淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「はるがきた」

2009年02月28日 | Weblog
 春が来た。
 やっと長い冬が終わった。まだ雪は少し残っているけれど。
 今冬は割りと楽な冬だったように思う。暖冬少雪で、とても過ごしやすかった。

 2007年から2008年に掛けての冬は最悪だった。
 これまで生きて来て最低最悪の冬だといっても過言ではない。精神的にもかなり凹んだし、圧倒的な空虚感や寂寥感や喪失感が怒涛の如く襲って来て、その余りの苦しさに心底耐えられなくなり、ひどく心が掻き毟られた。

 もちろん、その原因はある。
 あるけど言わない。もう思い出したくもない。

 そして今日で2月が終わる。
 明日の日曜日から3月が始まる。
 雪も確かに降るだろうが、たいした量にはならないだろう。何て言ったって3月である。春である。もうすぐ桜が咲き乱れるのである。

 今日は、郊外にある某Gフィットネスクラブに行って1日体験をした。
 入会するかしないかは、まだ決めてない。車で通わなければならないという事がネックにある。
 リバウンドした体重を、また元の体重まで絞り込まなければならない。それにマラソン大会も、これから連続して行われるし。
 体を思い切り動かし、汗を掻くのはやっぱり気持ちがいい。
 20分間ランニングマシンで走ってから、腹筋や胸板や腕や大腿筋を鍛えるマシンを使い、最後にまたランニング。
 重い。かなり体力が落ちてる。

 仕事は、ようやく一段落してきた。
 一時は眠れない夜も続いたけれど、すべてにはいつか終わりが来る。その安堵感もまたいいものだ。

 午後は、独り街に出た。
 コートを羽織り、新聞とハードカバーの小説を抱え、中心市街地をぶらぶら歩き、本屋を覗き、CDを眺め、図書館に立ち寄り、最後に、珈琲ショップに入って熱い珈琲を啜りながら、持って来た新聞各紙と小説を読んだ。
 小説は、直木賞を獲った、山本兼一氏の受賞作「利休にたずねよ」。

 春の匂いが漂っている。
 爽やかな風。明るい太陽。まだちょっと大気は冷たい。

 珈琲ショップの1階の硝子越しに、表通りを歩いている人々が見える。
 午後の陽光が、街を優しく包んでいる。気持ちのいい、素敵な土曜日の昼下がりだ。

 外に出たら、面白くないほうのS氏と、県美を辞めて現在は八戸を拠点にアート・プロデュースをしているT氏にばったり遭遇。
 しばしの雑談。
 4月から始動する「まちなかアート」に関わっているようだ。

 透き通るような青空に、少しずつ橙色をした夕闇が迫って来た。
 もしも明日も天気だったら、久しぶりに外をジョギングでもしてみようかなあ。
 早春の海も見てみたい。





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大好きなキム・ギドク監督最新映画、オダギリ・ジョー主演の「悲夢」は失敗作だ。

2009年02月27日 | Weblog
 韓国映画界で、マスコミ等で一番嫌われている監督がキム・ギドクらしい。
 確かに、彼の映画は血と暴力とセックスに塗れている。でも、だからといって、そんなに激しい描写や過激なシーンがあるわけではない。
 そういうイメージが絶えず彼には付き纏っていて、彼の映画の主題も、世間の異端者やドロップアウトしたような人間をモチーフにして、現代の閉塞感や孤独感を描くことが多い。

 僕が、初めてキム・ギドクの映画に触れたのは、「春夏秋冬そして春」だった。
 久しぶりのショックを受けた。
 鋭利な刃物で喉元を突き付けられる、月並みな言葉で言えば、そういう感じがした。戦慄を覚えた。

 それからは、キム・ギドクの映画を観まくった。
 「受取人不明」、「悪い男」、「サマリア」、「うつせみ」、そして「弓」。
 まだ観ていない映画も何本かあるけれど、観た映画はどれも素晴らしかった。素晴らしかったという表現はちょっと違うかもしれないな。グサッときた。そう、そういう感覚である。

 そして、遂に新作がまた発表された。
 なんと、日本からオダギリ・ジョーを招いて撮った、「悲夢」がそれだ。
 一時、キム・ギドクは映画を作るのを止めるとまで公で宣言したことがある。韓国映画界での不人気が、彼をそう言わせたのだろう。
 キム・ギドクは、母国韓国よりもヨーロッパでの評価がすこぶる高いのである。それも当然肯ける。彼の作風は、ヨーロッパ的な部分がある。

 今回の「悲夢」もまた、夢に翻弄されてゆく男と女の狂おしい愛を描いたラブストーリーということになっている。
 彼は男と女を基底に据えたドラマが好みのようだ。
 歪な愛。激しい愛。狂おしい愛。捻じ曲がった愛。そして、純粋な愛・・・。

 ある夜のこと、別れた恋人を忘れられない男(オダギリ・ジョー)は、彼女を執拗に追いかけ、その途中で交通事故を起こす夢を見る。
 ところが一方で、彼の夢に反応するように、まったく見知らぬ一人の女性が、まるで夢遊病者のように、無意識に彼が見る夢を現実する行動を起こしていた。
 男が見る夢には、裏切られた元恋人が出て来て、そのどれもがその彼女が別の男性と密会しているシーンで、そこに現われる男性は、何故か夢遊病者の如く行動するその見知らぬ女性の元恋人なのだ。
 真相を探る中でお互いに知り合った2人は、精神科医を訪れる。精神科医は、2人が愛し合えば、奇妙な夢が実際に起こす現実化は解決するだろうとアドバイスするのだが・・・。

