◆書く/読む/喋る/考える◆

言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

ソウルキッズ …1

2005-06-14 17:14:59 | 創作
 ここはチュンロン市の南、トンホワン自治区。海に浮かんだおれの街だ。何にでも首をつっこみたがる日本の知人は、ガイドブック用にと、じつにチャーミングな方法を考案してくれた。まず、秋葉原の電気街とシリコンバレーをスクランブルエッグにするんだ。そのうえに築後四十年ばかりのモダンなマンションを具にならべて、感動的に小便くさいドヤ街のタレをぶっかける。知らないヤツラに高値で喰わせてやるのさ。BGMも必要かな、凶暴で最低の曲をね。これでトンホワンという街が骨の髄から最悪な場所だとわかってくれるよ。おまえは甘やかされて育ったんだ、とおれはいった。
 片側二車線のプンナンロードは、あやしげな店と貸しビルが立ちならぶトンホワンのメインストリートだ。けれど路肩は廃品置場そのもの、ハリソン・フォード主演の『ブレードランナー』さえ美しくみえる。排気ガスと埃で黒くなった大型冷蔵庫、カビの培養器と化した電子レンジ、ケーブルとソケットが引きちぎられたアンプとスピーカーの類、鍵盤が欠けたキーボード、残らずツマミがもげたシンセサイザー、片腕がないマネキン、数世紀前に使用ずみの柱時計、夜逃げしたショットバーの真っ赤なテーブルとシート、足が曲がったスチール製デスク、書類棚、クッションがはみでたマットレス、錆びた折りたたみ式ベッド、画面が割れた液晶モニター、テレビ、ダンボールに詰めこまれたFD、CD、〝ニンテンドー〟の文字が浮かぶゲーム機、雨と精液でページが剥がれないエロ本――。およそ正しい日常性をアルゴリズムとする市民や観光客には、路肩は楽しげで醜悪なゴミすて場でしかないはずだ。その手のコレクターたちには、発情ものの一品がうずもれた路上博物館だとしても。
 髪を黄色に染めたミゲルが、改造ワゴン車のヘッドライトをあおり、ハンドルを叩いた。
「まだか!」
「もう少し、スローで流してくれ」
 おれは助手席でヘッドホンを押さえ、微弱マイクロ波の冷たい海面を息をこらして見つめていた。受信専用にチューンしたDOKOMOを、ラップトップ・コンピューターにUSBケーブルでつないでいる。ピンクのDOKOMOは路上博物館で見つけたアイテムだ。山と積まれたアルミ缶の下で、うすいナイロン生地のパンティーにくるまっていたんだ。ワゴンのルーフで回転する三個のパラボナアンテナは、電磁波を拾いつづけるフラッシュライト。世界をハーレクイン・ファンタジーだと思いこんだ可哀そうな若き人民を、スパークするマグネシウムで煙に巻いた元祖ストロボ、理想的な放物線回転体だ。もちろん、球は入ってない。どこで入手したかなんて聞かないぜ、この街のクレイジー・キッズなら。
 ラップトップの暗い液晶画面に、オレンジ色の星が無数にまたたいている。愛をささやき、ヨリをもどそうと罵りあい、ドラッグを求めて迷走し、貸し金の返済を脅迫され、テレホン・セックスに興じあってるスターダストたちだ。液晶の中央から放射状にのびる白い細線は、車からの全方位をしめしている。赤いピラミッド形アイコン、おれたちに興味がある周波数源はまだ現われない。だがこのあたりだって、もうわかっている。あとは待つだけだ。銀色に光るミゲルのHOYA製サングラスを、マクドナルドのネオンサインがゆっくり横ぎった。

