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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ホンヤリ

2007-01-31 08:12:29 | 民俗学
 先ごろ「三九郎からの伝言」のなかで正月の松焼き行事の日程が、かつて多くの地域で行われていた小正月から移行して、地域ごとばらばらになってきていることに触れた。年中行事の中でも、比較的継承されてきている松焼き行事は、正月の松飾りが継続して飾られているということを証明してくれるものだ。しかしながら、その松飾りをしない家も最近はよく目にする。いずれ松飾りが衰退すれば、この行事も再び衰退を始めるのかもしれない。いっぽうで、野で公にモノを燃やすことができるだけに、「火を囲む」あるいは「火で遊ぶ」など、共同で火にかかわるということが皆無に近くなっただけに、火への憧れのようなものが継続の力となるのかもしれない。

 松本平では三九郎と呼ばれているが、全国的にもこの一帯だけに残る呼称である。そして、ほとんどの人がこの地域では三九郎と呼んでいて、いかにその行事が人々の印象に残っているものかを教えてくれる。同じようにある一帯だけに特徴的に呼称が残っているものに、「ホンヤリ」がある。これも長野県内で呼ばれているもので、上伊那郡南部の飯島町あたりから飯田市の南に隣接する地域にかけての天竜川流域(伊那山脈の東側では一般的ではない)の一帯である。三九郎の呼称の語源もさまざまで明確なものはないようだが、こちらも明確な意味はよくわからない。火祭りのなかでうたわれた歌詞にも「ホンヤリホーホ ホンヤリ殿はバカで ・・・・」とホンヤリが登場するがその言葉は何を意図しているのだろうか。

 さて、三九郎と呼ぶ地域のようにすべての人たちが「ホンヤリ」とは呼ばない。ドンド焼きといわれる共通語を使う人たちも多い。もちろん共通語が一般化してそう呼ばれるようになった部分もあるが、例えば妻はもともとドンド焼きと呼んでいる。飯田市に隣接する地域に生まれ育ったが、その地域はもともとドンド焼きが普通だったようだ。ということで、ホンヤリだけが画一的に使われているわけではないが、かつて毎日のように妻の実家に通っていた息子は、どう考えても伝承という意味では妻の実家の方に影響されている。わたしはホンヤリ地域に生まれ育ったからホンヤリが当たり前だと思っている。そこで息子に写真を見せて「この行事はなんと呼ぶか」と質問したわけだが、息子は「ホンヤリ」と回答した。もちろんドンド焼きという呼び方も知っているが、ホンヤリと呼ぶ地域で行事に加わわってきたことにより、それが標準化しているのである。地域で暮らす、育つとはこういうことなんだ、と少し納得できる息子とのやり取りだった。

 参考記事「飯島町高尾におけるホンヤリの変容

 この松焼き行事について、「どんど焼きは国民的行事 小正月行事の全国調査集計(平成16年版)」というページがある。全国的な行事の呼称が紹介されている。
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隔たりのある憲法論議

2007-01-30 17:54:02 | ひとから学ぶ
 「憲法を9条を守る会」というものがあちこちに組織されている。憲法改正論議が活発(?)となって、いよいよ改正も間もなくというところだ。そんな会の会議に出席したこともある妻は、その会員にもなっているようだ。確かに子どもたちに、孫たちに再び戦争を味合わせたくない、とは誰でも思うかもしれない。悲惨であることぐらいは、経験なくとも多くの日本人はある程度認識している。ただ、今議論されている原点には、では有事の際に日本は戦場に丸腰で出て行くのか、という現実的な課題をどことなく感じているからだろう。そうした現実に彩りを加えたのは、北朝鮮の拉致問題である。平和であった日本の国内で、知らぬ間に拉致されて、人道的とは思えない国の戦略として利用されたとなれば、ただごとではない。ある意味では、その拉致問題にかかわってきた者が首相になったということは、拉致問題が国策に利用されたということになるのだろう。果たして、拉致被害者家族は、肉親を取り戻すために戦争を前提に北朝鮮に立ちむかえといっているのか、そのあたりは、策略もあるのか表にはされていない。同様に拉致被害者も、そうした背景をすぐさま口にすることはない。

 地元の「憲法9条を守る会」に寄せられた意見を読むに付け、その気持ちはよくわかるが、ではこうした国の動きを止めるほどの声にはまったくなっていない。参議院選の争点にも、ある一部の政党を除けばほとんどあがりもしないだろう。にもかかわらず、地方の小さな町にも活発な動きはある。いや、活発ではないのかもしれない。自民党優勢の地域情勢はなんら変わらない。そんななかで、そうした活動に自民党の市町村議員を含めて多くのリーダーは積極的ではないし、耳も貸さない人は多い。「党派を越えて」という見出しも見えるが、やはり自民党という大政党のなかに、そうした意見は少なく、加えて民主党も改正には賛成ぎみであって、今の国政の流れを止めようとする声は大きくない。内閣支持率が下がったとはいえ、こと憲法問題は、すでに結論が出ているような雰囲気さえ感じる。結局党派は絞られた形になってしまうから、そういう意味でこの活動は少数派になる。

 「記事とコメントにうんざり」で触れたように、世界の中で日本が確かな存在を示すためには、集団的自衛権行使は必然のものという流れがある。当然憲法改正を前提にしたものである。もちろん戦争をするための憲法改正でないと説明されているが、すでに実戦ではない戦争をするための布石なのである。日本という国が、世界にあって誇れる国、とは当然のごとく他国と同等の主張かできる国であって、いつまでも隣国に後ろ指刺されるような関係ではないことを証明していきたいわけだ。経済大国になったがゆえの、負けられない戦なのかもしれない。このちぐはぐな国は、どこか視点が不統一で、つまるところ経済が優先、だから国力をあげなくてはならない、というところにつながっている。貧乏であってはならないのだ。どんなに地方がなくなろうとも、必要なのは「日本」(美しく見える)という看板なのだ。だからこそ、「愛国」という言葉が必要なのだ。愛国のために、小事はあきらめなくてはならない、そういいたげだ。すでに、「戦争をしたくないから」という理由は理由にならなくなりつつある。だからこそ、「あの時代、再び」という言葉が出てくるのも当然である。ぜひとも憲法9条の会は、櫻井よし子氏を呼んで、議論してほしいものだ。わたしもその議論をぜひ聞きたい。
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三九郎からの伝言

