "Duck" Dunn,

Additional guest arists: David Foster (piano); Don Grolnick (Fender Rhodes).

Produced by Tim Hauser
Engineers: Larry Emerine, Howard Steele, Phil Kaye.
Principally recorded at Studio 55, Los Angeles, California between December 1976 and September 1977.

Originally released on Atlantic (19163).
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L・H・Rのヴォーカリーズは実はウディーハーマンから・・・・・・・

2007-10-07 | MY FAVORITE ALBUM
Sing A Song of Basie / Lambert, Hendricks & Ross

オーディオ&ビデオ機器の歴史には多くの規格のディファクト争いがある。今、旬なものはBlu-rayとHD-DVDの争いだろう。そろそろ勝負が付いてきたように思うが、我々ユーザーからすれば、早く規格は一つになってもらいたいものだ。

レコードの規格も結果的に統一されたが、細かく見ると節目毎では規格争いがあった。
78回転のSPレコードも最初は回転数にばらつきがあったそうだ。SPに代わるLPレコードの規格は実はRCAビクターが1931年に早々に33回転のLPレコードを発売したのが最初だ。ところが品質が追いつかず商品としては没となってしまった。その開発者がコロンビアに移って、1948年に発売したのがLPレコードの本格的な始まりだ。
広く各メーカーに働きかけてディファクト化を図ったが、別の規格にこだわったのが最初にLPを開発していたRCA。内容は45回転のいわゆるドーナツ盤。結局、録音時間の違いが勝負にならず、LPについてはコロンビアの勝ちとなった。ビクターも2年にはLPを発売して、めでたくLPレコードの規格は統一された。
一方、ビクターが開発した45回転のドーナツ盤はポピュラーのシングル盤には丁度良く、ジュークボックスでの利用を含めて新たなマーケットを獲得した。
結果として、2つの規格が旨く棲み分けして生き残った稀有な例だろう。

モダンジャズの発展期が丁度LPレコードの普及期。SPに較べると格段によい音のジャズアルバムが数多く残されることになる。LP一枚単位でのアルバム企画が作られるようになったのも、LPが作り出したひとつの「文化」だ。ジャケットのデザインを含めてジャズが時代を超えて生き残っているひとつの理由だろう。
プロデューサーの腕はこのアルバムの企画作りだ。いわゆるA&R(Artist and Repertoire)の役割だ。大物といわれるプロデューサーの中でも、クリードテイラーは人材面でも多くの発掘をし、曲の企画特にアレンジ面にこだわりにもってアルバムづくりをしてきた。
Quincyが自己のアルバム”This is how I feel about jazz”を作ったのも、テイラーがABCのプロデューサーであった時。今でも記念すべきアルバムに仕上がっている。

そして、コーラスグループL・H・Rを発掘したのはちょうど一年後の1957年になる。
ベイシーの歴史的な演奏を選んで楽器ごとにまずは切り分け、さらにそれに詩を付けてボーカリーズする。企画ができてもそれを実現するまでにはとんでもない努力と練習が必要であったと思う。
そもそもボーカリーズ自体はEddie Jeffersonが始めたといわれるが、コーラスで楽器のアンサンブルワークを再現した斬新さはこのL・H・Rの努力の賜物。一躍脚光を浴びることになる。

彼らのファーストアルバムが、クリードテイラーがプロデュースしたベイシーのレパートリーを料理したこのアルバム。”Sing A Song of Basie”だ。
伴奏には、ご丁寧にベイシーのリズムセクションが参加。御大の代役としては、後の影武者にもなるナットピアースが努めるという最高のお膳立てだ。
このアルバムは、ABCから発売され、後にインパルスからも再発される。



テイラーにとっても彼の作品の中でも思い入れのある一枚だろう。これも歴史に残る名盤に相応しい内容である。

このアルバムも今ではCDで発売されているが、実はこのCDの中に、L・H・R結成前のJon Hendricks with the Dave Lambert Singersの時代の曲が含まれている。
11.の Four Brothersと12.のCloudburstの2曲は、Deccaに吹き込まれ、78回転のSPと45回転のシングル盤で発売されたものだそうだ。
ベイシーに取り組む前に、彼らは実はハーマンの“Four Brothers”を手がけていたのだ。
LPでのデビュー盤とシングル盤でのデビュー盤がめでたくカップリングされている。規格の統一ということではなく、デビュー作のカップリングという意味で。
CD化の企画の中でこのような企画は嬉しいものだ。

彼らのパフォーマンス付きの歌声は・・・Youtubeで

1. Everyday
2. It's Sand, Man!
3. Two For The Blues
4. One O'Clock Jump
5. Little Pony
6. Down For Double
7. Fiesta In Blue
8. Down For The Count
9. Blues Backstage
10. Avenue C
11. Four Brothers - (bonus track)
12. Cloudburst - (bonus track)
13. Standin' On The Corner (Whistling At The Pretty Girls) - (previously unreleased, bonus track)

Lambert, Hendricks & Ross
Dave Lambert, Jon Hendricks, Annie Ross (vocals)
Nat Pierce (piano)
Freddie Green (guitar)
Eddie Jones (bass)
Sonny Payne (drums).

