Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

高速道路がタダになったら

2008-09-30 12:36:21 | ひとから学ぶ
 民主党の公約の中に「高速道路無料化」というものがある。けっこう目立つ公約なので国民受けすることは間違いない。ただし、農家への所得補償も含め、これらは車をめったに使わない都会人たちにとってみればあまり有効ではない。

 このことについて民主党の2007年マニフェストには次のように書かれている。

「高速道路は、一部大都市を除いて無料とします。多額の投資をしながら有効活用されていない高速道路を生かすことで、地方を活性化するとともに、流通コストの削減を図ります。不透明な道路特別会計や官製談合などの実態を精査し、総合的な交通体系のあり方も勘案しながら、環境面にも配慮しつつ、具体的な無料化計画を策定します。無料化によってコストを削減するだけでなく、出入口を増設できることから、地方の高速道路が暮らしに生かせる道路としてよみがえります。また雇用の拡大、通勤圏の拡大、農産物、畜産物、水産物の消費地への流通コスト、時間コスト削減は、農林漁業など生産者の基盤強化にもつながります。民主党は、この政策を実現するために、高速道路原則無料化の基本方針と無料化に向けた道筋を示す「高速道路事業改革基本法案」を提出しました。国道管理業務・高速道路を中心とする道路維持管理のために設立する複数の法人等での受け入れで雇用確保に万全を期します。」

 流通コストの削減はどんなメリットがあるかといえば、農産物に限らず製品の運送費が削減されてコストダウンにつながるというものである。ここで考えなくてはならないのは、必ずしも流通に関わっている人たちにはメリットがないということになる。さらには出入り口を増やすことにより生活に密着した道路に再生しようとしている。果たして高速道路が無料になって本当によいのだろうか、と考える。

 例えばの話である。わたしが京都へ旅行するとしよう。午前5時47分発飯田線に乗車、豊橋に着くのは午前9時54分。こだまに乗って京都に着くのは午前11時28分である。所要時間5時間41分、総額10060円の片道の行程である。車だとどうだろう。約260キロ高速代金は6050円、燃料はリッター12キロ走るとして高速道路のスタンド標準価格175円で計算すると3792円となる。総額9842円で、一人で行ったとしても車が安い。そしてもちろんのこと所要時間は3時間くらいで半分である。ここから高速代金を除くとたった3792円となる。公共交通など相手にならない。ETC割引が進んできて、ただでさえ割引料金を利用すると3650円となる。最近電車を利用するようになって、「たまには電車で旅行でもしよう」とした際、少しくらい高いのは宿賃をいくらに設定するかというものに等しく、そこに少し違う贅沢をするかしないかという選択になる。ところが高速道路料金が不要となれば、一人旅だとしても車を利用したくなるのは普通である。こんなたまの旅行でもそういう選択になるのだから、日常ビジネスで利用する人たちはこぞって車に乗り換えることになるだろう。とすれば高速道路の混雑は目に見えている。もちろん事故が多くなり、危険な空間と化すことは必然である。前述したように国民にとって平等な還元を考えれば、必ずしも無料化が必要とはいえない。もちろん日本の社会構造が安定(食糧自給率が上がる施策が明確になる、とか公共交通機関の利用率が地方でも上がる施策が明確になるなど)した上での無料化なら解るが、現段階の無料化は、ますます地方の進むべき道を危うくすることは間違いない。選挙戦略としてそんな看板あげるというのなら“だまし”としか見られない。

 何より地方の人々がますます公共交通機関を利用しなくなれば、車しか足がなくなるということになる。そんな社会が最良だと民主党は思っているのだろうか。まずもって戦略的な発言としか言いようがないだろう。
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見識のない玄人

2008-09-29 19:16:03 | 民俗学
 見識のない寄稿文がまた掲載された。「伊那民俗」(柳田國男記念伊那民俗学研究所)への投稿者は多様であるが、いっぽうでこうした見識のない有名人に頼る傾向がある。どこか現状の政治や、地方の自治政策に似ている。有名でなければ、いつまでたっても下支え、そしていつまでたっても素人でなくてはならない。だからわたしも素人の視点として、間違っていようとも見識のなさを批判する。

 「馬鹿も休み休みいってほしい」を連発し、さらには「馬鹿」を日常語として利用する演出家の星野和彦氏がその寄稿人である(2008/9/13発行74号)。わたしは有名人とはいえ、この星野氏のことなどまったく知らない。だからきっとわたしの意に汲む部分もあるのかもしれないが、あくまで今回の見識のない文だけを対象に述べる。少しばかり「馬鹿」を連発するブログを拝見したが、あくまでブログを日記と判断するわたしには言葉遣いだけが印象に残った。

 「宗教教育を疎かにしてきた半世紀」では武士道について触れている。「究極的行為「ハラキリ」もたんなる自殺ではなく、己の名誉をまっとうする意志の強固さを具体化する手段で、自ら信じる価値、正義のためには生命を犠牲にする崇高な行為であり、決して罰の視点から論ずべき行為ではない。武士道こそ日本人に内在する宗教であると論じた」と明治中期に国連事務次長をした新渡戸博士の言葉を紹介し、その後日本人は無節操な無宗教集団になり下がり、強いては多くの民俗祭事の崩壊を招いたと解く。確かに戦前の生まれの人たちは祭祀国家日本らしい教育を受けてきたから神については詳しい。しかし、それをもって現状に結びつけ「祭りが滅びる」と結論付けるのは疑問だらけである。であるならば、祭りだけを保護しようという偏った理論としかいえないだろう。そして武士道と口にするが、日本人はみな武士であったわけではない。さらには「日本国」を意識したのは明治期以降のことで、特に戦争というものがそうした意識を高めたことは言うまでもない。とすると、明治以前のごくふつうの民衆にそんな意識があっただろうか。もちろん意識がなくとも、そうした根底にあるモノという捉え方はできるかもしれないが、やはり現実に対するこじつけた理論としかいいようがない。

 「「経済効果」というお題目のもと、1月15日の成人の日はいとも簡単に前の日曜日に張り付いてしまった。三連休なら旅行もし易く、消費が促進される、という理由からだった。長い正月休みのあと、すぐに旅行に行きたがる馬鹿はそんなにいないから、結局JRが潤い、ディズニーランドが儲かるだけというお話だ。」と小正月の崩壊を解くが、民俗学研究所たる崇高な名称を掲げている所報にこんな解き方をする人の文を載せてほしくないものだ。そして「壊した犯人の政治家たちは、伝統習俗を無視しながら「ふるさと再興」などという空念仏をとなえている。」と言い、口癖の「馬鹿も休み休み言って欲しい」となる。思うに祝日法改正の背景は政治家だけの意図ではないはず。むしろこの国の農村の破綻は、まず国の役人の認識のなさ、そして政治もそうだが、部外者の意見に耳を傾けすぎた結果といえる。ひいては農村の人々が農村を捨てたおかげの出来事でもある。なくなったあとに嘆いているのはよくある話であって、むしろ問題の根源はほかにあるとわたしは考えている。

