今朝の中日新聞の1面に、
この記事は載っていました。
▽越中 舞い込む秋―― 八尾・おわら風の盆
北陸に秋の訪れをつげる祭り「おわら風の盆」が1日、富山市八尾町で幕を開けた。
胡弓や三味線が奏でるおわら節に合わせ、編み笠を被った男女の踊り手が、3日まで坂の町を盛り上げる。
祭りは江戸時代半ばから始まり、二百十日の台風の季節に合わせ風を静め、
五穀豊穣を祈り「風の盆」と呼ばれるようになった。
初日は、午後3時に各町内で輪踊りや町流しがスタート。
おわら節が流れる中、観光客は指先まで神経の通った踊りに目を奪われていた。
日が傾き、ぼんぼりがともると、町の風情が一層際立った。
地元の富山新聞は、
同じ記事を、さらにこう伝えています。
▽哀調の音色、優美に舞う 八尾おわら風の盆開幕 富山に秋告げる
富山に秋の訪れを告げる「越中八尾おわら風の盆」は1日、富山市八尾中心部で開幕した。
坂の町は哀調漂う三味線や胡弓の音色と、艶やかな歌声が織り成すおわら情緒に包まれ、
浴衣や編み笠姿の踊り手が繰り広げる優美な舞に、沿道の観衆が酔いしれた。
日が暮れてぼんぼりに明かりがともると、しなやかな所作を繰り広げる踊り手の姿が幻想的に浮かび上がり、
祭りの興奮は最高潮に達した。
…………
徳島「阿波踊り」や秋田「ねぶた祭り」のような、ダイナミックでエネルギッシュな踊りとは対極にある、この静かで優美な越中八尾「おわら風の盆」が、私は大好きです。
だからこそ、
中日新聞に掲載されたこの1枚の写真に、
私は抑えようのない憤りを感じ、
腹の底から怒っているんです。
中日新聞のカメラマンは(実際は中日新聞のみならず他社も同じだったのですが)、
なぜ、
ストロボを焚いてこの写真を撮ったのですか?
「おわら風の盆」は、
道の両側に建ち並ぶ家々が、わざと家の中の明かりを消し、
ぼんぼりの明かりだけがうっすらとともる町の中を、
町内の踊り手たちが、ゆっくりと、ゆっくりと、
「踊る」と言うより「舞い」ながら流してゆく優雅さに、
他の盆踊りにはない特徴的な良さがあります。
そんな町流しの踊り手たちに向かって、
なぜ、
目が眩むようなストロボの閃光を浴びせかけ、
彼らが最も大事にしている、薄明かりの中で踊るからこその幽玄美を
ぶち壊すような真似をするのですか?
それも、アマチュアならいざ知らずプロのカメラマンが。
他人の家に土足で踏み込むようなその傲慢さと無神経さを、
私は断じて許せないんです。
数年前、
縁あって招かれた私も、
2日2晩、「おわら風の盆」を拝見するチャンスを得ました。
もちろんカメラを持参し、それこそ数百回もシャッターを押したでしょうか。
しかし、私の腕前では残念ながら、
ほとんど暗闇といっていい中で、ストロボを使わずに撮った中のたった1枚さえ、
まともに写っている写真はありませんでした。
でも、
そんな失敗を、全然悔やんではいません。
なぜなら、
「写真」というものが、文字通り「真実」の一瞬を「写し撮る」ものであるとするならば、
暗闇での舞いを、まるで真昼のように明るく映し出してしまうような「ニセモノ」写真を撮るよりは、
まだマシだと思っているからです。
死ぬまでに1枚でいいから、
「おわら風の盆」の満足いく写真を撮りたい――それが願いなのですが、
たぶん無理なんでしょうね、
私の、残り時間的にも技量的にも。
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