ウディ、アレンが大好きだ。
というか、彼が監督して世に送り出した数多くの映画が大好きだ。
知的でニューヨークが好きで、シャイで皮肉屋で内向的で、人間に対する不信感を持っていて、絶えず人生なんて儚い夢だと嘆いている。
そんなウディ・アレンが作り出す映画は、とにかく幅が広い。
コメディを作ったかと思えば(コメディアン出身なので、彼の根底にあるのは喜劇なのだろうけれど)ラブ・ストーリーを作ってみたり、そうかと思えば、イングマル・ベルイマンばりの、高尚で人間の内面をえぐり出す、直球ど真ん中のシリアスな映画を作ったりする。
ウディ・アレンは多作のひとなのだ。
とにかく、次から次へと映画を作る。毎年毎年、新作を発表する。
なので、はっきり言って、「ん?」と首を傾げたくなるような作品も中にはあったりする(駄作とまでは言わないけれど、明らかに拙速で半ナマ状態の作品も結構ある)。
でも、それもぜーんぶひっくるめてウディ・アレンなのだと思う。
食い散らかしても、とにかく前だけを見つめ、全力疾走で走っている映画監督である。
人生は短いんだから今のうちやりたいことを何でもやろうとしている、そんな人間の典型だ。
そのウディ・アレンの最新作を観た。
映画のタイトルは「ブルージャスミン」。
この映画がまた中々いい。
この映画、「ブルージャスミン」によって、第86回アカデミー賞ではケイト・ブランシェットが主演女優賞を受賞した。
僕はケイト・ブランシェットという女優をそれほど素晴らしい女優だと思った事はこれまでなかったんだけど(巷での評価は高いけど)、「ブルージャスミン」を観て、改めて彼女の素晴らしさを理解した。
巧い。
完璧な演技である。
その表情、その言葉、その仕草、すべてがパーフェクト。ここまで素晴らしい演技をみせたら、主演女優賞に異議を唱える人間は確かに誰もいないだろう。
映画「ブルージャスミン」は、過去と現在が行き交いながら進んでゆく。
ジャスミン(ケイト・ブランシェット)という名の中年女性が主人公。
ジャスミンは、愛する夫(アレック・ボールドウィン)とニューヨークで贅沢三昧な生活を送っている。いわゆるセレブリティというやつである。
サンフランシスコで暮らすジンジャーという名の腹違いの妹(サリー・ホーキンス)が彼女の夫とニューヨーク見物に来た際も、交わす言葉とは裏腹に、心の中では田舎者のおのぼりさんと軽蔑し、妹夫婦にぞんざいな扱いをしてしまう。
ところが突然、その優雅なニューヨーク生活は一変する。
夫が何人もの女性と浮気を繰り返していたことが露呈し、それに怒り狂ったジャスミンは、夫の不正を警察に告発し、そのことが原因でセレブだった生活も滅茶苦茶に崩壊してしまう。
財産を含め全てを失ってしまったジャスミンは、失意と絶望のままサンフランシスコで暮らしている妹ジンジャーの安アパートへと身を寄せることになる。
ジャスミンは、一気に大金持ちから一文無しへと転落したのである。
妹の無垢な愛情に感謝を抱きながらも、ジャスミンはニューヨークでのセレブ生活の癖が抜け切らない。
夫に対する激しい憎悪と、それとは正反対な未練と執着、豪華で優雅だったニューヨークでの暮らし、有名ブランドに身を包みセレブな友人たちと遊び呆けていた頃の楽しかった思い出・・・そんなものが彼女の中で去来し続け、彼女の精神は少しずつ壊れてゆく・・・。
ウディ・アレンが、ここ数年ヨーロッパを舞台に撮っていた何本かの映画(どれも素晴らしい映画だった)から一転、久々に地元ニューヨークを舞台に、シリアスでちょっぴり苦めな大人の映画を僕たちの前へと提示する。
この映画を、1950年に作られたビリー・ワイルダー監督の名作映画「サンセット大通り」や、テネシー・ウイリアムズの傑作戯曲「欲望という名の電車」(この舞台劇もまたエリア・カザン監督によって映画化された)と比較する論評も数多い。
同感だ。
この「ブルージャスミン」、ビリー・ワイルダーやエリア・カザンへのオマージュも含めた、ウディ・アレンからの映画を纏った贈り物と捉えていい。
ラストにおける主人公の呟きがまたいい。
少しずつ精神を破壊してゆく、ケイト・ブランシェットの演技は鬼気迫る。
映画「ブルージャスミン」もまた、ウディ・アレン監督が生み出した数々の傑作の中の、その一本に加わることに異論はない。