 祭りのイベント化についても触れている。星野氏の言う通りであるが、捉え方がどこか部外者的なものであり、そこへこの口調で批判されるからまるでこの所報が民俗文化保護団体発行と名を変えているようにも捉われる。人々の暮らしを捉えようとしているのたなら、もっとそうした人々の実情を捉えた上でこきういう発言をしてもらいたいものだ。極めつけはテレビ批判でまとめていることだ。取材クルーの祭りの場での行為から「祭りは一瞬にしてテレビ用のイベントと化し、お笑い・大食い・おバカの延長戦上に並ぶ」と評す。さらには「都で落伍した不勉強な女子アナ」とか「地方を食い物にする都会の三流タレント」と罵倒し、しまいには「無心に祈る善良な田舎者にたいして、テレビ・クルーは謙虚に…」と、こうした祭りの場に集まった人々を「田舎者」呼ばわりするのだ。来て欲しくないのは祭りを誤解して見ているあなたのような人です、と言いたくなるのだ。こんな人の発信で祭りが保持できると思ってもし掲載しているとすれば、掲載している側にも間違った思想があるとしかいいようがないだろう。
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それぞれの思い入れ

2008-09-28 20:03:53 | ひとから学ぶ


 生家のある地域の祭りについて昨日別の日記で触れた。この地域の男たちは、誰もが秋の祭りに思い入れがある。同じ日、桶振りで知られる飯田市山本の七久里神社の祭りが行われ、大三国の下、桶を頭上にかざして振る姿が地元の新聞に掲載されて目を見張った。こちらは600年以上続くとされる伝統の祭りだという。わたしも20年ほど前に何度か祭りを訪れたことがあるが、よく知られていることもあって見物客はたくさんであった。もちろんのように絵になる桶振りの姿を写真家に納めようとアマチュアカメラマンが殺到するわけであるが、そんな光景には当然思うところがあったものだ(そういう自分もカメラを構えていたが・・・)。しかし七久里神社の大三国は、見ている人まで火の粉が飛んでくるということはなかった。境内が広いということもあるのだろうが、花火の仕掛け方や大きさにも違いがあるのだろう。そこへいくと生家のある飯島町本郷の大三国は、狭い境内で揚げられる。その狭い境内の周辺に地元の人たちが集まるわけであるが、日の粉の届かないところで見るというわけにはいかない。だからどうしても別日記で触れたように火の粉は飛んでくる。その火の粉の下、こちらは桶は振らないが、小型の長持ちのようなものを2人で担いで競いをする。この長持ち風のものは賽銭箱なのである。桶振りも賽銭箱の競いも、どちらも火の粉の下で競いをするもので同じ意味である。桶を頭上に上げていれば、火の粉が頭の上に落ちることはすべてではないが避けられる。そういう意味で、頭をさらけ出して競いをするという構図の中で、頭上に桶を掲げるというのも当初は火の粉を払い退けるという意味があったものだろうか。その桶に注連縄が張られていて、振ればその注連がひらひらと火の粉を払い退けるように見えるところからもそう考えてもおかしくない。ところが本郷の祭りでは頭上に何かを掲げるということはないから、巣頭の状態で火の粉を受ける。もちろんその状態で火の粉を受ければ、見事に髪の毛は燃え、頭の地肌に焼け跡が残る。土地を離れても厄年の際にはそんな火の粉の下で競いをしたもので、しばらくは火傷の跡は消えなかった。さすがに高齢化社会ということもあるのだろうが、競いをする人たちもかつてに比べると若い人が少なくなり、年老いてきているから髪の毛が大事である。清内路の花火でもよく見るようなヘルメット姿が多くなったというのが感想である。

 こんなところからも、やはり火の粉の下で競いをするものの、その火の粉を払い退けるという考えは、昔からあったに違いない。ところで、祭りも古いほどに価値があるという印象でみな扱う。だから600年の歴史と、本郷のように明治期に始まった煙火奉納とは比較にはならない。しかし、地元の人たちに600年前から生きている人たちはいないわけで、執行している人たちの歴史はほとんど変わりはない。そういう見方でいけば、思い入れはどちらも同じである。そこを忘れてはいけないし、そこを忘れて民俗を語ってはいけないとわたしは思っている。わたしは文化財保護者ではない。



 さて、そんな花火が揚がっている際に、境内の外の夜店には子どもたちが少しではあるが集まっている。花火よりも夜店という子どもたちもいるのだ。今は毎年こうして夜店が数軒であるがやってくる。ところがわたしの子どものころ、一度夜店の一店もない年があった。その寂しさというか子どもたちの嘆きは口には出さなかったがとても大きかった。夜店があるからこそ、「何か」を買うためにお小遣いがもらえたわけだから・・・。

参考に
2007「ムラの祭り①」
2006「大三国
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「住まう」とは②

2008-09-27 15:52:30 | 民俗学
「住まう」とは①より

 日々住まう家について多田井幸視氏は「その時々の生業や生活と関連し、養蚕や商い、収穫物に応じて住まいが成り立ってきたのである。このような綿々と連なる住まいの歴史が、全国各地に残る特徴ある家造りとなってきたといえる」(『日本の民俗5 家の民俗文化誌』2008/8 吉川弘文館)と言う。風土とともに家造りは変化し、とくに自然環境に適応した構造をもたらしてきたといえるだろう。そういう意味では、現代の家は多種多様であるとともに、かつてのような地域ごとの特徴を見せなくなったということはいえるかもしれない。もちろん構造上必要な設備は必要なのだろうが、家の形という面では確かに一様なものは見られなくなった。生業とかかわって構成されてきたという面からみても、生業が地域の独自性を示さなくなった以上、その住まいも生業に左右されることはなくなる。総サラリーマン社会である以上、必要な構造は生業によってもたらされるのではなく、個人の趣向によるところが大きくなる。強いては地域性などというものがなくなる。

 さらには「同じ屋根の下で暮らす家族や地域住民との信頼とか連帯のなかに喜びを感じ、生きる力の元を見出す人も多いことだろう」というように、家が安定しているからこそよそに対しての心の持ちようも穏やかになっていくものである。「生きる」ということはそうした総合的な日々の安定の中に存在するものであって、どこかにほころびのようなものがあると、なかなか暮らしはスムースではなくなるのである。そうした安定を求めたのは、わたしも同じであた。長子ではないということてもあって、いずれは家を出ることは確実なことであると認識していた10代、そして20代。そうした不安定な立場を安定した立場に導くには自らの持つ家というものが必要なのである。たとえば「自分の城を築く」という言葉があるが、家の中でほかを遮るように自分の空間を築くのもそうした心のありようだと思う。いまや子どもたちが自らの部屋を持ち、そしてその入り口に鍵を掛けるケースもあるだろうが、安定した空間は、自らの居場所なのである。そういう空間は、少なからず大人になれば家=自宅となると考えていたのはわたしばかりではないだろう。だからこそ、自らよそに安定した空間を持とうとしただけに、自宅を持つというこに対して、ことさら執着していた自分がいたように思うのだ。おそらく持ち家ではなく、仮住まいで生まれ、そして育った人たちにはそうした意識はないのかもしれない。子どもながらに自家が生家でありながら将来にわたって住むことができないとすれば、そうした安定の空間としての家を思い描くのは異常な発想ではないとわたしは思っていた。もちろんまわりにいる人たちより少しばかり過剰にそう思っていた部分はあったかもしれない。さらには親が「お前はいずれは家を出なくてはいけない」、「家を建てなくてはいけない」という言葉を何度も口にしていれば、自ずとそういう意識が強くなるのも当然のことなのであろう。親の躾の中で育まれた意識ともいえる。

