Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

堤の草刈

2017-07-30 23:58:33 | 農村環境

 朝6時から堤(ため池)の草刈だった。近年は1時間余、午前7時過ぎには終わっていた草刈だが、今年は午前8時過ぎまでいつもの倍近くかかった。車道からのアプローチが長いこともあって、歩く程度ではあるが3尺ほどの幅で約100メートルの草刈もしなくてはならない。以前は当番がアプローチ分について事前に草刈をしていたのだが、関係者が4軒しかなく、当番だけにその負担を強いるのも大変だということで、この日同時に行うようになった。そういうこともあって、以前より少し時間を要すようになった。今でこそ奥まったところにある堤に用事のある人は、堤の関係者くらいだが、かつては堤の周囲にも段々の田んぼが何枚もあった。堤だけに行くためのアプローチではなく、耕作者のための道、ようは農道だったわけである。拡幅がならなかったため、また周囲の水田の条件が悪いため、3尺にも足らないような道になっているが、かつて周囲が耕作されていた時代には、明らかに周辺の関係者がアプローチの草は刈っていたはず。荒れ放題になることによって、草を刈らなくてはならないというニーズはため池関係者だけになってしまったというわけだ。こういう事例は山間の農業空間では当たり前のように発生している事象。田んぼ1枚耕作するにしても、周囲がみんな耕作放棄してしまうと、そうした空間環境は著しく低下する。それでもって周囲の草が押し寄せてくるから、自ずと耕作しようとする人の負担が大きくなる。耕作放棄の背景には、何といっても管理されている、ようは耕作されていることによる管理の手数の問題が大き横たわっている。耕作放棄しながら畦畔にしても、水田にしても、耕作している時と同じような管理(とりわけ草刈)を実施する人はほとんどいない。

 草刈を終えた後、来週に予定されている下の堤の草刈の事前草刈を行った。こちらのため池の関係者はもう少し人数が多いこともあって、遠隔から加わっているわたしはいつも当日の参加は遠慮している。そういうこともあって事前に人数割以上の草刈を事前に行って許しを得ているというわけだ。朝方行った草刈をした堤も、そして下の堤も、いずれも堤の土手の法尻に続いて我が家の水田がある。もちろん耕作放棄しているから、いずれも丈の長い草はもちろん木々も伸びている状態であるが、前述したように我が家がここを耕作していれば、堤の管理もしやすいのだろうが、荒れ放題になっているため、我が家の土地からも草がどんどん伸びている。昨年も草を刈りながら思った「これほど伸ばしてしまう前に一度刈っておけば楽なはず」、がまったく学習になっていなかった。1年ぶりにこの丈の長い草を刈りながら、昨年同じ場所に身を置きながら感じたことを思い出していたような次第だ。繰り返すが周囲が耕作をするということは、それほどの格差に繋がるということ。何しろ3メートルはあろう丈の草は、刈り倒すと自分に向かって寄りかかってくることもたびたび。加えて丈の長い草が倒れると、まだ刈っていない場所を覆ってしまい、それらをどかさないとその下の草が刈れないという面倒なことになる。

 ため池については、草刈を年1回実施するところが多い。そしてこの草刈が行われているかどうかが、ため池への依存度の証にもなる。ようは草刈を実施ないようなため池は、「使われていない」と判断しても良いほど。最低限の管理としてこの草刈がある。

 ということで堤の草刈で今日は終わった。

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