不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

境界という風景

2009-01-31 17:46:48 | 農村環境


 別の日記で触れた立て札の場所は南箕輪村と伊那市の境界域である。境界域であるというのが、実はこんな立て札を意図めいて見たくなる理由でもある。この境界域には、広い村道が走っている。南箕輪村の整備した道路であるが、下っていけば下段の田端へと通じる。もともと伊那市と南箕輪村は境界が入り組んでいる。長野県においては市町村界というと、川が境になったり山の尾根が境になったりと、だいたい法則のようなものがある。そうしたなかで特に目印もないような場所に境があるから、おおかたの人はそこが市町村界だとは解らない。たまたま西天竜の一様な扇状地にあって目印もないということで、南箕輪村が村界にそれを示す表示板を立てているからそこが境であると解るが、まったく一様な世界である。場所によっては田んぼの畦が境になっていて、そんな場所は境界域という理由があるかどうかは知らないが、雑草の丈がひどく高い。市町村界でなくとも田んぼの境界ラインはさまざまな葛藤があって、争いごとも起きたりする。そんな境界が行政区が異なるとなると、さらに思うところがあるのかも知れない。市町村界が先にあったのか、それとも地権者が市町村を選択したかは定かではないが、そうした境界域に不安定要素があるということを、雑草の丈で感じたりする。

 ところで写真の道路の右手の水田は道より少し高くなっている。実はこの道路の右端を境に(地図では道路の中にラインがあるが、現地での表示板は南側に立つ)左は南箕輪村、右は伊那市になる。道路が南箕輪村を走っているということで、右側の水田はその道路からは入れない。この水田への耕作道は水田のさらに右手にあって、その道は乗用車で走るには心もとない幅しかない。何度かわたしも走ったが、その先にある直角曲がりは、軽自動車でもへたくそな人は脱輪しそうである。にもかかわらず、この水田を耕作する人たちは、南箕輪村の道路から入ることはしない。できないのかしないのかについても定かではないが、いずれにしても道路と水田の間には用水路があって、その用水路は伊那市側にあり、そこから用水を引いている。わざわざ村界の道路を広く整備したのも理由があるのだろうが、両者の葛藤のようなものを想像すると楽しい。実際はそこに葛藤などというものはないのかも知れないが、それにしても不自然な土地利用である。そしてその境たるやこんな具合に雑草が伸びる。川や山で隔たれた境界はともかくとして、こひうしたあいまいな空間の境を、それに沿って歩いてみると、少し違った雰囲気を堪能することになる。もちろんそうした境界ばかりではなく、家を隔てて隣同士が別の市町村ということもあって、どちらも何事もなく暮らしている人たちもいるのだうが、こうした接近した空間に不安定な空気が流れると感じるのも、わたしが境界域を意識しすぎているせいなのかもしれない。
コメント

金曜日の車内

2009-01-30 12:15:46 | つぶやき
 朝いつも乗る電車は3両編成である。ふだんは2両編成のものが多いが、通勤通学時間帯の電車には3両編成のものが多い。もちろん乗客もそれなりに多いわけであるが、昨年毎日乗車していた先頭車両はとくに混雑する。今年度に入ってその混雑を回避するように、同じ車両の同じあたりのポジションというスタイルを変えて、毎日の乗客の様子で座る位置を決めるようになった。わたしの乗車するころは空いていた車内が、それだけ選択しないと混雑するようになったということも言えるだろう。思い出せば確かにわたしが乗ってもちらほらという乗客数だった先頭車両は、半分以上の席はすでに先客がいる。先客と言ってもツーシーターの片方が埋まっているという状態であるから混雑とまではいかない。

 金曜日の車内がいつもとは違うということは今までにも触れてきた。飲み会があるのか一般客の客層がふだんとは異なる。そこへいくと高校生には曜日は関係ない。そして数は少ないこうした一般客が、車内の雰囲気を大きく変える。

 先日ずいぶん空いている日があった。乗ってきた高校生はあまりに空いていて「今日はどうしたの」と口にする。車内の顔ぶれを拝見すると、実はそれほどいつもと違うというわけではない。前述したようにツーシーターのかたわれが空いているような場所に高校生は座らないから、そうした席がどの程度一般客で埋まっているかが、その後増えていく乗客の雰囲気を変える。友達同士で乗ってきた高校生が、ツーシーターが空いていればそこへすんなりと座る。ところが片割れ状態だと、どんどん立ち客が増えていく。このあたりが高校生に「空いている」印象を与えたのである。この日は、いつもなら乗っている一般客が2、3人いなかった。たったそれだけのことなのだが車内の雰囲気はずいぶんと変わる。たとえばその3人がいることで、立ち客は6人となる。その3人がいないことでいきなり立ち客はいなくなる。高校生の場合は高校のある駅で顔ぶれのリセットがある。それもまた一般客の多い空間との違いを見せる。

 さて、そんな一般客のせいか、今日は先頭車両が空いていた。久しぶりに乗ってみようと思ったが、乗ってみると少し戸惑いがあった。乗り込んだドアがいけなかったかもしれない。後部ドアから乗ったからみなあちらを向いている。注目されていなかったから選択しようとしたからいけない。あちらをむいている人たちの座席を覗き込むように歩を進めているうちに、「これは引き返せなくなる」と思い、足が止まった。「引き返せなくなる」とはどういうことかといえば、例えは会議場に時間ぎりぎり入って、席を探しながら前進していくときの気持ちである。一旦前進しながら空席を探していると、振り返ると多くの顔を真正面で対峙することになる。それに戸惑わない人もいるだろうが、わたしはそういう空気は好きではない。前から入って後ろに探していく場合も同じような雰囲気を味わうが、前進し始めて振り返ることは、前ら入って顔を合わせてから後ろに向かっていくのとは明かに違う。

 ということで、一旦前進しかけた足を止めて、後部の車両まで「これは」と思う席を探していく。やはりというように2両目の乗客は、前からやってきたわたしの顔を一度見る。花道を歩いているわけではないが、それほど混雑していない空間にいるから、ますますこちらも顔をあげた客の様子を確かめる。結局最後部まで、わたしは車掌になったような気分で足を運ぶ。

 金曜日ということで、多い一般客は公務員である。いや常も公務員が多い。そしてとくに金曜日は多くなる。前述したような理由からだろう。そういう空間に身を置いていると、いかに一般会社が公共交通に対して認識が低いかということは歴然としてくる。
コメント

