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淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

NHKスペシャル「30代のうつ~会社で何が起きているのか」を観る。辛いね、みんな。

2007年06月30日 | Weblog
 ニュースを見たら、抗うつ剤である「パキシル」(勿論、まったく知りませんが)の副作用が疑われる自殺者が、2005年度、2006年度と、2年連続で2ケタに増えたことが厚生労働省などの調べで分かったのだとか。

 パキシルという薬、うつ病やパニック障害などには有効で、若い人を中心に自殺行動を高めるケースがあり、説明文書にも警告や注意がちゃんと明記されていて、厚労省は医療関係者に対して、きちんと適切な処置を行うようにと呼びかけているとのことである。

 抗うつ剤パキシルは世界で発売されていて、抗うつ剤全体の約25%を占めるまでになっており、日本においては、うつ病などが増加傾向で、1996年の43万3000人に対し、2005年は、なんと倍以上の92万4000人にまで上っている。
 92万人! 凄い数である。

 テレビのNHKスペシャル「30代のうつ~会社で何が起きているのか」を観た。
 「急増・30代の『うつ』、働き盛りに何が?」、「企業対策最前線職場復帰に秘策あり」というサブ・タイトルがついているように、最近、30代のうつ病が急増していることを、まずテレビは視聴者の前に提示する。

 長い不況・経済低迷期の中で、企業は人材確保を後回しにして、リストラやコスト削減にプライオリティを置き、組織のスリム化、企業体質の強化、少数精鋭主義、成果主義へと急激な方向転換をした、今そのツケが露呈しているのだと言えなくもない。

 これまで、企業、あるいは「組織体」は、経営層を含め、50代、40代、30代、20代が、日本的な終身雇用制度という美味しい「家的共同体」の中で綺麗に、スムースに循環してきた。
 でもそれは、現在瓦解してきた。そういうシステムは急速に萎みつつある。

 その荒波をもろに被ったのが30代ということになる。
 長引く不況によって新規雇用を控えた日本の企業は、結局、いびつな年代構成を作り出すことになり、20代の人材が欠落した「組織」は、その穴埋めを30代、40代に担わせることになったからだ。

 確かに一番働き盛りの30代、それから40代前半は、これまでよりも大きくて重い荷物を背負わされ、過酷な労働を強いられている。
 テレビは、それら組織で働く30代の姿を追ってゆく。

 ある30代男性がテレビの画面に登場する。
 その男性は、組織の中で順風満帆に仕事をこなして来た優秀な人材である。管理部門を渡り、将来を嘱望され、リーダー職に就いた途端に、不眠や肩凝り、頭痛、めまいに襲われ、職場に行けなくなって精神内科に通い始める。
 そして、うつ病と診断され、長期自宅待機を言い渡される。

 画面は、何人かのうつ病患者を追ってゆく。
 もう2年間も闘病生活を余儀なくされ、今でも頭痛や倦怠感に苛まれ、自宅にこもったまま苦悩する男性。
 あるいはまた、会社自体が危機管理を徹底させ、優秀な人材の組織復帰を後押しする態勢へと転換を図り、きちんと社員らをサポートし続けたことで、うつから立ち直りつつある男性。
 それから、うつということで解雇され、再就職すべく奔走するも、病気を告白した時点で各企業から雇用を断られ、掛かり付け医師から早急な復帰は控えるべきとの助言を無視して、企業行脚を続ける男性・・・。
 何れも、テレビを観る側の胸を締め付けずにはおかない。
 
 こうなると、ちゃんと社員を組織ぐるみで見守り、応援をし、病気に苦しむ人間を救い上げようとする企業と、それとはまったく逆に、単なる組織のパーツと捉え、その歯車に合わなくなった部品はすぐに取り替えるという企業哲学を持っている企業との差が、明確になってくる。

 勿論、後者が断然多い。
 しかし、テレビは語る。
 それでも少しずつではあるが、ストレスやリストラが生み出した現代病ともいえる、これらのメンタルな病を、完治する病気の一つとして認知し、組織そのものが病巣であると反省して、真摯に福利厚生に取り組んでいる企業も増えているのだと。

 「こんな私に誰がした?」というフレーズが浮かんできた。
 企業は非情である。組織は無情である。
 その無機質な感情を持つ共同体って、そもそもそこで働く人間たちの儚い共同想念でしかないんだけれどね、ぶっちゃけ。
 やれやれ・・・。



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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.36

2007年06月29日 | Weblog
 今日は、昨日と一転、雨模様。
 仕事中、窓を開けると少し涼しげな風かオフィスの中に入ってくる。

 「レッド・ツェッペリン」が再結成されるらしいとか、「スパイス・ガールズ」が再結成されて、ベッカム夫人であるヴィクトリアも含めての世界ツアーが決定したとかのニュースに混じって、「ローリング・ストーンズ」の最新ライブDVD四枚組が8月に発売決定とのアナウンス。
 去年、東京ドームで観たライブも入っているのだとか。そして何と、全7時間のDVD!
 早く観たい!

 どうしたのか、突然、昔のプログレシッヴ・ロック(懐かしい響きだね、どうも)が聴きたくなってきた。俺の精神構造は一体どうなっているんだ?

 「エマーソン・レイク&パーマー」と「キング・クリムゾン」が無性に聴きたいっ。市民図書館に行って借りてこようっと。




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「dry rainy season」

2007年06月28日 | Weblog
 今日も暑い。
 まだ6月後半だというのに、今年の夏は最初から猛烈に飛ばしている。

 お昼休み、久しぶりに自転車を漕いで海に行く。
 昼休みの時間は、たった45分しかないので、コンビニでペットボトルのお茶とおにぎりとミニ冷やし中華を買って、北海道に向かって開かれた閉鎖性海域「陸奥湾」を望む、「青い海公園」の小高い丘の上のベンチに腰掛けて独りぼっちのランチを採る。

 青い夏空にぽっかりと霞んだ雲が浮かんでいる。
 来る途中、街中に設置してあるデジタルの温度計を見たら、何と30度!
 仮にこのままで推移するとして、7月には一体どこまで気温が上昇するんだろう。少し怖くなって来る。

 木製ベンチはちょうど正四角形で、大人一人が横たわっても十分な面積を確保出来るので、この余裕スペースはとても嬉しい。
 ネクタイを解き、靴とソックスを脱ぎ、買ってきたおにぎりとミニ冷やし中華を頬張り、お茶を飲み干して、太陽の光を体中に浴びる。

