淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「太陽が降り注ぎ、海風が心地よい、早春の種差海岸を15キロ走る」

2015年02月28日 | Weblog
 今年は、まず5月の「八戸うみねこマラソン」、それから7月地元「青森マラソン」、10月に開催される弘前市の「あっぷるマラソン」にエントリーしようと思っている。
 そのほか、もしも可能ならば8月の「函館マラソン」にも出られたらベストだ。

 そして、なんと言っても最大の難関は、6月と9月、岩手と秋田で行われる「ウルトラ100キロマラソン」である。
 仮に100キロ走るとなれば、それなりの準備が必要だ。
 「秋田内陸縦断ウルトラ100キロマラソン」を完走した時には、月平均で200キロは走り込んてせいた。それも3ヶ月間。
 なので、今年も挑戦するとしたら、3月から月250キロ走り込むことを目標に頑張らないといけない。

 ということで、2月末の土曜日、みちのく有料道路を通り、八戸の「種差海岸」へ。
 雪のない場所で、思いっきりランニングするためだ。

 三沢辺りまでは曇り空で小雪もぱらついていたのだけれど、八戸市内に入って「八戸漁港」の大きな駐車場に車を停めた頃には、早春の太陽が輝き、青空も広がり出した。
 「八戸うみねこマラソン」のハーフのコースをなぞるように走ろうと思い、ランニング・ウェアに着替え、ウォークマンを装着して、スマホのランナー・アプリを始動させる。

 ウォークマンにダウン・ロードしたCDは、「ブライアン・フェリー」と「フー・ファイターズ」と「ジョニー・マー」。
 まずは、ゆっくりと八戸港の先端付近を走る。

 青空が気持ちいい。
 午後の穏やかな港に太陽が降り注ぐ。

 何箇所か工事現場があって柵が取り付けられているので、マラソンのコースを走ることは無理だ。仕方がないので、湾岸道路を一直線に走って、「蕪島」へ。
 越冬したウミネコが、蕪島神社の斜面に何羽も寛いでいる。
 石段を登って頂上の神社で手を合わせ、また駆け足で急な石段を降り、そこから種差海岸へと向かう。

 広い海が広がっている。
 太平洋だ。
 白波が蒼い海原に幾つも現れて、また消えてゆく。

 海岸沿いに人影は疎らだ。
 犬を散歩させているひとがいる。
 出会ったランナーは2人だけだった。
 すれ違ったランナーがこちらにお辞儀してきたので、こちらもお辞儀で返す。

 久しぶりのロードは、さすがにきつい。
 10キロ過ぎた辺りから息があがって、すごく苦しい。
 やっぱり、ランニングで使う筋肉って、ジムで行う「ボディ・コンバット」で使う筋肉とはまた異なっていることがよくわかる。
 きちんと、走り込みをしないと・・・。

 やっと完走。
 コースどおりに走れなかったので、走行キロは15キロにとどまった。それでもヘトヘト。疲れ切った。
 ストレッチをするために岸壁の先端まで出て、足腰をほぐす。

 帰りはそのまま、近くの銭湯へ。
 熱いお風呂に浸かったら、疲れがゆっくりと解れてきた。
 心地よい疲労感。

 お風呂からあがって、喉が渇いて仕方がなかったので、ポカリ・スエットと2本一気に飲み干した。それなのに、まだ喉が渇いている。

 夕食を摂ってから、車を飛ばしてとんぼ返り。
 約1時間ちょっとで青森市内まで帰って来た。

 今度は車を置いて、歩いて中心市街地へ。
 今夜は「バル」が開催されているので、多くの人たちで街中は賑わっている。

 お酒を飲んで12時過ぎに帰宅する。
 なんで、飲むとこう眠たくなってしまうんだろ・・・。
 今日一日、強行軍だったので、クタクタに疲れてる。

 そんな2月が、終わる。







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「2月の終わりの猛吹雪」

2015年02月27日 | Weblog
 穏やかな天気がずーっと続いていたのに、今日の金曜日は一転、猛吹雪。
 かと思うと、突然、冷たい雨混じりの雪に変わったりと、大荒れの天候で、風も強い。

 今日も色々忙しかった。
 お昼、友人からラインが入って、オフィス近く「A-BAY」2階の、大きな硝子窓から外の景色を眺めることが出来る店でランチを摂る。

 携帯が鳴って、慌てて仕事場まで駆け足で、氷雨が降る中を帰ることに。
 午後も午前と変わらず、大忙し。

 仕事の合間、ふと、擦って傷をつけてしまった車のことが頭を掠める。またちょっと凹んだ。
 それにしても、もっともっと落ち込んで嫌になることがたくさんあるはずなのに、なんでまた、こんなことで何日も引き摺るんだろ。
 自分で自分の精神構造がよくわからない・・・。
 凹むこと、もっとほかにもたくさんあるだろうが。

 ほぼ定時で今日は帰宅。
 昨日、仕事が終わったのが9時過ぎだったので、今日こそは早く帰ろうと、何処にも寄らずにまっすぐ帰宅した。

 某地方新聞から依頼のあった、劇評コラムの原稿を書き終え、ファクスで提出して、やっと一息つく。

 明日は遠出するので、時間を調整して、出来たらそこで久しぶりの長距離ランニングをしようと決めているので、バッグにランニング用ウエアとシューズを詰め込み準備完了。
 明日の夜は街中でのイベントがあるし、明後日は日中がシンポジウム、夜は関連する飲み会が組まれている。来週も土日は仕事関連のイベントで埋まっている。

 ああ。
 それにしても・・・。

 未来はどっちだ?









