Cosmos Factory

地方は終焉を迎え、無秩序な空間は途方もなく宇宙まで続く。

〝かにかや〟

2017-02-03 23:20:17 | 民俗学

松川町生田中峠の家に貼られていた「かにかや」

今は住まわれていないようなので、今年のものではない。こうして剥がれるまで貼りっぱなしというわけで、残っている限り「魔除け」となるのだろう。

 

 「かにかや」と検索をすると〝節分 - Cosmos Factory - Gooブログ〟がトップに登場する。もちろんこの日記の過去記事である。引き続き検索一覧に並ぶのは、いずれも飯島町界隈のもので、ここから飯島町周辺の特徴的単語と捉えられる。「節分」でも触れているようにその単語の意味は「鬼がやってきてカニとカヤと違う、へんだと思案しているうちに夜が明ける」、あるいは「カニが鬼をはさんで、びっくりした鬼がカヤカヤ騒いで逃げて行ってしまう」というような伝承があるが、「かに・かや」は蟹と榧と考えられる。蟹は鋏を持ち、の葉は「先端は鋭く尖っており、不用意に触れると指に刺さる場合もある」と言われるように近寄りがたさがある。ようは防ぎの意味があり、鬼(悪霊)を退散させようとして考えられたものなのだろう。とはいえ紙片に「かに・かや」と書いて戸間口などあちこちの建物の戸口に貼る風習はこの地域特有のもの。下記に飯島町周辺から南北の伊那谷の事例を拾い上げてみた。上から北から南下するように並べてみた。「かに・かや」は南下すると「かに・ひいらぎ」に変化していく。意図は同じと考えられる。とりわけ音をたてたり、悪臭を放つ行為はコトヨウカ行事にも登場するもの。年中行事を扱った報告書によると、大鹿村大河原には「節分」の項があるが「コトハジメ」(百万遍)はない(『大河原の民俗』長野県下伊那郡大鹿村教育委員会 昭和49年)。いっぽう大鹿村鹿塩には前者はなく後者はある(『鹿塩の民俗』長野県下伊那郡大鹿村教育委員会 昭和48年 65頁)。単なる調査漏れかどうかは解らないが、コトヨウカ行事が行われているところでは節分行事が低迷し、節分行事が顕著なところではコトヨウカ行事が低迷する傾向が見られる。松川町の事例の中に「本物の蟹やかやや、ひいらぎの葉を門口にさしたのを略して紙に字を書いてはるようになった」とあるように、紙片に書いて魔除けにするようになったのは簡略化された姿と捉えられる。とはいえ「かに」「かや」という似て非なる2字を鬼を惑わせると考えたのは伝承性が溢れていて楽しい。が、それほど昔からのものではないのかもしれない。阿南町の事例に六日年、いわゆるカニの年取りの風習が節分に移行していったようにも書かれている。こう見てくると節分も年取り、いわゆるコト特有の悪霊払いの所作とも言えそうだ。

 おわりに「かにかや」習俗を導いておこう。このあたりでも戦後松飾りから松が消えた時期があったという。ようは紙に書いた簡略化されたものを飾りの代わりにした。これは松本あたりでもよく聞いた話してあるが、「かにかや」も明らかに同じ流れで発生したものといえる。松が山から減ったために行なわれたものとは主旨が異なるかもしれないが、紙に書いたものにすることで資源を大事にしたとも考えられる。

 