 遠くから子どもたちの歓声が聞こえる。
 幼稚園児たちのミニ遠足だろうか。みんなで思い思いの弁当を並べ、ワイワイガヤガヤお喋りに興じている。
 ランニングをしている人。それから、初老の女性が独り、木製ベンチに腰を下ろし、静かに海を眺めながら昼食を採っている。

 そういえば、この付近を散歩している老人が多い。みんなそれぞれ独りぼっち、ぼんやりと海を眺めている。
 この人たちにも、輝かしい青春のときがあったはずだ。
 別に老年期が悪いとか、人生の終わりを迎える終末期だとか、そういう事を言いたいのではないけれど、老いてゆく事での煩わしさや苦しさは多分みんなあるはずだ。

 目の前のベンチに座り、独りぼっちの淋しい昼食を採りながら、初夏の清々しい海を眺めているこの女性の脳裏を過ぎってゆくものは、果たしていったい何なのだろう。
 悔恨や諦観や苦悩はあるのだろうか。
 幸福や希望や歓喜はあるのだろうか。

 もしも、いつか走れなくなったらどうしようと、ふと思う。
 耳が悪くなって好きな音楽が聴けなくなったり、目が悪くなって好きな映画が観られなくなったり、読書ができなくなったり、あるいはまた肉体が衰えて好きなエアロビクスやジョギングが思うように出来なくなったら、本当にどうしよう。

 多分、体が動けなくなったその時点で、自分自身が終わってしまうような気がしてならない。
 いいとか悪いとかじゃなくて、自分自身のレーゾン・デートルが無くなってしまうのではという恐怖感に襲われるのである。
 肉体が不自由になってゆくことへの恐怖と抵抗。それが頭の中から常に離れない。

 腕時計を見たら、もう12時35分を過ぎている。
 食べ終わった空箱をビニール袋に入れ、元来た道を引き返す。
 太陽の光が痛い。まるで8月のような錯覚に陥る。

 帰り際、警察署の前を通ったら、ふと今朝のニュースを思い出した。
 警察庁が、自転車の悪質運転急増を受け、全国で実施した取り締まり結果をまとめたところ、刑事処分対象となる交通切符、つまり「赤切符」、による検挙が102件、指導警告票を渡した件数が約21万件にも上ったという、そのニュースである。
 内訳は、信号無視、2人乗り、踏切内立ち入り、酒酔い運転、無灯火などなど。

 これは他人事として笑ってなんかいられない。
 たとえば、軽い気持ちで自転車に乗って飲み会会場に行き、その帰り道、ほろ酔い加減でまた自転車を運転したとしたら・・・3年以下の懲役又は50万円以下の罰金という重い罪が科せられることになる。
 勿論、無灯火や、ちょっとした信号無視であっても交通切符を切られてしまう。冗談では済まされないのだ・・・。
 
 夕暮れ時を迎え、家に帰っても暑さは相変わらず途絶えない。
 本当に今夏はどうなってゆくのだろう。猛烈な熱波にこの日本は塗れてしまうのだろうか。
 本州の最北端に位置する、この県庁所在地に暮らす分にはまだ楽なんだろうけど、首都圏で暮らす人たちは暑さで大変だろうなあ。

 って、こういう時だけ、「東京」に対する大いなる憧憬は一瞬で吹き飛んでしまう。



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「セブン」のデビット・フィンチャー監督による猟奇犯罪劇「ゾディアック」を観る

2007年06月27日 | Weblog
 一日の仕事が終わると、どっと疲れが出て来て、体が鉛のように重くなる。
 ゆっくり寝たい。熱いお風呂に入りたい。何も考えずただぼけーっと部屋で過ごしたい。今夜こそは家で静かに寛ぎたい・・・。

 なのに、体は自然と映画館に向かっている。
 デビット・フィンチャー監督の最新作、「ゾディアック」を観るためだ。

 映画が始まるのが8時20分。そして終了時間が11時10分。ということは予告編を除くと上映時間が約2時間40分近いということになる。家に帰ったら真夜中の12時近く。それから風呂に入って一息ついたとしても・・・また1時を過ぎてしまう。
 やれやれ。

 映画「ゾディアック」の前評判が非常に高い。
 「週刊文春」の映画評でおすぎが「今年上半期観た映画でベストワン」と書いていたし、「読売新聞」か「毎日新聞」か、ちょっと忘れたけれど、その映画コラムの中でも「今のところ、今年の映画の中でナンバーワン」と書いていたのを読んだ。

 監督はデビット・フィンチャーである。
 ハズレがあろうはずはない。「エイリアン3」、「セブン」、「ゲーム」、「ファイト・クラブ」、「パニックルーム」を撮った、あのデビット・フィンチャーなのだ。
 期待は増してゆく。

 全米を震撼させた(らしい)実在の未解決事件に挑むサスペンス映画である。
 「ゾディアック」と名乗る、謎の犯人が引き起こした連続殺人事件を追いながら、その犯人に翻弄され運命を狂わされてゆく4人の男たちを描く。
 出演は「ブロークバック・マウンテン」のジェイク・ギレンホールに、「グッドナイト&グッドラック」のロバート・ダウニー・Jr。

 ジェイク・ギレンホールは完全にブレイクした。
 最初は線の細さが気になったけれど、最近は堂々とした風格さえ漂っている。ロバート・ダウニー・Jrも、謎のゾディアックを追い求め、やがてアルコール中毒に溺れてゆく新聞記者を上手く演じている。

 1969年7月4日の夜、カリフォルニアでドライブ中の若いカップルが銃撃され、女性のほうは絶命したとの通報が警察に入る。そしてその通報者は、電話の最後で「犯人は俺だ」と低い声で言い残し、あとは一切語らずに電話を切ってしまう。

 冒頭の、殺人が起こるまでの数分間のシーンが素晴らしい。
 初夏の夜の熱気と、郊外の静寂。車で密会している車の後方から忍び寄るもう一台の不気味な自動車。
 さすがデビット・フィンチャーだと、思わず唸ってしまった。

 それから約1ヶ月後、サンフランシスコ・クロニクル紙に一通の手紙が届く。
 そこには、先月起こった殺人事件を含め2件の殺害を実行したとする声明文が書き記されている。「ゾディアック」と名乗る殺人者からの最初の手紙だった。
 そして驚くべきことに、そこには謎の暗号文が添えられていて、それを新聞の一面に載せなければ大量殺人を決行すると脅迫しているのだ。