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10年ぶりの新作! 浜田省吾「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」

2015年02月26日 | Weblog
 遂にリリースされる。
 浜田省吾の10年ぶりとなる待望の最新アルバムである。
 タイトルは「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」。

 前作は2005 年にリリースされた、「My First Love」だったので、あれからちょうど10年間の月日が流れた。
 長かったぁ。

 最新作は「Journey of a Songwriter 〜 旅するソングライター」と題され、映画「アゲイン 28年目の甲子園」の主題歌で、先行シングルとして発売された「夢のつづき」を含む全17トラック!

 な、なんとアルバム収録時間は75分を超えるらしい。
 ならば、「J・BOY」みたいに、いっそ2枚組にして欲しかった気も。

 僕は、この4月29日に発売される浜田省吾のアルバム、アマゾンで完全生産限定盤(Blu-ray Disc付)Limited Editionを予約した。

 完全生産限定盤は、ほかにアルバム収録曲のアコースティック・バージョンやリミックス・バージョンなどのボーナストラックを収録した特典CDが付いている。
 さらに、ミュージック・ビデオなどを収録した特典映像も組み込まれていて、全部で3枚組となる超豪華盤である。

 ということは、ゴールデンウイークは、この浜田省吾の最新アルバム「Journey of a Songwriter ~ 旅するソングライター」を聴きながら、海辺をランニング出来るわけだ。
 なんと素晴らしいゴールデンウイーク!

 ただ、一抹の不安も残る。
 というのは、先行シングル発売された「夢のつづき」が、それほどの出来映えでなかったからだ。
 そこが不満である。

 もしかして、いつもの、あの力が湧き上がり、生きてゆく元気と勇気を与えてくれる、そんな素晴らしい楽曲があんまり入ってないんじゃないか・・・などと、へんな先入観が頭を過ってしまう。

 それでも、信じるしかない。
 60歳を過ぎてなお、新作をリリースする浜田省吾を信じて待つしかない。
 日本人、最強の60代に期待するしかないっ。

 そして、もう一つの吉報が届いた。
 これも凄い。

 それは、浜田省吾が1975年に在籍していたバンド「AIDO」のコンプリート・コレクションが同時リリースされるというニュースだ。

 名曲「二人の夏」が収録されているファースト・アルバムの「AIDO」と、浜田省吾脱退後の翌年にリリースされたセカンド・アルバム「LOVE IN CITY」の2枚のコンプリート・コレクションである。
 そのほかボーナストラックとして、シングルB面に収録していたという「旅立ちの朝」が加わっているのだとか。

 当然、この「AIDO」コンプリート・コレクション完全生産限定盤もまた、アマゾンで予約した。

 よーし。
 これで凹んでいた気分が、ちょっとは上向いてきたなあ。

 でも、まだまだ、足りないけど・・・。

 浜田省吾の新作リリースのニュースが届いてもまだ凹んでいるってことは、今回、かなり酷い精神状態ってことになるんだろうなあ・・・おれって。

 それでも、いくぜー!
 春は浜省だぜー。










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「凹まずとも凹みて凹むとき凹めば凹もうよ」

2015年02月25日 | Weblog
 最近、ついてない。

 そうなると、メゲる。
 結構、凹む。
 自己嫌悪に陥る。

 ちっちゃいけれど、それほど大きな不幸じゃないけれど、ボデイブローのようにじわじわと効いて来る、そんな凹みがたくさん襲っている。

 いつも聴いているCDプレーヤーのコンセントの接触が悪くて、CDをかけていると途中でCDプレーヤーが突然止まってしまう。
 そのたびに、引っ張ったり曲げたりしているとまた直っていたのだけれど、それが今日、突然うんともすんとも言わなくなってしまった。つまり、電源が入らないのだ。そうすると音楽が聴けない。

 参った・・・。
 ますます凹んだ。 

 それから、前歯の裏側が突然欠けた。
 近頃、鼻も詰まって仕方ない。
 真夜中、寝ていても鼻づまりで息苦しく、朝起きると口の中がカラカラに乾いている。それでなくても眠りが浅いのに・・・。

 ついさっきも、こんなことがあった。
 久しぶりに夜、時間が出来たので、夜7時からの「ボディ・コンバット」で汗を流すことにした。
 出掛ける時、車庫から車を出そうとしたら、車庫の柱に車を擦ってしまった。
 これもまた、結構凹む。

 家の向かいにちょうど車が停車していたので早めにハンドルを切ったのがいけなかった。
 怒りのぶつけ先がない。
 向かいに車が止まってさえいなければとも思ったけれど、ちゃんと注意してゆっくり慌てないでハンドルを切ればよかったのである。自分が悪い。

 ジムで汗を流して、また家へと戻ってみると、まだ家の向かい側に車が止まっていた。
 こんどこそ、気をつけてゆっくり車庫入れしようと、慎重に狭い車道を車庫に向けてバックした瞬間、また車を車庫の脇の柱に擦ってしまった。

 一日に2度も・・・。

 がっくりくる。
 凹んだ。
 ついてない。

 あと、ここには書けないような、ちょっと凹むことが最近あって、気分は中々晴れてはくれない。
 ムシャクシャする。
 こういう、塵も積もれば山となる的に凹み案件が増えてゆくと、落ち込み具合もより一層激しくなる。

 吐き出す先が見つからず、凹み過ぎてかなり辛いので、今日の昼休み、ライン仲間4人のコミュでやり取りしていた際に貰った、津軽弁のある励ましの言葉を、携帯で開いてはぼーっと眺めている。

 少し、元気が出る。
 持つべきものは友である。

 でも、かなり今回の凹み、強烈過ぎて元へは戻らない。
 ああ、いやんなる・・・。







 
 

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三代目J Soul Brothers 「R.Y.U.S.E.I.」聴きながら部屋でランニングマンを踊ってる。

2015年02月24日 | Weblog
 自分でもちょっと変だと思う。
 精神が壊れたんだろうか。

 最近、これマジな話なんだけど、家に帰って、パソコンで「ユーチューブ」を開いて、三代目J Soul Brothers fromEXILE TRIBE の「R.Y.U.S.E.I.」を聴きながら、独りランニングマンを踊る。
 これがもう完全な日課と化している。

 また、チョー気持ちいいのだ。ほんとに。
 でも、やっぱ、これって変だし、おかしい。
 絶対にヘンだ。
 常識のある(ほとんどないけれど)大人がすることじゃない。

 もちろん、三代目J Soul Brothers の「R.Y.U.S.E.I.」の中での華麗でシャープなダンスとは、お月様とビー玉ぐらいの大きな差があるんだけれど、そんなことはまったくお構いなし。

 とにかく、踊りたい!
 ランニングマンを踊りたい!

