史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

本巣 根尾

2017年09月23日 | 岐阜県
(蠅帽子峠)


ハエ帽子峠(這法師峠)

 昨年末、腰椎ヘルニアの手術を受けて以来、自分は何時まで山を登ったり、長距離を歩いたりしていられるのだろうと、俄かに将来に不安を持つようになった。体力を要する史跡は、今のうちに回っておかないと、自力で行き着くことができなくなってからでは手遅れとなるという危機感を抱いたのである。
 そこで急遽蠅帽子峠行を計画した。蠅帽子峠は、天狗党西上のルートでも、もっとも困難を極めた場所である。天狗党が蠅帽子峠を通過したのは、この場所が厚い雪で覆われる旧暦の十二月初旬(西暦では正月)のことである。現在国道157号線は冬期閉鎖されるし、とてもでないが同じ時期に踏破することは無理である。
 八王子で午後七時半にレンタカーを借りて、一旦自宅に寄って荷物を積み込み、午後八時に出発。中央道から土岐ジャンクションで東海環状自動車道に入り、終点の関広見ICを降りた時点で、出発から三時間半が経過していた。
 ここからはひたすら国道418号線、さらに国道157号線を進む。進むほどに人家はまばらになり、街灯もない道が続く。途中で野生のシカに二匹遭遇した。
 翌日、明るくなってからこの道を引き返したが、片側はずっと崖が続く山道で、我ながらよく闇夜にこの道を走ったなと改めて危険を感じた。無事に行き着いたからよかったようなものの、本来深夜に走行するべき道ではない。しかもこの夜は小雨が降り続いた。
 蠅帽子峠の登山口に到着したのは零時半過ぎであった。国道沿いにある小さな看板が目印である(冒頭写真)。矢印に従って奥に進むと自動車数台分の駐車スペースがある。ここで夜を明かす。
 身支度を整えるためにわずかな時間ドアを開放したのがいけなかった。その隙に蚊が車内に進入してしまい、夜通し蚊と格闘することになった。明け方までに七匹の蚊を撃墜したが、その代わり一睡もできないまま朝を迎えることになった。
 蠅帽子峠を目指すには、まず根尾西谷川を渡らなくてはならない。前夜の雨で増水していたが、もっとも水嵩が高い場所で膝上くらいである。水量が豊富で油断をすると押し流されてしまう。ここで渡河すること分かっていたので、ダイビングの際に使用するシューズを持参した。慎重に向う岸に渡る。
 渡ったところに文化二年(1805)という刻印のある地蔵がある。この上を登山道が通じている。


根尾西谷川

 登山道は肩幅程度の道幅しかなく、しかもかなりの急角度である。時に木の枝につかまって登攀しなくてはならない。手元の「新・分県登山ガイド 岐阜の山」(山と渓谷社)によれば体力度、危険度ともに最低評価だったので、登山素人にも優しい山かと思っていたが、とんでもなかった。前夜の睡眠不足もあって、登山開始から一時間足らずで、気分が悪くなり吐瀉。気を取り直して歩き始めるも、また少し行ったところで吐瀉。ギブアップして引き返す選択肢もあったが、せっかくここまで来て断念するのはあまりに残念である。気を取り直して山頂を目指した。少し歩いては休みを繰り返すことになった。


麓の石地蔵

 前夜の夜露が残っていたため登山を開始して間もなくズボンは泥だらけでびしょ濡れになった。クツの中まで水が入って極めて歩きにくい。さらに不運が重なる。一旦止んでいた雨が降りだし、本降りになった。全身が濡れるままとなり、著しく体力を奪われた。その上、どこかでペットボトルのお茶を落としてしまったらしく、水分補給もままならない。まるで無遊病者の如く山中をさまよった。泥道に足を取られて転倒することも数え切れず。ほとんど遭難に近い状態であった。
 インターネットで検索すると、多くの人が蠅帽子峠・蠅帽子嶺を踏破している。その記事を読む限り、さほど難易度が高いように受け取れなかった。皆さん、山歩きを存分に楽しんでおられるようであったが、実際歩いてみると、とんでもなく大変であった。


登山道の風景
ひたすらブナ林が続く

 天狗党一行千人は雪で覆われたこの道を越えたのである(吉村昭著「天狗争乱」によれば、元治元年(1864)の冬、例年と比べればこの場所の積雪は少なく、それが水戸浪士が蠅帽子嶺を越えられた一つの理由としている)。途中で人馬が谷底に転落したといわれるが、おそらく彼らは何もできずに呆然と転落者を見送るしかなかったであろう。彼らはこの先にいくらかの希望を持っていたから、この難路にも耐えられたのかもしれない。しかし、結末は歴史が物語るとおりである。結果から見れば、この道は悲劇に続く道であった。
 手元に「新・分県登山ガイド 岐阜の山」(山と渓谷社)の「蠅帽子峠・蠅帽子嶺」のページをコピーして持参したのだが、雨でにじんで文字が読み取れない。自分がどこを歩いているかも分からず、さすがに身の危険を感じた私は、峠にも嶺にも到達しないまま、引き返すことにした。あとで冷静に思い返してみると、恐らく私は蠅帽子嶺(標高一〇三七・三メートル)の手前で引き返したということらしい。天気が良くて、余力があれば登頂できたのであろうが、無念というほかない。
 下山も決して楽な道ではない。滑ったり転んだりを繰り返して漸くたどり着いた。ここにきて雨が止んで青空が見えた。天気のことは一週間前から天気予報を確認して、この日は晴れるという確信をもって登ったのだが、山の天気は読めないものだと痛感した。


蠅帽子峠遠景

 登山口に戻った時には、全身がずぶ濡れで、しかも両手両足に激しい筋肉痛を感じた(枝をつかみながら歩いたので、手まで筋肉痛になってしまったのである)。軽い熱中症にかかっていたのかもしれない。手足が痙攣するので、着替えるのもやっとであった。
 早朝五時に登山を開始して、下山したのが十一時二十分。登山ガイドによれば嶺まで往復して五時間というから、それより一時間も余分にかかったことになる。とても体力の無い素人が単独で克服できる山ではなかった。できれば、再チャレンジしてみたい。


根尾西谷川

 国道157号線を下る途中でも、気分が悪くなり、自動車を路肩に停めてまた嘔吐した。運転を続けることができず、しばらく車内で仮眠をとって、ようやく体力が少し回復した。
 最近万歩計を身に着けて意識して歩くようにしている。平均すれば一日八千歩くらいは歩いているし、週末は二万歩、時には三万歩以上も歩いているので、それなりに脚力は培ってきたつもりであった。しかし、平地と山道は全然違う。甘く見るとヒドイ目に遭わせるぞと山から警告を受けたような気がした。
 山の中でダニかブヨに咬まれたらしく、帰宅後も数日激しい痒みに悩まされた。夏山に入る時は虫刺されにも注意する必要がある。これも今回の教訓の一つであった。それにしても痒い。

コメント
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