Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

闖入者の選択

2009-01-17 20:34:56 | ひとから学ぶ
 飯田線ではワンシートに先客がいれば、そこへあとから乗車してきた客が座るという例は、一般客が少ないことからそれほど見ない光景である。それほどといっても大人ならそうしたことを当然のようにするから珍しくないが、高校生が多いことからなかなかそうした光景にいたらないというのが実際である。ワンシートならともかく、ボックスの4人がけでも1人だけ座ってあとは空いている、そして立っている乗客がたくさんいるという風景も珍しくない。もちろんこの場合の立っている乗客はほとんど高校生である。したがって高校生ばかりだとしても、連れ合いのいない1人の高校生が座るボックス席が、1両に複数登場すると、席だけを見るとがらがらのように感じても、通路にはたくさんの高校生が立つという不思議なことになるのである。

 わたしはそんなボックスの1人がけの席に割り込んでいく闖入者のごとき存在なのだが、1人がけしている高校生は、だいたいいつも同じ顔である。このあたりから通学している友人のいない遠距離通学の人だったりすることが多い。そしてそうした席に闖入するから、いつも同じ顔の空間に入り込むこととなる。南下するほどに車内は空いていき、あとから乗車してくる客は数えるほどである。したがってできれば早く降車する高校生の席へと闖入していくのであるが、考えてみれば、それだけわたしが今度は1人でボックスを占領する時間が長くなることになる。多くの人が座ることのできる環境を目指すとすれば、できうる限り長く乗車する高校生の席に座った方が「人のため」にはなるのだろうが、そんなことを考えいる人はまずいない。誰も座らないことを知っているから、ボックスの空席へ1人でも立ち入っていくのである。

 いつも1人で座っているある高校生は、わたしが乗車して二つ目の駅で降車する。同乗している時間は、わずか15分ほどである。頻繁にその高校生の姿を見て、その空間に闖入していく自分は、「毎日来る奴」と思われるのも嫌だから、時には別の空間を探す。それでも彼の空間は座りやすい雰囲気を醸し出しいるので気がつくとそこに闖入していることも多い。ところが「やはり」という感じに同じ顔の闖入者に不愉快そうである。「そんな睨むなよ」とばかりに横目でわたしを見る。だから一層彼の空間に立ち入るのは気を使う。いっぽう彼の近くで同じように1人がけしている高校生は、前述の彼よりは二つ向こうの駅で降車する。彼は必至に自らの世界に入って本を読んだり勉強をしたりしている。わたしが闖入しても「意に介せず」といったところで、こちらも座りやすい雰囲気を醸し出す。ところが解っていても、二つの空間が並んでいたときに、わたしは前者の空間に座ってしまうことがある。それは二つ駅が違うということを身体が知っていて、自ずと早く降りる高校生の空間を選択してしのうのである。多くの人が座れる空間を認識していても、より多くの乗客が座れる空間を実践できない自分がいる。ただ、実践したとしてもそこに1人乗客が再び座ってしまえば同じことであって、意識する方が間抜けなのかもしれない。

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