○この日夕飯を煮る時、魚の頭を茅にさして火で焼く。これは虫がたからぬ呪であって、焼きながら「なに焼くか焼く、四十二くさの虫の口焼く」と唱える。(辰野町川島)
○節分年といって年取りをする。取り勝といって夕方早めにとる。家の門に鰯を串に刺したのとヒイラギとを飾る。イワシの臭で人の臭を消し家の中に人がいないと思って鬼がはいってこない。「十二書」といって新しい薪の割ったのに炭で平年は十三本、閏年は十二本の線を書く。門口に立った鬼はその年の月数と違うので変だと思案しているところを、鬼やらいの豆で追い払うという。(伊那市山寺)
○豆がらの棒へ田作りと胡椒をさしたのを、木戸先へ籾がらをおきその上に燠をのせバカ草を焚きながらあぶって、家の四方や蔵などへさす。(高遠町山室)
○節分の年取りをして、木戸口に胡椒と草に籾ぬかをかけて焼く。豆撒きをする。(高遠町荊ロ)
○白い飯、醤油汁と魚で年を取る。「カニ・カヤ」と書いて戸口へ貼る。いろりの煤を払い藁のツツッコに入れていぶす。夜豆撒きをする。(飯島町本郷)
○夕方小さい紙切れに「カニ・カヤ」と二行に書いて、戸間口、戸袋・倉の中・便所・厩などに貼る。節分の夜鬼が来てこれを見て、カニとカヤと違う、へんだと思案しているうちに夜が明けるという。あるいは、カニが鬼をはさんで、びっくりした鬼がカヤカヤ騒いで逃げて行ってしまうともいう。藁で作ったツツッコに髪の毛・いろりの鍵の煤・胡椒を入れ、その上に火のオキを置いていぶす。悪臭で鬼が逃げるという。ツツッコに入れる物はまちまちで、榧の枝を入れる家もある。年取りは取勝ちといい、大正月と同様の御馳走。豆を妙る音が鬼に聞えるように檜の葉をパチパチさせて、火箸で妙って神棚にあげておき、夕食後おろして豆撒きをする。表座敷から裏座敷と順に「鬼は外・福は内」と唱えながら撒いて、最後に土間から外に向って撒く。この後豆をつかんで三度目までに自分の年の数だけつかめばいいという。撒いた豆をその晩拾うと鬼が逃げない。豆はとっておき初雷の時食べると雷が落ちない。(飯島町七久保)
○「かに・かや」と書いた紙札を各出入口に貼り、榧の枝・田作・唐辛子・女の髪の毛を籾殻と共に、藁のつつっこに入れて門口で燃やす。厄病災難を去って福を招くという。夕食に鰯で年取りをして豆撒きをする。(中川村片桐)
○節分の年取りで神棚にお燈明御神酒をあげ、お頭付をあげる。節を重んじた昔ほ節分を本当の年取りとした。縦三寸横二寸位の紙に「かに・かや」「かに・ひいらぎ」「賀仁」などと書いて、床前のわき・神棚の下・戸口・土蔵の扉などへ鬼が入らないように貼る。主人がこれを貼り、夫人が「ごもっともだ、ごもっともだ」と唱えて歩く。防ぎの加仁・加屋だと呼んでいる。田作りをススキの串にさして戸口にさす。鰯の頭・唐辛子・髪の毛・榧の実等を籾ぬかに入れ、門口で焚きいぶして鬼を追う。柳沢では藁つとに入れて燃やす。節分の豆は杉や槍の青木を焚いてパチパチ音をたて、火箸でカラカラ音をたてて妙る。(中川村南向)
○二寸四方位の白紙へ「かに・かや」と書き、各戸口の柱や神棚に貼り、夕方になると煤・髪の毛・胡椒を藁のつつっこに入れ、戸口で焼いていぶした。(松川町上片桐)
(以上全て『長野県上伊那誌』民俗篇上 上伊那誌刊行会 昭和55年 696-698頁)

○明治二十年頃まで紙片に かに かや と書いて家や便所・土蔵・納屋等の出入口の戸に貼りつける習慣があった。またヒイラギ(柊)の葉を挿す家もあった。(市場割)
 節分が陰暦の年内にある年は、ゑいかくし と称し、田作りを串に刺したものを戸口に挿す。年があらたまってから節分のある年ならば白紙にかにと書き、戸口戸口に貼って年取りをする。古歌に
 年の内に春は来にけり一年を去年とやいはん今年とやいはん
と歌ったのは、年内の節分を詠んだものである。(赤穂)
 これと同じ行事が、家によって六日歳や十四日歳に行なわれることはすでに見てきたとおりである。
 この日の夕方、木戸先で籾がらと唐がらしを置いて火をつけ燻らして鬼のはいらないようにする。(南割)この習俗は小正月でも行なわれていた。(『駒ヶ根市誌』現代編下巻 駒ヶ根市誌刊行会 昭和49年 550頁)

○魔よけとして、小さな紙片に「カニ・カヤ」と二行に書き、戸間口・戸袋・便所・うまや・倉の中などへべったりはる。この夜鬼が来て、「カニ」と「カヤ」では違うが変だと思案しているうちに夜が明けてしまうという。また、わらでこしらえた筒っこに、髪の毛や囲炉裏のかぎ筒のすす(煤)やこしょうなどを入れて門先でいぶし、その悪臭で鬼を撃退したという。本郷では髪の毛、いわしの頭、ひいらぎの枝、榧の小枝をいぶしたという。(『飯島町誌』飯島町 平成5年 1001頁)

○節分年はとり勝といい、朝食で年取りをした。これで初めて一つ年を加算した勘定とした。この朝「立春大吉」と大書して家内に貼る。「かに」「かや」と紙切れに書いて戸口に貼るのは悪魔除である。絵や書を火にあぶり「稲の虫も葉の虫も桑の虫も焼けろ」と唱える。悪魔除けに門の所で髪の毛や柊の葉を焼き悪臭を出す。いわしの頭の串に刺して立てる。悪魔退散を願っての行事である。(『伊那谷の民俗覚書-飯島町石曽根の四季-』唐沢千明 平成12年 132頁)