 日本語と韓国語が飛び交い、それでも互いに意思の疎通が図れているという、摩訶不思議な状況下に物語は進む。
 まあ、単なる手抜きと言えなくもないが・・・。

 しかし、それよりなにより、難解でも小難しくても何でも構わないけれど、監督のキム・ギドク自身が、何をどう撮って、何を主張しているのか全く分からない。
 別に哲学的な主題を描いているようでもなく、監督の混乱がマイナスとして映画に現われている。
 どうした? キム・ギドク!
 ラストも、余りに安直過ぎる。これはない。学生の撮った自主映画じゃないんだからさ。

 オダギリ・ジョーは熱演しているのだが・・・。





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エドワード・ズウィック監督+ダニエル・クレイグ主演による、映画「ディファイアンス」を観た。

2009年02月26日 | Weblog
 絶好調である。
 映画「007シリーズ」の新しい顔となった、ダニエル・クレイグのことだ。僕は彼の007最新作「慰めの報酬」も割と好きな映画だった。

 彼の頭のいいところは、俳優のイメージが固定化されるのを極力避け、色々なジャンルの映画へと積極的に挑戦していることだと思う。それも、かなり精力的にだ。

 そして今回、「ラスト サムライ」のエドワード・ズウィック監督とタッグを組んで、第二次世界大戦中に、オスカー・シンドラーに匹敵する約1200人のユダヤ人の生命を救ったといわれる、ユダヤ人ビエルスキ兄弟の勇姿を描いた映画を作った。

 僕は、エドワード・ズウィック監督もまた好きな監督の一人だ。
 彼の撮った「ラスト サムライ」も好きだったし、レオナルド・ディカプリオを主演に据えて撮った「ブラッド ダイヤモンド」も好きな映画の中の一本である。

 エドワード・ズウィックが描く映画には、男臭さがある。
 それでいて、その匂いが強過ぎないのがいい。
 よく、男の生き様だとか、男の死に様だとかを、これでもかというくらい誇張したり強調したりする映画があるけれど、その過剰なゴリ押しに辟易することが多々ある。

 ところが、エドワード・ズウィック監督が描く男には、どこか清々しさやスマートな部分があって、それが映画自体に洗練さを与えている。そこがいい。

 その2人がコラボした最新映画「ディファイアンス」。2時間を超える大作である。

 1941年、ドイツ軍に侵攻され、ナチス親衛隊と地元警察によってユダヤ人狩りが始まったベラルーシ地方で、両親を殺された3兄弟が森の奥深く逃げ込み、ドイツ軍にゲリラ戦を挑んでいた。

 ところが、いつの間にか次々と弾圧から逃げて来たユダヤ人たちが彼らの元に集まり、戦闘で得た食料や武器を貯めながら、やがて森の中に大きな共同体を築いてゆく。
 彼らは“ビエルスキ・パルチザン(民衆による非正規軍)”と名乗り、盗んだ銃などの武器を手に、ドイツ軍への抵抗を始めるのだが・・・。

 重厚な戦争ドラマである。
 ドイツ軍の執拗な追跡を逃れ、厳寒の森の中で飢えを凌ぐユダヤ人たちの悲惨極まりない生活が描かれる。
 理想的なコミュニティを築こうとする3兄弟に、重い現実が圧し掛かる。反目と裏切り。飢えと疲労。それらが、逃げ回るユダヤ人たちを少しずつ蝕んでゆく・・・。

 どちらかと言えば、暗いトーンで最後まで突き進む。
 もちろん、激しいドイツ軍との手に汗握る戦闘シーンも用意されてはいるけれど。
 そして、この映画、実話なのだとか。

 そう考えて観れば、確かに凄い。




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「ビートルズは終わらない!」

2009年02月25日 | Weblog
 最近ずっと、ローリング・ストーンズのアルバムばかりをCD棚から引っ張り出して、それを何度も繰り返して聴いているということをここで書いたけれど、それが今度はビートルズにまで感染してしまった。

 僕が初めて聴いた洋楽はビートルズである。
 もちろん、厳密に言うなら、初めて聴いたということにはならないだろうが、その音楽を聴いてそれを自分自身の中で真摯に受け止めた、あるいは心からその洋楽を好きだと思えたという意味において、それはビートルズなのだ。

 昔、青森市内の古川地区にあった映画館(現在のシネマ・ディクトの向かい側)で観た「ヘルプ!」の中で流れた素敵なビートルズの曲の数々を、僕は次の日から、いつも口ずさんでいた。
 やはり、ショックだった。
 こんな凄い音楽があること自体、衝撃的だった。

 今また、埃を被っていたビートルズのアルバムを取り出して、発売順に聴いている。
 もう一度、改めて聴き直してみると、その偉大さがよく解る。やはり素晴らしい。
 ただ、「アビーロード」のCDを掛けたら、傷が付いていて、曲が何度も飛んでいることが分かって激しいショックを受けたけど・・・。

 ビートルズを聴きながら、一緒にビートルズの全てのアルバム楽曲を詳しく解説した本を買い求め、読み始めている。
 「ザ・ビートルズ大全」。大事典である。
 この大事典、資料として読んでも楽しいし、何よりも曲を聴く際、その素晴らしさが倍増する。つまり、これまでよりも深い部分で、ビートルズの音楽とシンクロ出来るのだ。

