人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

ある読書体験

2018年12月25日 | 読書

新幹線の中で気楽に読もうか

佐藤愛子の「私の遺書」というのを

100円で買って

読み始めました・・・

東京を出て名古屋に着く頃には

もう気持ち悪くなって

捨てるつもりで

座席の前の網?に入れたままにしておいて

新大阪で降りようとしたら

隣にいたおばさんが

わざわざ

「忘れ物ですよ」と

持ってきてくれた・・・

「遺書」という言葉に引っかかって買った

のだけれど

全編

霊視とか先祖の供養とかお祓いとか

私が最も遠くて近づきたくない

世界のことがえんえんと

書かれていたので

気持ち悪くなったのです。

知人にそのことを話すと

なんてことだ

「私も少し見えるのよ」と来た。

世の中には

「見える人」と「見えない人」がいるらしい。

でもねえ

「見える人」は「見えない人」のことは

そっとしておいて。

こんな本を書いて「遺書」だなんて

知らずに買ってしまっちゃう人もいるので。

なんだか気持ち悪くなって

「お祓い」でもしてもらおうかしら(笑)

 

 


堀辰雄はーー

2018年11月29日 | 読書

知人が読書会なるものをやっていて

面白いことを

教えてくれました。

堀辰雄「風立ちぬ」を読みあったとき

一人のご老女が

読後感としてこんなことをーー

この人は生い立ちからして

そんなにお金持ちではないと思うのに

軽井沢だのにばかり行って

長く滞在したりして

どうしてこんなことできたの?

また

梶井基次郎のときは

この人ずっと

そんなに裕福でもない

親に頼っていたんだ

などなど・・・

やっぱり読書は

一人でするものですねぇ・・・

 


司馬遼太郎さんが・・・

2018年11月15日 | 読書

作家の訃報を聞いて涙したのは

司馬遼太郎さんと藤沢周平さん

でございました。

その司馬さんは

 チャイナの西方つまり

新疆ウイグルなどの

シルクロードの民に

愛着を持っていらして

そこを探訪されたときに

すでにもう

漢族の支配の熾烈さを知って

危惧の言葉を述べています。

あのころにして既に

そうだったのですが

もしいま

司馬さんがあの地を探訪されたら

どう書かれるか

想像を絶する思いがいたします。

ある意味

「今のウイグル」を知らないままで

いらしたことは

むしろ幸いでした、と

言いたい気がします。

それにしても

司馬さん

国というものが

「公」という基準ではなく

「私」というそれによりかかっていると

この国のような始末になると

書かれていますが

本当に

隣国たちは「私国家」なんですねぇ。

日本がいくら「公国家」の姿勢で

いても

隣国には通用しないはずですねぇ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 


プルースト

2018年10月20日 | 読書

マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」

という大部な著作を

全巻読み通した人

います???

老婆は最初の一ページでダウンでした。

こんなものが日本で翻訳され

売られていて

多くの人が読んだ?

ということは

日本の読書人たちのレベルのいかに高いか

をあらわしています・・・

でもーー

ほんとに読み切れるものなのでしょうか

今頃になってこんなことを思いだしたのは

ちょっと必要があって

何十年ぶりかで

この本の第一巻を手にとってーー

絶望してしまったからなので・・・

いやもう、

ついていけません

読みきった人はすごいなあと

高い高い塔を見上げる心地でございました。

絶望の読書と申しましょうか。

いやぁ

すごい作品で・・・・

参りました!

そして

読み通した人たちに脱帽!

 

 

 


日清戦争

2018年10月17日 | 読書

浅田次郎「蒼穹の昴」を読むと

日清戦争とはなんであったか

よくわかります。

つまり阿片を強要したり

砲艦を並べて領土をもぎ取ろうとする

西欧列国と同様のことを

日本もしたというわけで

しかもこの時

「清」という国と戦ったのではなく

袁世凱の私軍と戦ったにすぎない

などは

驚愕の事実。

そしてChinaは

あれだけ痛めつけられた

西欧列国にではなく

ただただ日本に対して今も

憎い憎いの連発なのは

あの「シナ事変」のせいばかりではなく

阿片戦争の時代の屈辱も

含めているとしたら

それは

中華思想のせいでしょう。

憎いのはイギリス

と思いきや

「自分より下位にあるべき日本」が

自分たちの国を犯そうとした

そのプライドを傷つけられたーー

それはCoreaも同じです。

中華思想ほど厄介なものはないですね。

個人の例をとっても

「自分が一番上だ!」と信じ込んでいる

人ほど厄介なものはありませんもの。

日本がシナChinaではなく

中国、と呼ぶのは

この中華思想に平伏している

ということなんですが・・・

日本ではみな平気で

中国と言い

中華丼と言ってますねぇ・・・

日本人は鈍感ーー

なんですかねぇ。

それとも

とことんお人好しなのかも。