うどん★大作戦 blog

うどん好き人の日記。岡山・讃岐のうまいうどん屋を食べ歩き、いつかうどんやを開きたいな~♪

うどんTV

2007-01-29 23:57:40 | ◇うどん情報♪
1月30日(火) 16:53~19:00 [ニュース]リアルタイム RNC西日本放送
▽うどんブームの光と影…駐車場が足りない人気店の苦悩

KSBスーパーJチャンネル 1/29放送 「移転へ 人気うどん店最後の1日」
KSB瀬戸内海放送 http://www.ksb.co.jp/ > 地域ニュース一覧から、動画で観れます。お早めに!

池上製麺所、高松市香川町川東下字高須899-1 5月頃オープン予定
店舗は昨日で取り壊されました。

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晩うどん

2007-01-28 20:50:31 | ◇家でうどん♪


うどん&出汁を朝から仕込む。暖房が効いていたので室温高し。塩度11℃、加水46%。
昨日のアナゴは天ぷらと焼きアナゴにでかすぎて1本揚げならず

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ふぅ~

2007-01-27 19:14:44 | ◇Weblog


アナゴでございます。疲れたぁ~

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久しぶりに

2007-01-25 22:54:08 | ◇Weblog

なんやかんやでブログも2周年。HPも、もうすぐ4周年&40000HIT♪を迎えることが出来そうです。
我ながらよく続いてるよなぁ~。それもこれも皆様のおかげであります。
日頃の感謝をこめて、うどん★モニターやります!
詳細をご一読いただきご参加お待ちしております。
詳しくはこちらから 

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金毘羅往来(第5話)

2007-01-24 23:39:01 | ◇岡山観光学習

清戸橋」を渡るとここからは「箕島」である。少し行くと再び県道倉敷妹尾線に合流。清戸交差点で五度、県道児島線を横断する。

箕島のいわれは三つの島があるからということだが・・・。交差点を越え進むとすぐに右手に小道が現れる。

こっちが往来であるであるのだが、100mも行けば県道妹尾倉敷線に戻る。ちょっと不規則な感じがする。
痕跡はまったく分らないが「清戸橋」からのこの区間はかなり変わってしまったのではないだろうか?
県道に合流する付近には、細長い「石柱」が建っているのだが関係あるのだろうか?
赤松の集落を抜けると遠くに「藤戸」の山々が見える。「箕島神社」に近づくと、確かに左手に3つ島らしき山を見ることができる。
低い山の向こうには「備中箕島駅」がある。話は戻るが「妹尾駅」は実は「備前」なのだ。これは後に触れよう。
流通センター入り口へ続く三叉路を過ぎて「砂場」の集落に入る。かつて海岸線であったと伺える地名だ。
「砂場」の集落には「石柱」が数本立っている。一本北の道にも「石柱」を発見。もしかするとこの道が往来なのか?
地形的にもそんな気がした。
「乗越」の集落に入ると、コンビニのところの三叉路で「題目石」と「奉燈」がある。

さらに100mほど進と斜めに入っていく。ほどなく右手に「題目石」他があり街道らしい感じだ。


散歩中のご老人が居られて話が聞けた。この辺りは昔「呑海寺村」と呼ばれ、今現在の地名も「呑海寺」である。
由来は山の中腹にある「呑海寺」貞和3年(1347) 古くからあった集落だそうです。
細い道を400mほど進むと山際に大きな「題目石」「石灯篭」が見える。

この辺りにある「題目石」は文化(1804)~天保(1830)の間に奉られたものである。
金毘羅に参る旅人達も横目に見ながら歩いたんだろうな~。再び県道妹尾倉敷線に合流すると間もなく早島町である。
この辺りが「多聞力鼻」と呼ばれている「宇喜多堤」の東の端で山肌の大岩がそれだと思われます。

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金毘羅往来(第4話)

2007-01-22 20:41:40 | ◇岡山観光学習

笹ヶ瀬川を渡り備中の国へ。
相生橋北西隅にはかつて「道標」があったと米倉在住のご老人から情報を頂き、早速移転先を探しに行きました。
現在は、国道2号線バイパスの高架と県道児島線がクロスする米倉交差点東の公会堂裏に
「右 お、のやま むねただ宮」「左 琴比ら宮 ゆうが宮」と刻まれた道標を確認することができました!