 他の家で生まれ育ったわけでもなく、誰もが我が家は一つであることから、そうでない環境ならどういう意識を持っただろうと想像してみても答えは浮かばない。自分の家が暮らしやすいなどと思うようなことは子ども心にはなかったが、「ここには住みたくない」と思ったことは一度もない。ところが、世の中には「こんなところは人の住むところではない」と自らの家を評す人がいないわけではない。どれほど不遇の家に住んでいるかは住んで見なければ解らない、と言われてしまうのだろうが、果たして自分がそんな言葉を口にする人の家に生まれたらどうだっただろう、などと考えても他人ごとに終わってしまう。

 実はこうした生家の意識については奥が深いと思っているが、今回の「家の民俗文化誌」の中では触れられていない。むしろ神とか妖怪といった家の空間に縛られた人々の意識のようなものが中心となっていて、家を人々がどう意識していたかという部分では、構造的な視点で多田井氏が触れているのみである。しかし、どれほど狭い家に住んだ人にしろ、どれほど広い家に住んだ人にしろ、不具合はあってもそこで暮らすというのは当たり前の意識であったはずだ。そしてそうした不具合はいかにその時代の人々の暮らしにとって比重の大きなものであったかについては、なかなか現在において想像するのも難しい。確かに風土に、自然に沿った家造りはされたのだろうが、はたしてそれは他人の視点であって、暮らしている人たちがどう捉え、どう不具合を解消したかとという部分は解りづらい。そして果たして地域やそそれ゛の暮らしに適合していたのかも頭を傾げることはある。家は制約のある中で地域色を出してきたといった方が良いのかもしれない。

 続く。
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フジバカマ咲く

2008-09-26 12:27:24 | 自然から学ぶ


 この夏ずっと注目していた花がある。オミナエシである。注目というほどのこともないが、常に目にしていてその花期の長さに改めて良さを感じたということである。7月から咲き始めた黄色い花は、盆も過ぎ、9月に入っても長らくその色を目に焼きつかせてくれた。今までこの花をそれほど意識もしなかったのに、なぜか花期の長さを印象づけられた。花の咲き方も「淡い」印象を与えるが、花の終わりはさらに淡いという印象を与える。たとえば一時見事な姿を見せるアジサイのような花の終わりの惨めさはない。アジサイといえば、花期後に花びらが黒ずんで見た目はかなり悪い。それを印象付けるだけ、花の季節が一層目立つのだうが、あの黒ずみ方はなかなか後味が悪い。桜のように散ってしまえばそのまま花の姿も残らず、まさに散り際を感じさせる花もある。いつまでもなごり惜しく姿をあらわす花よりもすっかり姿を消す花の方が良いという人もいるかもしれないが、意図的に咲かせている花には長くもってしいものであるし、楽しめることもありがたいものである。

 近くに寄ってみればすでに花期は終わっているのだろうが、遠目に見ているとオミナエシはいつまでも淡く黄色を見せる。その姿がまつになごり惜しく感じるところが盆花として似合う。確かに「割り切りのないやつ」と言われるかもしれないが、こんな感じの野の花は少しくらいあってほしい。だいぶ少なくなったと言われるこの花も、今年はそんな意識で捉えていたためか、けっこう目にした。増やそうと努力している人たちもいるのだろうが、野にもそこそこ自生している。

 そんなオミナエシがフジバカマが咲くまで淡く姿を見せた。そしていよいよフジバカマに変わるようにその姿を消していく。フジバカマもアサギマダラの寄り付く花として知られ、最近とくに意識的に増やそうという事例が多い。妻も実家の周辺に何年か前から増やそうと努力をしている。もちろん昔から自生しているものも咲いているが、その気があればけっこう増えてくる。アサギマダラもやってきて例年楽しんでいるようだが、先日そんなフジバカマの周辺で注目して見て見たが、アサギマダラの姿はなかった。この花にはアサギマダラだけではなくたくさんのチョウがやってくる。毎年ヒョウモン系のチョウはいろいろ、そしてシジミ系からシロチョウ系とさまざまだ。チョウが集まれば他の昆虫も多様である。スズメバチまでやってくる。

 写真はスジボソヤマキチョウだろう。ヤマキチョウとよく似ていることからわたしにはその区別がつかないが、おそらく前者だと思う。本州に生息するシロチョウ科の中では比較的大きく、モンシロチョウと比べるとふた回りほど大きい。体が大きいチョウはなかなか一定して留まっていない種が多いものの、このチョウがフジバカマに留まると、近寄ってもまず逃げはしない。夢中になって蜜を吸っているという感じで、なかなかおおらかなチョウである。ところが、長らく留まってはいるものの常にこの状態で、翅を広げるということはまずない。おそらく飛び立つとき、あるいは留まるときくらいしか表を注視することはできないのだろうが、なかなかそんな瞬時にその姿を注視することもできない。
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草刈り

2008-09-25 12:31:17 | 農村環境


 水面の上を盛んにトンボが飛んでいる。チョウと違って動きが激しいからなかなか静止画は撮れない。

 昨年は忙しかったこともあった。頼りにされてはいたが、稲刈りに行けなかった。生家では稲刈りも脱穀も一緒、いわゆるコンバインで刈ってしまうし、営農組織が確立されていて、個人の手はあまり必要とされない。だからもう20年ほどは生家の稲作りにはかかわっていない。普通ならそのまま農業を離れてしまうものなのだが、生家とは正反対で、妻の実家は年々人手が必要になっている感じである。その理由は父母が老齢化や体が不自由で田んぼに出ることができない。年を重ねるごとにそれが嵩んでいくのはしかたのないことで、その分妻が農業にかかわる時間も多くなるのだが、なかなかできの悪い息子に引っ張られて思うようにいかない。

 今年の稲刈りは今までにないすごさがあった。山間ではいまだにバインダーで稲を一通りずつ刈る。かつてコンバインが一般的になっていなかった時代には複数条刈りのバインダーというものを見たことがあっが、今はそんなものはない。「稲刈り」とひとことで言うが、おおかたは脱穀も同時に行う作業を指して言うのが今の姿である。山間で狭い田んぼにコンバインを入れている姿も見るがあまりにも窮屈そう。妻の実家の周辺でもコンバインを入れる家があるが、そういう家は広い道に沿っていて、区画も整形である。そこへゆくと妻の実家の田んぼは不整形というかひょうたんのような形のものまである。よその人はそれを「農村風景」と喜ぶかもしれないが、やっている方は並々ならぬものがある。先ごろ食糧事務所の人が調査に来たという。妻は具体的には詳細を理解していなかったので明確なことは言えないが、どうも耕作放棄地を調べているようだった。その調査に来ていた人に「何をしているんですか」くらいのことを妻が聞いたのだろう。だいたいが水田地帯の中で他人が歩いていたりすると、不審者のように思われても仕方ない。わたしもそういう仕事をしているから、そんな具合に声を掛けられることはよくある。時間と余裕があれば立ち話でもしたいのはやまやまだが(けっこう興味のあることが浮かんでいて聞きたいと思うこともある)、仕事の進捗が頭に浮かび、あまり話しかけて欲しくないと思うのが常である。加えてこの時代にはいろいろの人がいる。調子に乗って話でもしていると一時間くらい過ぎてしまうこともある。できうれば近くに寄ってきてほしくないと思うようになるものなのだ。そんな気持ちがあったのかどうかは定かではないが、その人は簡単に理由を述べたあとに「よくやっているよねー」という言葉を何度も繰り返していたという。あまり話しかけてほしくない時というのは、意外に本音の言葉が出るものである。説明して「あーそうですか」くらいにすぐに立ち去ってくれれば良いが、そうでもないとまるで言い訳をするように言葉を続ける性格の人がいる。公務員にはまたそうした人がけっこういるかもしれない。この「よくやっているよね」は、こんな田んぼでよく耕作をしているね、という意味である。言われてみれば確かに田んぼをやる環境としては恵まれていない。一応道が隣接しているだけはまだ良いかもしれないが(隣接していないところは既に耕作放棄している)、畔と畔はどこをとっても平行ではない。平行に造ったであろう畔も、経年の変化で膨らんでいる。すると自然と蛇行してくるものなのだ。畔と田面の比率が四分六くらいの土地では直すこともできずそれもしかたのないことである。

