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Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

労働時間規制撤廃

2006-12-31 10:25:32 | ひとから学ぶ
 「働き過ぎを助長しないか」という信濃毎日新聞の社説記事が、12/29朝刊にあった。厚生労働省の諮問機関が、一部の労働者の労働時間規制を撤廃する制度を取り入れるよう促す報告書をまとめたことによるものである。これをホワイトカラー・エグゼンプションというらしい。このことについては「残業代の廃止(ホワイトカラーエグゼンプション)」に意見があるが、難しい背景があって、単にそれを肯定することはできない。年功序列の勤労社会が相変わらず続くとすれば、こうした考え方もけして悪くはないのだが、成果主義的な社会がごく普通になるなかで、なぜ今労働時間規制の撤廃なのか、そしてそれをなぜ厚生労働省が推し進める必要があるのか、など一般人には理解できない部分が多い。これを適用する場合は、①管理職一歩手前の人、②重要な権限と責任を持つ、③年収がある程度高い、④使用者から具体的な指示を受けない、といった人を対象に考えているという。どれも明確性には欠ける。

 社説でも触れているが、勤労者の立場は明らかに低下してきている。サービス残業は当たり前のように行なわれ、法律で定められている1日8時間、週40時間という勤務時間は名ばかりのものとなっている。働きすぎ、といわれる日本人にあって、金を出す側の意見を聞いて、さらなる人件費削減の策に、厚生労働省が率先しているようでは、格差の増大を目的にしているとしか言いようがないわけだ。

 確かに残業代を当たり前のように頂戴する人もいて、それが権利だと言う意識は悪いことではない。しかし、日本人にはいまだに明確な割り切りはできない雰囲気がある。結局それを身をもって経験させる方法として成果主義がこの国には意外と有効なのだが、いっぽうで弊害は明らかにある。割り切りができないだけに、成果で差を知らしめることで、人間関係は悪くなる。割り切れない社会だからその人間関係は、さまざまに絡んでゆく。その明快な対策をわたしは知らない。

 赤字丸出しの我が社において、平気で残業代を計算しているやつがいると、腹がたつ。しかしながらこれほど仕事が回らず、やってもやっても差し戻されて成果として成り立たないとなると、精神的にも応える。それを「残業代」という代償で補えるのならまだしも、まったくそれがないとなると、では報酬とは何か、というところへ行き着く。赤字を出さないような組織作りをして、さらにそうするには報酬はどうあるべきか、というところまで考えてゆくと、とても会社は成り立たなくなる。とすれば残業代なんか出なくてもやらざるを得なくなるが、そういう勤労環境は適正なのか、と問いたくなる。そう考え行くほどに、割合近くにいる公務員に目がゆく。おそらく①から④という具体的対象に当てはめると、そうした人たちは残業はしないし、仕事もしない(人が多そう)。いや、中にはそうした世代に山と仕事が背負わされている部署もあるようだ。と考えたとき、国が指導的にそうしたことをしようとしたとき、自殺者は増加するとも限らない。

 根本的に〝勤労と報酬〟を見直さずして労働時間規制撤廃は、問題だらけと思うがどうだろう。若いころから働かないやつが、残業代を平気でもらって、加えて暇そうにしている姿ばかり見てきたが、そんなわたしでも肯定できない制度である。まずは意識を変えること、そのためにどうするべきか、というところだと思う。おなじ日の同紙の一面のコラム「斜面」でも内山節・竹内静子共著「往復書簡 思想としての労働」に触れて、「労働を市場経済と結ばれた生産だけではなく、生活や人間関係など総合的な営みとしてとらえる必要を説いている」と紹介している。その通りと思う、が、実はこのあたりの意識は理解されなくなってきていることも確かだ。
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年の瀬の町なか

2006-12-30 08:09:26 | ひとから学ぶ
 世の中はまったくの年末年始状態である。長野市内を歩いても、町中には賑やかな場所があまりなく、人通りは少ない。わたしが人通りの少ないところを歩いているからなのだろうが、そうはいっても町中は人が少ない。ラジオで29日は「苦餅」といって餅をつかない、ということを言っていたが、けっこう知られている話だが、若い人たちにはそんなことはあまり耳には入らない。9という字が良くないから忌み嫌うのだろうが、この日ついた餅はざらざらしたきめの悪い餅になる、なんていうことをいった。「苦」だから、縁起がよくないということになる。年末年始で忙しくしているお餅屋さんは、この日は搗かないのだろうか。店に並んでいる餅は、いつついたものか、よく見れば記載されているのだろうが、果たして「12月29日製造」なんていう餅を見つけることはできるだろうか。あまりに一般的に言われていることではあるが、お餅屋さんはどうしているのだろう、なんていうことを思った。

 最近は杵で餅を搗くなんていう家は少ないだろう。実家ではどうしているのだろう。最近は餅つきにも行かないから、どうしているかは定かではない。お歳暮を届けると、「餅をもっていけや」と言われて餅を包んでくれるが、どうも杵でついた餅ではなさそうだ。妻の実家でも、ずいぶん昔から既に餅つき機になっていた。自家のもち米で、自家で杵で餅を搗くなんていうのも、重要文化財並なのかもしれない。

 さて、昨日は長野市内でも雪が少しであるが積もった。先にも述べたように、仕事納めを過ぎているから、町中を通っても雪をかく人は少ない。少しの雪が圧雪されていたりする。この時期の少しの雪だから、むしろ雪かきをしないほうが解けが早い。人が住まなくなった町中は、雪が片付けられずにそのままになっていることが多い。またそんな嫌な長野市内の冬が始まる。「このマチの人たちは、暮らす空間をどう考えているんだろう」なんていう皮肉な心配をするほど、社会生活が成り立っていない。きっとお役所が人ごとのように高みの見物をしているから、住民だって何もしないのだ。何年も暮らして、そんなことがよくわかった。
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毛布で汚れを落す

