淳一の「キース・リチャーズになりたいっ!!」

俺好き、映画好き、音楽好き、ゲーム好き。止まったら死ぬ回遊魚・淳一が、酸欠の日々を語りつくす。

「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)⑦

2010年02月28日 | Weblog
 今この街には、豪雨のような激しい雪が降っている。
 もう何日も、暖かで眩しい太陽や、真っ青で透き通った空や、頬を撫で付ける柔らかな風を感じていない。憂鬱な空からは、まるで僕たちを虐めるように雪が落ちてきて、心を冷たくさせる。毎日が灰色で、暗く閉ざされたままの世界・・・。
 ゲーテは、色彩嗜好論の中で、「南欧では衣服の色彩が派手であり、それが周りの風景と調和している。それは、天地がそれ以上に素晴らしい輝きを持っているからだ」と述べた。
 また、金子隆芳氏の「色彩の心理学」によれば、「色彩象徴性格」といって、どの色を選択するかによってその人の性格がある程度解るのだという。
 黒や暗褐色を選ぶ人間は、冷たく激しい情熱家で、妥協性がなく孤立化する。そして、灰色は、自主性・自立性がなく、覇気に乏しい。その何れもが、北的なる精神性を持つ、この本州北端の大地に描かれた色と似てなくもない。




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「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)⑥

2010年02月27日 | Weblog
 第一、そんな大雑把な括りで人間の営みを規定することなど出来ないし、世界はもっと複雑で重層的に絡み合っている。
 当時も、「詩人的直感によるもので、科学的客観性、生態学的、経済学的側面が希薄である」との批判が出た。
 確かにそういう側面もある。あることは認めるが、しかし、その土地から生み出される様々な文化や芸術、そして独特の生活様式、それらはすべて、何らかの形で風土性との関わりを持っているということも一方の事実である。
 また、和辻哲郎はいう。「風土は意味である。自然そのものでも空間でもない」と。
 僕たちが住まう、北国津軽という厳寒の風土。風土論的文化環境としての雪国津軽の特徴とは一体何だろうか? 
 青森県は、東の南部、西の津軽では、その風土も気質も著しく異なる。その津軽という厳寒の風土からは、葛西善蔵、太宰治、石坂洋次郎、棟方志功、高橋竹山、小島一郎など、数多くの芸術家が輩出した。
 寒さと貧しさを含めた種々の負のインパクトを内包するがゆえに持ち得る、ルサンチマンという意識。そしてそのルサンチマンという負の力を、彼らは新しい芸術の力として昇華させたのである。







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「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)⑤

2010年02月26日 | Weblog
 和辻哲郎は、「風土・その人間的考察」の中で次のように述べている。
 「風土の違いが人間の精神構造に深い影響を及ぼし、そのことが人間を形成する」のだと。そして、世界の地理的な条件など、異なる風土の中で生きる人間を、それぞれ「モンスーン型人間」、「砂漠型人間」、「牧場型人間」と、大きく三つにカテゴライズした。
 アジアを中心とする「モンスーン型人間」は、自然の厳しさに耐えながらも豊かな食物を恵んでくれる自然に従うことから、受容的、忍従的な人間が形成されるとし、アフリカ諸国を含む「砂漠型人間」は、人間の部族の命令に従い、団結を強めるために、他部族間での争いを繰り返す。
 そして、ヨーロッパ諸国などにおける「牧場型人間」。南欧は明るくて、北欧は暗い。しかしながら、どちらの地方も夏は乾燥し、冬の間は雨が降り続く。このような風土に暮らす人間は、従順な自然の中で合理精神を発揮させ、自由の観念や哲学、科学を生み出してゆくと。
 勿論、この和辻哲郎の「風土・その人間的考察」については、批判も多い。





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「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)④

2010年02月25日 | Weblog
 もう一度、リターンマッチに挑むボクサーみたいに、復活を遂げ、あの街に凱旋するのだと。今は傷を癒すために逃れているだけで、傷が癒えさえすれば直ぐにでもこの街を出てゆく人間なのだから。そんな風に思っていたのだ。
 でも僕は、今でもこの青森という厳寒の街で生きている。
 リターンマッチもなかったし、華々しい凱旋もなかった。九回裏代打逆転満塁サヨナラホームランは、映画の中だけの世界だったのである。