酒席と運転

2009-01-29 19:23:46 | つぶやき
 「酒気帯び」でも一発取り消しになるという報道が流れた。政府は飲酒運転など悪質運転への行政処分を厳格化することを柱とした道路交通法施行令の改正案を閣議決定したといい、6月1日から施行されるらしい。いよいよ酒を飲んだら乗らない、乗るなら飲まないという考えが浸透するときがやってきたといえる。とくに気をつけなくてはならないのは飲酒後何時間で該当の数値に低下するかという認識である。このことはよく人々に理解を広める必要があるだろう。0.25ミリグラム以上が呼気1リットル中のアルコール濃度で認められればすぐに面寄与取り消しとなる。その025ミリグラムとはどの程度なのかということになる。もちろん飲んでいればそんな数値に関係なく飲酒行為を自認した上で運転したということになるのだから問題外といえるだろうが、その数値は時間を経過すれば低下していく。ということは必ずしも夜飲んで朝運転を始めるというケースばかりではないだろうから、いったい度の程度でそれが解消されるものなのかは、それぞれの体質も理解したうえで認識しなくてはならない。これは改正されるからというものでもなく、居間までも当然認識しておかなくてはならなかったものだろうが、けっこう曖昧で見過ごされてきた。

 そんななか翌朝運転して酒気帯び運転で捕まったという事例も目立つようになって、とくに公務員などはそんな部分に気を使っているようだ。先日も早朝の会議にやってきた同僚が「臭い」。すぐにその臭いは酒の臭いと気がつくほどで、彼は当然のごとく車でやってきた。果たしてアルコール濃度かどの程度かは解らないが、飲酒を日常的に行っている人は、その濃度を観測できる機械を常備していないと大変危険なこととなる。もちろんその危険というのは事故という視点もあるが、自らの人生に対しても「危険」な行為になってしまう。程度というものがあって、彼のように臭っても何とも無い暮らしを何十年も続けてきただろう。しかし、いざ調べられたらそういう安全内にいる運転者も免許を取り消されることになる。

 先日も神社の祭典にかかわって思ったのは、「車は運転してこないように」と言われていてもほとんどの人は運転してくる。まだまだ地方ではそんな姿が常態化している。それは車が無ければ移動できないという意識が強く身体に染み付いているからだ。もちろん彼らの多くは飲まないか、ごく少量のお神酒程度しか口にしないわけだが、これらは人によってであって、確実なものではない。中には当然のように車で帰路へ着くという人もいないわけではない。いかに車付けの地方の意識が変えられるか、というところにも関わっていく。もちろん車を使うのなら乗らないという原則はあるが、酒席を伴う場合は車に乗らずに集まるという原則を先に成立させる必要があるのかもしれない。いずれにしてもアルコール濃度という数字で示される以上、その境界ラインがあることを自認しなくてはならない。
コメント

本当に効果があるのか

2009-01-28 12:25:22 | つぶやき
 あるブログで経済対策といいながら公共事業にその金が向けられているといって批判していた。理解しなくてはならないのは、公共事業とはいえ、もともと必要とされて計画されているものへの配分となる。ということは前不倒しと言った方が正しい。ちまたではそうはいっても懐は変わりないわけだから、前倒ししたあとに結局低迷期がやってくる。前倒しがいつまでも続くという予算配置ではないようだ。21年度に予定していたものを早く発注して金を使わせて活性化させるのだろうが、簡単に言えば公共事業のようなものは、こうした緊急時に対応し易いということがある。こまごましたものに金を配分するよりは実効性が高いということになる。もちろん地方に配分されるものすべてがそういう公共事業に回るわけではないが、ようは対応し易いということがその根本にある。

 定額給付金に対して批判があって、ちまたでは廃案にしろという言葉も大きくなっていたがどうも給付されるようだ。経済対策を辞めるというのならともかくとして、例えば配分している経済対策費も使う側がとまどっている部分があるのではないだろうか。だから手っ取り早く公共事業に使う。県内の様子を見ていても、前倒しに対応できる市町村は比較的常に公共事業をたくさんやっている景気の良さそうなところである。ということはどういうことかというと、使おうと思ってもなかなか使えないというところと格差が現れるということである。こうした事情を見ていると思うのは、早急に支給さえできたならば、こうした経済対策よりも定額給付金の効果は早く、また大きかったということである。それがなかなかできないというところに行政のシステムがあるから仕方ないわけで、それが回りまわって使いやすい公共事業というところに落ち着くことになるわけである。

 わが社でもそうした色めきたつ地域に仕事が出たといって騒いでいる。またまたそうした色めきたった地域のために、悲惨な地域は放っておかれ、格差が開くことになる。地方が経済動向に煽られるのはあまり良いものではない。勝たなくては飯が食えないというのなら仕方がないことだが、こうした矛盾をどうしても起こさせてしまう、行政の対応のあり方にも問題があるのだはないだろうか。

 さて、先日もあるお客さんのところで話をしていて、「昨年まで担当してもらっていたAさんは言うところでははっきりものを言ってくれて喧嘩になりそうなくらいだったが、今度のBさんは人がいいのか相手の言うことばかり聞いているからいつまでたっても結論に至らず相手の言うがままだ」と愚痴をこぼされた。人はそれぞれで性格があるということはお客さんも十分解っている。とはいえそうはいっても相手の言うなりにどんどんなっていく姿を見ていて、仕事を預けているとはいえ、「いいかげんにしろ」と言いたくなっている。相手の言うことに頭を下げて聞くことは、仕事に対して真面目な対応と思いがちだが、時と場合によってである。無駄な会議や打ち合わせをいくらやっていても、とくに相手が役所の人間ともなると、いいかげんにそんな暇な奴にはつきあっていられない、と思うことはよくある。それでも言うことを聞かないと印鑑を押さないというなら仕方ないが、それでも言うべきことを言っての結果である。どうもそのあたりのやり取りがへたくそな人が多くなって、なかなか結論が出ないという案件が多くなった。自ら難しい局面に導いてしまってはお話にならないわけである。国会も、そして世の中も、そんな具合に堂々巡りをしている時代になった。
コメント