○藁でシャクシ形を作り、その上に髪の毛・いわしの頭・ヒイラギ、框の葉等をのせて門口で焼き、煙や臭いで鬼が入らないようにといって、悪魔払いをした。(『本郷区誌』本郷区誌刊行委員会 平成9年 502頁)

○主屋、土蔵の入口に「カニ、カヤ」と書いた紙切れを張った。(『本郷区誌』本郷区誌刊行委員会 平成9年 503頁)

○二寸四方位の白紙へ「かにかや」と書き、各建物の出入口の柱・神棚等へ貼り、夕方になるとすす・髪の毛・胡椒を藁のつつっこへ入れ、それを戸口で焼いていぶし、晩には節分どしをとり豆まきをする。檜の葉を燃やして男が火箸で熬った大豆を一升枡に入れ、神棚に供えてから家中を「鬼は外、福は内」と叫びながらまく。(『上片桐村誌』上片桐村誌編纂委員会 昭和40年 923頁)

○飾り物
①かに・かや
・たて・横五糎か六糎ぐらいの白い紙に、多くの家では平仮名で かにかや と墨で書き、家の玄関や裏口、便所、神棚、倉の入口など正月に門松を飾った所にはりつける。はるのは糊ではる家もあればご飯のおねばではる家もあった。
・湊字で蟹・柊と書いた家もあれば、蟹かや、かに柊、加儀加屋なども見たことがあったが極めて少なかった。
・はる場所は戸間口・裏口・納屋・便所・倉・各部星など家の入口にはる家と、まれには家の四方の柱と倉の戸という家もある。
・鬼(悪魔、いろいろの悪いこと、悪い病、災難)が家の中へはいってこないようにするためである。
 かにははさみで鬼の目をつき、かやは榧と書き、火にくべると目が痛い程強い煙が出るから、これで農作物の病害虫を防ぐというまじないらしい。
 また、かにははさみで切り、ひいらぎやかやは葉のとげで鬼をさす意味だというところもある。
②その他の飾り
 次のようにする家もあった。
・鰯の頭を樅の木の枝に挿し、玄関の入口に差して置いた。魔物よけとして戸締りの場所などへはったりさしたりした。
・鰯の頭の部分だけを竹の串にさして、つばきをかけながら囲炉裡ばたで炊き玄関の境にさしておいた。鬼が来るとこのように首を取って火あぶりにしてしまうぞと見せしめにするのだと、年よりから開いた。
・魚の頭を竹の串にさして鬼をこわがらせるというならわしがあった。
・ひいらぎの木とたつくりの頭を門口にさして邪鬼をはらう。
・柊の葉のとがった先へ鰯の頭をさし、それを門口の上へ釘で打ちつける。
・竹の串に柊の葉をさし、その上にたつくりの頭をさし、これを玄関や土蔵の入口へつける。
・柊の葉を小さい竹の串にさして門口にさしてある。
・かにかやの紙のかわりにむしたつくりの頭を竹串にさして門口に立てる。
・かにかやと書いた紙の外に、門口へ竹で小さな串を作りそれに田作り一匹とヒイラギの葉をつけて飾る。
・柊の枝やかやの木の枝へたつくりの頭をさして門口や土蔵の入口へ立てる。
・かに・かやの紙のかわりに、ひいらぎまたはかやの木の小枝の先へむしたつくりの頭をさしたものを使う家もあった。
・本物の蟹やかやや、ひいらぎの葉を門口にさしたのを略して紙に字を書いてはるようになったのだという。
 これらの意味について‥蚊よけのため、虫よけのためということもいっているところもあった。
・かに・かやの意味は、昔宮中で煤はらいのことを、「かにはらい」という。節分は旧暦の新年を意味するから、この「かにかや」は去年一年の悪魔をすっかり払ってしまう意味とも考えられるという人もいる。(『松川町の年中行事』松川町教育委員会 昭和46年 58-59頁)

○節分ドシともいう。バチバチと称し、鰯の頭をイチエの木に挿して黒豆を煎る。豆は「鬼のようだ。」といい、硬く煎るものとされ、この豆で豆まきをする。鰯の頭は悪魔が来ないようにという意味で、門口や家の四方に立てる。(『大河原の民俗』長野県下伊那郡大鹿村教育委員会 昭和49年 86頁)

○大正時代までは紙に「かに」「かにひいらぎ」「鰯ひいらぎ」等と書いて入口・倉庫等に貼ったり、鰯の頭・田作りの頭を竹串に刺、門口に附けた。簡単な年取を行ない大豆を炒る。そよも・桧などで火を焚き、バチバチ音がすると鬼が逃げていくといった。(『喬木村誌』下巻 喬木村刊行会 昭和54年 775頁)

