淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「ゴールデンな9日間、その3日目。なんとなく気分がずーっとささくれ立っている」

2012年04月30日 | Weblog
 4月30日、月曜日の朝が来た。

 昨日の夜も遅かった。
 同時録画していたTVドラマ2本、アヴァン症候群の中井正広が難事件を解決してゆく推理ドラマ「ATARU」と、落ちぶれたロッカーのオダギリ・ジョーが昔遊びまくった時に出来た子どもたちと再会するというコメディ・ドラマ「家族のうた」を10時から続けて観た。

 それから、黒沢明監督の名作「羅生門」をまた観直す。
 三船敏郎、京マチ子、森雅之。3人の演技が素晴らしい。さすが全世界が絶賛した映画のことだけはある。

 平安時代末期。
 山賊、武士、その妻。
 山賊は、ある山中で出会った武士を殺し、その美しい妻を犯してしまうのだが、山賊を捕えて証言させると、武士の妻も含め、三者三様まったく話が食い違う。
 一体、誰が嘘をいい、誰が本当の事を言っているのか?
 山賊は、女から夫殺しを急かされたといい、妻は、山賊に無理やり犯され夫も冷淡だったと泣き崩れ、殺された武士は、憑依(ひょうい)した老婆を借りて、犯された妻が山賊に惹かれ始め自分を殺すように仕向けたと告白する・・・。
 果たして、真実は?

 原作は芥川龍之介の短編小説「藪の中」。
 「羅生門」、何度観ても面白い。 
 この映画を観ずして日本映画は語れない。

 映画を観て夜更かししたので、月曜日起きたのは朝9時過ぎだった。
 なんとなく、気分がずーっとささくれ立っていて、苛々(いらいら)が収まらない。
 このところ、それが続いている。
 無性に腹立たしい。色んな事が気に障(さわ)る。

 部屋に入って、ポール・ウェラーの新作アルバム「ソニック・キックス」を聴く。
 このアルバム、最近のポール・ウェラーのアルバムの中では割と気に入っている。
 僕のポール・ウェラー遍歴はちょっと変則的で、まず「スタイル・カウンシル」時代に聴き狂い、それから逆を辿って「ザ・ジャム」の時代を聴き出し、それと同時並行するように現在へと至るソロ時代を聴き続けてきた。

 個人的には「スタイル・カウンシル」時代の、オッシャレーで黒っぽくて都会的なセンスに満ち溢れた音楽スタイルが一番好きだ。
 ソロに入ってからのポール・ウェラーも評価が高いけど、僕としてはそれほど熱心に聴いて来なかったというのが正直なところである。

 実はこのアルバムもそんなに期待はしていなかった。
 でも、聴いてみたら「ソニック・キックス」、凄く気に入ってしまった。
 ポール・ウェラーは50歳を過ぎても、果敢に新しい音に挑戦し続けている。でもそれは、単に新しい何かを取り入れるという表層的な行為ではなく、自分の中へと真摯に取り入れ、音楽のフィールドを広げることと同時に、より高い音楽性を保って行こうとする志の高さがある。

 そんなポール・ウェラーの新作アルバム「ソニック・キックス」を聴いているうち、昼近くになってしまった。
 なんなんだろう?
 この刺々しい苛立ちと、焦りと、怒りと、遣る瀬無さのような奇妙なゴッタ煮は・・・。
 それが、ずーっと消えずに湧き上がるのだ。

 昔、ジャズ・バーを経営していた友人から携帯に電話が入り、夕方4時に郊外のショッピング・モールで待ち合わせることに。
 それまでに所用を足すべく、「ジャスコ」に向かう。
 ジャスコ入り口の桜が咲いていた。五分咲きぐらいだろうか。

 空は今日も青い。
 暖かいからか、半そで姿の人たちも目立つ。
 時間が空いたら今日もランニングしようと思ったのだが、結局時間が取れず、そのまま「イトーヨーカ堂」向かいのショッピング・モールの中にある「イタトマ」で待ち合わせ。

 1時間ほど互いの近況報告をして別れる。
 夕方は何処も彼処も買い物を終えた車で混雑している。
 3日間、何処にも遠出しなかった・・・っていうか、G・W後半も仕事塗れでプライヴェートな予定なんて一切無いけれど。

 5時半に早めの夕食を摂る。
 お昼を食べないと、やっぱりそれなりにお腹が空く。

 テレビでは、29日に起こった群馬・関越道での高速バス衝突の続報が流れている。
 昨日も今日も全国各地での悲惨な交通事故関連のニュースで埋まっている。
 1日、たった1日、この世界で生き延びた事を感謝しなければならない、そんな時代なんだろうか、今は。

 明日から、また仕事が始まる。






  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴールデンな9日間、その2日目は『マドンナ』のニューアルバム『MDNA』で幕開け」

2012年04月29日 | Weblog
 「月に手を伸ばせってのが俺の信条だ。たとえ届かなくても」。

 パンク・ロック(って短絡的に括ることに抵抗感はあるけど、とりあえず)「クラッシュ」のジョー・ストラマーの言葉だ。

 斉藤和義のニューシングル「月光」の歌詞で判った。
 フジテレビ系、日曜夜9時からのドラマ「家族のうた」の主題歌である。オダギリー・ジョーが主演していて、裏番組に押されその視聴率は最悪を記録している
 たった数%の低視聴率。

 ドラマは、もしかしたら打ち切りになるかもしれない。
 でも、このドラマは凄く面白い。
 「家族のうた」の主題歌である、斉藤和義のニューシングル「月光」の歌詞がまたいい。

 そしてジョー・ストラマーは、50歳で亡くなった・・・。
 「月に手を伸ばせってのが俺の信条だ。たとえ届かなくても」、人を熱くさせるいい言葉だと思う。ロックだと思う。悲しいほどに切ない言葉だと思う。

 だから、生き続けなくてはならない。
 歯を食いしばり、ガッツと志を高く掲げ、この糞ったれな日常と対峙し、それでも生きていかなければならない。
 あと2日間で終わる4月を。続く5月を、6月を。そして7月を。その後の日々を。

 今日は4月29日。ゴールデン・ウイークの2日目に突入した。
 あっという間に時間は過ぎてゆく。
 夜はたっぷり10時間眠った。疲れていたのだろう。
 久しぶりに10時に起床した。

 玉葱とアスパラとトマトとキュウリに卵を乗せた新鮮サラダと、フランスパンに珈琲。
 それを食べ終え、パジャマ姿のままでパソコンを入れて、溜まっていた案件を少しずつ片付けることに。

 BGMは、マドンナの新しいアルバム「MDNA」。
 ポップの王道というか、まったくブレない音というか、時代の潮流の音楽を貪欲に入れつつ、自分のポリシーだけは絶対に曲げていない。
 裏を返すと、偉大なるワンパターン路線という事にもなるだろうけど。

 マドンナの新作「MDNA」、そのタイトルのように、マドンナというアーティストだけが持ち得るマドンナ印のDNAをここでも見せつける。
 基本的には何でもありのダンス・ミュージックだ。
 でも、ここまで直球を投げ込まれと小気味いい。

 お昼になる。
 薄曇りの空。
 窓を開け放ち、外の新鮮な空気を部屋に入れた。
 今日も昼食は抜き。

 1時20分に家を出た。
 今日も昨日に続いてランニング。
 家から、住宅地を横切り青森市役所の裏を通り、国道をそのまま東に向かって走る。みちのく銀行国道支店、青森銀行本店、そしてリンクステーションホール青森、堤橋から海岸沿いへと入った。

 Uターンする「合浦公園」は花見の見物客で賑わっている。
 2分咲きの桜の木の下で宴会をしている多くのグループから離れるように、砂浜の近くを走って元来た道を戻る。

 昨日、公園内を走っていたら、池を挟んで、遠くから花見で混雑している付近をベンチに独り座って眺めている初老の女性が居た。
 たったひとり、ハンカチのようなものを敷いて、ぼんやりと桜の下で騒いでいる花見客を見ていた。まるで、その場所に近づくことを避けるようにして・・・。
 
 みんな、本当は孤独なのだ。
 そして誰も皆、やがては独りぼっちで死んでゆく。死ぬ間際に誰かに看取られようが、そんなことはさして重要じゃない。たった独りでこの世界から旅立ってゆくことに変わりは無い。

 海に出た。

 遠く、浅虫海岸の辺りに真っ白な帆をなびかせたヨットが2艘浮かんでいる。
 海岸沿いを走り、そこから本町、新町通りへと入った。
 みんな遠出をしているのだろうか。街中に人影は疎(まば)らだった。太陽の光だけは燦々とビル街を照らしている。

 県庁前。
 青森県庁の桜はほぼ満開に近い。鮮やかなピンク色の花弁が風に揺れている。
 そこからラストスパート。
 今日も約10キロのランニングを終えた。

 少しクールダウンをして、「いろはす」のりんごを飲み、フジTV「37歳で医者になった僕」第3話、1964年の東映映画、今井正監督・橋本忍の脚本による時代劇「仇討」、同じく1964年東映映画、工藤栄一監督「大殺陣」を続けて観る。

 ゆっくりと、窓から眺める外の景色が薄い桃色へと変ってゆく。
 夜が近い。
 それにしても、もう2日間が過ぎてしまった。

 ロックはいいけど、ロールはどうした?
 映画を観ていても、何かをしていても、この言葉が頭の中を鳴り響いて離れない。

 おい!
 ロックはいいけど・・・。
 ロールはどうした?