笹ヶ瀬川を渡り、相生橋北西詰に戻り水門から小道を行くとマンション横に石碑があります。

初代の相生橋(木製)が架けられたのは明治24年(1891)でその時の記念碑です。
ということは200年以上の長い期間、「米倉渡し」が活躍したことになります。
備前側の船着場は確認できましたが備中側の船着場の痕跡は分らず。想像するに水門辺りが船着場かな?
記念碑のある細い道は県道児島線を横切って行くと思われ、大福十字路南の「題目石」付近に続いていたのではないだろうか。

大福から南西へと続く道はかつての防潮堤として築かれた土手であったようで、かつては松並木が何百本も植えられていたそうだ。
『わたくしたちの福田村』参考
200mほど進むと右手に石柱があり道の奥には「鴨池八幡宮」が奉られています。


さらに進み、橋のところを左折したらまた右折すると西へ続く道が現れます。ここからはしばらくの間、直線の区間が続きます。
途中、大福郵便局辺りに「題目石」があるということでしたが、探してみても見つかりませんでした。
さらに進むと右手に「吉田医院」という古い家があり、その横に「題目石」を見ることができます。


程無く十字路が現れ左折。 200m南下し今度は右折し直進すると、県道倉敷妹尾線の三叉路が見えます。
ここを左折していくと「備中妹尾」の町へ入っていきます。妹尾は「庭瀬藩」から分家し陣屋を開いた町。
「妹尾駅」前の直線へ差し掛かる場所には「戸川陣屋井戸」が残っています。


奥の山には「妹尾戸川家陣屋跡」がある。陣屋跡だけになにも残っていないが、陣屋にあった「長屋門」は笠岡に移築されているらしい。
さらにさかのぼること平安時代「平家物語」にも登場する「妹尾太郎兼康」の拠点だと言われ「妹尾住田遺跡」も残る歴史ある場所です。
妹尾の街道沿いには今も古い屋敷と仏閣が残っています。右手に「盛隆寺」慶長10年(1605)鎮座、少し進むと「御前神社」(鎮座不明)

寛政10年(1798)年に描かれたという「児島湾漁撈回漕図 」が見たくて寄り道。
当時の妹尾の干潟状態や漁の風景が細かに描かれています。
今でいう「潟スキー」で漁をしている絵からは、うなぎやシャコや鯛に貝類と豊富な漁場であったことがうかがわれ、
ちょうど「有明海」のようだったとご説明いただきました。
そして「吉備津彦命」関わる伝説や「きびだんご」の由来が妹尾であったなど数々のお話をお聞かせいただき大変有意義な時間となりました。
「御前神社」後にして妹尾郵便局の交差点北に大正3年8月の道標があります。ふと考えてみると、「金毘羅往来」沿いには郵便局が多いな~。


これは「相生橋」の北西隅にあったものより新しい感じがします。
「右 すぐにわせ いなり はやしま くらしき」「左 せのお おかやま」と記されており、
「鴨方往来」の撫川の街角にも「金毘羅往来」の道しるべが残っていることからも、この場所が分岐点の1つであるとわかる。
往来はこの場所から県道妹尾倉敷線より分れスーパー前の道へと方向を変えて進む。
100mほど行くと「妹尾川(興除用水)」にかかる「清戸橋」を渡り妹尾の町を後にする。

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金毘羅往来(第3話)

2007-01-19 20:12:54 | ◇岡山観光学習

下中野野崎の信号を右折し、理容美容専門学校北側を通り県道児島線を横断。

すぐの三叉路を左折すると間もなく5車線の道路で往来は分断されてしまう。
現在は“しまむら”の駐車場となってしまっているが、敷地内の東部分数メートルがかつての往来であり、
南へと続く道は少し狭くなりながら続いている。

下中野を抜けて再び県道児島線を横断する。
緩やかに右に折れながら進むとJR宇野線(瀬戸大橋線)「備前西市駅」の一つ手前の踏み切り付近にたどり着く。
この辺りは昔、「京殿」と呼ばれた場所で「鹿田の荘」の南端だったようだ。
道は「備前西市駅」に向けゆるやかにカーブしながら続くと、諸説で記されているが実はこの道(この区間)は違うのであります。
本来の道は直進。

根拠として、明治初期の地図には緩やかなカーブはなく直角に曲がる道が描かれている。
宇野線は金毘羅参拝の全盛期から数十年後の明治43年に開通しているので、現在の線路沿いの区間はその前後できているはず。
道の痕跡は「京殿」の川の掘りからも知ることはできる。

