人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

「戦争」

2016年10月31日 | 日記

三笠宮様がお亡くなりになって

日記とか当時のことどもを

書かれたものがテレビなどで公開されました。

そのなかに南京の「虐殺」に触れたものが

ありまして

ああ、肝試しみたいに生身の捕虜を殺す

などという蛮行が行われていたのだと

改めて知りました。

(南京の人口が日本駐留で増えたのはなぜ

か、とか、光の部分も書いて欲しかった

ですが、やむを得ません)

考えてみると韓国兵がベトナムでやったこと

米兵がベトナムでやったこと

ロシアが戦後の日本兵を拉致して

シベリアで酷使したこと

ましてや原爆を無辜の市民に向けて

炸裂させたこと

すべてを告発すべきではないでしょうか、

日本の南京事件を告発するなら

これらの蛮行をあわせて正しい情報で

世界に知らせるべきです。

そしてこれが「戦争」だと

人類が知っておかねば・・・

「戦争」と「」付きにしたのは

これが

「麻薬」という言葉と同義で

いわば撲滅すべき悪だと思うからです。

虐殺に加わった兵士が

故国に帰れば善良な市民だったという

話はよく聞きます。

だから「戦争」は撲滅すべき「麻薬」

なのですね。

そこんとこは通り過ごして

「日本軍のやったことだけ」

何十年にも延々と告発され続けて

大げさな人数、規模に拡大されて

世界中にばらまかれて

しかもその国に日本が

戦後

信じられないほどの援助をしているのに

ユネスコに虚偽のまま登録してしまいました。

日本はおばかさんでしょうか・・・

 

 


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教師という仕事

2016年10月30日 | 日記

高校時代に忘れられない先生が

いました、だれもが

一人くらいの忘れじの先生を

記憶にとどめていることでしょう、

かく言う私にも国語の

滝沢かほる先生が

忘れじの先生。

正月に職員室でお餅を焼いてくれたり

なんて今ではあり得ないことが

ありました。

進路は遠く離れた町への大学進学、

卒業のとき先生が言った一言ーー

「何を習ったか教えに来てね」

びっくりしました

昨日まで生徒だった私に

教えろと?!

あれは忘れられない言葉でした

学ぶということはこんなにも謙虚な

ことだったのかと教えられたのです

ああ、職員室で一人の生徒に

お餅を焼いたりしたら

今ではクビですかねーー

貧しい社会になりました

そしてーー

教師とは

過去へ過去へと逆流していく職業なんですね

常に生徒たちを未来へ押し出す分

自分は彼らの過去へと流れていかざるをえない・・・

教師とは子どもの未来に自分を仮託して

生存しているのではないでしょうか。

ある意味悲しい職業ですね

そしてもっと悲しいのは

そんなことも感じることなく

傲慢に生徒に暴力ふるったり

淫らな真似する

無自覚教師が毎日のように

ニュースの一隅にあらわれることです。

 


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君が代

2016年10月29日 | テレビ

テレビで見ました

日本学校とかいうものが

どこやらの国にあって

そこは日本で教育研修を受けた女性が

創立したらしく幼稚園から大学まで

大勢が日本の礼儀作法などの

精神のもとに学んでいるとか。

そしてーー

毎朝必ず「君が代」を歌っていた・・・

衝撃的でした

日本列島どこを探しても

毎朝君が代を歌っている学校

なんてあるべくもないでしょう

どころか教師は君が代は悪の歌だと

信じ込んでて話になりません

「君が代」の「君」は天皇個人を指すの

でしょうか。

教師や他の反日日本人はみなそう思ってて

天皇賛美の歌なんかだれが歌うか

息巻いているようです。

あの戦争の傷はこんなに深く

あの時の象徴として歌われたゆえに

日本の国歌は哀れな状況にあります

はるかなところの小さな国の若者たちが

毎朝私たちの代わりに

歌ってくれています・・・

恥ずかしい国になった日本

国歌を誇れない日本

国歌一つ恥じてしまう日本

世界のどこにもない珍奇な現象

戦後、教師たちが

敗戦でくじけてしまった子供達に

「日本は負けてアメリカの支配下におかれました

しかし、日本は決して滅びたわけではありません、

今に必ず復活します。だから

堂々と未来に向かって立ち上がるために

私たちの国が伝えてきた国歌を

胸を張って歌いましょう」

と教育してくれていたら

こんなに日本も肩身がせまい

恥ずかしい思いをしなくてすんだかも

しれません・・・

 

 


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大文字山の魔女

2016年10月28日 | 日記

若い日のことです

近くの大文字山によくでかけていました

大の字を真正面に見上げる中腹の小道に

三つに枝分かれした木があって

ちょうど椅子のように腰掛けられる

ので・・・

私はここに腰掛けてゆったりと

大の字を見上げておりました

そこへ麓から少年たちが5、6人

わんぱく大将を先頭に駆け上がってきた

のはいいのですが

子どもたち

私を見かけると

はた、と立ち止まって

しまったのです。

私は黒いオーバーコートを着ていて

長い髪をしていたし

孤独な感じをいっぱい溢れさせていた

思います・・・

少年たちは数十秒立ち止まって

気味悪そうにこちらを窺っていましたが

先頭の少年がいきなり

駆け出して

私の前をさぁっと走り過ぎた

と見ると

続いて他の子たちもいっさんに

疾風のごとく駆け抜けていきました・・・

あの少年たちも今はもう70歳を

越えたおじいさんになっていることでしょう

そして孫たちに

「昔、大文字山に魔女がいた」

と語り聞かせているに

違いありません。

遠い日のまぶしい思い出・・・


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お子さまランチ列島

2016年10月27日 | 日記

数10年前のこと

息子二人が家を遠く離れて

それぞれ暮らしておりました

弟が大学に入ったので

兄貴がその近くの不動産屋に弟を連れて

安い下宿を探しに行ったら

そこの親父がびっくりして

お前たちはえらい、今時はみんな

親が娘・息子を連れてやってくるのにね

言ったという話を後で聞いて

驚いたのは私でしたよ

へっ? 下宿探しに親がくる?

そういえば大学の入試にも

入学式にも卒業式にも

親が来てるなあ。

そうか、下宿探しにも来るのか。

ま、就職先にも来て世話をやくと

聞いたことがあるけれど

日本列島はお子さまランチの旗が

ひらひらしてますねえ。

そんなとき

「たくましく自立している」若者を

たまに見るとーめったに見ないがー

うれしいですねー

日本の親たちは暇になり

お金もたまり

「自分」のやることを棚にあげて

「わが子」に血道をあげるようになったのでしょうか。

ひらひらお子さまランチ列島の

情けなくも滑稽な話でした・・・

 

 


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