  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴールデンな9日間、その1日目。プチ不幸が次々と襲って来て、な~んかイマイチ」

2012年04月28日 | Weblog
 ウイルスの検査もした。色んなところをいじくり回し、単なる差し込みミスだったりして、と思い直し、何度も周辺を確認したけど、まったくインターネットに繋がらない。
 パソコンが機能しないと何にも出来ない。

 今日はゴールデン・ウイーク初日だと言うのに・・・。
 出鼻を挫(くじ)かれた。

 今日は、朝8時に起床。
 気持ちを切り替える。だって今日からゴールデン・ウイークだもん!
 卵サンドと珈琲を飲み干し、8時半には家を出た。

 いい天気。
 雲ひとつない快晴だ。
 スティーヴィ・ワンダーの「インナーヴィジョンズ」を聴きながら、八甲田連峰の入り口にある学校まで車を走らせる。

 青空に浮き出るように八甲田山頂が美しい躯体を見せている。
 真っ白な雪が斑(まだら)に張り付いていて、眩しいくらいの鮮やかさ。
 目で峰を追って西の方を眺めると、津軽富士、岩木山の素晴らしい雄姿も青の中に綺麗に輝いている。

 でも、気分はイマイチ晴々というところまでは辿り着かない。
 なんだろう?

 今日の講義は「経営戦略論特論」。
 その第1コマ、と第2コマを連続して3時間受けることに。
 予めシラバスで言い渡されていた教科書、「グラント 現代戦略分析」という百科事典みたいに分厚い本と、「ストーリーとしての競争戦略」という2冊の本を持って、ひっそりとした教室に入ると、なんと授業を受けるのは僕1人だけらしい。

 担当教授は企業戦略の専門家で、某有名企業のアドバイザーなども務めているようで、非常に判り易く、しかも内容の濃い授業だった。
 ただ、僕だけが講義を受けているので、答えるのはひとりということもあって、緊張感が半端じゃない。
 確かに非常に光栄なことではありますが・・・。目から鱗(うろこ)的なことがいっぱいあった。
 
 終わって、ぐったり。
 次回までの宿題もどっさりと出た。今日から直ぐに片付けないと間に合わないだろう。ほかにも提出すべきレポートがたくさん溜まっている。

 疲れてはいたけれど、今日からスタートする「国際芸術センター青森」での浅井祐介個展「八百万(ヤオヨロズ)の物語」を鑑賞するために、隣の芸術センターへの道を歩く。

 気持ちのいい春の陽射し。
 風もない。
 きらきらと、太陽の光が森の木々から洩れている。
 時計を見たら、ちょうどお昼の12時30分。

 森の小路で、ACAC学芸員の服部くんとバッタリ遭遇。
 そしたら、服部くんが今からちょうど行こうとしていた浅井祐介個展「八百万(ヤオヨロズ)の物語」の解説を自ら買って出てくれた。
 ありがとね。

 浅井祐介個展「八百万(ヤオヨロズ)の物語」、絵画、ドローイングが素晴らしい。
 土や様々な材料を駆使して巨大な壁画を造るのだけれど、これがまた圧巻!
 マスキングプラントといって、テープとペンで壁に描かれた植物画もいい。

 実はこの試み、青森駅前「アウガ」2階の一角でも同時に展開していて、この作品も先日観させて貰ったのだけれど、中々素敵な作品に仕上がっていた。
 お近くの方は是非、観ていただきたい。
 鑑賞後、事務室に寄って、新しく館長に就任された野坂徹夫氏に挨拶し、その場を離れる。

 家へと戻り、早速ランニング用の装備に着替え、ウォークマンを装着して春の午後の街へと出る。
 2週間振りのランニング。

 約10キロ走った。
 お花見の名所「合浦公園」の桜は1分咲きというところだろうか。
 場所によってはもう少し咲いている所もあったけれど、それよりも花見客が凄い。みんなブルーシートを敷いて飲めや歌えと祝宴をあげている。その横を、ちょっと恥ずかしいけれど、汗をびっしょり掻いて走り抜けた。

 家へと帰り、そのまま熱いシャワーを浴び、溜まっていたTVドラマを片っ端から観る。
 「リーガル・ハイ」第2話、「ATARU」第2話、「平清盛」第16話。

 夕方近く、電気屋さん到着。
 やっと、パソコンを見てもらえる。
 さすがである。カタカタとキーボードを素早く叩き、「うーん」とか「ああ~」とか漏らしながら数十分で繋げてくれました。
 やった。これでインターネットが出来る。

 それにしても、昨日・今日と、ちっちゃなヤな事が次々起こる。
 別に気にしなきゃそれはそれで、何も無かったように過ぎてゆくだけなのだろうけど・・・。

 停めておいた自転車には鍵が掛けられるし、信号は常に僕のところで赤になるし、いつもは暇なクリーニング屋さんに行けば行ったで物凄い量を持ち込んだ男が数秒差で立ち塞がり長い時間待たされるし、インターネットは急に繋がらなくなるし、そのほかにも色々と小さな小さなプチ不幸が襲って来る。

 まあ。ここは太っ腹に、軽く笑い飛ばせばいいんでしょうけどね。









  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ゴールデンな9日間、その突入前日。本当は今日が一番楽しい日なんじゃないかなあ」

2012年04月27日 | Weblog
 いよいよ明日からゴールデン・ウイークがスタートする。
 待ちに待ったゴールデンな9日間だ。

 もちろん、中間の5月1日と2日は丸々仕事が詰まっているし、後半の4日と5日の2日間も、「春フェスティバル」という大きな春祭りイヴェントがあるので仕事自体は休めない。
 でもそれはそれとして、気分的に全然違うし、こういう「一服」は疲れた身にとって本当に有り難い。
 マラソン途中で水分補給するようなものだ。ほっと一息つける。

 さらに嬉しいのは、28日、29日、30日と連続して好天に恵まれていることだろう。
 ゴールデン・ウイーク期間中は何処にも行けないので、ひたすらランニングをして汗を流し、溜まった映画を片っ端から観て、あとは読んでいない本を読み、勉強とレポート作成に勤(いそ)しみたい。

 今日のプレ金曜日も入れた連続10日間で、どこまで身体をスリムにし、トータルで何キロの走り込みが出来、何冊の本が読め、幾つの映画を観ることが出来たかは、ちゃんとそのアウトカムを最終日の5月6日に報告するとして、まずは実質的なスタート日である今日の金曜日、ここから僕のゴールデンな日々は始まる・・・。

 昨日、木曜日の夜は、夕方6時から9時過ぎまで「基礎演習」と「組織論」という2つの講義を受け、終わって青森駅前「アウガ」の駐輪場へと出た。
 雨が降って来た。
 急いで自転車の鍵を開け、サドルに跨って自転車のペダルを踏み込み走らせようとしたその瞬間、隣に駐輪していた自転車もズルズルと一緒に引き摺られてくるではないか。
 なんじゃ、こりゃ?