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「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)③

2010年02月24日 | Weblog
 これが都落ちというやつか。僕は、高架橋を下り、青森駅にゆっくりと滑り込もうとする列車の窓から、ゆったりとした時間が流れる早春の街を眺めた。何故か突然、淋しくなった。今でもその理由がよく解らない。

 青森に帰った頃よく夢を見た。いつも同じ夢だった。それはこういう夢だ。
 -引き払ったはずの東京のアパートを僕が懐かしそうに訪ねているのである。ああ昔ねえ、ここに住んでいたことがあってさあ懐かしいなあ、とか何とか言っているのである。
 と、僕はその4年間住んだ池袋の木造モルタルアパートの、二階の部屋のドアを開ける。するとそこには、埃を被ったままの僕の机やレコード棚が、まだそのままで残っているのである。レッド・ツェッペリンやマイルス・ディビスのアルバム。読みかけた少年マガジンや朝日ジャーナル。飲みかけのコーラやカップラーメン。
 僕はまだ、東京という街と無意識のうちで繋がっていたかったのだろう。多分。




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「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)②

2010年02月23日 | Weblog
 つまり、僕は心底アホだったのである。
 東京での生活は空しくて淋しいものだった。親からの仕送りがなかった僕は、毎日アルバイトに精を出し、日々の暮らしに追われた。シャワーを浴びるように音楽を聴き、片っ端から都内の映画館を梯子し、やがて昼と夜が逆転した。
 あんなに憧れた大都会は、孤独で切なくて空虚な街でしかなく、僕は毎日、飯を喰い、アルバイトに行き、帰って眠るだけの生活を送った。別に絶望はなかったけれど、求めるべき到達点や希望もあったわけではない。ただいつもかったるく、何時間でも眠る事が出来た。
 池袋の安い定食屋で昼食とも夕食ともつかない食事を採りながら眺めるテレビ。そのニュースに映し出される懐かしい青森の風景。穏やかな街の佇まい。群青の海。透き通った空。そして、その街で暮らす人々・・・。
 帰ろう。ただそう思った。すぐに荷物をまとめ、大学も辞めた。別に何のあてがあるわけでもなかったけれど。





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「この青森という厳寒の風土で生きてゆくということ-」(津軽学VOL.1)①

2010年02月22日 | Weblog
 僕はロック・ミュージシャンになりたかった。あるいは、小説家、あるいは映画監督に-。
 でもそれはとても漠然としたもので、僕はその夢を叶えるために何かの修行をしたとか、極貧に耐えながらプロになるためのスキルを一所懸命に磨いたとか、そういうことは一度もない。
 夢は夢のまま、何も成し遂げる事なく、僕はここまで来てしまった。結局僕は、単なる夢想家で、何処にでもいるような格好を付けただけの弱虫な若造だったのである。
 僕はいつも、この暗くて寒い本州の端っこの街を抜け出すことだけを考え、東京という大都会で暮らすことを夢見ていた。空想の中で生き続ける東京の冬の空は、いつも青く輝いていて、その街で僕は、素敵な恋をしたり、友達との友情を深めたりしながら、自分の中でゆっくりと育っている恵まれた才能とやらを、やがて花咲かせ世の中に出てゆくのだと-。
 そして、そのことだけを深く心に刻み、いつかその夢は実現するものと本気で信じていたのである。






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「さようなら うららかな春が来て、煌めく夏が訪れ、そっと秋がその淋しさを連れて戻る頃まで」

2010年02月21日 | Weblog
 
 
                 2010年9月30日、再開します。

                 ・・・ということでしたが、
                 2010年6月19日、プログ再開します。
                 







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「Everything's gonna be alright !」