 さて前置きが長くなったが、そんな田んぼが草だらけで稲を刈っていくと束ねられた稲株の半分くらいに草が束ねられているのである。草丈はそれほど長くはないものの、ちょうど刈る高さくらいまで伸びているため、稲刈りならぬ草刈り状態になってしまうのである。道端で人に見られないところで良かったと思わず口にでるほど。いや、道端の人目にさらされる田んぼでもそこそこ同じ草が生えていて、「草が少ない」と口にするような田んぼでも、よその家の田んぼの稲刈り後の姿と比べればかなり異なるのてある。もちろんいつになく収量も少なそうで、かつ稲を刈るのにも時間を要す。「いくらなんでも」と思うのは自分の失態ではあるが、「こんな稲作りをしていちゃだめだ」と手伝っていても「なんとかしてほしい」と思う光景であった。

 人事のように言われた「こんなところ」で、よく見れば草だらけの稲を作って、きっと篤農家には馬鹿にされるような田んぼの光景であったが、二日間の稲刈りが終わった。コンバインで刈ればはざを作る手間も脱穀に要す時間も必要ないが、とてもそういう農業のできる環境ではない。食い扶持を稼ぐために、こんなかろうじて生き残っている農業が存在していて、耕作放棄地の促進を防いでいることをお国の人たちは理解できないだろう。
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気がつけば水の流れ

2008-09-24 18:41:06 | 農村環境
 夏の間、一滴も流れていなかった水路に、気がついたら途絶えることなく、水深2センチほどの水が流れている。水深2センチとはいっても勾配が5パーセント以上あるから、一秒も流れる数メートル先に行っているんではないかというほど早い。だからそこそこの水の量である。

 西天竜幹線水路は、9月の半ばから半月ほど、夏の間満面に流れていた水が、見事に消えてなくなっている。かんがいの時期が終わって、次の発電のための水を流すまでの間は、まったく水は流れない。夏の間に西天竜幹線用水路の水の供給を受けている地域では、幹線水路から分水された水が、西から東に向かって小さな水路を流れ下る。水田にはもちろん水がたんすいし、転作されずに米作りがされているところでは、水路の傍を歩くにも長靴でないとなかなか歩けない。ようは水路も老朽化し、漏水したりしているから、傍の地盤も軟弱化している。あのいわゆる「ぐちゃぐちゃ」な土手を歩いていたことを思うと、水の止まったあとの水田地帯はみごとに「カラカラ」であり、長靴でなくても歩けるようになる。その環境の差はあまりにも大きい。ということで、普通はかんがい期間には水が流れていて、そうでなくなれば乾ききっているというのが普通の農村地帯の水路なのであるが、我が家の横を流れている水路はかんがい用の水路ではないことから、まったく逆の様子を見せる。先ごろ大雨が降った際も、そのときだけは水路に水が流れたのに、すぐにからから状態であった。それが途絶えることなく連続的に水が流れ始めたのだから、どうしたものか。水というものは不思議な生き物なのである。

 そういえば、ちまたの農業事情が変化してきたのだから、水利権水量を減らせというのが国土交通省の主張である。毎年毎年改廃が進み、耕作地が減少していっているのだから、かんがい用用水量が減少して当たり前だ。そう思うのは確かに一般論である。加えて水については不足気味。ようは水道水はもちろんのこと、下水道が整備されてきたことにより、水の利用目的が変化してきていることは確かである。とはいえ、農民といえば昔は水争いが激しかった。過去の話、などと簡単には言えない。水争いはもちろんのこと、用水路を開設するために延々と遠方から水を引くなどということも珍しいことではなかった。そういう意味でも今まで先代が、先々代が、さらには祖先が導いた水の道を簡単に手放すわけにはいかない。ところが農民がいなくなれば、そんなことは「過去の話」と簡単に言う人も少なくない。歴史的な背景が軽んじられる農業の現状を見れば、そう言われても、では「国民に説明ができるのか」といういわゆる説明責任はなかなか果たせない。歴史なんぞまったく意味をなさない事例もちらほらする時代ともいえる。

 ちなみに用水の権利を持つ側は、農業事情の変化、いわゆる水利用の集中化などを理由に河川管理者の理解を得てきた。ところが、この時代、前述したように用水量を一部放棄する事例も出てきて、それを河川管理者も突いてきているのだ。前述したように水は不思議な生き物であって、本当の意味で水がどれほど必要なのか、などということをデータで示せといわれるとわたしははっきりいって無理だと思っている。とくに河川からの取水量と他からの供給量が計算される場合は、取水量はともかくとして、他からの供給量は難しいことが多い。加えて、水利用の実態などというものを把握するのは不可能である。あくまでも経験的な計算で算出してきた用水量になんくせつける国土交通省の暇さ加減もなかなかのものとわたしは思っている。でもそうしないと既得権所有者に勝てないということになるのだ。お役所、そして許可、そんな実態からして騙しあいのようなもので、ちまたの事故米問題なんていうのもこの社会で自らが生きていくための騙しの世界ではないだろうか。悲しいかな、これが現実、ということだろうか。
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役人

2008-09-23 19:47:25 | ひとから学ぶ
 ある(大)●●市での話と言う。運動会が開催されている真っ最中に、教育委員会から電話が入る。問題の転売事故米が混入したでんぷんが卵焼きに使われていることが判明したから、本日中に子どもたちにお詫びのプリントを作成して持たせるようにという指示だという。運動会の真っ最中、こうした問題に対応するのは教頭先生の役目。そんな役目の教頭先生は、運動会の進行に対しても大きな役目を負っているのだろうが、教育委員会のご指示ともなればそちらを優先しなくてはならない。運動会はそっちのけでその対応に追われたという。

