史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

館林 Ⅲ

2017年02月19日 | 群馬県
(法輪寺)


岡谷氏之墓(岡谷瑳磨之介の墓)

 岡谷氏之墓に岡谷瑳磨之介が合葬されている。側面に「温譲院清涼勝益居士 俗名 瑳磨之介源勝益」とあるのがそれである。前回(一年前)、この墓を見逃したので、関宿まで往復した後、さらに足を伸ばして館林を再訪した。この墓を見るだけが目的である。例によって駅前の木村商店で自転車を借りて一路法輪寺を目指す。結果、わずか三十分で自転車を返却することができた。

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杉戸 Ⅱ

2017年02月19日 | 埼玉県
(杉戸宿)


杉戸宿

 東武動物公園駅は、埼玉県宮代町に所在するが、数分歩けば杉戸町に入る。商店街の周辺が、旧杉戸宿にあたる。
 杉戸宿は、奥州街道、日光街道の宿場町である。本陣跡や高札場跡などのほか、古い商家の建物がそのまま残され、今も往時の雰囲気が残漂っている。


明治天皇御小休所趾

 三井住友信託銀行の前に明治天皇小休所趾碑がある。これは明治十四年(1881)の東北巡幸の際に明治天皇がこの地で休憩をとったことを記念したものである。

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関宿 Ⅲ

2017年02月19日 | 千葉県
(実相寺)
 実相寺は、関宿藩主久世家の菩提寺である。本堂横の庫裡は、失脚した久世広周が蟄居した関宿城の新御殿を移築したものと言われる。墓地には鈴木貫太郎の墓もある。


冨田弘人政治墓

 実相寺墓地には、関宿藩の家老職を務めた富田家、奥原家、亀井家などの久世家家臣の墓がある。富田家の幕末当主富田弘人は江戸詰中老。元治元年(1864)、筑波党敗残の領民川連虎一郎らを密殺したとして、慶応四年(1868)九月七日、切腹。


鈴木貫太郎墓

 鈴木貫太郎は、終戦時の総理大臣。総理大臣就任時の年齢七十七歳は、これまでの最高齢である。終戦後の昭和二十一年(1946)九月、郷里関宿に戻った。時に八十歳であった。二二六事件の際には、数発の弾丸を身に受け、そのうちの一発は体内に残っていたが、矍鑠としていたという。郷里に戻った鈴木貫太郎は、この地に農事研究会を発足させ、青年を指導し、将来酪農を農業経営に採り入れて行くべきことを助言した。昭和二十三年(1948)四月十七日、「永遠の平和」のひと言を残し、八十一歳で死去した。

(宗英寺)


山崎彌五右衛門秀陽墓

 宗英寺二度目の訪問となった。今回は無縁墓石群に積まれている山崎弥五右衛門と上田浅之助の墓を訪ねるのが目的である。
 山崎弥五右衛門は、慶応四年(1868)東北にて戦死。四十一歳。墓碑によれば、没月日は四月二十日と刻まれている。


歸山良道信士旲位(上田浅之助墓)

 上田浅之助は、関宿藩足軽。慶応四年(1868)、東北にて戦死。墓碑によれば没月日は四月二十日となっている。


丹羽十郎右衛門墓

 関宿藩の佐幕派は、家老奥原秀之助を首領と仰ぎ、万字隊を結成して、彰義隊に合流。上野で官軍と戦った。丹羽十郎右衛門は上野で戦死した藩士の一人である。
 宗英寺の墓地で丹羽十郎右衛門の墓を八消したが、墓碑によれば天保十五年(1844)四十三歳で没したと記載されているので、この墓の主は、先代(もしくは先々代)の十郎右衛門のものだろう。

(鈴木貫太郎記念館)


鈴木貫太郎記念館


鈴木貫太郎像


鈴木貫太郎翁終焉之地碑

 関宿台町の交差点近くに鈴木貫太郎記念館がある。この場所は、鈴木貫太郎の屋敷跡であり、終焉の地でもある。
 この記念館は、終戦時の内閣総理大臣として活躍した鈴木貫太郎(1867~1948)の業績を広く紹介するため、昭和三十八年(1963)に開館したものである。館内には、「最後の御前会議」をはじめとした、鈴木貫太郎の事績を偲ぶための油彩画六枚のほか、書簡類や敗戦後の日記、愛用品などが展示されている。入場無料。

 腰の具合も少しずつ良くなっている。とはいえ、まだ自動車を運転して遠出するのは不安が多い。この週末は天気も良さそうだったので、電車を乗り継いで関宿を訪ねることにした。武蔵野線から東武電鉄に乗り換えて東武動物公園駅で下車する。因みに東武動物公園駅は、埼玉県宮代町に所在し、少し歩くと杉戸町に入る。この駅は、以前は杉戸駅と呼ばれていたそうである。
 ここからバスで関宿に向かう。事前に下車するバス停を調べた上で「関宿バスターミナル行き」のバスに乗ったのだが、この路線にある中学校前バス停は関宿からとんでもなく離れた場所であった。仕方なく終点まで乗ったが、関宿の街からは相当離れたところであった。そこから路線バスを乗り継いで、やっとのことで関宿中学校前に行き着いた。ほぼ一時間の時間のロスであった。腰に不安を抱えているのでわざわざ電車とバスを使ったというのに、結果的には腰に大きな負担をかけてしまった。
 帰りは鈴木貫太郎記念館の前の関宿台町のバス停から素直に東武動物公園駅に直行することができた。東武動物公園から関宿の街を訪ねるときは、境車庫行きに乗らなければならない。

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