岩淸水

心を潤す

岡倉 天心

2009年09月10日 02時55分05秒 | 人物

ご案内 

  平櫛田中 作


岡倉 天心    (おかくら てんしん)

1863 214日(文久 21226日) - 1913年(大正 2年) 9 2
日本の思想家、文人。
本名は岡倉覚三(かくぞう)。幼名は岡倉角蔵。

 


福井藩の武家の子として横浜に生まれる。東京美術学校(現・東京藝術大学)の設立に大きく貢献し、また日本美術院を創設した。近代日本における美学研究の開拓者で、英文による著作での美術史、美術評論家としての活動、美術家の養成といった多岐に亘る啓蒙活動を行い、明治以降に於ける日本美術概念の成立に寄与した。

福井藩の下級藩士の父・岡倉勘右衛門は、藩命で武士の身分を捨て、福井藩が横浜に開いた商館「石川屋」(現・横浜開港記念会館)の貿易商となり、その商店の角倉で生まれたことから、天心は当初「角蔵」と名付けられた。9歳の時、妹・てふを産んだ産じょく熱で母・このが死去。その葬儀が行われた長延寺(現・オランダ領事館跡)に預けられ、そこで漢籍を学び、横浜居留地に宣教師ジェームス・バラが開いた英語塾で英語も学んだ。弟の岡倉由三郎は英語学者。東京開成所(のちの官立東京開成学校、現・東京大学)に入所し、政治学・理財学を学ぶ。英語が得意だったことから同校講師のアーネスト・フェノロサの助手となり、フェノロサの美術品収集を手伝った。16歳のとき、大岡越前守の末裔(まつえい)でもある13歳の基子と結婚する。1882年(明治15年)に専修学校(現在の専修大学)の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し学生達を鼓舞した。専修学校での活躍は、文部省専門学務局内記課に勤めていたころである。また専修学校の師弟関係で浦啓一も岡倉と出会い、岡倉の指導によりその一生に決定的な影響を受けた。

 

1890年(明治23年)から3年間、東京美術学校でおこなった講義「日本美術史」は日本(の美術史学)における日本美術史叙述の嚆矢とされる。

東京都台東区に岡倉天心記念公園(旧邸・日本美術院跡)がある。また、ニューヨークで英語で「茶の本」を出版して100年にあたる2006年の10月9日に、天心が心のふるさととしてこよなく愛した福井県の大本山永平寺において“岡倉天心「茶の本」出版100周年記念座談会”が行われた。そして天心の生誕150年、没後100年を記念して、福井県立美術館では2013年11月1日から12月1日まで「空前絶後の岡倉天心展」を開催している。本展覧会では、およそ100年振りに、旧フェノロサコレクションが集結し、他にも近代日本画を代表する名品が展示されている。

 

来歴[編集]
1863年2月14日(文久2年12月26日)、福井藩士・岡倉覚右衛門の次男として横浜(生誕の地は現在の開港記念会館)に生まれる。
1873年(明治6年)、官立東京外国語学校(現東京外国語大学)に入学。
1875年(明治8年)、東京開成学校(1877年(明治10年))に東京大学に改編)に入学。
1878年(明治11年)基子と結婚。
1880年(明治13年)7月、東京大学文学部卒業。11月より文部省に勤務。
1881年(明治14年)アーネスト・フェノロサと日本美術を調査。
1882年(明治15年)、専修学校(現在の専修大学)の教官となり、専修学校創立時の繁栄に貢献し、学生達に大きな影響を与えた。
1886年 - 1887年(明治19 - 20年)、東京美術学校設立のため、フェノロサと欧米視察旅行。当地にて、日本美術に触発されたアールヌーヴォー運動の高まりを見て、日本画推進の意をさらに強くする。
美術雑誌『国華』創刊。
1887年(明治20年)、東京美術学校幹事。東京美術学校は1889年(明治22年)に開校した(現・東京藝術大学美術学部)。
1888年(明治21年)、明治を代表する文部官僚で男爵の九鬼隆一は彼のパトロンであったが、その妊娠中の妻と恋に落ちる。彼女は、隆一と別居し、のち離縁する。生まれた子が、有名な哲学者九鬼周造である。彼は、子供の頃訪ねてくる岡倉を父親と考えたこともあったと記している。
1890年(明治23年)、東京美術学校第2代校長(初代は浜尾新)。27歳のこの頃が最も活動がさかんであった。同校での美術教育が特に有名で、福田眉仙、横山大観、下村観山、菱田春草、西郷孤月らを育てたことで知られる。
1898年(明治31年)、東京美術学校を排斥され辞職。同時に連帯辞職した横山らを連れ、日本美術院を上野谷中に発足させる。
1901年 - 1902年(明治34 - 35年)、インド訪遊。タゴール、ヴィヴェーカーナンダ等と交流する。

1904年(明治37年)、ビゲローの紹介でボストン美術館中国・日本美術部に迎えられる。この後は館の美術品を集めるため日本とボストン市を往復することが多くなり、それ以外の期間は茨城県五浦(いづら)のアトリエにいることが多くなり表立った活動は少なくなった。

天心邸と六角堂

1906年(明治39年)、美術院の拠点を茨城県 五浦 に移す。

この団体は岡倉の活動が鈍るにつれて活動も減少するが

岡倉の没後、横山らによって再興された。

 


  

 