 なので、毎日帰ってから、ひと踊りしないとどうにもこうにも落ち着かない。まあ、大部分は、サビのランニングマンの辺りを、ひっそり真似て踊っているだけなんですが・・・。

 これって、俺にとっての「ええじゃないか」みたいなもんなんでしょうか?
 「ええじゃないか! ええじゃないか!」と一心不乱に叫びながら、狂ったようにひたすら集団で踊る、あれですね。
 時代劇なんかでよくやってますが。

 倒幕派の陰謀説もあるようだけれど、江戸時代末期、相次ぐ飢饉や災害が相次いだことで、多くの民衆らが仮装などして、囃子言葉の「ええじゃないか」を連呼しながら、集団で町々を巡って熱狂的に踊ったという史実が、日本史の中でもよく取り上げられる。

 つまりこの俺も、日々のストレスやプレッシャーに押しつぶされそうになって、その捌け口として、ランニングマンを部屋で独り踊ってる・・・うーん、そうなのかも。

 それにしてもこの三代目J Soul Brothers fromEXILE TRIBE の「R.Y.U.S.E.I.」、聴いているだけで、気分が高揚する。高まってくる。

 それほど頻繁に踊りたくなるわけじゃない。じゃないけれど、「R.Y.U.S.E.I.」を一回でも踊らないと、一日がどうしても終わらない。落ち着かないのである。
 俺は病気なのだろうか。

 さあ。
 今夜も風呂上り、「R.Y.U.S.E.I.」をいっぱつ踊りましょうか(ランニングマンのパーツだけね)。

 完全に末期的症状に突入している。
 病んでいる。
 
 一期は夢よ! ただ狂え!

 人生なんて、ほんの一瞬の儚い馬鹿踊り!














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NHKテレビ「ドキュメント72時間」、「赤羽、おでん屋エレジー」編もまたよかった。

2015年02月23日 | Weblog
 金曜日の夜、10時55分から11時20分までのテレビ時間帯は、至福の時間である。

 まずは、夜の10時からTBS系「ウロボロス~この愛こそ正義」を観ることから始まる。
 ちょうど夜9時から、スポーツジムで「ボディコンバット」のエクササイズがあるので、それに参加した時は、それに出て、家に帰ってから予め予約録画しておいたものを、後追いでみることになる。

 そして、少し時間がかぶっちゃうけれど、「ウロボロス~この愛こそ正義」から数分後に始まる番組、それがNHKテレビの「ドキュメント72時間」だ。これがいい。
 金曜日の夜、10時55分から11時20分までの25分間番組である。

 毎週、一つのテーマで72時間定点観測する、そういうドキュメンタリー番組だ。
 最近の例でいえば、名古屋駅の地下にある「忘れ物窓口」だったり、北大の古い学生寮だったり、池袋の「金券ショップ」だったり、新宿コマ劇場前にある(あった)老舗のボーリング場だったり・・・。

 その場所にカメラを設置して、その場所で行き交う人々をスケッチしてゆく、ただそれだけの25分間だ。
 去年の年末にはスペシャル番組が組まれ、そのことはこのブログで書いたので、知っている人もいるだろう。
 とにかく、まだ観ていない人は観て欲しい。
 何ともいえない味わいがある。

 先週放送された、「赤羽、おでん屋エレジー」編、これがまた良かった。
 
 東京の赤羽地区。
 安くて美味い居酒屋が建ち並んでいて、お酒が大好きな飲兵衛たちの聖地と呼ばれているらしい。
 そんな、ちょっと気取らない歓楽街の一角に、朝から行列の絶えない「立ち飲みおでん屋」さんがある。
 今回はそこにカメラを置き、立ち飲み屋に集まって来る人たちを72時間スケッチしてゆく。

 ひとりで黙々と朝の酒を楽しむ夜勤明けの警備員。
 引き籠もりの40歳になる一人息子と暮らす母親が、持ち帰りの具を選んでいる。
 水商売らしい派手目の化粧をした女性が、隣の男性と「わたしたち、結婚するんです」と嬉しそうに語り出す。
 かとおもえば、ミュージシャンを目指す30歳を過ぎたという男性が、独り、酒をあおりながら、カメラの前で自作の曲を歌う・・・。

 松崎ナオが歌う「川べりの家、」が、ラスト、被さるように流れてゆく。
 この曲もいい。

 毎回、女優が代わる代わるナレーションをするのだけれど、「赤羽、おでん屋エレジー」編は西田尚美だった。
 これもまた良かった。

 みんな、一生懸命、日々の暮らしの中で、もがき苦しみながら生きているんだなぁ・・・そんなことをぼんやりと考えてしまう。
 
 次週が、神戸の三宮にカメラを据える「神戸・1月、パイ山で会いましょう」。
 そしてその次が、「秋田・真冬の自販機の前で」。

 ああ、早く次が観たい!











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映画「罪の手ざわり」。ジャ・ジャンクー監督による圧倒的な映像美! そして暴力描写!

