昔むかし、日本のプロレス界では、ジャイアント馬場とアントニオ猪木の二大巨頭が覇権争いを繰り広げていた。片や「全日本プロレス」。そしてもうひとつの団体が「新日本プロレス」。
猪木は雄弁で、派手で、華麗で、過激だった。人々は猪木のプロレスに熱狂し、それに「私、プロレスの味方です!」という直木賞作家の本が話題を呼び、アントニオ猪木の試合は思想的なアプローチで書き込まれ、文化人や芸術家もそれに参加した。猪木の試合は、文学的な文脈で語り始められたのである。
僕は、ジャイアント馬場が大好きだった。馬場のプロレスは、いつも土曜日の夜、ひっそりと放送された。そこにあるのは、熱狂や緊迫感や高揚さとは全く異質のものだった。僕は、吹雪の日も雨の日も、そして月曜日も日曜日も、駅まで「東京スポーツ」や「週間ファイト」を買うために通った。周りの友達も、そのすべてが猪木派で、馬場派の僕はいつも笑われ馬鹿にされた。
でも僕は、ジャイアント馬場が大好きだったのだ。あの人は悲しさを秘めていた。あの人の放つ16文キックは、切なくて頼りなかった。試合に勝つと、いつも照れ笑いを浮かべ、ふっと淋しそうな表情を浮かべていた。僕はたった一人の馬場派だった。
僕は「週間ゴング」や「週間プロレス」を読みながら、今もふと考える。馬場さんは偉大だったのだと。今、ある意味、プロレス界は、あの人の育てた人たちがその最前線で活躍している。馬場さん、あなたは勝ったんです。そして。そして、あの人は、唯一、クリスマス・イヴの夜の悲しみを知っていた。いま僕は、心からそう思うのである。 淳一
猪木は雄弁で、派手で、華麗で、過激だった。人々は猪木のプロレスに熱狂し、それに「私、プロレスの味方です!」という直木賞作家の本が話題を呼び、アントニオ猪木の試合は思想的なアプローチで書き込まれ、文化人や芸術家もそれに参加した。猪木の試合は、文学的な文脈で語り始められたのである。
僕は、ジャイアント馬場が大好きだった。馬場のプロレスは、いつも土曜日の夜、ひっそりと放送された。そこにあるのは、熱狂や緊迫感や高揚さとは全く異質のものだった。僕は、吹雪の日も雨の日も、そして月曜日も日曜日も、駅まで「東京スポーツ」や「週間ファイト」を買うために通った。周りの友達も、そのすべてが猪木派で、馬場派の僕はいつも笑われ馬鹿にされた。
でも僕は、ジャイアント馬場が大好きだったのだ。あの人は悲しさを秘めていた。あの人の放つ16文キックは、切なくて頼りなかった。試合に勝つと、いつも照れ笑いを浮かべ、ふっと淋しそうな表情を浮かべていた。僕はたった一人の馬場派だった。
僕は「週間ゴング」や「週間プロレス」を読みながら、今もふと考える。馬場さんは偉大だったのだと。今、ある意味、プロレス界は、あの人の育てた人たちがその最前線で活躍している。馬場さん、あなたは勝ったんです。そして。そして、あの人は、唯一、クリスマス・イヴの夜の悲しみを知っていた。いま僕は、心からそう思うのである。 淳一