三沢光晴お別れ会~DEPARTURE~に行ってきました
こんばんは。
さる2009年7月4日(土)に、試合中の事故で亡くなりました三沢光晴さんのお別れ会が行われました。
場所はプロレスリング・ノアの聖地、ディファ有明です。
かつて、ジャイアント馬場さんのお別れ会は日本武道館で行われました。
武道館の入口から、桜が咲く敷地内の庭園をぐるっと回って、献花したのがつい先日のように思い出されました。
梅雨の時期ですが、幸いにも天候は曇りでもってくれました。
ディファ有明には行った事がありませんでしたので、降りる駅を国際展示場駅ではなく、東京テレポート駅で降りるというポカをやらかしてしまいましたm(_ _;)m
東京テレポート駅から歩いていく事にしました。
歩いていくと、途中で献花の花束を持った方をちらほらと見掛けました。
そんなに遠くないのかなぁと思いつつ、歩いていく事約15分。
15時頃にディファ有明に到着しました。
すでに結構な方が並んでいますね…。
会場脇の道路に沿って行列ができていたので、最後尾を目指して歩きました。
そうそう、献花のお花は三沢さんのイメージカラーの白と緑にしました。
列に並ぶファンの方々の花束も緑色が多かったです。
最寄りの有明テニスの森駅を列は通り過ぎて、橋を渡ってもまだ最後尾は見えません。
その内市場前駅が見えて来ました。
…え?まだ最後尾じゃないの!?Σ(゜Д゜)
この時点で約1kmです。
一体どこまで続くんでしょうか…。
新豊洲かよ!(´゜ω゜):;*.':;ブッ
さらに晴海方面の橋を渡って行く事になりました。
そこでやっと最後尾に到着しましたよ。
この時点で約1.5kmくらいです。
出かける時にはネットで「5000人の参列者を見込んでいる」と書いてありましたが、実際は26000人もの方が参列されたそうです。
これだけのファンがいれば、まだまだプロレスもすてたもんじゃないと思いました。
最後尾から会場に着くまでがここから更に1時間。
まるで聖地への巡礼者のような気分でした。
夕陽が落ちかけた頃に、記帳してやっと会場に入れました。
会場内には三沢さんのデビュー戦からの軌跡がパネルで飾られていました。
越中とのデビュー戦、2代目タイガーマスク、超世代軍、鶴田から初のフォール勝ち、鶴田から日本人選手で初のギブアップ勝ち、三冠奪取、チャンピオンカーニバル優勝、プロレスリング・ノア旗揚げ、初のドーム大会で武藤とタッグ対戦、2度目のドーム大会で5年振りに川田とシングルマッチ、デビュー25周年…と沢山の偉業を振り返る事ができました。
この中では東京スポーツのプロレス大賞の新人賞を受賞した写真や、2代目タイガーマスク時代にリック・フレアーとシングルマッチを行っていた写真など、私は今まで知らなかった一面も見る事ができました。
そして献花台となったリングのある会場内に入りました。
(会場内は撮影禁止だったので画像はありません)
映像でしか見た事がありませんでしたが、こういう会場なんですね。
後楽園ホールよりも傾斜がない感じです。
会場内には三沢さんのテーマ曲、スパルタンXがかかっていました。
これを聴くと、やっぱりジーンとなってしまいます。
スパルタンXは日本武道館で毎回メインで聞いていました。
全日本プロレスも、新日本プロレスみたいに東京ドームで試合をやって、ドームでスパルタンXを流して欲しいと思っていました。
1995年の4月にベースボール・マガジン社主催で、主要プロレス団体が集まった夢の架け橋というイベントがあり、そこに全日本プロレスも参加しました。
初めてドームでスパルタンXが流れた時は、地鳴りのような三沢コールが起きたのを今でもはっきりと覚えています。
そんな事を思い出しながら、献花台のリングの前まで来ました。
リングのトップロープよりも高くまで、ファンからの献花の山となっていました。
これには驚きました。
ファンの方々が次々とリングに花束を投げ込んでいきます。
中には試合の時にも使われる緑と白の紙テープを投げ込むファンの方もいました。
私も献花をして、お別れをしてきました。
出口にはプロレスリング・ノアの選手数名が並んで参列者を見送っていました。
