人生の階段ー日々の詩に託してー

ある老婆の日々ーー

白幽子

2016年10月26日 | 日記

遠い思い出に浸るようになると

死が近いのかもしれませんね、

それでも結構でございます。

平等なる神の意志にお任せいたします。

というところで・・・

昔、銀閣寺へ行く途中

疎水のそばに小さな小さな石碑が

そこに「白幽子」と彫られていまして

ついそちらの道へと

ふらふら入って行きますと

神仙境みたいな不思議な空間が

広がっておりました。

優しげな、深い木立の下をさらさらと水が流れ

しんとした空気の中に座禅石がちらほら。

洞窟らしきものがあって

そこが修行の場だったらしく。

一度しか行ってないのに

強烈な印象を残したあの空間・・・

そして今はきっとそのあたり

京都造形大学が建ってて家もあり

すべて過去の中に消えてしまった

かもしれません

だから

そういうところを二度と訪ねようとは

思いません、

昔「舞踏会の手帖」という映画がありましたが

昔の面影を現在に掘り返すのは

残酷なことでございます。

それにしても

「白幽子」ってだれですか?

「白隠禅師」の師匠だったのですか?


浴槽で死ぬ

2016年10月25日 | 日記

大俳優も英雄も大学者も

死はどこに訪れるかわからない

つくづく思った平幹二朗氏の死

浴槽にいるとき老婆は思います

ここで死んだらこの老いぼれた

裸体のままだ・・・

それだけはいやだな

そして無事に風呂場から出ると

ああ、今日は無事だった

本気で思います。

一人暮らしの老女が

浴槽で死んだら

屍体は・・・

想像するのもいやです

真実は

隠すことができません、

死はなんとも平等で

年収一億の人も

年金が少なくて国から

わずかに一時金を

恵んでもらう人も

浴槽の死が待ち構えているかも

しれないと思うと

せめて

服を着たまま

そして

死後数時間くらいまでには

発見されたいなと

今はそれが「のぞみ」でございます。

 

 

 

 

 

 


イタリアの村

2016年10月24日 | テレビ

好きな番組にイタリアの村で

生きる人を描いたものがあります。

三上博史のナレーションが素晴らしいのも

あるけれど

そこに生きる人たちが素敵なのです、

が、そういうことではなくて

私はいつもこれぞ!と思うのが

食事風景。

わびしい老夫婦の暮らしに見えても

ときに家族が集まってにぎやかに

食事をするという暗黙のルール

があって・・・

すごいのは一族18人くらいが

毎日昼食を共にする家族もあり・・・

孤老、という言葉はこんな村では

必要ないみたい。

昔からイタリア映画はたいてい

「家族」を描いていたなあと

思いあたりました、

アメリカ映画は「国家」を

フランスは「愛」を

描いていたなあ。

それにしてもドイツあたりだって

一人暮らしのおばあさんの家に

ときどき親類が食事にきて

賑やかだったなあ。

日本の孤老はどうでしょう????

・・・・・・・・・・

 

 

 

 


新幹線ストップ

2016年10月23日 | 旅行

鳥取の地震で

旅の途中に新幹線が

トンネルの中でストップしました

暗い車内はとても静かで

アナウンスの声だけ。

ただ若い人たちは早速スマホで

地震ニュースの検索を始めました

こういうときやっぱ

便利だなーと

見ておりましたら

ある老人がすっと立って

スマホを見ていた若い女性

後ろの席にいたんですけどね。

その人に尋ねてました

「三朝はどうなってますか?」

どうやらそこへ行く途中なんですね。

「みささ?」と女性は尋ね返しました、

「さんあさ、と書きます、有名な温泉地ですよ」

「あ、そうですか、ちょっと待ってください」

「三朝はね、そりゃいい温泉なんですよ」

「ははあ」

老人と若い女性はこうして会話がはずんだのです。

思いましたね、

ひとは災害を共有したとき

互いの殻を破ることができるんだなって。

東北大震災のときも

熊本のときもきっとこうして

ひとは互いに助け合おうと

いう気持ちに自然となるものかもしれないなと。

電車は間もなく動き出したから

それ以上は何もなかったけれど

私は東北のときのあの人々の優しさを

思い出しておりました。

あ、待てよ、

何かで読みましたよ

日本のこの災害時のニュースを見た

ある外国人の感想・・・

なんてこった、我々ならこの時点で

略奪と暴動が始まってるよと。

日本はまだ捨てたものではないな。

しかし「衣食足りて礼を知る」だけなのかも。

日本が再び飢える時代になったら

わかりませんよ・・・

どうかに度とそんな時代は来ませんように

安倍さん、頼みます!

 

 

 

 

 


聞き役

2016年10月22日 | 日記

対話にならない知人たち

A子・・・自分の病状とか体の状態だけを

しゃべりまくってこちらの感想とか意見を

はさんでも完全に飛び越えてます

そして対話の形になるのは

こちらが相手のことに優しく「質問」した

ときだけ返事をしてそれが

そのまままた彼女だけの

おしゃべりに移行してゆく。

B子・・・自分の今のこと、親戚のこと

夫のことなどを一直線に話して

あいの手にこちらがちよっと

自分の側のこと話しても

それはまったく耳に入れず

ただの中断にもならず

自分の話を続けていきます。

すごいですよーー

C子・・・少しましな対話が

できないことはないのですが

一時間以上えんえんと

自分の話を品よく話します。

D子・・・徹頭徹尾こちらの話を聞く

気は毛頭ありません、

ただただ聞いてほしいだけで

こちらは相槌を上手に打っているだけです。

つまり私は

たいていの知人にとって

ただの「聞き役」にすぎません。

そこで決めました

自分はこの人たちにとって

吸水盤になればいいんだって。

自分のことを話すのは

この人たちに話しても意味を持たない

のだから

ただただ「ふーん」といってればいいんだと。

そうですよね、

今更こんな老婆の話は

聞きたくもないでしょうし

自分の話を目一杯することで満足ならば

それでいいのさ・・・