◆書く/読む/喋る/考える◆

言葉の仕組みを暴きだす。ふるい言葉を葬り去り、あたらしい言葉を発見し、構成する。生涯の願いだ。

ソウルキッズ …2

2005-06-16 19:06:44 | 創作
 まっ黒な海面に、十個あまりの巨大な円形諸島が浮かんでいる。都市ゴミを処理する最新のエコロジカル・テクノロジーが浮かべた島だ。国土をひろげ、みずから租借権のスカートをたくしあげた政府は、見かえりの莫大な借款にうるおっていた。グラスファイバー製のポストモダンな超高層ビルが覇権をきそい、信じられないほど大量の電力が集中消費され、めったに晴れない夜空はいつでも削りたての鉛色にギラギラ輝いている。沖では大型タンカーや軍用艦が影をかさね、フットボール形状の輸送ヘリとジェットが轟音をまき散らし空を飛びまわる。建造中のスペースシャトル発射台が遠くに見え、テスト中のレーザー砲台には無数のレンズがにじ色に光っている。
 おれたちはニューシティーを見おろすサービスエリアで一息入れていた。ダイエット・コークの炭酸にむせたあと、ミゲルはため息をこぼした。
「ここが吸いあげる金額って、どのくらいかなあ?」
「知りたいなんて思わないね」
 ぬるいコークにおれはイラつき、ミゲルはバルザックになった。
「あの光に、亡霊どもがステップ・ターンしてるんだ。……金ってなに?」
「腹がへったらハンバーガーと交換できる紙きれ。だったはず」
「牧歌的だったよな、おれたち!」
 といって、彼はアルミ缶をにぎりつぶした。茶色の半袖T‐シャツからのぞく腕に筋肉がしなった。
 洋上の飛び石、新興産業都市ニューシティー、世界的コングロマリットが競演するディズニーランド。彼らは島のひとつひとつを占有し、傭兵とパトリオットで補完した万全のセキュリティー・システムを構築し、六芒星とユニオンジャックと星条旗を島にひるがえしている。ただ、旗にオリジナルのなごりは跡形もなく、象徴するのはグループのトータル・イメージ、別名、溶融した原子核パワーを使って、あるいは使いきれずに、地球のコアをも貫こうとする野望だ。典型的な超現実空間は国籍を無化するまでに進化している。おれたちのアイデンティティーは風に吹きよせられた紙くずより軽いかもしれない。
 ミゲルはブリッジにもうけられた検問所を不安げに指さした。何台ものトレーラーがならび、IDチェックの順番を待っている。
「あの島にわたる?」
「島じゃない。この先でフリー・ウエイの枝にはいるんだ」
「なるほど、旧ニューシティーってわけか。そろそろ行こうぜ。ヤツが逃げる!」
 おれたちはフリー・ウエイの枝をとおって、円形諸島の対岸、もともとの湾岸一帯に広がった歓楽街におりた。ここもニュー・シティーの一部、というより外縁として発達した街だ。タンカーの船員やパイロット、非番の傭兵や社員の家族たちを目あてにした銀行、ショッピングモール、バーや高級料理店、金髪や赤毛や黒髪の女たちが集まっている。服飾デザイナーなら鼻を流して喜びそうな各国の軍服がいり乱れ、罵声をふくんだ言語が何ダースもからまりあう。猿や犬、ヘビ、カエル、ネズミを食わせる料理店がにぎわい、旅先の切なさをかきたてようと手練手管の知恵をしぼった各国のPOPSが流れている。この街を訪れた者は、むしろグローバル・スタンダードの座標軸に多少の歪みをおぼえるはずだ。
 ミゲルが街中央の通信塔に浮かぶスパイダーマンの巨大ホログラムを見あげた。両手でつかんだスシを、スパイダーマンは飽きもせず口に放りこんでいる。ピンクの日本語がその下をブリンクしながらまわっている。
 〝今日も美味なるスシ!〟
〝スシはやっぱりスシづくしチェーンです!〟
 ホログラムのスパイダーマンは手と口を動かしつづける。翻訳された何カ国かの文字が、色をかえてその下をブリンクしながらグルグルまわっている。HOYAのサングラスをミゲルはT‐シャツのポケットに入れた。
「チョウってやつの住所、かわってたりしないよね?」
「あたらしいマンションを買ったりしてなけりゃ」