2015年02月22日 | Weblog
 映画雑誌「キネマ旬報」による、恒例の「2014年キネマ旬報ベスト・テン&個人賞」が発表された。

 まずは日本映画のベスト・テン。
 ①そこのみにて光輝く②0・5ミリ③紙の月④野のなななのか⑤ぼくたちの家族⑥小さいおうち⑦私の男⑧百円の恋⑨水の声を聞く⑩ニシノユキヒコの恋と冒険⑩蜩ノ記。

 続いて外国映画のベスト・テン。
 ①ジャージー・ボーイズ②6才のボクが、大人になるまで。③罪の手ざわり④エレニの帰郷⑤ブルージャスミン⑥インターステラー⑦リアリティのダンス⑧インサイド・ルーウィン・デイヴィス 名もなき男の歌⑨ウルフ・オブ・ウォールストリート⑩ラッシュ/プライドと友情。

 極々当たり前のことだけれど、別にベスト・テンに入ったから素晴らしい映画で、入らなかったから面白くない映画だというわけじゃない。

 好き嫌いは個人差があるし、過去これまでも、ベスト・テンにエントリーしていても全然面白くないと感じた映画は数え切れないくらい存在する。
 そして、逆に、ベスト・テンには入っていないけれど、個人的には絶対ベスト・ワンだと思っている映画もまた、数え切れないほど存在する。

 今回、外国映画ベスト・テンの第3位にランクインした、中国映画「罪の手ざわり」をやっと観ることが出来た。
 この映画もまた、観たくて観たくて仕方がなかった映画の中の一本だ。
 東京で見逃し、DVDが出るのを今か今かと待ち焦がれていた。

 中国のジャ・ジャンクーが、長編劇映画としては、ベネチア映画祭で金獅子賞を獲得した「長江哀歌」以来、およそ7年ぶりとなる新作である。「長江哀歌」は、素晴らしい映画だった。
 この「罪の手ざわり」もまた、カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した。

 映画「罪の手ざわり」は、中国で起こった4つの物語が描かれる。
 一つは、寒村で繰り広げられた炭坑労働者による大量殺戮。
 一つは、妻と子どもに出稼ぎと嘘をつき、街で強盗殺人を繰りかえす男。
 一つは、妻子ある男との恋に悩みながら、地方都市の風俗サウナの受付嬢として働く女が起こす殺人。
 そして最後は、過酷な工場での仕事を辞めてナイトクラブに勤め、そこで知り合った若いホステスに恋をしてしまう、ある若者の悲劇。

 映画の冒頭シーンが美しい。
 事故で転倒したトラック。道路の上に撒かれた真っ赤な林檎。その近くでいきなり発生する殺人・・・。
 濃厚な数分間の中で、色彩が美しく踊っている。

 4つの物語は、互いに交じり合うようで交わらない。交錯するようでいて、それそれのエピソードがそっぽを向いている。

 映画「罪の手ざわり」、ハッと息をのむ美しいショットが満載である。

 ベスト・テンの第3位。
 これは納得です。

 「罪の手ざわり」、このタイトルもまたいいんだよなあ。
 罪の手ざわり・・・かぁ。










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安藤サクラ主演、安藤桃子監督、映画「0.5ミリ」。上映時間3時間16分は決して長くない!

2015年02月21日 | Weblog
 上映時間、196分。
 途中の休憩なしで一気にみせる。
 日本映画、「0.5ミリ」のことである。
 
 とにかく、最近は「0.5ミリ」と「百円の恋」、この2本の映画が観たくて観たくて仕方がなかった。
 あと、もう1本あった。
 これも観たくて観たくて、四六時中うずうずしている映画である。
 中国映画、ジャ・ジャンクー監督の「罪の手ざわり」だ(既にビデオ化されているので、即、借ります!)。

 去年から今年に掛けて何度か東京に行った際、映画館を探して(公開日がそれぞれ違っているので、その都度別々にですが)、この3本を絶対観ようと心に決めていたのだけれど、結局時間が合わなくて諦めてしまった経緯がある。

 そして、青森上陸初日の今日、早速観て来ました。
 安藤桃子監督による「0.5ミリ」。
 主人公を、監督の実妹である安藤サクラが演じている。

 上映している映画館は「シネマ・ディクト」。
 上映が午前10時半からだったので、家からゆっくり歩いて向かった。

 天気がいい。
 気温も高い。
 来週は一旦天気が崩れるらしいけれど、雪が物凄い勢いで溶け始めている。
 もうすぐそこまで春が来ている。

 「シネマ・ディクト」では、3月に入るとすぐ、今度は「百円の恋」が上映される予定になっている。
 この映画もまた、安藤サクラが主演している。
 この「百円の恋」も絶対に観たい映画である。ああ、早くやんないかなあ・・・。

 ということで、まずは映画「0.5ミリ」。
 お金を払って館内に入ると、既に何人かのお客さんが座っていた。
 年齢層はちょっと高めである。
 なるべく近くに誰もいない場所を探して座る。

 映画「0.5ミリ」は、監督である安藤桃子が、自分の介護経験を基に執筆した小説を映画化したものである。
 既に小説のほうは本になって出版されているけれど、まだそちらは読んでいない。

 主人公のサワ(安藤サクラ)は、介護ヘルパーだ。
 とにかく、マメに働く。
 痴呆症の老人が漏らした小便を顔色変えずに処理し、家族から「お願いだから一度、おじいちゃんと一晩添い寝してちょうだい」と嘆願されると、律儀に応じてしまう、そういう女性なのだ。

 ところがここから悲劇が起こる。
 介護老人から迫られたことから部屋にあった石油ストーブが倒れ、火事を起こしてしまう。そして、それと同時に、介護疲れからか、家の住人までが首吊り自殺を図ることに。

 サワは、その事件に巻き込まれたために職を失い、無一文になってしまう。
 困窮したサワは、街の中(四国の高知が舞台らしい)で見掛けた、問題を抱えた老人の家へと強引に押し掛け、勝手にヘルパーを始めることに・・・。