 店頭の光に集まる昆虫さながら、白、黒、黄色、褐色の肌をもったうす汚い人民とうつろな目をした電脳オタクたちが、政府軍と解放軍と米軍とテロリストに追いたてられた難民のように群れている。
「八時をまわった。日付がかわるまでに何とかしてくれ」
「まて、見えた。あっちだ!」
 自家製MWI(マイクロウエーブ検出器)、よい子ぶったいい方するなら盗聴器、のベルトを肩にかけて車から飛びおりた。
「いくぞ!」
「車をとめる場所がねえ、クソ!」
 いらだつミゲルのソプラノを背中で聞いて、頭をさげ、ただよう畜群のなかに突進した。モグリ屋台の大鍋がひっくり返る。黒褐色の煮汁とあやしげな肉の塊りが飛びちって道をひらく。観光客が両手にもった紙袋が裂ける。買いあさった海賊版ソフトのCDがばらまかれ、ケースがふまれて気持ちよくバリバリ割れた。オマンコ、オマンコと叫んで歩くホームレスはヒジ鉄をくらって鼻血をだし、ニセ・グッチェを飾ったショーウインドウに突っこんだ。ガラスが極彩色の破片になる。肩からさげたMWIの頑丈なケースに激突された男女は、つぎつぎに身をくねらせてヨガリ声をあげる。
 コノ野郎! 赤い透明プラスチックのサンダルをバタバタいわせて、邪悪な眼つきのスキンヘッドが追いかけてきた。おれは路地に走りこんでヘッドホンをかぶり、ベルトの間から二十二口径をひき抜く。壁に背をもたせて座る性別不明の老人が魂のぬけた目をあげる。ここ三日間のチェイス型ゲームがクライマックスだ。邪魔するならネズミのクソになれ! 
 息をきらしてミゲルが追いついた。「まだ聞こえてる?」
 いつも女に罠を仕かけるボーイソプラノはケタケタ笑った。
「安心しろよ、リョウ。お前の背中にキスしたがったスキンヘッドな、いまごろ地獄で閻魔さまとチョーいい仲だ」
「シッ! ……聞こえる」
 ヘッドホンが鮮明なデジタル音をかなでている。おれはしゃがんで、MWI上部のフタのロックをはずした。すでに起動させていたモバイルが、ラップトップと相似形の顔をだす。赤いピラミッドがくっきり浮かんでいる。それをタップした。ワゴンに積んでいるコーデック・プログラム、デジタル/アナログ変換器が走って、かん高い音声を返してくる。キツツキのようにせわしないラップ・ミュージック、いちど聞いたら忘れられないアドレナリン中毒者の声だ。こいつの母国語は理解できないが、語調にベタついた媚びがある。相手は女か? それとも暗黒街の〝上司〟か? あんがい、どっかの上品な金持ちと神聖なお話しあいをしているところだったりして。おれたちのブツを電子マネーにかえるために。
「ヤツだ、間違いない! すごく感度がいい! シンジュクでひろったAV志望の女みたいにね。たぶん、この先だな」
 ペンキがはがれた十五階建てのマンションをミゲルは指さした。
「この先? あそこに見える貧乏人の巣窟か?」
「そうらしい……。クソ、切れた!」
 携帯電話の基地局から追ってきた周波数がカタツムリのように沈黙した。赤いアイコンは完全に消えた。ヤツは通話を終わらせたあと、携帯の電源までオフにしたんだ。
 ミゲルは左手首を裏がえして腕時計の蛍光を読んだ。
「もういい。これで十分だ」
 黄色いヘアから突きだした耳に大中小のシルバーリングを三個つないだ重たそうなピアスがゆれている。このインド製の長いピアスは、かつてミゲルのターゲットだった中国女から可愛い耳と一緒にプレゼントされたものだとか。遺言だったんでね、と彼はいった。そのときぼくは童貞をうしなったんだよ。喪失の記念品さ。 

