Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

気がつけば水の流れ

2008-09-24 18:41:06 | 農村環境
 夏の間、一滴も流れていなかった水路に、気がついたら途絶えることなく、水深2センチほどの水が流れている。水深2センチとはいっても勾配が5パーセント以上あるから、一秒も流れる数メートル先に行っているんではないかというほど早い。だからそこそこの水の量である。

 西天竜幹線水路は、9月の半ばから半月ほど、夏の間満面に流れていた水が、見事に消えてなくなっている。かんがいの時期が終わって、次の発電のための水を流すまでの間は、まったく水は流れない。夏の間に西天竜幹線用水路の水の供給を受けている地域では、幹線水路から分水された水が、西から東に向かって小さな水路を流れ下る。水田にはもちろん水がたんすいし、転作されずに米作りがされているところでは、水路の傍を歩くにも長靴でないとなかなか歩けない。ようは水路も老朽化し、漏水したりしているから、傍の地盤も軟弱化している。あのいわゆる「ぐちゃぐちゃ」な土手を歩いていたことを思うと、水の止まったあとの水田地帯はみごとに「カラカラ」であり、長靴でなくても歩けるようになる。その環境の差はあまりにも大きい。ということで、普通はかんがい期間には水が流れていて、そうでなくなれば乾ききっているというのが普通の農村地帯の水路なのであるが、我が家の横を流れている水路はかんがい用の水路ではないことから、まったく逆の様子を見せる。先ごろ大雨が降った際も、そのときだけは水路に水が流れたのに、すぐにからから状態であった。それが途絶えることなく連続的に水が流れ始めたのだから、どうしたものか。水というものは不思議な生き物なのである。

 そういえば、ちまたの農業事情が変化してきたのだから、水利権水量を減らせというのが国土交通省の主張である。毎年毎年改廃が進み、耕作地が減少していっているのだから、かんがい用用水量が減少して当たり前だ。そう思うのは確かに一般論である。加えて水については不足気味。ようは水道水はもちろんのこと、下水道が整備されてきたことにより、水の利用目的が変化してきていることは確かである。とはいえ、農民といえば昔は水争いが激しかった。過去の話、などと簡単には言えない。水争いはもちろんのこと、用水路を開設するために延々と遠方から水を引くなどということも珍しいことではなかった。そういう意味でも今まで先代が、先々代が、さらには祖先が導いた水の道を簡単に手放すわけにはいかない。ところが農民がいなくなれば、そんなことは「過去の話」と簡単に言う人も少なくない。歴史的な背景が軽んじられる農業の現状を見れば、そう言われても、では「国民に説明ができるのか」といういわゆる説明責任はなかなか果たせない。歴史なんぞまったく意味をなさない事例もちらほらする時代ともいえる。

 ちなみに用水の権利を持つ側は、農業事情の変化、いわゆる水利用の集中化などを理由に河川管理者の理解を得てきた。ところが、この時代、前述したように用水量を一部放棄する事例も出てきて、それを河川管理者も突いてきているのだ。前述したように水は不思議な生き物であって、本当の意味で水がどれほど必要なのか、などということをデータで示せといわれるとわたしははっきりいって無理だと思っている。とくに河川からの取水量と他からの供給量が計算される場合は、取水量はともかくとして、他からの供給量は難しいことが多い。加えて、水利用の実態などというものを把握するのは不可能である。あくまでも経験的な計算で算出してきた用水量になんくせつける国土交通省の暇さ加減もなかなかのものとわたしは思っている。でもそうしないと既得権所有者に勝てないということになるのだ。お役所、そして許可、そんな実態からして騙しあいのようなもので、ちまたの事故米問題なんていうのもこの社会で自らが生きていくための騙しの世界ではないだろうか。悲しいかな、これが現実、ということだろうか。

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