「京殿」の突当たりを右折すると「備前西市駅」の踏切へ出る。進行方向に見通せばこの道が西へ続いていることが確認できる。

少し進むと右手奥に「天満宮」が祭られている。創建は天文元年(1532年)でこの辺りでは一番古いと思われる。

そして大角橋交差点で三度、県道児島線を横断することになる。 200mほど進むと右手に西市野田公会堂横に「題目石」がある。

さらに進み、突き当りを左折してすぐの民家の庭にも「題目石」奥には「石灯篭」を見ることができる。

野田茶屋以来、久方振りの「題目石」で名残が残っていてうれしい。200mほど南下すると進路は西へと向かう。
そこは「米倉」で街道らしい古い民家が数軒残り、用水路を見ることができる。
米倉は、寛永5年(1628年)に開拓された新田で、米が集まる集積地と商いの港町で、
宿屋や料理屋などが繁盛し“米倉銀座”ともいわれていたらしい。米倉港には、「石灯籠」が残っている。


ここが「金毘羅往来」の船着場ではないようだ。
実際の船着場はここから200mほど南、県道児島線「相生橋」の北の土手下に草木に埋もれながら残っています。

「金毘羅」へ向かう人たちを含め、対岸の大福に渡るにはこの「米倉渡し」を利用していたようです。

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金毘羅往来(第2話)

2007-01-18 19:49:14 | ◇岡山観光学習

しばらくは路地裏という感じの真っ直ぐな道を西へと進むと、旧児島線の交差点が見えてくる。

さらに西へ進めば「鴨方往来」左折して南下すれば「金毘羅往来」である。
この辺りはかつて野田茶屋と呼ばれた場所で、今は交差点名として名前を残しているだけだが、
地元の老人いわく「鴨方往来」「金毘羅往来」の分岐点だった土地柄ゆえ、茶屋が何軒かあって繁盛していたと教えてくれた。
現在は、左折しすぐの大きな交差点(大野辻~水道局)が「野田茶屋」の交差点になり、

大元病院の北交差点が「野田茶屋南」である。

200mほど進むと右手に宗忠神社(大元神社)が見える。
大供にあったとされる道しるべがに神社の境内裏に移されているそうだ。ならばと見に行くが誰もいなくて断念した。
宗忠神社の東の交差点へ戻りさらに南下していく。
『岡山の街道』山陽新聞社編集/日本文教出版31頁上写真を参考にすると、旧児島線より数メートル西に道は位置していたようだ。
現在は道路も拡張されて痕跡がないが、コンビニの駐車場辺りに「石標」(距岡山元標)があったと思われる。
 

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うどんTV

2007-01-17 19:18:19 | ◇うどん情報♪
1月18日(木) 18:55~19:54 RSK山陽放送
VOICE21 「冬の味と冬景色」■冬限定の絶品さぬきうどん他
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金毘羅往来(第1話)

2007-01-16 21:23:55 | ◇岡山観光学習

そもそも「金毘羅往来(街道)」ってなに?って言われそう。
香川県の仲多度郡琴平町にある「金刀比羅宮」いわゆる「こんぴらさん」に参詣するための道であり、江戸時代に全盛期だったようだ。
よく見れば「金毘羅」と「金刀比羅」漢字が違うって?明治元年(1868)「金刀比羅宮」と改称しているからなのだ。
「金毘羅往来(街道)」起点は岡山城下の「千阿弥橋」にある「一里塚」資料によると、現在の住所で、表町3-5-1番地辺りとなる。
わかりやすく言えば西大寺商店街の時計台の北100メートル林薬局の前辺りで、古地図からも城下町岡山の中心街だったことがわかる。
時計台から新西大寺町のアーケードを西へ、3丁目劇場前の交差点を渡り左折し南進すると大雲寺交差点。
今では想像もできないが、江戸時代には岡山城の外堀があり、交差点ならぬ橋を渡り堀の淵を通って「大雲寺」に向かったようだ。
今も残る「柳川筋」というのはこの頃の名残りです。

「大雲寺」は堀の外に位置し堀の建設後に移転したらしい。
そして「大雲寺」の裏手の斜めの道は、堀の名残りなのです。「大雲寺」の詳細は先月23日の記事を参照。
「大雲寺」からは旧2号線を西へ、北側の歩道辺りが江戸時代の道だったようだ。
途中(中央町10-20)に「瓦町」の地名の由来を説明している石碑がある。

どうやらこの辺りが「庭瀬口」のようだ。「備中庭瀬藩」に通じる街道の入り口と言う意味であろう。
先にもふれた「鴨方往来」も「金毘羅往来」も同じ道である。市役所のある大供交差点を過ぎ、
JT岡山と岡山トヨタの前の交差点を左へ横断、一方通行の道が街道である。

この辺りは平安時代に開墾された荘園「鹿田の荘」だと言われている。
確か、干潟がなまって「鹿田」になったと習った覚えがある。南下していくと道幅が狭くなる。左手に「石戸別神社