 共演者たちの顔ぶれも凄い。
 津川雅彦、草笛光子、柄本明、坂田利夫・・・。

 この映画が不思議な魅力を放っている要素のひとつに、サワのキャラクターがある。
 監督の安藤桃子、主人公自身の心理をほとんど深く掘り下げない。ほったらかしにする。
 そのかわり、彼女が近づく(それを、心と心の距離、0.5ミリと読めるかもしれない)ワケありの老人たちとのコミュニケーションが描かれるその中でのみ、静かに、ほんのりと、滲み上がらせるのである。

 だからこの映画の長さは正しい。
 仮に、たった一つのエピソードだけで、この「0.5ミリ」を終わらせていたら、きっと、単調でありきたりの映画で終わっていただろう。そう思う。

 3時間19分の時間があったからこそ、0.5ミリの近さまで、わたしたちと映画は近づけたのである。
 映画が活きたのである。











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やっと取り掛かりました、トマ・ピケティ「21世紀の資本」。いったい何日で読み終えるんだろ?

2015年02月20日 | Weblog
 ずーっと悩んでいた。
 買おうか、はたまた買うまいか。

 パリ経済学校教授トマ・ピケティによる経済学の大著「21世紀の資本」のことである。

 実際に買っても、最後までちゃんと読むんだろうか。いつものように、買っただけで満足し、積読で終わっちゃうのでは?
 そのことが、書店で手に取る際にいつも頭を過ぎって、いつも買うのを躊躇ってしまうのである。

 とにかく、どの書店に行ってもトマ・ピケティ「21世紀の資本」がたくさん平積みされている。
 そして、色んな経済誌、雑誌、新聞、マスコミ等をこの話題が連日連夜賑わしている。ピケティ関連記事が載らない日はないんじゃないだろうか?

 まずは予習で読んだのが、竹信三恵子氏の「ピケティ入門『21世紀の資本』の読み方」だった。
 偉そうなことを言っているけれど、実は、一緒に出張した際に、同僚のS君がこの「ピケティ入門『21世紀の資本』の読み方」を「八重洲ブックセンター」で買ったのをみて、その本を借り受けて読んだだけなんですが・・・。

 かなりザクッと、恐ろしいほど単純に言い切れば、トマ・ピケティの「21世紀の資本」は、『このまま放置し続けると、格差は拡大し続けるから、人為的な格差縮小政策を速やかにとらなければならない』というようなことを書いているのだと、竹信三恵子氏は述べている。

 たとえば、現在の日本で叫ばれている「都市消滅」という視点がある。
 地方と中央(首都圏と言い換えてもいいだろう)の格差は益々拡大し、出生率がこのまま低位で推移し続ければ、地方の疲弊は進み、いずれ人口減少に歯止めがきかなくなって、ほとんどの地方都市は消滅してしまうだろうという主張である。

 その打開策は、女性の産む世代の流出を食い止め(もちろん男性もですが)、平均賃金を上げて働く場をきちんと創出することに尽きる。でも、当然それだけで解決するわけはない。
 企業を誘致して受け皿を増やし、交流人口を活性化させ、圏域の総生産を出来うる限り上げなければならない。
 だいたいにして、東京都と青森県とでは209円もの賃金単価格差があるのだ。絶望的である。
 若者たちの地方流出は止まらない。

 竹信三恵子氏の「ピケティ入門『21世紀の資本』の読み方」をまずは読み、基本的な知識を得て、そこからやっと「21世紀の資本」へと取り掛かった。
 ちょっと、遅きに失した感もないわけじゃないですけど・・・。

 「21世紀の資本」の中で、ピケティは、資本収益率が産出と所得の成長率を上回るときに、資本主義は自動的に恣意的で持続不可能な格差を生み出すと言っているらしい(まだそこまで読み進んでいませんが)。

 全部で608ページある。
 かなり分厚い。
 まあ、経済書なんてみんなこんな厚さなので、その点は別に怯んでなんかいないけれど、結構注釈が多いので、読んでいて難儀する。

 なので、まだまだ、出だしである「第1章」、「所得と産出」をウロウロしているという体たらくである。

 先日、某大学大学院の某教授(気鋭の女性経済学者のかたですが)とお会いしたとき、今話題のピケティの話になった。
 先生曰く、「東京に出張した際に、東京駅近くの本屋さんでピケティの『21世紀の資本』が置いてあったので、その場で、ぺらぺら立ち読みしながら本を捲っていたら、2時間もそこで読み耽っちゃった」と仰られたので、「じゃあ、買わなかったんですか?」と問うと、平然と、「だって、2時間本屋さんで立ち読みしていたら、大体の内容は解っちゃったから」と言い放った。

 まあ、確かに解り易い語句を使って説いている経済学の本ではありますが・・・。そうですか、2時間ですか・・・。
 やっぱり学者のかたは違います。

 こうなったら、こちらも負けずに、意地でも最後まで読まないと立つ瀬がない。

 でもなあ、日本ってやっぱり「格差」なんだろうか。
 そこがちょっと引っ掛かる。
 確実に「格差」が生じていることに誤りはないけれど・・・。

 先日、日本経済新聞の「経済教室」欄で、女性の学者がいみじくも説いていた。
 「日本は格差問題より、貧困問題(特にシングル・マザーの)のほうが最優先なのでは?」と。
 こっちも、「そのとおり」と納得して頷いてしまったのだが。
 どうなんだろう?