1910年(明治43年)、ボストン美術館中国・日本美術部長。

1913年(大正2年)92日、新潟県赤倉温泉の自身の山荘にて永眠。同日、従四位・勲五等双光旭日章を贈られる。

墓所は豊島区駒込の染井墓地。遺言により分骨され五浦にも墓がある。

 五浦の墓

 


親類縁者

子の岡倉一雄は朝日新聞記者で岡倉覚三の伝記をまとめた。孫(一雄の子)の岡倉古志郎は非同盟運動にも関わった国際政治学者。曾孫(古志郎の子)長男の岡倉徹志は中東研究者。玄孫(徹志の子)長男の岡倉禎志は写真家。玄孫(徹志の子)次男の岡倉宏志は人材育成。西洋史学者の岡倉登志は曾孫。

岡倉家の祖先は、浅井長政が有名な近江国の戦国大名・浅井氏の一門であると言う。

 

逸 話

1903年(明治36年)、岡倉は米国ボストン美術館からの招聘を受け、横山菱田 らの弟子を伴って渡米。羽織・袴で一行が街の中を闊歩していた際に 1人の若い米国人から冷やかし半分の声をかけられた。「おまえたちは何ニーズ? チャイニーズ? ジャパニーズ? それともジャワニーズ?」。そう言われた天心は「我々は日本の紳士だ、あんたこそ何キーか? ヤンキーか? ドンキーか? モンキーか?」 と流暢な英語で言い返した。

"What sort of nese are you people? Are you Chinese, or Japanese, or Javanese?" "We are Japanese gentlemen. But what kind of key are you? Are you a Yankee, or a donkey, or a monkey?"  天心の残したメモの中に「第一・四十歳にて九鬼内閣の文部大臣となる、第二・五十にして貨殖に志す、第三・五十五にして寂す」と将来設計を記したものがあり、当時文部官僚だった九鬼隆一との蜜月が偲ばれる。
当初は天心を引き立てた上司である文部官僚の九鬼隆一男爵の妻・波津子(九鬼周造の母)との接近について彼の更迭との関連も噂され、一部で好奇の対象となった。(美術学校騒動)

 

 

著作(原文)[編集]
『The Ideals of the East-with special reference to the art of Japan』 1903年 ジョン・マレー書店(ロンドン)『東洋の理想』
『The Awakening of Japan』 1904年 センチュリー社(ニューヨーク)及びジョン・マレー社(ロンドン)『日本の目覚め』
『THE BOOK OF TEA』 1906年 フォックス・ダフィールド社(ニューヨーク)
 『茶の本』 対訳本は、講談社インターナショナルと、「対訳ニッポン双書 茶の本」IBCパブリッシングほか。
『The Awakening of the East』 1902年稿 『東洋の目覚め』 当時未公開

著作(新版)[編集]
『岡倉天心全集 (全8巻別巻1)』 平凡社、1979年-1981年
『東洋の理想 日本の覚醒 東洋の覚醒』 佐伯彰一・桶谷秀昭・橋川文三訳、平凡社東洋文庫、1983年
『日本美術史』 平凡社ライブラリー、2001年。この2冊は「全集」からの単行版
『東洋の理想』 講談社学術文庫、1986年
『茶の本』 村岡博訳 岩波文庫 『新訳 茶の本』 大久保喬樹訳、角川ソフィア文庫、2005年
『茶の本 英文収録』 桶谷秀昭訳、講談社学術文庫、1994年
『茶の本』 ソーントン不破直子訳、春風社、2009年

『内村鑑三 岡倉天心 近代浪漫派文庫4』 新学社、2004年。浅野晃訳版「東洋の理想」ほか
『茶の本 岡倉天心コレクション』 ちくま学芸文庫、2012年。他に英文3部作、斎藤美洲ほか訳

伝記・研究[編集]
宮川寅雄 『岡倉天心』 日本美術史叢書:東京大学出版会、1956年
松居直『岡倉天心』実業之日本社、不明。
斎藤隆三 『岡倉天心』 吉川弘文館〈人物叢書〉、1960年(新装版刊)
大岡信 『岡倉天心』 朝日新聞社、1975年/朝日選書、1985年
『岡倉天心 人と思想』 橋川文三編、平凡社 1982年
松本清張 『岡倉天心 その内なる敵』 新潮社、1984年/河出文庫、2013年
『宝石の声なる人に プリヤンバダ・デーヴィーと岡倉覚三 愛の手紙』(大岡信/大岡玲編訳)、平凡社ライブラリー、1997年
坪内隆彦 『岡倉天心の思想探訪―迷走するアジア主義』勁草書房、1998年
木下長宏 『岡倉天心』 ミネルヴァ書房〈日本評伝選〉 2005年
ワタリウム美術館編集 『岡倉天心 日本文化と世界戦略』平凡社 2005年
岡倉登志 『世界史の中の日本 岡倉天心とその時代』 明石書店 2006年
『茶の本の100年 岡倉天心国際シンポジウム』 松岡正剛・磯崎新・熊倉功夫ほか 小学館スクウェア、2007年
大井一男 『美術商<アートディーラー> 岡倉天心』 文芸社 2008年
大原富枝 『ベンガルの憂愁 岡倉天心とインド女流詩人』 ウェッジ文庫 2008年
北康利 『九鬼と天心』 PHP研究所 2008年
( wikipedia )

 

 

 

 

 

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