 故買屋のチョウは元人民軍の兵士で、日本兵との激戦を経験した特殊遊撃隊の生きのこりらしい。家にはマオからじきじきに贈られた人民勲章を捨てないで飾っているという話だ。でもいまでは完全な老いぼれロッキーだし、これは三ヶ月間の留置所生活のなかでコソ泥たちが立てていた噂にすぎない。しょっちゅうチョウに差しいれられた食いものや酒やタバコやAVビデオや小づかいのおこぼれで、囚人と看守たちはうるおい、電話局へのハッキングで拘留されていたおれもうるおい、神話の主人公は横領罪が不起訴になるまでの数ヶ月をベッド、ソファ、テレビ電話つき個室でゆかいにすごしていた。自己責任といって、この国では金持ちならどこにいても大切にしてもらえるんだ。
 破れたスニーカーと上下の服を支給され、留置所からほうりだされたおれはスペードを訪ねた。IBMのラップトップも財布も証拠品として没収され、拘留中は家賃未ばらいだったアパートの部屋には知らない娘が住んでいた。ほかに行くところがなかった。
 取っ手が欠けたマグに、スペードはミルクをそそいだ。
「ほほう、あのチョウがね。これ飲め」
「知ってる?」
 ミルクは生ぬるかったが、味は新鮮だった。
「むかし、この国に一緒にわたってきた仲だ。ここにつくと湾岸の街に倉庫をかりて、あいつはすぐ故買商をはじめた。まあ、チンケな金貸しだな。盗品の売買もやった。はじめはおれも手伝ったんだが、すこし金がたまると武器まで扱うようになってね。そんなもの、もううんざりだったから、あいつとは別れた」
「武器を!」
「いまじゃミサイルだって売る。ドラッグか武器か。おれらが世界をまたにかけて金持ちになる方法は、その二つしかないんだよ。まじめに働いたって、ここじゃ家さえ買えない。バクチや株も、金持ち連中にうまい汁を吸いつくされる仕かけでね。そこでこの気楽な暮らしを選んだってわけだ」
 すっかり前歯がぬけた口をあけて、スペードは笑った。
 彼はおれを拾ってくれたホームレスだ。プンナンロードに捨てられていたという。おしめのかわりにワンピースできっちりパッキングされ、ダンボールのなかで泣いていたんだそうだ。双子だったら『コインロッカー・ベイビーズ』を地でいく話だな。おまえにもわかるはずだが、と彼はいった。拾われて五年目のガキだったころだ。特別な光景でもなかったけどね、子猫なら飼ってやろうかとね。でも人間のこどもだったから放っていこうとしたんだよ。あとあと面倒はゴメンだからな。おまえは目をあけて、おれを見たんだ。戦場とおなじだ。仕方がなかった。あいての目を覗いてしまったら銃は撃てない。拾われたお前が幸せかどうかなんて訊くなよ。なにかの悪い冗談だからな。
 スペードはキングになれない。そう話していたこともある。おおぜいのキングたちを見てきた、キングはきらいだと。しかし、彼はホームレスのキングだった。「キョーソサマ」、ホームレスたちは彼をそう呼んだ。その言葉の意味にきがついたとき、おれは笑っちゃったね。十五才のときだ。バカな話だと彼自身も笑った。おれほど宗教から遠い人間はいないんだ。彼らはおれを見ているんじゃない。「カミ」でもない。自分たちに織りこまれた不安や絶望や、ブラックホールのような毎日の根拠のなさを見ているだけだ。しかし、そこに気がつけば発狂するとでも思っているんだな。彼の話はなにも理解できなかった。
 白い眉毛の下で、ブルーの目がほほ笑んだ。
「もう一杯いくか、ミルク」
「いらない。もっとチョウのことが聞きたい」
 彼はチョウのことをくわしく話してくれた。住所も、セキュリティー・システムも、かくし倉庫のことも。必要があれば訪ねてみろ、ただし裏口からな。とスペードはいった。