その先頭には目が真っ赤な秋山選手もいました。
彼自身、今とても体調が大変で欠場中です。
それを見て、私も泣きそうになってしまいました…。
出口には献花をした、たくさんの関係者の名前が飾られていました。
たくさんある中から、特に目についたものを。
本当に早すぎたなぁと思わずにはいられませんし、今まであまり実感がありませんでしたが、本当にいなくなってしまったんだなぁと思いました。
馬場さんが亡くなった時は何か夢みたいな感じでしたし、鶴田さんが亡くなった時もあまり感傷はありませんでした。
2人の活躍はリアルタイムでは追えなかったので、あまり感情移入ができなかったからだと思います。
でも三沢さんは、私の一番多感な時期に見ていましたので想い出も多いですし、語り尽くせません。
また、選手としてだけでなく、人間としても本当に素晴らしい方だったと思います。
私は三沢さんの(馬場さんもそうでしたが)「筋の通らない事がまかり通ってしまうようなプロレス界にはしたくない」という信念や、「相手が誠意を持って接してくれれば、こちらも応じる」という考え方などが大好きでした。
私もブログを日々更新していく中で、同じようなポリシーをもつようになりました。
また、耐える事、逃げない事、諦めない事などを三沢さんのプロレスから学んだ気がします。
これから先、本当にプロレス界も大変だと思います。
何が出来るという訳ではありませんが、少しでも恩返しとして、久しぶりに試合を観に行こうかと思いました。
最後に、会場を出る時にポストカードをいただきました。
「時間は取り戻せない。私は後悔したくない。from 理想主義者」
同名の三沢さんの著書からだと思います。
今度買って、読んでみます。
遺族の方へ少しでもサポートができればと思います。
それでは、失礼します。
【関連記事】
三沢光晴さんお別れ会に2万5000人~役員人事も近く発表か
(プロレス専門BLOG:ブラックアイ2:2009.07.05)
「三沢光晴お別れ会~DEPARTURE~(献花式)」一夜明け報道
(カクトウログ:2009.07.05)
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場所はプロレスリング・ノアの聖地、ディファ有明です。
かつて、ジャイアント馬場さんのお別れ会は日本武道館で行われました。
武道館の入口から、桜が咲く敷地内の庭園をぐるっと回って、献花したのがつい先日のように思い出されました。
梅雨の時期ですが、幸いにも天候は曇りでもってくれました。
ディファ有明には行った事がありませんでしたので、降りる駅を国際展示場駅ではなく、東京テレポート駅で降りるというポカをやらかしてしまいましたm(_ _;)m
東京テレポート駅から歩いていく事にしました。
歩いていくと、途中で献花の花束を持った方をちらほらと見掛けました。
そんなに遠くないのかなぁと思いつつ、歩いていく事約15分。
15時頃にディファ有明に到着しました。
すでに結構な方が並んでいますね…。
会場脇の道路に沿って行列ができていたので、最後尾を目指して歩きました。
そうそう、献花のお花は三沢さんのイメージカラーの白と緑にしました。
列に並ぶファンの方々の花束も緑色が多かったです。
最寄りの有明テニスの森駅を列は通り過ぎて、橋を渡ってもまだ最後尾は見えません。
その内市場前駅が見えて来ました。
…え?まだ最後尾じゃないの!?Σ(゜Д゜)
この時点で約1kmです。
一体どこまで続くんでしょうか…。
新豊洲かよ!(´゜ω゜):;*.':;ブッ
さらに晴海方面の橋を渡って行く事になりました。
そこでやっと最後尾に到着しましたよ。
この時点で約1.5kmくらいです。
出かける時にはネットで「5000人の参列者を見込んでいる」と書いてありましたが、実際は26000人もの方が参列されたそうです。
これだけのファンがいれば、まだまだプロレスもすてたもんじゃないと思いました。
最後尾から会場に着くまでがここから更に1時間。
まるで聖地への巡礼者のような気分でした。