 まずは、トマ・ピケティ「21世紀の資本」、まずは最後まで早目に読まないとね。











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「Why Try to Change Me Now」

2015年02月19日 | Weblog
 穏やかな天候の日々が続いている。
 今日も曇り空ではあるものの、雪もなく、気温も高い。
 裏道を除いて車道に雪はほとんどない。

 でも穏やかな天気とは裏腹に、心の中は大きく揺れ動いている。

 今の人生を作ったその責任のすべては自分自身にある。
 人生の節目節目において決断したその結果として、今の自分がここにいる。

 もちろん、自分自身では到底抗(あらが)うことの出来ない、外部の力や他人の思惑や、どうする事も出来ない自然の摂理などによって生み出された結果だってあるだろう。

 だとしたって、言い切るしかない。
 今の無様な人生を作ってきた張本人は、すべてこの自分であると。まるごと自己責任なんだと。そう断言するしかない。

 もう、俺は太った豚である。
 栄養過多のナマケモノである。動作の鈍い巨像である。

 キレがなければ俊敏さの欠片もない。
 ひたすら、安易な方向へと流れている漂泊者である。
 敗者は語らず、ただ消え去るのみだ。

 皆様方は、絶対にそうならないように。
 やらなければならないことを後回しにして、好きなことだけをやっていると、将来に大きなツケだけが残って、人生、にっちもさっちもいかなくなりますよ。
 
 これは敗残者としての忠告です。
 本当です。
 
 







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「こういう生き方、こういう人生の進み方で本当にいいんだろうか? 何かがおかしい」

2015年02月18日 | Weblog
 昨日の夜も真夜中に目が覚めた。

 真っ暗な闇の中をぼんやり眺め、色んなことを考える。
 そのうちまた眠くなってきて、いつしか眠ってしまったみたいだけれど・・・。

 昨日の夜は、昔属していたあるセクションで当時一緒に働いていた仲間たちが集まって、ささやかな「送る会」を開いてくれたので、それに参加した。
 みんなで最後に写真を撮り、大きな花束を頂いた。
 嬉しかった。

 全員に見送られて、ひとり、外に出る。
 中心市街地の一角にあるお店だったので、そこからとぼとぼと独り、ひっそりとしている県庁通りを花束を抱えながら歩いた。

 車道が黒ずんでいる。
 歩道にはまだたくさんの雪が積み上げられているけれど、それでも最近の暖気でかなりそれも溶けていた。
 県庁や合同庁舎に、幾つか点々と明かりが灯っている。夜遅くまで残業しているのだろう。

 夜も更けた県庁通りに人影はない。
 「青い森公園」の中に灯っている夜行灯の光が、誰もいない公園を淋しく照らしている。

 俺はこれでいいんだろうか?
 こういう生き方をしたかったんだろうか?

 なにかが胸の奥に引っ掛かる。
 なんか、落ち着かない。すとんと落ちてこないのだ。

 こういう人生を歩んで、いずれ後悔しないんだろうか? 悔やまないんだろうか?
 結果、駄目だったとしても、叶わなかったとしても、思いっきり好きなことをやって悔いなく生きる、それを今からでも遅くない、最優先でやるべきことなんじゃないだろうか?

 さっきまでの、みんなから祝福されながら見送られた飲み会の中でも何人かにこう言われた。「これからも期待してます。みんなと違うこと、誰にも出来ないこと、そう来たかと驚くようなことを、これからもみんなに見せてください」と。

 それは違うんじゃない? と、ちょっとむきになって反論した。
 「それって、自分はテレビの前に寝転がって甘いスイーツと珈琲を啜りながら、テレビで実況中継している箱根駅伝を観て、『なにやってんだ! もっと根性入れて走れ! 前の走者をゴボウ抜きしろよ! だらしねえなぁ』って言ってるのと、結局おんなじじゃん」と。

 他人の前で「ええ格好しい」を見せ続けるというのもまた、それなりにしんどいことだ。
 外面は颯爽としているように見えても、その人間の内面なんてみんな高が知れている。みんな張りぼての虎なのである。

 みんな、満身創痍、クタクタなのだ。
 出来ればサボりたい。出来れば休みたい。出来ればこれでイチヌケしたい・・・。
 ほんとはみんなそう思ってる。でも出来ない、自分から降りるのは。

 歯を食いしばって走り続けるしかない。だって、みんなが見てるから。ここで降りるとカッコ悪いから。
 ここで他人に負けるのは悔しいから・・・。

 県庁通りを抜けて国道に出る。
 夜の国道を、ライトを点けた車が走り抜けてゆく。
 雪のない、真っ黒な車道の正面が、濡れてきらきら輝いている。

 大きな花束を抱えている姿を見たバス待ちの何人かが、チラ見しながら無関心さを装って、目をそらす。
 夜風が酔った身体に気持ちいい。

 ああ、こうしてまた時間だけが無情に過ぎてゆく。
 毎日が、まるで新幹線みたいな速さで目の前を通り抜けてゆく。

 このままでいいわけがない。
 こういう生き方がしたかったわけじゃない。

 ずーっと、なんにもかわらないじゃないか。
 おんなじ場所をただグルグルと周っているだけじゃないか。
 なんか、おかしい。
 自分自身を偽って生きている、そんな気がしてしょうがない・・・。

 一編の詩が生まれるためには、われわれは殺さなければならない 多くのものを殺さなければならない・・・。

 何を殺せるのか?
 その覚悟はあるのか?








