プリンスオブウェールズとレパルスは、マレー沖海戦で帝國海軍の航空機攻撃により沈められました。1941年12月10日の事でした。2ヶ月後には帝国陸軍の侵攻を受けてシンガポールも陥落しています。この時期からシンガポール島は昭南島と名を改めて日本の支配下に入りました。
1945年の大都市無差別攻撃と原子爆弾の投下という惨劇の拡大を避けるために、8月に日本軍は降伏し日本は、アメリカ軍の支配下に置かれました。サンフランシスコ講和条約の発効した1952年4月28日から主権は恢復しましたが、不当にも憲法を変えられ国体は蹂躙されました。
日本軍の引き上げにより、シンガポールには英国軍が戻ってきて元の植民地支配に戻されました。1957年にシンガポールはサラワクや英領北ボルネオ(サバ)と共にマラヤ連邦として独立しましたが、英国の分断工作を受けてついに1965年にシンガポールは連邦から追放される形で独立しました。国語はマレー語ですが、公用語として英語、中国語、マレー語、タミール語が用いられます。このように同国は複雑な民族構成をしています。歴史的な経過から支那系が一番有力な勢力で政治的には、人民行動党[PAP]に結集してお飾り・言い訳の弱小政党を度外視すれば、実質一党独裁の体制をとっています。
日本に於いても最近は少しは間接統治の構造が解明されてきました。多数民族のマレー人を統制するために少数民族の華僑やンド人などを優遇して統治に当たらせる、いわゆる間接統治の形態となっています。これが現在のシンガポールの国の形です。国際法上は独立国となっています。しかし経済はイギリスの強い影響下にありました。近年は米国の経済的伸張もありその影響力は増大していました。この国は東南アジアの金融センターとして謂わば米英資本の番頭的な立場です。日本への外国資本投資の、5.8%を占めていて、その金融力の大きさを誇示しています。逮捕された村上世彰被告人はインド系華僑の家系で詳細は分からないですが、ヤバくなった時期にはシンガポールに活動の拠点を移していましたね。新植民地主義つまり金融植民地主義の出城みたいな存在なのでしょう。日本人やマレー人を支配するために国際金融資本は、彼や堀江の様な半分日本人の蝙蝠みたいな人を介在させたのです。しかし彼等は逮捕されてしまいました。村上氏は一審二審ともに有罪で今は上告していて最高裁で争うのでしょう。
<日焼けして白髪増え 村上世彰被告の変貌にどよめき>の産経の提灯記事にも見て取れますが彼等はシンガポールの人民行動党[PAP]と似たような立場で、経済的に国際金融資本の走狗を行っていたわけです。リストラや構造改革の結果、搾りだされた利益を金融商品の株などに投機させることにより、最終的にはその甘い汁は彼等の懐に入る仕掛けになっていました。あの当時は日本中の殆どの報道は、株式売買の妖しげな博打行為を褒めそやす論調で満ちていました。放送株を釣り上げて一般投資家から金を出させ、彼等は売り抜けて巨額の不当な利益を上げていました。その幻術的な構造を支えていたのが、マスコミの洗脳瓦版報道でした。<米国排除「重大な誤り」 リー・クアンユー氏、東アジア共同体で指摘>の記事もやはり産経です。アジア通貨危機を謀りタイなどの経済に深刻な打撃を与え、マレーシアからは当時のマハティール首相の果敢な政策により米英の金融資本は排除されました。東南アジア各国には国際資本と各国の間に立って怪しげな振る舞いを成す華僑が必ずいます。貿易や金融取引に於いては特殊な能力と何よりもまとまった大きな資本が必要です。本来ならば日本がリーダーシップをとって円滑な経済環境を造らねばならないのでしょう。しかし、いまだに戦後支配の後遺症は色濃く残っています。中川元金融担当大臣のもうろう会見時の日銀官僚の振る舞いを見ればその国際金融資本に餌付けされた犬としての本質は隠しようがありませんでした。
円とドルの為替の本当の位相は70円ほど、過激な人は50円とも言います。それが現在は90円辺りで上下しています。これは日本の場合は金融・貿易に於いて3割ほど高い買い物をさせられている。3割ほどものを安く買いたたかれていると言うことを意味しています。昨年の日本の貿易額は<>の記事にもありますが、71兆円ほどです。これの2~3割の為替差損は20兆円にも迫ります。20兆円安く売って、20兆円高く買っているのです。往復で40兆円の損失です。日本国の防衛予算額は近年に於いてGDPの1%シーリングの枠を嵌められて5兆円を突破したことは皆無です。国防費を倍の10兆円にすれば日本国も軍事的な凄味がついて為替で嘗められなくなると言えば、あまり上品でないもの言いとなります。しかしアメリカが今まで行ってきた政策はまさに武器をちらつかせて威圧する政策でした。アジア通貨危機においてはアメリカの金融スジはあからさまに経済攪乱を仕掛けています。
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一部を紹介します。
タイ [編集]
