2008年も終わりである。一応のごとく門松を立て、年取魚を口にし、田つくりや豆を食べ、紅白を見る。我が家ではこのスタイルが変わることはなく、噂にも上る紅白廃止が現実化すると、どこか寂しいと思うことは確実である。穏やかな日々であることが一番だとは思うが、悩みもまた深い。そういえば昨年末にもそんなことを書いた。1年が経過してどこまで悩みが解消されたかは解らないが、そこそこの楽観的諦めも必要だと諭す。
この1年、よく現場を歩いた。旧高遠町、旧長谷村、そして伊那市、最近は南箕輪村を盛んに歩く。自らの住む地、そして今まで歩んできたあまたの地、それぞれに違いはあるものの、いずれも農村、山村を歩いた。閉ざされた感のある地も、今や閉ざしていては先が無いと、さまざまに他へアプローチする。いかなる方法がその道を定めてくれるかは解らない。寺田一雄氏は「民俗調査の成果を現代に生かす」(『伊那民俗』75)において、野本寛一氏の遠山谷に対する再生の道に関する視点について触れた。農村・山村を多く歩いている研究者たちがいかにその実態を把握し、その策を見出せるかなどというのは、わたしにしてみれば過去から今に至るまでの課題であるが、いずれしても活性化を求めた視点では継続できないというのが結論だ。「遠山谷を細切れにしてはいけない」という視点はもちろんのことであるが、「遠山谷に泊まってもらう」とか「地場産業産品をどう買ってもらうか」などといった視点は従来からあるもので、ヤマに生きた人々は、マチやサトに住む人々以上に試してきたはずだ。むしろヤマの人々にサトやマチが教えられることは多いのだろう。「現代に生かす」とは地域を歩くだけではなく、現実との矛盾を把握するかである。けして民俗調査だけでは見えてこないものがあると思っている。
さて、先ごろ南箕輪村でこんな光景を見た。行く度に広い庭に出て作業をしている中年の女性がいた。その人は必ずといってよいほど庭に出ているのだが、まだガーデンが未完成ということなのだろう。風のガーデンほどではないにしても、あんなガーデンが今や人気なのだろう。とてもふつうの家庭では望むことのできないような庭であり、管理である。もちろんそのガーデニングを否定するものでもない。しかし、いっぽうでその脇に広がる水田地帯の畦には雑草が生い茂り、そこを歩くとふわふわと弱々しい反応を示す。管理できないでいる水田地帯が当たり前といえば当たり前なのだが、まだまだ耕作されているだけましという考えもある。隣接地でなくとも、荒廃を進める農村にあって、自らの空間だけを見事なまでに作り上げる姿をみるたびに、「今必要なことって何なのだろう」などと思ってしまう。農業を営む人々の意識にも問題があるし、農村に異空間を作り上げようとする余裕にも違和感はある。どうにもならないと言うしかない構造もおかしい。かつてなら庭に草があるだけでも「人には見せられない」と最低限のことはしたものなのだろうが、今や「忙しい」で了解される。それをもってして異空間を作り上げる人々に何も言えるはずもない。
そしてわたしも自らの庭の草を取りながら、同じことをしているということにもなりかねない。しかし、外も含めた空間で、自らの空間だけでもと思えばそれも必要だが、周りで大晦日も遅くまで働く農民の姿を見ていると、果たして同じ空間とはこんなもので良いのか、などとまた悩むのである。それをどうにも思わなくなったのは、農村が廃れたということになるのだろう。まだまだ歩き続け、そんな世界を見届けようと思う。
この1年、よく現場を歩いた。旧高遠町、旧長谷村、そして伊那市、最近は南箕輪村を盛んに歩く。自らの住む地、そして今まで歩んできたあまたの地、それぞれに違いはあるものの、いずれも農村、山村を歩いた。閉ざされた感のある地も、今や閉ざしていては先が無いと、さまざまに他へアプローチする。いかなる方法がその道を定めてくれるかは解らない。寺田一雄氏は「民俗調査の成果を現代に生かす」(『伊那民俗』75)において、野本寛一氏の遠山谷に対する再生の道に関する視点について触れた。農村・山村を多く歩いている研究者たちがいかにその実態を把握し、その策を見出せるかなどというのは、わたしにしてみれば過去から今に至るまでの課題であるが、いずれしても活性化を求めた視点では継続できないというのが結論だ。「遠山谷を細切れにしてはいけない」という視点はもちろんのことであるが、「遠山谷に泊まってもらう」とか「地場産業産品をどう買ってもらうか」などといった視点は従来からあるもので、ヤマに生きた人々は、マチやサトに住む人々以上に試してきたはずだ。むしろヤマの人々にサトやマチが教えられることは多いのだろう。「現代に生かす」とは地域を歩くだけではなく、現実との矛盾を把握するかである。けして民俗調査だけでは見えてこないものがあると思っている。
さて、先ごろ南箕輪村でこんな光景を見た。行く度に広い庭に出て作業をしている中年の女性がいた。その人は必ずといってよいほど庭に出ているのだが、まだガーデンが未完成ということなのだろう。風のガーデンほどではないにしても、あんなガーデンが今や人気なのだろう。とてもふつうの家庭では望むことのできないような庭であり、管理である。もちろんそのガーデニングを否定するものでもない。しかし、いっぽうでその脇に広がる水田地帯の畦には雑草が生い茂り、そこを歩くとふわふわと弱々しい反応を示す。管理できないでいる水田地帯が当たり前といえば当たり前なのだが、まだまだ耕作されているだけましという考えもある。隣接地でなくとも、荒廃を進める農村にあって、自らの空間だけを見事なまでに作り上げる姿をみるたびに、「今必要なことって何なのだろう」などと思ってしまう。農業を営む人々の意識にも問題があるし、農村に異空間を作り上げようとする余裕にも違和感はある。どうにもならないと言うしかない構造もおかしい。かつてなら庭に草があるだけでも「人には見せられない」と最低限のことはしたものなのだろうが、今や「忙しい」で了解される。それをもってして異空間を作り上げる人々に何も言えるはずもない。
そしてわたしも自らの庭の草を取りながら、同じことをしているということにもなりかねない。しかし、外も含めた空間で、自らの空間だけでもと思えばそれも必要だが、周りで大晦日も遅くまで働く農民の姿を見ていると、果たして同じ空間とはこんなもので良いのか、などとまた悩むのである。それをどうにも思わなくなったのは、農村が廃れたということになるのだろう。まだまだ歩き続け、そんな世界を見届けようと思う。