少し過ぎて、大きなお屋敷の「小山邸」がある。


母親から聞いたのがちょうどこの付近だった。
残念な事に、老朽化か都市計画からなのかは不明だが記念樹だけを残して更地となっている。
程無く進むと、右手に天保2年(1832)「題目石」がある。

さらに島田~青江へ抜ける新道の工事区間を横切ると、この辺りに似つかわしくない田園があるがこれが「大供本町遺跡」である。

「鹿田の荘」の遺跡と考えられ、弥生時代の遺跡も出土している場所である。
昔を忍ばせている一画だが、新道が開通すればこの風景も消滅してしまうだろう。そしてJR瀬戸大橋線高架下を抜ける・・・。

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うどん街道

2007-01-15 20:11:11 | ◇岡山観光学習

思い起こせば小学生の頃だっただろうか、この道は昔の街道だったのよと母親から聞いた覚えがあります。
その道は福山へと続く「鴨方往来」でした。その後、香川へ繋がる街道も存在したと頭のどこかに残っていました。
「金毘羅さん」をお参りして、芝居を楽しみ、そして“うどん”も喰ったであろう。ホンマかいなって?
事実「金毘羅祭礼図」にも描かれている。
ならば、うどん関連の事を書いている以上この“うどん街道”?
いや「金毘羅街道(往来)」を解き明かせねばならぬテーマとなったのであります。
過去数年に渡る緻密な調査をする・・・わけがない!
でも地道に暇を見つけて現地聞き取り調査を行ってきたが、
度重なる壁にぶち当たり挫折しながら諦めかけた昨年、
図書館で1冊の本を見つけて一挙に謎が解け始めたのだった。
そして正月気分も抜け始めた今日から、この大作?順次公開することにしたのだ~。

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讃岐うどん、条例規制

2007-01-14 19:05:26 | ◇うどん情報♪

讃岐うどん、条例規制=「ゆで汁で海川汚染」と対策へ-08年度導入方針・香川県
(時事通信) - 2007年1月13日(土)15時0分 - 社会
讃岐うどんが特産の香川県で、うどん店が捨てるめんのゆで汁による水質汚濁が問題になっている。
現行法令では数多い小規模店の排水を規制できず、県は海や川の汚染拡大を防止するため、店側に新たな排水対策を義務付ける。
近く本格的な条例制定作業に入り、2008年度の施行を目指す。

下水道普及率ならびに汚水処理普率の低さは全国平均を大きく下回っているようです。
多額の設備投資を強いる条例で、閉店続出という事態にはならないといいけど・・・。

~追記~
1/18夕方のANNニュースで取り上げていたのを偶然見ることができました。
車内だったので写りはイマイチだったのですが驚くべき実体でした。何に驚いたって川底にうどんが・・・。
それも店から200mも離れた川底に長いうどんが沈殿という恐ろしい絵でした。一瞬、ヤラセじゃないかと思えたくらいです。
全国放送ですから香川県、うどん店に対し相当に悪いイメージを持った視聴者がいると思います。
救いといえば夕方5時過ぎという時間帯。
排水量が50トン/日 未満の小規模店は法令の規制対象にならないので、大半の店はおとがめなし。
平成17年の夏から排水処理対策マニュアルを配布して推進しているようですが、今日の絵を見る限り効果は?
行政も見誤れば観光資源などを失いかねない。店側も異論はあるだろうが、せめて固形物を垂れ流ししない努力は必要だ。
あの絵はショッキングすぎる。

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カップうどん考察17

2007-01-13 20:58:17 | └カップうどん考察♪

ちゃんこというフレーズに飛びついてしまいました食べてみて何がどうちゃんこなの?
あぁ~、鶏だんごが入っているからかな?あっさり味噌味で美味しかったです

「冬のスーパーカップ ちゃんこ風うどん みそ仕立て」 エースコック
◇スペック◇
 ■麺・・・・・味付油揚げめん
 ■スープ・・1種(粉末スープ)
 ■かやく・・鶏だんご、キャベツ、白ねぎ、青ねぎ、刻み油揚げ、かまぼこ、
       唐辛子入豚肉・きざみ揚げ・ごぼう・人参・ねぎ
 ■内容量・・110g(麺90g)483kcal

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うどんTV

2007-01-11 20:31:25 | ◇うどん情報♪

お久しブリーフ遅ればせながら、今年もおいしいうどんをゲッツ!してお伝えしていきま~す。
思い出したので使ってみました~
1月12日(金) 19:00~19:54 OHKテレビ Gコード(10386)
ニョッキン7 「ショッピング・レインボー循環バスに乗って☆高松市をぶら~り!」
■中尾彬さんご用達、モーニングうどん!うどんと中華めんの新コラボメニュー!他

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