2007-01-29 08:15:06 | 民俗学
 『信濃』(信濃史学会)1号に、窪田雅之氏が三九郎の現状を報告している。三九郎は、一般に言うドンド焼きのことで、松本地方を中心にそう呼ばれている。独特な呼称からも、この地域独自の印象が強いものであるが、行事そのものはそれほど他と変わるものではない。ただ、古くは傍らの道祖神に小屋がけをして、通行人に対して通せんぼをしたともいう。小屋がけは他の地域では現在も行なわれているところがあるが、通せんぼについてはこの地域らしいものといえる。子どもたちにとっては楽しい行事だったこともあり、三九郎をノスタルジックに捉えている大人は多い。そんなこともあるのだろう、子どもたちに継続していって欲しい行事として捉えている向きがある。

 さて、わたしも成人の日の変更についてはいろいろ思うところがあるが、三九郎をめぐる現状報告に、行事日の変化があげられている。平成11年に調査された399箇所のデータでは、1/8が0箇所、1/14が217箇所1/15が169箇所とあり、ほとんどが小正月に行なわれていた。ところが、平成11年の祝日改正にともない日程は動き出す。今年の場合は、1/7が110箇所、1/8が218箇所、かつてもっとも多かった1/14が88箇所となっている。今年の場合は1/14が日曜日であったということもあるが、そうでなければもっと少ないことも考えられる。あまりの変化はノスタルジックな大人たち、とりわけ年寄りたちには違和感があるだろう。とはいえ、行事が大人たちがノスタルジックに思うほど子どもたちが楽しく捉えているかは別である。自主性のなくなった形骸化した姿はどこにでもある。大人たちがノスタルジックに思えば思うほどに、生きた子どもたちの行事は失われてゆくのが今風だ。

 「美しい日本」などといって愛国心を持たそうとしている国策にしては、休日のあり方は正反対の方向ともいえるが、経済至上主義が根底にあるのだから、それも正しい国策なのかもしれない。市議会で「三九郎の日」を設定して休日にしたら、なんていう議論もあったようだが、市側はそんな考えはまったくない。具体的な内容は知らないが、市側の答弁を見る限り、この国は末端の自治体も「国策には無口」という姿をあからさまにしている。取り上げる気持ちなどさらさらなさそうだ。しかし、地域ごとに事情もあるのだから、地域ごとに休日を設定する、なんていう考えは良いことではないかとおもうのだが、まさに戦時中ニッポンを再現させるようなやりとりだ。

 なぜもこう画一的なのか、そう思うが、かつて農休みといって田植え後に定められた休みは、地域や集落ごと長が触れを出して休日を決めていた。そんな具合にもっと自由であってよいではないか、と思うのはわたしだけだろうか。「いやー困った。来年(平成19年)の三九郎を一月六日にやりたいっていう町会が出てきちまって。まだ七日前だがさ、どうすりゃいいかねぇ」というある育成会長のの言葉を紹介しているが、伝統をどうしても踏襲するのが良いと一概には言えないが、はたしてこの国の伝統を重んじる美しき国は、どこへ行った、というところだろう。なーんだ、意味わかってないんだ、などと思ってしまう。
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外食をとるなら諦めろ

2007-01-28 01:59:29 | ひとから学ぶ
 JR東日本系列のホテルメトロポリタン長野で、宴会やレストランで客に提供した冷凍キャビアや冷凍うなぎなどの一部が賞味期限切れだったというニュースが流れた。探せばこんな話題は山ほどあるから、いい加減にしたらなんて思うが、このニュースを聞いていて、興味深かったのは、それらの材料が中国産だということだ。外食産業の材料なんていうのは、今や中国のものがほとんどなのかもしれない、なんて思わせたりする。学校給食なんかで「地産地消」ということをよく聞くが、銭儲けともなれば、そうはいかない。安い材料でいかに稼ぐか、ということになる。○○産なんていう掲示をしても正しいとは限らない。ましてや、そこらの食堂で口にする食材が、どこの産のものなのか、なんていう表示はないし、食べる側も気を使っている余裕はない。工業製品同様に、コストをいかに下げるかというところがこの国の正しい指標となっていて、そういう視点で消費者は選んでいる。加えて食べ物なんだから、美味しさが一番で、食材のことは二の次、不二家問題も起こるべくして起きたものかもしれない。

 「生活と自治」(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会)の11月号に、『食べ物を「自治」できないニッポン』という特集がある。できるだけ国産の農産物を購入しようと意識している人は多いのに、なかなか自給率はあがらない。想像がつくとおり、食材を提供する食品産業によるところが大きい。記事によれば、総菜業界での2003年の国産シェアは、野菜は63%、魚介類51%、肉・乳製品類57%という。外食はもちろん、総菜などを含めた食の外部比率は42%もに達するという。「好きで輸入食材を使っているわけではない」という食品業界の言い分では、農家の高齢化により安定した契約産地を維持できなくなっているのが要因ともいう。高度成長、そしてニーズの多様化、といった現象の中での国民の経済感覚は、買ったほうが安い、という意識を生み、必ずしも自らが作ることを重要だと思わなくなった。それはこと食材に限ったことではなく、さまざまな専門屋が業として成り立つようになった。長い間のそうした社会構造の変化は、元に戻せないほど多様化してしまっている。たとえば食材の国産比率を高めるには、農業回復が必要だが、いっぽうで食品業界の低下を招くかもしれない。どこかに変化を求めれば、どこかで泣く人たちも出る。それは解りきったことではあるが、そんなかけ引きがあちこちにある。利潤を求めればこその現象である。今や農家であっても、食材のほとんどを自ら生産する、ということはなくなった。どれほど1年の間に食材を購入しているか、そんなデータを見てみたい。とくに野菜、あるいは主食である穀物類の外部比率である。リンゴ農家のどれだけが米を作っているか、また野菜を作っているか。畜産農家のどれだけが野菜を作っているか、などとつきとめてゆけば、すでに農家は特化していて多様な「何でも屋」ではなくなっている。家庭菜園を持っている町中の非農家の方が自給率は高いかもしれない。

 ということで、外部に頼っている以上は、外国食材を知らずに口にすることは当たり前で、外食に頼っている人は、さらにその比率は高まるだろう。「外食をとるなら、怪しいものを口にしても仕方ない」という諦めが必要である。
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農村の不幸に見る自らの不幸

