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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

下村観山

2010-05-23 | 日本人作家

 ご案内

 

下村 観山  (しもむら かんざん)

1873年(明治 6年) 410日 - 1930年(昭和 5年) 510
明治 - 昭和初期の日本画の大家。

 

 

1873年(明治 6年)、和歌山県和歌山市に生まれる。(本名 晴三郎) 8歳のとき東京へ移住。最初狩野芳崖に、その没後は芳崖の親友である橋本雅邦に師事する。明治22(1889)東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。第一期生として卒業後、同校で教えていたが、1898年に 岡倉 天心 が野に下ったときに行動を共にし 横山大観菱田春草 とともに日本美術院の創設に参加した。

1905年に、師に同行し茨城県北部の五浦海岸の別荘「六角堂」へ移住し画業を深めた。

明治36(1903) 文部省給費留学生として、イギリス等に渡欧(~同38年)。
明治39(1906)日本美術院第一部(絵画)の五浦移転に伴い、家族と伴に五浦に移住する。大正 3(1914)大観らとともに日本美術院を再興する。代表作には「白狐」「弱法師」がある。

 昭和 5(1930) 神奈川県横浜市で死去

 

 

『弱法師(よろぼし)』画像をクリックすれば、全体図が大きな画面で見られます。

 弱法師 (よろぼし)
6 1双 絹本金地着色
大正 4(1915)

本図は第2回再興院展の出品作。謡曲『弱法師』に取材したもので,父を求めて摂津の天王寺にさまよう俊徳丸が,日輪を拝している場面である。
(東京国立博物館 - コレクション 名品ギャラリー 館蔵品一覧 弱法師(よろぼし) )

 
 
 

     『白狐図屏風』画像をクリックすれば、大画面になります。
        白狐図屏風     東京国立博物館 )
           186.1×207.6

 
 
 
 
 
 
 下村観山 「魚籃観音(1928)
 
 
 
 
 
 
 
 

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