「農にみる伝統への回帰」の問題

2009-01-27 12:35:27 | 農村環境
 安室知氏は「くらしと食農―農にみる伝統への回帰」(『日本の民俗4 食と農』2009/1 吉川弘文館)の中でこのごろの農の動きの本質を見抜いた記述をしている。「水田漁撈は、稲作農民の動物性蛋白質の獲得のため、現金収入を得るため、娯楽のため、水利社会における共同性の確認と強化のため、といった四つの意図があった。こうした四つの意図がそれぞれ独立してあるのではなく、いくつも重なり合いながら、また他の民俗とも有機的な関係性を持ちながら水田漁撈はおこなわれてきた。しかし、復活した水田漁撈の場合は、捕った魚は食べられることも、また売られることもない。水田漁撈は、いわば水田で魚捕りができることを示すことで、農の健全性や食の安全性を協調することに読み替えようとしているといってよい」と伝統回帰へアプローチするこのごろの動きの問題を捉えている。「昭和三十年代以前と一九九○年以降に復活した水田漁撈とでは、その目的や効用がまったく違ったものに変わってしまったといわざるをえない」と言うように、伝統的なものを見直してきてはいるものの、その環境をトータルで捉えたものではなく、切り取られた場面を人々のイメージに植えつけているわけで、観光客を呼び込もうという意識に似ている。とはいえ、そもそも農業に対する補助金の批判に対抗すべく、農村のイメージアップに向けたパフォーマンスであって、観光客を呼ぶものと本質は違うものであったことは事実だろう。ところが、やっていることを冷静に見てみると、もっと違うやり方があるのではないだろうか、ということはそうした場面にかかわる仕事に携わりながら見てきたわたしの考えであった。生態系保全という環境という言葉に名を借りて、それらのイベント的なものが行われているとまでは断言しないが、農水省が指示したものがこういう形のものだったのかと思うと残念な部分は多々ある。

 安室氏は「農業共同組合や美土里ネットが主催する水田での魚捕りはそうしたねらいが如実に表れている」と復活した水田漁撈の姿を表現する。明確に批判はしていないものの、この方法では切り離された水田漁撈でしかないと言いたげである。余談であるが、ここでいう美土里ネットとは何だろうと少し違和感を持った。実は全国には水土里ネットいわゆる土地改良区や土地改良事業団体連合会なる土地改良法に定められた団体があって、そういう団体のことを水土里ネットと言っている。したがって安室氏の言う「美土里ネット」は間違いかと思って検索してみると、実はこの字を当てている土地改良区があることを知った。間違っているのか意図的なのかは解らないが、いずれにしても安室氏の意図したものは「水土里ネット」のことではないかと推察する。

 安室氏はさらに「美しい日本のむら景観一○○選」や「日本の棚田一○○選」などに触れ、90年代に「行政が特定の文化遺産を選定し権威づけるという動きが強まる。これは地域に根ざした視点ではなく、価値があると行政が判断したものだけを地域から切り離して国の文化資源にしようとする動きと考えられ、それはまさに意図的な民俗の断片化・道具化に他ならない」と批判している。これらは個性的なものだけをとりあげるまなざしであって、ごく当たり前の「没個性的で普遍的な民俗事象の文化資源化については十分には解き明かすことはできない」と個性的なものだけを捉えるあり方に問題を呈している。

 行政が作り上げてきた農村イメージアップのやり方、そしてその視点の選択ポイントに個性的というものがあったことは事実であるが、今やかつてはごく当たり前のように行われていたものが、珍しくなったことから個性的と捉えられるようにもなっている。しかし、背景としてはその事象だけが一人歩きしていたものではなく、さまざまな人々の暮らしがあったはず。そうした場面は削除されて例えば生態系とか風景といったものだけをとりあげる方向性はけして正しいとはわたしは思わない。もっといえばなぜそこに民俗学が関わってこなかったのか、と今更ながらに思うところは多い。その思いをどこかで安室氏は述べていると解釈するし、またこうした視点での実践を期待したいものである。そう思うからこそ安室氏も「新たな民俗的・社会的リンクの中に水田漁撈や在来農法が位置づけられるなったこと」について「現代社会における新たな関係性の獲得として評価すべきこと」と補い、また「そのリンクはある意味非常にもろい」と相反する言葉で表現している。

 安室氏は同書の中でさらに「農のあるくらし」にその視点を進めて展開している。これについては次回触れることにしよう。

 続く
コメント

現代の罠

2009-01-26 12:27:26 | ひとから学ぶ
 もちろん息子たちのような十代が、気が利く行動を誰しも取るとは思わないが、躾というまなざしでみれば、そう親が願うのも事実である。そして今はできなくとも、いずれ親がそういうことを口にしていたと気がついてくれればよいのだが、なかなかそれは期待薄なものなのである。行動が伴わないことを何度言ったところで、果たして咄嗟にそれができるかどうか、また記憶としてそれを呼び起こすことができるかどうかなどと考えてしまう。同じ作業を、行動をともにしながら覚えるしかないと思うのだが、簡単に言えばなかなか身内ではそれを教え込むことはできない。それほど教育も含め、他人に頼らざるを得ない部分が多いことに気がつく。はっきりいって子どもの教育も同様なのだろう。学校にも行かずに自宅で世の中で通じる人間が育つとはとても思えない。そういう意味で、これほど他人と接しながらでないと育たない動物はいないのかもしれない。もちろんそこには人間なりの能力を発揮するための教育という前提はある。人との係わり合いがなくて、例えば市長になることができるはずもないし、社長になることもできない。ところが現代では、それほど人と関わらずともそうした立場に立っている人が少なくないのかもしれない。とすれば彼らはどこで人との係わり合いに代用できる教育を受けてきたかということになる。教育畑で働いている人ならこういうわたしの疑問に答えてくれるのかもしれないが、またいっぽうで、実は教育者でありながら、その実は不明という人もいるのかもしれない。

 「親の顔を見てみたい」など言ったところで、すべてが親のせいではないということが、ここから解るだろう。「うちの子どもは」などという言葉の背景には、自らの子どもの躾は自ら行っているという自負があるのだろう。しかし、前述したように、親がどれほど完璧に育てたからといって、誰もが同じように育たない。双子を同じように育てても、どれほど顔がそっくりでしぐさまで似ていても、同じ人間ではないのである。性格は違うように育つ。もちろん似ているところを探して、人は「やっぱり双子だねー」などと口にすかもしれけないが、むしろ違うところの方が多いのではないだろうか。環境が同一で、も同じ言葉を聞きながら同じ躾を受けるのだから、似ていて当然であるものの、違う人となりになっていくということは、子どもたちの成長がそれぞれで異なるということになるだろう。ようは生を受けて以降、誰しもが違う道を歩みだしているということなのではないだろうか。そういう意味で、どれほど親が敷いた路線があったとしても、子には個人としての資質が育まれて行くのである。三つ子の魂百までということばがあるが、確かにそれまでの成長が後に関わるのかもしれないが、だからといって、漫然と育った子どもと親の暖かい努力で育った子どもとどちらに勝負がつくというものではないはずである。それ以降成人し、社会に出て行き、さらにはそれ以降墓場に入るまで、人は多用に成長を続けるし、経験を積んでいくものなのである。