 こういう本や雑誌を眺めながら聴くビートルズもまたいい。
 珈琲を沸かし、独り夜の部屋の中で聴くビートルズ。いいんだなあ、これが。
 
 やはり僕が好きなアルバムは、「アビーロード」。
 でも全部のアルバムが素晴らしい傑作なので、あくまでその中でも一番好きだという意味である。
 「リボルバー」も「ヘルプ」も大好きだし、「ホワイトアルバム」だってとても味わいがある。当然、ロック史上燦然と輝く不朽の名作「サージェントペパーズ・ロンリーハーツ・クラブバンド」もあるけどね。
 当然、その日の気分で聴きたいアルバムは微妙に違って来る。

 僕の密かな夢は(あくまでも夢ですからね、単なる密かな夢・・・)、歳を取って隠居生活に入ったら(別に入らなくてもいいんだけどさ・・・)、何処か暖かな気候の土地に小さな家を買い(出来れば海が見える静かな場所がいいなあ・・・それでいてすぐ近くに街があって・・・)、そこで一日中、本を読んだり音楽を聴いて自由気ままに暮らすこと。これである。

 それまでに全てのアルバムを時系列的に揃えたい。
 まずはビートルズと、それぞれ4人のソロアルバム全部。それからストーンズと、そのソロアルバム全部。レッド・ツェッペリンにザ・ジャムを含めたポール・ウェラーの全アルバム。クラプトンもジェフ・ベックも欲しいなあ・・・。
 それから、それから。
 ソウル・ミュージックやジャズなんかも、主な歴史的アルバムは全部揃えたい。
 スティビィ・ワンダーに、マイルス・デイビスに、古いブルースなんかも集めたい。
 こうなると、ちょっと膨大なアルバムの数ということになるんだけど・・・。

 それが僕のささやかな夢だ。

 そうして、そんな美しい音の渦に塗れながら、静かに眠るように死んでいけたなら、もうそれだけで最高なんだけどなあ・・・。





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大好きな雑誌「エスクァイア日本版」が休刊されるのだとか。淋しいなあ。

2009年02月24日 | Weblog
 僕は雑誌が大好きである。
 ロック音楽を扱う雑誌もよく買うし、それから休刊してしまった「月刊プレイボーイ」や「CUT」、それから「文藝春秋」や「SIGHT」などの総合月刊誌も読む事が多い。
 とにかく、大好きなのだ。

 その中の一冊に、「エスクァイア日本版」がある。
 この雑誌は、創刊号の1987年からずっと今まで定期購読している。

 実は、すべての本やCDを、今年は買う事を止めようと誓ったので(新聞コラムに取り上げる場合だけは実際に買い求めるけれど)、一旦、本屋さんに中止する旨を告げたのだが、今回の休刊のニュースを聞いて、また復活させることにした。

 だって、5月発売する号で休刊(実質的な廃刊ということになるんだろうなあ)するわけで、全部のバックナンバーを揃えている以上、逆に勿体無い。

 とにかく、凄い冊数である。
 本棚の一部を完全に占領していると言ってもいい。
 何と言っても、すべて持っているのだから、かなりの重量だ。この雑誌、結構重いんだよね。

 「エスクァイア日本版」は、アート、旅、文学、音楽、ファッションなど、今の時代の流行の最先端を実に上手に紹介していて、毎回とても楽しみな雑誌だった。
 なので、本当に淋しい。
 好きな雑誌が休刊、あるいは実質的な廃刊に追い込まれるというニュースを聞くのは、心が痛む。
 好きな女の子と別れるくらい、淋しい。

 実際のところ、まだ不透明な部分はあるらしいが、2009年5月23日発売の7月号を最後に休刊するらしい。
 ということは、僕は22年間この雑誌を買い続けて来たことになる。感慨深い。

 最新号が今日本屋さんから配達され、特集が「もう一度学校へ行こう」である。
 リベラル・アーツ、つまり、「大人の教養」を身に付けるためのノウハウが伝授されている。この雑誌、読者の対象は、多分30代後半から50代前半ぐらいなのだろうと思う。
 この洗練された感じが、なんともいいのである。
 それに「エスクァイア日本版」、ずっと定価700円を死守してきた。どんなに物価高だった時でも、内容自体も高いレベルを守り通してきてくれた。そこがまた気持ちいい。

 映画評論や、ブック・レビューも毎月とても充実していて、知的なセンスが全体に漂っていたようにも思える。
 ほんとに残念無念。

 読みたい雑誌が、だんだん減ってゆくなあ・・・。




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亡き王女のためのパヴァーヌへと春は流れるー

2009年02月23日 | Weblog
 青空が月曜日の空を覆っている。
 雪はまだ街中にたくさん積もってはいるけれど、それなりに長閑な週明けの静かな午後だ。

 土日は、みぞれ混じりの雪が降り注いだ。
 金曜日の夜も猛烈な突風が吹き荒れ、県内では停電が相次ぎ、相当な被害も出たようだ。家も揺れるほどの凄まじい風だった。
 最大瞬間風速は、33.4メートルだったとか。
 でも週間天気予報によれば、今週は晴れや曇りの日がずっと続く。そして来週は3月である。
 早い。

 こうして、僕はまた年を重ねてゆく。一切は、ただ過ぎてゆく。

 日曜日の夜はいつも、夕食を早めに済ませ、BSハイビジョンでNHK大河ドラマ「天地人」を観る。
 その「天地人」、最初は中々飛ばしているなあという印象を持ったのだけれど、最近少し失速気味。現時点での印象では、「篤姫」のほうが数段面白い。