2006-12-29 08:48:06 | つぶやき
 最近我が家の犬がずいぶんと綺麗になった。我が家の犬は、もう家にやってきて10年になるが、外の犬小屋暮らしのせいで、ほこりやら土が付いて、普段はずいぶんと汚れている。ラブラドールレトリバーなんだが、白い体が茶っぽいから、チョコラブかと勘違いするほど茶っぽい。洗ってあげればよいのに、小さいころに洗う癖をつけなかったこともあり、水などかけたらとんでもないことになる。だからよそで洗ってもらったことはあるが、自らの手で洗ったことは一度もない。よくペットの洗濯機ではないが、そういう場所があるのだが、田舎にも以前は姿を見たが、今は商売にならないのだろう、みかけない。だからますます「洗う」という行為は遠のいてしまっている。

 人間ではないから、文句も言わないし、その方が気分よさそうにしているから、わたしも満足している。年老いてきたこともあり、冬になったということもあって、犬小屋に妻が毛布を敷いてやった。なんでも噛み千切ってしまう我が家の犬だが、さすがに毛布を食べ物とは思わないようで、夜はその中にくるまって寝ている。みるからに暖かそうである。その毛布を敷いてやってからというもの、日に日に体が白くなってきて、いまやずいぶん垢抜けて、新鮮なつやを見せている。

 ご存知の通り、アクリルタワシは、油汚れなども落してくれる。洗剤など使わなくとも十分に綺麗になる。どうもそれと同じことのようで、犬の毛についていたさまざまな汚れが、毛布によって分解されたのか、とれてゆくのである。そしてこのように見違えてきたのである。こんなに綺麗になるのなら、もっと前に入れてあげればよかった、と思うわけだ。

 人間様の社会にもこんな手軽で汚れを落せる毛布があったらよいのに、なんて思ったりして・・・。
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電飾

2006-12-28 08:03:58 | ひとから学ぶ
 「Xmasイルミネーションはイラネージャン」というボッケニャンドリさんの意見は、けっこう多くの人に受け入れられるかもしれない。電飾で家の庭を飾る、なんていうのはもう10年くらい前から田舎でも目立つ。確かに賑やかでよいのだが、そんなとき妻はいつも電気が無駄だという。しかし、実際は電気の量など僅かなのだろう。だから無駄だというのならもっと無駄なことは山とある。そういう問題ではなく、まったくの自己満足の世界が、人には受け入れられている、と思い込んで電飾をしていることに違和感があったりする。とはいえ、ボッケさんが例に出した自転車の方向指示器の話を聞いて、自らもそんな世界に憧れた時代を思い出しながら、微妙に心が揺れるのである。人はどこかに必ず賑やかな世界を持ちたいと思う部分がある。すべての人がそうとは言わないが、大小はあるだろうが、少なからず両者の世界を持ち合わせる。そうでなければ賑やかな空間に人は集まらないだろう。

 わたしもけして賑やかな世界は好きではないが、そんな世界に入っても何をすれば自分らしく過ごせるか、というイメージは持っている。それは人によって異なるもので、いかに大勢の中で自らを目立たせる、あるいは目立たなくとも自分を通すことができるかが、そうした空間で自分なりに満足できるかの鍵となる。大勢の中での自分というものは大変孤独ではあるが、だからこそ、自分がよく見えてくるし、自分のあり方が見える。一人でいてはそれは見えない。

 と、そんなことはどうでもよいが、いずれにしても電飾に深入りしている人たちも多い。夜中にチカチカと点いていると、まさに自己満足としかいいようがない。しかし、防犯にはなるかもしれない。夜中にあまりに目だって美しくしていて、昼間どんな家なのだろうと注目を浴びて見られるのも気分的にはよくない。時にはがっかりする人もいるだろう。だからやるにしてもほどほどが良いと思うのだが・・・・。電飾は夏にする人は少ない。たいがいはクリスマスの時期に盛んになるのだが、けっこう冬の間賑やかにさせている家もある。冬だからこそ星が美しく見えるだろうに、わざわざ電飾に目を奪われている人々も、またそれをする人たちも、やはり今風といえば今風で、本質が見えていない、ということになるのかもしれないが、まあ、気持ちはわかるので否定はしない。そんな曖昧な気持ちで見ている人もけっこういるに違いない。
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落札率にみる退廃

2006-12-27 08:15:27 | ひとから学ぶ
 建設系の新聞で「新建新聞」というものがあって、12/22付誌上のトップに「全国知事会官製談合防止へ指針」というタイトルが見えた。タイトルはとくに興味はなかったのだが、そこに示されていた47都道府県の入札制度の現状という表に目がいった。それぞれの県の入札の現状がみてとれる。それによると、一般競争入札を原則的にすべての入札に適応しているのは長野県だけである。下限の金額を設定していくら以上は一般競争入札を導入している、というのがほとんどの県である。その下限の金額がまちまちで、さすがに地方の小さな県は、下限額が低い。それでも地方とはいえ、秋田県や福島県・栃木県・大阪府・鳥取県の24.1億円という同額の下限値、みんな足並みがそろっていて何か意味があるのだろうか、と思ってしまう。24億円の工事なんてそうあるものではないから、ほとんど指名競争入札なんだということがわかる。そこへいけばすべての工事を一般競争入札にしている長野県は、すごい先進県なんだろうが、それだけに地域にとっては厳しい競争についていけずに倒産してゆく業者が多いわけだ。だからこそ、長野県は大変なことになっているということはよくわかる。