 ここから、同紙の記者(ロバート・ダウニー・Jr)と、同新聞社で風刺漫画家として雇われている男性(ジェイク・ギレンホール)の2人は、この一件に異常なほどの執着をみせ、深い闇の中に紛れ込むように殺人鬼「ゾディアック」に没頭していく。

 約3時間近い上映時間、ある意味淡々と事件の概要と周辺に息づく人々の人生の一片が語られてゆく。
 そしてラストの1時間。映画は動き出す。でもそれは、ハイスピードで事件を追及してゆくとか、急展開の中で殺人犯を焙り出すとか、そういうことではない。

 あくまでも、重厚で、しかも緊張感を醸し出しながら曖昧にゆっくりと進んでゆくのである。
 しかし、この何とも言えない息苦しさは確かに凄い。さすがデビット・フィンチャー。巧い演出である。

 物語自体もまた、この映画の雰囲気そのまま、中途半端に、まるで霧の中を彷徨い歩いているように、着地点も示されず突然その幕を降ろす。
 その点が、この映画を評価するかしないかの分岐点になるかも。

 僕は、緊張感の中でこの映画を観終えたし、映画全体に流れる虚無感のようなものも大好きだ。
 いいと思う。



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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.35

2007年06月26日 | Weblog
 今日も気温はぐんぐんと上昇。木々の緑も鮮やかに映えている。

 会議、打ち合わせ、会議、打ち合わせ。
 やっと仕事を終え、帰り支度。猛烈に生ビールが欲しくなり、疲れてお腹が空いた事も手伝って、家とは反対方向、市内を引き裂くように流れている「堤川」の近くにある「W」という餃子屋さんにふらりと入る。

 独りぼっちで、餃子に炒飯にニラレバ炒め。それから冷えた生ジョッキをグイグイとあおる。サラリーマンが大勢で仕事の話に興じている。

 いいなあ。こうしてたった独りで飲むお酒もまた。
 そりゃあ、少しは淋しいけどさ・・・。



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今秋全国公開予定の映画、豊川悦司主演「犯人に告ぐ」のWOWOW先行上映を早速観た

2007年06月25日 | Weblog
 テレビ局が映画制作にまで深く携わり、多額な資金を出資する事が、最近ではごく頻繁に行われている。

 最近で言えば、日本テレビやフジテレビの例が分かりやすいかもしれない。例えば日テレは、宮崎駿の「スタジオジブリ」が制作する映画に深く関与しているから、それらの映画は独占的に同局でオンエアされることとなり、軒並み高視聴率を稼ぐドル箱ソフトと相成る。

 フジテレビもしかり。
 「踊る大捜査線」シリーズなんかは、様々なスピン・オフ作品も含めて作られる映画が軒並み大ヒットを飛ばしており、それが最終的にテレビ局にとっても大変美味しいソフトということになるからだ。勿論、投資したからといって、映画自体がコケてしまえば、双方とも大きな損失になってしまうけれど・・・。

 ソニーがハリウッドの映画メジャー「コロムビア」を多額の資金を投入して買収したのも、自前の映画制作を通じて多くのソフトを産み出したいからである。自社の映画が大ヒットすれば、それを流す器としてのハードにおいても他社を圧倒出来るという利点が生まれる。
 ソフトの充実。これこそが企業の明暗を分ける大事な要素のひとつなのだ。

 今回、有料テレビ局のWOWOWが満を持して立ち上げた劇場用映画レーベルである「WOWOW FILMS」、その記念すべき第1弾となる映画が完成した。
 「犯人に告ぐ」である。「このミステリーがすごい!」において年間第6位ともなった雫井脩介のベストセラー推理小説を、瀧本智行という人(知りません)が監督をした。

 主演が、初の刑事役となる豊川悦司(初めての刑事役というのが信じられないけどね)、共演者が石橋凌に笹野高史、それから井川遥、松田美由紀。
 ある少年誘拐殺人事件で犯人を取り逃がしたという苦い過去を持つ刑事が、再び起こった連続児童殺人事件を解決すべく、テレビというメディアを使って、殺害犯、バッドマンを追い詰める「劇場型捜査」を描く。

 川崎で連続児童殺害事件が発生する。
 捜査が行き詰り、神奈川県警本部長(石橋凌)は、かつての部下で現在は地方に飛ばされた巻島という男(豊川悦司)をまた呼び戻す。
 巻島は、6年前に誘拐事件で犯人を取り逃がし、マスコミから激しい糾弾を受けた過去を持っていて、県警の上層部は巻島を楯に使い、仮に犯人逮捕に成功すればそれでよし、失敗すればその責任を、全て巻島個人に押し付けようと企む。
 巻島はあえてテレビのニュース番組に出演し、犯人であるバッドマンを真正面から挑発する・・・。

 WOWOWで、日曜8時から一夜限りの先行ロードショーである。
 映画自体は、今年の秋から全国一斉にロードショーが開始される。となると、観ないわけにはいかない。今回、見逃したら、あとは秋の全国公開を待つしかないわけで。

 物語は、これまでにも映画や小説で手を変え品を変えて語り尽くされて来たパターンを踏襲していて、特に新味があるわけではない。
 原作を読んでいないので何とも言えないが、「このミステリーがすごい!」で年間ベストテンに入ったくらいだから、それなりに面白い小説なのだろう。

 しかしである。
 それがそのまま映画化されたからといって、その映画自体も凄く面白い作品に仕上がるとは限らない。
 今回の「犯人に告ぐ」も、警察犯罪サスペンスとして優れた作品かと問われても、「凄く面白かった」とは即答出来ないところに、この映画を語る上での難しさがある。

 折角の素材なのに、この監督は抑揚を付けるでもなく、ただ淡々と凡庸に描く。つまり、盛り上がりに欠けるのである。ラストのちょっとしたヒネリも、ただポーンと観客に提示するだけ。おいおい、もう少し考えてよと言いたくなる。
 映画は、警察組織の暗部や歪な人間関係も確かに描いてはいる。その点は上手いと思う。でもそれだけだ。

 WOWOWが立ち上げた劇場用映画レーベル「WOWOW FILMS」の第2弾は、2008年、重松清原作の「きみの友だち」に決定したようだ。
 監督が、あの「ヴァイブレータ」を撮った廣木隆一。これは期待できるかも。

 「犯人に告ぐ」。
 これだと別に、映画館までわざわざ足を運ぶ必要はないかもね。
 ちょっとキツイかな?
 