 そのあとは、夜のドライブと洒落込むか、あるいはお風呂に入ってから、ゆったりとテレビの前で寝転がるか。

 昨日は、ぼんやりテレビを観ながら過ごした。
 10時からフジテレビの「サキヨミ」、11時からはBS2の「クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス」、そのあとはBS2「週刊ブック・レビュー」か、テレビ東京「ショービズ・カウントダウン」が、いつもの視聴コース。

 BS2の「クラシックミステリー 名曲探偵アマデウス」、今回は作曲家ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」についてだった。
 これが、また面白かった。

 ラヴェルは、好きな作曲家の一人である。
 彼は一生涯、独身を貫いた。
 彼の代表作「ボレロ」は、CD棚から取り出し、今でもたまに聴くことがある。
 「ボレロ」は、聴き込めば聴きこむほど、その甘美でセクシーな旋律に胸が高鳴る。音のうねりに対して、色気すら感じるのである。
 あの、しつこいほどの繰り返し・・・蕩けるほどだ。

 「亡き王女のためのパヴァーヌ」も、凡庸な曲との評価もあるけれど、個人的には嫌いじゃない。
 霞のような憂いを帯びたその旋律は、美しささえ漂っているように思う。そして、この曲にもまた、ラヴェルによって様々な仕掛けが施されているのだ。
 その謎を解き明かすのが、この番組の面白さとなっている。

 真夜中、独りでその「亡き王女のためのパヴァーヌ」に聴き入っていたら、そのうちすっかり眠りの中へと落ちてしまった。
 
 冬の終りの春の始め。甘美。息苦しさ。狂おしさ。
 早春は、人を狂わせる何かを、密かに隠し持っている・・・。





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傑作! クリント・イーストウッド監督+アンジェリーナ・ジョリー主演「チェンジリング」

2009年02月22日 | Weblog
 傑作だ。
 ここ一年ぐらいに観た映画の中でもベスト・ワンではないだろうか。
 クリント・イーストウッド監督、アンジェリーナ・ジョリー主演の映画「チェンジリング」、素晴らしい出来映えに仕上がっている。

 極上なミステリー映画であり、良質なヒューマン・ドラマであり、シリアスで重厚な社会派映画でもある。
 濃密で、味の濃い、丁寧な作り方が、観る側にひしひしと伝わって来る。

 おすぎを含めた映画評論家たちが、この「チェンジリング」に満点☆☆☆☆☆を付けたのが、よく解る。

 1920年代のロサンゼルスで実際に起きた事件を映画化している。
 最初に「事実である」と字幕に出てくる。「事実である」であって「事実に基づく」ではない。

 シングルマザーのクリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)は、一人息子ウォルターを抱えながら電話会社に勤め、忙しい日々を送っている。
 ある日、休日を取って息子と映画を観に行くはずが、突然仕事が入り、息子を家に独り残して出勤することとなってしまう。
 仕事をこなし彼女が急いで帰宅すると、息子のウォルターが家から忽然と姿を消しているではないか。慌てて警察に通報し息子の消息を探るのだが、有力な手掛かりは見つからない。
 彼女は絶望に震える・・・。
 それから5ヶ月経つ。そこに今度は、いきなり息子のウォルターが見つかったという朗報が彼女の元に入るのだ。

 ロス市警の発表によって大勢の報道陣が集まる中、プラットホームに立ち、愛すべき息子との再会を待ちながら、列車が到着するのを待つクリスティン。
 ところが、列車から降りてきたのは、ウォルターとは別人の全く見知らぬ少年だった・・・。

 ここまで映画は猛スピードで駆け抜ける。
 しかし、まだ映画の前半である。
 息もつかせぬ展開とは、こういう映画のことを言うのだろう。波乱万丈に物語は進んでゆく。2時間15分、全く飽きる事がない。そう言い切ろう。

 ただし、誤解しないでいただきたい。
 よくあるアクション映画やサスペンス映画のように、次々にカメラが動き回り、大袈裟な音楽が鳴り渡って、ラストに向かって観客の緊張感を煽ってゆく、というような映画ではない。
 あくまでも直球勝負、正統派の重量級人間ドラマである。
 そこに、サスペンスや推理映画的要素が巧く溶け合っている、そういう意味だ。

 監督のクリント・イーストウッドも凄いが、主役のアンジェリーナ・ジョリーの演技が素晴らしい。
 今まで出演した映画のナンバーワンだろう。鬼気迫る。

 傑作である。
 今すぐ映画館に急ぐべき!





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サラリーマンの哀歓。NHK総合テレビ「ドキュメント現場 居酒屋ノート 新橋にて」

2009年02月21日 | Weblog
 勤め人は辛い。
 誰でもハードワークをこなしていると、肉体的な疲労感は確かに生じる。でも、何と言ったって、精神的な疲れはこの比じゃない。キツイ。
 職場の人間関係ほど煩わしいものはない。

 組織に勤めている人間ならみんな同じだと思う。
 人間関係や、上下関係で発生する軋轢や摩擦は人を苦しめる。こういう疲労感って、ちょっとの休息で直るような、そんな半端なもんじゃないだろう。

 そして、みんな自分だけが被害者だと思っている。みんな、自分だけが正しいと思っている。
 悪いのは上司であり同僚であり、言う事を聞かない部下なのだと。
 俺は悪くない。俺は正しい。俺だけが正義。それなのに、何でそんなに怒り散らし、理不尽な主張を繰り返すんだと。

