わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

伊藤晴雨

2010-07-27 | 日本人作家

 日本人作家の索引

 伊藤晴雨 挿絵など

 


伊藤晴雨   いとう せいう

1882年(明治15年) 33日 - 1961年(昭和36年)128日。
大正から昭和の緊縛師。昭和SM文化の開祖ともいえる存在。
演劇評論家、舞台芸術家としての地位を確立すると平行して、
「責め」 の美しさを追求し、
その実践結果をを著書、写真、芝居で精力的に発信した。

(smpedia)

 

 

 

 概 要

昭和SMの開祖。明治15年に生まれ、幼い頃から芝居や物語の責め場に強い関心をもち、恋人や妻をモデルに緊縛写真や責め絵などの作品を制作。明治後期に新聞社の挿絵画家としてスタートするが、むしろ演劇評論で頭角を現し、読売新聞社の演芸部長兼挿絵主任にまで昇進する。大正時代に入り、佐々木カネヨ (お葉) や佐原キセといった緊縛に理解のある女性と巡り会い、責め絵、責め写真を追究する。大正末期にはおりからのエログロブームに取り上げられ、「変態画家」 として世間の注目を集める。1928年 (昭和3年) にはわが国初の緊縛写真を掲載した『責の研究』 を発刊するが発禁。戦前、粹古堂書店より 『美人乱舞』 などの多くの作品集を出し、アーティストとしての全盛期を迎えるが、第二次世界大戦で中断を余儀なくされる。戦後もカストリ雑誌に続き、人間探求、奇譚クラブや風俗草紙などに精力的に執筆。また、写真撮影会などを頻繁に開催していたようで、そこで撮影された 「晴雨風」 の緊縛写真を風俗草紙、風俗奇譚、裏窓などで見ることができる。大正時代には既に責めを中心とした劇団を設立しており、戦後 1953年 (昭和28年) にも「責めの劇団」を結成、市川鈴本などで公演をしている。昭和SM文化の精神的支柱とも言える存在で、高橋鐵、須磨利之も一目をおいていた特別の存在である。舞台芸術家、演劇評論家など、「責め絵画家」 「緊縛師」  としては括れないケールの大きな仕事をしており、時代考証家としての著作『いろは引・江戸と東京 風俗野史』 も名著の誉れ高い作品である。

 


 別 名

Seiu Ito, 伊藤一(本名)、伊藤進吉(本名)、伊藤静雨、伊藤勝千代、伊藤赳、性迂生(画号)

 

 

 

吊し責め【伊藤晴雨・Galleries】 吊し責め

 

 

  

わたしの里 美術館「索引」 我が郷は足日木の垂水のほとり【HOME】 岩水
わたしの里 美術館       わが郷 HOME

 

 

 

 

   


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。