 暗がりで目を凝らして見ると、隣に並んでいる自転車の鍵になった輪が、こっちの自転車も巻き込んで施錠されているではないか。
 つまり、2台の自転車に鍵を掛けているから、動くはずも無い。

 頭に来たけど、誰だか分からないその持ち主をずっと雨降る中待っている訳にもいかず、一緒に鍵を掛けられてしまった自転車をその場に置いて、とぼとぼ雨に濡れながら帰る。
 なんなんだろ、こういうプチ不幸にいつも襲われるんだよなあ・・・。

雨降る、ひっそり静まり返った人気のない中心市街地を通って10時前には帰宅。
びしょ濡れ・・・。

 遅い食事を摂りながら、フジテレビ「カエルの王女さま」と、テレビ朝日の新番組ドラマ「Wの悲劇」―武井咲が2役で主演、桐谷健太、福田沙紀、剛力彩芽が共演。一回目を観ただけだが、中々面白かった―を観て、寝たのは午前1時過ぎ。

 27日金曜日は、朝7時過ぎに起床。
 トーストにママレードを塗り、紅茶を飲み、フジ「めざましテレビ」を眺めながらスーツに着替え、歩いて出勤する。
 青い空が広がっている。風が少し強い。

 「アウガ」前の駐輪場。
 まだ自転車は2台繋がれたままで放置されている。
 参った。
 ツイてないよ、まったく。自転車が使えないじゃん。

 結局、遠回りして歩いてオフィスに到着。
 今日は、なぜか珍しく業務日程が緩やかだ。
 それでも幾つかの案件が入り、電話での対応に追われる。
 お昼休み、改めてベストセラー新書「デフレの正体」(藻谷浩介氏)を読み直した。この本は一種のヴァイブルだ。

 実は、5月30日、夕方5時から市内にある国際ホテルで「まちなかセミナー」が開催される。そこに本人の藻谷浩介氏を招聘して、「都市と市民とコンパクトシティ構想」というテーマで講演していただくことが決定した。
 その前座が僕の「中心市街地活性化計画について」。
 なので、今から凄く緊張している。
 こうなったら、通り一遍の説明じゃなく、少し本気を出さないと・・・凄いプレッシャーだけど。

 結局、昼食を抜く。
 痩せて、ゴールデン・ウイーク明けまでにもっと身体を引き締めないとね。
 午後の案件を片付け、仕事を終え、約束があったので一旦家へと帰り、そこから車に乗り換えて青森ベイ・ブリッジ付近でピックアップ。久しぶりのトーク。
 
 夜の9時過ぎにに帰宅する。
 食事を摂って、パソコンに向かったら、今度はインターネットが接続しない。何度試みても、一切出来ない。
 参った・・・。
 ちっちゃなアクシデントが重なってゆく。

 結局、部屋の電気を消し、淹れたての熱いコーヒーを啜りながら、ぼんやりと眺めるテレビ画面。
 今日起こった煩わしいことや、ちょっとだけ傷ついたことも、何もかも頭の中からきれいさっぱり弾き出し、な~んにも考えず、ただひたすらドラマの中へと没入してみる・・・。
 至福のひととき。僕だけの貴重な時間・・・でもないんだよなあ。
 なんか、気が滅入る。

 でも、いよいよゴールデン・ウイークがスタートする。
 ゴールデンな9日間、その突入前日。
 本当は今日が一番楽しい日なんじゃないかなあ。

 でもなあ。
 自転車、取りにいかないと・・・。
 パソコン、直さないと・・・。







  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「人間の器量」

2012年04月26日 | Weblog
 器量を辞書でひくと、「器」は才能のあること。「量」は心の大きさ、徳のあること。そして、物の役に立つ才能・力量とある。
 女なら、容貌。顔立ち。みめのこと。
 そして男なら、その人の面目。価値のことと書いてある。

 まあ、あんまり固く定義しないほうがいいかもしれない。逆を考えたらもっと判りやすくなる。
 器量が狭く、小粒で、保身を図り、物事から逃げ回り、責任を回避し、気持ちが小さい奴・・・そんな人間、周りにもたくさんいる。

 そういう僕だって、いつも困難や厄介事からは逃げまくり、小心者で、他人におべっかを使いまくり、他人よりも自分を守り切ることに腐心している糞野郎だから、人のぶざまを嘆くなんて百年早い。

 だから、稀に器の大きい人間に出会うと心底尊敬してしまうし、心から憧れる。そういう凄い人間になりたいと思う。これは本心だ。

 新潮新書の「人間の器量」を読んだ。
 評論家の福田和也氏が書いた本である。
 このひと、僕好き。
 慶応大学の教授で文芸評論家である。辛口の評論をよくする人で、絶えず何かと戦っている。少し過激なところがあって大好きなのだ。

 最近は、物凄く頭のいい奴とか、学歴やスキル・アップのレベルが半端じゃないくらいに凄い奴とか、商才に長けている超大金持ちとか、巷にたくさんいるけれど、ここでいう「器量を持った人間」となると、逆に中々見当たらない。

 福田和也は、嘆く。
 「なぜ日本人は、かくも小粒になったのか」と。

 本の冒頭で、在野の歴史学者、書誌学者であった森銑三の言葉が掲げられる。この言葉が本の全てを言い当てているといっていい。
 「大物だといわれる人は純粋でない。純粋な人は粒が小さくて、大きな舞台には立たされぬ」。

 確かに。
 ただ純粋な人間って、ほんと小粒だと思う。面白みに欠けるのだ。トキメキがないのである。
 これって、真面目な人間にも当てはまる。真面目な人間って誰からも好意的に受け入れられるけれど、ただそれだけだ。あとは何もない。
 つまり、関係性としてのドキドキ感がないのだ。

 福田和也は、薄っぺらで平板な人間には魅力がないと言い切る。
 女性問題ではアホみたいな大失態を起こし、酒癖も悪いけど、企業経営に対するセンスだけは群を抜いていて、部下や経済関係者からは絶大な人気を誇っているなど、善悪や良否を簡単に超えちゃう器の広い人間、そんな人間こそ魅力的なのだというのである。

 福田和也は、明治から昭和にかけて「器量の大きい」と言われた人物を俎上にのせる。
 西郷隆盛、伊藤博文、勝海舟、大久保利通、高橋是清、菊池寛、松下幸之助、岸信介、田中角栄、小林秀雄、山本周五郎・・・。

 この人選に対して、異論もあるだろう。
 欠点だらけで、国民からも非難されまくり、歴史的評価が低い人物もいるかもしれない。
 しかし、福田和也はあえて欠陥だらけではあったとしても、別の部分で特筆すべき行いや素晴らしい果実を実らせたことを重要視し、心が広く、度量があり、人のために役だったけれど、大きな失敗もしてしまった人物にスポットを当ててゆく。

 何の得にもならないことに命をかける。
 尋常の算段では絶対に動かない。
 友のために自らを棄てる。捨て身で立ち向かう・・・。

 でも、異常に女にだけはだらしない(ここに挙げられたほとんどの人物が、凄まじいまでの女好きなのだ)。
 そしてまた、頑固で偏屈で我儘の極致をゆく。
 ・・・などなど、全く正反対な面も同時に持っている。

 最後まで読んで思ったのだが、彼らにはちょっと欠陥人間的な部分があるのだ。
 この本で取りあげられた、近代屈指の実業家で吉田茂ともライバルにあった松永安左衛門という人などは、80歳を過ぎても平気で女性を口説いていたのだという。

 なんか、みんないつまで経っても成長し切れない子どもみたいなんだよね。ガキっていうか、大馬鹿野郎っていうか。

 福田和也は最後に「器量を大きくするために」こう述べて締めくくる。

 修行をする。
 山っ気をもつ。
 ゆっくり進む。
 何ももたない。
 身を捧げる。

 そして、どう腹を括れるか。
 誰も皆、いつかはこの世から去らなければならない。

 どうせ死ぬ身の一踊りなのだ、人生なんて。










  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オダギリ・ジョー主演フジTV「家族のうた」。このドラマ凄く面白いのに視聴率最悪なんだって。

2012年04月25日 | Weblog
 オダギリ・ジョーが主演して、フジTV系日曜日夜9時からオンエアされている、ドラマ「家族のうた」がすこぶる面白い。

 この「家族のうた」というドラマ、春から一斉スタートしたTV新ドラマの中で一番面白いんじゃないだろうか。
 ところが吃驚(びっくり)したのが、第2回まで放映されたその視聴率が最低最悪を示したということだ。

 第2回の視聴率はなんと3.6%(ビデオリサーチ調べ=関東地区)。
 初回も、かなり低い6.1%だったのだが、それからまたさらに半分程度まで落ちてしまったらしい。
 このまま最悪のパターンで推移すると、ワンクール途中でドラマ自体の打ち切りが検討されるかもしれない。それだけはご勘弁願いたい。
 だって、この「家族のうた」すんごく面白いドラマなんだもん。

 日曜日夜9時台のテレビはかなりの激戦区だ。
 日本テレビが「行列のできる法律相談所」、テレビ朝日系が老舗の「日曜洋画劇場」、そしてTBS系列が連続ドラマを放映していて、ドラマ同士がぶつかり合うフジとTBSは絶えず熾烈な戦いを強いられている。

 今期は、2回目が16.9%という高視聴率を弾き出した裏番組の中居正広主演「ATARU」(TBS)に、フジテレビが大きく水をあけられた格好だ。
 僕は両方の番組を観ているのだけれど(もちろん両方を同時にダビングして)、どうもイマイチ「ATARU」(TBS)というドラマが好きになれない。

 まず、個人的に中居正広ってどうも好きになれない。
 嫌いというほどじゃないのだが、芸能人特有の臭味というか、高慢ぽさというか、質感の冷たさというか、そんな部分が随所に感じられ、少し敬遠してしまうところがある。
 ましてや今回の役どころは、コミュニケーション障害や自閉症的障害を伴う、いわゆるサヴァン症候群という役柄を演じていて、その表現がワザとらしくて妙に鼻につく。
 まあ、ドラマ自体の展開はスピーディでテンポがあり、よく出来た推理ドラマだとは思いますが・・・。

