思考の7割と収入の3割を旅に注ぐ旅人の日々

一般的には遊び(趣味)と見下されがちな「旅」も、人生のなかでやるべき「仕事」である、という気概で旅する旅人の主張と報告。

10月26日付朝日新聞夕刊社会面の「サバイバル登山」は一般にどう受け止められるのか       

2006-10-29 13:36:45 | 他人の旅話
先週のことだが、朝日新聞の2006年10月26日付夕刊14面に、本ブログでもすでに取り上げている本『サバイバル登山家』(みすず書房刊)の著者である服部文祥氏とその登山の一例が写真付きで紹介されていた。これを読んで、登山にあまり興味のない一般読者はどう思うのだろう? というのが気になる。

普段から彼が編集に携わっている山岳雑誌『岳人』の愛読者である僕としては、今回のこの記事についても特に違和感なく面白く読めるし、最近の登山でよく使われるヘッドランプ・ライトやGPSや携帯電話のような近代的な道具をあえて排除しながら山に向かうことの難しさも心得ているつもりだが、改めて読むと山のことをいくらか知っている“山屋”な人でもおそらく舌を巻く登山であろう。
見方によっては“常識外れ”と酷評されかねない彼がこの本で挙げる登り方については、僕も「これが理想の登り方だよな」と思っていて(装備も衣服もできるだけ減らして、より素っ裸に近い状態で分け入る。高所登山も同様)、何かと便利さが加速する今後はこれにより近い登り方、自然への分け入り方を目指すべきだが、実際に行動に移すとなるとホントに難しい。僕も以前にちょっとした日帰りの山歩きを腕時計(カシオ・プロトレック)なしでやったことは数回あったが、それだけでも時計があるとき以上に軽い不安感を覚えることがあった。僕も含めて、やはり現代人は街なかにある便利さや効率の良さに浸りきっていて、その影響で相当なまっているよな、と痛感する。

今月上旬に(拙著『沖縄人力紀行』もお世話になっている)東京都のジュンク堂書店池袋本店で服部氏のトークイベントが開催されたが(僕はその日は北海道にいたので行けなかった)、それに合わせて『サバイバル登山家』が紹介された新聞・雑誌記事のコピーが掲示されていた。今回の朝日新聞の記事によるとこれまでにこの本は30ほどの媒体で紹介され、5回重版したそうだが、たしかにそのくらい注目されるにふさわしい内容である。この本は面白いのはわかっているのだが、熟読するのはやはり来年になりそう。

また、26日のこの記事で僕個人的にもうひとつの目を引いたのは、これを書いているのが角幡唯介記者だということだ。
知っている人は知っていることだが、僕と同年代の角幡くん(とあえて書く)は冒険・探検業界ではかなりの老舗の早稲田大学探検部出身で、中国やニューギニアへの探検で名を馳せたことでも知られ、特に朝日新聞入社直前の2002~2003年にかけては中国・チベット東部からバングラデシュに流れる大河ヤル・ツアンポーの峡谷(大屈曲部)の未踏査部を単独で探検した、という出色の記録も持っている凄い人物である。この探検行の模様を2003年3月に地平線会議で報告しているのだが、僕はこれも聴きに行っている。そもそも、彼がこの探検の前段階で行った沢登りの初単独行が結構大きな滝もある鹿児島県・屋久島の沢というのが凄い。
また、登山や探検に関する発言も服部氏同様にやや激しさがあり、なかなかの論客でもある。

それから、角幡くんが富山支局赴任時代に、黒部川の上流域にあるダムの排砂とそれによって富山湾の漁業へ悪影響が及んでいる問題を丁寧に取材して書いた記事をまとめた本『川の吐息、海のため息 ―ルポ黒部川ダム排砂』(桂書房刊)が今年5月に発売されたのだが(偶然にも発売は『サバイバル登山家』とほぼ同時期)、実は僕はちょうど今この本を読んでいる最中であったりする。やはり新聞掲載が元なので、『岳人』や山岳系冊子『きりぎりす』などに寄稿していた頃や以前あった彼のウェブサイト内の文章よりは一般向けになっていて柔らかくなっているが、社会への問題意識の高さや自身の探検体験を踏まえた自然に対する畏敬の念のようなものはひしひし感じられ、僕もこの本を読んでいて共感できる部分が多い。
今年、富山県から埼玉県内の支局に異動してきた今後も、それを感じられる記事を楽しみにしている、期待の新聞記者のひとりである。

この服部文祥・角幡唯介の両氏は、今後の媒体において登山や冒険・探検や自然環境絡みの記事に関心を寄せる場合、ぜひとも覚えておくべき名前だと思う。彼らの書くものをチェックしていれば、間違いはないはず。それにしても、全国紙の社会面で地平線会議関係の(若手の?)人名がいっぺんにふたりも出たのは驚いた。


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