 とまあそんな会話が我が家ででんぷん問題のニュースが流れる中で交わされた。いいねー、このなんでもない会話には奥深い問題が隠されているとともに、わたしの毒舌が始まる。「そんなの教育委員会がお詫び文を作って、“この内容で学校長名で子どもたちにプリントを渡すように”と通知すればよいのに、お役所らしく命令したんだよね」と想像の粋の言葉を発する。わたしの場合はあまり情報もないのに勝手に想像している部分も多い。いいかげんなものなのだが、けっこう雰囲気は合っていたりする。もし教育委員会がそこまで配慮して通知を出していれば、教頭先生がその対応に追われて時間を潰すなどということもないだろう。緊急情報ならその情報の説明と、その後の対応の仕方だけ統一して流せばよいだけである。そのあたりをお役所らしく問題に時間をかけてあーでもないこーでもないと時間をかけるのは得意である。もしそうした配慮がされていても時間を要したとなれば、だいたいそんなお役所らしい行動の悪さが溢れているのだろう。給食センターでその材料を利用したわけで、それらの判断の責任、ようは材料を決めたのは教育委員会の責任であって、学校の責任ではない。それをなんとなく学校長名で出すとなれば、責任は薄まる。もちろん教育委員会だってそれほど責任があると思っていないだろうが、お役所らしい責任の所在とその理由付けに対しての先々のことばかりが見えてくる。もちろん(大)●●市といえば、何かと「こんなに人がきていったい何するの」みたいに打ち合わせにしても人が大勢やってくる。大勢でかかわって責任転嫁させるのか、はたまた威圧しようとしているのか定かではないが、無言の人たちがただただ回りにいて、対応する相手は言葉が出せないほどに空間は役所に支配される。県内でも「(大)」(この場合の(大)は、嫌味でつけているわけでかつてある長野市民だった同僚が揶揄してよく使ったのである)がつくほど稀な人余り状態ではないかと思えるような役所である。もちろんこれも印象だけのことであるが、わたしのかかわった空間では、いつもそんな風景だった。「こいつら来たなら仕事をしろよ」と思うのは言うまでもない。そんなことを知っているから、今回の毒舌へとつながる。妻はわたしのそんな発言に、「そうか」と納得する。とはいえ、またまた公務員叩きをするからその先は「うんざり」状態に陥る妻。「一派ひとからげにしないように」といつもたしなめられて会話は終わる。
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時間つぶしの時

2008-09-22 12:25:50 | つぶやき
 日曜日、どんよりした曇り空の下、仕事で会社に向かう。休日出勤というわではない。このところの天候で稲刈りができず、平日に仕事を休まなくてはできそうもないことから、休日に仕事を間に合わせておこうという考えで仕事に向かったのだ。どう考えても個人で仕事が進められるわが会社は、個人主義になりがちだ。それを「チームで」という言葉もよく聞こえるのだが、大金を稼ぐ仕事ならそれも解るが、小銭稼ぎのような仕事では、なかなかそういうわけにはいかない。担当した仕事をそれぞれが成果品まで仕上げる。だから個人差も出やすいのだが、こういう仕事だからそれぞれが仕事の予定を調整することが可能となる。低落していく会社だが、この自由さだけがうりで、わたしもここに身を潜めている。それがなければ、とっくにおさらばだ。

 ということで、いつもの通り電車で会社へ向かう。帰路は駒ヶ根市に用事があって小町屋て途中下車する。そこから次の電車まで約40分。小町屋は無人駅だから、用事にそれほど時間を要さなければ一つ手前の駒ヶ根駅まで歩いて戻る。電車に乗っているとけっこう距離があるような気がするが、歩いてもたいした距離ではない。時間つぶしにゆっくり歩いても時間をもてあますほどだ。一ヶ月ほど前に駒ヶ根市役所に届け物があって同じように小町屋駅から駒ヶ根駅まで歩いた。通りの名前は解らないが、国道の一本東側の道沿いには、軒を連ねて家が続くが、そんな中にけっこう飲み屋や店がある。ほとんど人通りもないが、夜歩くとどうなんだろう、などと少し楽しくなるような道である。実はマチの中をこんな具合に歩くのが好きである。わたしにとっては田舎道を歩くよりは、マチの道を歩く方が興味がわく。田舎育ちの人間は、自分の環境とは違う環境に興味がわくのは当たり前なのだ。ところがマチ育ちの人間が田舎道を歩いて興味のわく人は少ないだろう。そんなことがあるから、マチは人を集めるのだ。マチの灯りが恋しいのは、マチの人間ばかりではなく、田舎の人間も等しい。暗闇よりは灯りの点るところを選択するだろう。

 半分くらいはシャッターの下りた広小路通りはともかくとして、狭い路地裏はいかにもマチらしい姿を見せる。もちろん広小路が賑やかならそれにこしたことはないのだが、今までにも触れてきたように駒ヶ根駅前のマチは閑散とした状態で、マチらしい姿は消えている。いや、そんな閑散としたシャッター通りが現代のマチらしさかもしれないが、かつての広小路を知っている私には許せない姿である。車が往来して渋滞する場所はマチではない。そんな場所にしか求めるものがないから仕方なく足を踏み入れるが、人の歩くマチで求めるものが間に合えば、その方がわたしには似合う。昔懐かしい看板で構えている店があったりするとなかなかのものである。荒れ果てて草ぼうぼうの田舎より、シャッターが下りていても「意外」なモノが見えるマチは楽しい空間である。駅前でマルトシという食料品店に時間つぶしに寄ってみる。郊外の大規模店ほど客はいないが、そこそこ客がいて、品物もそこそこ並んでいる。驚いたのは刺身のコーナーの脇にたくさんの寿司が並んでいたことだ。そればかりではない。なかなかふだん訪れない者には興味のわく惣菜が並ぶ。外部の製造ではなく、店の名前が張られているものは、いったい内容物がどういうものなのか、このところの食材問題にも関係して興味がわく。惣菜にはそんな表示が義務付けられていないから、真新しく見えはしても、まさか外材など入っていないだろうと思うしかないが、たとえば今回のメラミン問題。材料表示は「牛乳」とあるだけで輸入牛乳と表示されているわけではない。店に並ぶ素材ではないモノ(加工品)は、原産国表示がされていないから、ほとんど輸入品と思っていれば間違いはないかもしれない。

 わたしの乗る電車の時間がやってきた。駒ヶ根駅からの乗客は5人と少し。わたし以外はほとんどわたしには解らない国の言葉を交わしていた。けっこう休日には電車でやってきて、郊外のニシザワなどの大規模店まで歩く外国人がいるという話を聞いた。そんな人たちがビニール袋に商品を詰め込んで、帰路に向かうのだ。
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玉子焼きになぜ「でんぷん」なのか

2008-09-21 12:42:06 | つぶやき
 長野市内の小中学校に納められていた給食用の玉子焼きに事故米が混ざっていたという報道がされた。例の事故米については、完全に関係業者が発表されているわけではない。西日本を中心に流通していたということは、発表された関係業者名からもうかがえるが、これほど大量に流通していた以上、どこにでも紛れ込んでいた可能性はある。加工用材料に関して、生産国はもちろん、その課程の流通業者が明示されているわけではないから、食材などというものはいかに「信用するもの」が前提であるかが解るだろう。それを不審であると見ることじたい、違和感のある世界の話である。

 わたしのようにふだん料理にかかわっていない人間だからこんな素人な印象を受けるのだろうが、玉子焼きになぜ「でんぷん」が必要なのか、ということになる。妻に言わせると「そんなの常識でしょ」と言うが、もちろん自宅で作る玉子焼きにでんぷんなど必要ない。だから「そんなの常識でしょ」という妻が常識だとは、じぶんのなかでは信じがたいのだが、店頭に並んでいる惣菜の玉子焼きの世界では当たり前のことなのである。でんぷんを使うのは型崩れしないためとも言うが、それだけではないだろう。玉子だけで焼いたものとでんぷんをつなぎとして混ぜたものでは、当然同じ大きさのものを作る際に玉子の数が違ってくるはずだ。ようは嵩ませるために役に立っているのだろう。品質第一という日本の加工品に限らず製品意識、そこから生まれる発想は「均質」である。それも毎日同じでないと納得しない。自宅で玉子焼きを焼いて、「今日は焦げてしまった」で済むかもしれないが、製品として出荷される場合はそうはいかない。品質を上げる、そして毎日同じものを供給する、そんな意識のなかで、この国の食材も工業製品と同じ感覚に変化してきたのである。農産物などをみればそれはよくわかる。均質な野菜を作るなどということは、なかなか難しいことなのだがそれを望んできた。まさに工業立国した国の成功に裏打ちされてきた意識といえるだろう。