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UAの新作「Golden green」がM・M誌で満点! でもそうかなあ?

2007年06月24日 | Weblog
 音楽情報って、みんな何処から入手してるんだろう?

 勿論、音楽雑誌だったり、インターネットだったり、テレビやラジオの音楽情報番組だったり、当たり前だけど様々な媒体が発信基地になってるから、音楽好きなら誰でも、様々な方面にアンテナを巡らし、敏感に情報収集しているに違いない。

 毎月発売される膨大な数の音楽CD。
 好きなジャンルはそれぞれ違っていても、その数多の新作CDの中から、僕たちは熟考に熟考を重ね、数枚に絞った上で購入を決める。

 輸入盤や廉価盤は別として、日本盤は一枚3000円前後というのが大半を占めている。日本のCDは高いのである。
 ひと月に何十枚も買い込むというマニアックな音楽ファンも居るには居るけれど、普通の音楽ファンは月数枚程度の購入が大半なんじゃないだろうか。

 大好きなアーティストのアルバムが出たら必ず買い求めるという人は多くても、そのほかは、音楽雑誌のCD評や前評判、或いはFMやテレビの「MTV」とか「スペース・シャワー・TV」、「MUSIC ON TV」なんかで事前に聴いて初めて購入する事になるのだと思う。

 最近は、あえてCDを買わないで、パソコンに直接取り込んだり、CDに焼いて聴く人も多いから、音楽CDの売り上げ自体も低迷していて、潰れる販売店も増えている。

 でも僕は絶対だめ。
 確かに、MDに録音したものやCDに焼き直して持っているものもあるけれど、ちゃんとアーティストのCD自体を買って揃えて置かないと気が済まないのである。
 なので、人から借りて聴いたり、まずはレンタル屋さんからレンタルして聴いたりして、それで気に入ったアーティストやアルバムだったとしても、改めて後日買い求める事もまた多い。
 手元にそのものを置いて置かないと落ち着かないのだ。

 雑誌や新聞の音楽評はよく見るようにしている。
 それらを参考にしてCDを購入するからだ。
 これまでも、確かに衝動買いや、ジャケットの美しさに囚われ、中身も聴かずに買っちゃったって事もあったけど、全ての音楽を事前にTVやラジオから仕入れることは不可能に近いし、手っ取り早い方法として音楽雑誌を読むのが判断の近道だ。

 今月号の「ミュージック・マガジン」の音楽評で、何と「UA」の2年ぶりの新作「Golden green」が満点を獲得した。
 来月号の特集も「UA」で、アルバム・ピックアップのコーナーでも新作を大絶賛している。

 そうなると、ミーハー感覚が抜けない僕としては、早速発売日にCD屋さんに直行! 即、家に帰って何度も繰り返し聴いている。

 原点回帰、初期のシングルの感覚に戻っている、ポップで聴きやすくなり親しみやすくなった、等等。
 うーん。そこまでかなあ。
 悪くはないし、いいとは思うけど、10点満点は少し過大評価では?
 期待が大き過ぎると、その反動もまた大きい。だって満点を付けるんだもん、期待するでしょう、普通・・・。

 そういう意味でも、他人の評価ってほんと難しい。
 余りに褒めちぎると、買う側の妄想も肥大化して、ギャップも大きくなってしまうのである。難しい。

 ただ、僕はUAの新作「Golden green」を否定している訳じゃない。繰り返し何度も聴いているし、決して悪いアルバムじゃない。
 特に後半、聴きやすい曲も多く、ほとんどの歌詞に使われている「星」とか「自然」とか「地球」とかが暗示しているように、この星を包み込む「優しさ」や「愛」が謳われている。

 見なきゃよかったかも。
 真っ白な気持ちでこのアルバムを聴いたら、また別の感情が現われたかもしれないな。



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「FEVER」

2007年06月23日 | Weblog
 昨日は夜遅くまで、録画していた、テレビ朝日のスペシャル・ドラマ「テレサ・テン物語」を観る。
 ドラマ自体は特に見るべきものもない。国家の間で翻弄され、否応なく政治的な駆け引きに巻き込まれてゆく、歌手テレサ・テンの姿は確かに哀しいが。

 でも、ドラマの挿入歌は本当に素晴らしい。
 僕は演歌とか歌謡曲も嫌いじゃない。カラオケなんかで、他人が歌っている曲を聴く事もあるけれど、グッと胸に迫る曲が意外と多い。

 今回のドラマで流れた、「愛人」、「時の流れに身をまかせ」、「別れの予感」などを改めて聴いて、「テレサ・テン」のアルバムを本気で買おうかと思ったほどだ(いや、マジで買おうっと)。

 今日もいい天気。暑い。
 午前中、久しぶりにジョギングをする。
 何週間ぶりの走り込みだろう。風邪を引いて咳がずっと止まらず、仕事の忙しさも手伝い、長い間走っていなかった。

 いつものコースも飽きてきたので、気分を変えようと、市内を南北に流れる大きな河沿いを走る事に。
 駐車場を見つけて車を停め、鍵を握ったまま、予め着替えておいたTシャツとジョギングパンツでゆっくりと走り出す。

 太陽が眩しい。
 陸奥湾へと注ぐ豊かな河は、街の中央部から大きくY字型に別れ、八甲田の方へと続いてゆく。そのYの右側と左側を添うようなかたちで走る。

 すぐにTシャツは汗まみれ。
 地方民放局の脇を抜け、幾つもの橋を渡る。青森高校の近くでUターン。何人かの知り合いの家の前を通り、今度は海の方角に向かって走る。

 喉が渇いて汗が滴り落ちる。
 久しぶりだから体は思うように前に進まないけれど、とても気持ちいい。
 走り終わったら、まるでサウナから出た直後のように全身が火照って、滝の汗。夏のジョギングは、これだから止められない。

 家に帰ってシャワーを浴び、昼食を採りに中心市街地へ。
 帰り際、ふらっと某デパートのイタリア・ブティックに立ち寄ると、とてもオッシャレーな女性店長が、今日から特別お得意様限定バーゲンなので是非と、笑顔で手招き。
 買うつもりは全くなかったのに、結局、白と黒とグレーのイタリアンシャツ3枚に、先っぽの尖がった夏用のワイン色と黒のシューズ2足、それから細身の黒いストライプのスーツ2本を買っちゃう破目に・・・。
 とほほ。またもや散財。

 あとはずっと部屋に篭る。今日は、読んでいない、新聞と雑誌とCDとビデオと本を一気に片づける事に決めていたので、部屋の中に、片づけるべき新聞、雑誌をまず積んで、片っ端に読み漁る。ああ。これもまた気持ちいい。

 夕食を採ってからは、これもまた撮り溜めしていた韓国ドラマ「チュモン」。④⑤⑥⑦⑧巻を続け様に観る。
 さすが、韓国テレビドラマ史上最高視聴率を誇ったドラマの事だけはある。面白い。最初は「ん?」と首を傾げたけれど、込み入ったストーリーがやっと動き出して来た感じ。

 でも、まだまだ未読、未観の本や映画が、目の前にどーんと控えている。
 よしっ! 夜はこれから。
 さあ、次は何にする?