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ジョン・レノンの「Signature Box」、リマスター盤11枚を一気に聴く。

2015年02月17日 | Weblog
 ジョン・レノンって、もしも彼と友達になったとしたら、かなりハードな友人関係に陥るんじゃないだろうか。そんなふうに思う。

 互いのコミュニケーションを保つのに、結構苦労するのではと、心配になってしまう。
 喧嘩ばっかしている友達になるかもしれない。

 その点、ビートルズのほかのメンバーたち、ポールとかジョージとかリンゴって、割りとフランクで、親しみやすささえ感じてしまう。
 もちろん、実際に話したわけじゃないし、リアルに接したとしたら、案外、気難しいと思っているジョンのほうが、何でも話せて心から打ち解ける関係性を築けるのかもしれないけれど・・・。

 そんな、一見、神経質で皮肉屋で複雑な精神構造をもっているように見える、ジョン・レノンの11枚組ボックスを、またまた大人買いしてしまった。
 個々のアルバムは持っているというのに、なんでこうも完璧なコレクションを求めてしまうんだろうか。
 困ったものだ。

 ジョン・レノンは、淋しがりやの人である。
 傷つきやすく、心は硝子のように脆い。

 彼の幾つかのドキュメンタリー映画を観てゆくと、それが痛いほどよく分かる。
 だからこそ、ジョン・レノンの作る楽曲には(特にソロ活動を始めてからのアルバムは)、繊細でデリケートな部分が数多く垣間見られるのだろう。

 ジョン・レノンは、ヨーコに異常なくらい執着していた。
 異常なくらい彼女に依存し、当然それは、彼の音楽を形成する中において、とても重要な位置を占めてきた。

 ジョン・レノンがソロになってからは特に、オノ・ヨーコがいたからこそ生まれた楽曲群でそのほとんどが占められていたといっていい。

 今回のボックス、「Signature Box」を時系列的に聴いてゆくと、そのことがよく理解できる。

 だからこそ、たとえば彼のアルバム「ロックン・ロール」は、心底楽しんで歌っているように見えても、その根底に潜んでいる諦観や悲しみや刹那が、見え隠れしてしまうのである。
 そう、あの明るく前向きで楽しそうに歌っている、「ロックン・ロール」でさえ。

 僕が今回この11枚に及ぶアルバムを聴いて再確認したのは、「マインド・ゲームス」と「心の壁、愛の橋」の素晴らしさだった。
 もちろん、ほかのアルバムだって全部素晴らしいけれど、そのことが改めて理解出来た。

 ジョン・レノンは、ロックのひとである。
 ジョン・レノンは悲しみを知っている。
 そのことを、彼は心から知っている。

 ジョン・レノンの「Signature Box」を聴くと、それがよくわかってくる。










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「あっ! 春がっ。」

2015年02月16日 | Weblog
 雪が溶け始めている。
 少しずつ、少しずつ、雪が溶け始めている。

 今日は2月16日の月曜日。スポーツ・ジムが休館日だ。関係ないか・・・。

 朝、結構きつい会議があって、そこでもまたサンドバッグ状態。
 結構、メゲる。

 お昼になってもお腹が空かない。でも、無理して食べた。
 疲れるなんて弱音を吐いてる場合じゃない。
 明日もまた、大きな山場となる会議が二つもある。
 乗り切らなければ・・・。

 そういえば、昨日から今日にかけて映画を2本観た。
 1本は、古いモノクロ映画。
 ビリー・ワイルダー監督、オードリー・ヘプバーンとゲーリー・クーパーが共演した「昼下がりの情事」。

 そしてもう1本が、中国・香港映画「毒戦 ドラッグ・ウォー」。
 「毒戦 ドラッグ・ウォー」は前評判が高かった映画で、観たいと思っていながらずーっと見逃していた映画だった。
 もっと面白いと思っていたのに。ちょっと期待はずれ。
 監督のジョニー・トーはご贔屓監督のひとりなんだけど・・・。

 すっかり日が暮れた街を歩いていたら、青い森公園の前に出た。
 県庁や合同庁舎が入っているビルの明かりが灯っていて、溶け出した雪の表面を照らしている。

 少し、気持ちのいい夜風が頬を撫でた。
 冬に吹く、いつもの冷たく突き刺すような、そんな北風とはちょっと違う、どこか優しさを纏った心地よい夜風・・・。

 午後2時に100センチあった積雪量は、午後7時現在で3センチ減って97センチに。
 3センチ分の冬が去って行った。

 あっ!
 春。









 
 

 

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渡辺源四郎商店第20回公演「みなぎる血潮はらっせらー」。これ本当に凄いでしょ!

2015年02月15日 | Weblog
 2月14日の午後、青森市中心市街地の一角にオープンした、「渡辺源四郎商店」しんまち本店2階稽古場」で開催された、渡辺源四郎商店第20回公演「みなぎる血潮はらっせらー」初日を観て来た。

  「渡辺源四郎商店」というのは、劇作家の畑澤聖悟氏を「店主」に据え、青森の地を拠点として様々な優れた戯曲を上演している劇団である。
 当然、内外での評価も高い。
 今回のオープニングもまた、作・演出を畑澤聖悟氏が担当している。

 そして、14日初日の公演は「みなぎる血潮はらっせらー」。
 出演が、畑澤聖悟氏と「こぎん組」三上晴佳さんと音喜多咲子さん。つまり3人だけによる舞台である。

 これがまた素晴らしい出来映えだった。
 別に、お世辞で言っているわけじゃない。
 本当にいい芝居だった。

 個人的には、「渡辺源四郎商店」いわゆる「ナベゲン」の「工藤支店」と呼ぶ別ユニットのフロント・ウーマン、工藤千夏さんが演出(原作者でもある)した、青森本町「さんふり横丁」での公演、「A面・B面」にも勝るとも劣らない、素晴らしい作品となっていたと思う。
 工藤千夏さんの「A面・B面」もまた本当に素晴らしかった。

 私事で本当に申し訳ないのだけれど、前宣伝をさせていただくと、「みなぎる血潮はらっせらー」の詳しい内容とその評価は、後日、「劇評」として地元新聞に掲載させていただく予定(あくまでも予定です)なので、出来ればそちらをじっくりと読んで欲しい(当たり前のことですが、まだ全然書いてはいませんけど・・・)。

 というわけで、そんな土曜日も青森市は大荒れ状態。
 昨日ほどではなかったけれど、雪も凄かった。

 青森市中心市街地の一角にオープンした「渡辺源四郎商店」しんまち本店2階稽古場」は、公演が午後3時ということだったので、家から歩いて現地に向かったまでは良かったのだけれど、ビルの前まで来て見たら、玄関が雪に埋もれていて、何の気配もないではないか!
 誰もいないのだ。
 ひとっこ一人、見当たらない。
 ただ、雪だけが降っている。

 えーーーーっ?!!
 場所、間違えた?
 んなわけ、ない。確かにここだよなあ。だって、色々と建設までの間、俺も携わってきてたんだし。

 顔面か蒼白となる。
 時計を見たらあと10分程度で開幕だ。
 焦る。かなり焦る。
 まずい、絶対にまずい!