 そんな均質化と言う面において、玉子焼きにでんぷんが必要だったのかもしれない。型崩れしないためにということは、ようは出来上がった製品がいかに変わらず消費者の食卓に並ぶか、ということになる。そしてそんな意識が学校給食に必要かと問えばノーなのであろうが、食材を提供する側は競争のなかでそういうわけにはいかない。なぜ学校給食の玉子焼きに「でんぷんが必要なのか」という問いをしない限り、この国の事情はどうにもならないのだろう。常識と言われるこうした事情が問題があることは言うまでもないが、果たしていかなる方向に改善されるのか、またされないものなのか、長い時間が必要なのたろう。

 息子が同級生の弁当に入っている玉子焼きがあまりにもきれいなので、そのことを問うと「だってこの玉子焼き、チンだもん」と回答があったという。今回学校給食に出された玉子焼き同様、冷凍玉子焼きなのである。そんな玉子焼きを食べてその同級生は東大を目指しているというのだから、農水省の現実を見たり、といったところではないだろうか。
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事故米転売にみる不幸

2008-09-20 19:47:20 | つぶやき
 性善説を口にすることじたい「甘い」と批判されている農水省。この報道のどこかにまさに終焉を迎える地方が散りばめられている。無能だったのか、などというレベルではないことを国民も農水省も十分認識することになった今回の事故米の転売事件。食べ物でこのところ問題になることといえば、輸入農産物関連ばかりである。自給率が4割以下といわれるこの国にあって、起こるべくして起こった問題といえるだろうし、こうした問題には性善説はありえないと口々にする報道も国民も情けない状態であることはいうまでもない。驚くべきことは加工用だけに使われていたかとおもえば、ぞろぞろとおにぎりなど加工されない米の姿を見せた品物にも化けていたという事実が明らかになる。和菓子を作っている人たちが「信用していた」と口にするように、消費者だけではなく、流通上で無知であった人たちの被害も大きい。しかし、米の姿で化かしていた人たちは、果たしてプロとして米を見て解らなかったのだろうか。米は国内で十分供給可能だというのに、工業製品を出荷している国としては、相手国の要望に応じて米を輸入せざるを得ない。そうした背景で入ってきた米が、一般の主食としても利用されたとなると、わざわざ問題の材料をただ安いからというだけで口にしていたとしたら、この国の食糧事情は最低レベルを超えているだろう。管理限界を超えたモラルの低下は、どこから派生しているのか、それを解決せずには、同じような事件は続々と続くだろう。もちろん食料業界だけではなく存在するものであるだろう。健康被害という自らの体に返ってくる問題だからこそ大賑わいの問題となっているが、そうした直接被害を被ることのない商品に同じような「不正はある」と性悪説でかかわるのが「常識」だと考える国、日本なのである。

 しかしそこまで口にする国に、まともな子どもたちが育つと思うだろうか。点数を取るための教育はできても、生きるための教育は、すでに学校ではできなくなっているといっても過言ではないだろう。そしてでは家庭でできるかといえば、家庭はすでにそれを放棄して学校に求めてきた。しかし、性善説が唱えられないともなれば、親たちは危機感を持って当然なのだが、その親たちに「人を見たら嘘つきだと思え」とか「泥棒だと思え」と教えられる子どもたちが悲惨であることは言うまでもないし、そんなものは人を育てるための教育の範疇ではない。今何をするべきか、というところが、日常においてすべて見えていないのである。それは子どもたちの世界だけではなく、大人たち、とくに生業としている場で常にそうした行動が展開されている。頭もよく、処理量も多いのだろうが、果たしてそれは必要なことなの?、と質問する人がいなくなっているのだ。なぜ業者が嘘を通してきたのか、そしてそれを内部から「問題視」する声があがらなかったのか、これは国民のモラルの問題を映し出している。「なぜ」という言葉を口にしなくなった人々は、問題が起きない以上、嘘をつき続けるのである。

 輸入量が多いともなれば、そうした流通にかかわる人たちも多くなる。この国は生産の場を他国に求め、自らは他国で生産されたものを流通させるために働いているのだ。モノを作るという生業を消し去ってきた。このままで良いとも思わないが、なるべくしてなった環境が十分にあった。これを生産という意味の生業に戻そうとすれば、この国の人々の給与ベースは落ちることになる。ようは政治、個人そして社会は、正常な状態、常識ある生業を構成する体制にないのである。それを熟知しているとも思えない政治、そして世論、もはや今回の事件を批判する立場にほとんどの人がないといってよい。小池百合子は言う。事前に検査に入ると言って入れば、まずいことを隠すのは当たり前、と。まさに民主党ばりの指摘である。政党を渡り歩いて生きた首相候補は、国民目線の良いことしか言わない。これこそ今の日本の姿である。
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50円ばばあ

2008-09-19 12:30:05 | ひとから学ぶ
 太田光は、NHKで放映された爆笑問題のニッポンの教養「“学校の怪談”のヒ・ミ・ツ」において「50円ばばあ」について触れた。初耳のフレーズなのであるが、怪談話ではなく実在する人の話として紹介している。学校帰りに近道すると「50円よこせ!」といって婆さんが通せんぼするというのだ。その事例の具体的設定は紹介されていない。たとえばその道が公のものでなく私有地を通過するものなのか(「林」と言っていたから民有地か?)、あるいは公の道ではあるものの、何らかの私有空間があって、その空間を利用して意図的に通行料を取ろうとしているのか、また完全なる公の空間で子どもたちを利用して金銭を稼ごうとしているのか、実際の背景によってはその視点は違ってくる。怪談ではないにしてもこうした語りが存在しているところに、子どもたちにとって怪談だろうが噂話だろうが、背景はそれほど関係ないという意識が見て取れる。おもしろい話を作るのは子どもたちの自由な発想からなのだろう。そしてそこに「怖い」とか「汚い」といった特別な意識が必ず織り込まれていくことで、より一層物語りにひきつけられていくのである。50円ばばあも太田によると怖かったという。話の筋から太田は「見たと言い張っていた」というから、学校の間で誰もが見たことがあるわけではなく、「あそこを通ると50円ばばあが出るというもので、話しぶりからすれば妖怪話に似ている。けして妖怪ではなくても話しそのものは妖怪となんら変わらないものと変化していく。場面の雰囲気から推察すれば、よそ様の土地を勝手に「近道」だからといって通ることに対して、とても不愉快に思っていた地主が、「通るのなら50円支払え」と催促することにより「認めてもよい」という了解が生じているのである。子どもたちにとっては道とよそ様の土地も関係ないわけで、「近い」と思えば通りたい。しかし世の中の常識では民有地を勝手に通ってはいけないという認識があるものの、「そのくらいいいじゃないか」という駆け引きになってくる。これは子どもの社会だけにある感覚ではなく、大人の社会でも十分にあるケースで、そこに居合わせた人が、「この方が得策」だと思えば、少しくらいいけないことと解っていても行動を起こす。よそ様の土地を通る、という行為にはそうした駆け引きが常にある。