 しかし、本当にそうだろうか?
 職場の人間関係で心底疲れ果て、絶望感や疎外感に苛まれている人たちだって、すぐに加害者側へと変わってゆく。明日は立場が逆転する。

 そこに悲劇がある。
 虐められている側だって、何かの拍子で今度は虐める側に回る。そういう事だってないとは言えない。無自覚に・・・。
 そこに、人間の愚かさと怖さがある。

 2月21日土曜日の夜のNHK総合テレビ「ドキュメント現場」は哀歓があった。
 この枠の「ドキュメント現場」、30分番組にしておくのは勿体無い。
 NHKって、こういう番組を作らせたら、ほんと民放なんて到底敵わない。さすがである。

 東京JR新橋駅の近くにある居酒屋で、女将さんが1987年から書棚を設けて老いている大学ノート。
 お客の出身高校別のノートが、ぎっしりと並べられていて、今や約800冊に。
 つまり、その居酒屋に訪れるサラリーマンたちが、その出身校ノートに自分の心情を書き殴っているのだ。
 ふるさとの各出身高校別にファイルされているので、飲みに来たサラリーマンたちが、懐かしさからそれを手に取り、書き込みがされてゆく。

 それをカメラが追ってゆく。
 最初にノートへ書く人間は、必ず自分の会社の名刺を貼り、出身高校の卒業年度を書くという決まりがある。
 それをきちんと守りさえすれば、あとは何でも自由にそのノートに書く事が出来る。

 世界同時不況から会社自体が傾き、従業員全員を転職させなければならなくなった役員がいる。
 ある日、その居酒屋で出身校のノートを見つけ、その苦しい思いを綴ったところ、見知らぬ先輩から励ましの言葉が書き込まれていたりする。
 その役員は、カメラの前で涙を見せる。世の中は満更悪い事ばかりではないのだと・・・。

 そんな哀愁と、少し温かなエピソードが映されてゆく。中々いい。
 でも、ほんと、もう少し長くてもいいのになあ。



 

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「SNOW HEAVILY」

2009年02月20日 | Weblog
 これまでの暖冬に復讐するみたいに、ここ数日間連続して激しい雪が降り続いている。
 まるで、これまでの帳尻を合わせるとでも言うように。

 それでも、今冬の積雪量自体は400センチを超えるか超えないかぐらいだろう。暖冬少雪傾向に変わりはない。
 金曜日の午後になったら暖気になって、主要な国道などは黒いアスファルトが剥き出しになっている。

 ところが、発達した低気圧の影響で、20日から21日にかけて東日本と北日本で強風や強い雪の恐れがあるのだとか。暴風、高波、大雪への警戒があるとニュースでも流れていた。
 もう一山あるのかな。

 仕事も、やっと大きな山を越えた。
 昨日と今日は、戦争だった。
 オフィスの時計が5時を指す辺りの時間帯になったら、疲れがどーっと出て来て椅子に凭れて暫し目を瞑った。

 日も長くなった。
 夕方5時を過ぎても、外はまだ明るい。
 これから、1日ごとに昼が長くなってゆく。もう春がそこまで来ている。

 体重が、ほぼ元に戻ってしまった。参った・・・。
 忙しさも手伝って、ほとんど今月は体を動かしていないし。
 ただ、各地のマラソン大会事務局から、ぽつぽつとエントリー用紙が入った参加要請の手紙が送られて来ている。
 今年は、5月上旬「八戸うみねこマラソン」ハーフ、6月中旬「岩手銀河100キロウルトラマラソン」、7月上旬「青森マラソン」ハーフ、それから「秋田内陸縦断100キロウルトラマラソン」にチャレンジする予定だ。
 何とか100キロウルトラマラソン、年2回連続チャレンジは是非とも完走したい。

 夜。
 今夜は某Z課の打ち上げ会。
 滅茶苦茶疲れていて、冷えたビールがことのほか美味い。
 案の定、課のスタッフたち、昨日も帰宅したのが午前3時過ぎらしく、一人一人、次から次へとテーブルに顔を埋め、撃沈状態。疲れてるんだろうなあ・・・。
 みんな、もう約1年間絶え間なく続いている慢性的な残業状態に、へとへととなっているのだ。だいたい土日もちゃんと休んでいるのだろうか、1年間通して・・・。

 一次会でパス。
 物凄い暴風雪の中を、歩いて家までの道を歩いて帰る。
 テレビ朝日の「必殺仕事人2009」と、TBS「ラブ・シャッフル」には何とか間に合ったようだ。

 って言うか、明日も仕事だけどね。
 
 


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サム・メンデス監督の映画「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」を観た。

2009年02月19日 | Weblog
 サム・メンデス監督。
 これまで作った劇場用長編映画は3本。
 「アメリカン・ビューティー」 (1999) 、「ロード・トゥ・パーディション」(2002) 、そして「ジャーヘッド」 (2005)。

 どの映画も、一癖も二癖もある。
 ストレートで直線的ではない。どこか屈折していて、内面を底から抉るような不快感が伴う。ひんやりとした質感、醒めた視点も全体を漂っている。

 そして、最新作「レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで」が公開された。
 怪物映画「タイタニック」以来の共演となった、レオナルド・ディカプリオとケイト・ウィンスレットを主役に据え、リチャード・イェーツの小説「家族の終わりに」を映画化した。
 ケイト・ウィンスレットは、サム・メンデス夫人でもある。

 1950年代のアメリカ。
 「レボリューショナリー・ロード」(なんと、革命通り!)と名づけられた閑静な新興住宅街に引っ越した、フランクとエイプリルのウィーラー夫妻は、上辺は2人の子供に恵まれた典型的なアメリカ中産階級カップル。
 しかし、表面とは裏腹に、互いに描いている理想の未来と、現在のギャップに不満を募らせていた。