 では現代では、そうした背景に照らしてどうなのかということになるだろう。前述したように、人とかかわらずして蓄積はならない。とすれば、現代のように人と話もせず、自分だけの世界に入り込む時代は、自ずと人との接し方は換わる。顔の見えない対話が、相対している会話と違うということは誰しも解っているはず。電話のように声だけでも相手の反応は見えにくいが、これが文字だけともなるとなかなか真意は見えない。おそらく今は相手の顔を浮かべて文字を綴る人も多いだろう。これは手紙を書くのと同じようなものだ。しかし、ネット上で育まれた文字文化は、手紙を書くようなわけにはいかないと思う。変化の途上を見てきた者には解っても、このネット空間だけしか意識しない人たちばかりになったとき、果たして表情から何をうかがい知ることができるだろう。
コメント

議会だよりから

2009-01-25 22:10:29 | ひとから学ぶ
 記憶ではそんなこともあった、という程度なのだがわが町の「議会だより」というものは以前廃止の話があったと記憶する。しかし、議員にしてみればその活動の様子を町民に広報するにはすがりたいような場所だと思っている議員もいるはずで、そんな思いが通じてか今のところ20ページにも及ぶ広報が毎回印刷されて配布されてくる。議会を直接傍聴することもできない住民にとっては、議会が何をしているかということを知るには確かにひとつの方法なのだろう。どれだけの人が読んでくれるのかということはともかくとして、議員の活動をアピールする場所ではないとわたしは思うので、集約した紙面で十分なのではないか、などと感じている。

 改選後初めての議会が終わったといって発行された1/20発行号を拝見して、議会だよりを否定するものではないが、これでいいの?というような内容が一般質問のやりとりに目立ったことから、少し触れてみたいと思う。もちろん議会でのやりとりを報じていることから、議会だよりに問題があるのではなく、議会のやり取りそのものに問題があるという捉え方もできるが、どうここに反映されているかが解らないため、あえて議会だよりの編集上の問題、とここでは捉えておくこととする。

 まず、新たな議員が加わってということもあるのだろうが、顔見世興行的な内容は省いて欲しいものである。もちろん新たな議会という気持ちがあるだろうが、住民はずっとここに暮らしている。何も議会が新しくなったからと言って人々の暮らしが再生されるわけではない。 トップである町長が変わったというのならともかく、そうしたトップに向けて「町長は新議会にどう臨み、どう対応していく考えか」というような質問は、質問をしたとしても広報して欲しくないものである。さらには住民と行政、そして議会の三者がまちづくりを推進していくなどという回答をあらためて町長から聞きたくもないものである。こうした無駄なやり取りはせめて掲載しないこと、そして編集者は掲載する内容を精査するべきではないだろうか。

 またある議員が若い世代の自殺に触れ、「解決するには地域で支えあう人間関係の組織化が必要だ。これは公民館活動につながることだと思うがどうか」と問うと、教育長は「公民館を構成する皆さんは、20~30代の若者であり、地域のコミュニティー活動の核として活動している。現在は高齢者や小学生などを対象としたイベントが多く、若者にとって魅力のあるものを模索していくことが必要だと考えている」と答えたようだが、構成する人たちが若い人たちなのに若い世代に自殺者が多いという現実と照らし合わせれば、両者とも本質を把握していない姿が浮かぶ。果たして本当にこのままのやり取りがあったものなのか、と疑うとともに、もしそうだとすればやはりそのまま掲載するのではなく、議会の内容そのものを省みて、やり取りだけでは質問の意図を得ていないというコメントを入れて欲しいものだ。これについてはすべての一般質問のやりとりに同じように言えることである。対話方式で掲載されているが、あまりにも的外れな対話になっていて、議会を疑いたくなる部分も少なからずある。また「昔のように気楽に釣りやボート遊びができるような管理釣り場や公園が健全育成の上からも必要だと思うがどうか」という質問に対して、教育長は「都会の子ども達に比べて、町の子ども達の方が自然に接する機会が少ないことが、小中学校の実態調査で判った」と述べ、質問に対して大切に受け止めたいと答えて締めくくっている。質問の意図が具体的でないために、答える側が的確な答えになっていないような気がする。果たして質問者は本気でハード整備をしていくべきだと言いたかったのか、そして教育長は本気で都会の子ども達に提供できている自然に接する機会の場を提供しようとしているのか、とてもどこをみても自然だらけの山村にあってこうした滑稽なやり取りが掲載されていることこそ掲載内容を疑いたくなる部分である。

 さらに滑稽なのはある議員は、職員の「能力を最大発揮してもらうことで住民サービスが向上すると考える。(中略)職員教育と研修をどのような考えで進めているか」と問うと、町長は「職員教育は挨拶より始まることを6年間言ってきて、当初より良くなってきている」とまず答え、適切な研修を計画して実行しているとありきたりな回答を掲載している。町長のポリシーとしての挨拶をアピールした形になっているのだろうが、質問の意図が適正に回答されているのか疑問であるとともに、事前に質問内容に対しての把握を両者で行っておかないと、こんな内容の羅列になってしまう。もしかしたら「こんな程度」なのかもしれない。いずれにしても議会だよりがそれをあからさまにしてしまっているようで、むしろ無い方が議会のボロ隠しになるんじゃないかなどと思ってしまうしだいである。

 議員定数というものが良く議論される。前述したもののなかに、教育長の「公民館を構成する皆さんは、20~30代の若者」という言葉があるように、地域ではその地で暮らし続けないと一人前にはなれないという現実を知らしめる、リーダーの認識を表したひとつの言葉である。実はそうした場面に現れてこない若者はもちろん、多くの住民がいる。そうした人々の言葉を代弁する議員はほとんどいないだろう。ようは議員を減らせばより一層偏った認識と意見に集約されていくという問題がある。誰かが「自治体は三輪車」と住民と議会、そして行政という三者を捉えて表現していた。しかし、そうした構造というか発想そのものを変えてもいいんではないかとわたしなどは思っているが、法律上無理なのだろうか。いずれにしても意味不明な議会だよりを読んで笑ってしまうしだいである。
コメント

開封されない給与明細

2009-01-24 21:52:01 | つぶやき
 暇になって勤務時間が減って不安であるという投稿が、定期的に発行される無料配布の新聞や雑誌に投稿されているのを最近よく見かけるようになった。忙しいにこしたことはないということなのだろうが、世の中は暇になれば収入に影響するということでそういうことになる。しかし、他人の姿を追っていれば、本当に厳しい状況にあるのかないのかについては、その生活実態にまで踏み込んでみないと、同じ比較はできないものである。まずもって人は意識差というものがあるからだ。収入を今はそれほど意識しなくとも暮らせている自分は幸せということになるのだろうか。しかしいずれ定年まで安定した暮らしはできそうもないと解っていれば、今はともかくとして、その先のためにも今の生活の中から余裕を搾り出さなければならないと解っているから、冒頭の言葉を発する人たちとそう変わらないと思わずにはいられない。働けば働くほどに収入がアップするという日常を過ごせている人たちには、世の中の動向が大きくのしかかるということになるだろう。ところがわが社のようにすでに何年も前から減収にあえいでいると、このごろの情勢などどうということはない。むしろ仕事が増えると言われるとピンとこない。だからといって収入が上がるわけではない。以前にも触れたように、このごろは給与の明細をもらっても開封することもない。そのままゴミ箱というわけにもいかず、自宅に持ち帰って妻の見えるところに出しておくが、妻もそれを開封することはない。そのうちに自分の給与はいくらなのか忘れてしまいそうである。もしかしたら知らない間にカット率が上がっていたり、あるいは減俸されていたりするのかもしれない。