というか、彼が監督して世に送り出した数多くの映画が大好きだ。
知的でニューヨークが好きで、シャイで皮肉屋で内向的で、人間に対する不信感を持っていて、絶えず人生なんて儚い夢だと嘆いている。
そんなウディ・アレンが作り出す映画は、とにかく幅が広い。
コメディを作ったかと思えば(コメディアン出身なので、彼の根底にあるのは喜劇なのだろうけれど)ラブ・ストーリーを作ってみたり、そうかと思えば、イングマル・ベルイマンばりの、高尚で人間の内面をえぐり出す、直球ど真ん中のシリアスな映画を作ったりする。
ウディ・アレンは多作のひとなのだ。
とにかく、次から次へと映画を作る。毎年毎年、新作を発表する。
なので、はっきり言って、「ん?」と首を傾げたくなるような作品も中にはあったりする(駄作とまでは言わないけれど、明らかに拙速で半ナマ状態の作品も結構ある)。
でも、それもぜーんぶひっくるめてウディ・アレンなのだと思う。
食い散らかしても、とにかく前だけを見つめ、全力疾走で走っている映画監督である。
人生は短いんだから今のうちやりたいことを何でもやろうとしている、そんな人間の典型だ。
そのウディ・アレンの最新作を観た。
映画のタイトルは「ブルージャスミン」。
この映画がまた中々いい。
この映画、「ブルージャスミン」によって、第86回アカデミー賞ではケイト・ブランシェットが主演女優賞を受賞した。
僕はケイト・ブランシェットという女優をそれほど素晴らしい女優だと思った事はこれまでなかったんだけど(巷での評価は高いけど)、「ブルージャスミン」を観て、改めて彼女の素晴らしさを理解した。
巧い。
完璧な演技である。
その表情、その言葉、その仕草、すべてがパーフェクト。ここまで素晴らしい演技をみせたら、主演女優賞に異議を唱える人間は確かに誰もいないだろう。
映画「ブルージャスミン」は、過去と現在が行き交いながら進んでゆく。
ジャスミン(ケイト・ブランシェット)という名の中年女性が主人公。
ジャスミンは、愛する夫(アレック・ボールドウィン)とニューヨークで贅沢三昧な生活を送っている。いわゆるセレブリティというやつである。
サンフランシスコで暮らすジンジャーという名の腹違いの妹(サリー・ホーキンス)が彼女の夫とニューヨーク見物に来た際も、交わす言葉とは裏腹に、心の中では田舎者のおのぼりさんと軽蔑し、妹夫婦にぞんざいな扱いをしてしまう。
ところが突然、その優雅なニューヨーク生活は一変する。
夫が何人もの女性と浮気を繰り返していたことが露呈し、それに怒り狂ったジャスミンは、夫の不正を警察に告発し、そのことが原因でセレブだった生活も滅茶苦茶に崩壊してしまう。
財産を含め全てを失ってしまったジャスミンは、失意と絶望のままサンフランシスコで暮らしている妹ジンジャーの安アパートへと身を寄せることになる。
ジャスミンは、一気に大金持ちから一文無しへと転落したのである。
妹の無垢な愛情に感謝を抱きながらも、ジャスミンはニューヨークでのセレブ生活の癖が抜け切らない。
夫に対する激しい憎悪と、それとは正反対な未練と執着、豪華で優雅だったニューヨークでの暮らし、有名ブランドに身を包みセレブな友人たちと遊び呆けていた頃の楽しかった思い出・・・そんなものが彼女の中で去来し続け、彼女の精神は少しずつ壊れてゆく・・・。
ウディ・アレンが、ここ数年ヨーロッパを舞台に撮っていた何本かの映画(どれも素晴らしい映画だった)から一転、久々に地元ニューヨークを舞台に、シリアスでちょっぴり苦めな大人の映画を僕たちの前へと提示する。
この映画を、1950年に作られたビリー・ワイルダー監督の名作映画「サンセット大通り」や、テネシー・ウイリアムズの傑作戯曲「欲望という名の電車」(この舞台劇もまたエリア・カザン監督によって映画化された)と比較する論評も数多い。
同感だ。
この「ブルージャスミン」、ビリー・ワイルダーやエリア・カザンへのオマージュも含めた、ウディ・アレンからの映画を纏った贈り物と捉えていい。
ラストにおける主人公の呟きがまたいい。
少しずつ精神を破壊してゆく、ケイト・ブランシェットの演技は鬼気迫る。
映画「ブルージャスミン」もまた、ウディ・アレン監督が生み出した数々の傑作の中の、その一本に加わることに異論はない。