しいてエロティックと言えば、云えなくもないお話なんだが、
魚籃観音のストーリーは、最後は悲しくも春の淡雪の如く、諸行無常の諦観をさそう。
竹取物語のかぐや姫は、最後には月の世界にもどってしまう。
そして斯の観音様は、はかなくも死んでしまう。
世界一の美女を男どもがあらそう。
ふつうは出来ないようなことをなしとげた男が、夢かなって観音様の化身を、幸甚にも娶ることとなる。
幸せはいつまでも続かない。女はすぐに死んでしまって、男は悲嘆に暮れるわけなのだが、旅の高僧が諭して謂うことには、「奥方は、魚籃観音様の、化身であった」と。
そして墓を掘りだしてみると、亡き妻の骨は黄金でできていた……。
なんとも現世利益の、リアリズムが話に籠められていて、利に淡白な日本人にしてみれば、ちょっと苦笑するようなさわりもある。
この観音様はふつう、お顔はひとつで腕も二本。つまり異形ではなく、魚籃(魚を入れる籠)をたずさえて、あるいは大きな魚の上に、のっておられる。
川筋者と云ったならば、九州は筑豊の炭鉱の石炭船の船頭のことが、思い出される。
板こ一枚下は地獄との言い方もあり、夏ならともかく冬では水に落ちれば、命の保証はない。
稼ぎは良いが気性が荒くなるのも、このような稼業では仕方のないことなののか。それで、飲む打つ買うは当たり前。
こんな水物商売では、女房などもてば不幸がまっている。
ならば、魚籃観音様の化身が、薄命なのも川筋もの、ゴン蔵たちの心にしみる。
下村観山 「魚藍観音」 (1928)
しもむらかんざん【下村観山】 1873‐1930(明治6‐昭和5)
日本画家。本名晴三郎。和歌山市に生まれる。家は代々,紀州徳川家のお抱え能楽師であったが,明治維新後,父は篆刻(てんこく)や牙彫(げちよう)を業としていた。1881年一家が上京,観山ははじめ藤島常興,ついで狩野芳崖について絵を学び,北心斎東秀の号を名乗って少年時から天才を噂された。その後,橋本雅邦につき,さらに89年東京美術学校に入学。94年卒業と同時に同校助教授に任ぜられるが,98年岡倉天心が美術学校を辞して日本美術院を創立するに際し,橋本雅邦,横山大観らとともに母校を退き,美術院正員となる。
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良くいえば哲学的で、仏教などの源流の地、インドの薫りがする。
早く言ってしまえば、なにやらヘンテコな絵だ。
やはり魚籃観音様は、庶民の護り神様だから、
慈悲にみちたお姿と、
近づきやすい、ほのぼのさがあったほうが其れらしい。