 フランクは平凡で単調なセールスマン人生を嘆き、女優志願だったエイプリルもまた、出演した芝居が酷評され、自分の夢を失いかけている。
 フランクが30才の誕生日を迎えたある日の夜、エイプリルにパリで暮らしたいと持ちかけられた彼は、この退屈な街と生活を捨て、その新天地で新たな生活を築くことを決断するのだが・・・。

 エイプリルの年上の友人が、その夫と息子を連れてウィーラー家を訪れる、映画中盤のシーンが凄まじい。
 息子という人物は精神病を患っていて、リハビリを兼ねてウィーラー家と交流させようとの試みからなのだが、その息子の研ぎ澄まされた精神の探求さが、勢い、虚構夫婦の実態を言葉で暴いてゆく。
 このシーンは緊張感に包まれる。凄みさえ感じた。

 それと、フランクとエイプリルの凄まじい夫婦喧嘩!
 下手なアクション映画のバイオレンスシーンより痛々しい。凄い。リアル。
 さすが、サム・メンデス、天才的ですらある。

 2人の微妙な考え方のズレ。心の変化。意見の相違。生き方の違い。反目。離反・・・。様々な感情が2人の生き方に影響を与えてゆく。

 個人的に言えば、「アメリカン・ビューティー」や「ロード・トゥ・パーディション」を超えた映画とは言い難い。
 やはり、この2本は、映画史上に燦然と輝く傑作の中に組み込められるべき映画である。
 それと比較するのは、ちょっと酷かも知れない。

 ただ、並みの映画の水準は軽く越えていることもまた事実である。
 終盤の衝撃も、心に響く。

 そして、ラストのラスト。
 この終わらせ方もまた、サム・メンデス的なのではなかろうか。
 奇妙な食感というか、重苦しい感じというか・・・。
 さすが。




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「現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組:体は自覚なき肯定主義の時代に突入した」を読む

2009年02月18日 | Weblog
 哲学者であり論理学者である須原一秀は、自らの命を自らで絶った。

 自宅近くの神社だった。67歳だったという。
 そして、その自死を決めた直前、「自死という生き方:覚悟して逝った哲学者」を書き、その本は世の中にセンセーションを起こすことにも繋がった。

 彼は、「超越錯覚:ひとはなぜ斜にかまえるか」、「高学歴男性におくる 弱腰矯正読本:男の解放と変性意識」という本も書き、それを世に送っている。
 僕は、「自死という生き方:覚悟して逝った哲学者」という本を読んで、それにいたく感銘を受け、その後に「高学歴男性におくる 弱腰矯正読本:男の解放と変性意識」を読んだという後発組のファンでしかない。

 どこか几帳面さが漂う論理展開には、少したじろぐところがないでもない。理屈っぽいところも所々に露見される。
 そこまで理路整然と持論を展開する必要があるのだろうかとも思ったりする。

 何て言ったらいいのだろう。余りにも学者然とし過ぎるのである。
 そんなに、人生って頭で考えるようには進まないし、弱腰を矯正するためのマニュアルとして読んでみても、もう少し余裕や隙間があってもいいのではないかとさえ思うのだ。
 人生は、もっと複雑怪奇で一寸先は闇である。

 今回、彼の「現代の全体をとらえる一番大きくて簡単な枠組:体は自覚なき肯定主義の時代に突入した」を読んでみた。
 だいぶ以前に買っていたのだけれど、積読が趣味なので、今頃になって思い出すようにして読んだのである。

 確かに、現代という一筋縄ではいかない世界を泳ぎ切るための、簡単な文章で書かれた指南書という側面を持った本である。
 西洋哲学の歴史を紐解き、ニーチェの厭世哲学を批判する。そして、いかに「哲学」が脆弱であるかを解き解してゆく・・・。

 須原一秀は、このように結論づける。
 「哲学は死んだが、思想は生きている。人間の両面性、多様性、非合理性を容認・開放しなければならない。そのためには、正義と真理によって世界全体を完全に高潔にするということを捨てよ!」と。
 ・・・である、・・・でなければならないなど、硬直的な考え、理想主義、完璧主義、正義感などを脱ぎ捨てよということになるのだろうか。簡単に言っちゃえば。

 彼は、民主主義そのものも、ネガティブなものを内包しており、決して理想ではないともいう。そして、そこに余りにも教条主義的で絶対的な真理を求めてはならないとも。
 肯定主義で行こう! 
 つまり、そういうことなのである。

 でもなあ。
 解るけど・・・そんな簡単に提示されちゃってもなあ・・・。

 須原一秀の思想は明るい。途轍もなく明るくて前向きである。
 彼は、そんな肯定主義を心に抱き、自分自身を消滅させた。
 「絶望して死ぬのではない。病床の中にあって苦痛に塗れて死ぬ事もしない。すべての事象をクリアな心で見つめられる、その最も幸せな瞬間の中で自分自身を終わらせたい」

 そこだけは、本当によく解るのだけれど・・・。




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各小説大賞総ナメ! 伊坂幸太郎「ゴールデンスランバー」を遅まきながら読んでみた。

2009年02月17日 | Weblog
 とにかく、昨年度(実質的な出版年は2007年後半だったけれど)における日本ミステリー小説界を席巻したのが、伊坂幸太郎の小説「ゴールデンスランバー」。
 読もう、読もうと思っているうちに、年を越してしまった。

