Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ため池慣行のムラ⑦

2011-11-12 23:58:14 | 民俗学

ため池慣行のムラ⑥より

 記録を少し観察してみよう。当初は10月5日前後がツボとりの実施日だったが、これはこのムラの神社の祭典日とかかわっていたようだ。体育の日が10月10日だったころは祭典は10月10日だった。その祭典の肴の一つとしてツボが用意されたわけで、祭典の日に食べるには、準備を含めて5日前くらいに実施するのが良かったわけである。ツボは採ってすぐ調理できないわけではないが、泥臭いため泥を吐かせる時間を要す。またツボを殻から取りやすくするために尖った先端をカットする。一つ一つ洗い先端をカットしていく作業は簡単なものではない。そういう意味で実施日がほぼ5日前後になっていたのだろう。もちろん当時は休日ではなく平日に実施されていた。休日を選択するようになったのは平成時代に入ってしばらくしてからだ。平成に変わったころ10月下旬に実施されたが、平成5年から再び5日前後に戻れた。しかしそれも5年ほどのことで、以後実施は月の下旬の日曜日の実施に変わった。ちょうどそのころ参加者が3戸と減ったりして、各戸の参加可能な日に設定せざるをえなくなったためである。

 参加戸数も一時は3戸という時期があったが、後に4戸に戻り、今はほぼ4戸で固定している。前回も触れたが、平成7年にツボとりではなくため池の整備作業を行う日であると再確認をしている。そのためには受益者全員が参加するべきという考えだったわけであるが、その後も基本的にはツボを欲しい人が参加する行事であるということは変わっていない。もちろん戸数が減ったこともあって、今は特別な理由がなければ全員が参加している。

 次に収穫量のことである。当初は5戸で実施していたことから推察すると、昭和56年の総収穫量はバケツに12.5杯と言うことになる。それがここ数年はおおよそバケツに1杯配分されるところから4.0杯が収穫量だった。それが今年はバケツに半分と言うことで総収穫量で2杯ほどということになる。昭和56年に比較すれば2割にも満たないのである。ツボは日差しがあって日中暖かい日ほど泥の上に姿を見せる。冷たく肌寒い日には泥の上には姿を現わせない。ということで実施する日によって収穫量が変化するわけであるが、近ごろは条件が良くても収穫は減った。その理由は解らないが、ため池の泥の増加が影響しているともいっている。年々増えていく泥は、いずれ搬出しなければならない時が来ると、みなが認識している。

 「ツボとり」とは言っているが収穫はツボだけではない。タモロコとメダカもバケツに1杯ほど分けていた。大量のメダカを採って料理にするところなど、全国を見渡しても大変珍しいことだっただろう。タモロコの減少とともに、こうした魚の分配も控えめになった。絶滅してしまうことを恐れてのことである。

 続く


コメント    この記事についてブログを書く
« ため池慣行のムラ⑥ | トップ | 続・柿剥きのこと »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

民俗学」カテゴリの最新記事