 きっと太田の中では「50円よこせ」という予想外の求めが印象深く、またそれを求めた婆さんがすこしばかり妖怪じみて見えたから噂話、しいては妖怪話に近いランクまで押し上げられたのだろうう。昔の子どもたちにとって、日常顔を合わせるおじさんやおばさんに対して印象を冠して○○おじさんとか、○○おばさんといった称号を与えることがよくあった。もちろん現代においても少なからずそうした子どもたち独自の共通した称号を持った大人が存在しているのだろう。簡単に言えば愛称ということになるのだろうが、角度を変えるといじめにつながったりする。しかし、それをおおらかにみていた時代と現代とでは差があることは誰もが感じていることで、実在の妖怪もかつてに比べれば絶滅危惧種ということになるだろうか。
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囲われた人為的空間

2008-09-18 12:39:27 | 自然から学ぶ


 昨年までは犬の散歩で頻繁に訪れていた近くのため池を、先日久しぶりに訪れてみた。相変わらずため池とはいうものの水はあまりたまっておらず、水面は堤体の上からは遥か下の方に見えている。このときだけ水位が低いわけではない。その証拠に現状の水面から堤体上まで草がしっかりと生えている。すり鉢状のため池内が緑で覆われているのである。ようはこのため池、水利目的に造られたものなのだが、現在はほとんど利用されていないのである。かつては水田であったところが果樹園化されて水利用が減ったために、ため池に頼らなくてもよくなったのか、ほかに水源が確保されるようになったものか定かではないが、いずれにしても昨年まで訪れていたなかでも、あまり管理されているという印象はなかった。

 そのため池に写真のような囲いがされていた。まだ囲いがされて2ケ月くらいだという。コンクリート柱で囲まれ、その柱から柱へと有刺鉄線が張られている。子どもたちが遊びに来て落ちないようにという代物ではない。そういう施設であるならば有刺鉄線まで張られることはめったにない。加えて囲いは南側の一部にされているもので、ため池の水面を囲うようなものでもない。看板にこう書かれている。

○土地に生えている野草の採取はしないでください。
○自生する植物を大切にし次の世代に残しましょう。
○豊かな自然を守り永く後世に伝えましょう。

 自生している草花の保護を目的に囲われたものなのだろうが、この看板の脇と、反対側に入り口があって開放されている。完全に有刺鉄線で囲ってしまわれているわけではない。囲おうとした人たちはきっとまったく入れないように、という意図があったのだろうが、それほど頑固な囲いに対しての少しばかりの抵抗もあって開放されている空間が登場したのかもしれない。この地域にはこうしてコンクリート柱で囲われ有刺鉄線を張られた同じような空間をあちこちで見ることができる。過剰な保護施策と思うのだが、「盗まれる」という事実から発想するにしてもそこまでして草花だけを対象にした保護の意識が意味のあるものだろうか、と考える。ここにはもともと「草花を採取しないように」という看板が立っていたわけではない。ふとみるとワレモコウが咲いていたりセンブリが咲いていたりと、自然が良く残っているため池だということに気がついたくらいで、意識していない人たちにはほとんど立ち入るような場所ではなかった。中央時ドアう車道の傍にあって、ため池の堤体がドーンと見えているため、そこを走る車からよく見えるということもあってのことか、草花が盗まれるということはあったようだが、何度も訪れていたが、それが頻繁であるとか、明らかに荒らされているという状況を見た覚えはなかった。そこへいきなりのこの空間の登場なのである。

 実はこの看板の奥にオミナエシが目立って咲いているが、昨年まではオミナエシはこの場所に咲いていなかった。「自生する」とは言うものの、これらは今年植えられたものである。妻に「自生といっているけれど嘘だよね」と言うと、「一応自分で生えてきたわけだからまるっきし嘘でもないんじゃない」と言う。隣にはフジバカマも咲いていて、これらもアサギマダラを呼ぼうと今年蒔かれたもののようだ。「後世に伝えましょう」という言葉を言うからには、草花の側からだけ見た言葉ではなく、人々の心の問題にも対応されたものであって欲しい。ようはまず看板を立てて保護に取り組んでいます、と表明し、その上でどれほど盗まれようと、地道に盗まれない環境作りを進めるのが第一であって欲しいわけだ。マツタケ山のように盗まれることによって大きな代償を払わなければならないようなケースであっても有刺鉄線を山中に張ることはない。せっかくの景観との調和もだいなしとなったこの空間は、まさに作られた空間である。
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学校の怪談

2008-09-17 12:26:43 | 民俗学
 平成5年のことである。「学校の怪談と子どもの民俗」というテーマで長野県民俗の会で公演をしてもらったのは常光徹さん(ふだんは“氏”の表記するのに今日は“さん”と書くところにわたしの“気持ち”が入っている)だった。昨日NHKで放映された爆笑問題のニッポンの教養は「“学校の怪談”のヒ・ミ・ツ~民俗学・常光徹~」というものであった。少し歳をとられたがあのころの常光さんと若さはあまり変わらないだろうか。なぜそう思うかといえば、比較的声静かに話される方で、いかにも怪談話に合わせているような話しぶりをイメージしている。それに比べれば、ずいぶんと明るい表情だったことも、年月の経過を感じさせなかった。映画「学校の怪談」が流行ったのはちょうどそのころだった。このトイレでの怪談話については、以前触れたことがあったのではないかと探してみたが、「怪談」を直接扱ったものはなかった。しいていえば「〝わたしにとっての「便所」〟の第8章」において「陰の世界」について触れたことだろうか。

 そこでは「どんなに便所空間が明るくなろうと、便器から闇の世界が見えなくなろうと、「トイレの花子さん」のように、便所にはお化けの話が絶えない。精神的に不安定になる空間というものが、あの空間にはあるように感じる。かつてのポットン便所なら、便槽の中から手が手でくるという話もうなづけるが、今の便器から手が手でくるという発想はなかなか難しい。でも、怪談話でもしたあとに、あるいは妖怪の話をしたあとに、今の便所に行ってみると、あながち手が出てきても不思議ではない、とそんな気持ちになったりする。それほど不安定な空間なのだ。ほかの方はどう思うか知らないが、かつての和式便器は、陰部と便器の間に隙間があった。ところが今の座便器にはその隙間がない。和式にあわせて言うなら、便器に腰を下ろして蓋をしているようなものだ。だから、あの暗い世界がかつてはウンチをしながらのぞくことができたが、今はひたすら尻を下ろして蓋をして暗い世界を自ら作っているわけだ。だから、その空間は用を足しているあいだは、のぞくこともできない。それは大きな不安な時間でもある。陰の世界に陰部だけを放り出しているのだから」と書いた。トイレという空間が異界へと誘うところ、と言ってしまえば民俗学的なのだが、実は太田光が面白いことを口にした。太田らしい発言であって、番組ではそこを深追いすることなく、加えて常光さんも太田の突然の言葉に少しばかり躊躇したまま番組は幕を閉じた。しかし、この太田の言葉には大きなものが隠されているようにわたしは捉えた。太田は学校で「ウンコをしているやつがいると、なんでしているんだ」と大騒ぎになったという。学校ではウンコをするものじゃないという共通認識が子どもたちの間にあったからこそ、そういう現象が起きる。一歩間違えるといじめにつながる場面であって、もしかしたらそれを「いじめ」と認識している人たちもいるに違いない。しかし、この言葉の背景には、子どもらしい気持ちが入っていたように思う。子どもたちにとって「ウンコをする」という行為は、とても特別なものなのた。それはことウンコだけではなく、子どもたちの世界にとっては神秘的とも神聖とも捉えられる行為、あるいは事象があるに違いない。