 十車線のフリーウエイを使えば、湾岸ぞいの新興都市、ニュー・シティーまでは三十分だ。その足でおれたちは改造ワゴンを飛ばした。年代物の車がトマホークになる。湾岸の倉庫に向かうトレーラーや大型トラックを、ミゲルは右に左にぬっていく。おれはポリス無線の傍受に没頭した。先で非常線がはられていれば蚊柱がたったみたいに喚くはずだ。その日、無線波は凪いでいた。
 突然、ミゲルがきいた。
「メアリー、元気?」
「元気なんじゃない?」
 この二週間ばかり、彼女とは会っていない。
「ヤクから足をあらったかな?」
「さあ、そこまでは知らない。自分でたしかめたら?」
「どうでもいいよ、もう。……なんだこいつら! 死にてえのか!?」
 ミゲルが毒づいた。アメ車のオープンカーが急接近してきたんだ。その車の運転席をおれは指さした。あれだよ。ハンドルをにぎる男は同じ世代くらいに見えた。膝の上に、女が顔をふせていた。
 ミゲルはいらつく。
「フンッ、親の金でカーセックスか!」
「誰からもらえば、気がすむ?」
 運転に集中するふりをして、彼は口をつぐんだ。おれは責めたつもりじゃない。
 メアリーはミゲルの女だった。チュンロン市の北、コーシンスイという町の大学で西洋文学を専攻していた。膝までないネッカチーフみたいなスカートが好きなブロンドの娘だった。はじめ着ていた清潔そうな白いブラウスは、やがてミゲルのシャツにかわった。乳首の形がまる見えだった。彼の趣味にブラジャーは似あわなかったんだ。T‐シャツにしろハワイヤンシャツにしろ、彼のセンスはダサかったが、それでも男物を着た彼女はとてもキュートだった。

 おれとミゲルは、うえをフリーウエイが通る倉庫に住んでいた。ひと山あてるつもりだった。海外から持ちこまれたゲーム・ソフトをコピーして売るんだ。フロッピーやCDRをそのままコピーするのは、パソコンを買ってもらったばかりの中学生にもできる。おれたちはゲームに使われている言葉を翻訳した。もっと、はっきりいわなくちゃ。字幕の部分をだな、英語から現地語、日本語から現地語へと書き換えたんだよ。
 翻訳そのものはむずかしくない。英語はおれたちの共用語だったし、日本語の翻訳はミゲルが担当した。ミゲルとは、〝シゲル・ヤマシタ〟という日本人がネットで使うニックネームなんだ。しかしそのためには、ゲーム・ソフトのソースに侵入する必要があった。0と1だけのマシン語の海にもぐりこみ、階層化されたファイルを分割しようと試み、仮設を立てては打ちこわされ、失望し、はてはゲーム会社のUNIXに侵入してプログラミング言語のヒントをさぐった。おれたちなりに語るも涙の努力をしたんだ。その結果が、ネット世界のコソ泥にすぎなかったとしても。
 いちど、ミゲルと日本へ遊びにいったことがある。シンジュクの近くに彼の両親は住んでいた。メジロと呼ばれるダウンタウンだ。おれの訪問は、あまり歓迎されなかった。だけどミゲルの母親がつくってくれたミソ汁はうまかったし、サシミやスシには感動した。日本のなま魚は何であんなにデリケートな味がするのかな? 店先でみかけた花も、ゴーギャンの花とはまるで違っていた。 
「こんな平和なところなら移民してもいいか」
 といったおれの顔を、ミゲルはじっと覗きこんだ。
「平和……? リョウという名前は日本人みたいだよ。ここ、おまえの国じゃない?」
「戸籍なんて知らないね。プンナンロードのエロ本の間から生まれたんで」
 おれはそういったが、ミゲルは笑ってくれなかった。
 メアリーはおれたちの仕事を面白がった。そのうち英語の翻訳を担当するようになって、倉庫で一緒に夜を明かす日も多くなった。闇にまぎれて、どんどん新しいFDやCDRが持ちこまれてきたんだ。そっち世界じゃ、ちょっと有名になってきた。黒塗りのフォードが五台も倉庫を取りまいたときは、三人ともまじでビビったよ。おれたちの仕事は、もちろん違法だ。でもそいつらは警官じゃなくて、裏社会に住んでる紳士たちだった。
「ブラックスーツ着て、小学生みたいに見学とはね」
 おれたち三人、遠ざかる車を倉庫の窓から眺めて笑った。その日からポリス無線の傍受をはじめた。近くのフリーウエイで非常線がはられたときは、専用波がきまって忙しく飛びかっていた。
 腹がへると、三人で近くのマクドナルドに行った。ハンバーガーをぱくつきながら、メアリーのおしゃべりを聞くのは好きだったな。冒険好きな大飯喰らいのバイキング、海から顔をだして船を沈めた怪物、ローマから来た精力絶倫の将軍と悲運のクレオパトラ。彼女のどこかにぎっしり本のつまった図書館が建っていたんだ。無学以外には、みすぼらしさと飢えしか持っていなかったミゲルとおれにとって、メアリーはスカートから突きでた健康そうな足をもつギリシャの女神だった。ジャンクフードの支払いは、いつも彼女だったしね。
 ある日の夕方、ミゲルはひとりで帰ってきた。
「メアリーは金づるだ、セックスつきのね。あいつの親はイギリスの商社マンで、シティーにすごい邸宅があるよ」
「へえ、やっぱりね。金まわりがよさそうな娘だと思ってたけど」
 彼女はミゲルを両親に会わせたのだ。メアリー、きみはクレオパトラやギリシャ神話のあいだで息している。ポリス無線が飛びかい、海賊版ソフトが売り買いされ、脇にベレッタを隠しもった紳士たちがうろつく海に漂うおれたちとは世界がズレているんじゃないかな? それからしばらくして、彼女のポシェットに入っていたヤクと妊娠が親にバレた。メアリーは大学を辞めて、シティーに帰った。