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「ポール・ウェラーにもなりたいっ!!」NO.34

2007年06月22日 | Weblog
 昼食を採る間もなく、午後も会議会議で夕方を迎える。またも昼抜き。
 仕事終わりに美味しい珈琲を飲もうと、朝から約束していた友人とも時間が合わなくて、結局それも叶わず、夜の帳が迫る金曜の街を独り家へと向かう。

 何だろう。この淋しさは。
 まるで、自分だけひとりが無人島に残されたような、そんな儚い感じが襲って来る。

 明日は土曜日。晴れたらいいな。





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大好きな北野武監督の最新作映画だけど、この「監督・ばんざい!」はちょっとキツイ。

2007年06月21日 | Weblog
 北野武は好きな映画監督の一人である。
 これまでに監督した映画は、そのどれもが素晴らしかった。ただ、僕はどちらかというと、北野武自らが主演した作品より、監督業に徹した作品のほうがより好きだ。

 これまで北野武が監督をした映画は、これまで全部で12本ある。
 「その男、凶暴につき」に始まって、「3-4x10月」、「あの夏、いちばん静かな海」、「ソナチネ」、「みんな~やってるか!」、「キッズ・リターン」、「HANA-BI」、「菊次郎の夏」、「BROTHER」、「Dolls」、「座頭市」、「TAKESHIS」。
 そして今回の「監督・ばんざい!」が、その最新作ということになる。

 僕が個人的に愛してやまない映画は、何と言っても「あの夏、いちばん静かな海」である。この映画は素晴らしい。
 静謐で、豊かで、悲しみに満ち溢れ、しかも簡潔で優れた短編小説を読んだあとのように清々しい余韻に包まれる。

 そしてそのほかには、「3-4x10月」、「ソナチネ」、「TAKESHIS」辺りになるだろうか。「Dolls」も棄て難い雰囲気を持っている。

 ただし、北野武の映画は、出来栄えの乱降下が激しい。
 よく言えば我々の期待を裏切るということにもなるのだろうけれど、素晴らしい作品を提示したかと思えば、その次はこれまでの遺産を放棄したように乱暴な映画を作ってみたりする。その落差が彼の映画を豊かなものへと押し上げているのかもしれない。

 今作の「監督・ばんざい!」は、脱暴力・脱ドンパチ映画を宣言した北野武監督が、さまざまなジャンルの映画に取り組み苦悩する姿を描くという、監督として第13作目に当たる作品だ。
 次のステップを求めて苦悩し、のたうちまわる本人そのもの心境と葛藤を投影させ、小津安二郎風の白黒ドラマ、恋愛映画、SF・ホラー、忍者映画などに果敢に挑んでは挫折を繰り返してゆくという体裁を施している。

 ストーリーは解りやすい。
 バイオレンス映画は二度と撮らないと封印宣言した映画監督(ビートたけし)が、ヒットを目指してさまざまなジャンルの作品に挑むことを決意する。
 昭和の名匠・小津安二郎風の作品や不得手な恋愛映画、SF映画などに挑戦しては壁にぶつかって試行錯誤を繰り返す。そんな中、地球にはある危機が迫っていた・・・簡単に書くと、この程度。

 別に、一切の映画的文法を無視して、滅茶苦茶に撮ったという訳でもない。荒唐無稽で、好き勝手に楽しく撮っている。あるいは、心底映画そのものに煮詰まってしまい、完全に居直って撮ったのか・・・。

 前半は快調に飛ばす。
 様々なジャンルの映画が挿入され、その映画監督(ビートたけし)が試行錯誤を繰り返してゆくさまが、面白く可笑しく描かれる。

 僕は前作の「TAKESHIS’」も結構気に入っている。
 前作は、評論家筋からもかなりキツイ批判を受けたようで、「意味がよく解らない」、「支離滅裂だ」、「独りよがりの映画」等の意見が多かった。
 でも、映画を壊したい、既存の路線を否定する、心風景をスクリーンに殴り書きする。そういう姿勢は小気味いい。好きである。

 ところがである。
 ところが今作は、ちょっと頂けない。特に後半。
 北野武は自分で撮っていて、映画自体に飽きて来たとしか思えない、雑な展開に終始する。つまり、体力が最後まで持たない長距離ランナーみたいになるのだ。

 笑いは空回り。白ける事この上ない。
 特に、井出らっきょの過剰で大袈裟な演技には辟易。お笑い映画で笑えないのは、苦痛も倍増してゆく。

 これこそ、北野武が映画の袋小路に入り込んで、そこから抜け出せないということを如実に物語っている。それとも、天才たけしは、そこまで読んで、この映画を作り、観客に提示しているのだろうか。

 もしも、そこまで深い考察に基づき、緻密な戦略のもとで作られていたのだとしたら、心から敬服するけれど・・・。

 サルも木から落ちる。
 でも、そんなに高い木でもないので、次回作には期待したい。



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「孟夏」

2007年06月20日 | Weblog
 快晴。今日も朝から暑い。
 出勤する僅か10分程度の道程なのに、執務室に着く途端に汗が噴き出てくる。今日は水曜日。もう週のど真ん中まで来てしまった。今度の土日をやり過ごしたら、その先には7月が待っている。

 この街は、特に梅雨らしい梅雨はないけれど、それでもいつもならそれなりに雨が降る。今年はそれも少ないように感じる。
 ラニーニャ現象の影響なのだろうか。夏も暑くなりそうだ。次々と梅雨入り宣言がされる中、水不足も懸念されている。

 いつも楽しみにしているのが、日本経済新聞社で出している「日経流通新聞」、いわゆる「日経MJ」の年間ヒット商品番付。
 勿論、普段は「日経MJ」なんて購読していないけれど、このランキング発表時だけはとても楽しみにしていて、必ず買うように心掛けている。

