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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

湯福神社 「御柱祭行列」 前編

2016-10-10 22:56:16 | 民俗学

①御柱行列を迎えに来る

 

②迎えを待つ

 

③祭神も御柱行列を迎えに来る

 

④いよいよ御柱は一の柱、二の柱の順に参道を出発する

 

⑤先払突棒、後方に大祭旗、紅白旗、町旗と続く

 

⑥木遣り

 

⑦御柱曳行の先頭

 

⑧傘鉾

 

⑨一の柱

 

⑩二の柱

 

⑪神楽

 

⑫建て御柱を待つ一の柱

 

⑬建て御柱の始まり

 

⑭建て御柱

 

 長野県民俗の会202回例会に参加した。昨日まで久しぶりに例会を欠席する予定だったが、土日と予想以上の降雨量があって、田んぼに水がついていてとても乾きそうもなかったため、稲刈りを諦めて例会参加となった。妻に言わせれば「良かったね」となるのだろうが、気持ちは複雑である。またも稲刈りが延期され、もはや焦りを通り越している。あまり嬉しくない例会参加となったわけだ。

 さて、今回は長野市のマチの中で行われた御柱祭である。湯福神社、武井神社、妻科神社、彦神別神社の4社で持ち回りで御柱を行っているということで、24年に1度しか回ってこない。今回は湯福神社ということで、善光寺から見ると北西に位置する神社にあたる。いずれの神社も善光寺の守り神的な存在で、南西に妻科神社、南東に武井神社、北東(実際は東側)に水内神社(彦神別神社)がある。実際は周囲に七つの神社があるというが、御柱はこの4社で回される。かつては4本の柱を建てたとも言われているが、現在は2本だけ建てられる。次の御柱まで建てて置かれるため、24年目に交替されるわけだ。御柱の長さは8メートルと言われていたが、そこそこ太いものの曳行している感じではかなり「軽い」という印象がした。杉の木を使っているということ、少し乾かしている時間が長いのか生木という感じではないあたりが、軽さをイメージさせる。「湯福神社御柱大祭行列」という執行者が作成された資料に行列順が書かれていたが、どうもその順とは違っていた。写真で解るように、ふつうのというかいつもわたしが見ている御柱とはちょっと感じが違う。たとえばわたしの地元の御柱では先頭に誘導者はつくが、これほど御柱の前に配役はない。そもそも楽人がついたり、傘鉾がついたり、と御柱より目立つ装束の人たちが多い。③の先払にしてもお遍路さんというか修験者というか、出で立ちがちょっと仏教色が強い。そして何といっても木遣りだろうか。いわゆる御柱祭でよそで聞くあの甲高い木遣りとはまったく違う。⑥の写真でも解るようにオンベを掲げているからそれらしく感じるのだが、出で立ちはいたって落ち着いていて雰囲気からして甲高く張り上げる木遣りは似合わない。御詠歌のようなものを歌い上げているようにも聞こえる。

 一の柱は2輪の台車に先頭部を載せて、後方は地面に引きずって曳行していたが、二の柱は台車は利用せず、地面に柱を落として引きずっていた。この違いは何なのか解らないが、一の柱の方が午前中に各町内を曳行する距離が長いせいなのだろう。何より台車に載せているということもあって、これまた通常の御柱に比較すると曳行速度がとても早い。ちなみに一の柱の先には県知事や衆議院議員など著名な方々が姿を見せていた。後方に⑪の神楽もついているが、いわゆる御柱祭を盛り上げる芸能集団としてついているというわけではないようだ。

 ここでは冠落としをした柱の頂きに薙鎌が打たれ、このまま建てられるのが特徴だ。杉の木ということもあって節がなく、スラっとしていて真っ直ぐさが際立つ。そういえば「まっすぐブログ」を書かれている若林けんたさんの姿もあった。善光寺を中心にして東側と西側に分けて交互に実施される御柱で、交互する際に妻科-湯福、武井-彦神別とそれぞれの神社も交互に移動する。東側が一の柱、西側が二の柱というのも決まっているようだ。いちおう「御柱大祭」であることに間違いはないが、御柱が前面に出ているという印象はなく、御柱を中心にした練り行列というのが正しいのかもしれない。よその御柱のように御柱につく人々が歌舞伎役者のごとく目立とうとすることもなく、威勢良く自らを主張することもない。おとなしいと言ってしまえばそれまでだが、マチの中らしい素性の良さを感じさせる御柱祭なのかもしれない。大勢の観客によって建て御柱まで繰り広げられるが、24年ぶりというほどには人の集まりは少ないようにも感じた。当番神社の氏子が中心になっているからなのだろうか。

続く


 

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