淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「2月の終りの金曜日の淋しい夕暮れに-」

2008年02月29日 | Weblog
 週末の金曜日は、淋しくもあり、そしてまた楽しくもある。奇妙な気分。

 みんなが楽しそうな顔を浮かべウキウキとしている姿を見ると、そこまで回復していない自分に少し嫌気がさすし、何の予定もない週末を考えると、ちょっと淋しくもなってくる。

 でもその一方で、やはり週末は週末として気分がいい。
 特に予定はないものの、自由な2日間であることに変わりはなく、それなりにボクシング・ジムに通ったり、スポーツ・ジムで走ったり、本を読んだり映画を観に行ける。

 今日で2月が終わる。
 そして明日から3月が始まる。もう暦の上では春。僕は春と夏が大好きだ。秋と冬は大嫌いだけど・・・。

 激動の一年半だった。その中で最も辛かった、約3ヶ月間だった。
 年末から怒涛の如く起こった出来事を改めて考えると、今でも痛みが全身を駆け抜ける。

 3月-。
 ここら辺りで、運がいい方向に向くといいんだけどなあ。とはいうものの、最後は自分の腹の括り方次第なんだけどね・・・。

 仕事が佳境に。
 とても忙しい。
 そのほか、ちょっとここでは書けない様々な問題を孕んだ案件もたくさんあるし・・・。やれやれ。なかなか晴れ晴れとはいかないようだ。

 体を動かし、汗まみれになると、少しだけれど心が前向きになって来る。
 ところが、仕事が終り、中心市街地に立ち寄ったり、珈琲ショップで独りぼっち珈琲を飲みながら新聞を広げたり本を捲ったりしていると、ふと淋しさが襲って来る。
 特に、夕暮れから夜に掛けてはそうだ。

 一日は速い。そして一週間もまた速い。1ヵ月なんてまたまた速い。
 3月も多分あっという間に過ぎてゆくだろう。桜前線もそのうちやって来るに違いない。
 4月が来て、5月が来て、夏になる。
 何か・・・人生って速いなあ。
 悩んでいるうちに終わっちゃいそうだ・・・。



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高校生や尖がった若者たちと混じって鍛えるボクシングが、忘れたものを蘇らせてくれる。

2008年02月28日 | Weblog
 物凄い筋肉痛。両腕と手首が特に酷い。
 足腰が何ともないのは普段のランニングで鍛えているからだろう。ボクシングとマラソン、当たり前だけれど使う筋肉が全然違うということだ。
 それにしてもボクシング、恐怖感はあるものの中々面白い。

 それよりも、毎日雪が止まらない。
 豪雪にならないのは今冬の降り方が効率的だから。凄い吹雪になっても翌日には暖気になり、降雪自体が不連続的なのである。
 冬も後半戦になると、最後の力を振り絞るように必死で雪を降らせるのだろう。

 2月26日から小説執筆に着手。
 とりあえず、これまで書き進んだ70枚程度の枚数を、断腸の思いでほとんど消した。とにかく、もう一度書き直す。ストーリーも内容も全て改めたい。
 別に締め切りが第一義的なのではなく中身が一番大事だとは当然思うけれど、自分に負荷とノルマを掛けないと、またズルズルと怠惰な日々を送ってしまう・・・。
 って、結局書けずに10数年が過ぎてしまったわけですが・・・。

 とにかく毎日、時間があると腹筋を繰り返している。
 少し甘かった。
 最初は、単なる勢いで、ボクシングでもやってみるかと思ったのだが、そんな単純なものではなかった。
 勿論、別にプロになろうとか試合に出てみようとか思っている訳じゃない。そんな現実離れした事は一切考えていない。

 でも、これまで無謀な100キロマラソンとか、過酷な駅伝とか、フルマラソンにハーフマラソンを続けてきたけれど、それに格闘技が加わると、体を鍛える事に変化が生まれ、マンネリ化がなくなり、闘志が生まれる。
 だから、ボクシング、ずっと続けたい。練習メニューをこなすだけでも精神的に研ぎ澄まされる気がしてくる。

