CuniCoの徒然・・・岩下邦子の独り言

日々の暮らしの中で、立ち止まったり、すれ違ったり。私の中のアレコレを思いつくまま、気の向くまま。

心がふれあうこと、大切です。

2015-12-22 09:15:58 | 表現にからむ様々なこと
昨日、別れた夫のお母さんから電話。
お母さんの妹、つまり別れた夫の叔母さんが亡くなった。
形見分け・・・というか、コートやバックがあるから、取りにおいでと。
Y叔母ちゃんとも大口開けて、よく笑い転げたなぁ。。。
ずっと透析をしていて、晩年は認知症もあり、辛かったろうな・・・と思う。
今日、時間を作って、車でお母さんの顔を見に行きがてら・・・かな。
昨日、少し喘息が出ていたから、好物のカボチャの煮物持って行ってあげよっと。
なんとも、不思議な関係だ。

人と人との関係。
それは、とても複雑だけど、ひと昔前まで大抵は、双方向の関係だった気がする。
最近、それが、双方向では、なくなりつつあることを感じている。
それは、双方向ではないのに双方向であると感じてしまう・・・
そんなシステムが増えたことにも由来するのだろう。
わかりやすい例で言えば、TVのデータ放送で双方向という言葉。
確かに双方向で、あたかも視聴者が『参加』しているように感じるが
そこに『感情』の交流はない。
インターネットなどでの繋がりは、時に『炎上』などと言われ
あたかも『感情』がぶつかっているようだが、そこに『表情』や『空気感』はない。
そもそも、私の理解する『繋がり』であれば『炎上』することはないはずだ。
それでも、その状況を『繋がっている』と感じたり、
視聴者が『参加』して、双方向で繋がっていると感じてしまったりする。

もちろんインターネットを通じて、
心が触れ合う関係も生まれるってことも私は、知っている

人間が繋がったり、参加したりする『双方向』の関係であれば、
相手の在り方で、こちらも変化するのが、フツウだと思う。
つまり『感情』が動くわけだが・・・
この頃『感情』に影響を受けないつながりが増えている気がする。

そんなこと、あれやこれや、つらつら考えたりするのだが・・・

そんな中、石巻で歌っていて感じたのは、
『表現』を成立させるのは、観客だということ。
そんなこと、以前から百も承知だったけど、それを強く再認識した。
観客が表現に命を吹き込んでくれるんだと、強く感じた。

よく『キャバレーで歌ってきた歌手は、鍛えられ方が違う』というが、
全くその通りで、歌を聴きたいとか、
芝居を観たいと思って集まった観客とはわけが違う。
酒や女を楽しみに来た客を魅きつけるだけの表現をしなければ・・・
ただ歌うだけのステージになる。

最後に表現に命を吹き込んでくれるのは、観客。
観客が命を吹き込んでくれる気になる表現をしなければいけない。
心がふれあい、そこには、感動が生まれる。

石巻に着いた朝、風邪による咽頭痛があり、声が思うように出ない。
私は、とても不安だった。
てっちゃんも音合わせの段階で気づいてくれて「大丈夫、わかってる」とひと言。
心強い、ありがたいことだ。
それでも自分は、最後まで調整をする。
楽屋があるわけではないから、強風の中で、声を出す、何度も、何度も。
今のコンディションで、どの出し方が一番良いかを探る。

決してベストではない状態で、出番。

あたたかく迎えてくれた開成団地の皆さんが、一番の薬。
いろいろありながらも、
心と心がふれあって、涙と笑いの30分となりました。

子どもたちが、人と繋がる経験をする機会が激減しているのではないか?
人間関係を作る術は、生活の中で育まれるモノだと思うが、
その『生活』が様変わりしつつあると感じている。

『生』の表現がどこまで通じるのか、時代の流れの中で不安にもなるが、
私が一番大事にしたいのは、心が触れ合う時間なのです。

石巻での関係をつないでいる『kiss in heart 東北』のみなさん。
そして、開成団地のみなさん、
団地から復興住宅へ移られても集ってくださったみなさん。

素敵な時間となりましたね。

そして、私は表現する人間として、
多くのことを教えていただく機会となりました。

感謝しつつ、これが今回の旅のまとめかな。

心が触れ合うことって、とても大切。
私が表現することが好きなのは、
全く知らない人とでも、表現を通じて、
心が触れ合うことができるからなのかもしれない。

さぁ、カボチャ、買いに行くとしましょう(^_^)v











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