 ビルの玄関前が、人がまったく出入りしている気配というか、足跡さえ全然ないのである。
 ふつうなら、雪の上に足跡ぐらい付いてるはずだ。

 ひょっとして、移転する前の場所で上演しているとか・・・いやいや、ないない。
 劇評も頼まれているわけで、遅刻なんて出来るわけがない。
 どうしよう?

 待てよ、昨日のスポーツジムのエクササイズで隣り合わせだった、同じ職場の同僚K女史が「わたしも、明日『渡辺源四郎商店』しんまち本店2階稽古場で開催する初日公演、観に行くんです」って、確か言ってたな。

 急いで、連絡を取ってみた。
 「はあ? そこでいいんですよ。私、今ちょうど中に入るところですけど・・・」との返事。

 「えっ?」
 観念して、もう一本北側の道路まで駆け足で行ってみる。

 やっと謎が判明した。
 「そういうことなのね・・・」
 俺、「渡辺源四郎商店」しんまち本店2階稽古場のビルの裏側で、場所がないないってオロオロしてた、それだけのことなのね・・・。
 ああっ、びっくりしたぁ。

 だよなぁ。
 ビルの裏だもん、誰もいないわな。
 無機質な壁があるだけだし・・・。

 裏だもん、裏っ。













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遂に完結!「失恋ショコラティエ」9巻(水城せとな)読んだけど、うーん、ちょっと期待外れかも。

2015年02月14日 | Weblog
 今日はヴァレンタイン・デー。

 しかも土曜日である。
 いいなあ、今日は素敵なカップルたちが甘い甘いチョコレートを互いに頬張り合いながら、楽しい24時間を過ごすんでしょうねー。
 羨ましい・・・。

 ところが、ここ数日は凄い雪。
 2月14日正午現在の積雪量が、またまた1メートルを越えてしまった。
 107センチである。

 家の前にもどっさりこんと雪が積もっている。
 まあ、愛し合うカップルの皆さま方には美しい新雪ということになるんでしょうか。

 そんなヴァレンタインの前々日、アマゾンから届いたのは女性向きコミック「失恋ショコラティエ」。
 なんとこれが最終巻である。

 フジの月9ドラマで放映された、TV版「失恋ショコラティエ」のラストとは違った結末になっているらしい。
 漫画を書いた原作者である水城せとなが、当初から今回のラストだけは決めていたということを、何かで読んだ記憶がある。

 月9ドラマ「失恋ショコラティエ」は、主人公の爽太を松本潤が演じていて、11年間ひたすら思い続けるミューズのサエコ役が石原さとみだった。
 このドラマ、とにかく石原さとみに尽きる。

 それほど、この小悪魔で計算高くて女の可愛さをさり気無く押しつけて男心を鷲掴みにしてしまう、そんな女性を好演していたのである。
 こっちも完全に感情移入してしまって、「これじゃあ、男性は誰でも完全に堕ちちゃうでしょう」と、ため息さえ洩れてしまったほど。

 完璧でした、石原さとみ!
 惚れましたね、サエコ役の石原さとみに。

 ただ、こういう女性、癪(しゃく)だけれどいるんだよなあ、現実にも。そしてまた、こういう小悪魔的で可愛さを振りまく女性に、男はほんと弱いのである。
 わかっちゃいるけど止められないのだ。

 基本、男って馬鹿ですから。単純ですから。
 女は恋愛を上書きしちゃうけど、男は恋愛の数だけコピー枚数が次々と増えてゆくわけでして・・・。

 「フラワーコミックスアルファ」から最終巻が刊行された、水城せとなの「失恋ショコラティエ」に、話は戻して・・・。

 当然にして、「失恋ショコラティエ」9巻は最終巻ということなので、あらゆる流れが、ひとまずは大団円を迎えることになる。
 そこまでひたすら愛すことが出来るのかと、ちょっと引いてしまうところがないわけじゃないですが、そんな、ひたすら憧れ続ける女性サエコとの恋が終わってしまった爽太の(ちなみにサエコさんって人妻です)、失意の中から新たな一歩を踏み出すまでが描かれてゆく。

 ただ、読んでゆくと、主人公爽太を含め、周りの関係者たち、えれな、薫子、オリヴィエ、まつりの行く末もまた、あまりに速い駆け足で語られ過ぎて、中途半端のままラストを迎えてしまうのが辛い。

 特に、爽太の妹であるまつりの、ある事件(まだ読んでいない人はネタバレになるのであえて書きませんが)が中盤で描かれるのだけれど、「これって、いるの?」という感じが率直してしまう。
 そこが、ちょっとした不満だ。

 それに反して、「失恋ショコラティエ」9巻の中の「第40話」、これは本当に素晴らしいと思う!
 一応、セフレの関係だった、えれなと爽太の再開が描かれるエピソードだ。
 ここが一番盛り上がったところだろうか。

 ちょっとウルルってなっちゃいました。
 互いの言葉がどれもこれも鋭利な刃物みたいに尖っていて、読んでいるこちら側にも圧倒的な迫力をもって迫って来る。

 愛ですね、愛。
 これもまた、数多ある愛のパターンの一つの到達点ではある。

 「失恋ショコラティエ」、これで6年間という長きにわたる連載が終わった。

 それにしても、次、水城せとなはどんな恋愛模様を描くんだろ?
 










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