(報恩寺)
熊谷市大原の報恩寺は、広大な境内を持つ寺である。少し離れた場所に墓地があるが、市街地にありながら、これもまたとてつもなく広い。その入口に近いところに梁田の戦闘で負傷死亡した長州藩伊藤十郎の墓がある。
報恩寺
官軍先鋒伊藤十郎藤原定利墓
伊藤十郎は長州藩装条銃足軽。第一大隊。慶応四年(1868)三月九日、下野梁田で負傷。同月十七日、武蔵熊谷にて死亡。三十四歳。
熊谷市大原の報恩寺は、広大な境内を持つ寺である。少し離れた場所に墓地があるが、市街地にありながら、これもまたとてつもなく広い。その入口に近いところに梁田の戦闘で負傷死亡した長州藩伊藤十郎の墓がある。
報恩寺
官軍先鋒伊藤十郎藤原定利墓
伊藤十郎は長州藩装条銃足軽。第一大隊。慶応四年(1868)三月九日、下野梁田で負傷。同月十七日、武蔵熊谷にて死亡。三十四歳。
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