 昼休み。オフィスから1キロほど離れた「朝日・日経新聞販売店」まで自転車を飛ばして「日経流通新聞」を買い求める。

 2007年上期(1―6月)の日経MJヒット商品番付の両横綱に選ばれたのが、「都心ランドマーク」と「電子マネー」。

 まずは、「東」の横綱「都心ランドマーク」。
 東京駅前の「新丸ビル」、それから「東京ミッドタウン」、大阪の「なんばパークス」や名古屋の「ミッドランド・スクエア」も入るらしい。
 でも、個人的に言うと「東京ミッドタウン」の外観って余り好きじゃないけどね。

 「東」の大関は、任天堂の新ゲーム機「wii」。
 やはり予想は的中した。現時点で、次世代ゲーム機戦争は任天堂の一人勝ちと相成った。ソニーの「プレイステーション3」は苦戦を強いられている。当然である。高すぎる。
 確かに新機能満載で、ブルーレイ・ディスクも観ることが出来るとはいうものの、ゲームファンは、シンプルでも面白いゲームを求めている。もう複雑で敷居の高いゲームは敬遠されているのだ。
 その点、任天堂は原点回避して成功した。「DS」も物凄い勢いで売れてるし。

 「西」の横綱は「電子マネー」。
 「PASMO」とかの電子マネーのことである。大ヒットして、「PASMO」などは一時販売制限をするほどの人気商品となった。
 そして大関が、マクドナルドの「メガマック」。
 1月から5月までの5か月間で、なんと1300万食を売り切ったのだとか。6月からは新たに「メガてりやき」を導入するらしい。

 関脇は、「東」が、宮崎県知事に東国原英夫氏を選出した「宮崎」。そして同じ関脇の「西」が、3月末で累計出荷台数700万台という数字を吐き出した「ワンセグ携帯」ということになった。

 ということで、中々面白いランキングとなったけれど、それよりも「日経MJ」で一際興味を引いたのが、「2007年上半期トレンド予測」だ。
 つまり、今年の上半期にブレイク必至のアイテムがずらりと列挙されているのだ。

 7月から始まる綾瀬はるかが主演する新ドラマ、「ホタルノヒカリ」。
 このテレビは面白そう。恋人がおらず、休みの日はただ寝て過ごす独身女性の生態「千物女」を演じるのだとか。
 そして大ヒットしたアニメの再始動、「エヴァンゲリオン新劇場版 序章」に、年内に発売される予定の「wii」のDVD再生機能を付けた上位機種。

 それからそれから、東京駅八重洲口に新しく建つ、南北ツインタワー「グラントウキョウ」、9月にオープンする予定の一棟丸ごとホテル「ザ・ペニンシュラ東京」などなど、新しいトレンドになりそうなヒット商品、施設等が目白押し。

 何せ、新しいものには目がなく、貪欲にそれらを追求するという悪い癖が未だに直らず、その意味で言うと、「仏教」が説く、「節約」や「倹約」、「欲望」や「煩悩」からの脱却、「求めない、欲しがらない」という、謙虚な教えを自分のものに出来ない愚かな人間なのである、このわたくしは。
あーあ。

 それはそうと、ソニーが年末、満を持して発売するという超薄型3ミリ高画質テレビ、「有機ELテレビ」。
 これはマジで凄いらしい!!



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ロバート・アルトマン監督の遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を観る。

2007年06月19日 | Weblog
 僕は映画を観る前、なるべく水分を採らないように心掛けている。
 当たり前の事だけど、映画の途中でトイレに行くために席を立ちたくないからだ。それでも、映画を観ながら啜る珈琲の味というのも中々美味しいもので、ついついカップに注いだ熱い珈琲を館内に持ち込む事もまた多いんだけど・・・。

 それに最近の映画は長い。
 2時間以上は当然で、3時間近い大作もかなりあるから、体調管理には万全を来すよう努力する(って、そんな大袈裟なことでもないんですが)。

 神経質なのだ。見掛けによらず。
 それに隣に人が居るのも嫌だし、ちょっとした物音にも敏感になる。なので、近くで無神経にガサガサと食べ物を頬張ったり、小声で会話なんかしている人に対しては完璧にキレる。

 最近の映画館はマナーが悪い。
 他人がどう思うかなんてまるで考えていない。少しでも周りを気遣うなら、なるべく音を立てないようにしようと努力するはずだ。
 本当に呆れ果てる。

 先日、ロバート・アルトマン監督の「今宵、フィッツジェラルド劇場で」を観に行った。
 実は、その日早朝から、所属している「組織」の親睦を兼ねた「ソフトポール大会」があって、朝から試合を観戦しながらの焼肉大会ということになり、缶ビールにワインと、かなりお酒を飲んでしまった。
 日中のビールって本当に美味い! これは癖になる。しかも快晴の気持ちいい土曜日。ついつい酒の量も多くなる。

 ちょうどその日は昼の11時過ぎから映画を観る予定があったにも拘らず、少し酔ってしまい、そのまま映画館まで駆けつけてしまったから、さあ大変。
 トイレが近くなって、我慢に我慢を重ねるのだけれど、そうすると映画の中に入り込めない。それが辛い。
 体が痺れてきて、居ても立ってもいられなくなり、結局急いで映画館のトイレへと駆け込んでしまった。こんな事、余りないんだけどなあ。

 潔癖症なものだから、映画はきちんと最初から最後まで観ないと納得いかず、どんなに面白くない映画であったとしても、完全に観終わるまで席は立たないことに決めている。
 だから、例えば何らかの個人的な事情が生じて映画に遅れ、最初の僅か数分間を見逃す事が確実になった場合には、その回は絶対観ない。次の回まで改めて待つか、あるいは日を改める。そういうアホな人間なのである。
 
 映画「今宵、フィッツジェラルド劇場で」は、これまでにも「M★A★S★H マッシュ」や「ナッシュビル」、そして「ザ・プレイヤー」や「ショート・カッツ」など、あまたの傑作群像劇を生み出してきた、名匠ロバート・アルトマン監督の遺作となってしまった。

 ロバート・アルトマンは、僕の大好きな監督のひとりだ。
 独特の語り口、つまり「グランド・ホテル」形式と呼ばれる(何人もの人間たちが交互に映画の中に登場し、その人間たちが絡み合いながら一つの大きな物語を作ってゆくというもの)映画手法は、彼の映画になくてはならない大事な要素のひとつである。
 勿論、ロバート・アルトマンはそういう群像劇だけを撮ってきたわけではないけれど。