 とにかく、本の謳い文句がそそられる。
 『精緻極まる伏線、忘れがたい会話、構築度の高い物語世界、伊坂幸太郎のエッセンスを濃密にちりばめた、現時点での集大成!』
 ここまで書かれると、読まない訳にはいかなくなる。
 なので、新幹線に乗っている間中、ひたすら本のページを捲っていた。それだけこの本が面白かったということにもなるんだけど・・・。

 2008年本屋大賞受賞、それから第21回山本周五郎賞受賞。
 ほかに、各誌の年間ミステリーベストテンにも、当然この「ゴールデンスランバー」は常連の如く名を連ねることになった。

 仙台市内をパレードしていた首相が小型ヘリコプターに搭載された爆弾によって暗殺される。
 その濡れ衣を着せられた、ある平凡な宅配業者である男の、2日間に亘る決死の大逃亡劇をこの小説は描いてゆく。

 小説は、全部で五部構成となっている。
 ところがである。ところがこの小説、何と、本格的な事件が始まる前の-その具体的な展開は第4章から始まってゆくことになるのだが-第1章から第3章で、事件の顛末をすべて語ってしまうのだ!
 つまり、事件そのものが、もう最初の3章で語り尽くされてしまう。
 これには驚いた。こう来たかと、思わず唸ってしまった。

 もちろん、エンターテイメント系というかミステリー系というか、その手の小説は、当然にラストのどんでん返しとか一捻りが必ず隠されているわけで、そこを外した物語の全体像が最初に語られてしまうという意味なのだが・・・。

 序盤から多くの伏線がはられている。
 そしてそれは最後に大きなうねりを伴い、圧倒的な迫力で襲って来ることになる。

 確かに、一気に読んでしまう。
 それだけの迫力と、物語のスピーディな展開が、この小説にはある。
 すべてが語られたと読者に思わせながら、最後の最後に大どんでん返しが用意されているのだ。
 上手い!

 それに物語の最後の最後、これがまたいい余韻を残しながら終わる。これも〇。
 いいラストである。
 極上の傑作ミステリー小説の中の一冊といっていいだろう。

 「ゴールデンスランバー」とは、ビートルズの「アビーロード」というアルバムの後半に入っている短い曲である。
 そこからこのタイトルも付けられた。

 次のページが読みたくて、気が付いたら2日間で読み終えていた。





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「長野上越新幹線、ぶらり群馬高崎に降りて『山田かまち水彩デッサン美術館』に寄ってみた」

2009年02月16日 | Weblog
 別に何の意味もなかった。
 所用を済ませ、当てもないまま「長野上越新幹線」の「高崎駅」に降りてみた。
 ただ、ぶらりと風の向くまま気の向くままに・・・。
 信州、途中下車の旅。

 風が強い。
 そして風が冷たい。
 高崎駅はわりと大きな駅だ。初めて降りる。
 改札口を出ると、そこに「観光案内所」があったので、「山田かまち水彩デッサン美術館」がふと浮かび、「どう行けばいいんですか?」と聞いてみた。
 「歩いて30分はかかりますよ。それよりは駅前からバスが出てるのでそれに乗ったほうが・・・」とのお話。

 別にほかにすることもないし、ぶらぶら歩いてみることに。見つからなかったら、それはそれでいいでしょう。

 駅から続く歩道は、かなりの広さだ。
 でも月曜日、街そのものはひっそりと静まり返っている。

 しばらく歩くと、高層ビル。
 20階以上はあるだろうか。近くに行ったら「高崎市役所」だった。ふーん。
 21階がレストランなのだとか。ふーん。

 官庁街なのだろう。
 美術ホールやら、高崎城址やら、音楽センターやらが並んでいる。
 そこからまた歩く。

 河川敷に出た。
 ただっ広い。
 遠くに、雪を被った山々が連なる。
 野球場に、サッカー場もある。かなり広い。なので眺めも半端じゃない。
 凄い風が吹いている。でも空は晴れている。

 その橋を独り、てくてくと歩いた。
 あとは誰も歩いていない。
 空が青いなあ・・・俺、こんな所まで独りで来て何やってんだろう・・・。まあ、いいか。

 かなり歩いた。
 やっと「山田かまち水彩デッサン美術館」を見つけた。
 小さな美術館である。
 それも閑静な住宅街に、ぽつんと建っている。鎌倉にある「棟方志功美術館」に似ている。大きさは違うけど。

 中に入った。
 受付におじさんが一人いて、入館料500円を払う。

 山田かまちは、17歳で亡くなった。
 たくさんのデッサン画と詩を残したままで・・・。
 それらの絵と、書きなぐった文章が展示されている。

 彼が小学校3年生の冬休みに、たった1時間で書き上げたという、36枚もの動物画が凄い。
 これには驚嘆した。

 それと、当時彼が家で聴いていたという古いステレオ。
 キッスやウイングスのステッカーが貼ってある。クイーンの「オペラ座の夜」に感動した時の詩もあった。
 ロックが彼のすべてだった。

 「海峡の光」を書いた作家、辻仁成の追悼文や、中学と高校の同級生だったという、ロックの氷室京介の言葉も飾ってあった。
 一番、感銘を受けたのは、彼が好きだったという女性、佐藤真弓さんという人への愛の言葉の数々・・・。山田かまちは、結局その女生徒に振られてしまうことになるのだが・・・。
 彼女は、今でも独身を貫いているという。

 美術館を出た。
 午後の陽光が街を照らしている。
 また、元来た道を引き返す。
 高崎の街・・・ここで彼はロックを聴き、恋に破れ、たくさんの水彩画と詩を残し、17歳という若さで死んでいった。