 しかし僕たち視聴者は、録画をしない限り、「ATARU」か「家族のうた」のどちらかをチョイスして観るしかない。
 そうなると、「ATARU」を選択するということになってしまうのだろうか。

 でも、それはなぜか?
 色々と理由を考えてみた。
 まず第一に、「家族のうた」というタイトル、呆れるほど平凡過ぎる。
 これだと、まず食指が動かない。
 よくもまあ、こんな平凡なタイトルに決めたものだ。よく通ったよね、フジの上層部まで。シンプルだとは思うけど・・・。

 第二に、オダギリ・ジョーという独特のキャラクターだろう。
 どうみても日曜日の一家団欒には濃すぎるキャラでしょ。僕は好きな俳優だけど。
 パンキッシュで派手な革ジャンに身を包み、煙草と瓶ビールをラッパ飲みしても、日曜日の夜を寛ぐ視聴者にしてみたら違和感を覚えるのだろう。
 
 第三に、ドラマの道具として「ロック」を拝借してしまったことである。
 これは第二の理由とも深く関連することなのだが、ジョー・ストラマーがこう言ったとか、アリス・クーパーはこんなことを言っているんだぜとか、ロック・ミュージャンたちの名言をドラマの中でオダギリ・ジョー語らせても、ほとんどの視聴者には何だかよく解からないだろうし、巧く関連付け出来ないのではないか。

 ・・・と、まあ色々述べたけれど、これらが「家族のうた」が低迷している要因ではないかと思う。もちろん、まだ2話なのでこれから何が起こるか分からない。

 でも、ここからが僕の反論、つまり如何にこの「家族のうた」が素晴らしいドラマだということを声を大にして訴えたいのだけれど、一言で言っちゃうと、前段で述べた、「家族のうた」が視聴率を上げられない理由それこそが、このドラマを素晴らしい作品に押し上げているということなのだ。

 たぶんフジテレビは、日曜日の同じ時間帯枠で大ブレイクした、阿部サダヲ, 芦田愛菜, 鈴木福の共演によるあの国民的ドラマ「マルモのおきて」を意識して、今回の「家族のうた」を作ったのだと思う。
 いたいけな子供たちを登場させ、そのだらしない父親である売れないロック・ミュージャン、オダギリ・ジョーを絡ませることで、親子の愛だったり絆だったりを、ユーモアを交えながら展開させる、これを目指したに違いない。

 これは正しいと思う。
 そしてそのコンセプトにフィットするように、オダギリ・ジョーという濃い目のキャラクターも、ロックというアイテムも、可愛い子どもたちも、ドラマの中ですんなり調和し、ぴったりマッチングしているのだ。
 だから、このドラマは面白いのである。

 歴史的低視聴率に加え、盗作疑惑まで出て来た「家族のうた」。
 こうなったら居直って、歴史的カルト・ドラマとしてその名を永遠に刻みつけていただきたい。
 いや、ほんと。








  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゲイリー・オールドマン主演映画「裏切りのサーカス」。ちゃんと観てないと話がこんがらかっちゃうね。

2012年04月24日 | Weblog
 前にも書いたけれど、最近一番面白い海外テレビは、何と言ってもデンマーク発のミステリー・サスペンス・ドラマ「ザ・キリング」だろう。

 現在、CSの「スーパー!ドラマTV」でオンエアされていて、若い女性の惨殺死体が発見されてから、それが解決するまでの20日間を描いてゆく。
 全20話からなる傑作ミステリードラマで、デンマークでは史上最高視聴率を記録したらしい。

 ちょうど今ドラマは、折り返し地点を周って、ラスト・スパートを掛けようとしているところ。とにかく面白くて止められない。
 誰がいったい真犯人なのか?
 物語は二転、三転、四転、五転して、息つく暇もない。

 さらにイギリスでは、「ザ・キリング」が英国アカデミー賞最優秀国際シリーズ賞を受賞し、アメリカでも「THE KILLING ~闇に眠る美少女~」としてリメイクされ、こちらのTVドラマもまたエミー賞6部門にノミネートされ大反響を博している。

 コペンハーゲン郊外の運河で少女の死体が発見される。
 彼女は何故殺されたのか?
 一体誰に殺されたのか?
 次々と浮かび上がる容疑者たち。
 そして捜査が進むにつれて、亡くなった少女の家族と彼女自身の秘密、腐敗した市政、捜査にあたっている警察官たちの人生までもが浮かび上がってゆく・・・。

 これだからミステリー・サスペンス映画、それからミステリー小説って止められない。
 大好きなジャンルである。
 傑作だと、ほんと最後まで一気に読み、観てしまう。
 ただし・・・この手のジャンル、観たり読んだりして面白くないと、その落胆度もまた半端じゃない。失望感もまた他のジャンルより数倍違ってくるから始末が悪い。

 この「ザ・キリング」が現在最も旬なミステリー海外テレビドラマだとすると、今、巷を大いに賑わしている最も旬なミステリー映画、それはゲイリー・オールドマン主演の映画「裏切りのサーカス」じゃないだろうか。

 とにかく「裏切りのサーカス」、各誌大絶賛である。
 どの映画雑誌の映画評を読んでも、この「裏切りのサーカス」を悪くいう人間がいない。
 実際に元M16の諜報(ちょうほう)員だった、作家ジョン・ル・カレによる名作スパイ小説「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」が原作だ。

 確か「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」、ジョン・ル・カレによる「スマイリー」シリーズ3部作の中の一作だったと思う。
 僕も推理小説の類いが大好きなので(最近は忙しくてほとんど読んでいないけど)、ジョン・ル・カレの小説は何作か読んで来た。
 でも、まだスマイリー・シリーズは読んでいない。読みたい小説のリストには絶えず入ってはいるんですけどね・・・。

 映画「裏切りのサーカス」の監督はトーマス・アルフレッドソン。
 この監督、ヴァンパイアの少女と普通の少年の純愛を描いた「ぼくのエリ200歳の少女」を観て、いっぺんで大好きになった。
 「ぼくのエリ200歳の少女」は、いい映画だ。
 そのトーマス・アルフレッドソンが監督するのだから、俄然、期待は高まる。

 東西冷戦下の1980年代が舞台だ。
 英国諜報部「サーカス」(ここからタイトル「裏切りのサーカス」がきているのですが)を引退した老スパイ、スマイリー(ゲイリー・オールドマン)に対して密かに新たな指令が下される。
 20年間にわたって英国諜報部「サーカス」の中枢に潜り込み、ソ連に国家機密を流している二重スパイ(もぐらというコード・ネーム)を捜しあて、その裏切り者を始末せよというミッションだった。

 組織幹部である、通称「ティンカー」(トビ―・ジョーンズ)、「テイラー」(コリン・ファース)、「ソルジャー」(キアラン・ハインズ)、「プアマン」(デヴィッド・デンシック)の4人に標的を絞り、スマイリーは容疑者を追い詰めてゆくのだが・・・。

 イギリス・ロンドンの、陰鬱なくすんだ空気。主役であるスマイリーを演じるゲイリー・オールドマンの非情で冷徹な表情。何重にも張られた伏線。映画全体を覆い尽くす、ひんやりと張り詰めた空気・・・。

 でも、ちゃんと映画の台詞の一字一句を見ていないと、途中でストーリーがこんがらかってしまう。
 勿論、大枠の筋立ては理解出来るんだけど、過去と現在が次々と交錯して行くから、明らかになる謎の解明と人物像が整理整頓出来なくなって、ちょっと混乱してしまうのだ。
 なので、予備知識を持って映画に臨まないと楽しさは半減するかも・・・。
 
 僕は、ストーリーを追う事にのみ専念してしまって、イマイチ映画自体から醸し出される独特の雰囲気にすんなりとは乗れませんでした。

 ごめんなさい。









  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「山下達郎 Perfomance 2011-2012」青森コンサート。何度見ても凄い!