2007-01-27 13:13:57 | 農村環境
 都会から田舎暮らしへ、そんなフレーズはごく聞きなれたものだ。しかし、田舎としてくくられている地方は一様ではない。さまざまである。そのさまざまな田舎暮らしが、「田舎」という一言でまとめられてしまっては、そこへ住もうとしている人たちに意識の甘さが浮き上がってしまう。①老人ばかりになってしまった極限の山間地域の集落。②後継者も含めて何世代かが同居する家がある程度存在している山間の集落。③家は残るがほとんどが空家状態の山間の集落。④老人世帯と三世代同居世帯が混在している地方都市周辺の集落。⑤一人暮らしから若者世帯、集合住宅から戸立て住宅とさまざまな家庭が混在している地方都市周辺の新興住宅地。なとなどあげていったらそのパターンは数多くある。積極的に田舎暮らしをしませんか、と展開している地域をみても、その実際の斡旋区域がどういう地域なのかまではわたしも知らないが、あくまで居住者を増やすことを目的としていれば、その地域のあらゆるパターンが紹介されるだろう。ということは、○○市という地域で、町中もあればまったくの山間地もある。どこを選択するかは希望者のニーズによる。どこもかしこも「田舎」である長野県のような場所は、まさにその多様さは計り知れないほどある。

 先ごろどこかの広報誌に、コンパクトな街づくりをしている外国の事例を紹介し、目指す街づくりはそういうものではないか、というような記事があった。以前に「今住んでいる人たちのために」のなかで紹介した伊達市の例は、まさにそうしたものである。このごろの人口の動きや、東京への回帰現象をみるにつけ、東京がどういう位置付けなのか、そして地方の都市はどうなのか、というところをトータルに説明できる理論は、わたしの中には生まれないし、聞こえてこない。そうしたなか、地方は今まで暮らしつづけた人々にどう今を継続する術を展開してゆくか、ということになるのだろう。たとえば長野市や松本市といった地方の中心とその周辺の山間地域は、同じ地域にあってどう位置付けられてゆくか、ということになる。同じ市域といっても、今や長野市には旧大岡村や鬼無里村といった地域があり、松本市には旧奈川村や安曇村といった地域がある。地方都市の自治区域は広がり、そんな山の中の暮らし、あるいは自治をどれだけ吸収した側が理解しているかは疑問である。地方都市そのものが、すでに田舎を知らなくなっているのだから仕方のないことであるが、単に「山の中」とか自らの立場からみた「田舎」と認識していて、同じ市域でありながらそうした地域を明らかに、「下」に見る傾向は強い。そんな地方の課題が山積みの中に、「田舎」とくくられた存在を求めて都会から人が住み着くとしても、課題はさらに複雑化する。

 いままでにも、前述した①とか③といった地域に芸術家などを中心に居住地を求めてきて暮らしている人は多い。どちらかというと、地域に馴染まなくてもよい存在であったかもしれない。もちろん馴染んでいる例も少なくないだろう。しかし、今行なわれている田舎暮らしの斡旋は、自治体が行なっているものが目立つ。となれば、地域に入ってもらうことが第1だと思う。そう考えると、移住する前にその地域のことを説明しておくことが必要になる。そのいっぽうで改めてそんな実情を説明することで、移住を断念する人たちが出てくるかもしれない。人を増やそうという意図だけを重視して、安易に受け入れてはいけないこを、十分承知の上での斡旋とは思うが、不安は多い。また、①や③ではなく、④とか⑤といった地域に住み着く人もさらに多くなるかもしれない。従来にも安曇野を求めて移住した人たちは多かったが、そうした立地を求める人たちも少なくないだろう。従来の住人より、新たなる住人が多くなっている地域も少なからずある。そんな地域と山間とはどう位置付けられゆくのかと考えたとき、山間の集落の継続のあり方が見えてくるようにも思う。同じ区域に両者が存在する自治体こそ、その方法を導いてほしいものだが、どうもN市を見ている限り、そんな協同は感じられない。世の中が「格差」という言葉を明確に説明できずに「格差が広がった」と言っている以上は、両者の関係は確立できないように思うわけだ。格差ではなく、価値観の違い、とか役割の違い、などといった考え方に変えなくては、地方にあってのマチと山間の関係は説明できないだろう。

 今日もまた、信濃毎日新聞の「農村の危機と文学」の記事から始まって思ったことをいろいろ展開していたら、こんなムチャクチャな綴りになってしまった。いったい何が言いたいんだ、と自ら思ってしまうほど支離滅裂である。一つのキーワードでは、狭い考え方になってしまう、と常ひごろ思っているから、このごろはトータルに何を見ればよいのか、というところにまとめたいと思っている。しかしながら、頭の中がついていけないわけで、自分の思考能力の低下を感じている。わたしは、自らの生活習慣の年齢による変化に気がついている。それは何らかの方法、たとえば運動をする、とか違う行動を起す、ということで変化をもたらすことができるだろう、くらいは解っているが、そのゆとりがない。そんな人間が、この世には増えているに違いない。多くを望まない、そんないい加減さが、もっと広がって欲しいのだが、それは「甘い」で片付けられてしまうのだろう。この先の世の中をどう捉えてゆくか、人にはもっと高いものが望まれてゆくだろう。そこから脱落したことで「格差」だと思っていては、自殺者は増えつづけるだろう。もう「格差」という言葉は止めにしよう。
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期限切れ

2007-01-26 08:17:16 | つぶやき
 このごろあちこちで「○○期限切れ」なんていう字を拝見するが、期限が切れたからといっても、わが家では食べ続けていることはよくある。もっといえば、野天で暮らしている人たちなんか、そんな食べ物が世に放り出されていれば、ありがたいに違いない。「もったいない」なんていう言葉で当選した滋賀県知事は、食べ物がもったいない、と言ったわけではないが、それ以降、けっこうあちこちで「もったいない」の言葉がもてはやされている。それを業とするから品質を保つために「期限」を守るのは当たり前なんだろうが、どれもこれも同じではなく、モノによって異なることぐらいは、消費者だって知っている。「期限」だけが一人歩きされても困るわけだ。表示されている「期限」だって「本当に正しいの、偽装はないの・・・」なんて思ってしまうし、この世の中のように、加工に加工を加えた品物がたくさんあふれているんだから、すべてを追求していけばボロなんかやまほど出てきそうである。八百屋さんに並んでいる野菜に賞味期限は表示されていないし、それを原材料にして加工していれば、期限がないからいつまでも使っていいのか、なんていう話にもなる。ポッケさんの「賞味期限切れに関するニュースは今が旬」で触れている通り、神経質な例も少なくないだろう。

