Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

郡境域を北へ向かう人々

2017-07-05 23:25:56 | ひとから学ぶ
 飲み会が少ないというわけではないが、伊那へ通うようになって同じ飯田から通う人たちと飲み会の折に車の乗り合いをしていることもあって、電車に乗る機会が5年前と比較するとまったく違う。もちろんほとんど乗らなくなったわけだが、回数券を購入しても6か月の間に10回乗るとは限らないので、まったく眼中にはない。したがって乗るたびに乗車券を購入しているわけだ。かつて毎日利用していた飯田線に、乗る環境がありながらほとんど乗らなくなったことを考えると、わたしが乗らなくなったのだから「今は空いているのだろう」、そう思うと全く違う。かつて伊那へ通っていた時代は、7時代の電車に乗ると、ほとんどの席は空いていた。ところが今は違う。いわゆる2人掛けシートに位置変更できるシートは、ほぼ満席。ようは2人掛けシートに必ず1人は座っているという状態で、あとはシートの位置(方向)変更をしても必ずどこかに発生するボックス(4人掛け空間)シートが空いているかどうかという状況。ようはへたをすると「よろしいですか」、と声を掛けなければ座れないほど車内には乗客がいるのである。かろうじて対面シート(窓を背にした)が空いているため、わたしはそこを選択して座るのだが、こんな光景はかつて利用した飯田線(上下伊那郡境域での)にはなかった光景である。
 
 とはいえ、では飯田線は昔より利用客が回復しているのか、と思うとそうでもない。郡境域の朝方の車内には確かに乗客の姿が多くなったが、絶対数が増えたというふうでもない。それは2人掛けシートに1人座ったまま、わたしの降りる伊那市駅まで、高校生が途中で乗り降りすることによって入れ替わりはあるが、ほぼそのままの光景が続く。ようは立っている乗客が空間を席巻することはまずない。
 
 ということは昔と何が変わったのか、ということになるだろう。想像するだけのことであるが、下伊那郡境域から上伊那にある高校に通う高校生の数が増えているのではないだろうか。今もって空間のほとんどを高校生が占める。伊那谷に限ったことではないが、高校生の絶対数も減少している。募集定員が減少していることはご存知の通り。それでもこの空間が空いていない、いやむしろ以前に比較すると明らかにわたしの乗る駅ですでに空間が埋まっているということは、郡境域を北へ向かう高校生が多くなっていることは事実なのだから。そしてなぜ郡堺域から北へ高校生は向かうのか、そしてそれは本当にかつてに比べて多くなっているのか、このあたりは今後様子をうかがっていくことにする。
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