2012年04月23日 | Weblog
 昔は、大好きなアーティストのコンサートがあると、数日前から胸がときめき、当日になると嬉しくてずっとソワソワし、気もそぞろに開演時間だけを待っていたものだ。

 レコードを買う時もそうだった。
 大好きなアーティストの新譜が出る日は朝から待ち切れず、予約していた音楽ショップへ速攻で駆け込んだものだった。
 そのままレコード袋を小脇に抱え、小走りで家へと向かい、部屋に籠って何度も何度も繰り返しお気に入りのアーティストの新作を聴き狂った。

 今はもう、それがない。
 CDは気に入ったものを何枚かまとめ買いすることが多いし、コンサートだって、スケジュールさえ合えば行きたい場所まで行って観る。
 ネットの「アマゾン」でも「チケットぴあ」でも、気に入ったCDやコンサート・チケットは、クリックさえすれば瞬時に幾らでも買う事が出来るから、昔のように何時間もチケット売り場に並んでプラチナ・チケットをゲットしたり、音楽雑誌で情報を得てレコード屋さんに駆けつけ、数か月前から予約用紙に書き込む手間も無くなった。

 4月22日、日曜日は「リンクステーションホール青森」で「山下達郎 Perfomance 2011-2012」コンサートが開かれる日だ。
 夕方6時からのスタートである。
 ところが、その事を僕は直前まですっかり忘れていたのだ。

 数日前に、ソウルメイトの一人から「実は達郎、私も行きます」みたいなメールを貰っていて、「ああ。そういえばそうだった」と改めてコンサートの事を思い出したくらいで、その後も忙しさからすっかり当日の事を忘れていた。

 これはちょっとショックだった。
 あんなに大好きな山下達郎のコンサートを忘れていたなんて・・・。俺はそこまで鈍ってしまったんだろうか・・・。トキメキとか、感性とか、純粋に何かを待ち焦がれるとか、そういう感情が劣化してしまったんだろうか・・・。

 駄目だなあ。駄目だ、駄目だ。
 ちゃんとしなきゃ。

 気を取り直し、会場である「旧青森市文化会館」、新しく生まれ変わった「リンクステーションホール青森」へと車を飛ばした。
 日曜日なので普段より開演が早い。
 それに、山下達郎のコンサートは長くて内容も濃い。いつも、コンサート時間は軽く3時間を超える。
 それも中弛(なかだる)みとか妥協が一切ない。濃厚で、100パーセント混じり気なしの完璧なパフォーマンスなのだ。

 次々とチケットを持った人たちが「リンクステーションホール青森」の中に吸い込まれてゆく。
 年齢層は若干高め。40代や50代と判る男女がかなり混じっている。

 コンサートは定刻より5分遅れでスタート。
 「希望という名の光」のPreludeが流れ、そこから続いて「THE THEME FROM BIGWAVE」、「SPARKLE」と、いきなり必殺のアンセム・ナンバーが披露される。

 前半の白眉は「SOLID SLIDER」か。
 長めのインプロビゼーションが凄い。
 サクソフォンも加えて全員で10人編成。コーラスの3人も含め、いつものように隙がない。

 中盤の恒例アカペラ・コーナーは、今回のアルバムにも収録されている「薔薇色の人生」や鈴木雅之に提供した「おやすみロージー」を熱唱。
 そこから今度は、「クリスマス・イブ」、「希望という名の光」、「さよなら夏の日」、シュガーベイブの懐かしい「今日はなんだか」と、怒濤の如くライブは突き進む。

 前回は、衝撃的な鈴木茂の「砂の女」を演奏して吃驚させてくれたけれど、今回その手のサプライズはありませんでした。残念。
 でも、新作からもシュガーベイブ時代の曲も満遍なく取り入れ、完全無欠な演奏パフォーマンスは最後まで全くダレる事がない。

 後半は、毎回必ず演奏する「LET'S DANCE BABY」(当然、観客からクラッカーが一斉に鳴らされました)、「高気圧ガール」、そして最後に「アトムの子」。
 もうここまでで、コンサート自体、3時間を優に超えていた。
 何という体力! 何という持久力! 何というライブ・パフォーマンス!
 山下達郎は59歳。もうすぐ60歳なのだ。
 こんな59歳、有り得ないでしょ。

 アンコールは、これもまた驚異の連続4曲披露!
 「街物語」、「RIDE ON TIME」、「恋のブギ・ウギ・トレイン」と来て、最後の最後に独り「YOUR EYES」で締めるという余りにも濃過ぎる内容だった。
 当然にして、後半は全員総立ち状態。

 それにしても、山下達郎といい、浜田省吾といい、サザンの桑田といい、矢沢の永ちゃんといい、50代、60代のミュージシャンって一体何を食べて生きてんだろ?
 ミック・ジャガーもキース・リチャーズもクラプトンも、そうだけど・・・。
 体力も気力も、そのパワーの源って何なの? マジで・・・。
 
 結局、コンサートは3時間半に及んだ。
 その間、アンコールの合間を除いて、山下達郎はたったの一度もステージ裏には戻らなかった。ずっと途切れることなく、歌いっぱなし、演奏しっぱなしだった。
 驚異的なコンサートである。
 
 「山下達郎 Perfomance 2011-2012」青森コンサート。
 このひとのライブ、ほんと何度見ても凄い!

 青森での山下達郎コンサートは、第一回目から今回まですべて観て来たけれど、今回もまた頂きましたよ、大いなるパワーを!








  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「Lovin’You」

2012年04月22日 | Weblog
 今回もまた、大忙しの1週間だった。
 1日の忙しい仕事を終え、学校に通い、通読して来たレポートを発表し、講師との議論を行い、講義を聴き、ノートにとり、翌週までの新たなレポート提出が求められ、授業が終わり、夜道を家へと帰る。

 お腹がぐーぐー鳴っている。
 家に辿り着き、急いで遅めの夕食を摂り、着替えてお風呂に浸かり、また机へと向かう。
 その時点で、時計を見ると既に10時を回ってる。

 聴いていないCDが何枚も溜まっている。
 まだちゃんと目を通していない新聞、週刊誌、雑誌、それからハードカバーの新刊小説や様々な文献が机の上に積み上げられている。
 録画した地上波テレビドラマやWOWOWでオンエアされた未見の映画が、もうかなりの数ストックされていて、それもまた観る時間がないので毎週毎週次から次へと溜まってゆく。

 3週間後に迫った「八戸うみねこマラソン」のためのランニングも全然やってない。先週の日曜日に一度10キロを走っただけだ。
 果たして、完走なんて出来るんだろうか?

 水曜日と木曜日の東京出張も疲れを増幅させていて、帰青した翌日の金曜日にはどうしても出席しなければならない夜の懇親会があって、中々自分の時間が取れないまま無情に1日が過ぎてゆく。
 残った少しの空白時間にコンサートとか別の個人的なイヴェントが入り込むから、いつも窮屈な感覚が抜け切れないのである。

 焦る。
 苛々がだんだん募る。

 でも考えて見れば、その何れもが単なる個人的な日程に過ぎないわけで、仕事をこなしてゆく、その責任は全て自分自身に帰ってゆく。
 つまりは、完全に自分勝手な主張なのだ。
 こういう過密な日程を組んだのはほかの誰でもない。この自分である。

 昨日の土曜日も、個人的な所用があって遠出した。
 どうしてもやらなければならない事からスケジュールに埋めて行くから、その中で残った空白時間がとても貴重なものに思えてしまう。
 凄く嬉しくて、叫びたくなるくらいに・・・。

 そういうことが起因しているのか、相変わらず悪夢を観続けている。
 昨夜もうなされた。
 昨日の夜は、大声を出すまでには至らなかったけれど、奇妙で不可思議な、何の脈絡もないシュールな夢を毎晩の如く観続けている。

 これは一体なんなんだろう?
 何がこうさせるんだろう?

 最近は、妙に昔の懐かしい映像が幾つも幾つも夢の中でフラッシュバックする。
 楽しくて嬉しい昔のエピソードまでが、物悲しいヴェールに包まれて映し出されてゆくのである、それも繋ぎのない、ばらばらな時間軸の中で・・・。

 今日の日曜日。
 空はどんより曇っている。
 とても静かな日曜日の街だ。

 昨日の夜遅く配達してもらった「ピザハット」のピザを温め直し、熱い珈琲と一緒に食べ、朝刊を眺め、それから机に向かって勉強を始めた。
 とにかく、一日一日をしっかりとこなしてゆく。これしかない。
 ラッセルし続けたその先に一体何があるのか、今はよくは判らないけど・・・。

 勉強の合間に、先週の溜まった新聞を眺めていたら、読売新聞の「人生案内」欄に凄い相談内容が載っていた。
 幼子を抱える女性からの相談で、その趣旨は、地球がこのまま環境破壊や諸々の社会変化に見舞われ続け、仮に氷河期に突入することなどを考えると、不安でどうしようもなくなるというのである。
 子どもの未来や将来が心配で心配で泣き崩れるほどだと、不安に満ちた悲痛な悩みを打ち明けるのである。

 最初はこの相談内容を読んで、ちょっと引いて笑ってしまったのだけれど、よくよく考えて見ると、誰がこの相談を一笑に付すことなど出来るだろうか。
 芥川龍之介は、自殺した際、その自死の理由を「漠然たる不安」としてこの世界から消えて行った。
 結局、それと根本は同じなんじゃないだろうか。そう考えたら腑に落ちた。

 漠然とした未来に対する不安と危惧が僕らを悩ませる。
 いずれ、この世界からあらゆるものが消えてしまう。その無常な現実に対する恐怖と孤独。それらが絶えず僕たちを苦しめ、そして圧倒的な絶望感へと導いてゆくのだ。