1990年代のタイ経済はそれまで年間平均経済成長率9%を記録していたが、1996年に入るとその成長も伸び悩みを見せ始めていた。この年、タイは初めて貿易収支が赤字に転じた。1997年5月14日、15日にヘッジファンドがバーツ(以下฿)を売り浴びせる動きが出た。これに対して、タイ中央銀行は通貨引き下げを阻止するため外貨準備を切り崩して買い支え、バーツのオーバーナイト借入れレートを25%~3000%に高めるなどの非常手段を用いて対抗した。同年6月30日には、当時の首相、チャワリット・ヨンチャイユットが通貨切り下げをしない(ヘッジファンドの攻撃に対する勝利宣言)をしたものの、再びヘッジファンドによる空売り攻勢が始まり、同年7月2日にバーツとドルのペッグ制は終わりを告げ変動相場制に移行した。それまでの24.5฿/$だった為替レートが一気に29฿/$台にまで下がった。このため国際通貨基金(IMF)などは同年8月11日、20日の2回に分けて172億ドル[2]の救済を行った。1998年一月には、最低の56฿/$台を記録する。タイ中央銀行が必死に自国通貨を買い支えるべく奮闘しながら果たせなかった様を指して「血塗れのバーツ」とも呼ばれる。信用を失ったバーツの下落は止まらず、為替レートは危機前24.5฿/$だったが半年後には50฿/$を下回った。この後、タイ証券取引所(SET)の時価総額指数であるSET指数は357.13(1997年の最高値は858.97、史上最高値は1994年の1753.73)まで下落し、翌年には危機後最安値である207.31(史上最高値の11.8%)を記録した。
それまで対外資金によってファイナンスされていた不動産バブルの崩壊に加え、IMFが融資条件として課した政府支出の削減と利子率の引き上げが、景気後退期における総需要の更なる減少を招いたこともあり、それまで好景気を謳歌していたタイ経済はあっという間に崩壊し、タイでは企業の倒産・リストラが相次ぎ失業者が街に溢れかえった。
タイの通貨の変動を受けてバーツ経済圏にある、ミャンマー、ベトナム、ラオス、カンボジアも少なからず打撃を受けた。
プリンスオブウェールズとレパルス撃沈の悪夢を見た米英にしてみれば、日本の防衛力の復活はどうしても避けねばなりません。そこで孫悟空の頭に嵌められた環が防衛費の1%枠なのです。
『外務省ホームページ』http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/singapore/data.html
にもシンガポールの外交基本方針として
『 ASEAN諸国との友好協力関係を基軸とした地域協力に努力。アジア・太平洋地域における米国の軍事的プレゼンス及び政治的コミットメントを重視……』
と書いてあります。
日本は押しつけ憲法で防衛力の整備を制限されてきました。朝鮮戦争や東西冷戦の狭間で日本の軍装はなし崩し的に認められました。しかし気がついてみれば日本の自衛隊は世界有数の実力を持つまでに成長してしまいました。これでは……とアメリカ等の工作により嵌められた箍が1%枠だったのです。
現在も1%の枠内ですが自営のための「装備」は艦艇や飛行機、戦車などの直接装備ばかりではありません。H-2Bロケットや宇宙ステーション補給機(HTV)等の開発もそれにもまして重要な”防衛”装備とも言えます。H-2Bそれ自体は核爆弾の運搬用には大きすぎますが、付属の固形燃料式補助ロケットはその機能に於いては充分に、核兵器の運搬手段として利用できます。言い方をかえれば、幾つかのミサイル兵器を組み合わせてみたら、H-2BとかHTVになっちゃいました。と言えなくもありません。
いましみじみH-ⅡBの補助ロケットを見て実感したのですが、これコンパクトに成ってますね。もしかしたら潜水艦積載用にサイズダウンしてね?
これ以上支那などの軍事的拡張が引き続けば、日本国は鳩山政権のソフトなもの言いとは裏腹に隠然と各種の防衛装備の開発実験を進めることでしょう。そして何よりも防衛に於いて重要なことは国民の自覚の覚醒です。小泉カイカクはある意味で日本のそうした気持ちを揺り動かして、目覚めさせたのかも知れません。日本国の第一の敵はアメリカ等の自由経済原理主義だったのです。それのアジアにおける出城がシンガポールなのです。村上氏などはその出城に引き籠もらずに、日本に於いて裁判で闘う道を選びました。それは彼に勝算があるからではなく、引き籠もられてはシンガポールの評判を損ねるために、追い出されたと穿って見ることも出来ますね。
奥田氏や御手洗氏に代表される買弁の使徒の腐った思惑とは別に、日本の真の利益は日本の労働をも含めた財産の価値を正しく評価させることです。アメリカの経済は寄生的に変形してしまったのでこの期に及んで正常に回復することは不可能なのでしょうが、日本国内の売国・買弁の手先のマスコミや、シンガーポールなどはアメリカの影響力を笠に着て、換言すれば虎の威を借りて横暴な振る舞いをしてきたわけですから、このままではたまりません。そこで前述の記事のように、リー・クアンユー顧問相のワシントン市内での講演となったのでしょう。大英帝国はもうかつての威光はありませんし、この上アメリカまで太平洋の西半分から足ぬけされては、ユダヤ金融の東南アジアの番頭も立つ瀬が無くなります。そこでこの泣き言となったのでしょう。
七輪購入の34才の女の様に、ユダヤ金融は詐欺師であることが露見してしまいました。これまでは7~8名のなれあい判事が事を裁いて臭い物には蓋をしてきました。昨年の詐欺師艦隊の偽装沈没事件以降は判事は増強されて20名となりました(G20)。東南アジアに於いてアメリカのプレゼンスが希薄になれば、買弁達の旧悪が暴かれかねません。
☆m(._.)m☆ 以下は参照記事です。
米国排除「重大な誤り」 リー・クアンユー氏、東アジア共同体で指摘
連続不審死:ネットで「練炭・七輪」注文、交際男性死亡後も--詐欺容疑の女
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アクセスの記録 2009.10.30(金) 657 PV 313 IP 2630位 / 1316840ブログ