 おれはカーナビのスイッチを押して、最短コースを検索した。
 ピコッ――設定、完了デス。
「プログラム女のおしゃべり、しばらく我慢してよミゲル」

 ベッドからたたき起こされ、寝室と廊下つづきの店内に引きずりだされたチョウは、ミゲルがつけた照明に目をしばたたかせた。こいつの灰色の目はいつだって追いつめられたキツネのように動く。ミゲルはもの珍しそうに、陳列された故買品のあいだを歩きまわった。ゴッホ『雲雀のいる麦畑』のレプリカ、ぴかぴかに磨かれたBMW製バイクのマフラー、旧ソ連軍のヘルメット、米軍が使用中のGPS。ギロチン台のうえには、細くくびれたコルセットが置かれている。世界中の切手が透明ガラスのケースにならべられ、その横には価値がわからない陶器の水差しや皿がつみあげられている。そのなかからミゲルはうす青い水差しを取りあげかかげ、描かれている幾何学模様と女の全裸像に見いった。
「そいつにさわるな! アステカの出土品だぞ!」
「それじゃ、よっぽど高価なんだ」
 ミゲルは水差しをバスケットボールの要領でポンとはじいた。天井からつるされたインディオの織物で放物線がとぎれ、落下物はずるずると軌道を下に修正し、アンティークな蓄音機から突きでたラッパ型スピーカーの上に着地してバラバラになった。
「くそったれ!」
 スチール椅子をつかんで振りあげたチョウの前におれは立ちはだかり、灰色の瞳孔を覗きこんだ。 
「そろえてほしいものがある」
「金か? レジのでよければくれてやる。ありったけ持っていけ!」
 チョウは振りあげた椅子をおろして、レジのほうに行こうとした。その肩に手をかけ振りむかせた。灰色ギツネの目に恐怖が浮かび、ナイトガウンの下で肩甲骨がふるえた。
「金じゃない、武器だ。代金は払う」
「フン、相手をまちがえたな。こっちは細々と年金生活する故買商にすぎん」
「トンホワン留置所じゃ、人気ものだったしね。元人民軍のファイターさん」
 チョウはおれの顔をみつめ、ニヤッと笑い、すぐにその表情を消した。
「チクショー、あんときのチンケな電脳オタクか! どうやって入った? IDがなけりゃ入ってこれないはずだ!」
「やっと思いだしたか」
 とおれはいい、乱れたナイトガウンの襟をていねいに直してやった。
「IDが必要な故買屋ね。あいかわらず、明るい社会のゴミたちと仲よくやっているってわけだ。残念なニュースがひとつある。ふとった武装ガードマンなら、監視モニタの前で息を忘れてるぜ」
「なにをした! あいつには家族があるんだぞ!」
 喉をしめようとした老人の両手をかるく払った。
「他人の心配をしてる場合か?」
 ミゲルがチョウにとびかかった。
「同窓会は終わりだ! 夜があけちゃう!」
 電気仕かけの右腕がねじあげられ、義手の指先がギーギーと音をたてた。おれはベルトのうしろから二十二口径を抜いて、チョウの眉間に突きつけた。
「なにがほしいんだ、若ゾウ!」
「ごく紳士的な小物でね。武器のかくし倉庫はどこだ!」
 ミゲルは腕をしめあげる。
「はやく吐け。こっちは気が短いんだ!」
「イテテッ、倉庫なんてない! 武器なら、一ヵ月待て! そろえてやる!」
 おれはレジ・カウンターにうずくまり、あやしいスイッチを探す。何もない。カウンターに拳銃をおいて、古いアナログ・モニタくらいのレジを持ちあげた。その下に、コイン大のボタンがハート型にきらめいた。バレンタインデーのチョコレートみたいに、金色のハート型にキラキラと。
 非常ベルが鳴りだすだけかな? こぶしを固めてそれを叩いた。
 バチッ。電磁弁のはずれる音がした。店の奥、壁につくりつけた書架のほうだ。
「本棚か!」
 ミゲルの目だって金色のハート型だ。
「はやくすれば、ガードマンも息ができるんだぜ!」
 書架を押すと、一部が後退した。本をならべた分厚いドア、洞窟の入り口。スイッチをさがして明かりをつけた。階段の下に部屋がある。機械油の臭いが立ちのぼってくる。洞窟のなかにチョウを押しこんだ。 