2010年02月21日 | Weblog
 「恥じの多い人生を送ってきました」と、「人間失格」の冒頭で書いたのは太宰治である。
 さしずめ僕なら、放蕩と、嘘と、妄想癖と、虚言癖と、食い散らかしと、偽りと、自分好きとに塗れた、恥じと苦の多い人生を送ってきましたと書き殴る。

 それにしても、2004年の11月から始めた、約5年間に及ぶ自分自身の「ブログ」の精神遍歴なるものを改めて読み返してみると、その余りの精神的不安定な乱高下と、絶え間なく続く葛藤や喪失感と、吐き気を催すほどの自己憐憫に、ほんと目眩(めまい)さえ覚えてしまう。
 なんという自己執着者! なんという悲観主義者!

 そんなことに呆れていたら、もっと上には上がいた。
 哲学者で大学教授でもある中島義道である。
 今日の読売新聞の文化欄を読んでいたら「著者来店」のコーナーで取りあげていた中島義道の新刊「ウィーン家族」の中で、彼は自らを〈怪物的自己愛〉とまで呼んでいた・・・。
 確かになあ。中島義道が私生活で繰り広げている修羅場たるや、想像でしかないけれど、相当凄まじいものがあるに違いない。
 人生は怖い。

 とはいっても、世の中を皮肉っぽく眺め、すべてを虚しいだけと捉え、人生は苦しいことだらけで成立していると嘆いてみても、そこから何も生まれないし、新しい何かを編み出す力もない。

 所詮、僕のちっぽけで矮小化された苦悩や廃頽(はいたい)や虚無感や寂寥感など、人生に対する過大な期待や憧れや希望の裏返しに過ぎないのだ。
 つまり、単なる〈駄々っ子〉なのだ。
 大人になり切れない子ども、乳離れのしない少年、甘ったれた〈マザコン〉、夢だけ描いて一歩たりとも踏み出す事の出来ない、単純な大馬鹿野郎なのだ。

 こんなワンパターン思考の繰り返しに、もうそろそろ飽きが来た・・・。

 土曜日の夜は、吹き荒ぶ雪の中、飲み会の急なキャンセルによって急遽予定を変更し、車を出して郊外にあるシネコンまで映画を観に行った。
 映画館を出た夜の10時過ぎにはすっかり雪は止んでいて、ぶらり青森港岸壁の突端まで車を飛ばし、湾内を埋め尽くすように浮かんでいる、海上投棄された雪塊を静かに眺めていた。
 車内の気持ちいいまでの暖かさと静かに流れる音楽が、とても心地よい。
 時折、雪をお腹いっぱい積んだダンプカーが海に雪を棄てに来る。遠く、ベイブリッジと市街地から洩れる美しい街の灯り・・・。

 日曜日。
 仕事の関係者というより、もう完全に友人のひとりとなったN氏に会うため、西部方面へと向かう。
 萎えてしまうようなひと、マイナスのエナジーだけを発光しているようなひと、そういう類のひととは、もう一切関わりたくない。そんな暇な時間もないけれど・・・。
 でも、N氏から出ているオーラには元気が貰える。美味しい蕎麦を啜りながら、数十分の打ち合わせ。

 帰りは、大音響でミスチルの「エソラ」を何度も何度も何度も繰り返して流した。
 少しだけお日様が覗いている。もうすぐ冬が終わる。少し元気が腹の底から湧き上がって来た。

 心が呟く。
 戦略を立てろ。問題点を洗い出してもう一度検証しろ。無駄遣いを止め、浪費を抑え、すべてをシンプルに洗い落とせ。
 削ぐんだ。剥ぐんだ。棄てるんだ。いらないもの全部投げ捨てろ。

 組織だとか、仕事だとか、しがらみだとか、人間関係だとか、服従だとか、生きがいだとか、忠誠だとか、もうそんなことどうでもいいじゃないか。所詮、すべては虚構である。

 今ある人生は、今ある自分自身が造っている。
 自分が思考し、自分が行動したその結果だけが、今の人生を形成している。
 地球が今日の夜、一瞬で大爆発することなんてないだろう。たぶん。だったらもっと楽しめよ!