 そういう、この世界に生きていることの果てしのない絶望が、結局、僕たちの生きる力と糧へとなってはいるのだろうけど・・・。

 そんな事をぼんやりと考える、穏やかな日曜日の午後。






  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささきまこと一人芝居with劇団かまりこvol.8「中年よアウガに来たれ!」

2012年04月21日 | Weblog
 若い頃、青森という街が大嫌いだった。

 津軽弁も嫌いだった。
 フジテレビが入らないことも、少年ジャンプや少年マガジンが数日遅れで書店に並ぶことも嫌だった。
 雪に閉ざされて、毎日吹き荒れる地吹雪が大嫌いだったし、寒いのも、憂鬱な曇り空も嫌だった。

 一刻も早く、この街を離れ、東京で暮らすことだけを毎日毎晩夢見ていた。
 高校を卒業したら、とにかく東京に行く。ただ、それだけを考えて生きていたように思う。
 いつも窒息しそうで、閉塞感に包まれたこの街の空気から逃れたい、そう思って高校時代を過ごしていた。

 だから、地元のローカル番組にも嫌悪感を抱いていた。
 この街で目につくすべてを小馬鹿にしていて、地元の役所に入るとか、地元の銀行に就職するとか、地元で家業を継ぐとか言っている仲間のことも内心で軽蔑し、それだけは絶対にしないぞと密かに心で決めていた。

 そして僕は今、この街でこうして生きている。
 このまま行けば、この街で年老い、そしてこの街で静かに死んでゆく。多分、このまま行けばだけれど・・・。

 この街のことを愛しく思い始め、懐かしさに心が締め付けられるようになったのは、青森から離れ、ひとり上京してからのことだ。
 あんなに憧れていた東京の街が憎たらしく思えてきて、日に日に望郷の念が大きく膨らんでいったのである。

 勝手なものだ。
 誰かに裏切られると一気に気持ちが冷め、また捨てた昔の誰かに擦り寄ってゆく・・・。

 大好きで、大嫌いな街。
 何処に行ったとしても、何処に逃げようとしたって、一生この街から逃れる事なんて絶対に出来ない。
 僕の心も身体も完全にこの街に浸かっている。染まってしまった。

 そして、心も身体も完全にこの街に浸かってしまった人間がほかにもいた。
 俳優の、ささきまこと氏である。
 その、ささきまこと一人芝居with劇団かまりこによる、vol.8「中年よアウガに来たれ!」を観た。
 青森駅前、我が愛しのアウガ、5階AV多機能ホールの一番後部の座席に座って・・・。

 ささきまこと氏はいい人だ。
 照れ屋で、優しくて、思いやりがある。
 僕が、彼に頼まれて書いた劇評に関しても、地元紙である「東奥日報」に掲載されると、すぐに電話で、はにかみながら感謝の言葉を寄せてくれた。
 そして今度はアウガをテーマに、一人芝居を見せてくれるのだという。嬉しいことである。

 今回もいつもと同様、約90分間の舞台構成だ。
 最初はショート・フィルム。
 アウガの店内を本人が周り、お店の紹介をしながら短いコメントで笑いをとってゆく。

 そしていよいよ舞台が上がり、ささきまこと本人が登場しての一人舞台が始まる。
 最初の出しもの「アウガ帰りのオド」が笑わせる。
 地元ネタに終始しているから、青森市に暮らしていないとちょっと解らない箇所があるかもしれない。
 でも地元の観客には大受けだった。
 この「アウガ帰りのオド」が全部の演目の中で一番受けていたのではないだろうか。

 「居酒屋 純子」や「共存共栄」という一人芝居も悪くはなかったけれど、圧巻は何と言ってもラストの「青森中年ローカルスターズ」だろう。
 新たなユニットということで、ささきまことのほかに、地元タレント横山ひでき、エルビス・プレスリーのモノマネで世界一となったエルビス・トキとの3人編成バンドなんだけど、披露した新曲が中々の出来映えで吃驚してしまった。
 CDも発売されるらしい。

 この最後のステージは良かった。
 観客をステージに上げ、全員で懐かしの「サニー」を歌いながらステップを踏むんだけど、全員総立ちで本当に楽しそうに踊っているのだ。
 これは盛り上がっていた。

 ささきまことの舞台を観ていていつも思う事は、この人、本当にこの街が好きなんだなあということだ。
 でも、そこには少し冷めた視点とコンプレックスと諦めのようなものが流れている。

 僕はそこがまた、たまらなく好きなのである。





  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「レコードコレクターズ増刊 70s SOUL」を読んでから、ソウルばっかり聴いている。

2012年04月20日 | Weblog
 ちょっと一週間以上も前の事になるれど、4月7日土曜日の夜、いつものように郊外の某ドラッグストアの誰もいないただっ広い駐車場のど真ん中に車を停めて、マーヴィン・ゲイの「ホワッツ・コーイング・オン」を独りで聴いていた。
 夜の9時過ぎだったと思う。

 風が冷たく、雪もちらちらと舞っていた。
 ふと、東の空を見上げると、早い勢いで雲が流れ、そこにまん丸の大きなお月さまが浮かんでいるではないか。
 冷えた夜空に浮かぶ、とても綺麗で真ん丸な月。
 久しぶりに見る満月だった。

 そこに、ソウル界の巨人、マーヴィン・ゲイ不朽の名作「ホワッツ・コーイング・オン」がゆっくりと流れてゆく。
 いやあ。
 偶然が生んだ情景とはいうものの、有無を言わせぬ美しさだった。

 ちょうど一曲目の「What's Going On」が流れていた時だったこともあって、ソウル・ミュージックのスイートで溶けるようなメロディが、東の夜空で光り輝いている満月の美しさと重なって、雲間に月が隠れるまでずっとその風景を車の中から眺めていた・・・。

 たぶんこのとても美しい情景は、いつまでも心の奥の記憶の中に映し出されてゆくに違いない。それほど素晴らしいひとときだった(独りぼっちだったけどさ・・・)。
 
 最近は、ソウル・ミュージック、オンリーである。
 片っ端から黒人音楽を聴き狂っている。
 「レコードコレクターズ増刊 70s SOUL」のせいだ。
 この本を発売されると同時に買い、何度も寝る前に読んでいて、改めてソウルの素晴らしさに目覚め、CD棚からそれ系の音楽を引っ張り出しては聴いている。

 「レコードコレクターズ増刊 70s SOUL」は、そのタイトルの通り、1970年代の黒人ソウル音楽の有名なアルバムを紹介している本だ。
 全部で229枚。
 ジャンルごとに、「ファンク」、「ニュー・ソウル」、「アーヴァン」、「フィリー」、「サザン・ディープ」とジャンル別に名盤を紹介しているのも嬉しい。

 ただし、この本の中でも触れているように、その定義は曖昧である。
 ファンクと南部のソウルは何とか解るとしても、「ニュー・ソウル」と「アーヴァン」なんてはっきりカテゴライズなんて出来ないだろう。
 まあ、そんな深く考えずに、好きなソウル・ミュージックを聴きゃあそれでいいんだけどね。

 それとは別に、この「レコードコレクターズ増刊 70s SOUL」、冒頭で「ARTIST PICKUP」と称し、「スライ&ザ・ファミリー・ストーン」、「Pファンク」、「ジェイムズ・ブラウン」、「アイズリー・ブラザーズ」、「アース・ウィンド&ファイア」、「マーヴィン・ゲイ」、「スティーヴィ・ワンダー」、「カーティス・メイフィールド」、「ダニー・ハサウェイ」、「アイザック・ヘイズ」、「ミニー・リパートン」、「マイケル・ジャクソン」、「シック」「オージェイズ」、「アレサ・フランクリン」、「アル・グリーン」と、超ド級のアーティストたちのアルバムを何枚かずつ俎上に載せて紹介しているのだ。

 これだけを見ても、懐かしさと同時に、無性にそれぞれのアルバムを聴きたくなって居ても立ってもいられなくなる。
 自分で持っているアルバムはいいとして、現在手元に無いアルバム何枚かは、聴きたくて速攻でアマゾンに注文してしまったほど。

 ほかにも、「クール&ザ・ギャング」、「ビル・ウィザーズ」、「グラディス・ナイト&ザ・ピップス」、「テンプテイションズ」、「スタイリスティックス」など、懐かしい名前のアーティストたちがどんどん登場する。
 昔よく行った「DISCO」で聴いたなあ・・・。これらのグループ。

 当然、僕がまったく知らないアーティストたちもたくさんこの本には掲載されている。
なので、かなり勉強にもなった。
 特に、「ブレイク・ウォーター」というグループの同名アルバム。この本で知って、早速聴いてみた。
 これがいい。

 ソウルのジャンルに「フィリー・ソウル」というのがあるけれど、これはアメリカのフィラデルフィアという都市で生まれた音楽のことで、洗練されていて、甘くて、メロディラインがとても美しいことが特徴だ。
 僕もフィリー・ソウルは大好きだ。
 だから、この「ブレイク・ウォーター」も凄く気にいった。

 今、このブログを書きながら聴いているのが、マーヴィン・ゲイの「I WANT YOU」。
 蕩(と)けそうにセクシー。甘くて、まろやかで、しかも色っぽい。お酒を飲みながら聴いたら、もっと音楽力が高まるかもね。

 ソウル・ミュージック・ラバーズ・オンリー!








