toty日記

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1989.9.抜粋より「システム設計はお手のもの」

2017-02-07 18:33:14 | おおはる話(母のこと)
書類を整理していたら、
母が小学校時代の同窓会に寄せた文が出てきた。

文集には、皆さんが最近の様子を書かれている中、
母は取材していただいた内容を投稿した様子。

亡くなったころ、さえちゃんが下さった文集だったが
つい最近まで、よく読んでいなかった。

おおはるさん(実家の母)は、
いとこのさえちゃんの母上とは、同級生で、
言ってみれば、同級生がお兄さんのお嫁さんになったわけであり、

小学校からずっと、一緒に学んだ間柄なので
この文集を見せてくださったのだ。
長文だが、以下に載せておく。


タイトルは、「システム設計はお手のもの」
 日本電気コンピュータシステム㈱広報誌に取材されたものより


東京の郊外、緑の森に囲まれた玉川学園で、
5万人を超える卒業生のために
同窓会事務局を仕切っているのが米沢治さん。

65歳を過ぎてからパソコンに挑戦、
プログラムを工夫し、

ゲームソフト「ロードランナー」は
150面全面クリアーというすご腕で、
同窓会のコンピュータ化はこれからと意欲的。

ゲーム少年も「SE35歳定年説」も真っ青(?!)の元気印である。

「おばあちゃんですから。たいしたことはしていませんが、
それでよろしければ。」

失礼ながらお年からして、本誌の概要から取材趣旨の説明、
お分かりいただくのに時間がかかるのではと

覚悟していたのに、最初の手短な説明だけでこの簡潔な答えである。
電話は基本料金の範囲で終わってしまった。

凛とした感じからすると、長く教職にいた方か、
または矍鑠たる理事長タイプか。

イヤ、どうも違う。
あの声は、ビジネスの分かった声だ。

勝手な想像をしながら米沢治さんを訪ねた。
65歳を過ぎてパソコンをマスターし、

事務局の仕事に「PC-9800」を使っている人である。

玉川学園の正門から緑深い樹々の中を目指す事務局へ向かうのは
ちょっとした公園を散歩する気分である。

事務局のドアを開けると、小柄なひとが「米沢です」とニッコリ。
白髪のショートカットとピンクの花柄のブラウス、
それにスラックスが軽快な感じでよく似合う。

構えない、さっぱりとした印象、ひとなっこい笑顔。

米沢治さん、69歳。昭和12年玉川学園を卒業して
基本的には主婦業。

37年ごろから事務局の手伝いを、そして7年前に
事務局長のポストに就き、机一つで始めた事務局の仕事も

卒業生の増加とともに拡大し、
今では職員20名の所帯となった。

米沢さんが成城から玉川に移ったのは、
昭和初期小原先生をしたっての転校であった。

現在の玉川学園駅は、電車をとめてもらうために
小田急に創始者が寄付した駅である。

そのころ、米沢さんは港区の飯倉に住み、
森村、成城、玉川学園とお嬢さんコースを辿ったが
どんな家のでなのだろう。

何気なく伺ってびっくりした。
父君は白石基礎工事の創始者、
おばあ様がなんと故吉田茂元首相のお姉さまとか。

「お正月などよくおばあ様の所に挨拶に見えてました。
嫁ぎ先の姉に挨拶に来る方が偉い人になれるとは、思ってもいませんでした。
なにしろ土佐ですから、私は大雑把で…」

<パソコン誌を熟読してソフト研究>
パソコンとの出会いも実にフレンドリーである。
最初に目を付けたのが5年前、仕事にプラスになるのでは、

漠とした思いから自宅に1台買い込んだ。
電気屋がゲームを付けてくれた。

「そのゲームがね、15度刻みの角度で敵機を撃ち落とすの。
今は妹の孫にあげたけど、
あの後あんな面白いゲームには出会ってないわ」

こんなだから、パソコンにアレルギーがあろう筈がない。
折よく近所に開設されたパソコン塾にも通っている。

中学生に交じりソフト会社のスピンアウト組らしき先生に
個人教授の形で「BASIC」を習った。

「BASIC」で円を描いたり色を付けたりと進むうち、
本格的な「PC-88」を買い込む。

漢字ワープロなる本を購入、40ページほどのプログラムを
「PC-88」に4か月位毎日毎日入力。

「そしたら本に校正ミスがあってね、考えてこうかなって
勘で「BASIC」を訂正、RUN出来たりするの。結構面白かった」

これだけの努力の結果は「名前を住所を書いて一回印刷したらおしまい。」

で、「BASIC」でプログラムを書いていたのでは
仕事にならないと考え、市販のソフト選びの重要性を痛感。
パソコン誌を買い込み何冊も読破。

一方、ビジネス利用を考えて、
一年間家で同窓会の会計を試してみた。

出来は上々。それで「PC-9800」を家に購入。

『「PC-9800」にして嬉しかったな。
「88」ではトッ、トッ、トッが、トゥルルルって早いこと』

<システム設計にただならぬ才能>
次の年、事務局に「PC-9800」を入れてもらい、OA化に着手し始める。
卒業生は幼稚園から大学院まで、約5万3000人。

毎年2000人増える。
仕事は会報の発行、名簿作成、役員会・理事会の開催、
会計処理と多岐にわたっている。

これらの業務の会計処理、名簿管理の一部が
米沢さんの手でパソコンに載っている。

米沢さんが自宅で朝な夕な入力のデータベースは1万人を超える。
その成果は着実に見え始めた。

会計処理では日計表から決算が数分で出せる。

「会計の秘密をご紹介しましょうか。」
見せてくれたのが、オリジナル辞書だった。

「A0現金前期繰越」「A1本会計前期繰越」…と費目がコード化され、
決算表を作成する際にこれで費目がピタッと並ぶ。

さらに〝ゲゼA0現金前期繰越”とあり、
これが辞書登録されているので、費目の入力は
すべてカタカナ2文字で済んでしまう。

「特に習ったわけじゃない、米沢式簿記と称しています」と
笑う米沢さん。

システム設計のただならぬ才能があるようだ。

その好例がマークシート方式の会員カードである。
現在使用しているカードは、12年前の設計。

氏名・旧姓、職業、募金、郵便番号、地方区分、部別、科別、
卒業年度、幼・小・中・高、転科…と巧みな組み合わせで

コンパクトなマトリックスが
見事に1枚のカードに収まっている。

「ただラクをしたいから、趣味でアレコレ考えてるんですよ。ウフフ。」
と茶目っ気を見せ笑う米沢さんだが、大雑把どころか大した緻密さだ。

いずれはオフコン・クラスのマシンを入れてと、
描く構想の実現に若い人への期待は大きい。

「今、事務局の唯一の男性が昨年の工学部卒業ですが、
コンピュータ関係に先輩がいますから」

ゲーム少年も35歳SE定年説も真っ青の熟年SEは
まだまだ健在である。


今のコンピュータから考えると
ワープロのプログラムを入力していたのだから、
初期も初期なので、こんな広報誌に取り上げていただいたのだと思う。

自宅で、辞書登録した都道府県や大きな市町村の対比表を左に掲げ
いつもいつも名簿入力等していた姿が目に浮かぶ。

本当に趣味はパソコンだったんだと、懐かしく思う文集の記事だった。
さえちゃん、改めてありがとう。

他に、小学生時代の「かくれんぼ」という文もはさんであって
それはそれで、母のほかの一面を見た気がした。



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