 加えて平成17年度の平均落札率というものが表示されている。最も低いのが宮城県の75.6%。次いで長野県の78.6%となる。それ以外に70%台はない。次ぐ値は滋賀県の85.2%で、ついで岩手県の89.2%である。岩手県の値はほぼ90%といえるから、先に示した2県とちょっと高い1県を含めた3県意外は、90%程度以上といっても差し支えない。どちらが正当かというと、常識的に考えれば44都道府県なんだろう。一億円の仕事を発注して、片や8千万以下、片や9千万円以上と、1千万円も差があるのだ。稀な話ではなく平均値である。とすれば、落札率の低い地域では、請負側が赤字でも仕事をとろうとしているわけで、結局そのつけは下々にやってくる。もっといえば、地域の業者は自らの身を削っていくしかないわけだ。本来、公共工事においては、県などが設定している単価で積算され、なければ見積を徴収して最低価格が採用されている。ということはどういうことかといえば、県が発注する工事は、けして高いものではないのである。資材などの購入価格が最低レベルだとすれば、請け負った業者はいわゆる経費を削るしかないわけである。かつては50%とか60%で落札するような工事もあったわけだが、こうなるとほとんど経費はない。現場を管理するための経費や、雇っている人たちの保険に回すような経費すら補えないわけだから、普通に考えればそんな工事を続けて請け負うなんていうことは不可能である。本来の経費の半分くらいで仕事を請け負ってゆくのだから、正規な社員をそこにあてて仕事をこなすなんていうことはできない。当然下請けにその付けを課したり、あるいはどこかで手を抜くなんていうことになっていくわけだ。同じことは製造業でも起きている。このごろ景気が上向いた、という雰囲気のせいなのか、資材が値上がりを始めている。今ままではみんなが苦しかったから、資材を出す側も相応の苦しみをして我慢してきた。ところが、それも限界というところなんだろう。おそらく落札率が当たり前のように低く続けば、資材の流通単価が上がったりしてみんな我慢をしなくなるだろう。でも銭がないことには変わりがないから、消費が落ち込んでゆく。同じ現象はあちこちに現れてゆくはずだ。

 確かに談合は許されるものではないかもしれないが、だからといって弱者にその付けを回すのは、この国の常識なのだろうか。
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年末総会から

2006-12-26 08:15:32 | ひとから学ぶ
 の年末総会が開かれた。2年前まではこの総会が年度末総会として開催されていたが、今は年末総会である。簡単に言えば、忘年会のようなものである。年度末に行なう総会で忘年会をするというのなら、まだなんとなくであるがそれらしき雰囲気があるのだが、最近は年度の枠が大きくなってきて、暦上の一年の区切りはあまり意味をもたなくなってきた。まもなく正月というのに、わが家にはそんな雰囲気はまったくない。それもわたしが忙しくしているからよけいにそうなっているのだが、息子も進学の年だというのにまるで真剣みがなく、机に向えば寝てばかりいて、母との口論が絶えない。たまに帰った自宅なのだから争い事は止めてほしいと思うのだが、あまりにのんきな息子に期待するばかりの母が空回りをしている。こちらも、忙しくしているのだが、そんな争いごとをしていると気になって何もできなくなる。だからますます家庭の中は暗くなる。それもこれもわたしが単身赴任しているせいだとはいわないが、難しい時期に近くにいてあげられないわたしの責任でもあるのだが、こちらもとても余裕がない。ダメだ、というと沈んでゆく息子を見ていて、なぜにもっと自分のために考えられないのか、とこちらも悩んでしまうわけだ。それを毎日やっている妻はもっと悩んでいるのだろうが、なかなか上手くはゆかない。

 とそんな思いをしながら総会に参加している人たちの顔を見ていると、総会の意義はわかっていても先々この地域がどう生きつづけていくのか、という部分は不安ばかり、といった雰囲気がある。さまざまな常識を変えてきたことが、果たして良かったことなのかどうか、そんな疑問を持っている人はそうはいない。なによりこの時期に年末の総会が行なわれるのなら、やはり年度はここで変えてほしいものだ。ところが強い行政指導によって年度は行政に合わせられた。さまざまな考え方があってよいはずなのに、どうも統一した流れに進むのが常識だ、という流れが出来上がってしまっている。けして否定できないものではないのだろうが、住民のなかにもそれほど今までの流れを真剣に考えている人はいない。だから役所が勧めるのなら、という程度に人々はどんどん流れてゆく。異論はあってもその異論が表に出ず、出せば出しただけ反発が多くなってきてしまう。住民参加といいながらも、役所とは勝手なもので、責任回避ということについては役所に勝てる団体はない。だから参加する人は限られてくるし、多くの住民の言葉を聞いているようで、実は昔以上に少数意見によって自治が動いているようにも感じてくる(すべてではないが、そう感じざるを得ない、ということ)。田舎であればあるほどにそういう傾向もある。

 とそんなことを考えていても、わたしにはどうにもできない事実である。余裕が欲しいと思ってもそれはないし、ただただ回りに流されて行こう。そんな気分である。多くの地方の人たちが、そんな雰囲気にのまれているのではないだろうか。
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消えた村をもう一度⑭

2006-12-25 12:07:47 | 歴史から学ぶ
 現在の飯田市の大枠ができたのは、昭和31年9月のことである。のちに川路村や龍江村・千代村・上久堅村が編入されてきたが、その間も旧飯田町に隣接していた上郷村や鼎村への合併申し入れがされていた。そうこうしているうちに鼎村は昭和29年に町制施行、上郷村は昭和45年に町制施行し、どちらの町も周囲を飯田市に囲まれながらも、長い間独自の行政を行なってきた。囲まれているから合併してもなんら問題があるようには知らない人は思うのだが、背景にはさまざまなものもあったのだろう。山間を持たずに集落域しか目につかなかった鼎町は、とくに囲まれているという印象は強かった。よそものにはどこが飯田市との境なのかまったくわからないほどであった。

 その鼎町がいよいよ合併にこぎつけたのが昭和59年の9月である。当時は合併による市町村の動きがあまりなかった時代だけに、印象に残っているが、前にも述べたように、合併してもさほど関係がないくらいに溶け込んでいただけに、よそものには当たり前の合併劇のようにも写ったものである。長野県内でも人口密度がもっとも高かった行政区域が消えたときであった。合併後に始まった国道153号線のバイパス工事により、旧鼎町の名古熊から上殿岡地域は郊外型の大型店が出店して、いわゆる飯田町の繁華街であった「丘の上」が廃れていく要因となっていった。今では飯田の中心的な商業地域となっている鼎町である。

 古いパンフレットを持ってはいるが、さすがにこの鼎町のものはなかった。たまたま合併後しばらくたってからのものがあった。写真はそのパンフレットであるが、飯田市鼎商工会が発行したもので、1991年のものである。この表紙にも解説されているが、「信州の南部、飯田市の中心地、海抜450m前後の東西に縦長い三段丘の地形からなっている。飯田ICから伸びる国道153号バイパスが開削されつつあって、運動公園通りと共に、新しい商店街の胎動が聞こえ・・・」と続く。位置的にも中心にあるこの地を中心に、新しい飯田の街がここに作られていったわけである。

 パンフレットはB5版の6ページのものである。石碑・道標と神社や仏閣、そして獅子舞の頭を紹介している。

 この「鼎」という字はなかなか読むことはできない。「かなえ」と読むわけだが、漢字の姿からもわかるように支えあうというような意味があるのだろうか。広辞苑によれば、食物を煮るのに用いた金属製の容器で、普通は三足、とある。町の形が三角形に近いことも名称の原点にあるのだろうか。いずれにしても平成の合併劇で、すでに鼎町が飯田市ではなかった時代を語る人は少ない。

 消えた村をもう一度⑬
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仕事は昼間するのが当たり前

2006-12-24 13:45:26 | ひとから学ぶ
 別ブログではここ何週か触れてきているが、この週末も午前零時近くに自宅に向けて出発した。国道19号を長野から松本に向けて進むが、夜間とはいえ片側交互通行が多い。明科町までの間で5箇所の交互通行があったが、そのうち実際に夜間工事を行なっている箇所が2箇所あった。どらも舗装の打ち変え工事のようであったが、昼間の工事では渋滞になってしまうということもあって、夜間に行なわれているのだろう。この日に限らず、長野市内の夜間を少しみてみると、ところどころで夜間を狙った工事が行なわれている。道路の利用者にとってみれば夜間にやってもらえれば、道路が渋滞するわけではないから、ありがたい、という気持ちにはなるだろう。とはいえ、そういう考え方が果たして良いのかどうかは疑問もある。当たり前のようにそういう工事を目にするたびに、何もこんな夜中に仕事をせずともよいのに、と思うわけだ。まだ工事ならともかく、交互通行の多くは、工事はされておらず、仮設の土留工が施工されているために交互通行は避けられない現場である。そんな現場は夜間工事は行なわれていないが、交互通行の誘導のために、誘導員がずっと立っているのである。まわりは住宅などまったく見えないような山間の地なのだが、そこそこの通行量があるからなのだろう、誘導員が配置されているのである。

 話は全く変わるが、お役所が事業(工事など)の説明をするにも夜間に行なわれるということは、ごく当たり前になっている。かつてなら昼間の平日に行なわれていたようなことが、夜間に行なわれるのである。確かに多くの人を集める、あるいは参加できる場を求めるとなるとそういうことになる。なぜそうなるかといえば、お分かりのように昼間はみな仕事に行っているから、そんな場所に休んでまで参加することは不可能となるからだ。しかし、あまりにそういう意識が高まることは、わたしは良い方向とは思えないでいる。人の暮らしは本来なら仕事にしてもなんにしても、通常の状態で行なうのが当たり前だと思う。とすれば、その通常の状態とは、平日とは言わなくとも、日中であると思うのだが・・・。

 以前、ある村誌の編集の会議でこんなことを言った人がいた。「良い仕事をするのに会議を夜にするなんてとんでもない」と。わたしとしては昼間の会議となると仕事を休んでこなくてはならない、ということもあってあまり嬉しい話ではなかったが、その場にいる人たちもおおかたが仕事で縛られている人たちではなかった、ということもあって、この会議が夜間に行なわれたことはその後一度もなかったわけである。しかし、考えてみれば、この発言は的を得ていると思うわけだ。いや、的を得ていたとしても、なかなかそうはいかないかもしれないが、意識としてはそういう考え方がなくなってしまうのは残念なわけだ。

 そういうできごとから冒頭の夜間の仕事をとらえたとき、このごろは迷惑なことは人の動かない夜間に、という意識が強くなっている。都会の混雑する空間ならともかく、地方の田舎にもそんな意識が当たり前のように常識化してくることが残念でならないのだ。加えて、住民は役所がかかわる会議ともなれば、当たり前のように「夜間に開催」が常識化してきている。村誌の会議での発言のように、しっかりした仕事をするのなら昼間に、そして、自分たちが本当の意味で参加して大切なものを得ようとするのなら「みんな仕事があるから」などという理由は理由にならないと思えてくるわけだ。とはいえ、生活ができなければどうにもならない、という意識もわかる。そういう社会になっていながら、隣近所で支えあおう、なんていう考えはどうだろう。考え方しだいのはずなのだが、常識的でない考えが横行することで、人々はそれが当たり前だと思ってきてしまうことが残念でならないのだ。
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村外から通う村職員

2006-12-23 20:54:16 | 農村環境
 村役場の職員がどれほどの待遇なのかは、世界が異なるからわたしには解らない。

 12/22の信濃毎日新聞朝刊に村役場職員の村外移住のことが触れられていた。以前にもこのことについては触れているが、小村の職員であっても、かなりの職員が地元に住まず、他地域に住んでいるケースがある。もともと他地域の職員を採用している場合はともかくとして、村内の住民を採用したにも限らず、村外へ移住して、そこから通っているとなると心情的には複雑ではある。いや、もっといえば、村外の職員を採用する意図とは何なのかということにも関係してくる。時代が上向きな時代には、公務員になり手がいない、なんていうこともあって、村外の優秀な人材に頼るなんていうケースは稀にあったのだろうが、採用時に優秀だからといって、採用後も優秀とは限らないから、一種の賭けのようなものである。今のような時代を悟っていたら、村外の職員を採用しようなどという気持ちは生まれなかったかもしれない。

 新聞によると人口960人の南相木村で、村職員が佐久市などに移住して村外から通勤していることが議会で問題になったという。「村に住んで、村を維持していく意識を持ってほしい」という議員の意見は、確かに的を得ている。平地の環境に左右されない地域の小村ならともかく、山間の環境が険しい地域での小村の職員ともなれば、自然災害の際にどういう対応をするのか、ということを考えると、遠隔地に居住していると、村民は不安にもなるだろう。身近にいないから顔も見えなくなる。常に同じ空間にいるということは、職員として負荷は大きくなるが、村のために暮らすという意識は、けして無駄なことではない。44人の村職員のうち、4人が村外から通勤しているというから、以前わたしが触れた長野市近郊の町村にくらべれば、まだましな方なのかもしれない。しかし、峡谷にある村と、平地にある佐久市という空間からすれば、自ずと災害時には寸断されることも予想される。とすれば、村に重大な災害が発生した際に、村の職員でありながら村に入ることはできなくなる可能性もあるわけだ。

 この問題はたまたま村の職員という立場を例にあげているが、それはそうした公務員だけに課せられたものではない。親や親戚が住んでいるにもかかわらず、子どもたちはよそへ住家を求めてゆく。本来なら親の面倒を見るのは子どもたちなのだろうが、そういう意識はことごとく捨てられてきた。今や子どもが親を見る、という意識は過去のものとなり、それぞれが「尊重」という名のものとに、別の生活を送っている。とすれば、村の職員だけに筋論を求めるわけにはゆかない。こうした村の職員のよそへの移住は、視点を変えると将来の合併時まで進む。かつてある村の職員と話した際に、明らかに「将来は○○市だから」という言葉を発していたことには、これで住民のために働けるのだろうか、という印象があった。合併後の地域がダメになるのも、そこに暮らしていた人たちの意識低下にほかならない。それを前提にした合併が、山間の地に本当にあるのなら、合併は良いこととはかなりの確率で言えなくなる。合併を勧めているのは国である。しかし、そこにこんな内面を意識した施策などまったくないわけだ。それだけに住民は、合併がどれほど自分たちを変えてしまうか、ということを納得しておく必要があるだろう。
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山口県て、どこにあるの

2006-12-22 08:15:31 | ひとから学ぶ
 息子たちが山口県で開かれた全国中学駅伝に応援に行ったことは、以前にも触れたが、一緒に駅伝部の生徒が何人か同行した。今年の女子は全国まで届かなかったが、来年は女子も全国を目指している、というのが内心のようだ。そんなこともあってか、女子の駅伝部員も何人か同行した。息子が言うには、とくに女子の中に「山口」といってもどこにあるか認識していない人が多いという。考えてみれば山口県といっても印象は薄いかもしれない。

 何度も触れているが、例えばNHKのニュースで長野県内に関するニュースが複数報道されることは珍しくない。それほど事件や事故の多い地域という印象がある。県域が広いということもあるのだろうが、それにしても話題にことかかないのかもしれない。知事が変わって少し静かになった雰囲気はあるが、よそから来る人が多いだけに事故は多いし、山岳地帯ということもあって気候に左右される環境下にある。地方版の新聞なら当然地元のことに触れる量が多いから、よその地方のことなどよほどのことがないとニュースとして掲載されない。

 たとえば昨日の地元紙、信濃毎日新聞を探ってみよう。知事の逮捕にまで至った福島県の話題、財政破綻の北海道(夕張市)の話題、宮崎県知事再逮捕の話題、愛知県(岡崎市)でのホームレス襲撃の話題、と明らかに一定の地域を対象にした報道はこの4件しか探せなかった。中央の話題はもちろん多いが、国内より外国の話題が意外にも多い。地方新聞だから地方のことを中心に扱っているのは当たり前なのだが、あらためて国内のほかの地域を対象にした報道が極度に少ないことに気がつく。地方新聞を対象にして調べてみたからいけないが、逆にいえば、地方新聞しかとっていなければ、国内のほかの地域のことなどほとんど認識の中に入ってこないということになる。加えて例にあげた内容のように、よいイメージの記事はまったくない。どれも汚職とか破綻とか襲撃、なんていう悪いものばかりで、いかに新聞からうける地方イメージは良くないものばかりかということがよくわかる。32ページもある新聞の中に、県外の話題が4件しか掲載されないというのもどうだろう、と思うとともに、子どもたちに新聞を読もう、といってもこれほど偏っていると、読んでいても山口県なんてほとんど話題に上がってこないから、どこにあるかなんて知らなくて当然かもしれない。
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正直者は住めない国

2006-12-21 08:10:54 | ひとから学ぶ
 先ごろNHKの昼か夜のニュースの前の地方局の番組案内のあとで、NHKからのお知らせをやっていた。初耳だったのは、受信料の家族割引というものがあるという。 いったいどんなものかというと、親元を離れて暮らす学生や単身赴任の方を対象にした、口座振替等の受信料額の33パーセント相当を割引くというものだ。こんな制度を知っている人がどれだけいるか知らないが、NHKはそういう制度があるとうことをアピールしてきたのだろうか。わたしはNHKをよく見る方だ。しかし、この制度があるということを耳にしたのは初めてだったわけで、いつから始まった制度なのかよくわからない。NHKのホームページに行ってみたが、そういうことは書いてない。

 わたしは単身赴任しているから、赴任先にもテレビがある。今時の家ならテレビなんて何台もあるのだろうが、あくまでも一軒で1台の契約になっている。我が家は自宅に1台、赴任先に1台しかないから、合計2台なのだが、それぞれのテレビに該当する受信料を支払っている。本来なら赴任先では支払いたくないのだが、ご存知のとおり、長野市みたいないろいろな人が住んでいるところでは、けっこうヤクザまがいの営業の人がやってきて、契約させられる。もちろん「自宅で払っている」という言い訳は通らない。契約できないと何度でもやってくる。子どもたちがよく「ウザイ」と言うが、まさにそんなときはその言葉を使いたくなる。それほど合いたくない輩である。面倒くさいからいろいろ言っていてもしょうがないから、結局契約をしている。それからもう3年近い。家を何軒も持っている人は家ごとにそれぞれ契約しているのかそこまでは知らないが、ただでさえ受信料を未払いが多いというのに、わたしのように一家で2口も支払っていると頭にくる。1ヵ月で3千円近く払っているなんていうと、けっこう頭にくるものだ。とくに今年なんかは帰宅が遅いから、ほとんどテレビも見ない。たかが1カ月数時間の受信料を払っているとなると、さらに疑問は大きくなる。

 そして今回の家族割引だ。昔からなぜそういう割引をしないのか、と思っていたものが現実になったのだが、まったく初耳で、契約している人たちにもっと広報するべきではないだろうか。電話会社だったら向こうから「こういうサービスがあります」と宣伝してくるくらいだ。それをせずに勝手に制度を作ったというのだからますます気にいらない。 適用条件というやつがホームページに掲載されている。それによると、

  -適用の条件-
  それぞれ以下の要件全てに該当する方が対象です。
  〔学生〕 ○ 大学・高専・養護学校など学校教育法第1条に規定する学校、専修学校(同第82条の2)、各種学校(同第83条)のいずれかに在学中の学生の方
○ 修業年限が1年以上であること
○ ご自身の受信契約と親元(実家)の受信契約のお支払方法が両方とも口座振替・継続振込・クレジットカード継続払のいずれかであること(同じ口座・クレジットカードである必要はありません)
 
  〔単身赴任〕 ○ 会社等に属し、勤務の都合上単身赴任をされている方
○ ご自宅(留守宅)に同一生計の配偶者かお子様がいらっしゃること
○ ご自身の受信契約とご自宅(留守宅)の受信契約のお支払方法が両方とも口座振替・継続振込・クレジットカード継続払のいずれかであること(同じ口座・クレジットカードである必要はありません)

以上である。 これによると、両者に別々の生活者がいないと該当しない。やはり住居をふたつ持っていると、どちらかに住んでいるだけだとダメということなのだろうか。なんとなくふざけた割引制度である。もっと気に入らないのは33パーセント相当を割り引く、というものだ。世の中未払い者が多いというのだから、そういう人からもっと確実にとるべきで、言いなりに口座落とししているような良い客なんだから、5割以上の割引は当然だと思うのだが・・・。

 ところで、契約しなくても罰則義務はないというのだから、未払いが横行するのも当たり前かもしれない。でもこんなことしていたら、正直者は馬鹿をみる、の典型的なものになってしまう。こんなふざけた行為が許されていること自体が不思議なことなのだ。そこまでして必要な放送局だというのなら、国家が運営すればよいことで、税金投入で維持すればよいのに、わざわざ自由主義の象徴のような曖昧さを持たせて不平等感を味あわせているのである。報道の自由と国家の論理をごちゃ混ぜにしているから報道すら怪しくなってくる。

 さて、よく調べてみると、受信機に対して1契約と言っているのだから、本来なら1台につき1契約となるのだろうか。そもそもこの受信料というやつ、かなり曖昧で怪しい、ということはよくわかる『ウィキペディア(Wikipedia)』に問題点があげられていて、そこにこんなことが記述されている。「企業などの事業所の契約率が低く、大規模な企業であっても実際の受信機設置箇所数ではなく「全社で3台分契約」といったアバウトな契約も少なくない。ホテルや旅館の場合も、各部屋にテレビがあれば1室1契約必要であるが、正確な台数で契約していないホテル等も多い。これでは払う方が損だということで受信料を納めることを拒む人も多い。そもそも、日本国内における正確な受信機の設置箇所数がはっきりせず、正確な契約率を算出すること自体が不可能な状況なのである。」というのだ。「何それ・・・」という感じである。企業から徴収されていない、なんて聞くと、やはりこれは弱いものいじめのなにものでもない。この国は正直なものは住んではいけない国なのである。
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今住んでいる人たちのために

2006-12-20 08:12:16 | ひとから学ぶ
 サンデープロジェクトで、伊勢崎市と北海道の伊達市を例にとって公共の建物の郊外移転問題をやっていた。どこの町でもありがちなことで、典型的なものは混雑した市街から、市役所が移転するというものだ。合併することで役所がなくなったり支所になったりして人々の出入りがなくなることもよくある。役所というものがどれほど地域の中で意味があるものか、ということは様々に議論する必要があるのだろうが、大方の場合は、建て直すにもスペースがなかったり、車社会になって駐車場が必要なために、郊外に移転していった例は多い。県内の最近の例では伊那市だろう。駅前近くにあった庁舎は、天竜川を越えた水田地帯に建てられた。それまでは何もなかった場所なのに、市役所ができると周辺にはさまざまな建物ができていった。すでに移転して10年ほどになるが、見違えるような風景になった。

 サンプロで触れられていたのは、そうした公共機関が元来マチ場にかたまっていたものが、郊外に移転したために、跡地の周辺が荒れてしまい、場合によっては風俗営業の店ができたりしているという。その例にあげられたのが伊勢崎市である。そのいっぽうで、できるだけまとまったかたちで公共施設を配置し、住民が利用しやすいかたちをとった伊達市は、公共機関が利用しやすいということもあって、よそから住みたいという人が転入する傾向があるという。

 伊達市は人口が少ないということもあって、そういうことが可能な環境であったのかもしれないが、注目したいのは、「現在住んでいる人たちが住みやすいマチをつくること」という考え方である。よその人々に頼るのではなく、今そこに暮らす人々を重視したということである。まさに財政再建で揺れている夕張とは対照的といえるだろう。メロンでも有名で、全国的にも名の知られたマチが、よそへ気持ちを持って行き過ぎたために、ようでもない観光施設を造るはめになった。自らが穏やかに住み続けるために、何をしたらよいか、ということを考えていれば、こんなことにならなかったのだろう。地方は外貨が落ちないから、どうしても財政難となる。そしてよそへよそへと目を向けたがるが、伊達市のように、身の丈を知り、高望みせず、自らが住みやすい地域を作ることが必要だろう。あまりよそ者を受け入れようとする策は、長い目で見るとベストとはいえないと思うのだが・・・。
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匿名の書き込み

2006-12-19 08:15:03 | ひとから学ぶ
 インターネット上なら何でも言える、なんて言う意識が批判されている。人と面と向って話せない人間が、こうした顔の見えない闇の世界なら好き勝手の物言いをする。掲示板への書き込みで誹謗中傷が横行していたのはずいぶん以前の話で、このごろはブログによるインターネット上での書き込みがしやすくなったということで、一定のページの書き込み板を狙って山ほど書き込みをするということが目立たなくなった。それほどインターネット上の意見が一般化してきたということと、溢れているから、目立たなくなったということもいえるのだろう。ただ、いずれにしても顔が見えないとともに、こうしたもののほとんどが匿名であることが、一層広がりを進めたわけだ。芸能人でもなければ、名前を明示したブログなどなかなかお目にかからないわけだ。

 「匿名ではなく実名でものを言おう」といった意見もある。人前ではなかなか言えないが、手紙なら書けるということは昔からあったことだが、今や手紙を書かないから手紙を書く際の葛藤というか、何を意図しようかという気持ちの揺れは、なかなか味あわなくなった。いや、その「気持ちの揺れ」などというものは今の時代では消え去っている。おそらくコンピューター上で言葉を並べていくのと、手紙で字に思いを寄せていくのはさして変わりのないことだと、現代人は思っているだろう。しかし、あらためて自らの字を手紙に書いてみるといい。きっとキーボードを打つのと気持ちは異なるはずだ。

 意見を言えることは良いことに違いない。だからけしてインターネットが「悪」と一言ではいえない。しかしながら、言いやすいだけに、逃げることも簡単である。嫌なことを言われれば逃げればよい。そしてそれが簡単にできるから、意識としてインターネット上ではない世界でも横行する。現代の問題は、そうしたところに起因してきている。どうやって人と人とのコミュニケーションを持てば良いか、などということが議論されるが、多種多様な職種が混在し、日常の生活がこれほど複雑で他人と合わすことが出来なくなれば、意図的なコミュニケーションがどれほど効果があるかも疑問になってくる。まずは現代の生業の現状と、地域社会の現状が議論されなくては、ますます会話のない議論が横行することになるだろう。

 実名とは言うものの、名前が果たして正確なのか、あるいはペンネームなのか、読む側には何も判断できない。とすれば、実名だとしても意味があるのかないのか、という疑問もわいてくる。あえて日記だから、公開する必要もないのに公開している意図は何か、ということにもなるが、自らを振り返っているわたしにはこの程度の内容がせいぜいである。だからコメントなどなくともそれでよい。本ブログは自らを示すものなど何もないが、文を読んでいれば、どこの住人で、歳はいくつくらいで、何をしているかなどはなんとなくわかるわけで、素性はそこそこわかってくる。このまま実名を名乗ることはないが、公開している二つのブログ、いくつかのホームページなど、どれもリンクしていて、「Trx Factory」の「工房の記録」には名前が記録してある。このごろは行動範囲も狭くなったし、多様な人たちとのかかわりもなくなった。まさに日記として、綴るだけである。
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消えた村をもう一度⑬