 そのロバート・アルトマン最後の作品として世に出たのが、この「今宵、フィッツジェラルド劇場で」。
 アメリカの人気公開ラジオ番組「プレイリー・ホーム・コンパニオン」の最終回の舞台裏を、メリル・ストリープ、トミー・リー・ジョーンズら豪華な配役陣で映画化し、脚本は番組の司会者だったギャリソン・キーラー本人が手がけた。

 アメリカの、とある街にあるフィッツジェラルド劇場という名の音楽ホール。
 ここで公開生中継が行われてきた人気ラジオショウが「プレイリー・ホーム・コンパニオン」、いつものように、演奏者たちが次々と劇場に入って来る。
 カウボーイシンガーにベテランシンガー、カントリー・デュオ姉妹。そのカントリー姉妹のうちの妹は娘も同伴させている。様々な会話が楽屋で飛び交う。
 そして今宵もまた、名司会者ギャリソン・キーラーの、旨味の増した語り口で番組はスタートする。本当は、今夜が最後の放送になる予定なのだ。でも司会者は、そのことを観客やリスナーに切り出すことが出来ずに戸惑っている・・・。

 ロバート・アルトマンの死を予感させるかのように、映画の中にも「死の使者」が登場する。華やかなカントリー・ソングに添えて、この映画には「死」の匂いが漂っている。
 それにしても、巨匠の名に相応しい、侘び寂びに満ち溢れた、味わい深い枯れた映画である。

 こういう映画監督のことを、老練な職人っていうんだろうなあ、たぶん。



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これは面白い! 今年上半期ベスト3確実! メル・ギブソン監督の映画「アポカリプト」

2007年06月18日 | Weblog
 先週、行きつけのBARで独り淋しく冷たいビールを飲んでいたら、カウンター越しにマスターが、「いやあ、一足先に映画『アポカリプト』観たんだけど、すげえ映画だったよ!」と久しぶりに興奮している。
 「ああ、映画『アポカリプト』ね。マッド・マックスのメル・ギブソンが監督したやつでしょう? まあ確かに前作監督した『パッション』も凄まじい映画だったからなあ。キリストの最後の12時間を描いて全米で大ヒットしたけど、あの執拗なまでの拷問シーン、ちょっと辟易しちゃったよねえ」。

 そのあとも話は「アポカリプト」一色。
 そこまで熱く映画を語られると、こっちとしても観たい気持ちが異常に高まり、居ても立ってもいられなくなって来る。
 マスター曰く、後半いっときも目が離せない。怒涛の如く続く凄まじいアクション。こんなにアクションシーンで痛みを感じたのは久しぶり。などなど。

 ちくしょう!! 観たいっ!! 今すぐ観たいっ!! アポカリブト!!

 ところが。ところがである。
 今週から各映画館で始まる新作映画の上映時間を見てみても・・・ない。ない。アポカリプトは上映してない・・・。
 目を凝らして県内の映画上映スケジュールを再度眺める。
 あった、ありました。「八戸フォーラム」。県内では、ここ一館だけの上映じゃん! これは行くしかないでしょう。車を飛ばしてでも。

 なので、眠い目を擦り、日曜日の朝、約100キロ離れた八戸の街を目指して車を飛ばす。「アポカリプト」を観るためだけに。
 初夏の青空の下。八甲田連邦を越え、十和田に入り、2時間弱のドライブ。そして遂に「八戸フォーラム」到着。午前10時から始まる回に何とか間に合いました。
 さて、そしてその映画の内容ですが・・・。

 キリストが磔に処される約12時間を描いた「パッション」で、全世界に衝撃を与えたメル・ギブソン。
 今回の新作は、一転、マヤ文明末期を舞台に、ひとりの若者の決死の逃走劇を描いたアクション・アドベンチャーに仕上がっている。
 出演者のほとんどが、映画経験のない若者たちを起用。そして、全編がマヤ語のみで撮影された。

 中央アメリカ部の豊かなジャングルで、妻や狩りの仲間たちと平和な暮らしを送っているジャガーという若者。
 彼のは、ある日マヤ帝国の傭兵たちの襲撃を受ける。逃げ惑う子どもたち。女たちは傭兵に犯され、抵抗する男たちは殺りくにあい、残った男と女は生け捕りにされ奴隷として連れ去られてしまう。

 俊足のジャガーは、身篭っている妻と幼い息子を深い穴の奥底に隠し、自ら囚われの身となりマヤの首都へと縛られたまま運ばれる。
 ところが彼らは全員、干ばつを鎮めるための生け贄にされそうになり、ジャガーだけがそこからたった独り脱出を試みる。
 愛する身重の妻と息子のもとに帰る、ただそれだけのために。

 映画は概ね、前半と後半に分かれている。
 自然の中でコミュニティを成している、ある一つの部族の日常を描く前半部。
 そして、奴隷として王国深く連れ去られ、そこから全力疾走で敵方から逃げ切る後半部。

 メル・ギブソン自身がインタビューで語っているように、これは「痛み」を伴う映画である。残酷で過激なシーンもたくさん出て来る。
 この俳優、いや今回は監督だけど、自虐的でM気質なのではないかと思うほど、肉体を虐め、悲惨を煽る。

 とにかく、ラストの40分が凄い!
 アクションに次ぐアクション。それも肉体のみを駆使しての大活劇!
 主人公に武器はない。屈強な肉体のみがその武器である。敵は、残酷で冷徹なマヤ王国の傭兵たち。彼らはジャガーを生け捕りにし、その皮を纏うことを喜びにジャガーを追いかける。

 余りにも期待感が強すぎて、少し面食らった部分もあるにはあるが、それでも面白さは半端じゃない。この映画を、何の予備知識もなく観たとしたら、衝撃度は倍だったろう。

 「手に汗を握るとはこの『アポカリプト』の事を言うのでは」と書いた映画評論家がいたけれど、あながち誇張ではない。

 面白いぞ「アポカリプト」。
 観るべし! 




