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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

小島善太郎

2010-06-12 | 日本人作家

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小島善太郎   ( こじま ぜんたろう )

1892年(明治25)11月16日生まれ ~ 1984年(昭和59) 8月14日没 享年91歳

大正・昭和期の洋画家

 

 

東京都新宿区淀橋(現在の新宿副都心街)にて、小島鎌太郎(父)・みの(母)の六男として生まれる。農業から転じた父親の商売が失敗し、生活苦から小学校を中退し丁稚奉公、御用聞きなどをして一家を支える。青年時代は兄が行方不明、妹の すぎ が殺害され(1910年)、翌年両親が相次いで没し(1911年)、極貧の中、不遇の時期を過ごす。
偶然の出会いから陸軍大将の中村覚(なかむら さとる)の書生となり、本格的に画家を志した。大久保の中村邸から、太平洋画会研究所に通いデッサンの勉強をした。 勉強仲間に中村彝がいる。その後、日本美術院、葵橋洋画研究所でも学び、安井曾太郎に師事する。

1918年(大正 7年)二科展に入選。1921年野村證券社長の野村徳七の支援によりフランスに留学して、ゲランに学び、16世紀ヴェネツィア派の古典絵画に惹かれる。 1923年サロン-ドートンヌに入選。1925年に帰国。1930年(昭和 5年)里見勝蔵、前田寛治佐伯祐三木下孝則 らと 1930年協会を結成したが、里見の離脱、前田、佐伯の死により発展的解消となり、新しく独立美術協会を設立し、1931年より「独立展」を開催(現在も続く)して画壇に新風を巻き起こした。

  1932年より南多摩郡加住村(八王子市)に移り住み、多摩・武蔵野の風景画を多く描いた。画風はフォーヴィスムの温和な日本的消化である。 同時期に活躍した画家の児島善三郎とよく名前を間違えられることから、小島善太郎はサインを「Z.Kojima」、児島善三郎が「Z.Z.Kojima」としていた。 '71百草園の近くにアトリエを構える。梅林、桃園、桜並木などを描く。代表作に 「林中小春日」 「三多摩の秋景」 「百草梅林春の団欒」 「滝山城趾より多摩川を望む(滝山展望)」 など多数。遺作は没年に描いた 「ラリーシュと老画家」 である。
  八王子市内で子供たちに絵の指導を行い、小島善太郎を囲む会「愛善会」で地域との交流も深めた。著作に 『巴里(パリ)の微笑』 がある。 没後、1992年(平成 4年)小島敦子・小島惇編にて 『桃李不言 画家小島善太郎随想集・小島善太郎の思い出』 が刊行されている。享年 91歳。 青梅市立美術館と併設で青梅市立小島善太郎美術館がある。2005年(平成17年)八王子市夢美術館で 「小島善太郎展」 が開催された。 

 

 

 

 

 

 

参考資料

児島善三郎年譜 【三重県立美術館】
 

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