 そんなことはどうでもよい、と思うほどに日々を送っている。毎月きまった額が振り込まれているのだろう、などと思い込んでいるだけであるが、開封したところでその現実が変わっているはずもない。下がることはあっても上がるはずはないと解っている会社の社員の給与とはこんなものなのだ。

 最近は床に入るときも、また目覚めの時も、常に仕事のことが頭にある。夢を見ない方のわたしだが、時に夢の中にまで仕事の風景が登場する。頭の中で「間に合うだろうか」という意識が渦巻く。しかし、だからといって時間は限られる。間に合う方法を模索しているが、そうしているうちに1週間は過ぎる。予定していた量の資料分析が終っていない。まだ現場の調査もずいぶんと残っている。そして別の業務も残されている。すべて現場に出て蓄積していく業務だから、ショートカットが難しい。残された時間の枠でどう組み立てるか、そこで頭の中がいっぱいだ。このままでは寝ずに仕事をしても間に合わないと解る。それでもとショートカットの方法を練る。これがわたしの夢の中に登場するのだ。とても自宅に持ち帰るには膨大すぎる資料。しかしのん気な空間で「忙しい」を口にすることはしたくない。わずかな資料に集約して処理していく試行錯誤を繰り返し、今日もまた「お先に」と言って真っ先に退社し、5時の電車に乗る。だからわたしにとっては暇になってくれた方がありがたい。これ以上仕事はいらない。もちろんこんな思いをしても給与明細には同じ数字が並んでいるはずだ。

 先日まで居間に無視されていたように転がっていた給与明細が、ようやく姿を消した。きっと新聞広告の中にまぎれてストックボックスに埋まっていることだろう。
コメント

同化した汚れ

2009-01-23 12:32:50 | つぶやき
 「あかぎれ」でも触れたように食事後の洗い物を最近はよくする。今までしてこなかったわけではなく、単身赴任中は自ら弁当も作っていたから洗い物をするということは、日常の一コマだった。汚れをどう落とすかについても、できれば短時間に終らせれば、他のこともできるし考えることはよくあった。そうしたなか、弁当というと合成樹脂の器がつきものである。その合成樹脂の器は、使用しているうちに汚れがなかなか落ちなくなるものであった。それを洗い方が悪いという言葉で結論付けることも可能なのだろうが、例えばステンレスやアルミ系のものより汚れが残る傾向は強い。

 最近わたしの利用しているものはアルミの器でおかずの仕切りにはアルミを使っている。息子のものは違っておかずは合成樹脂のもので、外側はステンレスである。妻曰く「あんたはボケてもしょうがないからアルミ、息子はそうもいかないから少し気を使ってステンレス」と言う。どちらが溶け出し易いのか知らないが、傷つき易いアルミの方が、長い間には口にしている量は多いはず。それを避けるには何が良いのか、ということになるが、「添加物の入らないもの」がどれほど身体に影響が少ないかという問いにも等しい。なかなか目には見えない世界である。しかし、合成樹脂はどうかといえば、汚れが落ちないということは同化してしまうということも言えないだろうか。ようはそれらも溶け出しているということが言えなくもない。どれほどこすってみても取れる汚れではなく、こするほどに樹脂を削っているという印象すら起きてくる。なかなか汚れが落ちないものといえば油を使ったものということになるから、結局油と油が結合して汚れがそのまま消えなくなるという感じなのである。

 詳細な科学的な分析は知らないから、単に雰囲気で言っているだけである。しかしアルミ系にしても樹脂系にしても、身体にはよくないという話は昔から耳にしている。落ちない汚れを擦りながら、自認しながらも同じことを繰り返していくのが、人というものなのだ。

 そういえば妻とこのごろこんなことも話題になった。おかずの仕切りに何を使うかということである。妻は紙製のものを使いたがる。わたしはアルミ系のものを好む。どちらも一回使えば再利用することはない。とすればゴミになるわけだから、「どちら」という視点もそうした後始末にまで関わる。小さくて丸めればゴミの中に同化してしまうようなものも、この時代の再生観を取り入れれば、洗って分別するということになるだろうか。紙ならまず洗って分別はない。したがって後処理を考えるとアルミとして出せる方が選択として正しいのか、とわたしが言うと、妻は「使わないのが一番」と言う。たしかに妻に弁当作りすべてを任すと、汁の出るもの以外は、とくにそうした仕切りを入れなかった。自らその作業を手伝うようになってそれは変わった。できれば一品ごと仕切りが欲しいわたしなのである。とても小さなことなのだが、こんなところにも性格や認識の違いが出るものなのである。
コメント

三つ目の舞台へ譲る

2009-01-22 12:31:43 | つぶやき
 日々日記を綴ること、稀に空かすことはあってもほとんどここ2年ほどは毎日綴ってきた。「ネタ切れ」という言葉をどこかのブログで見ることがあるが、そのネタとはそこに掲示される写真なのか、言葉なのかは解らないが、気持ちは解らないでもない。わたしも毎日2KB程度の言葉を綴るのは、けっこうネタ切れと思う時もある。いや、2KB以上目標3KBという文量は400字詰め原稿用紙で3枚分を超える。それを前提で文字を打ち始めるとなると、テーマとしてイメージほ持っていないとできそうでできない。これがメモ程度でエンドにしようとすればまた構えは違ってくる。だからどうしても下書きあってのものとなる。ネット上に向かっていきなりこの文量を打ち続けるのはしんどい。

 したがってこれは「日記」と表明しているが日記ではなく、随筆みたいなものである。むしろ日記としては別のものを用意していて、そちらの方は目標文量も定めてはいない。にもかかわらず日記としてなり得ないのは公開されているからだろうか。きっと日々これほど身勝手に思っていれば、もっと本音のところを記録しておきたいものだ。それほど過去にはそれらしいものを残してこなかった。そう思うと、かつての筆記の日記に代用するものとして、若者たちの文字離れを回避する道具が現れたといえるだろう。にもかかわらずまだ思う存分とはいかず、不足しているのかといえば、やはり表裏があるというところに起因する。人には隠しておきたいと思いながらも、記録としては留めたいというものがある。非公開のものでそれを補えば良いのだろう、そう思いながら三つ目の舞台を開くことにした。ここにリンクすることもない。公開は当面するがそこには年老いていく自分の思いが綴られることだろう。もちろん年老いていくから記憶に残っている過去を今以上に紐解いていくことにもなる。

