Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

雨戸のこと

2009-08-04 12:32:36 | 自然から学ぶ
 ボッケさんが雨戸のことについて触れていた。ボッケさんはもともと長野県の方ではない。「佐久に来て最初に感じたのは雨戸のある家が少ない」というものだったというから、「雨戸」を意識する地に育ったのかもしれない。長野県に住んでいる人がすべてそうだとは言わないが、よその地域に行って「雨戸」を意識することはそれほどないはず。というか「雨戸」というものをもともと意識していない地域かもしれない。その理由はやはり台風がきてもそれほど風が強くならないということもある。そもそも上陸してくる台風が、九州から南紀にかけての太平洋岸にたどりついたころと、このあたりまでやってきたものではまるで違う。雨の量も違うが風に至ってはかなり違うのではないだろうか。もちろん台風被害を被らないわけではなく、風による被害も毎年のように聞く。しかしその場合の被害はおおかたが果樹の落下といった農作物の被害である。家が風によって被害を被ったという話はそれほど耳にしない。こうした環境が「雨戸」を意識しない家づくりになる。長野県ではリンゴや梨が多く栽培されている。それらは台風がやってくる時期を越えて物になる。ようは台風の影響を一度ぐらい受けながら収穫を迎えるわけで、それでも生産されるわけだからそうした被害を受けない地域特有の産物とも言える。ようはリンゴや梨が太平洋岸で生産されても台風の季節と合わないように生育させないと収支が合わないということになる。歪化の普及でリンゴのフジがずいぶん南でもできるようになった。とはいってもだからといって風の強い地域では難しいということになる。ということで「雨戸」を必要としなかったというこになるのだろう。

 とはいえ、昔の家はどうだったかと言うと、実は今のようなサッシが普及するまでは雨戸が備えられていた家を目にしたものだ。昔のガラスならちょとしたものが飛んでくればすぐに割れてしまったし、ガラスどころか障子戸が外とを遮る戸であった時代には、雨を防ぐためにも雨戸というか木戸が必要だったのである。わたしの生家でも前代の家はそれほど古い家ではなかったが、記憶の中では外との境界には障子戸があった。そしてその外側に板戸が閉められるようになっていて、これがいわゆる雨戸だったのかもしれない。しかし、ボッケさんが捉えているような立派なものではなく、雨除け程度のものだったと思う。その家にサッシ戸が付けられたのは昭和45年ころだろうか。いわゆる外付けサッシであり、この建具の登場は雨除けということに関しては画期的であった。これを境にして雨戸を閉じるという行為が極端に減少していく。サッシ戸の改修とともに雨戸も無くなるのである。

 実は現在の生家にも雨戸が備え付けられている。とはいっても東側に面した部分のみで、なぜここには雨戸が設けられたのか聞いてみたこともなかった。東側からの風が強いということでもないと思うが、いずれにしても今わたしが住んでいる家に比較したら風のまったく弱い地域である。雨戸を意識しながら近所を見てみると、備え付けられている家がまったくないわけではない。わが家のあたりでは南風がふだんから強いということもあって、確かにないよりはあった方が良いのかもしれないなどという印象はある。他県からこの地に移り住んだ人が家を造ると、雨戸が四方にめぐらされ完全武装された家が登場することもある。いたってこの地域の人たちは、台風が来るというと果樹が落ちないか、とか稲が倒れないかと心配する方が先で、家のことを案じる人はまずいない。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 自然保護から見るリニア | トップ | 線路際に見るキキョウ »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
風より水害? (ボッケニャンドリ)
2009-08-05 11:54:13
 2年前だったか、軽井沢町と御代田町では台風で木が何本も倒され、停電騒ぎもあった。なので風は強いと思うんだけどなぁと思いつつ読んでました。

 でも風で屋根が飛ばされたとかガラスが割れたってあったのかなぁ。ニュースではあまり聞かなかった気がする。そんな風よりは土砂崩れの方が気になるのかな。

 その時の台風では木が倒されるだけでなく、土砂崩れで道路が寸断された所もけっこうあった。家ごと潰されるようでは雨戸なんて関係ないってことですかね。
返信する
おそくなってすみません (trx_45)
2009-08-12 23:03:27
 そうともとれますが・・・。
 佐久あたりは平らですから、長野県内でも風は強いのかも。
返信する

コメントを投稿

自然から学ぶ」カテゴリの最新記事