 〈あなたが今のようになったのは、あなたのせいだ!〉

 ロックである。
 キース・リチャーズである。
 なんでもありである。
 こんちくしょう!!




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「Rock me baby!」

2010年02月21日 | Weblog


         心さえ乾いてなければ どんな景色も宝石に変わる
         
         やがて音楽は鳴り止むと分かっていて 
         それでも僕らは今日を踊り続けている

         明日へと羽ばたくために 
         過去から這い出すだめに
         ほら もっとボリュームを上げるんだ

         忘れないために 
         記憶から消すために
         また新しいステップを踏むんだ



                            Mr.Children「エソラ」







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「頬杖をついて、土曜の朝の新雪の街を眺めてる」

2010年02月20日 | Weblog
 ずーっと寝付かれないまま、朝の5時を迎える。
 そこからまたまどろみ、気が付いたら7時になっていた。4時間も寝ただろうか。たぶんそんなに寝てないと思う。
 カーテンを開けると、朝の陽の光が部屋中を満たし、真っ白な雪が辺り一面を覆っていた。清々しい、冬の終わりかけの土曜の朝だ。

 朝風呂に入って、足を思い切り伸ばし、目を閉じてのんびりと湯の中で寛いだ。
 髪を洗い、全身をボディ・シャンプーで丁寧に洗って、また温かな湯船に浸かる。
 風呂から上がり、バスタオルを巻いたまま、珈琲を沸かした。
 珈琲を飲みながらサンドイッチを頬張る。
 こうしてまた、新しい朝がやって来る。

 昨日はとても忙しかった。
 でもお昼間際、ソウルメイトの一人からメールが入り、オフィスの向かい側で開催している冬のイヴェントでお茶を点ててるから来ない?
 早速駆け付け、お手前を頂く。
 美味い。
 ちよっと元気になった。
 でも結局お昼も食べずじまいに終わり、夜も缶ビールとチュウハイを呷って、ほかは何も受け付けなかった。
 何も食べたくないのである。何を食べても奇妙な満腹感があって、それほど美味しいとは思えない。

 土曜日の朝。
 髪を坊主にしようと思い、行きつけの床屋さんの前まで向かったのだけれど、突然思いとどまった。
 髪を剃って丸坊主にしたからといって、一体何が変わるのだろう?
 そんな事をこれまで毎年のように繰り返してきたけれど、結局何も変わりはしなかったではないか?
 体も中途半端、小説も中途半端、生活自体も中途半端、何もかもが曖昧で捕らえどころがない。

 何処に向かって走ろうとしているのだろう?
 俺は本当にここから脱出したいのだろうか?
 本当は、この場所で安穏と日々を暮らすことを願っているんじゃないのだろうか?
 船を出して、まだ見ぬ世界に漕ぎ出したいなんて、本音じゃ全然思ってなんかいなくって、この暖かで快適な場所にずっと佇んでいたいだけなんじゃないだろうか?

 坊主にしたって、単に見た目が変わるだけだ。
 気合いを入れたと、自分自身で納得しているだけに過ぎない。そんなのマスターベーションじゃん。
 そんな事を考え、床屋さんの前を擦り抜け、そのまま街中へと歩き出した。

 9回裏代打逆転サヨナラ満塁ホームラン。
 夢見ているだけじゃ何も変わらない。
 一歩踏み出さないと。一歩前に歩き出さないと。

 でも間に合うの?



 

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「シャーデー」待望のニューアルバム「Soldier Of Love」を聴く。

2010年02月19日 | Weblog
 音楽を聴くと一言でいっても、当然TPOだったり、その時々の心の微かな動きだったり、聴きたい季節や周りの雰囲気や感情などで、当然そのジャンルは違ってくる。

 僕なんか、そういう点ではかなり極端で、ひたすら一人のアーティストを何日も追い掛けるかと思えば、特定のジャンルにひたすら拘って聴き狂ったり、ある曲だけを何度も何度も繰り返し聴いたりと、かなり偏屈な音楽好きということになるかもしれない。