 さて身勝手と言われるような行動を最近は会社でとるようになった。これを「協調性が無い」と捉えればそれまでだが、実はこれまでにもどこかに記してきたが、わたしの行動の原点は試しである。とくに言葉で「○○へ行くときは一緒に行かせて欲しい」と何度も口にしながら、それを相手は記憶にあったかなかったか定かではないが実行にうつさなかった。日時が合わなかったというわけではない。何も言葉もなく、彼は別の上司を引き連れて現場に向かった。おそらく感度がわたしとは異なるという印象を持っていたから、試しでいきなりいくのではなく、言葉ではっきりと誘うようにと口にしたはずだ。すでにその段階で少なからず悪い結果を予測していたのかもしれない。今まで長いつきあいがあって、性格を知り尽くしていたという関係ではない。まだこれからという段階だからこそ「試し」ではなく「言葉」で訴えたにもかかわらずである。こうなると次はもう「試し」しかわたしにはない。何度も「言葉」で引導を渡さなくてはならない立場ではない。解るまで「試し」を続ける。この意図を周りはほとんど理解しない。人にはそうした行動が少なからずあると思っていたのは、自分の思い過ごしであったのである。ほとんどそんなことを考えずにわが道を行く人もけして少なくないし、また若い人たちには増え続けている。それを思いやりのなさと言うのかもしれないが、必ずしもそんな簡単な説明のものではない。

 年老いてもいまだ若き頃の矛盾への思いと同じように行動している自分をみていて、きっといつまでも人間の思いに矛盾が消えることはないんだと思うとともに、現実を見極めようとする自分が情けなくも立ち尽くしているのである。
コメント

行動が教えてくれるもの

2009-01-21 12:24:52 | ひとから学ぶ
 毎日の行動の中に必ず行う動作というものがある。身体が覚えているというか、当たり前のように繰り返される日々の必要な動きである。そしてそれらは必ずといってよいほど、右か左かという選択のなかで始まる。起床し服を着替える際に左右どちらの、あるいは上体か下体かというような選択がある。とくに左右というのは意識しないうちに必ずどちらかを優先しているものである。ズボンを右足から通せば、ふつうは靴下も右足から履くものだ。これを必ず異なった方を優先する人がいたら教えて欲しいところだ。ところがあまり意識もせず考え事をしていたりすると、こういう行動をとらないとも限らない。だから意識させると人はまた違った行動をとったりする。とたがって自分の行動を振り返るよりも他人の行動を観察するとそれが見えてくるのかもしれない。

 昔と違って左利きが目立つ。それは子どものころに無理に利き手を矯正しなくなったからである。昔なら左手で箸を持っていれば、必ず修正させたものである。それが適正だったのかどうかは解らないが、世の中の道具がことごとく右利きでできていたら、それも仕方のないことだし、人と異なる動きは、身の危険を呼ぶことにもなりかねない。とはいえ、人には右と左の道具が平等に備わっているわけだから、どちらかに偏ってしまうのは有効活用とはいえないかもしれない。

 倉石忠彦氏は「手は肉体の一部であるだけにとどまらず、文化的な存在でもあることを示している」(『都市民俗研究』14 都市民俗学研究会2008)と言う。人の身体の機能として必要な道具であるのは当然であるが、この手があるからこそさまざまな人間としての文化の源の発端にもなるわけだ、もちろん両手のない人でも、手を他の部位で代用させて行動をとることができることは忘れてはならないが。倉石氏は「傘を持つ手」(前掲書)において、2007/7/14 雨の日の京王井の頭線の電車内で傘を持つ手を観察した。まず傘を電車内でどこに置くかあるいは持つかという点、そしてその置き方持ち方はどうなのかについてまとめている。「
研究は具体的な資料分析に基づいて行われるべきものであって、単なる感想や思い付きであってはならない」と言うように、資料の上に成り立つものなのだろうが、感想や思い付きというものは、意外に本質を突くものであることも多い。もちろん自分だけの行動では判断しにくいわけで、前述したように人の行動を観察してみて、さらにそれをデータ化することが必要なのだろう。いずれにしても倉石氏は左右などという視点ではなく、もっと細かい身体技法というものに視点を置いている。指先の細かいしぐさそのものにも体系化できるものがあるということになるだろうか。

 倉石氏は人の行動といった無意識な動きを探ったものを近年いくつも発表されている。何ともくだらないと思うかもしれないが無意識のうちにとる行動の背景は、きっと奥深いものだとわたしも思う。データを収集しやすい都会とは別に、地方にあってこれら都会の人たちとどう違うのかというのも、探ってみればおもしろいことなのかもしれない。
コメント

日記を書く

2009-01-20 12:34:17 | つぶやき
 正月休みが長かった(わたしは他の人たちより早くも年休を使って休日をとったこともあり)。こうした長い休日はもちろんだが、土日と2日休日があるのもけっこう日記を書くのにはしんどくなる。ようは電車内で書いているから、電車に乗らないと日記が埋まらないということになる。仕方なく自宅でテレビを見ながら書くことになるが、けっこう自宅では指先が動かない。やはり電車内で過ごす時間がわたしには貴重だ。そういえば、日記を始めたことろは長野で単身赴任だった。そんなころは寮に帰って1人でPCに向かっていたが、やはり今ほどは書けなかったように記憶する。他のこともできると思うから進まないのであって、電車の中みたいな空間では、できることは限られる。本を読むとかメモを取るとか、昔ならそんな感じだった。ところが時代はPCが登場して、それも最近はミニノートが流行りだ。わたしがこのノートを購入した頃に今のように選択肢がいろいろあったなら良かったが、当時はミニノートは限られていた。キーが操作しにくいが、今使っている10インチノートよりもっと小さいものが本当は欲しかった。とはいえ、このノートでも打ち間違いがたくさんある。日記だからそんなことは気にせず打ち続けるが、後で読み返してみるとまったくダメな時もある。