夕陽が落ちかけた頃に、記帳してやっと会場に入れました。
会場内には三沢さんのデビュー戦からの軌跡がパネルで飾られていました。
越中とのデビュー戦、2代目タイガーマスク、超世代軍、鶴田から初のフォール勝ち、鶴田から日本人選手で初のギブアップ勝ち、三冠奪取、チャンピオンカーニバル優勝、プロレスリング・ノア旗揚げ、初のドーム大会で武藤とタッグ対戦、2度目のドーム大会で5年振りに川田とシングルマッチ、デビュー25周年…と沢山の偉業を振り返る事ができました。
この中では東京スポーツのプロレス大賞の新人賞を受賞した写真や、2代目タイガーマスク時代にリック・フレアーとシングルマッチを行っていた写真など、私は今まで知らなかった一面も見る事ができました。
そして献花台となったリングのある会場内に入りました。
(会場内は撮影禁止だったので画像はありません)
映像でしか見た事がありませんでしたが、こういう会場なんですね。
後楽園ホールよりも傾斜がない感じです。
会場内には三沢さんのテーマ曲、スパルタンXがかかっていました。
これを聴くと、やっぱりジーンとなってしまいます。
スパルタンXは日本武道館で毎回メインで聞いていました。
全日本プロレスも、新日本プロレスみたいに東京ドームで試合をやって、ドームでスパルタンXを流して欲しいと思っていました。
1995年の4月にベースボール・マガジン社主催で、主要プロレス団体が集まった夢の架け橋というイベントがあり、そこに全日本プロレスも参加しました。
初めてドームでスパルタンXが流れた時は、地鳴りのような三沢コールが起きたのを今でもはっきりと覚えています。
そんな事を思い出しながら、献花台のリングの前まで来ました。
リングのトップロープよりも高くまで、ファンからの献花の山となっていました。
これには驚きました。
ファンの方々が次々とリングに花束を投げ込んでいきます。
中には試合の時にも使われる緑と白の紙テープを投げ込むファンの方もいました。
私も献花をして、お別れをしてきました。
出口にはプロレスリング・ノアの選手数名が並んで参列者を見送っていました。
その先頭には目が真っ赤な秋山選手もいました。
彼自身、今とても体調が大変で欠場中です。
それを見て、私も泣きそうになってしまいました…。
出口には献花をした、たくさんの関係者の名前が飾られていました。
たくさんある中から、特に目についたものを。
本当に早すぎたなぁと思わずにはいられませんし、今まであまり実感がありませんでしたが、本当にいなくなってしまったんだなぁと思いました。
馬場さんが亡くなった時は何か夢みたいな感じでしたし、鶴田さんが亡くなった時もあまり感傷はありませんでした。
2人の活躍はリアルタイムでは追えなかったので、あまり感情移入ができなかったからだと思います。
でも三沢さんは、私の一番多感な時期に見ていましたので想い出も多いですし、語り尽くせません。
また、選手としてだけでなく、人間としても本当に素晴らしい方だったと思います。
私は三沢さんの(馬場さんもそうでしたが)「筋の通らない事がまかり通ってしまうようなプロレス界にはしたくない」という信念や、「相手が誠意を持って接してくれれば、こちらも応じる」という考え方などが大好きでした。
私もブログを日々更新していく中で、同じようなポリシーをもつようになりました。
また、耐える事、逃げない事、諦めない事などを三沢さんのプロレスから学んだ気がします。
これから先、本当にプロレス界も大変だと思います。
何が出来るという訳ではありませんが、少しでも恩返しとして、久しぶりに試合を観に行こうかと思いました。
最後に、会場を出る時にポストカードをいただきました。
「時間は取り戻せない。私は後悔したくない。from 理想主義者」
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今度買って、読んでみます。
遺族の方へ少しでもサポートができればと思います。
それでは、失礼します。
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