 単身赴任しているわたしは、月曜日に妻が用意してくれた食材を持ってでかける。緑色の葉物を煮たものを弁当におかずとして利用したいから、ほぼ一年中なんらかのものを用意してもらっている。日曜日の夜に手をかけてもらったものを、金曜日の弁当に詰めているのだ。妻は金曜日まで大丈夫でしょう、とは言わないが、雰囲気でだいたい大丈夫とわたしは判断して使っている。妻の加工したものだから消費期限など表示されているわけではない。細菌が多くなるかもしれないが、だからといって健康に害があるかはその時の運のようなものだ。妻が用意してくれる食材には、購入したものもある。豆腐や牛乳なんかも入っているが、豆腐なんかは二、三日で期限切れである。「ちゃんと期限を見て買えよ」なんていう文句をたまに言ったりするが、「大丈夫、大丈夫」と答えは返ってくる。ひどいときには、とおに期限が切れている食材が混ざっていることもたまにある。「またかー」とひとり言を言って、様子をうかがいながら食べているが、時には週末まで置かれて、「仕方ない、捨てるか」なんていうこともある。とまあ、月曜日に勤務先の住処で食材の箱を開くときは、まさに玉手箱を開けるような心境である。「2割引」とか「○円引き」なんていうシールが見えると、うんざりするものだ。

 かつての食べるものを大事にした時代とは、まったく世界が違う、ということは年輩の方たちが一番わかっていることだろう。食べ物を落しても「ちったー汚れたって大丈夫だ、もったいないから食べろ」といわれたのは、わたしの子どものころのことだ。だからこそ、落さないように気をつかったように思うが、そのうちに食べたくないものがあったら「落しちゃえ」てな具合になってくる。それが通るようになったから、妙なかけ引きが始まったのだ。

 ☆過去の日記から
 「期限オーバー」・・・この日記、ほとんど内容同じだ、とは書いてから思った。
 「食品の賞味期限と消費期限
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「中高生とは目を合わせるな」

2007-01-25 08:12:14 | ひとから学ぶ
 妻が隣近所であった作業に行って、雑談をした際の会話である。「○○さんはたくさんある農地をみんな売って、海外へ行って暮らすってよ」「早く行っちゃえばいいのに・・・」などというおばさんたちのまことしやかな噂話である。噂の主は、なかなか家にいなかったり、隣近所の会議にも顔を出さなくなってきて、よけいにそんなことを言われたりする。それこそたくさん土地を持っているから、こんな時代の田舎の土地と言っても、すべて処理すれば、老後をひとりで暮らす分くらい余裕だろう。そんな噂が流れても、だれも疑うことはない。地域社会の崩壊については、さまざまな視点で触れてきてはいるが、「田舎らしさ」なんていわれる隣近所のかかわりも、まったく消えてしまってきたこの時代である。

 雑談の中でも出たというが、年老いてきたおばさんたちにとって、押し売りも含めて、家にやってくる怪しい人たちをどう払いのけるかが厄介なことのようだ。加えて電話を利用して営業する人や、もっといえば○○詐欺というやつもいて、人を信用できなくなっていることは確かだ。学生さんが勉強のために地域に入って聞き取りをするなんていっても、怪しまれてしまって簡単にはいかないようだ。「中学生や高校生がいても、顔を見て話しちゃだめだに」とか、「いろいろ聞かれても何もしゃべらない」なんていうことがおばさんたちの間で語られるというのだ。「かかわらないのが一番」、まさに都会の雑踏の中の人とのかかわりとまったく同じか、もっと疎遠な社会になっているのかもしれない。「人を見たら悪人と思え」とまで言っているから、大変なことだ。地域の若者たちが、こんな社会じゃ暮らせない、と思うのは当たり前かもしれない。

 凶悪犯罪が起こるたびに、地域社会で共同で防犯活動をしようなどと話すが、なかなか現実はきびしいことになっている。毎日のように報道される殺人事件や、若者たちの荒れた姿の報道を見れば、弱者であるオンナや老人が、強い意志を持つなんていうことはできないだろう。悪いことを「悪い」などといって注意することなどもってのほか、ということになる。
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消えた村をもう一度⑯

2007-01-24 12:22:05 | 歴史から学ぶ
 山梨県の八ヶ岳山麓にできた北杜市は、平成16年11月1日に北巨摩郡にあった7町村が合併して誕生した。その後平成18年3月15日に、唯一郡に残っていた小淵沢町が同じ市に合併して北巨摩郡は消えたのである。須玉町・高根町・長坂町白州町小淵沢町と、五つもの同じような規模の町が合併しており、どこが中心と問われてもなかなか答えようがないほど地域は分散しているように感じる地域だ。市庁舎は旧須玉町の中央自動車道須玉インターのすぐ隣に置かれた。そこからちょっと南東に向かうと、もう韮崎市である。よくこんなに端っぽに市庁舎を設置したものだと感心する。この須玉町から昭和55年に送っていただいたパンフレットが、冒頭のものである。B6版に折り込まれたもので、8ページだてである。「増富ラジウム温泉郷」は、武田信玄が金鉱を発掘した際に発見したものといわれる。パンフレットそのものは、見ての通りずいぶん古い時代の雰囲気を醸し出している。小さな封筒で送ってくれたのだが、三つ折りにした際の折り目が、大変斜めについているのがなんとも、趣がある。封入された町の担当の方の性格がよく現れているような折り目である。表紙にもある瑞籬山や金峰山の向こう側は、長野県の川上村になる。また、裏表紙にある交通案内図によると、中央自動車道は大月インターより諏訪にかけての山梨県内のほとんどの区間が、まだ工事中の表示である。

 須玉町(すたまちょう)は、面積で174km2ほどで、人口は合併前に7000人余を数えた。この町には上津金というところに臨済宗妙心寺派の海岸寺という寺がある。境内に並ぶ百体観音は、高遠の石工守屋貞治の手によるものである。江戸時代の名工として知られている石工で、これらは町(後の市)の文化財に指定されている。いずれは貴重な文化財として、県や国の文化財としてさらなる保存がされてゆくこと間違いない作品である。近年は訪れていないが、この寺の雰囲気が好きで、今までに何度も足を運んだ。訪れる人影がほとんどなく、落ち着いて守屋貞治の空間に身を置くことができた。寺から山道を登り峠を越えると清里へ至る。