○父親や家人はヒイラギというとげのあるかたい葉を付けた常緑樹の枝を何本かとってきて、それに、いわしの頭か、タツクリ(または干し)をさしたものを何本か作る。
(節分年の年取りを済ませると)さきほど作っておいたヒイラギの枝を、玄関や蔵・物置きなどの入口につり下げる。これは、追い払った悪い鬼どもが、再び家の中に入りこまないようにするためで、ヒイラギの葉のとげや、いわしの生ぐさいにおいが、鬼のしん入を防ぐとされていたのである。(『ふるさと飯田の民俗』飯田市教育委員会 昭和55年 162-163頁)

○小さな紙に「蟹・柊」と書き、また夕飯のイワシの頭を串に刺し、戸間口の戸袋の辺りへ蟹柊の紙を張り、イワシの頭を刺しておく。この二つを魔よけと言った。(『座光寺の民俗』飯田市誌編纂委員会民俗部会 平成13年 86頁)

○各戸は中折れ紙を縦二寸、横一寸位に切り、「蟹柊」または「かにかや」とも書き、その紙を各戸口へ貼った。(『座光寺の民俗』飯田市誌編纂委員会民俗部会 平成13年 93頁)

○檜の枝を燃やしてバチバチという音をさせて、大豆を炒る。この音で鬼が逃げていくという。戦後間もなくまでは鰯の頭を柊に刺したものを、建物の出入口すべてに下げたが、その後は和紙に「かに柊」と書いた紙を貼るようになった。蟹のはさみと柊の棘で鬼を追い払う意味がある。(『上久堅の民俗』飯田市美術博物館・柳田國男記念伊那民俗学研究所 2006年 171頁)

○ひいらぎの枝とイワシの頭をセットにして、戸間口、蔵、便所、井戸、作業小屋、神棚、おいべっ様などの入口に差した。(『山本久米の民俗』飯田市誌編纂委員会民俗部会 平成13年 79頁)

○カヤ・ヒイラギの木にイワシ・ムシの頭をさし、家の角・入口・神棚・恵比寿棚等に魔除けとして置く。豆はカヤ・モミの木を燃やしている。下栗では「バチバチそうどう、やっかいもそうどう、へびもむかでもそっちへ行け」と唱えながら豆をいる。(中略)下栗ではこの日、イヌガヤの燃えさしを水桶の上に置き、悪霊を除ける呪法がある。(『遠山の民俗』長野県下伊那郡上村民俗誌刊行会 昭和52年 322頁)

○昔は、鰯の頭・たつくりの頭を竹串にさし、門口につけたり、紙に「蟹」「かにひいらぎ」等と書いて入口・戸袋等に貼る家もあった。夕方、桧の葉で火をたきぱちぱち音をたて煎り、一升枡に入れ神前に供えてから「福は内、鬼は外」と大声で唱えて家の内外へ豆をまく。(『阿智村誌』下巻 阿智村誌刊行委員会 昭和59年 840頁)

○節分には豆まきをする。豆をいるときには青木(ガヤの枝、ヒノキの枝、ヒイラギ、アララギ)をくべてバチバチ音をたてる。豆まきには特別な作法はないが、升に入れて部屋ごとに「鬼は外、福は内」とか、「隣のババァは欲深かババア」などと言いながらまく。それからまいた豆を拾って年占いをする。ユルギの火をかき出した上に豆を一二粒並べ、一年の月の天気を占う。豆が白くなればその月は晴れが多く、黒くなれば雨降りで、雪は晴天のうちに入れた。升の中の豆を自分の年だけ一度につかむと縁起がよいといわれた。この日の豆をえびす様に供えておいて、初めて夕立様の鳴ったときに食べると雷が落ちないといわれた。日吉ではガヤの枝を取って来て、自分の家の水桶に鬼が飛び込まないようにふたをする。
 この日節分の鬼を作る。十二、三センチメートルの竹串や青木にニボシなど魚の頭を刺したものを、オニとかオニの首といって、出入りする戸間口に全部刺して回る。地区によっては小さく切った半紙に片仮名か平仮名で「カニ」と書いたものや、沢ガニを竹串に刺したり絵に描いたりしたものを、戸間口にはったり刺したりする。中には倉とか戸板とか、すべての戸の開くところへはる地区もある。このことからカニの年取りとか節分の年取りともいわれる。(『阿南町誌下巻』阿南町 昭和62年 915-916頁)

○大下条では六日の朝カニの年取りといって、戸間口や家の周りの柱へ中折りを小さく切ったものに片仮名か平仮名で「カニ」と書いてはって回った。昔は各地区でもこの日に行ったようであるが、現在では節分にこの行事を行うところが多くなった。(『阿南町誌下巻』阿南町 昭和62年 909-910頁)

 

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