 眼つきの鋭い青年や、物凄くストイックな高校生や、やんちゃで(いい意味でのヒネクレ中学生)イキのいい若者たちに混じっての練習は、いい刺激にもなる。

 3分間でいい。それだけでいい。
 一度は誰かと闘ってみたい。
 ノックダウンされるのは勿論判ってるけれど・・・。



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ドリカムの最新DVD「史上最強の移動遊園地2007」、去年の夏の青森でのコンサートを思い出す。

2008年02月27日 | Weblog
 最新DVD「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」がアマゾンから届いた。
 早速、観る。
 去年の8月25日行われた「ドリカムの夕べinつがる」と同時に行われた、国立競技場において2日間で12万人を動員したコンサートの模様が収められている。

 吉田美和の夫君は去年の秋、癌の病で他界した。
 その出来事は彼女にとって相当なショックだったろう。
 彼女は去年の夏、壮絶な病魔と闘っていた夫を思いやりながら、過酷なコンサートを続けていた事になる。
 愛する人との別離の辛さほど、世の中に辛い出来事はないのではないか。
 
 DVDの中の吉田美和は、3時間20分、くたくたになって汗を流しながら歌い続けている。それがまた何とも痛ましい。切なくなってくる。

 「うれしい!たのしい!大好き!」、「悲しいKiss」、「未来予想図ll」、「決戦は金曜日」、「やさしいキスをして」、「JET!!!」、「大阪LOVER」、それから「きみにしか聞こえない」。
 どれも素晴らしい。

 吉田美和は天才である。そして、最強の女である。
 少しだけれど、彼女からパワーを貰った。これが音楽の力だろう。

 最近、本当に心の底から思う事がある。
 人生を通じて、音楽を聴いてきたか、聴いてこなかったかで、人間の何処か奥底に宿っている炎の勢いって少し違うんじゃないだろうか。

 どん底に沈んだとき、苦しくて苦しくてどうしようもなかったとき、確かに何も聴きたくない期間もあったけれど、それでも生活の中に仮に音楽が無かったとしたら、俺の人生はもっと別な方向に向いていたかもしれない・・・。
 もっと捻くれていて、カサカサな心に覆われていたのではないか。そう思うのである。

 「史上最強の移動遊園地 DREAMS COME TRUE WONDERLAND 2007」。
 ちょっと・・・元気になった・・・。






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ボクシングの練習を終えて外に出たら、物凄い雪が降っていた。

2008年02月26日 | Weblog
 残業を終え、雨から雪に変わった夜の街をボクシング・ジム。
 全て3分間完結のメニュー。ちょうど3分でチャイムが鳴る機械を横に置いて練習開始。
 腕立て伏せに腹筋。摺り足から左と右のストレートの練習。サンドバッグを叩き、それらを組み合わせた6ラウンドを意識したトレーニング。

 汗が滴り落ちる。
 マラソンとは全く別の筋肉を使うので、かなり苦しい。キツイ。
 高校生のチャンピオンだという青年のスパークリングを見せてもらう。
 半端じゃないスピード。怖い。物凄い恐怖感。あんなパンチを喰らったら死ぬな、マジで・・・。
 速いのなんのって・・・

 中学生や高校生の、鋭い眼光の若者たちに交じって、ハードな練習を繰り返す。
 こちらは当然、一周りも二周りも年上だけど、先輩のスパーリングを見ている間中は、後ろで手を組み、「お願いします!」、「ありがとうございました!」を大声で張り上げる。

 やっと濃いトレーニングが終わって、スポーツ・ドリンクを飲もうと手に持ったら、腕がプルプルと震えて掴めない。それほど腕の筋肉を酷使したトレーニングだったということだろうか。