 ところで合併後の市名「北杜」は、「杜」が植物の「ヤマナシ」を意味しており、「山梨県の北部」という意味をこめたものであるという。合併によって生み出された地名ではなく、旧長坂町にあった県立峡北高校・県立峡北農業高校と、旧須玉町にあった県立須玉商業高校が、2001年に統合された際に「県立北杜高校」という名前で生まれ変わった。どうもそのころからこの地域を指す言葉として「北杜」が始まったようだ。長野県飯田市にある飯田風越高校が「ふうえつ」と呼ぶようになってから、それまで呼ばれていた「かざこしやま」が衰退して「ふうえつざん」に変化していった例に少し似ている。地理的・歴史的・文化的な由来がないことから、「北杜」という呼称については、賛否両論があるという。本来市名を決めるにあたり、もっとも多かったのは八ヶ岳を冠したものだったという。清里高原や八ヶ岳の麓という立地からも、なぜ「北杜」でなければならなかったのか、どこか意図的なものがあったのだろうか。はからずも山梨県には抽象的な名称の市がいくつも平成の合併で誕生した。県民性なんだろうか。

 海岸寺については、ホームページ「モノクロの彩り」でも紹介している。写真は百体観音のうちの十一面観音である。



 消えた村をもう一度⑮
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ふるさと

2007-01-23 08:13:32 | ひとから学ぶ
 「ふるさと」とは必ずしも出生地ではなくともそう呼ばれる。ようはイメージとしての「ふるさと」もできあがっているのだろう。人それぞれによって捉えかたは違う。しかし、唱歌「ふるさと」のイメージは誰にも強いものがあり、その内容からすれば、やはりふるさととは生まれ育った空間といっても異論はないだろう。唱歌を歌う意図がみえなくなったこのごろの小学校でも、唱歌「ふるさと」を知らない子どもは少ないだろう。それほど日本人に親しまれている「ふるさと」ではあるが、いっぽうでふるさとを意識することがなくなったことも確かで、ふるさと=田舎(この場合の田舎とは出生地としての田舎をいう)という図式も、必ずしも成り立たなくなっているようだ。団塊世代を地方へ住みませんか、と呼び込もうとする動きは盛んだ。そんなフレーズ「団塊世代よふるさとに帰ろう」は、必ずしも従来の「ふるさと」イメージとは異なる。出生地=ふるさとではないのだ。ふるさとイメージされた場所をもって「ふるさと」とするのなら、それは人それぞれ、そこにふるさとをイメージできれば、住処となり、ふるさととなってゆくわけで、それをひとつの地方再生策としてフレーズが生まれているようだ。このことについては、どちらかというと批判的にいままでも触れてきた(「年代格差をどうみる」「今住んでいる人たちのために」など)。

 わたしにとってのふるさととはどこなのか、というその範囲もかかわってくるのだが、たとえばわたしのように長男ではない人間が、住処を求めて出生地とはことなる現住所(出生地とはそれほど離れていない隣町)に住処を求めた場合、その場所がふるさとなのか、それとも違うのか、ということになる。県外に出た際に、もし「ふるさとはどこですか」と聞かれれば、長野県と答え、もう少し詳しく言うのなら伊那谷と答えるかもしれない。ということは、出生地も、その後に住処を構えた現在の地も、「ふるさと」ということになるのだろうが、自分にとってのふるさとは、やはり出世の地であるごく限られた空間のように思うのだ。このあたりの捉えかたは、まさに人それぞれとなるだろう。合併にも何度も触れているが「塩見岳」でも触れた静岡市のような大きな市の中で、大井川の奥の人が静岡市内に出てきたら、きっとふるさとは静岡市とは言わずに、もっと限られた場所を意識すると思うわけだ。人との会話の中で、きっと自ら答えるふるさとは伸縮自在なのだろうが、こころの中で捉えているふるさとは、それほど伸縮するとは思えないがどうだろう。

 「農村の危機と文学」という信濃毎日新聞文化欄の特集に、「農民文学」元編集長の南雲道雄氏が「浮遊する『ふるさと』」を1/20朝刊に書いている。山古志村のことに触れ、「歴史と伝統、具体的には耕し続けてきた棚田や段畑、養鯉、そして村民の楽しみとしての闘牛などが『ふるさと』の実質であろう。村の人たちは避難生活の不自由の中で、この「ふるさと」の尊さを改めて認識した」と全村民が避難した際の村民の言葉から記述している。南雲氏も団塊世代呼び込みのフレーズに触れて、「自然を含む人間の生存の歴史、人生の哀歓を包み、さまざまな文学の主題となり、詩歌に詠み込まれてきたこの言葉(ふるさと)が、本来の意味を失い、軽んじられ、経済社会の表面で浮遊しているかに見える」と述べている。まったく同感である。定年帰農にしてもグリーンツーリズムにしても、壊滅的な農業農村を「モノ」として捉えているようで、わたしにはもっと奥深いものだと思うのだが、それが先進的なごとく紹介されることはまったく納得いかないのである。

 ふるさととは、変化して当たり前で、久しぶりに訪れたふるさとが、どう見えるかによって自らの人生の一こまがどういう位置にあったかを意識する。変化せずにいれば、時の経過を感じずにすんなり現在に飛び込むことができる。いや、できたとしても、そこにある顔が変わっていたとしたら躊躇するかもしれない。しかし、その場面場面が自分にとっての物語となるだろう。あまりの変化に躊躇して飛び込むことができなくても、またそれが自分にとってのふるさとのイメージ化になる。そんな対話がある場所が「ふるさと」だと思うのだ。
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ノウサギが消えた

2007-01-22 06:57:40 | 自然から学ぶ


 「アニマルトラックから解ること」で触れた足跡を訪れてから2週間。さすがに雪は多かったものの、長野県南部の雪は暖かさのせいもあって解けが早い。長野市近郊の3倍くらいあった雪は、同じくらいまで解けてきている。山林の日当たりのよい場所は、地肌も出て動物の足跡の跡形もない。それでも日照時間によって解け具合はだいぶ異なり、残っている場所には十分なほどにまだ雪は多い。そんな雪の様子をのぞいてみた。前回も触れたように、ノウサギの足跡が見られない。ちょっと場所を変えてあちこち見てみるが、まったくその跡を見ることができないのである。

 そんななかで、そう古い足跡ではない足跡を撮影したものが左側のものである。足跡の大きさとして5センチ弱のもので、足跡が二つ重なるようについていっている。イヌ科の動物の足跡はほぼ一定している。この足跡もその系統であり、おそらくタヌキではないかと想像するが、イヌかもしれない。タヌキは足跡の大きさからしても、子ギツネやネコの足跡に似ている。第3指は人間でいう中指で、イヌ科のものは第1指が地に着かないため、足跡の内側から2つ目の指跡が第3指になり、最も長いという。