  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「桜前線北上、もう桜が散ってしまった東京の、濃厚な夜の街を独り歩く」

2012年04月19日 | Weblog
 思わず、声を上げてしまった。
 自分でも、叫んだ事がちゃんと解った。
 絞り出すような、声にならないような、喘ぐような、そんな叫びだったように思う。

 真夜中だった。
 凄く辛い夢を見たのである。
 過去の事と最近の事とが混在する奇妙な夢で、その夢の具体的な内容を語る事なんて不可能だけれど、色んな断片がまったく脈絡もなく進んでゆく、そんなおかしな夢だった。

 その夢の中で突然ある情景が現れ、それに驚いて思わず声が洩れ出てしまったのだろう。暫らくの間、真っ暗な闇を眺めて過ごし、それでもそこからまた浅い眠りへと落ちて行った。

 表面上は穏やかに進んでいるような日常にも、深くて冷たい闇は絶えず流れている。
 幸せとか喜びとか嬉しさとか、そんな肯定的な感情だけが毎日を支配しているわけでは決してない。
 スポーツに汗を流しても、春の青空に歓喜の感情を抱いても、人と人との関係性や、仕事の労苦や、普段の喜怒哀楽の起伏の中で、暗くて重い心のカスは頭の中に少しずつ蓄積され、真っ黒な塊となって息づいてゆく・・・。

 人生には、喜びや幸せの裏側にそれとは真逆な感情が潜んでいる。その黒い塊は何かの拍子にいきなり表舞台へと現れる。

 生きることは苦しさの連続だ。

 そのおかしな夢を見てから数時間後、夜が明け始めた空を眺めながらスーツに着替えて肌寒い外へと飛び出した。
 4月18日水曜日の夜明け、午前5時20分。

 青森駅に着いたら、まだ駅が開いていない。深夜は締めきっていて5時30分まで開かないらしい。
 少し待って、改札を抜け、新青森駅から出発する始発新幹線「はやぶさ」の接続列車に乗り込んだ。

 新青森駅から、「はやぶさ」は定刻に出発。
 ノート・パソコンを取り出し、新幹線の座席シートの右下側に付いているコンセントへ接続し、東京駅に着くまでの約3時間、ずっとパソコン画面と睨めっこ。
 時間を忘れ、あっという間に東京駅に到着した。

 東京から飯田橋、そこから歩いて神楽坂。
 そこにある某有名企業を訪問するためだ。

 都内の桜はほとんど散ってしまったようだ。
 この付近の大学に通っていたので、朝のゆったりとした空気の中を歩きながら、ふと懐かしい思い出が蘇って来る。

 飯田橋にある某名画座を掛け持ちして朝から晩まで映画を観まくったことや、仕送りが途絶えてアルバイト三昧の苦しい生活を余儀なくされたこと。それから友人と2人、生活費が全然無くなってしまい、学生ローンに借金を申し出たまでは良かったものの、その金で結局2人飲みまくって散財してしまったこと。新宿歌舞伎町のバイト先で、偶然、同じ青森出身の人間たちだけが集ってしまい、店内、奇妙な津軽弁が飛びかって可笑しかったこと・・・そんなどうでもいいような懐かしい思い出が、現れては消え、消えては現れる。

 あの頃、怖いものなんて何にもなかった。
 大学を一旦中退して、都落ち状態で故郷へと戻った時だって、挫折感や絶望感は確かにあったけど、それでも気持ちは意外と前向きだったように思う。
 自分の夢はいつか必ず叶う、そう能天気に思っていたのだろう。確証なんて全然なかったのに、カラ元気と奇妙な自信だけは持っていた。

 もう、若くはない。
 ならば、今のこの俺を支えているもの、それは一体なんなんだろう?

 都内を歩き、仕事を終え、京王線沿いの小さな街へと降りる。
 駅前にある、インド料理専門店に入って生ビールとグリーンカレーを頼み、やっとお腹を満たした。
 駅を過ぎると、閑静な住宅街に入る。
 遠くから、通勤電車の音が春のまったりとした風に乗って聞こえて来る。

 春の夜の独特の匂い。
 夜気が艶めかしい。

 桜前線は北上している。
 もう桜が散ってしまった東京の、そんな濃厚な夜の街を、僕は独り歩いている。








  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「アポロ18」。まあ、こういう手法もアリなんでしょうけど少し消化不良気味です。

2012年04月18日 | Weblog
 ホラー映画って疲れるから嫌いだ。
 「ああ、そろそろ来るぞ~」とドキドキしながら観ていると、当然の如く、いきなりスクリーンには大きな音を伴って得体の知れない何かが飛び出してくる。
 別に誇張して言ってるわけじゃなくて、手には薄っすらと汗さえ滲んでいる。

 想像力があり過ぎるのだろうか。
 普段から妄想癖があるのかもしれない。
 これまで何度も書いてきたことだけど、出張してホテルの部屋に独りいても、バスタブの付近が凄く気になりだし、そーっと覗いてみることもよくある。
 何かが居るんじゃないかって、おかしな妄想にとりつかれるのである。困ったものだ。
 単に、気持ちの小さい、怖がりで臆病な小心者なのだ。

 さて、映画「アポロ18」である。
 その昔、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」というホラー映画があった。
 わざと、ブレたような雑な映像を用い、まるで本当に素人が撮影したような雰囲気を滲ませ、そのことでリアルな恐怖を与えようとする手法で、大ヒットを飛ばした映画だった。

 「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は、魔女伝説が残るという森の中に迷い込んだ、ドキュメンタリー映画撮影隊の男女3人が遭遇する恐怖を描いていた。
 持っていた安手のカメラでその時の恐怖を記録するという設定なので、実際の映画予算もかなり安価で済んだらしく、映画の利益は通常よりも良かったらしい。

 その後、その手の映画はたくさん作られたけれど、どれも二番煎じの感は免れなかった。やはり、変化球は何度も通じない。
 そして、今回の映画「アポロ18号」もこれと同じ手法を取っている。

 人類を初めて月の表面へと送り込んだ、アポロ17号をもって打ち切られたとされている、NASA「アポロ計画」についての新解釈といったらいいんだろうか。
 ドキュメンタリーっぽく、荒っぽい画像で全編が語られる。

 時間にして80数分なので、かなり短い映画だ。
 アメリカNASAで極秘裏にアポロ18号が打ち上げられていて、その3名の乗務員が月面で遭遇する謎めいた恐怖を描くSFホラーである。

 資料を見てみると、監督が「オープン・ウォーター 第3の恐怖」を撮ったゴンサーロ・ロペス=ギャレゴというひと。
 ところが、この映画観ていないので、個人的に初めて触れる監督だ。

 それに出演者は、ほとんど3人だけ。
 ウォーレン・クリスティという役者も知らないし、「ミス・ポター」に出ていたというロイド・オーウェンという人も初めて。
 3人目のライアン・ロビンズという役者は「パッセンジャーズ」に出ていたらしいけど、まったく記憶にありません。
 まあ、そういう俳優たちを使うことで、実話っぽい本当らしさを演出したのだろうが・・・。

 60年代後半、人類が月面に足を踏み入れてから合計6回に及んだ「アポロ計画」。
 ところが、計画中止になったはずの「アポロ18号」が実際は月面に着陸していて、そこでは衝撃的な事件が起こっていた。
 そして、その真実を明らかにする極秘映像が発見される。
 その極秘映像には、アポロ18号に乗船していた3名の宇宙飛行士の、月面における衝撃的な体験が映っていた・・・。

 もちろんフェイクだ。
 それを、あたかも本当に遭った事実の如く、画面上でリアルに映し出してゆく。

 アポロ18号が月に着陸し、月面上を探検していると、何故か地面に人間の足跡が残されている。居るはずのない人間の足跡がなぜ?
 月面に打ち立てた星条旗が、翌日滅茶苦茶に壊されている。誰か、この月世界に居るのだろうか?
 これら一連起こる、不可思議な現象は一体何故?