 多分、今日の練習だけで言えば、こっちが最年長だろう。最後の辺りでは、サンドバッグに右のストレートを打ち込んでも、ぱふっ、ぱふっと、弱々しい音がジムの中に響くだけ。物凄く恥ずかしかったけれど、絶対にめげないぞ。

 外に出たら猛吹雪。
 物凄い雪が降って来た。
 車に乗っても、しばらくは手がプルプルと震え、きちんとハンドルが握れず、暫くの間、降り積もる雪景色を車内でぼんやりと見続けていた。
 今冬、最後のあがきなのだろうか。

 もっともっと鍛えてやる。もっともっと体を苛め抜いてやる。
 サンドバッグを叩いている間も、様々な雑念や、厭な思い出が頭を過ぎって離れなかった。

 まだまだだ。まだまだ、俺は回復にまでは至っていない。





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とても寒い月曜日の夜、独り、横浜聡子監督の映画「ジャーマン+雨」を観に行く。

2008年02月25日 | Weblog
 道路はアイスバーン。
 つるつるに凍った夜道を、転ばないように駆け足で映画館「アムゼ」まで。やっと夜7時から上映の、横浜聡子監督「ジャーマン+雨」に間に合った。

 監督の横浜聡子は、青森市生まれ。
 映画は、ゴリラーマンと揶揄される天涯孤独な女の子「林よし子」の、凄まじいまでに激しい日常生活を描いてゆく。
 天上天下唯我独尊というか、自己中というか、我が道を往くというか。いやはや確かに濃い。新人女優の野嵜好美は凄い。

 しかし、70分という短い映画ではあるものの、全体的に抑揚がなく、ワンパターンと言えなくもない。ただし、この監督の個性は特筆に価する。
 別の作品、早く観てみたい。

 映画が終り、また寒空の下、つんつるてんの夜道を独り歩く。
 吐く息が白い。身が縮むほどの寒さが襲って来る。
 かなりの距離だけど、何故か独りで歩きたい気分なのだ。

 淋しさが襲って来た・・・。





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「家路」

2008年02月25日 | Weblog




        どんなに遠くてもたどり着いてみせる
 

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「Adios, buenos dias!」

2008年02月25日 | Weblog
 放蕩(ほうとう)し過ぎたようだ。

 完全に預貯金が底をついた。
 ブログに書き込んだ以外の場所へも頻繁に足を運んだせいもあるだろう。土日や三連休を利用して、日本の色んな場所へと逃避し散財したツケが、今ここに来た。極まった。
 もう当分何も出来ない。全てお預けだ。万策尽きてしまった。

 体力もかなり落ちているし、ストレスのせいか、物忘れやぼんやり遣り過ごす時間が増えている。ミスが多い。白髪が凄い。体重も激減した。

 放蕩、道楽、遊蕩、堕落・・・。それから、絶えず襲って来る、焦燥感、虚無感、欠落感、孤独感・・・。
 よくもまあ、ここまで苦悶、心痛、悲嘆してきたものだ。それとて、何か解決策が見つかった訳でもないのに・・・。
 明日はまた確実に訪れる。春も夏も秋も、やがて目の前に現われ、そして無常なまま過ぎてゆくだけだろう。

 某アート関係の友人の一人が、「だからこそ人は何かを表現したくなるんでしょう? そういう苦悩や恐怖や漠然たる不安といった感情や、喜びとか人生の謳歌とかを、描いたり、書き込んだりして具現化しながら、それらをまた別の高みにまでアウフヘーベンしてゆくってことが大事なんじゃないの?」と言った。
 そうかもしれない・・・。

 このままだと本当に駄目になる。まるで、生きる屍だ。
 組織の中に安穏として定住し、最もお気楽な場所で「苦悩」のふりをしている間に、どんどん、みんなに抜かれてゆく。
 新しい表現者が次から次へと現われ、映画は作られ、小説は書かれ、シナリオは採用され、焦燥感だとか虚無感だとか欠落感だとか孤独感だとかギャーギャー騒いでいるうちに、次々と目の前を走り抜けて行ってしまう。

 よくよく考えてみたら、俺はまだ一編の小説さえ完成させていないではないか!
 というか、何篇かの、賞を獲った小説はその全てが短編小説で、本格的な小説など俺はまだただの一度も発表すらしていないではないか!

 地下に潜れ。徹底的に自粛しろ。誰にも会うな。膿を出せ。鍛え上げろ。ブログなど書いてる暇はない。

 もっともっと自分を追い込め。もっともっと自分の心に巣食っている黒い闇という怪物に塗れてもがき苦しめ。ギリギリまで己を追い詰めろ。
 もっともっと苦しんで苦しみ抜き、心を今以上ズダズタに切り刻め。他人に助けなど一切求めるな。これ以上の仕事の激務にもじっと耐え、体も心もとことん疲弊しろ。

 暗い闇の中に引き篭もり、当分の間、そこから明るい場所には一切出て来るな!

 沈黙に徹し、表面上は誰にも何も語るな。
 そこからしか、再生するすべなどない。




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「東京タワー」を撮った松岡錠司監督の、新作映画「歓喜の歌」は中々いい。

2008年02月24日 | Weblog
 まだ、今でも映画館に足を運ぼうとすると、あの最低・最悪な時分の感情が何処からともなく蘇って来て、トラウマに襲われ体が竦む。
 何故、それらの「暗い闇」と映画館とが結びつくのかは、自分でもよく解らない。映画が始まり、真っ暗闇が訪れると胸がぎゅっと締め付けられるような感じになってくるのだ。不思議である。
 この辛さは、ちょっとやそっとじゃ収まらない・・・。
 
 久しぶりに、映画館「シネマ・ディクト」。
 相変わらず館主の谷田さんは朗らかだ。元気になる。
 「何か、ボクシング始めるんだって」
 「ええ。でもまだまだそんな威張って言えるような段階じゃないですから・・・」
 「実は、俺もボクシングやっていて、大きな大会で優勝もしてるんだよね」
 「じゃあ、今度是非ご教授を・・・」
 谷田さん、本当にいい人だ。

 「歓喜の歌」は、落語家である立川志の輔の同名新作落語を映画化した人情喜劇。
 みたま町という首都圏郊外の文化会館に勤める、主任の小林薫が、大晦日に開催されるママさんコーラスグループのコンサートをダブルブッキングしてしまったことから起こる騒動と顛末を面白おかしく描いてゆく。

 この主任、道路課の職員だったのだけれど、ロシア人のキャバ嬢に入れ揚げ、借金とトラブルで左遷され、妻とも離婚寸前という、その場凌ぎの男で、このダブルブッキングも最初は適当にやり過ごそうと試みる。
 ところが、どちらのママさんコーラスグループも一歩も退かず、ますます事態は混乱を深めてゆくことになるのだが・・・。

 監督は、「東京タワー/オカンとボクと、時々、オトン」が「キネマ旬報」の読者選出ベストテンに選出された松岡錠司。
 共演が、久しぶりの映画出演となった安田成美。そのほかに、伊藤淳史、由紀さおり、浅田美代子らが脇を固めている。

 映画館はほぼ満員。
 中高年のカップルが大半を占め、映画が進むたびに笑いやすすり泣く声が聞こえてきた。
 この映画、何気なく観に行っただけなのだが、それが意外と面白かった。さすが、松岡錠司である。

 心が弱いと、ちょっとした事でも涙腺が緩んでしまう。
 何度か泣いてしまった。不覚である。




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コーエン兄弟による傑作映画の誕生。「ノーカントリー」は殺し屋役のハビエル・バルデムが凄まじい!