 という具合にイヌ科系の足跡は雪上に残るが、ほかの獣の足跡は確認できない。もっといえば、全体的に足跡が少ないように感じるのは思い過ごしだろうか。右側の写真は3年前のものである。ノウサギの写真であるが、この年はノウサギの足がおびただしく見られた。その数は足跡が大きいこともあるのだろうが、イヌ科の動物よりは明らかに多いように感じられたものだ。その足跡が皆無というのだからどういうことなのだろう。

 写真家宮崎学さんのブログに「貴重なノウサギ」を探した。そこには「長野県中南部では、ここ30数年のあいだにノウサギが激減している。とにかく、雪の上に足跡を見つけることすら困難になっている。そのくらいノウサギが減少してきているのである。」とある。「久しぶりに、ノウサギの足跡にであった」といって掲載している写真は木曽谷で撮ったものだが、そのブログそのものが、2005年12月のもので1年ほど前のものである。宮崎さんの最近のブログにないかと探ってみたら、「うれしい事件」といって自宅の裏庭で今年になって発見したノウサギの足跡のことに触れている。「伊那谷では、ここ20年ばかりノウサギが激減していて足跡を見つけるのも難しかった。その足跡があったのだから、これはニュースである。ひょっとしたら、ノウサギ復活の兆しなのかもしれない。」と語っている。宮崎さんのように山の生き物を捉えている写真家だから、そこらの自然の先生方よりも動物の様子は詳しい。そして、この二つのブログ記事から察するに、ノウサギが姿を消してきていることは確かなようだ。しかし、わたしがおびただしい足跡を見たのはつい3年ほど前のことである。そこからくらべると、今年の様子を見る限り復活の兆しどころではないのだが、どうしてだろう。残り短い冬期間に、もう少しノウサギの足跡を追ってみることにする。
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こころ模様

2007-01-21 10:33:00 | ひとから学ぶ
 ①高速道路の追い越し車線を走りつづけ、走行車線から抜こうとするとスピードアップしてくる車。②通行量の多い片側2車線道路で、右折信号が青になっているのに対向車が次から次へ入ってきて赤になってしまう。③あまりに遅いので追い越し禁止区間で抜いたらパッシングをしてあからさまに抗議する車。などなど、自動車を運転していると、気分を害すことは絶えない。追い越し禁止区間で抜くことは違反である。たとえば農耕者が走っていたり、特殊車両が走っていれば、そうした車は自ら遅いことを認識しているから、退避してくれたり、追越を促してくれる。ところが、普通の車でそんな車と同じくらいのスピードで走っていても、そんなことをしてくれる車は滅多にいない。ということで抜くことにするのだが、そんな時にあからさまに追越したことにクレームをつけるような行動を起す運転手は、いったい何を考えているんだろう、とそんなことを思ったりする。そんなケースでその行為をする人に「なぜ」と質問したこともないので不明であるが、追い越し禁止区間で抜くことは「違反だ」と誇示したいのだろうか。

 右折しようとしていて、対抗車線がまったく止まらないというケースもよくある。とくにずいぶん勾配のある道路の場合で、大型車の通行量が多いとそういうケースは多い。下り車線を走っていれば、止まりたくないというのはわかるし、とくに大型車ともなればすぐに止まれないこともある。しかし、本当に赤になれば止まるのだから「止まれない」というのは心の中にあるもので、現実的な「止まれない」ではない。国道20号の塩嶺峠道路から国道153号が分岐する交差点なんかは、まさにそんな交差点である。続けさまに大型車が下ってくる時に、自ら運転はとろくさいと思っている人は、まず恐怖感が先行して、少しくらい隙間があっても右折できない。そこで右折信号が青になるまで待つのだが、青になってもとても止まる雰囲気がないくらいの勢いで降りてくる大型車を見ていると、なかなかそうした車は右折できず、そのうちに赤になってしまうのである。最悪な交差点である。恐怖の風が吹いているから、大きな事故が起きたという記憶はないが、かなり危険な風を感じることができる。

 さて、高速道路で交通量が多いとき、追い越し車線をずっと走りつづける車がいると、「左に寄れよ」と思うことはよくある。先日も追い越し車線をずっと走り続ける車がいて、その車のスピードにむらがあるのだ。走行車線がしばらく空いたので、後ろからも車がきているから左へ寄るのかと見ているが、そんな雰囲気はまったくない。仕方なく、少し走行車線が空いたので走行車線から抜こうと試みたら、いきなりその車もスピードアップするのだ。こちらは抜きモードに入っているから、そのままスピードを上げて行き、最終的にはけっこう無理な抜き方をして追い越し車線に戻ることができたが、抜く際の速度計を見て驚くのだ。こういう場合、抜かれたのに頭にきて抜き返すというケースがよくあるが、その車はその後は元通りのスピードに戻したようで抜き返されるということはなかった。何を意図してそんなことをするのか、まったくわからない行為である。

 前方に車が何台もつながっているときに、無理に前の車に接近したところで、どうにもならない。そこまで急ぐのなら追い越し禁止でもどんどん抜いていけばよい。だからそんな無意味なことは、わたしはしない。ところが、すぐ後ろに接近して煽っているわけでもないのだろうが、急ブレーキをかければ追突しそうな距離で走る人がけっこういる。あまり接近する車がいると、こちらも気になるのでブレーキではなくシフトダウンでスピードを落として抗議することがある。危険性は伴うが、そんな試みで、何を意図しているかを探るのである。一度そういうことをすると、なんとなくではあるが、それまでほど接近することはなくなる。あるいは意図的にそういう行為をする人は、さらに意図的な何らかな行動に出る。自動車の運転というのは、人それぞれであるとともに、その時々によって感情の違いがある。だから数え切れないほどケースが考えられるのだろう。だから、そんなわのわからないよそ様が多く走っている道路は走りたくないのだが、そんな走りをできるのは夜中しかない。致し方ないことだから、そんな多様な運転の意図を知ろうと回りに目をやっているが、それもそれで人のこころ模様である。
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テレビの世界は〝ウソ〟

2007-01-20 15:34:16 | つぶやき
 テレビドラマなんかの再放送を見て、とくにいつ放送されたものなのか、などと興味を持つことはないが、時代を感じさせることがたまにある。もちろんその時代背景を意図的に見せるようなものもあるから、なんてもいえないが、そんなことを考えていて、時代劇とはいつの時代のことをやると時代劇なのか、なんてくだらないことを考えたりする。