 シャーデーがこれまで発表した5枚のアルバム-寡作家なので、デビューが1984年という割には余りアルバムを出していないけれど-を、真夏の炎天下に浜辺で真っ青な空を仰ぎながら聴くという人って、ほとんどいないんじゃないだろうか。
 勿論、俺はそういうロケーションで聴くシャーデーが一番グッとくるという人も広い世界の中にいるかもしれないけれど・・・。

 ヴォーカルのシャーデー・アデュは、1959年ナイジェリア生まれのイギリス人である。
 シャーデーは、あくまでもグループ名でしかなく、そのグループのヴォーカルを担当しているのがシャーデー・アデュであることは、余り知られていない。
 ほとんどの人は、シャーデーはソロ・アーティストだと思っているらしい。シャーデーは4人組グループなのだ。

 ファースト・アルバムの「ダイアモンド・ライフ」で衝撃的なデビューを飾ったシャーデーは、アデュの透明感と耽美的な雰囲気が交り合ったとても官能的な声と、ジャズっぽいパッキングサウンドで多くのファンを獲得した。

 特に、ちょっとオッシャレーなバーや、都会的な雰囲気を醸し出すカフェなんかで、飽きるほどBGMで流れていたものだ。
 夜のバーの窓から、夜の美しい灯りが蜃気楼のように揺れている・・・。黒光りする長いカウンターでは、何組ものカップルが素敵なファッションに身を包み、美しい色にときめくカクテルを眺めながら、蜜月の時間を密かに楽しんでいる・・・。そこに静かに流れる、シャーデーの甘くて切ない、そして官能的なヴォーカル・・・。
 こんな感じでしょうか?

 ちょっとファッション的な視点から語られることの多いシャーデーだけれど-そういう点では「スタイル・カウンシル」も当時同じように語られていたように思う-ソウルやジャズや土着的なエスニックなどの様々な音楽を丁寧に重ねながら、きちんと計算し尽くしたサウンド思想を構築していたし、アデュが作る詞の世界も、単なるラブソングではなくて、誌的な完成度も非常に高かったのである。
 スタイル・カウンシルも、そうだった。

 今回のニューアルバム制作のニュースにも驚いた。
 久しぶりにその名前を聞いたからだ。
 タイトルは「Soldier Of Love」。ジャケットも素晴らしい。「ロキシー・ミュージック」の傑作アルバム「アヴァロン」のジャケットを連想してしまった。

 全体的には、これまでのアルバムとそんなに大きな差異はないように思う。
 サウンド、ヴォーカルともに、ちょっと聴いただけで「あっ! シャーデー」とすぐに分かる。
 でも、何度も繰り返して聴いているうちに、たとえば2曲目の「Soldier Of Love」を含め、少しエスニック色が前面に打ち出されていて、アルバムのトーンも若干明るくなったような感じがしないでもない。

 シャーデーは、夜が似合う。
 それも都会の孤独と一番相性がいい。
 ただ、このグループ、表層的な部分だけで語ってほしくはない。聴けば聴くほど奥が深いのだ。
 とても鋭利だと思っている。




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「presentiment」

2010年02月18日 | Weblog
 木曜日。
 お昼頃から街に日差しが降り注ぐ。
 少しずつ、ほんの少しずつだけれど、春が歩いてこの街を侵食し始めている。

 近くのコンビニで昼食を買い、オフィスに戻って一人黙々と食べていたら、「必殺! 仕事人」の藤田まこと死去のニュースが飛び込んできた。
 人がこの世界から旅立ってゆくことにはとても敏感なくせに、自分の死に関しては何故か皆、能天気でイメージすら出来ないでいる。
 いや、自らの死という最終局面を、ただ無意識のうちに拒否し、否定しているだけなのかもしれない。