2008年02月23日 | Weblog
 現時点で、まだアカデミー賞は決まっていない。
 でも、ノミネートされている作品の中で一番その賞に近いのは、「ノーカントリー」なのではないか。
 もう既に95部門の賞を受けている「ノーカントリー」。この映画は凄い。
 「すべての美しい馬」の原作者であるコーマック・マッカーシーの小説「血と暴力の国」を、「ファーゴ」のコーエン兄弟が映画化した。

 原題が「年寄りの住む国はない」。「ノー・カントリー・フォー・オールドメン」である。絶望的なタイトルだ。もう世界の中で老人たちは途方に暮れている。とは言っても、この映画は別に老人問題を扱った映画ではない。
 血と暴力と恐怖についての映画である。

 時代設定は1980年代。メキシコ国境沿いのテキサスである。
 ふとしたことで麻薬取引がらみの大金を持ち逃げしたばかりに、執拗で冷酷な殺し屋に追われる男の運命を描く。
 訳ありの大金を持ち逃げする主人公に、ジョシュ・ブローリン。捜査する警察官にトミー・リー・ジョーンズ。それから、冷酷な殺し屋にハビエル・バルデム。

 とにかく、ハビエル・バルデムが素晴らしい。怖い。恐ろしい。
 映画のPRで日本に来日した際、映画を予め観たインタビュアーの女性が、余りに映画の印象が強烈で、しり込みをしたという逸話があるくらい恐ろしい演技をする。

 彼は、ペドロ・アルモドバル監督の映画で有名だけれど、「夜になるまえに」と「海を飛ぶ夢」でヴェネチア国際映画祭男優賞を受賞し、アカデミー賞主演男優賞にもノミネートされている。
 雑誌「CUT」最新号のインタビュー記事を読んだら、最初はこの役をやりたくなかったのだとか。その理由がまた可笑しくて、何とバイオレンス映画が大嫌いらしい。
 しかし、この「ノーカントリー」は、ハビエル・バルデムがいなかったら、まったく別ものの映画になっていたかもしれない。それほど彼の演技は強烈で素晴らしいのだ。

 テキサスの荒野でハンティングしている最中に、麻薬取引現場の惨劇跡に出くわした男。複数の死体が横たわる現場の近くで莫大な現金ケースを発見した彼は、そのまま家に持ち帰ってしまう。
 それが原因となり、冷血な殺人者に追われる身となるのだが、執拗な追撃から妻を守るため、全力でそれをかわして逃げ回ることになる。
 そして、その事件の捜査に乗り出した老保安官もまた、行く先々で見つける残虐な死体を眺めながら、この国に巣食う、絶望的とも言えるほどの暴力の連鎖に対して深い絶望に沈んでゆく・・・。

 コーエン兄弟の映画には、乾いたユーモアのようなものが流れている。
 この映画の中にも、何処か冷め切った嘲笑が静かに流れている。しかし全体を貫いているのは、凄まじいまでの緊張感と、冷徹で無情な感覚である。
 ラストもまた何というか・・・。

 観たほうが絶対いい。




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「晩年」

2008年02月23日 | Weblog
 新宿の舗道の上で、こぶしほどの石塊(いしころ)が、のろのろ這(は)って歩いているのを見たのだ。

 石が這(は)って歩いているな。
 ただそう思うていた。

 しかし、その石塊(いしころ)は彼の前を歩いている薄汚い子供が、糸で結んで引き摺(ず)っているのだということが直ぐに判った。

 子供に欺(あざむ)かれたのが淋しいのではない。
 そんな天変地異をも平気で受け入れ得た、彼自身の自棄(やけ)が淋しかったのだ。


                                「太宰治」




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これこそ恍惚感。「note native」のファーストアルバム「Reflect」はとても美しい。

2008年02月22日 | Weblog
 このCDは渋谷のHMVで偶然見つけた。
 何気なく入ったCDショップで視聴盤が置いてあり、そのジャケットの美しさにしばらく見惚れ、ヘッドホンを付けて聴いてみて一発で惚れた。
 「note native」のファーストアルバム「Reflect」である。