 サスペンスモノなんかにも時代背景を戦前戦後を設定しているものもあるが、現代版サスペンスなんかはあきらかに、意図的な時代背景などはないものがほとんどだ。だから、時代を追い詰める必要もないが、見ていてちょっと前の時代だ、なんていうことを気がつくこともあるが、大方の場合、登場する小物から察知するわけだ。今では少なくなった公衆電話、ビデオカメラ、もちろん自動車の車種なんかもそんな時代感覚を呼び起こしてくれる。昭和40年代の「太陽に吠えろ」時代には、パトカーに追いかけられて車が大破する際は、逃げている車と大破する車が違っている、なんていうことが普通だった。今の若い人たちにはそんな世界はナンセンスに映るだろうが、その現実を視聴者はどこか理解して見ていた。ようは真っ赤なウソが映し出されてもそれは同じモノとして見る側はつなげてみていたに違いないわけだ。

 ところが、観る側に真実に近いイメージを与えるには、すり替えなんていうテクニックではなく、限りなく真実に近い世界を見せてあげたい、なんていう作る側の意図がいつの時代からか当たり前になってきたようで、気がついたときには大破する車は、本物、それも見るからに新しい車がそのまま利用されているように印象付ける映像が流れていた。真実味というものは、リアリティーということになるのだろうが、いっぽうでテレビドラマの世界をどうウソと判断するかが難しくなったということになる。ウソっぽくても楽しく見ていた「太陽に吠えろ」時代。人は死んでも生きかえるなんていう意識を、当時子どもだったわたしはとても抱くことはなかった。リアリティーになればなるほどに、この世の子どもたちは生きかえるという意識を持ち始めた。何がそうさせるのか、わたしにはわからないが、架空の世界を架空と思わず、真実だと思える人たちが増えたのだろうか。言い換えれば、現代人はみな芸術家の性格を持ち合わせているのだろうか・・・。

 ウソっぽいものをウソだとわかっても何も言わず、夢中で見入っていた時代が懐かしいばかりだが、ウソを「ウソ」と言わなかった見る側に大きなこころがあったように思うのだが違うだろうか。
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「環境」という名のもとに

2007-01-19 08:17:59 | 農村環境
 「長野県政タイムス」の最新号である975号の「グローカル:田舎・都会・世界を浮遊する眼」(扇田孝之)を読んでいて思ったことだ。「あなたは20アンペアで生活できますか」という副題の問いかけをみて、言いたいことはおおよそ予想がついた。予想がつくと、本当に予想通りなのか、と読んでしまうことがよくある。表題や副題のちょっとした見出しが引っかかっては、目を通すわけだが、それが共感というものなのだろう。意識的に同じキーワードを持ち合わせていないと、なかなか記事を読むことはない。

 おおよその内容はこうだ。10年ほど前に家の増改築を行なって、仮住まいのログキャビンに3ヶ月間住むことになった。その小屋は15アンペアしかなく、電気屋に勧められたもののシンプルライフ  イズ ベストと思って最小容量を選択していた。ところが必要な電気製品を持ち込んで暮らし始めたら、すぐにブレーカーが飛んだ。そこで30アンペアの増量をしたわけだが、暮らしているのは北アルプスの麓、簗場だという。夜間に上空を飛行しても暗闇の世界のような場所なのに、現実的にそこに暮らす住人は、数十種の電気器具を使い、明々と光を灯さないと1日たりと生活できない。暗闇の世界である田舎ですらこんなことになっている。結局、人間らしく生きる、あるいは地球に優しい環境とは何なのか、という矛盾のある問いかけになってしまうわけだ。そして、ではあなたは20アンペアで暮らせる生活をできますか、という問いになる。

 もともと大人の世界なんて矛盾だらけであった。しかし、その矛盾もどこかで納得できるものであったように思うのだが、このごろの矛盾はたどっていってもどんどん矛盾が増幅していってしまって、わけがわからなくなる。にもかかわらず理論的に「環境」とか言われるから、ただただそれが当たり前のように仕向けられるのだが、果たして矛盾を覆すだけの説明をしてくれる人がいるのだろうか。

 さきごろ電気屋さんと少し話した際に、①太陽光発電、②エコキュート、③オール電化について話題になった。どれも元をとることはなかなか難しいという。太陽光発電は、ちょうどわたしが新築するころに補助金なんかがあって検討した物件である。結局機器費の負担が大きかったためあきらめたのだが、当時は本気で採用しようと考えていた。ところが、高額な設備投資の上に、10年もするとパネルの取替えがけっこう必要だという。このごろは取替え専門の業者さんもいるようだ。そこまで銭を使っても環境のためになる、というのなら、冒頭のような質問にまず応えてほしいものだ。いかに環境負荷を低減するか、というときにエネルギーの消費を大きくして自然の力を利用するのか、エネルギー消費を抑えて科学の力を借りるのか、というところになる。今までにも何度か触れた風力発電が、果たして環境に対してどうなのか、というときに意見は分かれる。あらゆる発電の方法が模索されているが、例えばわたしの身近でも模索されているものに小水力発電というものがある。「規制緩和」という言葉だけを聞くと、大変よいことのように思うが、この規制緩和をもとに新たなる分野への進出が相次いでいる。ということは、結局人々は自然環境に優しくあろうとして、無駄なエネルギーを使い、さまざまな開発を進める。それがトータルな意味でどれだけ効果があるのか、疑問にも思えてくるものがいろいろある。すべての労力を計算して生み出されているものなのか、それとも銭勘定だけで仕事にありつこうとして計算あわせをしているのか、そのどちらなのかはなかなか明確ではない。ゴミを減らす、とか使用制限をする、という明らかに改善されているとわかるものはともかく、規制緩和で生み出されてきたものは、どこかうさんくさくて仕方がない。早く飛びつけば人様に先を越されずにわが手中に入れられる、なんていう発言もあるが、いっぽうで無駄なエネルギーを出して終わる可能性も大きい。賭けをしてまで自然を相手にするには、自然は日々変化していて対応できるのか、なんて思ってしまう。

 暗闇でも、大都会でもさほど変わりはない暮らしぶりではある。それは当たり前のことなのだが、そのくらいなら「夜間は寝る」、それが一番である。田舎でも街灯がないと物騒だ、なんていって防犯灯を点ける。その防犯灯は、もちろん朝まで人も通らない道を照らす。物騒なら夜間は外へ出るな、と思うが違うだろうか。
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塩見岳