 その打ち間違いを見れば、その人がローマ字変換しているか、ひらがな変換しているかは解ってしまう。わたしはよく「を」と「わ」を間違えて打っていることが多い。ローマ字変換なら「WO」と打つから間違えるとしても「WA」と間違えることはないだろう。なぜなら「O」と「A」は場所がまったく異なる。「WI」とか「WU」ならあるかも知れないが、基本的にローマ字変換で日本語を打つ人たちは、変換で文字を確認しているのだろうか。わたしは昔からひらがな変換だったから、そのあたりのことがまったく解らない。ワンキーで文字を打ってしまうから、「を」を打ったと思っていれば確認もろくにせず次の文字へ進んでしまう。この場合の「を」は「わ」キーのシフト系だから、シフトがうくま押されていなければ、「わ」になってしまことになる。明らかにひらがな変換
している人の間違いパターンである。そう考えてみると、ローマ字変換の人の方が変換違いの漢字か登場するとしても、ひらがなの間違いはそれほどないのではないだろうか。

 そう思って少し日記を読み返してみる。なるほど間違いがたくさん発見される。その例を少し列記してみる。

①「実はもっと有効なものもきっとあるのたろう。」
②「大きな差があこと知っておかなくてはならない。」
③「具体的な事例で説明できほどわたしはよそを知らない。」

というようなものが直近のものに見られた。①は「だ」を「た」と書いてしまってるものである。濁点の付け忘れはやはりかな変換の特徴かもしれない。ローマ字なら「DAROU」であって「TAROU」とは普通は打たない。②は「る」落ちである。文字落ちも「ARUKOTO」と7文字打つところを、「あること」と4文字で済まそうとするから打ったはずの文字が落ちる。「AKOTO」などと打って変換することはないだろう。③も同様に「る」落ちである。けっこう「る」が落ちることが多い。
コメント

「田舎暮らし」を描いた人のこと

2009-01-19 12:26:10 | 農村環境
 「田舎者」で田舎をさげすんでみていた方は、「田舎」に住み始めての問題点を日記に記している。「過疎が進んでいる集落ほど「意識」が強く、よそ者を受け入れない。Nでは新しい道を作っているが早くも地元では道ができたって新しい人が入ってこれるわけじゃない。なんたってここはNだからね。よそ者に入り込まれちゃ迷惑さ」という言葉をあげて「これでは過疎がとまらない」と批判する。

 「よそ者が入れて欲しいならここの掟に従って当然。郷に入れば郷に従えだ。
至極当然のように聞こえる地元の意見だが、事情をよく理解していない。外部からの移住を拒んでも成り立つ地域ならともかく、よそ者を受け入れなければ過疎に歯止めが掛からない現状を認識していない。地元の事情で外部からの移住者を募っておいて、都合の良いところだけ地元優先では勝手が良すぎる」と言う。本人はそうした地域に入ることを解ってきたから「田舎暮らし」に溶け込もうとするが、なかなか我を通そうとする「田舎」に納得がいかないというのだ。

 果たしてN地区が総意でよその人たちを受け入れようとしたのか、それとも地区ではなくもっと大きな市の方針だったのかは定かでない。本人も言われているようにどこにでもある「過疎の地域の出来事」となるのだろうが、行政の思惑と地区の思惑が異なるのはよくある話で、さらにはどれほどその思惑をあわせたとしても、異論のある人たちがいるから思うようにはいかないものである。そしてここの問題は「田舎暮らし」に溶け込もうとしたと表現しているが、もともとそこに暮らしている人たちはこの人の言うような「田舎暮らし」をしているわけではない。ごくふつうの暮らしを昔からしてきたのである。よく言われることに「この地区はよそから来ても暮らしやすい」などというものがある。その「暮らしやすい」とは人によって捉え方が異なる。しかしわたしの印象では、昔の習慣を強要せず、現代の個の暮らしができる地域を言うように思う。ようは若者にとって住みやすいという場所にもなるだろうか。果たしてそういう空間が古い集落に出来上がっていくことが最良とは言えないのである。

 数年前盛んに足を運んだ中条村では、若い人たちを迎えるなどという政策をとったところでどうにもならない小さな集落があちこちにあった。この方の言葉を借りれば、村の政策が悪いということになってしまうが、そこに住む人たちは、今をしっかりと生きることが大事だと考えていた。もちろんそのうえで人口減少に歯止めがかかればこしたことはないが、すべての点在した集落が活気を取り戻していくということは不可能なのである。

 「過疎を防止するために外部からの移住者を受け入れようとするならば地元の良いところは積極的に発展させるが、改善すべきところは外部の視点に真摯に対応する謙虚さが求められる」という考えも当然のことで、この方の気持ちも十分に理解できる。ただしそのためにはいかに農山村という地域を理解していくかということにもなるだろう。わたしも同じ農村であるがよそから移り住んでいる。その土地の風習に慣れるのに10年はかかる。そしてその際に子どもがいれば地域と接する機会が多くなるが、子どもがいなければそうしたかかわりもなくなる。移り住んで者が古くからの地域で「地元」として生きていくには次世代でないと無理ではないかともともと考えていた。実際は住んでみれば次世代まで待たなくとも良いという印象であるが、それは地区によって異なるだろう。「田舎暮らし」をどういう描き方をしていたかは知らないが、田舎に限らずどこにでも裏と表の問題があるはずである。農事暦というものがあるが、例えば雪形を見て作業の目安にするというものがある。しかし、そんな風情のある都会人好みのものとは別に、隣の作業みながら自らの暦にするというものがある。簡単にいえば「人が始めたから自分も始める」というものだ。世の中の歩調に合わせていくものであって、マチ場とか現代社会の先にやらなければという風潮からいけばまったく笑いものの行動パターンかもしれない。しかし農業と農村の構造はだからこそバランスを保っていた。福澤昭司氏は「ヤマとサトとマチ」(『日本の民俗2』 2008 吉川弘文館)の中でこのことについてこう述べている。「かつて農作業を始める目安では、鳥が鳴くとか花が咲くなど自然の変化への着目と並んで、隣近所仕事の様子を見て始めるという人々も多かった。自分で考えず周りを見て動こうとする人々の傾向性は、事大主義だとか個人で責任を取れない日本人だとか、これまではマイナスの評価がなされてきた。しかし、ヤマ、サト、マチの関係においては、近隣の人々と同じ時期に同じ仕事をするという選択をしたからこそ、集団としての補完関係が生じたのであるから、あながちマイナスの傾向性だったとはいえない」というものである。そうした小宇宙を作り出していたムラに、合理的だからといってマチ場の意識が取り入れられるのがどこのムラにも適正だとは言えないのである。

 もはやそうした小宇宙を描いているムラは無いかもしれないが、単純に外部の目をあてたとしても、そしてその視点に順応したとしても平和なムラが描けるわけではないのである。
コメント