 DJ、リミキサー、選曲家として、クラブ、ラウンジミュージックを中心に活動する田尻知之という人のソロ・プロジェクトだそうである。
 全く知らない。
 第一、クラブなるものに一度も行った事がない。行ってみたいとは思っているけれど、その機会がないのである。

 インターネットで調べたら、『これまで多数のMIX CDやコンピレーションの選曲、監修等を手がけ、90年代後半からDJとしてのキャリアをスタートさせ、渋谷The RoomやLa Fabrique、代官山airを拠点に、都内有名クラブのほとんどでレジデントやGuest出演、また多くの海外アーティスト来訪時の共演としても活躍』しているのだとか・・・。
 
 それから、これも完全に受け売りだけど、『そのスタイルは"new crossover"とも言われ、ハウス/ジャズ/ブレイクビーツ/テクノなど元レコードショップバイヤーならではの幅広いセレクションを自在にクロスさせ、直感と狙いが絶妙に共存された独自のスタイルを確立』しているのだとか・・・。

 確かに、ビートが一定の間隔で刻まれ、テクノっぽい打ち込みが連続的に刻まれてはいる。
 しかし、メロディが美しい。ビートが優しい。ヴォーカルがとろけている。
 CDのキャッチ・コピーを読んだら、「恍惚のメロディ、疾走するビート。 美メロハウス、極まる。」。その通りである。全く正しい。
 ノイジーで、重いビートが続いてゆくだけのダンサブルなテクノ・ハウスっぽいアルバムだと思っているなら、それは違う。

 ピアノとヴォーカルが適度に絡み、疾走感に溢れながらも、美しい旋律に乗ってスタイリッシュに展開する。そう、スタイリッシュ! しかも哀愁がある!

 曲のタイトルもまたいい。曲も勿論素晴らしいけれど。
 「Sweet Flight」、「Love」、「Powdery Snow」、それから「Daisy Love」。

 心が完全に萎えていて、ちょっとしたことでも胸が締め付けられそうになるから、こういう肯定的で優しい音の渦に触れると、キュンとなってしまう。
 それも、夕暮れ時の渋谷である。
 紅梅色に沈む夕陽がビルの硝子窓に反射している。夜を待ち侘びる人たちが、忙しなく街を行き交っている。

 涙が零れそうになった。
 余りのメロディの美しさと、それとは正反対な自分の凍えて縮こまった心と。
 最悪だもんなあ、今の俺・・・。

 「note native」のファーストアルバム「Reflect」は、夜明けが似合う。それから、切ない時間が過ぎてゆく、儚い夕暮れ時・・・。

 今年聴いたアルバムの中で、現在のところナンバーワンである。




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各映画評論で大絶賛されているジュリアン・シュナーベル監督「潜水服は蝶の夢を見る」を観た。

2008年02月21日 | Weblog
 今日から仕事が再開。
 オフィスに行くのが、苦痛で苦痛で堪らない。憂鬱の極みだ。
 このまま何処かに失踪しようかな・・・。

 朝、外は雪。ツルツルの雪道を歩いていたら、横転して強(したた)か腰を打ってしまった。滑った際、咄嗟に左手を突いたため左手首も痛めた。
 ついてない。今年は最悪だ。いい事が何もない。
 しばらく激痛が続き、未だに腰が痛い。参った。ボクシングが・・・。

 でもまあ、映画「潜水服は蝶の夢を見る」の主人公に比べると、こんなアクシデントは蚊が止まった程度のアホみたいな痛みでしかない。
 ファッション雑誌ELLEの元編集長ジャン=ドミニク・ボビーは、42歳の働き盛りにも関わらず、突然の病に倒れ、身体の自由を奪われてしまったのだから・・・。
 そして彼は、唯一動く左目の瞬きだけを頼りに、一冊の本を仕上げてしまうのである!
 その自伝ベストセラー(日本語翻訳版も発売されています)を映画化し、監督したのが「夜になるまえに」を撮ったジュリアン・シュナーベルだ。

