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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

木下孝則

2010-06-22 | 日本人作家

 

        

  木下 孝則  (きのした・たかのり )

(1894-1973)(明治27-昭和48年)

 

明治27年(1894)2月24日、東京に生まれる。
大正7-8年(1918-19)24歳-25歳  京都帝国大学法科、東京帝国大学哲学科をそれぞれ中退。
大正10年(1921)27歳  第8回二科展に「富永君の肖像」が初入選、洋画研究のため渡仏。
大正12年(1923)29歳  フランスより帰国。
大正13年(1924)30歳 二科会展で樗牛賞を受賞。
大正14年(1925)30歳  二科賞を受賞。
昭和元年(1926)32歳  「一九三〇年協会」を 前田寛治佐伯祐三 、里見勝蔵 、小島善太郎 らと設立。
昭和2年(1927)33歳  春陽会会員に推挙される。
昭和3年(1928)34歳  渡仏、以後帰国する昭和10年までサロン・ドートンヌに出品。 昭和5年(1930)36歳 春陽会を退会する。

昭和10年(1935)41歳 帰国。

昭和11年(1936)42歳 二科会会員に推挙され、第23回二科展に「裸婦ナックレ」など滞欧作19点が特陳されるが、同年小山敬三らと二科会を退会し「一水会」創立に参加。以後一水会展に出品、戦後は日展評議員もつとめる。一貫して都会の洗練された婦人像を描き、穏健な写実家として知られ、とくに戦後の一連のバレリーナの作品で注目された。作品に「N嬢像」「後向きの裸婦」「バレーダンサー」などがある。

昭和48年(1973)3月29日、横浜市で没(享年79)。
(参考:河北倫明監修.近代日本美術事典.東京、講談、1989、P124.)
http://www.jiu.ac.jp/yma/2008/kinoshita/profile.html

 

 


■作者名 木下孝則
■作品名 バラ
■作品サイズ  40.9x31.8cm 
■ 油絵 6号

 

 

 

 木下 孝則(1894-1973)

「1930年協会」結成メンバーでリーダー的存在、、第一回展開催(1926) (1930年「独立美術協会」へと発展し今日に到る)

後向きの裸女習作(1925)    木下 孝則

 


 後向きの裸女習作(1925)  

 

 

 

裸婦【木下孝則】

 

 

 

 

 

 

 

 

日本の裸婦

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