 彼女から携帯がかかってきたのは一ヵ月後のことだ。おれはプンナンロード近くのコーヒー・ショップで、かわり果てたメアリーに会った。
 ほそいタバコに彼女は火をつけた。
「ミゲルはどうしてるの?」
「あいかわらずだな」
 タバコをくわえる黒い唇を見ていた。アイシャドーも黒で、目のふちにラメが何個か光っている。メアリーは足を組んでゆすった。その足は紫色のパンストにつつまれていた。
「もう、新しい彼女つくっちゃったかもね」
「そこまでは知らない」
 ひとりで帰ってきた夜、ミゲルはマクドナルドのウエートレスと寝た。ハンサムなミゲル、女なしでは夜をすごせないミゲル。おまえは孤独を背負いきれていないんじゃないか。
「サイテーだったわ、あの男。わたしの親にお金を借りにきたの」
「いつごろ?」
「大学を辞める一週間くらいまえかな?」
「はあ? おれたちの口座、ふくらみ始めていたのに」
「そのはずよね? でね、問いつめたの。親のまえだったのは間が悪かったけど」
 メアリーはタバコの灰をイライラと灰皿に落とした。……で?
「あたらしい事業を始めるって」
「事業を?」
 タバコをもらって吸ってみた。とても軽いタバコだった。
「でね、外に連れだして。いったのよ、妊娠してるって。あなたの子よって。おろせだって、速攻よ!」
「大変だったね」
 おざなりな相槌だってわかってる。でも、ほかに何がいえた? 
「事業なんて嘘よね? わたし、知ってたもの。あいつが他の女ともつきあって貢いでいたこと。クサを買ったり、へんなバクチに手をだしたり」
「バカラ、かな?」
「そう、それよ。あのころ、リョウを好きになっていったの。なのにもう後もどりできなかった。わたしバカな子だった!」
 メアリーは泣きだして、アイシャドーが溶けて。ハンカチでふいたあとに昔ながらの目じりが出てきた。
「おれもメアリーは好きな子だった。……いまでも、かな?」
 おれは思ったよ。そうとうイカレてるぜ、おまえだって。
 その日から、おれとメアリーのセックスレスな交際が細々とはじまったんだ。ミゲルに相談したんだが、彼はあたらしい彼女に夢中でね。ここ二週間ほどメアリーには会っていない。 《続》

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3 コメント

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質問したいのです。 (ひろ(っ)ぽん)
2005-06-17 21:04:53
これは小説ではないのですか?

小説ではないのなら、小説みたいな【何】なのですか?

これは決してイジワルな質問ではなく、素朴な疑問です。

時間をかけ身を削ってこうして書かれた長い文章が、書いた本人から侮辱されているような、責任はとりませんからと云われてしまっているような、せっかくの真剣味を故意に最初っから奪ってしまっているかのような、タイトルの真上の【小説みたいな?】という文字を見るにつけ、私はどうしても心を据えて読むことができないでいるのです。
返信する
ひろ(っ)ぽんさんへ (わど)
2005-06-18 09:11:13
うん
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すこし遅れたレスになります (わど)
2005-08-13 09:30:06
ひろ(っ)ぽんさんへ> あなたのご指摘までは、おれじしん小説とは何かがもうひとつわかっていなかったからですよ。もちろん、いまは違います。おれなりの小説観があるってことです。

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