 彼はある日、息子とのドライブ中に突然脳梗塞で倒れ、「ロックト・イン・シンドローム(閉じ込め症候群)」となり、全身が麻痺して自由が全く利かず、まるで重い潜水服を着せられたまま海中を深く沈んでゆくような状態に襲われてしまう。

 意識は鮮明だ。でもそれを他人に伝えることが出来ない。
 彼は深い絶望に襲われ、自殺さえ考えるが、言語療法士や理学療法士らの協力を得て、左目の瞬(まばた)きのみでコミュニケーションをとる方法を会得し、自伝を書こうと決意、女性編集者の代筆で、これまでの帰らぬ日々や思い出を綴ってゆく・・・。

 賞賛の嵐である。
 映画評論家のピーコは、確か、この映画を観た人全ての中で一万人が「面白くない」と言ったら映画評論家を辞めるとまで豪語していたし、ここ数年間の中でナンバーワンだと叫ぶ評論家もたくさんいた。世界の映画賞も総なめ。

 映画は、彼が見る世界、彼が見る視点で観客側に提示する。
 そして、彼の事故に遭う前のアンニュイで甘美な私生活も同時にまた描いてゆく。同時進行に展開する幾つかの恋愛関係、華やかな業界、すべてが満たされた生活・・・。

 観終わって、約20万回の瞬きだけで一冊の自伝を書き上げる、ただそのことだけでも驚愕した。
 身体が潜水服を着ているような重さで、目も左目のみ。全く身動きが出来ず、言葉も一切発する事が出来ない。これは辛いと思う。

 でも、ごめんなさい。
 悪くはない、いい映画だとは思う。思うけれど、余りにも、観る前に、この映画に期待し過ぎてしまった。
 もう観る前から情報過多になってしまい、物凄い期待感に胸が膨らみ、自分で事前に映画を作ってしまっていたのである。

 やはり、先入観なしで観るべきだった。




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「悲劇の哲学」

2008年02月20日 | Weblog



 四十歳を過ぎると誰でも心の中に化け物の棲んでいることに気がついている。
 自分の不運、悔恨と羞恥に満ちた半生の出来事、努力の果ての失望、そしてそれら一切へ向けての怨みにも似た薄暗い感情。

 自分はそういうものを何一つ抱えていないと言い切れる人は、よほどの幸運児か、よほどのお人好しだろう。



                      西尾幹二「人生の深淵について」



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「余光」

2008年02月20日 | Weblog
 東京、最終日。
 快晴だ。朝の東京は雲ひとつない青空が広がっている。

 朝食を採り、ホテルをチェック・アウトする。早春の陽光が降り注ぐ中を歩いて駅までの道を急ぐ。
 帰りの新幹線の時間まで、まだ余裕がある。
 なので、青山通りをゆっくり散歩することにした。地下鉄丸の内線の赤坂見附で降り、国道246沿い。

 赤坂離宮から青山一丁目の交差点を抜け、表通りから裏道へ。
 小さな公園がたくさんある。若い女性が犬を連れて散歩している。綺麗な季節の花々を店先に並べた花屋さん。洒落たマンションの1階にあるフランス料理店やイタリア料理の店が、小さな黒板にランチメニューを書き込んでいる。

 いい天気。
 春である。全身に春の光を浴びながら、石段をゆっくりと登った。
 青山墓地に出た。静かだ。散歩をしている人が何人かいる。高層ビル群が、早春の明るい太陽にキラキラと輝いている。また裏道に入った。

 高級ブティックが路地の途中に突然現われたり、小さなギャラリーが開いていたり、モデルっぽい綺麗な女性が歩いていたり・・・。青山三丁目界隈は、いつ来ても、ちょっと不思議で素敵な街だ。
 
