霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

また会う日まで(新聞小説)

2021-04-13 14:15:37 | 地磁気観測の思い出

朝日新聞で連載中の小説「また会う日まで」を興味深く読んでいます。内容は戦前戦中に海軍水路部に所属し「天測歴」の編纂等に関わった実在の軍人で作者の池澤夏樹の伯父あたる秋吉利雄の生涯の物語です。


「天測歴」は海上保安庁水路部「天体位置表」に引き継がれましたが、現役時代に真北を決めるための天測に欠かせないものでした。複雑な天文の数値表を作成する人達に畏敬の念で使用していましたが、物語の主人公のような真面目で優れた人だったのかと納得します。話の中で私の故郷の信州山田温泉での静養時に散歩した松川や雷滝という実際の名称が書かれていて主人公がグッと身近に思えました。


今は「ローソップ島」という章での日蝕観測の話ですが、この中で地磁気観測の話が出てきたので少し記してみたいと思います。

日蝕が地磁気に影響を与えることは昔から言われていました。地磁気は太陽により毎日規則性のある変化(日変化)をしていますが、これは電離層が昼間太陽に暖められ温度差が生じて対流が起きて電流が流れるため磁気が発生し地磁気に影響します。これは地球規模の電流系ですので日本と赤道では変化の仕方が異なります。逆に地上の多くの観測点の日変化から電離層の電流系が計算できるのです。日蝕で電離層に影ができ局所的に温度が下がればこの電流系にも変化が生じて地上の地磁気変化が観測されると期待できます。


この物語では、様々な観測項目の装置や機材が運び込まれて当日に向けた観測準備の様子が描かれていますが、いずれも当日の天気次第ということで気を揉みますが、地磁気観測には天気は影響しません。しかし、磁気嵐など地磁気の擾乱が少しでもあると、日蝕による変化が埋もれてしまい検出できなくなるという心配があります。そこで当日(1934年2月14日)の日本での地磁気の状態を見たところ大きな擾乱はなかったようです。主人公が設置した測器は偏角変化計だとわかりますが、日蝕効果は数nT程度なので記録紙では2~3mmの変化と推測されますので検出は相当難しいと思われます。

日蝕による地磁気変化についてはその後も成功したという話は中々聞かれなかったのですが、2009年の日蝕で地上の観測結果をシュミレーション計算で評価して地磁気変化が検出されたという次の論文があります。

http://www.kakioka-jma.go.jp/publ/journal_DB/abstract_j.php?no=1128&


また、物語にはこの磁力計を製作した「測器舎」という会社名が出てきますが、地磁気観測所の基準器の磁気儀は1文字違いの「測機舎」で製作されました。現在会社名は変更されてますが、測機舎は古くから地磁気の精密な測器に携わってきた製作所です。


3.11の時

2021-03-31 15:06:12 | 地磁気観測の思い出

先頃、3.11の壮絶なドキュメンタリー映画『Fukushima50』がテレビで放映されました。これに比べたら本当に些細に見えますが、10年前の同じ日に地磁気観測にも大きな危機が訪れていました。


震度6弱の長い揺れで観測室や事務室の屋根瓦がバラバラと落ちてきて機器のことよりも課員の安全が心配になりました。間もなく停電になり発動発電機(発々)が自動で立ち上がりました。

揺れが収まったところで構内に点在している数多くの観測装置の点検と状況把握に手分けして向かいました。検出器の転倒や停止、傾いたりズレたりなど全てに大きな影響を受けている悲惨な状況でした。まずは優先順位を決めて復旧作業に着手しました。


検出器の調整や修理、較正観測(正確な基準値を決めるための精密観測)の頻繁な実施、この較正観測の機器自体も落ちたりズレたりしてしまったので天測による補正が必須となり直ぐに天気の良い夜に実施されました。副準器や予備器から得られた途切れ途切れのデータの妥当性の検証と観測値の補正補充などが建物などの復旧作業と並行して進められました。

写真はこの日の公表されている地磁気記録ですが平常時と何ら変わりの無いプロットに見えます。でもここには当時の観測所全員の苦労が詰まっています。


さらに緊急課題となったのは、当時の測器はほとんどが電子機器となっていたので電源供給がストップしてしまえば観測からデータ処理まで何もできなくなってしまうことです。復電の見通しが全く立たず停電が長期化していたので何としても頼りの発々を維持しなければならなくなりました。

元々発電容量が小さくて観測装置への供給で精一杯なうえ老朽化も進んでいたので動作不安定にならぬように負荷を少なくするため、最小限必要な機器を選びそれ以外の接続を外しました。


これまで停電は雷時以外に経験はなく、連続運転も動作点検時の1時間程だけでしたから長期稼働によるトラブルの発生も不安材料でした。でも何よりも燃料切れが問題でした。燃料(軽油)は予備も含めて50㍑しかなく、毎時3~4㍑消費するのであと半日しか持ちません。平時ならガソリンスタンドですぐに購入できるのですがスタンドも停電で給油できず、あちこち問い合わせても調達困難で困り果てていた中、本当に幸いなことに職員の知り合いの農家が農機具の燃料に保管していた軽油ドラム缶一本を貸してくれるということで首の皮が繋がりホッとしました。


停電は53時間に及びましたが発々は止まることなく動いてくれました。同様の危機に見舞われた他の気象官署と共に、その年の第一次補正予算が付いて発々は翌年更新され、この発々はその役目を終えました。私も同じくして定年を迎えました。