2006-12-18 08:18:58 | 歴史から学ぶ
 伊那市に合併した高遠町について以前触れたが、長谷村も同様に今年の3月31日になくなった。長谷村というと山ばかりの村という印象が強い。この村の面積は背後にある山が広大なためにとても大きかった。背後に展開する山々は、南アルプスの甲斐駒ヶ岳、仙丈ヶ岳、三峰岳、塩見岳と続く。この村が伊那市となったために、塩見岳まで伊那市になったわけで、隣は静岡市になる。わたしの自宅から見ると、塩見岳はほぼ真東に見える。山は東に見えるが、実際の伊那市までは、北へ進むと3市町村を越えていかないと行けない。ようは、東側に伊那市が回りこむように占有しているのだ。

 わたしは小学校低学年を分校で過ごした。もちろんその分校は、わたしが卒業して間もなくなくなったが、その分校時代の担任は長谷村の方だった。分校から本校へ進んだころ、担任の先生を訪ねて長谷村まで行ったことがあった。同級生の何人かと行ったのだが、そこまでどうやって行ったのかよく覚えていない。記憶にあるのは、その際に戸台という現在の南アルプス林道の口元まで先生の車で行ったことくらいだろうか。なにしろ、当時のわたしは車酔いがはげしかった。だから、道もよくない山道を車に揺られて走るということは、かなりの苦痛であった。高遠あたりから長谷の山奥までの道は、まさに山道という印象しかなかったのだ。今でこそ長谷への道はかなり整備されている。村出身のかつての代議士のおかげということになるのだろうが、今行くと、当時の印象はまったくない。

 パンフレットは20年ほど前のものである。まさに山の村らしく、南アルプスが表紙を飾る。今はもう聞くことはできなくなったが、合併するまではこの村の役場に電話をすると、「南アルプスの村、長谷村です」などという長い受け答えで始まった。急いでいる時は、長ったらしく短くして欲しいとは思ったが、いずれにしてももう聞くことはない。戸台から山梨県の旧芦安村までの南アルプス林道は、自然保護と開発で、一時は話題になった道路である。結局一般者の進入ができない道として完成し、両者を結ぶ村営バスが運行されていた。このバスの運行により、仙丈岳への登山は日帰りが可能となった。戸台から入笠山まで林道を走ったことがあるが、もう10年以上前のことである。本当に奥の深い村だった。

 ところで長谷村と駒ヶ根市の境に戸倉山という山がある。この山の山頂に建てられた石仏がもとで、景観破壊ではないかと石仏の撤去行動がかつてあった。わたしの認識している事件ではなかったが、この論争は、いわゆる自然保護か開発か、という論争に近いものがある。建てられた石仏は、この山が信仰の山であることから「戸倉山を愛する会」が建立したという。しかし、「伊那富士」として親しまれているだけに、山の愛好家にあっては景観を損なうという印象が強かったわけだ。造られた薬師如来像は、台石も含めて1.3メートルほど。人の背丈よりは低い。山頂には山々の説明をするために説明板があったり、さまざまなものが造られていたする。この大きさがどれほどのものかは、観る側の感覚で大きく異なるということをこんな論争から認識したりする。難しい世の中だと思うばかりである。


 消えた村をもう一度⑫
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息子帰る

2006-12-17 03:59:58 | つぶやき
 全国中学校駅伝大会の応援で山口まで行った息子が帰ってきた。大会終了後に出発して今日の朝3時に帰宅した。ホテル亀福の3階に泊まっていた関係者がほとんどやられたという。発症した選手たちがまだ入院する前に接したという息子は、亀福にけっこう長い時間いたという。山口からウイルスを背負ってきたみたいな雰囲気があって要注意である。1区のみ走った松下君は、発症していなかったというが、走ったあとに熱があがり入院してしまったという。免疫力を失って発症したところからも、きっと走った選手たちの中にも体調を新たに崩した人もいただろう。

 あらためて今回の報道のいいかげんさを知った。長野県内のニュースでも、「代表校は参加したものの途中で体調が悪くなって棄権した」とあちこちの局で報道していたが、実際は発症していなかった1人だけ走って2区へつないで棄権すると最初から決めていたわけで、走れる選手は1人だけだったのである。「正確な情報を」という公式ホームページでの応援メッセージボードの投稿からもわかるように、男女のうち7校が欠場したという報道であったが、途中で棄権した学校も、走れる選手だけは走らせて棄権することを前提にしていたわけで、名前だけ参加はしたものの欠場校の数はもっと多かったわけだ。さらにいえば、北海道はどうみてもなんとか出場しただけで、欠場校以外にもとてもベストとはいえない学校が多かった。もう少し正確な報道であってほしかった。

 1走の松下君から2走の臼田君まで渡して棄権したところで、走れなかった選手たちは泣き崩れていたという。優勝候補とまでいわれ、3位以内確実と思っていただけに、落胆は大きいだろう。常に部の中心でおおらかな姿を見せていたエースへ、息子は声もかけられなかったという。この経験を糧に、とは簡単に言えるが、つらい経験であることに変わりはない。「すごい経験をした」と語れるかもしれないが、優勝でもしていたらもっと大きな思い出を作れていたわけだから。
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