 表参道に出て原宿まで歩き、山手線で東京駅。ギリギリで東北新幹線に乗り込んだ。
 余りに疲れていて、少し眠ってしまった。盛岡を過ぎた辺りから雪が見え始める。曇天の空・・・。灰色の街・・・。
 八戸を過ぎて函館行きの特急に乗り込んだ頃には、もう日はどっぷりと暮れていた。

 また青森かよ。
 帰りたくない。嫌だ、嫌だ。明日から地獄が始まるのだ。
 救いは、ボクシングのトレーニングが新しく待っていることぐらいだろうか・・・。

 青森駅に着いた。すっかりと日が暮れている。
 意外と暖かい。吐く息も白くない。かなり雪も溶けたのだろうか、車道に雪は少ない。

 ところが、少し歩いた途端、真っ暗な空から雪が舞い降りて来た。
 何なんだ、これは。まるで俺を待ち構えていたように、突然空から雪が降って来た。皮肉かよ。ったく。

 心が萎んでゆく。心が怯えてくる。勿論、雪が降ってきたからじゃない。
 しかし、このままでいいわけはない。それは重々解っている。
 このままゆっくり暗黒の深海に沈んでゆくのも、それはそれで構わない。でも、もう一人の自分がまた、その隣で静かに囁くのである。

 余光のようなもの・・・。微かな希望のようなもの・・・。遠くに見える灯りのようなもの・・・。

 それにしても疲れたよ。
 もう、限界だよな・・・。



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「さよならゲーム」

2008年02月19日 | Weblog
 物凄く辛い夢を見た。これほどの辛い夢はないというほどの夢だった・・・。
 これで2日間続けて酷い悪夢を見たことになる。心が荒れ放題に荒れているからだろうか。

 目を開けたら、カーテンを閉めていないホテルの窓から白々と夜が明けかけているのが見えた。
 冷蔵庫に入れておいたミネラル・ウオーターを取り出し、何度か飲み込む。喉が渇く。
 遠く、霞んだ朝靄の中に卒塔婆のような新宿超高層ビルが浮かんでいる。鳥が一羽、夜明けの空中をくるりと回って、また視界からふっと消えた。
 また今日も寝不足だ。よく倒れないものだ。いつまで持つのだろう。

 シャワーを浴び、早めにホテルの朝食バイキングを採り、午前中掛かって電車を乗り継ぎ個人的な用事を済ませる。
 最終の場所が蔵前だったので、そのまま隅田川沿いを歩いて浅草の浅草寺まで。
 雷門。仲見世通り。新仲見世通り。それから浅草寺。花やしきの前を見て、浅草六区をぶらぶらと歩く。いいお散歩日和。
 通り沿いのお店屋で、焼き立ての煎餅を食べ、あげまんじゅうを頬張る。

 そうだ。
 学生時代ずっと住んでいた、池袋大山のアパートに行ってみよう。今日はもう何もないし。
 地下鉄を乗り継ぎ、池袋駅まで。そこから、今度は国際興業バスに乗って目的地まで。迷ったら迷ったで別に構わない。そういえば、一年半にも来た事があった。でもその時は夜だったので随分迷ってしまったけれど・・・。
 あれから一年半も経ったのだ。あの当時も心はズタズタだった。何かいつもズタズタだなあ。俺は本当にどうしようもない。

 4年間住んでいた木造モルタルのアパートはそのままの形で残っていた。もうあれから何十年も経ったというのに。勿論、何度か改装はしたのだろうが・・・。
 ただ黙ってその2階の部屋を眺めていた。別の誰かが暮らしている、8畳一間の部屋。余り覗くと変に思われるかも。少し心配になる。でも懐かしかった。あの時の情熱や、夢や、希望は、今はもう完全になくなってしまったけれど・・・。

 俺もそろそろ限界だな。これ以上、考える事は何もない。
 全てに飽きちゃった。



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