1897年(明治30年)以来途切れることなく続けられてきた日本の地磁気の連続観測を途切れさせることなくこの危機を乗り越えられたことは本当に幸運でした。


野外観測:SP法

2021-03-04 14:13:20 | 地磁気観測の思い出

段ボールを整理していたら40年以上前に野外観測に参加した活断層調査の論文別刷が出てきて当時を懐かしく思い出しました。


先の「ミミズびっくり -2020/9/11-」も同じ活断層電磁気研究グループでの調査でした。この時は人工的に電流を流して測定する人工電位法でしたが、秋田県の活断層調査では自然電位法を体験しました。自然電位は地下水の流れが+-の電気に分けることで生まれ、断層の応力変化や火山の地下水系の状態が把握されます。


自然電位法はSP(Self Potential)法とも呼ばれ、分極作用の小さい2個の銅・硫酸銅電極を30-50m程の電線で結び、その間の電位差(数ミリボルト程度)をテスターで測定するという簡単なもので、山道を蛙飛びや尺取り虫のように移動して往復の観測をします。2~3人でペアを組み、それぞれのルートに分散しました。私はペアとなった大学の若い先生と測定しながら初めての経験だったこともあり、こんな簡単なもので意味ある結果なんか出ないだろうという気持ちでした。


宿での夕食後には毎日ミーティングがあってその日の結果報告をディスカッションするのですが、自然電位の結果はとてもきれいな系統的分布を示すものでした。隣でペアとなった先生が浴衣姿でニコニコしながら『こんな観測なんかでどうかなと疑問だったけど、これは信用できますね。意外でした、やってみるもんですね。』との呟きを耳にし、私と同じことを考えていたと知り、その時の優しい笑顔が印象に残りました。


後年、科学雑誌Newtonでその笑顔に再会した時に、若い日の水谷仁先生とひと時ご一緒できたことを嬉しく思いました。


百足(ムカデ)

2021-02-15 13:32:13 | 地磁気観測の思い出

マムシやスズメバチと並んで身近な毒虫にムカデがいます。


木造の構内宿舎の台所や風呂場は湿っぽくムカデの格好の棲みかでした。夜寝静まるとカサカサと音がするともう寝てはいられません。電灯を点けて慌てて逃げるのを見つけたら蝿叩きやスリッパで仕留めるのですが、姿が見えない時もあってそんな時は落ち着きません。また5年ほど鹿児島で勤務しましたが南国は何でも一回り大きく、ムカデも大きさばかりでなく色艶も鮮やかでした。

先輩達からは、もし気付いた時にムカデが体の上を這っていたら慌てて振り払おうとすると間違いなく刺されるから、通り過ぎるまでそのままじっとしているようにと教えられていました。


ムカデで語り繋がれている話があります。戦後間もない頃の独身寮(一軒家で5~6人)で、Y氏が喉が乾いたと薬缶(やかん)から水を飲もうと口を付けたら、中にいたムカデに唇を噛まれてひどく腫らしたとのこと、その本人から私もその時の様子を聞いたことがあります。


安全な観測のためとは言え、どのくらいのマムシやスズメバチ、そしてムカデの命を奪ったことでしょう。彼らにしてみれば人間と関わりを持つ積もりなど毛頭無いわけで、実に罪作りをしたものと振り返るこの頃です。


スズメバチ騒動

2021-01-06 13:49:37 | 地磁気観測の思い出

先にマムシについて書きましたが、実はマムシに噛まれたという話は現役中には無く、伝え聞いたのは遥か昔の一件だけです。しかし、スズメバチは実際に目の前で後輩が刺されたのを見ました。しかも刺されたのは脳天で、暫くして呼吸困難に陥り病院へ搬送したことがあります。


事の起こりは木造の古いセンサー小屋にスズメバチが飛んでいるので入れないということで5人程で駆除しに行きました。どうやら巣は板壁の中にあるようで隙間から殺虫スプレーをかけたところ大量のスズメバチが現れて襲いかかって来たので慌てて逃げましたが、どこまでも追って来るのです。

振り返えると、最後から来た一番若い後輩の頭髪の中に一匹入るのを目撃したのです。髪はそう厚くないのにあの鮮やかな黄色のスズメバチの姿が消えて見えなくなりました。後輩は慌てて手で振り払おうとした時にチクッとやられました。

その時は大丈夫そうだったので部屋で横になって休んでもらってましたが、30分程した頃に息が苦しいから病院に連れて行って欲しいと言われ、私は急いで車に乗せて近くの医院に駆け込みました。注射がすぐに打たれて間もなく息が楽になったと聞きホッとした次第です。


これは彼の後日談(笑い話)です。

・スズメバチの大群が襲って来た時に『追ってくるからお前は来るな!』と、ある先輩の声が聞こえたそうで、何とも冷たい話だと思ったとのこと。


・苦しくて一刻も早く病院に行きたいのに、ほとんど車も通らない田舎道での信号機が黄色になったからとて律儀に停車したことが恨めしかったとのこと。

(弁明)

私も少し気が動転していたのだと思います。こんな時に何かあってはいけないからと慎重になっていたのでしょうが完全に判断ミスでした。


まあ、それでも刺したのはキイロスズメバチだったのでまだよかったけど、これがオオスズメバチだったらと思うと今でもゾッとします。なお、2度目に刺されるとアナフィラキシーショックになり命にかかわるとのことで本当に危険です。


それから何年も後のことですが、オオスズメバチを見つけたのであとを追い地面の入り口を突き止めました。夕方暗くなってから殺虫スプレーをかけ退治したことがあります。その時に先の騒動を思い出してドキドキしました。やはりスズメバチは怖いです。