Producers: Creed Taylor, Milt Gabler.
Reissue producer: Bryan Koniarz.


この録音は、この時代に早くもリズムセクションとバックコーラスとソロパーツを別に録音してオーバーダビングをとっている。技術の進化が成せる業である。
(1~10)
Recoreded at Beltone studio , New York , from September 2 to Nobember 26
この間で、バックの録音とソロ部分のオーバーダビングを含めてなんと20回近くのセッションがもたれている。
一朝一夕で作られたアルバムではないことがこの事実からも窺える。

(11~13)
Recorded in New York, May 12 ,1955
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ハーマンオーケストラの卒業生がまた一人巣立っていった・・・・

2007-09-17 | MY FAVORITE ALBUM
ZOOT SIMS QUARTET

ウディーハーマンオーケストラには、いつの時代にも多くの若手ミュージシャンが去来し,
そしてそこから後に有名になるプレーヤー達が巣立っていった。ハーマンオーケストラは、若手がプロとして本格的なデビューするための登竜門のような様相を呈していたのだ。
セカンドハードでフォーブラザースを演じたスタンゲッツを筆頭にしたテナーの3人組も例外ではない。まさに後の時代のオールスターメンバーが、若き日に一緒に席を並べて在籍していたわけだ。もっとも、その頃当の本人たちは駆け出しの新人ばかり。まかさ将来自分達がその世界の第一人者になるとは誰もが思っていなかったかもしれない。

その中の一人にズートシムスがいた。
ベニーグッドマンに気に入られてグッドマンのバンドに加わったりしたが、ハーマンのバンドに加わったのは47年~49年。ちょうどこの間がセカンドハードの絶頂期でもあった。

代表的なジャズレーベルのひとつにPrestigeがある。数多くの名盤があるが、ハードバップの脂の乗り切った濃いジャズのイメージがある。ところがこのプレスティッジレーベルは、1949年の創立期には白人主体のクールなサウンドのジャズ録音も残している。
ハーマンを辞めたシムスは、再びグッドマンのヨーロッパのツアーにも参加し現地で録音も残した。これもプレスティッジに残されているが、帰国後このプレスティッジレーベルにアメリカで初録音したのがこのアルバム。

2つのセッションが含まれているが、アートブレーキーをバックにした演奏と、ハーマンオーケストラの盟友ドンラモンドをバックにした演奏である。
どちらのセッションでも、シムスのレスターの流れを汲むFour Brothers仕込みの軽快な演奏は若々しさの中にも早くもレスター派の後継者としての貫禄を感じる。

中でも特徴的なのは“ZOOT SWINGS THE BLUES”と”EAST OF THE SUN”の2曲の長尺の演奏。
まだこの時期はSPレコードの全盛期。一曲の録音時間は3分前後が多かった。ジャズは本来自由な演奏。演奏時間にも制約がないものだが物理的な制約はいかんともし難い。
録音用の演奏というものは、きっと普段の演奏の実態とは別の物であったのかもしれない。
LPレコードが世に出たのが1948年。この2曲はこの25センチLPで最初世に出たそうだ。
LPレコードの登場とともに一曲の時間の制約が広がったこと、そして録音のクオリティーが格段に良くなったことと、モダンジャズが興隆を極める時期はちょうど一致する。
やはりジャズの歴史にアナログレコードの歴史は切っても切れない縁がある。
CDもいいがアナログレコードがいつまでも人気があるのは、この歴史を背負っているからなのかもしれない。
このアルバムもけっして大作ではないが、その歴史の一ページであることは間違いない。

<Session1>
My Silent Love
Jane-O
Dancing In The Dark
Memories Of You

 Zoot Sims (ts)
 John Lewis (p)
 Curly Russell (b)
 Don Lamond (d)

  NYC, September 16, 1950

<Session2>
Trotting
It Had To Be You
Swingin' The Blues (aka Zoot Swings The Blues)
Zoot Swings The Blues (alt. take)
East Of The Sun
I Wonder Who

 Zoot Sims (ts)
 Harry Biss (p)
 Clyde Lombardi (b)
 Art Blakey (d)

  NYC, August 14, 1951
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