 小学校高学年のころだった。友だちがトイレ掃除の時間に「性交」(当時はセックスという言葉は一般的ではなかった)について話題になって、「そんなことするはずがない」と口にした。ようは子ども心にそんな行為が許せなかったに違いない。そして「天皇陛下がそんなことをするのか」と反論した友達に対して、仲間も明確には答えられないでいた。神聖な世界、自分たちとは違う世界の人たちたは自分たちとは違う、という認識があったとともに、そうした人たちが自分たちと同じような欲望に駆られた行為にでるはずがない、まただからこそそんなことをしなくても子どもはできるんだという願いが根底にあった。まだ世の中の情報に乏しく、また成長過程の子どもたちにとっては、そんな疑問を持つことはごく当たり前のことだったのだろう。同じような話として、とっても美しい女性がいたとして、「あんな人がウンコをするはずがない」と思うことが子どものころ、とくに男の子たちにはあった。許されない行為をたまたまトイレ掃除のときにしたのも何かの縁があったのかもしれないが、子どもたちにとって「してほしくない行為」がされる空間を特別視するのはごく当たり前だったのかもしれない。加えて「ウンコは汚い」というごく共通の認識もあって、物語化することもあるだろうし、明確にできない空間、行為の場所はおのずと「噂話」のネタ元になるものなのだ。だからこそ異界であるという言い方はできるかもしれないが、子どもたちにとってはそんな解説は不要な場所であると思う。どこか民俗学という世界が、この空間を特別視する。太田光ではないが、解るのだがそれだけではない、あるいはそんなに解かないで欲しいというものであるような気もするわけだ。

 そういえばウンコをしたくない、という捉え方では〝わたしにとっての「便所」〟の第1章において触れていた。

 「とくに大便所にはあまり行かなかった。便所の印象が「悪かったから」といってしまえばそれまでだが、それは今だからそんな解釈をするだけかもしれない。なぜか大便所には行かなかった。やはり子どもにとっては、板の間に口を開けている便所は好きではない。常に「ここに落ちたら・・・」ということが頭に浮かぶ。もちろんきれいなものではない。そして、溜まっているウンチはもちろん、ウジが迎えてくれる。とても今ではイメージがわかないかもしれない。大人だったら違うかもしれないが、子どもにとっては「したいときにスル」程度に考えていれば、毎朝必ず用を足すなんていう考えはなかった。だから便秘になるのも必然的なことだったかもしれない。ガマンすることは得意で、一週間くらいウンチをしない、なんていうことも頻繁にあったように記憶する。子どもだからしたいと思ったら、草むらに行ってするのである。もちろんふく紙なんていうものは持っていないから、そこらにある葉っぱをむしってトレペの変わりにしたわけだ。とくにつたの葉を使った。大きくてごわごわしていなくて、加えて破れにくければいいのだ。それでもとても食生活は良好とはいえなかったから、お尻はよく汚れている。だからなんども拭かないときれいにならない。加えてやわらかいウンチなんかした時には大変なことだ。時には葉っぱが破れて素手で拭いていたりする。ちょっと想像をはるかに越えてしまうかもしれない。そんなこともよくあった。わたしだけのことではない、子どもたちはそんな経験はみんなあった。そう思うと、昔の草むらには、ウンチが葉っぱで覆われている、なんていう光景がよくあったものだ。気をつけないと、人のウンチを踏んでしまう。いや、踏んでしまったこともある。」というものである。少し違う意識かもしれないが、もしかしたらもともとウンコをするという行為は非日常的なものだったのではないだろうか。

 参考にこの便所の話については「便所のはなし8題」と題して別途まとめている。
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自殺の背景

2008-09-16 12:48:41 | つぶやき
 9月10日の世界自殺予防デーに因んで、毎年、9月10日からの一週間を自殺予防週間とされている。その最後の日が今日である。自殺については今までにも何度か触れた。自ら日記を検索してみると次のようなものが記録してあった。

 長寿「長野」とは言うけれど
 自殺のはなし

 厚生労働省大臣官房統計情報部人口動態・保健統計課のデータを伺ってみた。公のものだから転載させていただいても問題ないだろう。よく言われているように、最近は年間3万人以上の自殺者数を数えるという。交通事故死者数より遥かに多いことなどからも、国が自殺予防週間を設けて意識を高めようというのも解らないでもない。しかし、自殺に関してはなかなか簡単なものではない。交通事故におけるクレーム問題にしたって、公の機関はほとんど役には立たない。ましてや警察などというものは、ヤクザに脅されようとそれほど期待はできない。そんな経験もあるわたしは、公の機関はあくまでも癒し程度のものであって、本当に困っている際には行かないほうが良い、と思っている。余計なことを述べてしまった。いずれにしても自殺は身近にいるものにとっても解らない世界のものだろう。悩みは深い。








 若いころ「死んでやる」という言葉を何度も使ったことがある。けして自殺しようとしたわけではないが、それほどこの社会に対して思うところがあった。若い人たちがみなそうであるとは思わないが、まず親に対して、そして社会に対して反抗心を燃やすときが少なからずあっても不思議ではない。それを純真などという言葉で形容するのも正しくはないと思う。けして昔は自殺者が少なかったとは思わない。今以上に苦しい生活の人たちも少なくなかったはずだ。ところが最近身近で若い人たちが亡くなっている。それだけではない。もう少し長いスパンで見ても、わたしの周辺で若い人たちが次々と亡くなっていっている。原因はなぜか、解りはしないが、そんな現実を見る限り若い人たちに自殺が増えているのかなどという印象すら持つ。ところが自殺死亡率の対10万人当たりの死亡率を見る限り、近年若い人たちが自殺に走っているという傾向は見られない。とするとわたしの身の回りでの現象は何なのだろう、などと考えてしまう。各県別の自殺者数データは公表されているが、果たして自治体別のデータというものはあるのだろうか。

 高年齢層において男性の自殺者数が増えているという。生活苦が理由の最たるものと言われるが、わたしの印象では若い人たちの方が目に付く。全国的なことだからこの地域がどうなのかといえば異なるのかもしれない。ただ、そんな印象では何も言えないが、自らの息子を見ていても思うが、世間に対していかに対抗していくかという時に、難しい面が今の若い人たちにあることは言うまでもない。かつてのようにおおらかな社会性はない。数字で求められるのは学校ばかりではない。学校は数字が出なければそれなりに目標を下げれば良いだろうが、社会はそうはいかない。そうした弱さが、現代の若者の就業状況を招いている。それをわたしたちは若者のわがままとは言えない。それほど社会からおおらかな心が消えているということである。逃避することで自殺が抑制されているとしたら、これほど悲しいことはない。生活苦のようなものはその理由がはっきりとする。しかし、若者の突然の死の背景は霞んでいる。そう思う。だからこそ、何よりも若者の自殺に対して、社会はもっと重要視するべきである。
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