史跡訪問の日々

幕末維新に関わった有名無名の人生を追って、全国各地の史跡を訪ね歩いています。

「伊藤博文」 瀧井一博著中公新書

2010年06月15日 | 書評
昨年(平成二十一年)、没後百年を迎えた伊藤博文であるが、記念の年というのに拍子抜けするほど注目されることなく過ぎてしまった。出版物で目立ったものといえば、伊藤之雄氏の著した「伊藤博文―近代日本を創った男」(講談社)くらいのものであった。書店に行く度に平積みされている分厚い「伊藤博文」は気になっていたのだが、以前同じ著者の新書「山県有朋」を読むのに四苦八苦したので、手が出せないでいた。そこへ、伊藤之雄氏の弟子に当たる瀧井一博氏の「伊藤博文」が新書で出版されたので、こちらは迷うことなく買うことにした。明治中期以降の歴史は自分自身余り馴染みが薄いこともあって、読破するにはやはり苦労した。
初代総理大臣として知られる伊藤博文であるが
――― 西南戦争後の大久保利通政権の確立に際しては大久保に扈従してその開発独裁路線の片棒を担ぎ、大久保没後、立憲運動が昂進するや井上毅の唱える超然内閣主義のプロイセン型欽定憲法路線に同調して憲法制定者の名を恣にする。さらに議会開設後は不倶戴天の敵であったはずの自由党と提携し、ついには同党を土台として立憲政友会を創設して政党政治家へと身を翻す。(「はしがき」より)
要するに「哲学なき政略家、思想なき現実主義者」という評価が強い。この本の主旨は、こうした従来のイメージを覆そうということにある。
従来、小説などで印象付けられている伊藤博文像といえば、醜聞の多い“遊び人”である。著者は、「知の政治家」「福沢諭吉にも比肩すべき近代日本の偉大な政治思想家」と位置付け直す。「思想家」と呼べるかどうかは、「思想家」の定義にもよるだろう。我々が思想家と聞いて連想する佐久間象山や横井小楠、中江兆民、福沢諭吉といった面々と比べて、思想の先鋭性という観点で判定すると、やはり伊藤は思想家というより政治家と呼ぶ方が相応しいのではないか。
ただし、決して場当たり的ではなく、明確で長期的なビジョンを持っていたということは、この本を読んで強く印象付けられた。
明治四十二年(1909)十月二十六日、ハルビンにおいて伊藤博文は韓国独立運動の義士安重根に暗殺される。以来、韓国では安重根は国民的英雄であり、伊藤は韓国植民地化のシンボルとして扱われている。果たしてどうだったのだろうか。韓国統監として任半ばにして命を奪われたため、伊藤が韓国で何を実現しようとしていたのかは見えにくいが、「民本主義」「法治主義」「漸進主義」という伊藤の政治姿勢を貫く基本思想は彼の地でも変わることはなかった。伊藤は「文明政策」を推し進めようとしたが、その一方で彼には反日ナショナリズムというものが理解できなかった。思い返せば、伊藤が幕末において一志士として活動していたときも、あの熱狂的な長州藩内において一人排外的ナショナリズムとは距離を置いていた。主知的な姿勢が伊藤の持ち味であり、同時に致命的欠点でもあった。
もし、伊藤が韓国統監の職務を全うしていれば、その後の日韓の不幸な歴史はもう少しましなものになっていたかもしれない。韓国の方にも、単に愛国心の裏返しで伊藤を悪者にするのではなく、この人物が何を考え、何を目指していたのかを是非知ってもらいたい。

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