 ここまで書くと、だいたいこの先のストーリーは想像がつくと思う。
 底はすぐに割れるわけで、だったら別に勿体ぶってドキュメンタリータッチにしなくてもよかったのでは?
 確かに意表をついた演出だとは思いますが・・・。

 この手法を採用するのなら、もっともっとリアルな描写を用いて観客を怖がらせてくれればいいのになんて思っちゃう。
 せっかく、密室という素晴らしいステージを与えられたんだから、仕掛けは他にもたくさんあっただろうに。

 残念。






 

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大野智主演月9ドラマ「鍵のかかった部屋」、月9復活か。「嵐」の新曲「FaceDown」もいい。

2012年04月17日 | Weblog
 フジテレビ月曜日夜9時台のドラマは、ここ数年低迷傾向が続いてきた。

 キムタクが主演した、2010年の「月の恋人〜Moon Lovers〜」も無残なドラマたった。余りの内容の酷さに目を疑ってしまった。
 それからあとオンエアされたドラマもまた生彩を欠いたもので、完全に月9諦めモードが蔓延していた(個人的にですけど・・・)。

 2011年に入って、戸田恵梨香と三浦春馬が共演し、武井咲と剛力彩芽という素晴らしい若手女優を世に知らしめさせてくれた「大切なことはすべて君が教えてくれた」で少し盛り返したけれど(ただし、視聴率は最低最悪だった)、続く、「幸せになろうよ」があんまりパッとしない出来映えで、「私が恋愛できない理由」でまた少し盛り返し、前回の「ラッキーセブン」で再びガッカリさせる・・・。
 こんなふうに、最近の月9は出来不出来にムラがあって本当に落ち着きがない。

 そして今回、4月16日月曜日から、今度は貴志祐介の同名作品を原作とする、ジャニーズ「嵐」のリーダー大野智主演の本格謎解きミステリー・ドラマが始まった。

 僕は、貴志祐介の小説、「硝子のハンマー」、「狐火の家」、「鍵のかかった部屋」の3作、その何れも読んでいない。
 なので、原作の主人公でもある大野智が演じている榎本径も、戸田恵梨香が演じているヒロインの青砥純子も、まったく先入観なく観ることが出来た(それが、いい事なのか、悪い事なのか、よく解りませんが・・・)。
 
 大野智が演じる榎本径は、大手警備会社の地下の一室で鍵や錠前の研究に没頭している、一風変わった防犯オタク。
 ある日、弁護士の芹沢(佐藤浩市)という世渡り上手で少しいい加減な男が、新米部下の青砥純子(戸田恵梨香)のちょっとしたミスから大型金庫室内に閉じ込められてしまう。
 それを、大手警備会社から緊急派遣要請された榎本径が難なく助け出したのだ。
 ここからドラマがスタート。

 この導入部、中々いい。
 スピーディに始まり、ゴチャゴチャと余計な人物説明部分を省略してくれる。
 こうじゃないと。ドラマの特に第一回目って。

 下手に人物背景を丁寧に描き、くどくど周辺の人物を描いたりすると、その分、進みが鈍くなってしまうのだ。
 巧いドラマだと、そういう箇所を上手に切り抜け、しかも観終わった後に登場人物のバックボーンがしっかり解るということになる。
 「鍵のかかった部屋」もサクサクと物語を進行させながら、同時並列に主な登場人物(ここでは主要メンバー3人ということになるんだけれど)をきちんと描いてゆく。そこが巧い。

 数日後。
 弁護士の芹沢(佐藤浩市)と青砥純子(戸田恵梨香)は、ある葬儀会社の社長が謎の死を遂げたことから、遺体が見つかった山荘―中から鍵が掛けられ、密室という空間で遺書を残して死んだ場所―へと、大手警備会社の榎本径を引き連れやってくる。

 警察は、山荘が密室だったことと、葬儀会社の社長が末期がんだったことから、今回の事件を自殺と断定していたのである。
 ところが社長の友人と、生前に遺書を預かっていたという司法書士が密室での死に対して疑念を抱き、芹沢に調査を依頼したのだった。

 遺体発見当時の奇妙で不可解な状況説明を受けた榎本は、密室の状況に不審を抱き、事件を検証し始める。
 内鍵が掛かった部屋で、仮に真犯人がいたとして、どのように殺し、どのような方法でそこを脱出したのか?
 榎本は密室殺人事件の謎を解明すべく行動に出る。

 「嵐」の大野智が、意外にいい演技をみせている。
 物語は1話完結で進むようなので毎回気楽に安心して観ることが出来るし、密室殺人をテーマに掲げていることも楽しめそうだ。

 戸田恵梨香も、これまでの尖がった演技から大転換、ちょっとドジっぽくて一所懸命な女性を熱演しているし、とぼけた佐藤浩市もまた味がある。

 そして何より、「嵐」の新曲「Face Down」が凄くいい。
 この「Face Down」という曲はラストのエンド・ロールに流れるんだけど、スピード感があってテンポもいい。
 申し分のない楽曲である。

 僕個人としては、「Step and Go」の次に大好きな「嵐」の曲になりそうだ。









  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大好きなラース・フォン・トリアー監督の新作映画「メランコリア」。これはまあまあの出来だな。

2012年04月16日 | Weblog
 ラース・フォン・トリアー監督は鬱(うつ)病である。

 それも、何度も鬱を繰り返していて、かなり酷い病状の時もあるらしい。
 彼はそれに飛行機恐怖症でもある。
 そして、そのほかにも様々な精神的な病を抱えている。
 
 彼は言う。
 「基本的に、人生におけるすべてが怖い」のだと。
 これは確かに正論だ。ラース・フォン・トリアーらしい。

 こういう人は好きである。
 こういう事を言う人に悪い人はいない。こういう人間とは仮に友達になっても、上手くやっていけるのではないだろうか。そんな親近感さえ抱いてしまう。
 
 「基本的に人生におけるすべてが怖い」。
 そう言い切る人間が作る映画に駄作はない。

 これまでも「奇跡の海」(この映画は衝撃的だった。余りに凄過ぎて、観終わって思わず笑ってしまったほどだ。本当に)、それから「ダンサー・イン・ザ・ダーク」(ここまで救いのない映画というのも珍しい。あとは韓国映画ぐらいだろう、ここまで人間を悲惨に描けるのは)、「ドッグヴィル」と「マンダレイ」のアメリカ三部作のうちの2本(このシリーズも、結局2本までで挫折したらしい。僕はこの2本とも何故か同じ『TOHOシネマズシャンテ』で観た)と、どれも素晴らしい傑作だった。

 まあ確かに、観終わってから幸せ感に包まれるとか、生きる希望を見出せるとか、元気になるような種類の映画とは正反対の処にこれらの映画は位置している。
 ラース・フォン・トリアーの映画は憂鬱で救いがない。
 めげていたり、心も身体も疲れているときには観ないほうが無難だと思う。
 
 続く映画が「アンチクライスト」。
 この映画は、はっきり言って観ていて吐き気を催した。
 余りにも描写が濃過ぎて、途中で退席する女性も中にはいたのではないだろうか。それほど、過激で気持ち悪さを伴う映画だった。

 この「吐き気を催す」という表現は、半分正しくて半分は誇張である。なので、若干は、嫌悪感より「映画に対する微笑ましさ」を含んではいる。
 まあ、それだけ複雑な感情を伴って観たという事です、問題作としての「アンチクライスト」。
 映画って、その憎々しさや嫌悪感もまた、ある意味その映画の評価になるわけでして・・・。
 でも、もう一回「アンチクライスト」を観ろと言われても、絶対に観ないけどね。

 そして、ここに彼の新作映画が現れた。
 「メランコリア」である。
 なんという素敵なタイトルだろう。

 地球に異常接近を続ける巨大惑星「メランコリア」。
 惑星衝突による地球そのものの消滅が現実のものになろうとしているその最中、ある街の郊外ゴルフ場の一角を借り切って、今まさに盛大な結婚式が催されていた・・・。

 主演が「スパイダーマン3」や「マリー・アントワネット」のキルスティン・ダンスト。彼女はこの映画でカンヌ国際映画祭主演女優賞を受賞した。
 それから、僕個人としてはラース・フォン・トリアー監督映画の中で唯一駄作だと思っている「アンチクライスト」のシャルロット・ゲンズブール。
 そしてなんと、TVドラマ「24 TWENTY FOUR」のキーファー・サザーランドがその夫役で出ている。

 まず、冒頭のシーン(約10分程度は続くだろうか)が美しい。
 まるで素晴らしい絵画を見ているよう。唸ってしまった。
 この映画は2部構成になっていて、「第1部 ジャスティン」で妹のキルスティン・ダンストを中心とした結婚式風景を描き、「第2部 クレア」で姉のシャルロット・ゲンズブールを中心に据えて【世界の終わり】までを描いてゆく。

 この「メランコリア」はSFパニック映画ではない。
 第1部は、結婚式に集う何人かに焦点を当てて、その暗い人間関係と愛憎を延々と描いてゆくし、第2部は、地球消滅までが姉のクレアの視点で絶望的に描かれる。

 つまり、いつものあのラース・フォン・トリアーがここにいる。
 ひねくれて、甘えん坊で、弱虫で、愛に飢えた、あのラース・フォン・トリアーが・・・。






  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする