◆書く/読む/喋る/考える◆

言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

ソウルキッズ …16

2005-09-24 18:30:45 | 創作
 メアリーのキスは〝白雪姫のキス〟になって、奇妙なマトリクスの世界に迷い込んだ夢遊病者を完全に目覚めさせてくれた。この深層マトリクスを精神医療チームはF.M.(フロイディアン・マトリクス)と呼んだ。F.M.が支配する魔界からのシステム移行には現在もなお数多くの謎が残されていると。現代の発達した生物医療医学にとっても、マトリクス変更プロセスには偶然の神に委ねられた部分がとっても多いということだろう。わたしたちが〝白雪姫のキス〟に喩える意識蘇生のキッカケは、だれでも経験できるものじゃないんですよ、とスタッフのひとりがいった。人体組織の再生に成功しても、植物人間になってコッチの世界に戻ってこれない者もいるんだとか。
 しかしその日から、おれは泣いてばかりで一週間を過ごした。ミゲルはほとんど即死だったらしい。ミニガンに左側頭部がえぐられ、黄色に染めた頭髪の一部も削ぎとられていたという。戦闘から三日後、冷凍保存されていた遺骸は中央公園に運びこまれてスペードたちにアップロードされ、両親の元に遺骨が届けられた。彼の墓は日本にある。
 どうしても話が信じられなかったおれは、彼の口座に金の半分を移しかえた。何日待っても、一セントだって引きだされた形跡はなかった。手元には、いつもミゲルが身につけていたものがある。大中小、三つのシルバーリングを組み合わせたインド製のピアスだ。このピアスには不思議な運命を感じる。手から手へと、形見として受けわたされていくんだ。シルバーの鈍い輝きに人のうめき声が聞こえたような気がして、おれはまた泣いた。左耳と一緒に吹き飛ばされた片方は、ついに見つからなかった。
 アリは、バイト感覚で出動してきた二機のヘリをロケット弾三発で撃ち落とした。そのあと襲いかかってきた赤龍人の殺し屋たちとひとりで戦った。救出部隊が到着したときには、体中に十数発の弾丸を受けて血みどろだったらしい。それでも三階まで下りて木箱を開け、手榴弾を運びあげて屋上から投げまくった。と後日、部隊の軍曹から聞いた。ミニガンで左肩を破壊されたおれは出血多量・意識不明で死にかけていた。幸い、傷はなんとか急所を外れていた。フリーウエイから倉庫の上に降りた衛生兵の手で、アリとおれは兵員輸送車に運びこまれ輸血された。ミゲルの遺体だけは、戦闘が終結した後でヘリのドライアイス・ボックスに収容された。赤龍人たちとの戦闘はそれほど熾烈だったのだ。
 ミゲルを置き去りにして、おれたち二人は軍用車両で博士の研究所に運びこまれた。そこで、完成を目前にしていた人体組織再生治療を施された。検体――つまりアリとおれ――の骨髄から採集された幹細胞を体組織に移植し、破壊された部分の急速再生を計るのだ。おれの場合は欠損した左体側部の骨格の代用として、免疫制御されたミゲルの骨を使った。その分、再生治癒が早かった。この体の中には、ミゲルが生きている。
 二ヶ月もの間、再生用培養液を満たしたプールでおれとアリは意識を失って浮かんでいたんだ。歩行機能も回復してきた一週間後、おれとメアリーは花をもって培養プールを見学した。お見舞いだ。アリの破壊された組織や器官は多種多様だったので、いまだに彼はプールの中にいた。「再生治療室/関係者以外は立ち入り禁止」と書かれた分厚いドアの前で花束は没収された。車みたいなハンドルつきドアをくぐると、おれたちは衣服をすべて剥ぎとられて素っ裸にされた。放りこまれた抗菌シャワー室では、消防車の放水のようなシャワーを前後から浴びて、もみくちゃになった。下着なしで白色・無菌ビニール製のズボンと上着を着せられ、ズボンの裾は透明ビニール製のブーツに入れられた。同様の素地で作られた帽子をかぶせられ、長手袋をはめられ、大きなマスクで顔がおおわれた。
「リョウ、これ受けてみよっ! ジェダイのパーンチ!」
 メアリーはおれの右胸をグーで叩いた。
「こら、メアリー。静かにしなさい!」
 博士のバリトンが怒ってるけど、だれがだれなのか。たぶん、壁際にズラッとならんだモニターを見る研究員のひとりがそうだ。スチール椅子に腰かけてるから。デスクワークが多い博士はギックリ腰になって車椅子生活をしていた。培養プールはオリンピックの競泳に使えるほど広かった。その中に透明容器がいくつか整然と浮かんでいた。再生治療中の検体バケットだ。低い天井から細いチューブが何本も垂れ下がり、各バケットに接続されている。プールの中央に全身チョコレート色の人間が浮かんでいた。
「アリだ!」
 おれは少しでもよく見えるプールサイドに駆け寄った。
「走っちゃダメ! 異常振動が記録されてAIが誤作動します!」
 後ろからついてきた所員が注意する。透明の検体バケットの中で、酸素マスクをつけた真っ裸のアリは泳いでいるように見える。たえず手足がフワフワと動いているんだ。プールの培養液が攪拌されてるから?
「微弱な電流を流して、筋肉に運動させてるからですよ。再生中に、ほかの筋肉組織が衰弱しないように」
 とは所員の説明。それでも筋肉質だった黒い体は、ほっそりに変わっていた。体のあっちこっちに小指の頭くらいの穴が開いているのは、被弾した跡だろう。でも穴の周囲はピンク色してる。育ってきた新しい組織のためだろう。
「アリ、がんばって」
 つぶやくと、また涙がでてきた。
「あっ、あれ!」
 メアリーが指さす。その先。
「見るなあっ!」
 おれはプールとメアリーの間に割りこんで、広げた両手をバタバタ振って彼女の視界を一生懸命に妨害した。アリの股間にビールビン大のものがムックリ起ちあがろうとしていた。
 彼の経過は順調らしい。アリが所属していた傭兵部隊の司令官は、回復したら第一線から退かせて、軍事教官の任に当たらせるつもりだといった。また彼をモデルにしてDVDを作る予定らしい。兵士としての能力は天才的だ、あの動きを映像に定着させて新兵教育に役立たせたいと。それもいい。ぼくは戦士として生まれてきたといったアリに、ふさわしい道のはずだ。
 ミゲルの形見を握りしめて、泣いてばかりいた。そんなおれの側にメアリーはずっと寄り添っていた。夜だって、寂しがらないようにとベッドの中に入ってきた。でも手をつなぎキスするくらいで彼女の体には触れなかった。博士のベッドは二人の肉体を隔てておくには十分の広さがあった。そうそう、最初に目覚めたところが博士の自宅だった。人体組織の再生に成功して培養プールから金魚みたいにすくいあげられ、博士の自宅でおれは神経内科の治療を受けていたんだ。《続》


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