 10時34分PM。プンナンロードは、まだバカみたいなにぎわいだ。好都合、どんな車両でも到着が遅れる。
「ものすごく時間をくった。ワゴンが重たくて走らなかった。底が抜けるまでアクセルふんだのに!」
 黒いバックパックを肩にかけて、ミゲルがこぼす。おれも牛皮の重たいバッグを持った。
「よかったんだって。速度オーバーで検挙されてちゃ、やっかいだった」
「そのときは、そのとき」
 車を降りて、おれたちはチョンダー・マンションに向かった。ヤツが潜伏しているはずの場所だ。部屋まで特定できなかったのは悔しいけど、料理の鉄人だって餃子はパンクさせるものだ。
 人ごみをかきわけ、ミゲルが暗い目でおれをにらんだ。
「ぼくの口座、カラにしたよね?」
「知ってたのかい」
「帰りのサービスエリアで、小便しながら携帯で調べたんだ。残金ゼロだった!」
「とっさにね、急いでたしね」
 ミゲルの口座にアクセスして、金をそっくりチョウの口座に移しかえたのだ。購入品の支払いとして。おたがいのチョロまかし防止のために、おれたちは銀行コードを公開しあっていた。
「心配するなよ。手があいたら、おれのを半分移しかえるからさ」
「それじゃ、ぼくは得するんだね」
 浪費家がほほ笑んだ。
「そっちの仕事が多くなる。予定ではな」
 予定では……。重たかったのは、車とバッグだけじゃない。
 チョンダー・マンションの向かい側に立って、おれたちは観察した。はげたペンキを何回も塗りなおしたためか、建物の壁はまるで狂人画家が描きなぐったキャンバスだ。ススけたガラス窓から明かりがもれている。子どもづれもいるんだろうが、トンホアンじゃまだ寝るには早い。ここはマンションといっても、いくつも安宿が集まったような集合住宅だ。何個かの部屋をオナーが所有して、チープなホテルの一室として貸しだしている。
「ぼくも昔、この貧民窟にいたんだよ」
 とミゲルがいった。二畳くらいの広さだったかな、ベッドが一個といつも雨ふりのテレビがあってね。備品はそれだけさ。仕事が見つかるまで一ヶ月もゴキブリと暮らしていたんだぜ。出入り口は四個だけ、たしかだよ。エレベーターも四個だけ。うえの階に泊まったら悲劇だ。なかなかエレベーターがあがってこないので煙突みたいな階段を使うはめになる。
 饒舌になった彼はバックパックからガンメタルのベレッタを取りだした。銃口にサイレンサーをネジこみ、ベルトのうしろに固定する。
「リョウ、そろそろ始めようか」
「オッケィ!」 《続》


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2 コメント

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いよいよ ()
2005-06-18 07:52:51
エンジン開始ですね。
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鴎さんへ (わど)
2005-06-18 09:32:19
そろそろ、次の星に着くころ。
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