あかぎれ

2009-01-18 16:01:20 | 民俗学


 わけあって妻が指を痛め、最近洗い物をわたしが盛んにしている。そのせいか近年なったこともなかったあかぎれがわたしの指先に現れた。もともと乾燥肌のわたしは、水分を欲しがる肌なのだが、乾きも早い。それがわざわいしているかどうかは知らないが、ひとつ登場したと思ったら次へと増えていく。あらためて女性の苦労を知るわけだが、逆を言えばふだんそうした仕事をしない者には、その対策も解らないというのが事実だ。お湯を使って洗い物をするとよけいにそういう傾向があるというのも知らなかった。妻はふだんは自分があかぎれになっているのに、今年はならないというほど明らかな現象である。ひどくなるとどうなるのかは、記憶に無いことで予想はつかないが、しばらくは洗い物が続く。そういえば単身で暮らしていた数年前にも洗い物はしていたがこんな現象はなかった。自分の利用している食器を洗う程度ならあかぎれまで至らないということなのだろう。

 しかしこの痛みがまったく記憶にないわけではない。子どものころには手を真っ赤にしてあちこちにひび割れができていたことを思い出す。その場合は洗い物をしたからというものではなく、素手でふだん暮らしていたことで、また子どもだから肌が弱いということもあって、そんな状態になっていたのだろう。今でもそうした子どもの手を見かけることはあるが、昔とはくらべものにはならないほど、今の子どもたちは綺麗な手をしている。上品な時代になったものである。

 元旦に産土様の祭典の当番に出た際、直らいの片付けをした。社務所の洗い場は水が出ないし、寒いからといって少し離れたところにある会所を利用したが、厳寒の元旦にお湯も出ないところで洗い物をするというのはつらいものがある。それほどの人数ではないのに、それでも10人以上が利用した食器などを洗うとなると、そこそこの数となる。隣組の仲間と洗い物を始め、隣で湯沸かし器のお湯を使い、わたしは最後のすすぎを冷たい水でした。冷たいといってもすすぐだけだから冷たい水でも何とも思わない。これが水しかないとなれば大変だと思いながら洗ったものである。水道、そして湯沸し、そんなものが当たり前のように使えるからありがたいが、たまにそんな洗い物をするだけでもそのつらさは十分に想像できる。そうした環境の整っていなかった時代に、女性たちはこうした作業を日々行っていたわけである。そう考えてみれば、男性の日常の暮らしよりも、女性の日常の暮らしがより一層改善されたことがわかる。

 松村義也氏の『山裾筆記』にあかぎれについて記されている。「あかぎれの一番切れるのは足のかかとと、手の指先である。手の指先にできるあかぎれを「つまあかぎれ」と呼んだ。わら細工をする人は、つまあかぎれをよく切らした」と言う。そして、「あかぎれの養生には「あかぎれ軟膏」をそこった。黒くねり固めた軟膏で、竹の皮に包んであったり、貝殻に入っていた。それを少し温めて柔らかくし、ぱっくりと裂けた傷口にあてがう。そして焼け火箸の先でジージーと溶かし込む。熱いのをこらえ、こうして冬じゅう何度かそこうようにした」と言う。同じことを母がやっていた。母の使っていたのは貝殻に入ったやつで、居間に火床があって、そこにある火箸でよくやっていた姿をこの松村氏の文から思い出した。松村氏のごく日常の暮らしを捉えた記録は、わたしの目標だが、なかなかこう上手くは書けないし、知識も貧しい。この時代の暮らしでも、十分にこんな視点で捉えると楽しいことがたくさん見えてくるはずだ。


 撮影 2009.1.16
 伊那市駅の「駅猫」である。この季節、売店のある待合室は火の気はないが外よりはずいぶんと暖かい。そんな待合室のベンチの上に丸かった猫は、人の動きを気にしながらも、こうしてベンチを占領している。待合室に1人居たわたしの目の前で、やつは背もたれから顔を上げた。
コメント

闖入者の選択

2009-01-17 20:34:56 | ひとから学ぶ
 飯田線ではワンシートに先客がいれば、そこへあとから乗車してきた客が座るという例は、一般客が少ないことからそれほど見ない光景である。それほどといっても大人ならそうしたことを当然のようにするから珍しくないが、高校生が多いことからなかなかそうした光景にいたらないというのが実際である。ワンシートならともかく、ボックスの4人がけでも1人だけ座ってあとは空いている、そして立っている乗客がたくさんいるという風景も珍しくない。もちろんこの場合の立っている乗客はほとんど高校生である。したがって高校生ばかりだとしても、連れ合いのいない1人の高校生が座るボックス席が、1両に複数登場すると、席だけを見るとがらがらのように感じても、通路にはたくさんの高校生が立つという不思議なことになるのである。

 わたしはそんなボックスの1人がけの席に割り込んでいく闖入者のごとき存在なのだが、1人がけしている高校生は、だいたいいつも同じ顔である。このあたりから通学している友人のいない遠距離通学の人だったりすることが多い。そしてそうした席に闖入するから、いつも同じ顔の空間に入り込むこととなる。南下するほどに車内は空いていき、あとから乗車してくる客は数えるほどである。したがってできれば早く降車する高校生の席へと闖入していくのであるが、考えてみれば、それだけわたしが今度は1人でボックスを占領する時間が長くなることになる。多くの人が座ることのできる環境を目指すとすれば、できうる限り長く乗車する高校生の席に座った方が「人のため」にはなるのだろうが、そんなことを考えいる人はまずいない。誰も座らないことを知っているから、ボックスの空席へ1人でも立ち入っていくのである。

 いつも1人で座っているある高校生は、わたしが乗車して二つ目の駅で降車する。同乗している時間は、わずか15分ほどである。頻繁にその高校生の姿を見て、その空間に闖入していく自分は、「毎日来る奴」と思われるのも嫌だから、時には別の空間を探す。それでも彼の空間は座りやすい雰囲気を醸し出しいるので気がつくとそこに闖入していることも多い。ところが「やはり」という感じに同じ顔の闖入者に不愉快そうである。「そんな睨むなよ」とばかりに横目でわたしを見る。だから一層彼の空間に立ち入るのは気を使う。いっぽう彼の近くで同じように1人がけしている高校生は、前述の彼よりは二つ向こうの駅で降車する。彼は必至に自らの世界に入って本を読んだり勉強をしたりしている。わたしが闖入しても「意に介せず」といったところで、こちらも座りやすい雰囲気を醸し出す。ところが解っていても、二つの空間が並んでいたときに、わたしは前者の空間に座ってしまうことがある。それは二つ駅が違うということを身体が知っていて、自ずと早く降りる高校生の空間を選択してしのうのである。多くの人が座れる空間を認識していても、より多くの乗客が座れる空間を実践できない自分がいる。ただ、実践したとしてもそこに1人乗客が再び座ってしまえば同じことであって、意識する方が間抜けなのかもしれない。
コメント


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****