2007-01-18 08:18:39 | つぶやき


 わが家から真東にそびえる山は、南アルプスの塩見岳である。伊那谷の平坦地はすでに日が陰り、太陽の光は南アルプスの山々にだけあたっている。赤くなって夕闇に消えてい行くのだが、その様子を写真で撮ろうとするが、普通のデシタルカメラではイメージ通りには撮影できない。やはり盛んに売れているというデジタル一眼レフがそろそろ必要なのか、なんて思ってしまうが、銭がないから無理な話である。この真東にそびえている塩見岳は、3年ほど前に息子が小学校のときに挑戦した山である。てっぺんまでわすがというところで引き返してきた山であるが、この山は飯田市あたりからもよく見えて、地元ではけっこう印象の深いやまであるようだ。ところがこの山の北側は現在の伊那市になる。上伊那郡長谷村と伊那市が合併したため、伊那市がこんなところまで広がってきたのである。基本的に伊那市は、わが家から30キロ近く北にあるのに、なぜ東側にある山が伊那市なんだ、なんて最近はいつも山を見ながら愚痴るのである。

 ヤフーの長野県地図を見てみるとよくわかる。伊那市が旧市域から下(南)に県境側が垂れ下がっているのである。まだ伊那市は良いほうで、松本市なんかは「何なのこの形・・・」という蝶形である。昭和の合併のころには、こんなおかしな形の合併はあまりなかった。おかしな形になりそうな場合は、同じムラが分離して別の市町村に分かれることも頻繁にあった。ところが平成の合併は、ほとんどが自治体ごと丸ごと合併というケースだ。だからへんてこりんな形になったりする。形ばかりではない。とてつもなく細長かったり、大きな市域を持つ自治体も出来上がった。静岡市なんかは南北100キロ近くある。高山市なんかを見ていると、香川県より大きいんじゃないか。山梨県の半分はあるぞ。てな具合に真剣に見ていると暇人のようだ。みんな馬鹿でかくなってどうするんだ、なんて心配するいっぽう、東京都も大阪府も合併は一件のみ。寂しいかぎりだ。まさに貧乏人がでかくなってますます貧乏になるんじゃないか、なんて思ってしまう。合併だらけの中国四国地方なんかは合併しないのが目立ってしまう。「あら、あなたの住所昔のままねー」なんて言われてしまいそう。愛媛県なんかは松前町と松野町という同じ「松」の字がつく2町だけ寂しく独り身だ。まあいろいろだ。鹿児島県にある「いちき串木野市」なんかは、二つの合併前の名前をそのまま足したから、やたらに長ーい市名になった。よほど大きいかと思えば、小さいものだ。なにしろ節操のない合併劇のようで笑えてくる。

 さて、飯田下伊那地方からは親しまれている塩見岳なのに、とうの伊那市の観光ページを開いても、塩見岳のことはあまり紹介されていない。当たり前といえば当たり前で、ただ市内の一部にはなったが、登山するには伊那市側からは厳しい。伊那市で最も標高の高い塩見岳だが、もしかしたら最もイメージされない場所なのかもしれない。
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労働組合組織率

2007-01-17 08:20:17 | ひとから学ぶ
 「組合を辞めたい」という気持ちはいつごろからあったのだろう。ちょうど同じ顔の職員組合が長々と何期か続き始めたころからの気持ちだったから、もう10年近く前のことである。katacha67さんが「自治体の労働組合組織率」の中で触れているように、労働組合が既得権意識を誇示したり、それがために自己中心的な世界に陥り、「人のためにやっている」ごとく語りながら、実は自分のことばかり考えている組合のトップに対しての疑問は、とくに肥大化していったわけだ。誰でも当然入るもの、という意識はもちろんあったし、それが何ら不思議に思わなかったのは、今に思うとなぜだったのだろう、という気持ちはある。若いからこそ、受け入れられないものもたくさんあった時代に、さかんに組合の活動にも参加し、執行委員も何度もやっていた。若さゆえの発言を受け入れてくれた先輩たちの心の大きさのようなものもあったのだろう。ところが、その発言を遮られるようになった10年ほど前からである。違和感を持ち始めたのは。筋は解っていても、どこか納得できないから発言したわけだが、その筋を理解した上で物申していることを理解できない輩が増え始めていた。加えて同じ年代も含めて、若い人たちも組合の執行部に対して何ら違和感を持ち合わせていなかったことが、自らの立場をよりいっそう深い谷に落とし込んでしまっていた。

 という具合に、昔と同じように意見を受け入れてくれる雰囲気がありさえすれば、「辞めたい」などと思うところまではいたらなかったかもしれない。そしてその組合は、顔は少しは変わったが、ほとんどその流れを通していまだに生き続けている。とっくに辞めているはずだった組合を、いまだに辞めずに銭だけを払っている。厚生労働省の労働組合基礎調査の結果では、推定組織率は18%そこそこだという。低下傾向が続いているのは別に不思議でもなんでもない。katacha67さんが触れているが、自治体の労働組合組織率は高い(50%)という。わたしの印象では「へー、それで高いのか」と思うような数字である。わが社の組合組織率はほぼ100%(職種によって非組合員もいるから参加資格のある人たちの組織率は100%といってよい)である。何十年前の世界のことだろう、と思うほどに高い。もちろん正規職員の組織率に限っているが、数年前は100%でない時があった。希望退職者を盛んに募ったころだったが、非組合員になった人たちは、先を争うように会社を去っていった。わたしがとくに辞めたいと思っていたのもそのころのことである。

 さて、確かに何のために組合はあるのか、というところでの葛藤はある。いまだに組合の活動は反吐が出るほど気に入らないが、だからといって〝バイバイ〟とはならない。それは逃げ出すこととなる。労働組合を組織する権利(団結権)および組合活動をする権利(団体交渉権)は、日本国憲法第28条で「勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する」と認められている。それを行使することはけして恥ずかしいことではない。組織率が低下するにしたがい、多くの人々に組合が新興宗教のように見られていくような気がして、どちらが正当なのか、という部分ではさらなる違和感を覚える。だから、逃げた方が正当で、あいも変わらない活動をしている方が不当だと決め付けられるものでもない。環境悪化によって、あいもかわらない活動をしている方がどう意識変化をもたらすことができるかが大事で、その枠の中で物申し続けることが必要なのではないか、とわたしはどこかで感じている。とはいえ、まったく名前だけ参加の現実に、葛藤は続くが、既得権意識とか前例主義をまったく悪いとは思わないし、議論していくべき課題だと思う。だから〝辞める〟はもう言うのはよそうと思っている。
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**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****