 さあ。
 また帰りますか。
 凄まじい雪が降っているらしい、あの街へ・・・。




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「新宿御苑を吹き抜ける優しい風と、モノトーンに染まるプラタナスの並木道」

2009年02月15日 | Weblog
 それにしても、この数年、ほんと色んな場所に行った。

 京都、金沢、東京、横浜、鎌倉、名古屋、岐阜、仙台、秋田、盛岡、山形、函館。
 そして、信州長野と軽井沢。

 長野の善光寺の本堂、「お戒壇巡り」は凄かった。
 瑠璃壇床下の真っ暗な回廊を巡るのだが、まったく何も見えない。つまり真っ暗闇の中を歩く。

 中程に懸かる御本尊様とつながれた極楽の錠前に触れると、秘仏の御本尊様と結縁を果たし、往生の際、お迎えに来て貰えるという約束をいただくということで、手探りでそれを探して歩く事になる。

 ところが、まったく何も見えない暗闇なので、怖いのと不安が交差してパニックのようになってしまうのだ。
 しかし、これは一度経験してみるべきかも。

 東京の新宿御苑にも初めて行って見た。
 この場所はいい。何でもっと前に来なかったのだろう。新宿の街のど真ん中にあったのに・・・。
 月並みな言葉でいえばオアシスである。癒しの公園である。

 200円を自販機に入れると、カードが出て来て、それを差し込むと入館ということに。
 梅の花が咲いている。
 その先に、広いイギリス風景式庭園が広がる。素晴らしい開放感!
 新宿に乱立する高層ビルが、公園のずーっと先に聳えている。青い空。小さな雲が浮かんでいる。
 太陽の光が、様々な樹木に燦々と降り注ぐ。
 緑も多い。

 寒桜が満開だ。
 福寿草、水仙、マンサクも咲いている。
 枯れ芝の上で食事を摂っている家族連れ。夫婦だろうか、車椅子に腰を降ろした初老の男性に優しそうに話し掛けている同じ年代の女性。独りで散歩している男性もいる。

 メジロだろうか、ヒヨドリもいる。
 池の傍の木製ベンチに独り、腰を降ろし、ぼんやりと早春の微風にさざめく水面を眺めた。
 鳥の鳴く声、それから遠くから風に乗って流れて来る街の騒音・・・。

 ああ、気持ちいい。

 少し体重が増えて来たので、旅行中だけでもと一日夜一食だけにしているので、お腹がグーグー鳴っている。

 プラタナスの並木道に出くわした。
 枝が剪定されてしまったので裸木だけど、これはこれで中々趣きがある。
 静かな場所だ。誰もいない。
 ここのベンチに座って、ずっと独りで本でも読んでいたい。

 そうかあ。新宿御苑ね。
 いいじゃん。ここ。




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「TOKYO  spring breeze」

2009年02月14日 | Weblog
 新幹線を降りた途端、まるで初夏のような熱風が全身を包んだ。
 暑いっ!
 まるで6月の街にタイムスリップしたような気分。初夏である。

 東京駅の新幹線口を抜けて中央線のホームまで歩いている途中、それまで羽織っていた分厚いコートが余りにも場違いなので、思わず脱いでバッグの中に詰め込んだ。
 なんと、半袖で歩いている人がいる! 半袖!

 気温は20度を完全に超えている。
 約1ヵ月ぶりの東京は、春を通り越して夏の装いをしていた。

 今回は、厳寒の街に嫌気がさして新幹線に飛び込んだわけでも、胸の奥から言いようのない黒い塊が這い上がって、それに耐え切れずに脱出を試みたわけでもない。

 まずは目的地に重い荷物を降ろし、一息ついてフィットネス・ジムに立ち寄った。
 勿論、初めて行くスポーツジム。会員でも何でもない。当たり前だけど。
 ただ、貰った「一日体験ジム」500円券があったのと、とにかく滅茶苦茶鈍った体を動かしたい、それだけである。

 ほんとに久しぶりに体を動かす。何度か通ったボクシング・ジム以外では。
 いきなり「エアロビクス アドバンスMAX」に挑戦。
 いわゆる上級コースで、やってみたらステップが余りに複雑で訳が解んない。それに、体が重いのなんのって、もう・・・。

 でも気持ちいい。
 汗が滴り落ちる。
 でもインストラクター自体は、青森のフィットネス・ジムの先生のほうが数段上だろう。

 しかし、トレーニング・マシンの質とジム自体の広さとメニューは、さすが東京、半端じゃない。
 そのあと、ランニングと腹筋。へとへとになる。
 最後にお風呂に入ったら、気持ちがいいのなんのって・・・ストレスが飛んでゆく! 東京の青空の彼方に!

 スポーツ・ジムの帰り道、美味そうなメニューを掲げている居酒屋が。
 お腹も空いたし、無性に生ビールが飲みたくなって来たので、思わず暖簾をくぐってしまった。

 白子のポン酢漬けに、しめ鯖のお刺身に、焼き鳥に、漬物に。
 冷えたビールが美味い。体を動かしたあとだけに五臓六腑に染み渡る。

 新宿まで出て、映画でも観ようかとも考えたけれど、ほろ酔い加減なのでバス。
 中古CD屋さんを覗いて、そのまま帰る。

 夜風が気持ちいい。
 新宿行きの電車が目の前を通った。
 土曜日・・・。

 そうかあ。今日はバレンタイン・デーかあ・・・。




 
 

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