 今日は、まる一日会議が続く。
 午前中2時間以上の会議が終わり、お昼休みに食い込んだので急いでサンドイッチを詰め込み、午後からの会議場所まで駆け足で参加した。

 次の会議の合間まで、ちょっとの時間コーヒーブレイク。
 部屋のある西側窓のブラインドの隙間から、暖かな陽の光が漏れている。
 穏やかな午後の3時過ぎ。

 周りのディスクから、パソコンのキーボードを叩く音が聞こえてくる。
 一瞬、電話も会話も途切れ、静かな時間だけが流れ出す。この瞬間って心地いい。
 永遠の一瞬!
 すべてが遮断して時が止まったような、すべてがまどろみの中で発酵してゆっくりと風景が溶け出したような、そんな感覚に包まれてゆく・・・。

 夕方4時からまたまた会議。
 終わった瞬間、コーラの缶を激しく揺らしていきなりプルトップを開けたような疲れに襲われた。
 今夜もスポーツジムに寄って一汗掻こうと思っていたのだけれど、パス。今夜はゆっくり休もう。

 それにしても、仕事を含めた「飲み会」が目白押し。
 基本的に、アフター・ファイヴはプライベート最優先と固く決めていても、世間の義理・人情という、避けては通れない世界が厳然としてある。思うようにいかない事も多い。
 今週も、ほぼ連日、懇親会・親睦会・シンポジウムの類が夜の時間帯に並んでいる。
 もちろん、所用で出席できない事もあるんだけど・・・どうしたものか。

 何かを切らないと、また別の何かは成し得ない。
 そこには当然断る勇気が必要になってくる。ということで、今週は全部の「飲み会」をキャンセル。金曜日は別件でお泊りがあるし・・・。全部出席してたら切りがない。

 夜、疲れた躯体を引き摺って、街中を歩いていると、ふと感じる少し暖かな微風。
 
 濡れた雪が舞う中で予感する。
 まだほんの少しだけれど、早春の微かな予感が・・・。

 
 

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「2月を掴む」

2010年02月17日 | Weblog
 それにしても火曜日夜9時からのフジテレビドラマ「泣かないと決めた日」はすこぶる面白い。
 確かにベタなドラマ展開と安易に批判しちゃうことは簡単だけど、こういう直球一本槍のドラマというのは近頃ずっとご無沙汰だったこともあって、ひたすら小気味いい。

 主演の榮倉奈々って、そんな美人でもないのに摩訶不思議な魅力に溢れているし、脇を固めている藤木直人も要潤も生き生きと演技をしている。
 そして、このドラマで一番輝いているのが、何と言ったって、杏である。
 この人凄い!

 ここまで悪役に徹した演技は特筆すべき快挙である。
 普通なら、所属事務所って「こんな意地悪な役なんて絶対にやらせません!」と拒否するところなのに、よくぞ汚れ役を買って出たものだと心底感心する。
 なんなくアイドル路線を進む事も出来ただろうし、清純派(まあ、確かに死語ですけどね、清純派なんて言葉)で売り出すことだって可能だったはず。
 それをあえて汚れ役に徹するなんて、あなたは凄い!

 いよいよ来週からこのドラマ、佳境へと突入して「反撃編」が始まるらしい。
 滅茶苦茶、職場で虐められ、罵倒され、騙され、完膚無きままに打ちのめされたヒロインの榮倉奈々が、ついにどうしようもない組織と職場の同僚たちに反撃を開始する。
 楽しみだ。
 毎週火曜日だけは早く帰らなきゃ!

 などと、こうして2月も下旬へと突入する。
 それなのに、今冬はまだ寒さをだらだらと引き摺っていて、春の予感すら感じられずに戸惑っている。
 市内の積雪は未だに約80センチ。
 舗道もスケートリンクみたいにツルツルに凍っていて、うっかりすると転倒してしまうほど。来週からは気温が上昇するらしいけれど・・・。

 今日から、駅前の市民図書館が久々のオープン。
 数週間、曝書整理で休んでいたので、今日は久しぶりに図書館に寄って本を借りた。
 海野弘「スキャンダルの世界史」、佐藤正午「身の上話」(この小説の評判、凄いよね)、そして前から読みたかった堤未果の「ルポ 貧困大国日本」の3冊を借りる。

 夜、仕事絡みの飲み会が組まれていたのだけれど、所用があるためキャンセル。
 その所用を早めに済ませ、その足でスポーツ・ジムへと向かう。約1時間ほど汗を流す。

 寒空を眺めながら、家に帰って、超有名な秋田県八郎潟町の名産「あんごま餅」を頬張り、美味しい珈琲を啜って、借りて来た本へと立ち向かう。
 さてと。
 今夜は、どの本から読もうかな・・・。
 




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「ホイットニー・ヒューストン」来日「埼玉スーパーアリーナ」公演。さすが大御所!