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「サイドシートの影」

2007年06月17日 | Weblog
 7時に起床。
 今日も暑くなりそうな気配。空は昨日と同様に雲ひとつない快晴。

 牛乳とヨーグルトとサンドイッチを食べ、何枚かのCDをピックアップして車に乗り込む。腕時計はちょうど朝の7時30分を示している。

 外環状線に抜けて、朝の八甲田連邦に入る。
 今週の映画評に選んだのが、メル・ギブソンが監督をした「アポカリプト」。
 この映画を事前に観た友人が大絶賛していて、そんなに面白い映画ならと、次の映画を「アポカリプト」に決めちゃったのが運の尽き。
 何と、県内の上映が「八戸フォーラム」のみ。それも朝の10時から。勿論、12時台の上映もあったんだけど、その回を観たら帰りが遅くなってしまう。
 なので、早起きして八戸市を目指す。

 緑が萌えている。
 余りの濃さに目が痛いほどだ。
 八甲田の山頂に鮮やかな雪型。運転席の窓を全開にして、浜田省吾の「BEST OF SHOGO HAMADA VOL.2」を大音響で流した。浜田省吾が山並みに大きく響き渡る。

 十和田市に入り、六戸、五戸。そして遂に八戸市内へ。ちょうど2時間。
 少し上映まで時間があったので、車を駐車場に入れて近くの「ミスター・ドーナッツ」で新聞を読みながら珈琲を啜った。
 勿論、エンゼル・クリームもピックアップ。

 映画が終了したのがお昼の12時少し過ぎ。
 何処にも寄らずに、そのまま帰路に着く。暑い。外は27度。太陽が眩しい。
 帰ったら、即、原稿を書かないと間に合わない。帰りも行きと同じコース。田代平高原に入ったら、さすが日曜日という事で車がいっぱい。
 でも、単に一本の映画を観るためにだけ八戸をUターンする人間もいないだろうな。

 CDはたくさん車に積んだはずなのに、どういうわけか浜田省吾以外は聴きたくない。仕方がないから、帰り道、十和田市内のツタヤに寄って、中古のCD(勿論、浜田省吾のCDね)を買い、それをまたまた大音響で聴きまくった。

 家に着いたのが午後の2時半過ぎ。
 ミネラル・ウォーターを飲みながら、今日中に図書館に返さなければならない本を慌てて読み流す。
 映画の原稿は夜にしよう。

 お昼を抜いたのでお腹がグーグーと鳴ってきた。
 早めの食事をしようと、今凝っている東部方面にある回転寿司の「函太郎」まで車を飛ばす。
 超満員。1時間半待ちである。
 大トロに、鯖に、卵巻きに、ウニに、平目に、イクラに、海老に。美味い。後ろを見たら、まだ数10人は待っている。

 お腹がいっぱいになり、夕暮れの街を車で走る。
 大きな夕陽。鮮やかな橙色が美しい。西の空を染めている。
 車のCDから浜田省吾の「サイドシートの影」が静かに流れた。グッときた。


 -海が見えたら起こしてあげるから もう少し眠りなよ ラジオを消して
 サイドシートに話し掛けてみる そこには誰もいないのに
 曖昧な痛みが押し寄せ去ってゆく-


 日曜日が終わる。
 そしてまた、明日が何気ない顔をしてやってくる・・・


 

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「夏のクラクション」

2007年06月16日 | Weblog
 快晴。
 暑い。もう夏の装いに一変している。風も。太陽も。空も。大気も。それから海も。

 昨日は仕事の打ち上げ会。
 市内の某Mという料亭にて飲み会。二次会には寄らずに帰宅。ほろ酔い加減で、インドの新進作家、ラッタウット・ラープチャルーンサップの「観光」を読む。
 短編集の最初の一編をまず読んだ。
 なかなかいい。文体が簡潔で、清潔感が漂っている。まるで、村上春樹の初期の短編集を読んでいるような錯覚に襲われた。

 今朝は8時に起床。
 冷蔵庫を開け、アイス珈琲を取り出しマグカップに注ぎ、イギリス・サンドと一緒に呑み込み、歯を磨いて顔を洗い、自転車に乗って家から5キロほど離れた東部地区にある海辺の公園まで。

 今日は、組織の親睦を兼ねた「対抗ソフトボール大会」。
 試合は8時過ぎから既に始まっていて、現地に到着した頃には所属する部内のチームはもう終わった直後。

 勿論、僕は試合にエントリーしていないので、差し入れに買って来た缶ビールやミネラル・ウオーターやスポーツ・ドリンクを幹事に渡して、早速冷たいビールをごくり。
 みんなで青空の下、焼肉、サザエ、ホタテ、牡蠣などを鉄板に乗せる。

 土曜日の朝の、雲ひとつない晴れ渡った空。風も心地よい。
 多目的ホールの4面を全て貸し切って行っているから、ギャラリーも多い。それそれが食べ物とお酒を大量に持ち込み宴会に供しているから、まるでお花見のような賑やかさ。

 かなり酔っ払ってきたけれど、11時40分からシネマ・ディクトで、ロバート・アルトマン監督の遺作「今宵、フィッツジェラルド劇場で」と、北野武監督の「監督、ばんざい!」を観ようと思っていたから、途中で退席。

 映画館にギリギリで辿り着き、まずは一本目。
 ところが少し酔っているからトイレが近い。やはり映画を観る時は絶対に飲むべきじゃない。そのことを痛感。
 映画の神様、ごめんなさい!

 2本目の上映まで約30分の合間(当然、2本分の映画料金を払っての事ですが)。
 疲れているからか、映画館のシートに深く沈み、目を瞑る。
 そしたら館主の谷田さんが、わざわざ気を使って館内まで来て話し掛けてくれる。ほんと、優しい人だ。

 タケシの「監督、ばんざい!」を観終え、外に出たら午後の4時20分。
 まだ外は初夏の太陽が輝き、まだまだ暑さが街を渦巻いている。空も真っ青。何か、こうして映画館に篭っていた事が悔やまれるほどだ。

 髪を切っちゃおうかなあと、突然思い、帰り際、家の近くの行きつけの床屋さんに寄る。
 天気がいいからなのか、お客は誰もいない。
 髪を短く刈ってもらいながら、余りの気持ちよさにウトウト・・・。
 遠くから車のクラクション。夏のクラクション。

 さっぱりとした頭を撫でながら、帰宅。
 自分の中で変わってゆく何かがある。ゆっくりと、そしてしっかりと。上手くそれを表現できない事がもどかしいけれど。

 早めの夕食を終え、部屋の窓から南の空を眺める。
 太陽が西の彼方に傾きかけている。それでも空はまだしっかりと青い。

 夕暮れの海を見たくなった。ちょっと自転車に乗って散歩でもしようかな。




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