2010年02月16日 | Weblog
 僕が初めて行った海外アーティストのライブは、日本野外ロック・フェスとしての先駆けともなった、箱根アフロディーテ「ピンクフロイド」日本公演だった。

 当時、高校生だった僕は、新聞配達のアルバイトで貯めたお金でチケットと電車代を捻出し、何本かの電車を乗り継ぎながら、たった独りで箱根までの長い旅を敢行した。

 野外フェスは、箱根にある、ただっ広い草原の一角に設置したステージで展開され(記憶を辿ると、エリア内において幾つものステージが組まれていて、日本を含めた多くのロッカーたちが同時に演奏していたような記憶がある)、僕は「1910フルーツガム・カンパニー」の熱いパフォーマンスを観てから、メイン・ステージでの「ピンクフロイド」のライブを堪能したように思う。

 それからずっと長い間、僕は幾つかの海外アーティストたちのライブを、機会を見つけ出しては通い続けてきた。

 そして今回、久しぶりに観たコンサートが「ホイットニー・ヒューストン」の「埼玉スーパーアリーナ」における来日公演だ。
 改めて実感したのは、やはり本場のシンガーがみせる、その圧倒的な迫力と、広義でのポピュラー音楽(それはロック・R&B、ソウル、カントリーなどをも含めた音楽としての範疇)の度量の深さである。

 短絡的に言い切ってしまえば、ルーツとして屹立している本場の音楽はやっぱり違うよねえということだ。
 特に、ホイットニー・ヒューストンぐらいの大御所になると、ソウル音楽が体全体に染み付いてしまっていて、長い時間を掛けて熟成された音楽経験と数々の人生経験が昇華されていることも手伝い、ステージの上に立っているだけで凄まじいまでのオーラが飛び交う。

 僕の隣の隣に座っていた、お歳を召した白髪の老人男性なんかは、ホイットニー・ヒューストンがスローなバラードを絶唱するたびに、涙をぼろぼろ流していて、これはこれで凄い感動ものだった。
 第一、こんな(といったら大変失礼ですが)老人の方がホイットニー・ヒューストンを聴いているということ自体感動するし、そこまで思い入れを込めて聴くファンが存在するなんて、ミュージシャン自身にとっても飛び上がるほど嬉しいことではないだろうか。

 13年ぶりの来日となったホイットニー・ヒューストン、この人もまた波乱万丈の半生を送って来た。
 大ヒットを連発する大歌手としてボビー・ブラウンとの結婚、そこから今度は一転して夫の凄まじいまでの暴力、離婚、薬物所持、逮捕、長い低迷期、そして今回の奇跡的な復活劇・・・。

 昨年久しぶりに発表したニューアルバムは全米1位に輝き、日本でもチャートの第3位まで上った。
 それほど、日本での人気も高いという証明である。

 今回のステージも、圧倒的な音量を発揮して前半から飛ばしまくる。
 全部で2時間のステージ、歌った曲は新旧のヒット曲を織り交ぜながら15曲。
 ライブ中盤で、数曲だけステージから抜けたけれど、歌うごとに全身を震わせながら(確かに、ここまで声を絞り出すと息が上がって少しキツイかもしれない)ステージ狭しと歌い続ける姿は、感動的でさえあった。

 アンコールを終え、幕が下がり、アリーナの外へと出ると、夜闇の中で美しいイルミネーションが眩しく輝いていた。
 今夜はバレンタイン・デー。
 ああ。
 お金も随分使っちゃったし・・・当分自粛だなあ・・・節約しないとね。





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